ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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恥ずかしくてまだまだ。

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趣味が写真?!なんて考えたこともなかった。

カメラ自体は、何となく仕事も含め必要で、いつの時代も持っていたし、
デジカメに至ると、発売されてすぐに買ったものだ。
以後も、興味ある新製品が出れば都度買い直している。
携帯電話のカメラ機能が充実してくると、腕時計を外すように、
その機能に依存するようにもなった。

恐らく、とてもとても普通な一般ピープル状態だったと思う。

数年前、30年来の友人が、突然カメラにハマったらしく、
面白いからお前さんもやってみろや!
と、型落ちのデジタル一眼レフカメラ(デジイチというらしい)
のボディを譲ってもらった。ただしレンズは自分で買え!っと。

んで、その友人と銀座の中古カメラ屋にレンズを見に行くのだが、
その時初めて知って驚いた。
カメラもデジタルの時代だから、技術革新は日進月歩、
他のデジモノと同様、値段は日が経てば安くなり、そのうち値も付かないほどになる。
しかし、レンズはあくまでもアナログな一種の工芸品だから
値崩れなどせず、しかもカメラ本体を買い換えても、同じメーカー(グループ)なら
レンズは生涯、いや末代まで使える資産だということ。

早い話がレンズは中古といえど、ほとんど値段が下がってないのだ。

その時はホコリが微量混入してるかもしれないという理由で
安くておすすめ?らしい中古レンズを購入。
安いといっても高級新品コンパクトデジカメ(コンデジという)が
充分買える値段である。

さてそれからの展開は、写真を撮ることがこんなに楽しいとは!なんて
ありがちな展開では残念ながらなく、
撮影旅行どころか、散歩すら出来ない超多忙状態がしばらく続き、
カメラのことなどすっかり忘れていたし、
稀に、さて今日のお出かけには!と思ったとしても、
重いし嵩張るから、やっぱりやめておこう、と持って出ることは殆どなかった。

そのデジイチをようやく楽しめるようになったのは、
皮肉なことに、セミリタイヤで秋田に舞戻ったつい最近のこと。

少々ごついデジイチと数本の交換レンズをカバンに突っ込み、
千秋公園を歩き、思い出などを偲びながら写真を撮る。

撮ること自体が楽しいと、そこで初めて感じた。

さらにこうしてこうすればもっと美しく、楽しくなるということを、
ゆっくり自分のペースで学んでゆけるのも、楽しくて仕方がない。

やがてもっと軽量な、ミラーレス一眼カメラなる最先端テクノロジーの
お散歩カメラを新たに購入したりもした。
これでフットワークも軽快になったはずであった、

しかし、千秋公園だけではさすがに飽きる!

行動範囲を少し広げるため、自転車を購入。
土崎港、高清水、新屋方面、空港方面などなど自在となったが
で、それから???が思いつかないのだ。

秋田市って他なんかなかったっけ??

そうなると、これまでの人生長〜いこと、いくらでも撮る題材には事欠かない
場所に住んでいたのに、何をやっていたのか??と悔やまれるのだ。
しかし同時に、戻ったら戻ったで、ああ秋田の「あれ」を撮るのを忘れていた、
普通過ぎて感じてなかった秋田に居なければ撮れない〇〇をなぜ忘れたんだろうか
などと悔やむのだろうなあと思うと、

まあおあいこだな。

今の環境でできることを、きっちりやっていこう…
などと一人で嘆いたり、納得したりのめでたいオヤジであった。

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塩化ビニールの芳しい香り

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中学生時代から、小遣いのほとんど全てをレコード購入に費やしていた。
その後、少し脱線の時期もあったが、無事?就職し、
生活が落ち着きはじめた80年代中盤、レコード購入量はMAXに至る。

ほとんど毎日、会社帰りは最新輸入盤の聖地=西新宿に寄っては買い…
のオタクな毎日。
ところがそんなサナカ、レコード買いの自分にとって不穏な空気が流れる。

CD=コンパクトディスクなる何やらイカガワシげな銀色媒体の登場である。

塩化ビニールの、もはやアナログ盤と呼ばれるようになった「レコード」は、
あっという間に、そして呆気無く廃れていった。

単に媒体が替わっただけさ!、と唱える人も多かったが、
ひとつの時代、文化が確実に終わったと感じた。

多感な中高生の頃、秋田駅前の全音の、決して広くはない店内を
何時間も怪しくウロウロし、やっと覚悟を決めてレジに持ってゆく
→ドキドキしながら店員のお兄さんが検盤するのを見つめる
→フワッと鼻につく塩化ビニールの芳しい香り
→丁寧に盤を見つめ、裏返しながら、今度はこちらに向けて、
「ほら、あやしい傷や埃はないだろう?」と見せる。
傷なんてその場で見つけられるはずもないが、OK!と軽く合図すると、
あくまでも軽ろやかに、そしてさりげなくスプレーを一振りして
まるでワインのテイスティングみたいな麗しの儀式が終わる。
この時の「フー、散々悩んだけど、ヒト仕事終えたぜ!」な満足感
初めて針を落とすときの緊張感
30cm角のジャケットアートをシゲシゲと楽しむ習慣。

CDでは多くの「楽しみ方」を失ったんだと思う。

そんなCD時代も、まもなく終焉するのは確実だ。
その理由と必然は、もはや誰でも知っている。
誰でも知っていることを、当の供給側がジタバタしていて、
CD登場の時のようなスピード感や割り切りがなくて、いらつくのだ。

音楽という文化は相変わらず続くのだろうが、文化の質は確実に変化する。
いよいよ媒体(メディア)やジャケットという物質的感覚がなくなって、
裸の音楽だけが取引され、トータルアートとしてネットが支配する時代。

さあ、アナログとうさんは何処まで追いついて行けるのだろうか??


コミュニケーションは大事だ!

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先日、家の近くを歩いていると、
見知らぬ年輩のご婦人から不意に声をかけられた。

〇〇サンちの〇〇君でしょ!
小さい時と全然カオ変わってないからすぐ分かった!とのこと。
50を過ぎて変わらないと言われてもねーなどと返すが、
実はそのご婦人が何処のどなたかさっぱりわかってない。
で、結局分からないまま,ではまた・・・。
以来、気になって寝付きが悪い。一言聞いていれば….。

某コンビニで買物をしていると
「○△カードお持ちですか?」と自店のポイントカード提出を促される。
「持ってない」と答えるが、それに対する返答は一切なく、
この話はなかったことに・・・という空気が一瞬流れ、
レシートとつり銭を渡され、否応なく取引は終わる。

何故カード加入を薦めないのだろうか?

「持ってない」→「ビジネスチャンス到来!」と思わないのだろうか?
または店長が、アルバイトにそういった指示ができない理由でもあるのだろうか?
と、ずーっと不思議に感じつつ、
こちらも「カード作れば何かいいことあるのか?」
というツッコミを入れたいところだが、ややこしいのも御免だし、
なんだか面倒になって、何とも言い知れないわだかまりを抱えたまま
店を出るのが通例なのだ。

ところが今年の元日にたまたま買い物したら、
カードは?→ないよ

じゃ、お作りしましょうか?…

一瞬耳を疑った。
実は待ち焦がれたその言葉が、
突然思いもよらず返ってきて、
少し狼狽したものの、
悟られぬよう、急ぎ自己修復して、

「つっ、作りましょう、そうしましょう!そうだそれがイイ...」
 
どうやら元日はアルバイトが確保できず、責任者さんが店で対応していたらしい。
そんなことで、何となく正月から気分が良くなって、
以来、少し家から離れているが、まめにそのコンビニに通い詰めてたりする。

「ポイントカードは?」→「はいはい、ありま〜す♪...」

お馬鹿な話だが、
本当にコミュニケーションって大事だなあと改めて思うのだった。



一番古い記憶って??

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涙が出そうな写真だ。
木内の存在感はやはり強烈!
車の量は今とそう変わらない。
人の数は、比べては今が哀しすぎる。
駅の向こうは下北手の森まで一面の田んぼ!
それにしてもいつまでも眺めていられる写真ッス。

さて、自分の中で一番古い記憶って何?それはいくつの時?
自答してみると、幼稚園頃ってのは断片的ながらも、
わりと鮮明だったりするけれど
それ以前となるとなかなか難しい。

実は、もはや完全に暗めなモノクロの記憶の中で、
秋田駅前のロータリーで日の丸の旗を降って昭和天皇をお迎えした??
という記憶があって、それはなんだろうか?と調べてみると、
どうやら1961年(昭和36年)の秋田国体!ということになるらしく、
どうも私の年齢からしても、それが最古の記憶となるようだ。

八橋運動公園がほとんど今と変わらない華やかなイデタチでオープンした頃だろうし
(何故市営プールは失くなったのだろうか?)、薄っすらだが、父に連れられ、
手形の秋大グランドで、サッカーかラグビーか不明ながら観戦したように思うし、
試合ではなかったかもしれないが、現秋田予備校とかNTTのブロック辺りにあった
学校(旧秋田高校。一時期南高校でもあったらしい)の体育館で、
初めてバスケットボールなるものを見て、あまりの迫力にショックを受けたりと、
次々と記憶が蘇ってくる。

因みに今の専門学校郡や予備校があるブロック辺りが校舎、
NTTのビルがある一角は、土手と窪地をうまく使った野球場、
向かいの市民市場はグランドだったまではハッキリ記憶がある。

基本的に広小路が行政の施設と商業地、
中央通りには金融業界やその他民間のビジネス街
主要なその2本の通りを結ぶ横丁として金座街があり、
縦横に別の商店街がいくつも並びつつも、それらは混然一体と
コンパクトにまとめられた機能的な街だったように思う。

このバランスを壊した最初が、行政機能の山王方面移転。

それでも辛うじて広小路は商業地として持ちこたえていたが、
どうした配慮か?陰謀か?結果は目に見えていた一方通行化と、
駅前の大店舗集約化!で一気に廃れていった。

哀しすぎるぞ! 














涙モロいゴム長オヤジの物語

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警官の目前で騒乱??完全にボコってる....。秋田の冬の風物詩です、ハイ。

35年間秋田ではない所で暮らしてはいたけれど、
その前の18年間は秋田に違いないし、
’48豪雪というのも体験済。

だから雪道なんてへっちゃらでズンズン歩ける!
まだ今年になって3回しか尻餅をついてないぞ(^^ゞ

やはり秋田の雪道は「ゴム長が最強」に相違なく
父親の形見?のゴム長を履き、これで万事安心、
典型的秋田のオドはんだどーって、街を歩きまわってるのだが、
東京にいる家族には絶対見せられない姿だなあと思いつつ、
想像を絶する格好として、見せてみたい気持も少しあったりして。

なにせ最低気温4℃で寒い寒いと悲鳴を上げてる地域の家族ですから。

Anyway
年のせいか、このごろ妙に涙モロくなっていて、
なでしこJAPANなんて、予選から全部見ていたけれど、
決勝戦は早朝からもうボロボロ大泣き状態。

んで、毎年クリスマスにTBSでやっている「小田和正クリスマスの約束」
てのを楽しみにしているが、なにせ秋田なもんで、
色々工夫してやっと見ることができた。
そして例年通り、否、例年以上にTears began to fall !!

J-POPなんて普段全く愛好してないけれど、
日本芸能界の意地ともいうべき出演者たちの熱演と努力には、
無条件に拍手を送りたい。
私は情けないことに歌の始まりからもう感極まってしまって、
28分58秒のその遠大なメドレーを、冷静に聴くことができないのである。

http://www.youtube.com/watch?v=u1CM7ReaJOE

残念ながら様々な問題でYouTubeでは音だけです。
映像の断片はWebのそこここに散らばってるようですが...。

ジャニーズもAKBもExileもK-POPもいない。
出演者達はひたすら小田和正による鬼のコーラスワーク修得のため
練習を積み重ね、その結果、あのなでしこ達の栄光にも似た完成度で、
久々、音楽で得た感動でありました。


それにしても昨日たまたまユーミン(もちろん名前が変わる前の)聴いても
大泣きしたからなあ、困ったゴム長オヤジではある。

TARKUSとABSポップイン

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いやあビックリしたって言うか、NHKどうした?って思ったのが
大河ドラマ「平清盛」の挿入音楽。
なんでまた今更のEL&P「タルカス」の交響楽版なのか?。
最初、タチの悪い盗作か?と思ったが、きちんとタイトルバックで
クレジットされていたのでまずは一安心。

我々世代(?)の中高校生の頃は、おそらく今より遥かに
「洋楽」が愛好されていた時代だから、
EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)は元より「タルカス」を、
誰でも知っている!とは言わないが、少なくとも
毎週土曜日午後の中央通り明治生命ビル8階ホール
(現・明治安田生命第二秋田ビル)でのABSラジオ「ポップイン」の
公開収録に集う洋楽好きの中高生なら誰でも当たり前に知ってる
プログレッシブロックの名盤の一つとして、
確実に履修せねばならぬマスト曲であった。

・・・って、今気がついた、

そうした70年代初頭のロック好き中高生も、今や立派な中高年!?・・・
NHKが目論む大河ドラマ視聴者層のど真ん中であろう!

なるほど納得。

ABS ポップインにはほぼ毎週通ってた。
最初はレコードとかを、運が良ければもらえるかも(見本盤)とか
不順な動機だったのが、次第に洋楽愛好者には数少ない情報源であり
重要なコミュニティーとなっていた。

DJの三田ユージさんからの影響で
「売れ線ではなくとも、良質なロックを察知し、愛でるべし!」という、
後の人生のあり方をもろに形造る啓示を受けたりもしたし、そうそう、

ギターを弾くようになったのも三田さんの影響だった。

三田ユージさん(本名ではない)は、その後、東京で出版社系の
TV番組制作会社で働いていたと聞いたことがある。
私も当時は近い業界にいたものの、秋田以後(?)会ったことはない。

中学時代、あなたに多大な影響を私は受けました!

どうしてくれる?

は、冗談だが、何らかの意を表してみたいものだ。


蛇足だが、もう一人、当時秋田のロックシーンで、
憧れていたギタリストがいたのだが、
今は何と、幼馴染の悪友どもが結成したオヤジバンド!で発見!・・・

その話はまたいずれ。

冬の色

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毎日がなんだか薄暗い、
雪に埋もれたせいもあるが
街に色彩というものが感じられず
市街なのに活気もなく
ただただ荒涼とした風景に
気持はひたすらメゲる。

唯一、独特の色彩感と賑わいをこの街にもたらす瞬間は
皮肉にも、激しく雪が降る情景にほかならず、
激しければ激しいほど
なぜだか街は躍動する。

真昼間なのに
クルマのヘッドライトに照らされた
夥しく降る雪の
その暴力的ないでたちこそが、
この街の色彩であり、サウンドであり、生活のリズム。

それが秋田という街の真髄。

愛するか、逃げ出すか.....
それが問題だ。

ヘビーローテーションで風は吹いている♪

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5年前の冬、新潟市に長期出張をし、その時履いていた革靴では
どうにもこうにも歩きにくかったので、生まれて初めて、
ちょっとしたブランド物のスノーブーツなるものを買った。
お陰で新潟では快適なスノーライフ(?)を過ごせたものだ。

しかし東京に持ち帰った所でその後全く利用機会なく、
下駄箱の肥やしとなったまま忘れていたものを、
今般、大雪と評判の秋田まで家人が送ってくれた。

これでどんな雪道もへっちゃらだぜ!と、
ちょいと面倒な編み上げブーツを履いて勇んで外に出てみたら、

いきなり派手に転倒した。

靴底に食い込みそうで食い込まない、
いやむしろ猛々しくワシワシと雪を噛む前に、
あのサラサラ粉雪野郎が靴底をあっさりとひっくり返してしまうようだ。

秋田の雪道侮りがたし!

この決定的な憎ったらしさは、さすがの秋田!って感じであり、
スノーブーツをも軽々跳ね返す雪の力強さ?こそ、
観光資源にならないものかと、一瞬だけ頭をよぎるが、
すぐに、バカバカしすぎてよぎったことすら後悔する。

要は寒くて辛い、とびっきりスペシャルな冬の姿が、
ただそこにあるだけなのだ。
雪が降って、また降って、ただただ降って、
そして、ヘビーローテーションで風は吹いている…

それが私にとって35年ぶりの、故郷秋田の冬。
大歓迎でありがとね.......

なんちゃって秋田市街活性化論

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ずーっと秋田市在住の友人Y君と、ささやか居酒屋新年会!

不思議なことにY君とは、学友としての接点は全くない上に、同じバンドで共に
プレイしたわけでもない。
高校時代に「新屋の凄腕ギタリスト」として知りあい、時にライバルとして、
時にリスペクトしあえる友としてずーっと有りたかったが、実は彼のほうが技術、
センス共に上。私など足元に及ばないことは当時から充分自覚していたから、
私が上京して以降も、向こうでバンド結成したり、その後少し音楽で
稼ぐようになっても、秋田にいるはずの彼の幻影が、いつも私に囁くのだ。

「まだまだだな!」

前置きが長くなったが、そんな彼と音楽談義をするはずが、なぜだか
秋田駅前復興プランの大激論となってしまった。
もちろん予算の出元や経済効率の細かい数字、根拠は別として感じてもらいたいのだが、
要は昭和30〜40年代頃の広小路文明の有様を返せ!元に戻せ!
というノスタルジー論に尽きてしまうのは許して欲しい。

○市電を復活すべし。
昔のように土崎まで通す必要はなく、広小路から土手長町を右折し
通町に入る(これが大前提)。そのまま八橋あたりで折り返し、
山王大通りを外しつつ、茨島→卸町→有楽町を経由して広小路に戻る。
交通の邪魔?=広小路は当然一般車両の通行禁止!
これがなんちゃら地下縦貫道の真の意味でしょ?。
一般車両は中央通り、南大通りを市街地幹線道路として使へば問題ない。

ナカイチがどんなものになるのか皆目分からないが、それより

○「木内」を復活させるべきである。

木内を広小路文化復興の核とすべき。もちろん屋上アミューズメントは復刻。
3階の展望レストランも復刻(お子様ランチも)。
木内経営者が渋るなら、行政が屋号をレンタルするとか、よしんば買い取るとかする!
「木内」という名前が「在りし日の賑わい」を再び創生するキーワードだ! 
なんなら「ナカイチ」も「キノウチ・モール」と改称というのも秘策としてOK!

○お堀のボートはもちろん復活。
蓮の堀の方には大手門通り、広小路の十字路から、景観を壊さない
ウッドデッキ風の桟橋を掘中に組み、美術館~県民会館~千秋公園への導線とする
(イメージは横浜レンガ倉庫へ通じる木製桟橋)。
夏は蓮を間近に愛でながら水上を歩く!ロマンチック秋田の誕生だ(冬は閉鎖かな??)。
もちろん例の「開かずの土手」も開放。

他にも多々アイデアが出た。壊滅中の有楽町復興。通町~大町の再興等々。
それはまた後日に。要は広小路周辺から自動車を追い出し、
歩行者中心のモール的中心街をつくるのが主眼。
モータリゼーションによる弊害=ショートカット的な買物〜帰宅ではなく、
家族でブラブラ散歩しながらのショッピング、食事などで賑わい創生。
レトロなゆっくり走る路面電車でスローライフ的世界。市民が誇りを持てる街作り。

仮に高い意識と郷土愛に満ちた首長が誕生し、この件の発案を市民に求めたら
素晴らしいアイデアが湯水のように溢れるはずだ。
そういう意見にきちんと耳を傾ける政治が、秋田はさっぱり!市民もシラケという
悪循環が、なんとなく街の暗さとなって表出しているのは、残念ながら事実だろう。
「ナカイチ」も所詮は行政主体=有識者会議の有識者っていったい誰さ?
という有様と聞くしね。

今年もボヤキます。

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取り敢えず御目出度さんです。

ぶっちゃけですけど、
もはや日本にとっては1945以来の、2011という歴史に残る
最低最悪な年記号!が一応終わり、
何も解決してないのに、
まっ、この辺であの忌まわしい記憶などもう忘れようぜ、
もっと前向きに生きようぜ!という…
ある種、国を挙げての壮大な誤魔化しをおっぱじめようという
政治的メディア操作をビンビン感じる、妙に収まりの悪い年の初めでありますが、
皆様、本年も何卒よろしくお願い奉り候にござります???。

お正月といえば、
関東のかの地は、例年カラッと晴れ上がり、
またこの時ばかりは人口も極端に減少し、
クルマも異常に少なくて空気も澄み渡り、
富士のお山は西南方向に美しく姿を現します。
ああ、里帰りの方々、さらに短い休みを無理矢理海外でお過ごし方々、

もうそのまま永久に帰ってこなくてよろしいですから!

とか本気で思ってましたが、
何と今や自分が「帰ってこなくていいですから」な立場でありまして、
しかも元旦から秋田の鉛色の空の下、
雪こそ数日前の嵐のような降り積もりはおさまったものの、心もどんよりであります。

もはやどっちが実家なのかわからなくなってきた杉並の実家?からは、
早く病気を治して帰ってきて!
ではなくて、
コチラのことは気にせず、ソチラでゆっくり焦らず治してね…
愛情ゆえと信じてはいますが、なんともビミョーです....。

というわけで、本年も当分秋田にいて、ぼやき続けるのかなあ・・・
というのが濃厚。
はてさて、重ねて本年もお付き合いくださいませ。

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