ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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幸運は不幸の顔してやって来る

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P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)

子供の頃はね、なんの迷いもなく、
こいつを摘まんでは、パクパク口に含んで
食べてたように思うけれど、今はね…
絶対無理!。



もうずいぶん大昔のこと….上京初年度の夏、
何しろ新しいエレキギターの購入資金稼ぎのために、
PAオペレーター(ステージ音響)のアルバイトに、
なんとか潜り込めたというのに、
いきなり夏休みを迎えてしまう…。

それをチャンスと思って、尚一層アルバイトに精出せば
目標にも大幅に近づこうか!というものだろうが、
何せ上京後、初の夏休みは、何としても帰省せねばならない…
って言う妙な固定観念があって、
結局、のちのバンドマン仕事に繋がるPAバイトは中断して、
普通に夜行列車で帰省した…。

それでもすぐに故郷でバイトが始められるように、
友人を通して頼んでおいたら、帰省した翌朝6時からいきなり、
「生協」青果売場のアルバイトを開始。

仕事は朝6時に、主任が青物市場から仕入れてきた荷を、
自分一人でトラックから全部降ろし
(ドライバー兼主任は、運転席で安眠中…)、
やっと起きだした主任から、その日の販売単価を聴取。

まだPCは無かったけれど、「電子ハカリ?」に品目毎に
単価を登録し、野菜をパック詰めしてハカリに載せれば、
売値をプリントしたシールが出てきて、それを貼付け、
順次お店に並べて行く作業。

午後になると今度は、配達用の荷を注文通り拵えて、
それをまたトラックに載せて契約各戸に配達…
勿論、助手席に乗っかって「まいどどうも生協です!」と
愛想良く(?)、段ボールを抱えて、
団地の4階まで一気に駆け上がる…。

それが終ったら、お店に戻ってバックヤードの掃除と、
ゴミ処理…。閉店は7時だが、自分は5時で終了。

それでお時給…@310円…。

朝5時起きで1日フルに働いて、日給3410円…。

エレキギターの購入目標額は約40万円…あまりに遠い。
遠すぎて、めげそうになる。

いや、実際には何度もめげて、ぱあっと同級会や
コンパなどの流れなどで、盛大に使い込んでしまって、
後悔したことが何度もある。

結局、故郷の「生協」では20日間ほど働いて、とっとと東京に戻った。

そしてまたバイト三昧。東京でのお時給は、@500円/h以下
ということはまず無い。無いけれど、学生対象のアルバイトは
今で言うワーキングシェアみたいな感覚で、人材が余ってるから、
労働時間とか、労働日数は少ないから、相変わらず効率は良くない。

だからいよいよ、以前から学校の仲間に誘われてたこと…
それの決断を下さねばならなくなった。

「夜勤の肉体労働」…つまり、当時の率直な言い方で言えば

「土方」….ヒジカタじゃなくて、「ドカタ」
通称「ヒジカタホルゾウ」…。

ちょうど建設中だった半蔵門線/青山1丁目あたりの地下鉄工事
作業現場…今は残土マネジメントもオートメーション化されている
らしいけれど、当時は基本的にベルトコンベアと、足りなければ
何しろ手動…ネコって一輪手押し車で、ひたすら夜明けまで
土砂を搔き出し、アームロール車のコンテナにそれを積み、
地下の現場に戻る足でセメントを運ぶ…。

それで日給が7千円ほど。
(なんの資格も待ってない学生バイトとしては、破格の待遇らしい!)

朝、いったん帰宅し、風呂はないから、洗面所で顔と頭だけは洗う。
無駄に長髪だから、髪の毛はナカナカ乾かない。
だから濡れたまんま出掛け、一応授業に出る…ほぼ安眠だがね…。

そういうわけで、理屈では2週間ほど詰めて働けば、すぐに10万円とか
稼げて、目標にグーンと近づけると思われるのだが、どうしたわけか

「あああ、今日はちょっとだるいなあ、しんどいなあ…
 雨振りそうだしなあ…中止になっても交通費もらえないしな…」

そんな感じで、2週間経っても案外1週間分くらいしか
結果が出せないなんて、情けない状態にもなるし、
サボってる時に限って、なんだかんだと貯金に手を付けたりするもので、
まあ何しろエレキギター購入費の目標40万円…
まだまだ遠い道であるのだった。

そんな時に、某有名ギタリストのボーヤだったって言う、
4〜5歳年上の学校の仲間から、借りっ放しだった62年製フェンダー
ストラトキャスターを、「そろそろ返して欲しい」って、
まあ当然の申し入れ。

或いは、それを10万円程度で(さらに値切ったように記憶してるけど)
「この際、買うてくれ!」....というので、少々考えさせて欲しいと
猶予を貰いつつ、一旦ギターは返却し、ほどなくして購入を決心する。

本来欲しかった機種とは違うけれど、もはや愛着あるモノになっていたし、
オールドフェンダーの逸品だけに、誰に相談したところで、
結論は一緒!「買うべし!」「絶対手に入れておくべし!」である。

彼にそれを告げると、彼は済まなそうに手を合わせる…

「御免、もう売約済み!」

ああ、当時なら10万くらい楽勝で持ってたのに!
と後悔しても仕方がない。

私には目標とする機種があるのだ、それは決して「ブレないぞ!」
そういうことなんだろうきっと!と、自分に強く言い聞かすのだ。

小野洋子さんも、先日の「ファミリーヒストリー」で云ってたではないか!

「幸運は、最初は不幸な顔してやって来る」って…。

名言だと思うなあ。

しかしだ….62年製のフェンダーストラトキャスター…
現在のお値段を調べてみたら…

250万円〜500万円….とのこと!

うぎゃあああ!



However…肉体労働による疲労も寝不足も、生まれて初めて経験する
バイト先での厄介な人間関係も、すべては欲しくて欲しくてたまらなかった
エレキギター=Gibson ES335TD…。

結局、40万は貯まらず…様々紆余曲折を経て、
中古のオンボロ335を入手することになる。

何度も何度も楽器店で様々な335を弾き比べるのだが、
弾くフレーズはいつもこの曲のソロ部分。
付き合ってくれてる友人までもが、
「またそれかよ。たまには違うの弾けばいいのに…」
と呆れられてた気がする。

自分にとって、335からダイレクトにフェンダーの真空管アンプ
っていうのが、最高の組み合わせだと思って疑わなかった時代を
まさの象徴する曲。

結局最初に揃えたエフェクターも、そんなわけで
Jim Dunlopのワウペダル。それにSho-Budのヴォリュームペダル…。
全然エフェクターじゃないね。

Larry Carlton - Easy Evil


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エスニックな毎日

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Carl Zeiss Jena 'Biotar' 2/58 (1958)

時代は90年代、ちょうどエスニック音楽にハマってた頃、
当然のことかどうか微妙だが、東京にもボチボチと
目立ち始めたエスニック料理店を見つけたら、
我が家族に共通した、新しくて変わった物好きの
血が疼きだし、家族3人が顔を見合わせ、「にやっ」と
全員が白い歯を見せたら、「即入店!」っていう、
オバカ家族な時代があった。

世界三大料理のトルコ料理に始まり、タイ料理に、
インド・ネパール料理、インドネシアにベトナム料理、
さらにアジアから、一気に飛んでブラジルのシェラスコや
豆料理を経由し、アフリカのワニ肉料理まで…。

娘がいない時は、原宿辺りのアイリッシュパブで、
生ギネスと暖かいポトフや極上のキッシュ風のパイ。
そして生演奏のトラッド音楽の夕べ…。

イングリッシュスタイルだと定番のフィッシュ&チップスか、
モサモサした不味いパイくらいしかないから、断然アイリッシュ派!
〆は勿論、アールグレイ!

そんなある日、わが街「荻窪」の、会社からの帰り道に
タイ料理屋が出来た。タイ料理はまだ今ほど一般的では
なかったけれど、やっぱりパクチーは癖になる…というわけで、
価格帯もリーズナブルで、味もそこそこなちょっと田舎な
タイ料理屋のファンになって、当時一生懸命だったサッカー
の仲間達や、会社関係の連中を連れて行くと、皆が皆、
タイ料理のファンになって、気がつけばありとあらゆる野郎どもが、
私の終業時間近くにオフィスにやってきては、

「どうです、今夜….シンハビールとメコンウィスキーで...?」

そんな感じで気がつけば、ほぼ毎晩が「タイ料理」な日々…。

「いやあ、ココでね生まれて初めてタイ料理教えてもらって、
それであちこち行ってみたんですよ...新宿も渋谷も…でも、
どこも高いし、思ったほど美味しくない…。
やっぱりココですよココ…荻窪が一番。何しろ安いし味も安心!」

そんな感じで、毎晩のようにシンハビールにメコンウィスキー。
パクチーたっぷりのトムヤムクンにタイ風さつま揚げ、そして
甘辛いタイ風焼きそば…。

タイには実際に料理屋だけじゃなくて、数回入国しているけれど、
あまりに激しく過酷な仕事ばかりで、楽しい思い出などないし
そもそもバンコク市内をノンビリ見て回ったこともない。

ただひたすら、ジャングル奥地の部族をだまくらかして(?)
工場の工員として安く使おう!それだけの為に用地確保等々、
オンボロトラックの助手席で、ジャングルの道無き道を
ひたすら彷徨っただけの数日間…途中何故かタイのはずなのに、
ラオス軍の国境警備兵に追いかけられて銃口を向けられたり、
もう訳が分からない散々な感じ…。

そういうわけで、タイ料理は、安全でリーズナブルな東京に限る!
というわけで、他のエスニック料理も似たようなもので、
何しろ東京は世界一安全で住み良くて、美味しいのである。

本来が禁酒なイスラム料理屋でも、東京なら酒も呑めるしね...。

ところがある日、タイ料理店店主から、「店を畳む」という話を聞いた。
ビル管理会社側と貸借契約問題でいろいろと揉めたらしい。

荻窪に比べれば家賃がずっと安いらしい、練馬の小竹向原というところで
新店舗を始めるということで、ならば絶対行くから!
といったけど、実際には1回だけ、申し訳程度に行ってみただけ。

やはり遠いし、わざわざ電車を乗り継いで行くような感じではなかった。

そんな感じで、以降あまりタイ料理なんて、殆ど食していない。
故郷秋田市にも、あるのかないのか?..仮に開店したとしても
熱しやすくて冷めやすい県民性ゆえに、タイミングを逃すと
いつの間にか無くなってるパターンだ…。

久しぶりに…どこか捜してみよう…
これだけパクチーブームなのだし…。



タイの音楽との出逢いは、残念ながら無かったけれど、
原宿のアイリッシュパブレストランのライヴは楽しみで、
かなりの回数、一家で出掛けた。

そして必ず私がこの曲をリクエストするので、
いつからか、バンド(無論現地の方々)は私の顔が見えると、
自然とこの曲をプログラムに入れてくれてた(と信じてる)。

原宿では、大体女性がこの歌を歌ってくれてたんだけど、
本日は、大好きなヴァンモリソン(北アイルランドのベルファスト出身)と、
アイルランド共和国本国では国民的人気と歴史あるバンド
「チーフタンズ」との競演作から…。

ちなみにチーフタンズは、その昔、渋谷のオーチャードホールでの
来日公演に出掛けたけれど(競演は矢野アッコちゃん)、
本当に素晴らしかった。

確かアッコちゃんのデビューアルバムではリトルフィートと共演していた
ホーハイ節をふくむ「津軽ツアー」を、その夜はチーフタンズと
セッションしてくれたと記憶してる。

Van Morrison & The Chieftains - Star of the County Down


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続サッカーやろうよ

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

やっぱり戦前のズマール…。
まだレンズ・コーティングなんて、その概念すら
なかっただろうから、気持ち逆光となれば、
もう盛大なフレア&ゴーストに見舞われる。

それでも自分は、順光の穏健な描写より、
逆光の、何か不穏でタダゴトではない、おいおいどうした?
っていう、ただならぬ感じが、むしろ好きかな…。



高校に入学して早々に、半ば無理矢理な感じで
サッカー部創設運動に引き入れられていた。

まあ取りあえずは、自分は中学の強豪サッカー部
出身者ではあったし、既に上級生メンバーも随分いたけれど、
殆どが「サッカー未経験者…」で、そうしたわけで
あろうことか、私は高待遇でチームに迎えられてしまうのだ。

実際にはまだサッカー同好会の現実は、

まさに無い無い尽くし。

1.予算がない

2.練習場所がない

3.部室がない

4.公式戦に出られない

そうしたわけで、それぞれの政治活動を分担することにした。

1.生徒会から予算獲得ロビー活動の実行グループ

2.練習グランドの確保に努めるグループ

3.学校(教師)側に対し、部昇格と環境改善の為のロビー活動。

4.サッカー協会や高体連等々への入会アプローチ(リーグ戦参入等)のグループ。

そして私は…後半2つ(3と4)を兼任することになった。

しかし、結局私が在学中に同好会の「部」昇格はならなかった。

理由はいくつかあるのだが、最も大きな理由は、
大人の事情であり、今風に云えば「岩盤規制...」でもある。
私も卒業してしばらく経ち、既に大人の仲間入りした後に
知ることになるのだが、そこは今は敢えて問わないことにする。

それでも、1年生の夏が過ぎる頃には、なんとなく雰囲気的に
これは簡単に昇格など出来ないのだなってことを、
とても感覚的に感じ取っていたから(教師側からの目立った妨害というのもあった)
さあて、何をどうしようかと考えあぐねていたそんな時に
ある人と偶然再会した。

中学の時のサッカー部の監督…。

その監督以下、我々の1年下の後輩達は、数日前に
全国大会ベスト8まで勝ち進んでいたことは知っていたし、
誇らしかったのだが、不意にその監督と、
「サッカー協会事務所」で、ロビー活動中に偶然出くわしたのだ。

私 「センセーおめでとうございます」

監督「うんうん…。ところでお前さんとこの高校、
   サッカー部なんてあったっけ?」

私 「今、作ろうとしてるんですが、なかなか大変で…」

監督「そりゃあご苦労なことだな。私に出来ることなら何でも相談して!」

私 「実はおりいってご相談が…公式戦って、同好会でも出場を認めて
   貰えるんでしょうかね?...」

監督「前例がないかならなあ、難しいだろうけれど…
   部に昇格予定だとか、実質的に部に相当する活動内容とか
   力量が認められれば、案外可能かもしれないな」

私 「活動内容と力量…ですか…」

さらに、中学監督の助言から、高校サッカー連盟の重鎮で、
実力者が、サッカー強豪高(A商)の監督(当時)で、
現在も地元J3チームのフロントに収まってる「T先生」だと知り、
彼にキチンと状況を理解してもらっておけば、あとあと仕事が楽になるはず…
ということで、早速アポを取り、会いに行くのだった。

意外にもこちらのハナシはあらかじめ大体了解いただいていて、
T先生(監督)は云うのだ。

ウチのな、2軍…イヤ、1、2年中心の3軍と練習試合…
今度の日曜…それで適正を見てやる。
3軍っていったって、そこいらの高校の1軍よりも遥かに強いからな…。

あと、本当は黙っておくべきだが、オマエさんの
真面目さというか熱心さに免じてな、教えてやるけど、
我々はな、サッカーの勝ち負けや力量だけを
見てるわけじゃないからな…。
礼儀や態度に始まって、高校生としてキチッとしたところを
期待してみるからな…失望させるなよ!

もちろん日曜の試合は、ボロボロの負け試合。

それでも、リハーサルしたわけではないけれど、
一人一人が規律感を持って、速やかに整列し、相手3軍にも
きっちり感謝を表すなどの誠意を尽くした結果...

秋の全国大会予選に同好会のまま出場出来ることになった。

もちろんタダではなくて条件がある。

大会の裏方仕事を決勝戦まで、すべて滞りなく行うこと。

グランドや施設を整備し、ピッチレベルでは、いわゆる
ボールボーイを数名配置、スコア付けや場内MC、
大会音楽(現在と同じ曲)レコードを、ハーフタイム中に掛けたり、
スコアボード塔の表示も我々の担当…。

いずれにせよ公式戦出場は、ある地下盟約的な大人の事情の下、
我々の部昇格を阻止したい、一部教師たちには寝耳に水で、
はっきり、「辞退しろ!」と脅して来る教師もいたが、
我々はそんな裏事情など知らないから、了承するはずもなく、
いよいよ大会を迎えるのだ….。

じつはユニフォームが間に合わず…というより金がなくて、
作れず、仕方なく1枚1000円のスーパーの特売のTシャツに
フェルト生地で切り抜いた背番号を縫い付けただけのものを
使用した。

もちろん他校の部員には指をさされて笑われたけれど、
何故か我々同好会は、恥ずかしがるどころか、
そうした出で立ちも、とても誇らしかったような、
そんな気がする…。

もちろん試合は1回戦早々に敗退…
いいじゃないか!歴史はまだ始まったばかりだぜ…。
そんな揚々とした気分だったな。



この子は、毎日、サッカー部の活動を通して
充分発散してるはずなのに、それでも有り余り、
持て余したエネルギーを上手に制御できずにいる。
彼が動いた後の周囲数センチの物体は、そうしたわけで
殆ど破壊される。

中2の時に、私の通信簿の評価欄に書かれた
当時の担任教師の文章だ…。

いたいけな少年を、象か怪獣みたいに云うんじゃない!…。

さらに当時は、秋田犬を飼っていたから、毎朝夕の散歩とか
サッカーの自主練とか、あと英語塾も通ってたから、
毎日相当くたくたになってたはず何だけどねえ…?

こういう状態を思春期というのか成長期というのか
良く分からないけれど、久しぶりにこんな曲を聴くと、
ああこの時代の、エネルギーのカタマリみたいな
もの凄いグルーヴ感のビートルズって、ほんと凄い!.…
って思う。(いやはや国語力が...もうイヤってほどないなあ...)

まさに糸を引くように粘っこいのに、
何故だか溌剌として、スカッと抜けのよいシャッフルのノリ、
そしてこのバンド独特、澄み切った空気の開放感….。(やっぱり酷い語彙…)

やっぱりこの64~65年あたりのビートルズのバンドとしての成熟感、
一体感はもう半端ない!。

まあ、そう言うモノが少しずつ衰え、陰ってきた時になると、
今度は個の力を基盤とする団結力も、また大きな魅力では
あるけれど、やっぱり得難いキラキラした時代って、
もう二度と戻っては来ないのよねえ…。

というわけで、♫I ain't got nothing but love babe...1週間に8日来い!!

The Beatles - Eight Days A Week


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サッカーやろうよ?

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

戦前型エルマーでカラー撮影…なんて、
全然想定してなかったけれど、
何かね…不思議な存在感と云うか、
ちょっと見「あの世?」っていう不気味さもあり
まあ、何とも面白い。

さてさて8月も半分過ぎた。
世は終戦だ敗戦だ…何故それが記念日なのか?などなど、
いろいろ騒いでる人も居るようだが、
我々(?)にとっては、終戦なのか、敗戦なのか…
はてまた歓喜なのか、まだまだ決着できずに
苦悶にのたうち回っているいるのが…

ワールドカップロシア2018・アジア地区最終予選…

半月先の埼玉スタジアムのことを思えば、
もう居ても立ってもいられないのが、
サッカーファンの性というものだろう。

先刻承知と思うが…対オーストラリア戦…勝てば2位以上確定で
ワールドカップ出場決定!負ければ、5日後、灼熱(摂氏40°)の
サウジアラビア、アウェイでの最終戦…これも勝てば、通過だが
負ければ…アジアA組3位とのプレイオフ(たぶん韓国…)
そこに勝っても、さらに北中米予選の3位(前回はメキシコ!)
とのプレイオフ勝利で、辛くもアジア第5代表獲得…。

いずれにせよ、プレイオフに廻れば、遠くてタフな茨の道が待っている…
そしてそここそが「絶対に負けられない闘いがそこにある…」の地獄絵図。

だから、なんとか8/31埼玉。それに勝ち、本戦出場権を
確定しておきたいのだが…日本代表は、未だかつてW杯予選で

豪州代表に勝った試しがない。

豪州がオセアニア枠から、アジア枠に移動してきたのが
そもそも20年位前だから、歴史はまだ浅いとはいえ、
何かいつも負けるか引き分け…そんな印象が強くて、
最近ではアジアカップ決勝で終了間際に、
日本代表=李忠成の華やかなボレーシュートで勝った
あの試合くらいしか思いつかない。

まあ何しろどうにもこうにも落ち着かない、2017年8月…
なのである。

っと、今日言いたかったのはそんなことではなかった…。

サッカーは戦争のシュミレーションである…とは、
元サッカー部員には当然の「哲学」であるのだけれど、
戦争の仕方と云うか、規範、正義感、美学というものが
ちょっとずつ、「日本的」とは異なる部分があって、
そうしたルールを、納得するかしないかは、それぞれの
自由とはいえ、確実に審判はくだされてしまうのだ。

オフサイド・ルールとは、即ち「待ち伏せ禁止」というルール。
ヨーロッパ、特に英国の戦争略儀において、「待ち伏せ行為」が
如何に卑怯で、忌み嫌われているのかを物語る典型的ルールだ。

日本的には、闇討ちとか、山中で待ち伏せして襲いかかり
要人暗殺…なんて、時代劇ではよく見る光景だし、近頃も
某超大国は、「斬首作戦…」なんて、作戦名に命名するくらい
普通な感じだけれど、たぶんEUのメルケルあたりからしてみれば、
さぞや、低俗で品位に欠ける作戦名なのだろうなと思う。

もうひとつが、危険もしくは確信犯的反則を犯した者は、
基本的に警告(イエローカード)」が与えられるが、
それに対して「報復(と思われる)」行為を行った者は、
事の重罪・微罪に関わらず、すべて「退場(レッドカード)」となる。

これは報復による「戦争(恩讐)の連鎖」を、欧州の歴史観として
強く戒めたルールだ。

しかし、これも日本的な「仇討ち文化」もしくは「専守防衛」とは
完全に乖離する真反対とも云える解釈。

記憶を辿れば、1994年のアメリカ大会での決勝トーナメント1回戦、
イタリア対ナイジェリアで、酷い反則でナイジェリア選手が警告を受けた後、
すぐに交代で入ってきたイタリア代表のゾラ選手が、
彼らしい華やかなドリブルで、ついさっき警告を受けていた
ナイジェリア選手を翻弄し、転けさせたら、審判には、それが
「報復による反則行為」と見なされ、ゾラは入ったばかりなのに
一発退場…。

1998年のフランス大会では、有名な「ベッカム若気のいたり事件」。

アルゼンチン=シメオネ選手の術中にハマり、確信犯的に
ベッカムを倒し、イエローを貰った直後、敢えてシメオネは
ベッカムを挑発し、彼の熱しやすい性格から、反則を引き出し
「報復行為」で。彼を退場に追いやった…。

世界的なサッカー観からすれば、これはシメオネ選手の狡猾さの勝利。
ベッカム選手の若さ、アサハカさ、責任感の欠如が災いした典型例…。

しかし、日本人的な目でこれらを見れば、ちょっと
心情的に納得できない部分でもあるのだが、
そうした戦争(怨み)の連鎖を食い止める
人間の知恵とかの部分では、やっぱりアジアにはまだまだ
足りないのかな?って思う。

様々な歴史観や人生観や国家観があって、それが不幸にして噛み合わず
戦争に発展してしまう状態をして、何が正しい…どっちが正義だ!
なんて規範は存在しない。

だからこそ、サッカーの世界では、先に手を出した方よりも、
報復した側が、圧倒的に悪い!
数倍の罪を負うべき…というルールが明文化されていて、
この部分にローカルルールなど、絶対に適用してはならないのだ。

日本国憲法を、変えるのか、考えるのか….良く分からないけれど、
戦争ありき、その準備としての憲法改訂(九条改訂)など、
私はあり得ないと思う。

より良い国家像を、積極的且つ徹底的に、とことん話し合い、
嘘偽りなく国民に丁寧に説明し、その結果の憲法改正なら、
大いに賛成なのだが…

まあ、またどこからか「お花畑野郎」って声が聴こえるなあ…。



昔々の大昔、まだ自分はペエペエの殆どトーシロな学生アルバイト的
バンドマンで、やがて「総立ちの女王」なんて言われるようになる
某ポップ系女性歌手のバックバンドに、辛うじて入れたと云うか、
ちょこっと入れてもらった感じの時代…。

ある日、ステージ用の新曲の譜面がリハーサル中のスタジオに届き、
「さあ…なんだこれ、♭が6ヶもついてやがるぜ!?」などと文句を
一丁前のミュージシャンみたいに垂れながら、演奏に掛かろうとすると、
その曲(何だったかは失念!?)を選んできたと云う、業界では
つとに有名な大御所プロデューサー(日本式はディレクター)が現れた。
(単純にアドバイザーとしてやってきたらしい)

我々は少し緊張しながら、ほぼ初見で演奏を始めると
ギターソロ8小節というのが不意に出てきた…自分は例によって、
とても無難かつ、一定の評価を簡単に得易い、リーリトナー風の
コンビネーション・ディミ二ッシュでソロを組み立てると、
敏腕かつ、噂では鬼の大御所プロデューサーは、突然演奏を止め、
私に向け、ちょっとだけ凄みを利かせた、花見のテキ屋風口調で云うのだ…

「ギターのあんちゃんよお…ズージャはな…要らねんだよ…
 ロックなんだよ、分かるかい!ロックなのさ…ズージャはな…
 要・ら・ね・え・ん・だ・よ(何故かリフレイン…)」

ロックなんだよ(?)...って云われてしまったら、
普段はノンビリ気質な自分でもメラメラと煮えたぎるものがある..

そうかいそうかい、分かったよ。

と心の中で叫びつつ、テイク2では、当時一番気に入ってた
エドリアン・ブリューか、それに呼応した一風堂の土屋昌己さん…
彼らを意識したフィードバック&トレモロアームピロピロ(?)使いで、
派手にキメたら(つもり)大御所は云うのだ…

「あんちゃんよお、オメエさん最高に良いセンスしてっけどよお、
 はっきり云って…オメエ、オレに喧嘩売ってるだろ!。」

土屋さんに関しては、JAPANを経験する前の、まだ混沌とした
ギタープレーが好きだったのだがね、Japan加入以後はちょっと
ブリューのパターンに陥りすぎた感じで、彼らしい
ロックもポップもジャズもブルーズもごちゃごちゃで、
それが逆に何でも出てくる魔法の「ドラえもんポケット」みたいな
そんな機智に富んだ演奏が魅力だった彼のスタイルが、
なかなか見えづらくなっちゃって、ちょっとつまらない感じだったかな….。

でも、いつも見てる方向が自分と似てて、とても気になる存在でもあったな。
まあ、Japanは当時の私と同じ…バイト感覚...なんだろうね、きっと…。

Japan - The Art Of Parties


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不穏な兆し

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

自分的には、とてもレアな「空写真」。

電柱と電線の五月蝿さは半端ないけれど、
まだまだわが故郷は何処に行ってもこんな感じ。

お盆だからね、体調悪いけれど、まあ休み休み
ゆっくりと、お寺へ向かう道すがら、空を見上げると、
夏らしいけれど、何やら怪しげな雲…。

基本的に空&雲の写真って、とっても
個人的な主観だけれど、反則…って気がするから、
極力撮らないようにしていたのだけれど(お墓や神社仏閣も)、
ふとカメラには1939年、即ち昭和14年製の
エルマーが装着されていたから、ファインダーを覗けば、
雲の間からブーンと、ゼロ戦か、予科練航空隊の複葉練習機が、
写ってしまうような、そんな気がして、思わずカシャッ…。

ちなみにボケボケなのは、珍しく濃いめのサングラスを
していたら、全然ピントが合わなくて、まあ…無限遠で
何とかなるだろう!って思って適当にシャッターを押したら、
さすがナチス政権下のドイツ第三帝国とはいえ、昭和14年製…
そんなにあまいものではなかった…。

まあゼロ戦は飛んるハズないけれど、逆に今の時代
それはそれでちょっと…な感じ…。

何だかタチの悪いガキ大将の意地の張り合い…
そんなのが抑止力としてキチンと機能するのだろうか…。

刻一刻と、破滅の道をヒタヒタと…ああヤバいヤバい。

実は、自分が知ってるだけでも、かつて南北半島関係が
決裂的危機に陥ったことは何度かあって、最もヤバいと云われたのが
北側が「ソウル五輪壊滅」を宣言した頃。

たまたまその時期に私はソウル出張しなければならなくなって、
その時の交渉相手は、ソウル在のアメリカ企業。

事前にそっちはヤバくないか??と打診するのだか、先方は
「だいじょぶだいじょぶ」としか言わない。

「ソウルの米軍基地の中にあるホテル(Hilton)で商談する
予定だから、安全は保証されたも同然!」と胸を張る。

我々日本人的には、基地こそ危ない!最初に狙われるじゃないか?
って思うのだが、彼らはどうも逆の感覚らしい。

「だって、世界最強の米軍が守ってくれるんだぞ!....」

そんな感じ。

やっぱり敗戦国独特の、ネガティヴな感覚なのだろうか?



チョイとばかりシブすぎかもしれないが、
ここらアタリのミュージシャたちが、最後のアメリカの良心!
って気がする…(もう亡くなっちゃったけど…)。

とはいえ、彼ことジェシ・ウィンチェスターは、
ベトナム戦争徴兵を拒否して、カナダに出国して以来、
以降10年とちょっとの間、恩赦されるまで、
母国米国帰国を赦されなかった輩…。

その間、やっぱり最もアメリカ人っぽい音楽を演ってるわりには、
一人を除き、全員がカナダ国籍のTHE BANDなどの支援を受け、
作品を発進し続けたジェシ…。

その音楽が、ホントにコマーシャリズムに毒されない、
ピュアで良心的なアメリカンミュージックであり続けたことが、
聴いていて、自然と涙を誘ったりするのだ。

Jesse Winchester - I Turn To My Guitar


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