ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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遺すべきもの

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Leitz- ELMAR 9cm/4(1936)

昭和11年製のライカなのに、何故だか東京・西荻辺りの
もつ焼き屋で、串5本に生中2杯にホッピー2杯…の
ほろ酔いセット…そんな程度で買えた、時代的に
少々暗めなレンズ。

戦前、ズマール付きのライカが当時1万円、
エルマー付きが9000円で売られていたと云います。

貨幣価値としては、昭和11年段階の100円が、
現在の6万4000円くらいとのこと。
とすると当時の1万円なら、約640万円!。
9千円でも550万円とちょっと…。

ホントに世間の風評通り、恵比寿(広尾あたりらしい?)で
50坪程度の家が建った…って、どうなんだろうか?

ちなみに現在のライカは、レンズ付き(単焦点…
ズームなんてあり得ません!)なら…限定品とかじゃない
普及品で160万〜200万円位します。

たまにM型ライカで♫カショ〜ン何ていう、甘美なシャッター音
鳴らしてる人、見掛けますけど、自分の持ち物があまりに
見窄らしいので、ついついその場を離れてしまいます。

ちなみに、写真家さんの作品集とか随筆なんかを
近頃とみに読む機会が多くなっていて、取りあえず、
図書館にいったりすると、まず一番にそうした本をパラパラと
めくってる自分に驚いたりする今日この頃。

で、随筆などでは、大体が、写真家さんの愛機、
ライカとかハッセルブラッドなどとの出会いが書かれていて、
それが判で押したように、「父から譲ってもらった」或いは
「父の遺品」…。

うーむ、ウチの父は何しろ無趣味だったからなあ…
いや、釣り…休みごとにどこかでお魚…釣ってきてたけれど、
大概が近所の川や、沼、精々行っても港の防波堤…。

リールなんて使わないし、竿だって竹竿に毛の生えたようなもの…。

中学生の頃、オヤジさんのギブソンで、エレキの練習をしてるヤツも居て、
凄く羨ましかったな(そいつはちっともうまくならなかったけど…)。

だから自分は何か確かなものをちゃんと残してあげよう!!
そう考えたものの、大したものは残せてないような…??

東京のマンションだって、オリンピックが終れば
東京の地価なんて大暴落するなんていわれてるし、
どこかの北の国にミサイル攻撃なんてくらっちゃえば、
もう目も当てられないから、今のうちに売っちゃおうか!....
なんて話もないではない…。

秋田の実家??地方なんて、とっくに需要と供給のバランスが
崩壊して、笑っちゃうくらい安い上に、さらに現在、国家案件の
イージスアショア何ていうものが、予定通りに
この街に出来てしまったら、もう眼も当てれない....。

ビル1棟売っても、東京の一等地のワンルームマンション1部屋すら
買えないようだ。

でもなあ、やっぱ何か有益なもの…残してやりたいが…??



まだ自分は相当に幼かったけれど、生意気にも
「ロック好き!」を既に自称していて、中でもこの
C.C.R.…いやいや、餓鬼なりにもロックツウならクリーデンス!。
奴らは確かに、サイコーにイカシててカッコイイ、
ゴキゲンな4人組!....だったのだ。

ちょうどタイムリーにもNHK(総合)で、
「ヤングミュージックショー」っていう、当時は超貴重な
ロックの映像番組が不定期ながら放送されることになって、
栄えあるその第1回が、「C.C.R.」のロンドン公演だったかの
ライヴ映像。まだ家庭用ビデオレコーダーなんて、概念すら
ない時代、家具調テレビのスピーカにカセットレコーダーの
マイクをくっつけて、必死に音を録音して曲を覚えたりした。

たぶん、日本中のロックファンが、同じようなことを
してた、よく晴れた土曜の午後じゃなかっただろうか?

ちなみに第2回はクリームの解散コンサートだったか、
ストーンズのハイドパークのどちらかだったと思う。

いずれにせよNHKのそうした援護射撃もあって、
C.C.R.は自分の周辺でも、突如として人気バンドとなって、
ラジオでも様々な曲が頻繁に掛かるようになった。

そのうち、プラウドメアリー初め、数多い旧曲までもが、
ヒットチャートを続々と席巻する。

とってもシンプルな演奏形態であることから、やがて
当時の風潮から、やたら(無駄に)手数の多いロックバンドの
出現などもあって、C.C.R.は、わりと馬鹿にされてもいたように思うけれど、
今にして思えば、サザンロック、スワンプロックの先駆けでもあるし
或いは後年のR.E.Mや、オルタナティブやグランジ勢の元祖的な
バンドでもあったように思う。

一方そんなこととはつゆ知らず、やがて半ズボンにランドセルを
卒業し、詰め襟の学生服など着るようになった私は、
コソコソとお小遣いを貯める…貯金箱をひっくり返し、
400円貯まれば即日、シングル盤を1枚買う日々。
そして次はなにを買おうか?と考えることが、ホントに楽しい時間…。

やがてシングル盤1枚買えば、その数倍のレコードを友達から
借りられるってことを知る。そしてそれは学生の頃からの
音楽好きの仲間と、50歳くらいまで、ずーっと続くのだ…!。

友「俺が死んだら、俺のCD、レコード全部(数千枚)と、
  ギター1本... 好きなものをくれてやる!」

私「じゃあ50年代の(正確な年式不明)テレキャスターが良いな!」

友「えっ…オマエさんなら、てっきりフェリントンっていうかと思った」

私「あれもいいねえ…リチャードトンプソンモデル!」

友「じゃあ特別に2本…許す!。GibsonとかAlembicやなんかは
  甥っ子らが狙ってるからね」

私「サンキュ。でもなあ、たぶん俺の方が先に逝くと思うなあ、
  若い頃の暴飲暴食が祟ってるからね…」

友「大丈夫…俺が先だ…」

結局、膵臓癌で、ヤツはあっという間に逝ってしまった。

葬儀に参列したが、勿論そんなムシの良い約束を
遺族に言えるはずもない…。

話がそれちゃったけれど、そういうわけで、CCRのLPは
残念ながら、1枚も持ってなかったけれど、シングル盤だけは
たくさんあった…そんな気がするけれど、一体あのシングル盤たちは
どこに消えたんだろうか??そんな謎もあって、結局
昭和の終わり頃に、CD全部、大人買いしちゃうんだねえ…。

ベスト盤で充分!とも思うんだが、どうもそれって
アーティストに対してとっても失礼な気が、ずうっと消えないんだよねえ…。

Creedence Clearwater Revival - Up Around the Bend


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安全第一健康第一

DSC07504a.jpgLeitz- ELMAR 9cm/4(1936)

自分は….酒は好きだし、一時は毎晩、夜明けまで
ハシゴして呑み狂ってたような時期もあったけれど、
それでも、家ではほとんど呑まない。

というより、一人で黙々と呑み始めると、
すぐに気分が悪くなる方向で酔っ払うのがわかりきってるから、
晩酌すらしないのだ。

誰かと気分よく語り合いつつ、呑むのが自分にとって
「良い酒」ということになるから、一人の時はビールすら
呑まないわけだ。

宴会は基本的にどんな会でも大好き!。

殆ど知った顔のいない「協力企業懇親会」って感じの
取引先主催の飲み会なんか、

「新しい知り合いが増えて楽しいじゃんか!」

なんていって、誰もがいやがる中、自分は嬉々として参加した…。

事実、これ切っ掛けで、ビッグビジネスに発展したことなど
何度もあるが、そんなことより、自分の全く知らない業界と
交流するのがとっても楽しかったし、本来は人見知りする
自分であるけれど、酒はその辺、自分を少し変えてくれるから、
「飲み会」は好きだ。

そんな自分だから、「お酌」を断るなんて言語道断!
来るものは拒まず、去る者は追わず…。

ところがである、今年の中学の同窓会の席では、
あえてノンアルコールビールを所望する自分がいた...。

勿論ノンアルコールビールなんて飲むのは人生初...
あんな不味いものとは...(個人的意見!)

様々な旧友による、親愛のお酌を、断腸の思いで拒み続ける
自分の姿が、紛れもなく今の自分である。

なんて情けないのだろう!。

たぶんビールなら、さほど馬鹿みたいに酔わない自信はある。
それでも、今の自分は何があるかわからない。

自分のペースでゆっくりと呑むのなら大丈夫と思うが、
自分のペースが維持できないような飲み方だと、まだまだ
不安なのだ。

どうしちゃった俺?
情けないじゃないか俺?

さあみんなで3次会突入!行くだろ?当たり前やんか!
朝までトコトン付き合うでえ!!...

それは昔の話….

今は…ゴメン…ちょっとな、体調がな…ホントゴメン…

だから人生は結局のところ…

安 全 第 一   そして

健 康 第 一

なのである。 



でもって、麦酒の歌といえば、自分にとってはこれに尽きる。

エルヴィスの「冷たくしないで(Don't Be Cruel)」の替え歌の
「つめたく冷やして」(呑(どん)・ビール・クール!).

勿論、細野さんで有名(?)なこの歌だけど、
なんとオリジナル?というか訳詞はあの
「あがた森魚」さん。

細野さん版の方も記憶を辿ってみても、レコード化された
記憶は全然なかったけれど、どういうわけか、よく知ってた…。

たぶんラジオかな?ライヴ、スタジオライヴなどなど、当時は
しょっちゅうライヴ番組がラジオ放送されてたからね。

わりに最近発売された、例の中華街のライブ盤(泰安洋行ツアー1976)
に無事収納され、やっとこさCDでこれを聴けるようになった。

そう云えば、昨夜は、明け方のベルギーでのサッカーの試合を
観る為に、遅くまでというか、ずっと起きていて、たまたま
細野さんのオールナイトニッポン!をやってたから聴いていた。
(祝オーストラリア、ロシアW杯出場決定!日本代表も
一つ間違えば、昨夜まで延々と一喜一憂せねばならぬところでした!))

細野さんの新作(Vu Ja De=デジャヴの反対)も少し聴かせてもらった…
いい感じにユルいブギウギ、そして昔よりはるかに聴きやすい
環境音楽!?

細野さん曰く、1940年代にはブギウギの他、良質な音楽に
溢れた、アメリカの黄金時代なのだが、日本は戦争で敵国音楽だから
殆どその最も良質な部分を知らない。だからちょっとそこらに
スポットを当ててみたい。

相変わらず凄いな細野さんは!

ハリー細野 & Tin Pan Alley - つめたく冷やして


細野晴臣ニューアルバム「Vu Ja' De'」(trailer.)


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黄昏の街とロケットマン

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

学生時代、そりゃあもう人並みに(?)、当然風呂なし、
トイレ共同、流しも共同、ついでに玄関も共同な四畳半アパート
に住んで、食うや食わずの最底辺生活をしていたわけで、
服なんかほぼ買ったことがなくて、夏も冬もおんなじジーパン…。

床屋も、夏休み&冬休みに帰省した時に、
親のお金で豪勢に「美容院」何てところに行って
生まれて初めてパーマなんてのをかけつつ、
仰向けのままのシャンプーにドキドキしながら、
多少身綺麗になって、東京に戻りつつ、
暫くすれば、またドロドロドロ…。

とはいえ、一日おきであるが、キチンと銭湯には行くし、
週に1度は銭湯が併営してるコインランドリーで洗濯もする。

まだコンビニっていうものは、この世に存在してなかったけど、
どんな街にも、1ブロックに1軒は必ず、少し遅くまで営っている
煙草屋主体の雑貨屋さんがあって、銭湯の帰りは大体そういう
お店に寄っては、アイスキャンディを舐めながら(下の歯が知覚過敏で
アイスは噛めない!)コカコーラとハイライトを買い、
タウン情報誌の「ぴあ」とか「シティロード」も買い、さらには
FM雑誌なんかを立ち読みしつつ、手が汚れるけれど、
大好物だった東ハトのキャラメルコーン…なんかを買い込んで、
四畳半のオンボロアパートに帰宅。

まあ、その時の買物状況が、その後もなんとなく生活習慣となって、
それがたぶん今のポンコツ体調の元凶だろうなあと思うけれど、
とはいえだ…そういうことの一つ一つが自由で、気ままな生活
だったのだなあと、今なら思うのだが、当時は、

こんなちっぽけなことが、自分の求めてきたことなのだろうか?

と、随分疑問に思ったものだ…。

やがて楽器を買う為にアルバイトを始めるのだけれど、
お金は一向に溜まらない、それどころが、どうしたことか、
雑誌「ポパイ」で、これが最新流行の兆し「Nikeのスニーカー!」
ウーム、確かにカッコいいなあ…ニケ!?かあ…
と気づいたら1万とちょっと…家賃より高い靴!?
を買ってしまってたり、冬は冬で、家賃のほぼ3ヶ月分の
革のウエスタンブーツを、散々悩んだ挙げ句に、ああ買っちまったあ!
してたりする…。

ウエスタンブーツは買った初日に、それを履いて、いい気になって
散歩に出掛け、帰宅したら、それをうっかりアパートの
共同玄関に脱ぎっぱなし…10分くらい経って、
「あっ、いけない!」って気付いて、慌てて玄関に走ってみるが、
ブーツはもう跡形もなく消えていた…。

本当にあの時の悔しさは忘れない。

悔しいから、その日からしばらくは、他人の足もとが凄く気になって
注視したり、近所のアパートの玄関先を、眼を皿のようにして、
探ってまわったり…もう二度とあんな悔しい思いはしたくない…。

ちなみにだが、靴はその後発見された。

新聞拡張員が、「新聞とってくださいよー」でいつものように
現われる。大体断るのだが、その時は後楽園球場!の巨人戦
ペアチケット!って云う、まさに当時のプラチナチケットを持ってきた!
というから、部屋に入れるとその拡張員は、自分の靴を部屋の
ドアの前に置いた。「あれ….なるほどこいつだったのか...」。

男「へへへ…近頃、こういう共同玄関は物騒だからね…」

私「いいブーツ履いてんじゃねーの、3万くらいするんでしょ?」

男「いやいや、ウチの販売店の学生バイトがね、
田舎の親からこのブーツを送ってもらったんだが、
サイズが合わないからって、先輩、1万で良いから買ってくれって
いうからさあ、まあ見たところ新品だし、7千円なら買ってやっても
いいよ…ってんでね…それが何か??....」

結果から云うと、ブーツは戻らなかった…というか、
今更返してもらっても仕方がないし、犯人のバイト学生に詫びを
入れされるともいってたが、それも固辞した。

別に弁償してもらおうとか、全然思ってなかったし、
今回の件は自分にも、10分とはいえ、玄関に放置したって云う
過失もある。

しかし向こうからすれば、就業時間内の犯行でもあるのだから、
責任の所在をまずは明快にして欲しかった。

然るべき役職の店長とか、所長とか、職長でもよいから
企業として正式に詫びて欲しかったし、それが企業の責任だと思う。

しかし、結局はもう時効だろうから白状すると、
そのおっさんが、自分もそれを買ったことで犯罪に
「加担」してるから、上司には案件を上げきれなかったようで、
そのオッサンの誠意として「新聞を一年分」無料で届ける!」
ということで一応のケリがついた。

自分の性格的にも、そういうイカサマなやり方は言語道断なのだが、
しまいには新聞配達人の悲哀や、生活の苦しさ、ひもじさを
熱弁され、さらにこれがバレたらクビになって、明日から路頭に迷う
…とまで訴えられてしまうと、もはや「ご勝手に」ということで
手を打ったのだが、たぶん自分は、それから3ヶ月もそのアパートには
居なかったように思う。

自分も色々なことで、そろそろ過渡期を迎えつつあった
時期でもあったのだ。

結局東京には、それ以後、35年も居たけれど、
最初に住んだ、あのなんだかやけに夕日の似合う街には、
以後、二度と訪れてない…。

イヤな想い出というほどではないし、実は今の今まで
忘れていたような、かすかな記憶でもある…。

上京した当初は、実際には使えもしない旅行クーポンや
訪問販売の意味の良く分からないサプリメント、存在しない
合唱団(第九、唄ってみないか!=会費2000円)への加入や
妙な保険加入等々、本当に馬鹿みたいに騙されまくった!。
その一つ一つが、たぶん都会で生活することに対する社会勉強
=先行投資で、以後、危うきに近寄らずな、用心深さから、
おかげで、さらに酷い騙され方はしなかった…と思う。

そんな諸々をすべて経験させてもらったのが、あの街なわけで、
まあ、逆に感謝??なのかも知れないなあと思う。
でも、だからといって、また訪れてみたい場所ではないかな...。



今更の、ウレシハズカシ「ロケットマン」である。

エルトンジョンにしては、随分後期!というか
晩年というか、1972年の「ホンキーシャトー」っていう
アルバムに入ってた曲…。

何が晩年で後期かというと、自分はまだ中学生の超青二才
だったけれど、ロックやポップスが、少しだけ解り始めた、
いわば「生意気盛り」…。

いつものような陰鬱さ=深さ…みたいなものが薄れて、
何しろ、やたら明るくてリズミカルで、これまでには
考えられないような軽さの「ホンキーキャット」で始まり
全体的にも明るいトーンのエルトンジョン…!
どうなってしまった?...狂ったの?...いや、これが噂に聞く

大衆迎合というヤツ...なのか?

そんな感じで、我らのエルトンも、なんだか「あっちの世界」の
派手な売れ線芸能界のほうへ、行ってしまったんだね…。

でもこの曲ロケットマンは、以前の彼の雰囲気のままだよなあ..
ああそうか、古いファンと新しいファン…この際どっちも
取り込んでしまおうって…そうか、そう云う魂胆ですかい…!
ってな具合の….、いやはや中学生の感性はいつもこんな風に
ヒリヒリしてる…!?

ソロデビューしたものの、パッとせず、あるとき誘われるまま、
メンバーの大量脱退で困り果てていたキングクリムゾンのヴォーカリスト
として、オーディション参加!クリムゾンの事務所「EG」に気に入られ
早速仮契約するものの、ロバートフリップは大反論!

「あんなカエルを踏みつぶしたような声の歌手なんて無理!」
(ブライアンフェリーも合格したが、クリムゾンにはあわない!と
 フリップ段階で却下…)

というわけで、エルトンジョンは契約手付金を違約金として
600ポンド(一説による)せしめつつ、それを製作中の
「僕の歌は君の歌」の制作費(ヤッパリ、プログレの
サードイヤバンドのポールバックマスターにストリングスアレンジを
依頼している)に注ぎ込んだら、これが大ヒット…。

世の中そんなものなのよねえ…。

というわけで、ああもうエルトンジョンは終った!と、
事情通気取りの中学生に思われる中、(実際には
ここから、超メジャーなスターダムにのし上がるのだが)
唯一の救いだったのがこの曲の美しさ…。

ところが、45年後、こんな取り上げ方をされてしまうとはね…
とほほ…である。

Elton John - Rocket Man


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暮れの元気なグッドジョブ

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

いまや親類縁者も、随分と少なくなったものだが、
取りあえず、東京組と九州組には、キッチリお歳暮を
支度しておく、そんな時節になってきた。

基本は、自分も東京にいる頃、毎年送ってもらってた
「きりたんぽセット」と「塩干物(タラコとか筋子、イクラ等)」
それに、元々は自分がリクエストしたものなのだが、
今では自分が送る側の役割を担うこととなってしまった
「ら・ふらんす」…。

塩干物以外は、実は予約が必要(いわゆるコダワリの銘柄品の場合)。
しかも順番というか、納期には結構な日数が掛かるから、
早めに注文しておかないことには、うかうかしてると、平気で…

「年越してしまいますけど、大丈夫っすか?」

何ていわれて、焦ったりするから、早めの発注が必要なのだ。

まあ近頃は、子供(といっても既に30歳を過ぎたイカズ後家だが)の
リクエストで、地元名物となってるらしい「バター餅」というのを
大量に欲しい!っていう要望があったりする。

職場で人気なのだそうだ…。

まあ、典型的かつ歴史的ブラック企業で、世間の人たちの皆が皆
「ああ、あそこは仕方がない!逆にあそこがホワイトだったら
赦さない!」っていうような、万人が認める折紙付ブラック企業…。

電車のあるうちに帰れたためしがないから、渋谷駅前に数多ある
漫画喫茶に泊まるか、タクシーを捕まえるか? いずれにせよ
平日は4時間以上眠ったことがない…が、いまだに「自慢?」な
オバカな会社員。実に自分も若い頃、希望してたけど、
中退者じゃ権利なし!というわけで、あまり文句もいえない。

まあ「バター餅」くらいで元気になるなら、いくつでも…
何て思うのだが、どうしたわけかあまりたくさん置いてないし、
さほど日保ちもしないから、買いだめというわけにも行かない。

昔から知ってる、近所の菓子問屋のお姉さんに、
その辺りを相談したら、注文できるよ!っていうので、
去年、10箱ほど頼んだのだが…いつもと違って、
あんまり美味しくなかったらしく、
ちょっと今年は考えものだ。

ちなみに、私が知ってるその昔懐かしい菓子問屋のお姉さんは、
当時なんとJK!。今はもう、来年古希(70歳)になるそうだ!
オソロシヤ!?

で、塩干物….特にイクラは今年、バカ高い!
これからシーズンに向けて高くなるのなら今のうち…
なら、なんとなく分かるが、既に今から、
もう手を出せないくらい高い上に、今後、
年末に向け、益々高くなる見込みだそうだ。

イクラや筋子がなくたって別に死にはしないぜ!。
クジラだって、いつの頃か突然食せなくなったけど、
今なんか、たまに食卓に出てきても、匂いがキツくて
とても食べれない!あんなに好きだったのに??...
まあ世の中そんなものだろう。

そのうち鮪だって食えなくなる時が、いつかきっと来るだろうが、
もっと未来には「こんな油だらけの不味い魚、昔の人はよく食ってたな!」
何ていわれるかもしれない。

今年は「タラコONLY」で我慢してもらおう!

あと家人の実家の九州では圧倒的に評判がいいのは、
「新米」。

根本的に向こうで流通してる「米」と、我々が消費してるモノの、
モノが違うみたいで(?)、「別次元に美味しい!」なんて
いわれると、もう毎年送るしかないもんねえ!って感じだ。

「ら・ふらんす」は、まあ賞味期限…ではなく、賞味する頃合い!
っていうのが、とても難しいから、大体1週間後くらいが
食べごろ!っていう頃合いのモノを、指定日に到着するように
手配するから、これも時間がかかる…。

いずれにせよ、それらすべての納期を、ピタリと揃える…
まあ、面倒臭いが、これも年末の仕事と思って取り組みつつ、
グッドジョブ!を目指すのである。



90年代には、「世界最高のライヴバンド!」なんて
いわれてたネヴィルブラザーズだが、いきなりのPVで失礼する。

ただしこのPVが当時とっても衝撃的だったし、
事件の全容というのが、たった3分のPVで、
充分理解できる内容も、当時は衝撃的だった。

この公民権運動の引き金というか、導火線にもなった
ローザパークスの「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」は
ちょうど2000年頃にテレビドラマ化され、日本でも
「NHK」で放送されたが、どうもその時の映像と
55年の事件のニュース映像等ををうまく使ってるようだが、
ドラマとの関連は定かではない。
第一、この曲自体はドラマより10年以上古い!

ネヴィルブラザーズというと、どうしてもアーロンネヴィルの
甘く切ない美声が思い浮かぶし、バンドの呼び物に違いない
のだが、むしろセカンドラインビートというか、ケイジャン音楽
というか、レッドネックというか?、インディアン…方向の
バンドサウンドを表現する上では、アーロンの美声はちょっと邪魔。

むしろ彼じゃない方が、安心して乗れる!って分けで、これは
その代表曲でもあるわけで、勿論同曲のライヴ版も素晴らしいので
機会あれば….ということで…シスターローザ!

The Neville Brothers - Sister Rosa


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創世記?

DSC07125.jpgLeitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

毎度同じような写真で申し訳ない….。

当然ながら、現代レンズの超精彩な表現力には
遠くおよばないけれど、85年ほど前に開発され、
その時代、世界中の、貴族も、成金も、軍属も、
市井のあらゆるカメラ好きが憧れた、その独特の陰影を象る
世界観というか、やや癖のある表現力を、
厳密にいえばフィルムではないから、そのものズバリでは
決してないのだけれど、ギリギリ近づけている実感が、
なんだかとっても嬉しいのだ。



我が県の男子中高生の野球部員率と、女子のバスケ部員率は
全国第一位らしいのだが、サッカー部員率は、何と47位…。

個人的には、そんなちょっと情けない県下でも、
一応は強豪といわれる中学サッカー部に、私は身の程知らずにも
入部してしまうのだ。

サッカー部は、その時期まさに全県優勝校の
ディフェンディング・チャンピオン。

その翌年から全国大会が始まって、私の一コ下の学年は、
全国ベスト8(優勝校にPK戦敗退)。

基本的に入部した一年生の一学期中は、ただただ先輩たちの
コンビネーション練習を横目で観ながら、我々はひたすら
グランドの周りを延々と走り続けるのみ。

格好だって、普通に体操着に、部で指定された、そこの薄い
運動靴。やはり自分たちとは違う集団を形成しグランド周回
し続けている、野球部新入生は、まだ野球の格好をしているだけに
体操着の自分たちには、プライドの欠片も無く、ただただ
惨めな気持ちで走っているのだ。

さらに精神的に追い討ちをかけるのは、何人かは、
小学生時代のサッカーエリートで、同じ1年生なのに、
我々とは別メニューで、先輩たちと練習の輪に加わることが
赦されてるから、粛々と走りながらも、
それが羨ましくて仕方がない。

俗に下級生や補欠は「球拾い」などといわれるけれど、
我々レベルは、球を拾っても、それを蹴り返したら、
別の蹴りが飛んで来る。丁寧に手で拾って
手で返さなければならぬのだ。

我々がボールに触れられるのは、練習終了後、
一年坊が各自、部のボールを持ち帰り、入念に磨く為に
持ち帰る時のみ。

だから帰宅後、または帰宅前に、既に日も落ちかけて
薄暗いグランドに居残って、そのボールを各自が自由に蹴って
練習することが、可能になるのだ。

さてボール磨きである。今と違ってサッカーボールは、
数日で表面の白い塗装が剥げてしまって、牛革の地の
ベージュが露出し、さらにそれが茶褐色に変わり、
黒色の五角形と本来白色の六角形の区別がつかなくなるくらいの
色目になる。

我々の伝統(?)は、ワックスなどは一切使わず、唾を掛けて
乾拭きし、焦げ茶のテカリと風格(?)が出るまで
強く磨き続けるのだ。

しかし、そうそう唾など出ないから、ついついお茶を飲むなどして
無理くり唾をかけるのだが、水分が多いと、光沢が出てこないから
不様な感じに仕上がってしまうと、翌日、ボール検査委員?の
2年生部員に「たるんでる!」だの「お前の一生懸命さが見えない!」
などとキレられては、パーで殴られる…。

ちなみにパーは勿論「微罪折檻」。
重罪というか、先輩の怒りを買ってしまえば、容赦なくグーで殴られる。

大概は、挨拶が悪いとか、態度が横柄だったとか、
先輩の言いつけを守らなかったとか…。

基本的にグーで殴られると、一瞬口の中が切れて、
血が出るけれど、すぐに止まるし、痛みも続かない。

ところが、夕飯中に急にしみて痛みだしたり、翌朝
腫れてたりもするが、それを問題化させることは無いまま、
それでショックを受けた者は、静かに部を辞めてゆくだけ。

それでも辞めずにいる者は、そんな先輩たちに対して
たぶん生まれて初の感情「殺意」さえ抱くこともあるけれど、
こんなに苦しい練習を、これまでしてきたのが無駄に終わるのが
悔しい(走っただけだが)…たったそれだけの理由で、
またひたすら走り続けるのだ。

そうしたわけで、4月の段階で50人はいた新入生も、
市内のリーグ戦が始まる6月頃には、20人くらいに落ち着くのだった。

そして、その20人のうち、大体自分が、スキル的にどのくらいの
位置にいるのか?が、なんとなくわかってくる…。

うわあ、ヤバいぞ…たぶん自分よりヘタクソは、
下には3人くらいしかいないぞ!っていう、
絶望的な位置から始まって、後は個人練習も含めて、
強烈な向上心を持って、自分を鍛えつつ、一人越し、二人越し..
そういうことを実感しながら、ただひたすら、イヤラシいけれど、
ライバルを蹴落として行くしか無い。

生まれて初めて先輩たちに対しての「憎しみ」「殺意」を
経験した後、今度は仲間同士の「熾烈な競争」を、
ここで経験するのだ。

20年後、私は大人のサッカー部を作るのだが、
その時の心情は、みんな仲良く、心からサッカーを楽しめるチーム!
だったが、その心情は、中学時代の熾烈な競争論理=
チームメイト愛?イヤ、みんな白々しい笑顔で接しているが、
本質は、転けてしまえば嬉しい「ライバル関係」。

そんな経験と、トラウマが下地になって、そう言うことから
出来るだけ離れたかった心情からのものだったと思う。

やがて、リーグ戦が始まると、さすがに一年坊たちのモチベーションは
突然最高潮を迎える。やはり試合になると、普段は殺意を抱く
ような粗暴な先輩達も、やはり同じチームの選手という一体感が
奇しくも生まれてしまうのだ。

自分は、今はまだオフサイドも良く分からないぐらい
何も出来ないけれど、早ければ来年にも、同じピッチで
チームの為に働くのだ!活躍するのだ!と一年坊のモチベーションは
マックスになるのだった。

そんな感じで、中学一年坊の、長い長い一学期は終り、
さらに怒濤の夏休みを迎えるのだった…。



そんなサッカー三昧の日々も、だんだんと時間のマネジメントが
器用に出来るようになると、結構レコードを聴く時間も、
ギターを弾く時間も、その他諸々、英語塾にだって通ってたし
様々なことが、随分とどん欲にできるようになるから、
今にして考えても、その多忙さたるや、どうやりくりしてたのか
謎でもある…。勿論深夜も、ラジオにかじり付いて聴いてたし…。

そんな中、何故だかこの頃に初めてマイルスのレコードを買っている。

On The Corner…

実際には、小学生の頃に、既に家には、マイルスの「Kind Of Blue」や
「Nefertiti」が何故だか置いてあったから、なんとなく
聴いてはいたけれど、それはあくまでもコンテンポラリーな
ジャズトランぺッター=マイルス・デイヴィスのサウンド…。

勿論「モード・メソッド」なんて当時は全く分からない。
今でも、分かったような分からないような、情けない感じだけれど...。

70年代になると、ロックビジネスが突出した産業に成長。
それにうまく乗じてマイルスも売り出そう!って分けで、
ロックフェスなんかに出演が多くなり、どうしたわけか
ひたすら8ビートのエレクトリックサウンドに傾倒するマイルスと、
産業界の思惑その通りに、うまいこと誘導される
日本の最果てのサッカー少年の中坊…。

そういうわけで、ある日、ゲバ学生だった叔父も、
無事大学を卒業して、給料取りになると、

「おい、レコード買ってやるぞ!何が欲しい?」

っていわれると、ちょっと叔父に対して背伸びしたくなって、
このレコード(最新盤)を所望したというわけ。

まあジャズレコードは、その少し前に「リターントゥーフォーエバー」
を入手してたけど、今考えてみると、RTFもマイルスも正当な
ジャズじゃなかったかもね….?。でも自分たちの時代は確実に
こうした電化サウンドが、まぎれも無く最新最先端のジャズだったことは
もはやいうまでもなく、何故だか誇らしい気持ちと、ホントはとても
厄介なサウンドと格闘していた中坊なのである。

Miles Davis - Black Satin


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