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ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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老いても子に従わない親

DSC08653a.jpgCarl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

遠近両用眼鏡を普段はしてるんだけど、最近どうも
遠も近も、僅かだが改善されてきたみたいで、それ自体は
歓迎すべきなのだろうが、取りあえず眼鏡が合わない。

仕方がないから、以前よりはるかに度の弱い老眼鏡を
購入して、随時使えるようにして持ち歩くのだが、
絶対に必要不可欠な局面は、まさに写真を撮る時…。

ピントの山(ピーク)を見定めるには、まさに正常な視力…
というか、老眼鏡は必須なのだが、この日はうっかり不携帯…。

ピントが一体何処にきてるのやら…殆どアテズッポウ…。

でもそれはそれでなんだか不思議な絵が撮れたりするから
手動ピントリングぐりぐりの古臭いレンズも面白いよ。

....と、言うふうに、単なるピンぼけ写真にも、様々、
能書きをくっつけられるのも、マニュアルフォーカスの利点
でもあるのが、本質かもしれないね!



今年になって遂にというのか、母の記憶障害というか
素行に違和感を感じるようになったのは、以前もここで
お話しした…。

その障害がどうも、金銭面に集中して現れているようなのだ。

なにしろ本年だけで、何度財布を無くし、現金は仕方ないにしても
通帳もキャッシュカードも立て続けに紛失している。

様々、なるべくシンプルで明快、慣性に即した対策を
講じてみるのだが、一向に聞き入れられず、普段の習性からか、
必ず財布にそれらを挟み込んでしまう上で、その財布を...
或いはバッグごと紛失…。その繰り返し。

というわけで、もう銀行さんにも半ば呆れられているが、
もう何度めかの再発行を願い出ているほどだ…。

先日もやっと新しいカードと通帳が届いて、ヤレヤレと思いつつ、
母は諌んで近所のキャッシュディスペイサーに…。

ところが、新しい暗証番号を忘れ、以前の番号を…あれ?
おかしい?というわけで数回これを繰り返すと、
カードは自動的に作動停止にされ、停止解除どころか、
またしても再発行という事になるらしい(そこでまた暗証番号が変わる)。

ここまで夥しくカードが、イヤ、暗証番号が変わってしまうと、
老人の記憶バンクは、もはやパニック状態らしい。

かといって、暗証番号をカード本体に書き込むわけにもいかないから、
さて銀行サン、お願いだから、指紋認証でも顔認証でもいいから
有効な高齢者対策導入…急いでお願いしたいです。

さて、先週、再々発行されたカード…今度は何をどうしたか、
全く機械が反応せず…今度は磁気データのトラブルで、使用不能…
結局またまた再々々発行…。

間が悪いときって、そんなものなのかな??



まっ…クリスマスだしね。ニックロウおじサンも相変わらず
ご機嫌だし…何はともあれ、めでたい事は祝おうではないか!

このニックおじさんもね、若い頃からいくつもロックバンドを
建ち上げて、ブリンズレーシュワルツ結成の時にやっと
好機来たり!、いよいよスターダムにのし上がるぞ!
なんて焦って、上手い話に乗ったら、まんまと詐欺に引っ掛かって
(架空の全米ツアー!)、財産すっかり無くしたり、
バンドマンの裏ビジネスまでセッセと手を広げながら
お金を貯めて、「時代はパンクだぜ!」ってパンク専門レーべルを
建ち上げたら、めでたく小成功? 今度は深追いせずに
すぐに売っぱらって、自分もバンドマンに戻ってロックパイルで
音楽活動再開! 時流に乗り遅れるなあ!....。

念願のスターダムにのし上がり、カントリー界の大御所
ジョニーキャッシュ(!)の娘で歌手のクラレンスカーターと
結婚するも…(!?)。

単なるヘラヘラニコニコジジイに見えるかもしれないが、
このオヤジ、なかなかの苦労人だったりする…。

愛すべき苦労人の、いつもながら王道ポップなクリスマスナンバー!

Nick Lowe - Christmas At The Airport [Uncovered Sessions]


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入ってはみたものの

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

上京して1年も経つと、既に学校の授業には全くついて
行けなくなっていて、取りあえず、1〜2年の内は、
基礎履修科目ばかりだから、一つの単位も落とせないのが
鉄の掟(当然落としたら即留年=8年生まで!)。

そんなわけだから、もう命からがら、成績優秀な仲間の、
周到に書き込まれた神ノートのおかげで、一夜漬けで、
辛くも2年に進級できたものの、電子工学概論、電気回路論
といった、基礎の基礎たるカリキュラムをエスケープしまくった
ものだから、もはや自業自得の地獄巡りとなり果てていたのである。

ガキの頃から算数苦手だった自分がなぜに理系…?

たまたまメーデーにも参加するような、労働者階級の倅だから、
国公立しか進学は許さない!って言われ続け、然るに
苦手な数学も理科も2年掛かりでなんとか克服してきたものの、
肝心の歴史とか古文がすっかりおざなりになってしまって、
然るに普通に文系は、全く受験勉強してないも同然の状態で
当然の結果として落ち続け、結局、冗談みたいな理工学部…

これが人生を大きく左右する大失敗の巻…となるのである。

真剣に転部というのを考えるのだが、理→文っていう
ふざけた制度は、あり得ない模様で、さあどこまで誤摩化して
走りきれるか???そんな不穏な状況に、早くも陥って
しまったのである。

で、そんな憂さを晴らすが如く、音楽活動は益々活発化して行く。

同じ年の初夏に、故郷の高校時代の同級生で、一緒のバンドで
ピアノを弾いてた、早大法一直線のノブオ君(実名!)が
何故だか立教大に入学していて…、彼から、女子大生のバンドの
コンサートの手伝いをしておくれ!と頼まれ、その時期、
池袋に足繁く通うことになった。

バンドは、100%オリジナル曲で、まあユーミン風というか、
当時で言えば八神純子風のピアノ主体のアコースティックなグループ。

そこにヘルプとして加入したのがドラマーと私の男性組。
そのドラムはまた違う大学の学生だったが、結局彼も後に
プロのバンドマンになったくらいだから、なかなか鋭いプレーをする男。

もともとがピアノ主体の弾き語り風な構成の曲を
我々男組(?)が、主にリズムを中心とした電化アンサンブル志向に
アレンジしなおすところから始めるのだが、そうなると
女の子のベースでは、うまくリズムのコンビネーションというか、
強靭な足腰のグルーヴを引き出せなくて、やむなく、
私がベースを担当することにした。

それはともかくも、立教大学…何しろ校舎内の匂いが
麗しく香しい!

自分の学校の、汗臭くて。やたらと居丈高な応援部が闊歩する
バンカラな学風。キャンバスに出れば時代遅れのゲバ学生が
意味不明な殺気を放ちつつ、陰気な空気を醸し出す情景。
そして理解不能な苦しい授業…しかしここはそれとは真反対の、
さながらに、お花畑と、場末のふきだまり…天国と地獄….。

バンドメンバーは文学部系統だったこともあって、
男子学生もいるにはいるが圧倒的に女子比率が高くて、
なにしろ自分はなんだか妙にその甘美な環境に浮かれてしまったらしく、
気がつけば、やけに早く池袋に到着して、仕方が無いから
最初は駅前の「文芸坐」って映画館に入って、大蔵映画なる
B級ポルノ3本立てを見物したり、気持ちのよいキャンバスの
ベンチに座って読書したりして、時間をつぶしていたけれど、
やがて慣れて来ると、バンドメンバーの女学生に混じって、
幽霊学生となって、図々しくも仏文学の講義を受ける身になっていた。

そんな感じで益々(自分の)学校から遠ざかるのである…。

同じ年の秋までに、自分は遂にプロの現場というか、
実は全くの偶然なのだけれど、突然「草」で逮捕された
ギタリストのトラ(代理)で、アイドル歌謡ショー的ステージに
立つことになったり、友人がバイトしてたスタジオに屯していたら、
偶然プロ歌手(正確にはデビュー直前)のプリプロのレコーディングに
急遽参加することになって、そのままその女性シンガーさんの
バックバンドに参加することになったり…。

その後、バックバンドそのものが散開というか、クビになるのだが、
なんとなく、学校もクビになりそうな最終段階だったし、
故郷の親にもそれが知れるところとなり、仕送りも止められた。

戻る場所もないし、金もない…。

やむなく、少しの間、トラ専門の見習いギタリストなんかで
小銭を稼ぎつつ、お茶を濁し、演歌からポップス、ジャズ…
場末のキャバレーからホテルのディナーショー
ヘルスセンターから日本武道館まで…様々な経験を積む日々。

やがてまた、超実力派(?)の新人歌手のバックギタリストを
担当させてもらえることになる…。今度はバンドメンバーではなく
たった一人…。様々な形態の汎用バンドにも自分が加わって、
サウンドカラーを維持、コントロールする立場(サシ…という)。

「サシ」の先輩はいるにはいるが、滅多に現場で会うことも
ないから、「サシの矜持」とか、どこまで踏み込めるかとか、
全く分からず、全てが手さぐり…。もちろん「サシのお仕事」なんて
解説本なんてのもない(笑)。

気がつけば、いつの間にか「社会人なの自分?」
そんな感じになっていたけれど、今思えば、まだまだ
学生気分のあまちゃんだったなあって思う事しきりなのであった。



高校に入学早々、中学時代のサッカー部の上級生に、
「サッカー部創設運動」に、半ば強制的に組み入れられてしまい、
取りあえず、未だ同好会チームの練習に参加してみると、
GK(候補)の男が、なかなかに興味深い人物で、
すぐに意気投合した。

彼はバーズとバッファロー・スプリングフィールドが
三度の飯より好きだ…と、いうわりには、CSN&Yは大嫌い!
という変わり種。さらに近頃はマナサスが最高!ともいう、
まあいずれにしても、相当の頑固者。

例によって、すぐに彼の家へ強引にお邪魔しつつ、
それらのLPを聴かせてもらううちに、なんとなく、彼の云いたい事が
分かったような気がして、とっても面白かった事を覚えている。

The Byrdsの強烈なファンを自称する人には、その後の人生の中でも
何人かと出会うのだけれど、彼らが一様に、神のように崇拝するのは
やはり天才グラムパーソンズ!!。

確かにね、たった1作とはいえ、バーズに、否、ロック界に多大な足跡!
アルバム「ロデオの恋人」は、たぶん「ペットサウンズ」や「リボルバー」と
並び称される名作だとは思うけれど、自分的にはね、ベタに、
彼こそMr.バーズで、リッケンバッカーの12弦ギターがトレードマークの、
ロジャーマッギンが好き。

何故強烈なファンたちは、いつも彼を軽んじるんだろうかと?
不思議でならない。まあそうだな、自分もマッカートニーとか、
相当疎んじてるかなあ…ジェットとかハイハイハイとかマイラヴとか
とにかくリアルタイムにはみんなで馬鹿にしてたものね、ホントに
あの男は存在そのものが軽いよなあ…って。

何てね…ファンにしか解らないアヤッてあるのかもね。

この曲は例によってディラン曲で、64年のAnother Side Of Bob Dylan
に収められた曲だけど、ご承知の通り?、風に吹かれて、とか、Mr.タンブリンマン
とかとメロディ的に区別はつきにくい!。まあバーズヴァージョンの方が
相変わらず断然解りやすくて、名曲がキチンと名曲に聴こえるけれど、
ディランの唄じゃあ…それが.解りにくいよね。

The Byrds - My Back Pages


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前向きの前のめり

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

特に志望したというわけでもなかったけれど、
事の成り行きで、なんとなくバンドマンというか、
好きな音楽を生業にしていた時期があったけれど、
今思い出してみても、楽しい事より、苦しくて、
恥ずかしい事の方が、圧倒的に多い時代だったなあと思う。

しかも自分の全音楽遍歴を考えてみても、果たして本当に
好きな音楽を好きなように演奏できていたかというと、
ほとんどそんな機会など無くて、大体が、友人に手伝って
おくれよ!って頼まれたり、実はさほど好きな音楽ジャンルでは
なかったけれど、どうせヒマだし…というつもりが、
気がつけば、一生懸命没頭してるとか…。

そんな事ばかりの自分の音楽人生だった気がする。
無論それが生業になったらなったで、それはあくまでも
タレントさんのバックバンドで、自分のやりたい音楽ではない。

しかしそれをさほど後ろ向きに考えた事は無くて、
あくまでも前向きに、ここはもっとこうすべきだなあ等々、
少しだけ自分の思想を加味してみたりするのがささやかな
楽しみだったりする。

また、マネジャーやディレクターにも恵まれたようで…

「なにもレコード通り、譜面通りに弾くだけなら、
オマエじゃなくて、もっと上手い奴は他に幾らでもいる…
オマエさんらしいプレイを、今はみんなそれを期待してるんだよ。
オマエさんの思ったように、好きなように弾けばそれでいいんだよ!」

まあ、少し煮詰まって、レコード通りに弾いたりすると
「手を抜くな!」って罵声が飛ぶわけだが、そんな現場は
自分にとってラッキーだったと思う。

プロになって早々に「アレンジャー」という職種に出会う。

必ずしも好きな音楽とは言えなくても、自分の好きなように、
或いはそれまで積み上げてきたノウハウ...までは云いすぎだが、
経験値としての方法論で試してみるには、申し分ない
「作業」である。

そうしたわけで、バンドマンの仕事は続けながら、
たまたま偶然なのだが、今も現役でご活躍なさってる
用賀の(!)作曲家/アレンジャー/ヴォイストレーナーの
大先生と懇意にしてもらってたから、その先生にくっ付いて、
写譜のお手伝いから始めて、やがてアレンジの小さな仕事から
徐々にやらせてもらえるようになった。

最初は「見習い中」ということもあって、ちょっと安め!?の
料金設定と、タレントさんとしっかり時間を取って
ミーティングした上で、曲を仕上げる方式で、徐々にそちら方面の
需要が高まるのだが、なにしろ多忙なタレントさん(アイドルさん)が
相手だから、時間がなかなか取れず、ミーティングの時間帯も、
超深夜のバーとかファミレス(馬事公苑前のロイホ!?)、
早朝の渋谷のカフェ…放送局の控え室...東プリ/赤プリのロビー...
という事が多くなり、週刊文春はまだいないけれど、様々目撃情報などが
プロ内に飛んだりして、そのたびに釈明事情聴取…会社総務側は…

「またオマエか!、早く儲けてさあ、自前の事務所持てよなあ!」

そんな感じ...。

問題も無いではないのだが、なんとなく将来への兆しというか
ヴィジョンというか、そんなものが見えてきたかなあ…
というところで、しばし安閑としているウチに、
そろそろ暗雲がモクモクモクと…。



自分のね、ランドセル時代に一番好きだったのが、
ジェファーソン・エアプレーン。
(「あなただけを」と後少々しか知らなかったはずだが…)

もちろん、ロックなんて、まだ何にも分かってりゃあ
しないんだけど、何と言っても自分的にはバンドの
そのヴィジュアル!の格好良さにスッカリ心奪われたのだ。

特に好きだったのが、一番ぶっ飛んでる感じのヒッピー風で、
金髪に丸黒めがねのゴリゴリのベーシスト「ジャックキャサディ!」。

だから、実は未だにその傾向はあるのだが、ギタリストよりも
ドラマーよりも、何故かべ-シストがいつも気になって仕方がない
自分であって、「ベースが非力なバンドは駄目!お話しにならない!」
とまで思っているフシがあるようなのだ。

裏を返せば、ベースがしっかりしたバンド=良いバンド!
という論理にも帰着する…。どんなバンドに当てはめてみても、
今のところ外れてないと思う。

エアプレーンはその後、なんの理由か知らないが、
ポールカントナーとグレーススリック夫婦のJ・スターシップ組と
ヨーマコウコウネン+ジャックキャディのホットツナ組に分裂する。

スターシップはちょっと恥ずいぐらいの産業ロックなのに対し
ホットツナは、求道者のようなルーツ的ブルース路線一直線…
まあ大体、宗教はもちろん、茶道も、華道も、最近じゃあ、
お相撲まで、堕落しつつある本家と、先鋭的且つ原理主義な分家…
いやいや裏本家に分裂するものだが、このバンドもそういう
パターンにハマってしまったのかな….??

さて本日の映像が何とも凄い!...っていうか、どこかで見た事ある
シチュエーション??あっちがロンドン・サヴィルロウ(背広の街)の
アップル社屋上で、1969年の1月30日くらいだったろうか??

そしてこちらはNYマンハッタン…諸説あるのでハッキリしないが、
1968年の11月~12月初旬なのは確か…。つまり1~2ヶ月前の撮影。
単なる偶然か、パクリか??

終盤に警官が登場して、なにやら現場の監督か責任者がパクられるのも
お約束通り...、

それにしても、ジャックキャサディ、やっぱカッコいいぜ!。
グレーススリックもまだ若くて可愛い!
そして何より、サウンドも当時としては飛び抜けて
素晴らしいグルーヴを醸し出している!
これぞバンドの音だ!

最近、ナチュラルなグルーヴ感を醸し出してくれるバンドが
少なくなったと、お嘆きに貴兄に…どぞっ!?

Jefferson Airplane - House at Pooneil Corners
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12月の雨の日...の午後

DSC00847a.jpg
P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)

のぞみ〜る...彼女以上の郷土の星は、
当分出そうも無いのかな??



ちょうど世の中がミレニアムがどうしただと
賑やかに騒いでいた年の5月に、父が亡くなった。

実は3月頃から、父の状態が思わしくなくて、
あと長くて1~2か月…急いでお別れを済まされた方が…
と、父の主治医から宣告されていたから、
我々東京側の家族も、かわるがわる…私は毎週末に
新幹線やら飛行機で秋田入りするような生活となっていた。

父は、最期は肺の病気だったから、なにしろ咳が酷くて、
夜中も物凄い騒音を発する為、病棟から少し離れた個室に
収容されていたのだが、それでも音は漏れるから、
私たち家族の仕事の半分は、他の病室の入院患者さんたちの
苦情に対するお詫びや、ご挨拶など…。

結局、5月のGWの最終日に、また来週来るからね!
っていって、家族皆でお別れをして、一旦、新幹線最終便で
東京に戻る途中の、仙台通過あたりで、父の死の報に触れる。

翌朝、出社して、葬儀が終わるまで休むこと、
案件の引き継ぎ等を済ませて、秋田へトンボ帰り…。
長男なので喪主として通夜、葬儀を取り仕切るのだが、
何しろそれがトラブル続き!。

とにかく酷かったのが「ナマグサ坊主ども!」。

何やら多忙中?!とのことで、1週間ほど待てというし、
(比叡山かどこかで修行?というが。家族旅行が実態らしい…)
代理(僧侶)で良いから前倒ししてくれ!と頼んでも、
一向に受け付けない。1週間してやっと登場かと思ったら、
今度は斎場と寺との格が違いすぎるとかで、斎場側と
作法や設備を巡って揉める一幕まであったりする。

結局、葬儀は坊主数名帯同による、生前の父の
実直で質素を旨とする思想には見合わないような、
不要に豪奢な式になってしまった。

結局ナンダカンダで10日間ほど会社を休んで、東京に戻り
出社してみると、会社の様相ががらりと変わってしまっていた。

なにか金融的なトラブルに見舞われたらしい…。
経理担当者に説明を求める…銀行にハメられた?騙された?
裏切られた??どういうこと?いずれにせよ、
我々営業サイドの全く与り知らぬ、投資部門において、
なにやら壊滅的被害に見舞われたのは確からしい。

それからちょうど半年間、私は迷惑をかけそうな企業様方に
状況説明に回りつつ、様々な対策を講じる一方で、金策に走る…。
銀行や金融機関には、企画書や報告書、諸々の趣意書の類いを
毎日のように作成して、提出しまくり、延命措置の日々…。

IR部門以外の社員は全員残って。それぞれの持ち場で踏ん張って
くれていたが、社長はもう人相が代わり、明らかに生気を失っていた。
日頃から何もせずに、文句ばかりの役員どもは、
「自分はもう知らない、関係ない!」と、責任回避の弁のみ。
まあ自分の中ではとうの昔におさらばしていたけれどね。

そんな日々が半年続いた。
2〜3日前から、社長は既に行方不明になってたようだが
誰も捜そうともしてなかった。
その日、決済の為の資金も、持って行ってしまってたから…。

もうすっかり疲れてしまった。

ああ、もう…いいんじゃないかな…

部下たちに自分は初めてそう呟いた。

すると部下たちは言ったのだ。

もういいんじゃないですか?
俺たち、随分、頑張りましたよね。
そろそろ楽になりましょうよ。

半年間、じたばたしたせいで、破綻だ解散だといっても、
もはや驚くものは誰もおらず、思った以上に粛々と
破綻処理は進められた。

倒産ではなく、任意解散となったよ…。

あまり役には立ってくれなかった弁護士がそう云ったが、
だからどうしたの!?って心境だった。

それまでに何度も目撃した怒号や罵声や、タチの悪い連中
による傍若無人な恫喝も何も無く、逆に最終的にいくらか
迷惑をおかけした債権者の方々に「オマエらよく頑張ったな」と
激励されてしまう始末。

そして社員たちは、皆それぞれにそうした同一業界に呼ばれ、
転職して行った。

私にはいくつかの選択肢があった。
驚いたのは、銀行が資金的にバックアップするから、
そのまま営業部分のみを残して、独立開業しろという提案…。

だったら潰さずに経営陣だけどこかに追っ払ってくれたら
それで良かったのに…何て恨み言を云いつつ、自分はなんだか
もう疲れきってしまって、なんとなく、別の仕事がしたくて、
2年がかりで誘われていた元部下の会社に副社長待遇で
加わることになるのだが、これがまた大きな間違い…。

2年経った時点で、このままだと命が危ない…
そんな危険な状態に成り果てるのだった。



自分は、何しろ中学時代は洋楽一辺倒で、日本のフォークとか
ロック(?)とかは、むしろ「敵だ!」くらいに思っていたから、
高1で初めて聴いた「ユーミン/ひこうき雲」はもう天と地が
ひっくり返るほどの大衝撃で、それからやっと「はっぴいえんど」に
行き着いた時は、既にはっぴえんどは解散状態だった。

だからたぶん初めてリアルに聴いたはっぴいえんどの「音」は
恥ずかしながら、1973.9.21の解散コンサートの実況盤が
初となって、その中でもやはり当時最も印象深かかったのが、
この曲ではなかったかなあと思う。

うわあすっげえ、モビーグレープみたい!って。


水の匂いが眩しい通りに
雨に憑かれた人が行き交う
雨上がりの街に 風が不意におこる
流れる人波を 僕は見てる

なんだこれ…詩…なのか?
国語力半端ねえ…そんな感じで、なにもかもが新しい!
って、そんな感じだったな。

はっぴいえんど - 12月の雨の日(たぶん1970年中津川フォークジャンボリー)


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ヘンテコのはじまり

DSC09487b.jpg
Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

寒いし、いろいろ決めて行動を起こさねばならぬ事柄が
実は山積みなのだけれど、一向に進展せず、
足踏み状態…。機動力がすっかり錆び付いて鈍ってしまってる…。
なんとか動かねば!…な師走であるのだ。



フランクザッパという人は、今も昔も自分にとって、
最も重要なミュージシャンであり続けるのだが、
どうも当ブログでは評判がすこぶる悪いらしく、
ローテックにも、電話なんかで直コメして来る無粋なオヤジ連中
によれば、「難しい音楽は要らねえし、ウケねえよ!…」
とのことらしい。

自分もね、中学生の頃は、このギョロ目で鷲っ鼻にヒゲの
怪しげなおじさんは、なにやら奇想天外とも言える音楽を創出する
奇才!とのことだから、とっても気になる存在ではあるのだが、
だからといって彼のレコードを買って、聴いてみる度量というか、
勇気までは自分には全然なかった。

高校に入学すると、同じ高1生なのに、何故か既に長髪で、
まんまるではないが、当時としてはかなり挑戦的な感じの、
小さめ&丸めな銀縁眼鏡をしていて、一見して、
この男は上級生のややこしい連中や、規律にうるさい教師らに
こっぴどくやられそうだな!そう思われるのだが、何故か
上級生たちは彼に突っかかるどころか、避けてるように見えるし、
教師たちにおよんでは、彼に対しては何故か…敬語!?

その理由は徐々に分かるのだが、何しろ自分にとっては
不思議な存在の男に変わりはない。

結局、彼のそうした妙な説得力というのか、
不思議な機動力によって、自分は田舎の普通の高校生として
たぶん滅多に聴くことが出来ないような種類の
膨大なレコードを消費することが出来たし、
彼と地元密着なロックカルチャー(?)を中心とした情報誌=
ミニコミを創刊することによって、地元ラジオ局のDJ達や、
レコード会社の宣伝マン、人気バンド関連の人々、そして
主に他校(大学含む)の強力に猛者な音楽ファン達と、
こちらの好むと好まざるに拘らず、毎日のように引き合わされ、
妙なネットワークが広がるのだ。

しかし、残念ながら、まだ幼い高校生の自分には、そうした
ネットワークの素晴らしさが分からない。

一方で高校のサッカー部創設に向けて、その政治活動もしていたし、
まだまだヘタクソながら、バンド活動もしていたから、
彼の紹介による少々胡散臭いタイプの、アート系の「オタク達」とは、
ちょっと付き合ってられないなあ…そう思っていたのだ。

そんな長髪丸眼鏡で妙に顔が広い、実は2歳年上だったその男こそが、
強烈なザッパマニアだったのだ。

知り合った当初、毎日のように彼から自分にザッパ他のレコードが
供給された。しかしその毎日毎日が、ザッパや全く聴いたこともない
アーティストのレコード。ある時はストゥージス(イギーポップ)の
パンキッシュな(?)レコードだったり、オーネットコールマンあたりの
フリージャズ…さらにはタジマハール楽団の無国籍風ブルース(?)や、
ニコやジョンケイルの作品群に、まだ超初期のゴングやマシーン、
13thフロアエレヴェーターやトロッグス辺りのサイケ...。

いずれにしても一筋縄では理解し得ない、どちらかと言えば
上級者向けの、アヴァンギャルド系音楽…。

正直こちらの、小さな小さな器の許容量をはるかに超える
恐るべき難解な情報量に、私はちょっと軽いノイローゼ!?
聴かずにパスする手もあっただろうが、何しろ必ずヤツは
感想を求めてくるし、滅多なことを言うと、分かりやすく不機嫌。
こちらも必死で聴いて、なんとか引っ掛かる部分を見つけては、
掘り下げる…殆ど苦行に近いのだ。

今にして思えば当時、最も印象的なザッパのレコードが
「Fillmore East - June 1971」って言う、そのままズバリのライヴ盤。
カバーは写真もイラストもなく鉛筆書きで「the Mothers」と
タイトルが乱暴に書かれてるだけの素っ気なさ…。
内容は何と、殆どおしゃべり。おしゃべり、おしゃべり…ちょっと音楽、
そしてまたおしゃべり…。

無論スラングだらけの英語だが、そんな内容だから、当時は
国内盤発売も見送られ、然るに親切な対訳というのも…ない。

ところがだ、自分でも不思議なのだが、ある日突然、なんだか
妙な憑き物が落ちたように、あれ?なにか見えるぞ?ザッパや
オーネットやマイルスやドンチェリーやビーフハートやイギーや
タンジェリンドリームやソフトマシーンやゴングの、奴らの
云いたいことが、なんだか突然、分かるような、そんな気がしたのだ。

何が分かったか何て分からないけど、何しろ聴くことが楽しい!
って思えるようになり、さらに新しい「未知の不思議?」に
触れることが、何より楽しい!と思うようになったのだ…。

まるで「時計仕掛けのオレンジ」の逆パターンだなあ…(?)。

丸眼鏡とは浪人時代も一緒だったが、その後彼は地元大学へ。
私は東京…というわけで、付き合いはそこまで….と思いきや、
私がバンドマンをやってる頃に、何故か奴は私の前に再登場する。

大学を辞め、上京し、高円寺に住み、高田馬場の印刷工場で
働いていた…以前ほど密な付き合いはなかったけれど、
数年後に、ちょっとした事件に巻き込まれた彼は、彼の
大層立派なお父上の怒りを買い、故郷に強制送還されることになった。

故郷では我々の実家がある秋田市中心部から、北へ100km離れた
地方都市に移り住み、そこで市会議員だか市長だか知事候補だか
忘れたけれど、その秘書になったと聞いたが、以降全く音信不通。

俺が死んだら、坊主のお経中は構うことないから、
マザーズを延々と掛けてくれ。
出棺の時には、トッドラングレンの「ラストライド」がいいな…。
そう云ってたけれど、生きてるのか死んでるのか??

たぶん、彼のお葬式には(?)自分はこのレコードを丸ごと掛けるだろうな…。
これはレコード冒頭の良質な音楽部分。

The Mothers - The Little House I Used To Live In


そしてこちらが問題部分。英語としての意味は判然としなくても、
楽しさというのか、なんだかウキウキした感じが伝わってきて、
ほっこりする…やっぱりビョーキかな??

The Mothers - Do You Like My New Car?


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