ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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Appleのこと

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Jobsが亡くなったときの報道などで顕著なように、今やAppleといえば、
iPodでありiPhoneでありiPadの...!ってことらしく、どこのTVニュースも
「Macintosh、もといマックの....」とは遂に言ってはもらえなかったことに、
「またか....」とため息をついたのは、私だけではなかったと思う。

一番最初に買ったのがMacintosh Classic。
一度だけWindows95発売の折に、インターネットって世界が見たくて浮気
したものの、相性合わずすぐに放棄。
だからこの20年とちょっとは、ずっとMac。
随分嫌味も言われた。
ヒトと同じなのは嫌だが、ヒトと違うと嫌がられる。

使いやすさは、使ってみなければわからない。
そして使いやすさは親切そうにボタンを増やすことからは決して生まれない。

Jobsの死によって、Appleも様変わりしてしまうんだろうか?
勝手だけど、せめてあと10年はJobsの精神でAppleが続いてくれますように。







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Jへの門番

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JFL=BB秋田vs横河武蔵野FCの対戦を観に行きました。
実は横河武蔵野とは仕事絡みで縁があり、殆どの選手、スタッフ
とも旧知の仲、然るにこの対戦も武蔵野陸上競技場で経験済み
なんですが、不思議なことに向こうでは今日だけゴメンと言いつつ
秋田を応援し、今日は今日で横河を応援、しかし明らかにヒンシュク
を買ったようで、静かに応援してるつもりでも周りと違うタイミングで
「ヨシッ!」とか声が出て睨まれたり、かつて仕事のパートナーでも
あった主将の瀬田君などが良いプレーをすると、声も自然と大きくなる
というもので、なかなかに奇妙な体験をすることになりました。

横河武蔵野は、実際には非営利法人による独立運営形式で、BB秋田と
根本は変わらない組織形態ながら、事実上は一部大学生選手以外は
横河電機の社員による完全アマチュア組織。当然、優勝したからと
いってすぐ上のJ2(プロリーグ)に進むというわけではないことから、
BB秋田のようにJ2を目指すチームの進撃を上位で阻む「Jへの門番」と
言われてます(HONDA,SAGAWA滋賀、SONY仙台なども同様)。

アルバイトをしながらJリーガーを目指すストーリーは、BB秋田を
はじめよく耳にしますが、昔ながらの職業人サッカー部である横河
の選手たちの生活もなかなかにストイック。きちんと夜6時まで
仕事をして、6時半から練習。営業部の選手などは、地方出張も
強引に6時半まで東京に舞い戻り,練習参加、土曜日は練習か移動、
日曜日は試合、沖縄遠征も直ちに飛行機に乗って月曜朝から業務に
支障ないよう帰京。まったく頭が下がります。

まあこれから徐々にブラウブリッツさんの試合を見せてもらいながら
さて来年は秋田で観るか武蔵野で観るかは分からないけれど、次回は
もっとブラウブリッツをよく知って、心底から応援できれば良いなあ
と思う次第です。

サポーターさんも盛り上げてくれてたけれど、ひとつ気になったのは、
試合が終わったら勝敗に関係なく相手チームにも拍手くらいしようよ!
ということ。わざわざ秋田まで足元の悪いなか(笑)来てもらって、
またたった5人といえど熱心な武蔵野サポーターも来ているのに、大勢の
ブラウブリッツサポーターは相手チームに対し、ねぎらいの一つ、拍手の
一つない試合終了後の、あの白くて寒い空気は一体何だろうか?と感じた。
ちょいと残念な後味のゲームだったな。






驚いたこと

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秋田県の某所

秋田に舞い戻って、何が一番驚いたか?って...
それは秋田弁が一向に聞こえてこないこと。
特に高校生の会話など漏れ聞いていると、
正直、埼玉、千葉辺りの高校生よりよほど綺麗な
標準語なのには恐れ入った。
んでもって上の写真は母親の田舎...
ここらの言語は特に強烈で、子供の頃は殆ど理解不能に困ったものだ。
ところが駅のホームですれ違う高校生の一団の会話...
「それでさあ、◯△じゃん、笑っちゃうよね、ははは」
まさかまさかこんなことありえん!こいつら絶対意味不明濁点系言語
を吐くはずだ!何かおかしい?

町に出るとさらにあることに気づく。....匂いがないのだ。
家畜とその糞尿臭に稲藁を焼く焦げ臭さが微妙に混じった独特に匂い。

数日前、こちらは40年以上ぶりにさる港町に行ったが、昔感じた
むせ返るような船の油と魚の生臭さが混じった匂い。決して悪い
意味ではなく、匂いは、港の大層な賑わい、活気そのものなのだが、
心地良い潮の香りはするが、肝心の活気の匂いは一向にしないのだ。

まあ余計なお世話で、町としちゃー、グローバルになって何が悪い!
といいたいところだろうが、グローバルな単なる地方都市に、
果たして如何ほどの魅力があるというのだろうか?



LET IT BE の頃。

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・1969年1月のビートルズの新作録音風景とその瓦解の映像記録。

・翌年の春、秋田駅前のレコード店「全音」でシングル盤「LET IT BE」が
 ヘビーローテーション!毎日の通学路でしかも広小路を渡る信号待ち
  などで少年pipは完全にスリこまれ、ビートルズがかかってないと
  生きていけない身体になる。

・半年くらい経ってやっと映画が、我が秋田でも公開。すずらん通り奥の
 秋田ピカデリー!...しかしアホのPは、ほとんど内容理解できず、
 不条理アバンギャルドの印象。最後の屋上ライブのみ「ウオー、
 カッケー!」とやけに大感動。
 売店でポスターとパンフ(残念ながら冊子ではなくA41枚のペラペラ紙)を
 買ってご満悦の中坊であった。

・更に翌年、中央通りの「読売ホール」で再映。この頃には学習も進み、
 この週だけで10回は観た。更に、私はオープンデンスケ(テープレコーダ)、
 友人は父親の8ミリカメラ、別の日にはスチルカメラなど持参する異常盛上り
 状態。因みに中央通りは今でこそあんなだが??、土曜日の午後はサッカーの
 練習サボって、明治生命ホールで「ABSポップイン」。新作ロックの情報を
 仕入れ、読売ホールでロック映画見て、帰ったらABSの電リク(洋楽)!って
 今考えると、なんとも幸せで充実の中学時代=秋田の黄金時代!でもあった
 かな。

・同じ年、「ビートルズ・デビュー10周年!」ってことで広小路に開店した
 ばかりの「秋田プラザ」(現キャッスルホテル?)の催物場でビートルズ展
 開催。入場料を取って、何やら展示物もあったようだが記憶なし??
 
・3年後、魁新聞に「産業会館でビートルズ・フィルムコンサート、生演奏アリ」
 「ふーん、まだこんな事やってるのか??」と、もはやヒトゴトな高校生P。
 「んで生演奏ってどこのバンドがバカ面こいてるんだ?? ◯△s...って...
 俺らじゃん!?ナナナニイ???

70年代はジョンやポールはきっと秋田の広小路とか金座街あたりにいたんだね。
広小路のホコ天にいたはずだし、木内の屋上にも!!んで居なくなって、
今も続く馬鹿げた一歩通行なんかになってスルーな街になり果てて、竿燈まで
大町に行っちゃって、活気に満ちた商店街をわざわざ潰して大店舗が駅前に鎮座
して、広小路時代も駅前時代もみんな終焉。
私はその頃はもうお江戸にいて、最期は見届けてないけど、広小路辺りを通り
掛かると、今でも胸が苦しくなるね。
 

残念な我が町 その1

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概ね35年のブランク、あるいは35年の過去からタイムマシンで現在の
秋田市にやってきたと思ってもらっても良いような立場だから、素頓狂
な質問を、いたるところでしてしまってる気がする。

「あの..市営バスの乗り場はどこ行っちゃったんですか?」

知らないうちに、失礼ながら田んぼしかない駅裏が「東口」と呼ばれ、
急速に(自分時間で)発展しているから、「きっと市営バスは東口
ロータリーに移動して、遠距離専門の中央交通との住み分けをしているの
だろう??と思い込んでいた私。

しかし中央交通には申し訳ないが、ざっくりし過ぎな路線、まばらすぎる
発着時間、高すぎる料金・・・には軽く怒りさえ覚えた。
しかし実際乗車してみると、そこそこ基幹路線なのに殆ど私の貸切状態。
運用サービスの極端な低下は致し方ないところなのかもなあ、と、
肩を落としてしまった。秋田に舞い戻って何度目の「肩落ち」なんだろうか。

モータリゼーションを今更否定する気はない。しかし、街の拡散化=駅前の
衰退=市街地全体の衰退はもはや疑いようのない事実である。愛車家?の
方には申し訳ないが、無駄な車多くないかなあと思う。荷物を運ぶでもなく、
一人で乗るなら自転車になさいよ!遠くならバスや電車を利用しようよ!
それがエコであるのはもちろんだが、我が町を活性化させる基本中の基本
だと思う。確かに車でなければ動きが取れないような住まいの方も多く
いらっしゃるとは思うが、最寄り駅までにしていただきたいものだ。

秋田の道はまたしても肩を落とすくらい自動車優先。
無駄としか思えない歩行者隔離の地下道には怒りさえ覚える。歩道のバリア
フリー化って役所は知らないとしか思えない=秋田市のお役人さんや議員さん
は車ばかり使って、道を歩くことはないから気づかないのね、ってこと?? 
車では快適な通行!の裏腹で歩道の劣悪さ、圧倒的に歩行者無視な信号など、
この辺りも本当に我が故郷、情けないぞ!とまた肩を落とすのだ。

みんなが知ってる名無しの池

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おなじみ?の秋田県民会館裏の池ですが、やはりここも当然ながら30年振り
に出掛けてみたのですが、昔とあんまり変わってないのが嬉しかったです。
ところでこの池の名前は??誰に聞いてもわからないみたい。知らぬ間に
穴門&大手門の堀とか(昔はボートの堀、蓮根の堀などと勝手に呼んでいた)
胡月池(動物園の池!)とか美しい名前がついてるようだけど、この池と
脳研センター前の池には未だ呼称がない(あるいは流布されないだけ?)
のは少々残念。
因みに子供の頃は「防空壕の池」って言ってました。いつ塞がれたか知らない
けれど、この写真だとベンチの後ろの斜面にトンネルの穴があり、中は水が常に
溜まったジメジメした空間。いかな探検好きでも、なかなか小学生は
受け付けぬという迫力と不気味さを醸しだしてました。一説によると大手門通り
沿いの昔児童公園があった辺り=胡月池直下の斜面にもあった洞穴と貫通している
という情報もあったが、その情報源が父親の会社の上司の従兄弟の....といった
具合で信憑性はない。南向きなのになぜだか一日中暗い日陰なイメージがあった
場所ながら、あらためて行ってみると意外にもまあまあ明るかったりする。

2011年11月18日の太平山

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広面の三吉さんから望む太平山(焦点距離250mm)

私が汚れない現役秋田人(?)だった高校生の頃など、ほとんど意識することはなかった
のだが、今は何故かビンビン感じるんだ=秋田の人はいつも太平山に見守られてる。
すべて太平山はお見通し!!ってこと。町のどこからでも、少し開けた所があれば、
太平山は見える、否、見られている。mmm山岳信仰はこうして興るのだな!
でもって太陽信仰があって、森羅万象を司る宇宙のナンチャラ神となるのは必然なわけだな。
もちろん宗教団体など縁のない不埒な人生を送ってきたのだが...
太平山、いつか体調整ったら登ってやるぜ!などとニヤつきながら、広面あたりの小山を
ゼイゼイ言いながら登る、病み上がりのメタボックリな53歳なのであった。

This Land Is Your Land...

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子供の頃から好きだった場所に行ってみた。
好きだった...といっても実家の近所ではない。概ねだが距離にして7kmほどあるらしい。
7kmといえば、東京でいうと杉並の「我が家」から「新宿」までの距離であり、
徒歩と電車で15分ほど、これはつまり「非常に近場」ということとなる。
しかしここは残念ながら日常的に頻繁に行くような場所ではない上に、自動車以外で
15分でいける所でない。
しかしだ、今はどうだかわからないが、実に7km隔てているとはいえ、同じ中学の
学区内なのであった。杉並、中野、新宿の三区で一つの中学校!!という具合を考え
れば、どんな人口密度なんだ??なんて笑ってしまう。
実際には7kmなんて笑っちまうぜ、我が中学なんて半径で20km圏くらいだぜ!
なんて難儀な地域もあるんだろうなあ...なんて思うと途方に暮れる。

いずれにしろ小学生の頃は自転車でよくここに来たものだが、界隈の子ら(別の小学校)
が川に入り楽しそうにヤスで魚を突いていたのが羨ましくて仕方なかったが、
ついに加わることは出来なかった。やがてヤスの小僧たちとは中学で一緒になり
仲良くなるのだが、一緒にヤス!は未だ実現してない。

中学ではサッカー部にいたが、この界隈在住の上級生に随分とシゴかれた。
生まれて初めて、殺意すら抱いた相手だったが、ある日の休日、この辺りの同級生の家に
遊びに来たおり、その上級生が牛を引き、畑を耕している情景を目撃した。
家業の手伝いだろうが、その時を境にこの上級生を恨むのをやめた。
不条理なイジメは相変わらず続いたけどね。




千秋公園の紅葉ってこんなもんだった??

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千秋公園は、そりゃあ庭だべ!と秋田市民なら誰でも思うだろうが、それを口に
出せるのは、東京あたりでの秋田県人同士の会話に過ぎず、秋田にいるととても
申し訳なくてそんなことは言えない!。
30年間秋田を留守にした者としては、庭...と言いつつも、二の丸階段から本丸
入口の大門は、見慣れぬ後付け建造物に過ぎないし、御隅櫓なる物を簡単に認める
ことはできないのだ。

二の丸階段を登り始めた観光客らしき老夫婦に声をかけられた。
「(この先)あと何分くらいかかりますかね?」
「え?どちらまでいかれるのですか?」
「どちらまでって??決まってるじゃないですか、お城ですよ...」
「....もしかして本丸の奥のあれ?....ゆっくり歩かれて7-8分くらいってとこですね...」
「じゃあ我々なら10分だなあ、でもやっぱりお城観ないとね、頑張ってみますかな!
「....行ってらっしゃい....」

小学生時代に、校舎越しの千秋公園の紅葉情景を描いた絵が入選した。
これにははっきりした記憶があって、実は彩色途中で飽きてしまって、
とにかく「らしい色」をまるで前衛芸術のようにいい加減に画用紙に
落とし込んだだけの捨て絵で、結果、かなり紅葉を割増して大げさに描いた
ものだったが、審査員の方の評価は、圧倒的で大胆な色彩表現云々...
もしかしたらその時から世の中をナメハジメて、今苦労してるのかも??
などとネガティブになったりする。いずれにしても千秋公園の紅葉は、
子供時代の記憶とは異なるのか、実はそんなものだったのか判然としないまま、
とどのつまり、期待に勝るものではなかったように感じた。
30数年間に及ぶ記憶の上書きが、千秋公園の紅葉を見事にしてしまったに
過ぎなかったのだろうか?





驚きだよ、毎日仕事に行かなくても生きれてるんだよ!

東北の、更に道の奥の秋田で生まれ育ち、18歳で上京した。
田舎におさまりたくなかった。でも東京はあくまでも一刻の住処であって
長くいる場所ではない、いずれは28歳とか30歳くらいまでには故郷に戻り、
そこで人生をまっとうするのだ!と漠然と考えてもいた。
んで気がつけばあっという間に30数年経って、秋田に年老いた母親を残しつつも、
東京の片隅で家族など作っている。
「しかたないな、こんなもんだろ人生なんて」などと家族の為に妥協して生きてるぜ
的な自惚れと勘違いで日々を過ごしていたのがこの1年前まで。

ところがこれまた予想だにしなかった展開が振りかかる。
「病気療養」で単身、秋田の実家に移り住むことに。家族は東京に都合があり
単身赴任?な状況。療養の名の下に働きもせず、毎日ブラブラと生きているのだ。
しかもこれまで興味すら持たなかった「デジタル一眼レフカメラ」なるを手に、
故郷を自転車やバスを使って徘徊しては、シャッター音を立てている生活...
30数年ぶりの秋田はどう変貌したか? まだ相変わらず、やっぱり秋田は秋田なのか?
なぜ目が覚めないのだ我が故郷?

いつまでこの心地良いが不安な生活が続くのかわからないが、その間は30数年間放って
おいた故郷をしっかり楽しみたい!と思いつつ、なんとかしなきゃな秋田!という部分も
しっかり提起してゆきたい。取り敢えず無期限ながら「秋田篇」。

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大森山山頂から一望できてしまう?秋田市。



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