ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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千秋公園の寝坊過ぎる古代花の件

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なにせ普通に忙しく生活してる頃には植物なんて全然興味ないわけで
家人がせっせと買ってくる鉢植えや切り花を見ても、
「どうせ花見ても腹一杯にならんしぃ…」なんてホザイていた自分でありました。

当然、この「大賀ハス」という2千年前の古代花の存在なんて知る由もないわけです。

昨日、広小路のお堀の側を歩いていると、
「おっ、蓮の花がもう咲いてる…??
いや去年の夏に見たのとなんだか趣きが違うくね??」
というわけで、あとで「あれは何ぞや?」と調べてみると、
まるで琥珀の中に封じ込まれた蚊の胃の中から取り出したDNAから
現代に復活した恐竜たち!というジュラシックパークのプロットそのままの
「古代のハス」であること、さらに今年が再咲60周年であることを知り、
やや感動してしまいます。

さらに調べると、毎朝「早朝」に一斉に咲き、夕方までには閉店!
朝7〜8時頃が「見頃」という情報を得ます。
よ〜し明日は天気も良さそうだから7時までに出掛けてみよう!

やや興奮して朝6時前には目覚めてしまいます。
すこし早いかな?と思いながらもお堀に着きますが
なんだか前日と様子が違います。
見事にまだ開店前状態らしく、花は固く身を閉ざす青い蕾な状態。
おいまだ寝てんのかよ、ネボスケだなあ!
それから待つこと2時間、既に8時を過ぎてもやや身を弛めたか?な程度。
普段は温厚なはずのワタシながら、さすがに少しキレかけます。

「おい大賀君たち! いつまで寝とんのやー!」

というわけで写真は、一度帰宅して朝食をとり、お昼前にもう一度訪れた時のもの。

しかしながら、ナンノカンノと言いつつも
サクラからツツジ、そしてハスの花と千秋公園は偉大なりでありますね。

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オトナがもっとしっかりしないと!

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小学生サッカーチームの市内リーグ戦らしいが、
対戦チームもスコアも時間表示板もない第2競技場(八橋陸も時計見えない)で
どう観戦しろ!というのだろうか?

確かにここは35年前もスコアボードすらなかったが、
よもや長い年月そのまんまとは…。
あまり批判はしたくはないが、フットボールを志す子供たちにとって

ここは生まれて初めての晴れ舞台に違いない。

それがおそらくはオトナの陳腐な都合の
いい加減な有様ではやはりかわいそうだ。

隣の球技場が芝仕様になって養生やら管理やらで
頻繁に開放できなくなった以上、この競技場の存在は重要になる。
役所はオトナとして子供に情けない思いをさせるような雑な仕事はするな!
もっと気をつけてしゃきっと仕事しろ!と言いたい。

さてサッカー大会の方であるね。
友人が武蔵野市の少年チームのコーチをしてることもあって
東京在住時には頻繁に少年サッカーを観戦していた。
正直に言ってしまえば秋田のレベルはまだまだというところだろう。

というか今ドキ「子供に土のピッチで公式試合させるセンス」というのに驚いた。
ふと見ると隣の芝ではオトナが練習していたが、芝のピッチこそ子供のためのものだ。
それが、少なくても私には

「ワラシに天然芝なんてもったいない、あれはオトナが使うものさ」

という明らかに間違った論理が垣間見える。
こういう大人側の感覚をまずなんとか改善しないと、いつまでも
「レベルはまだまだ」のままだろう。
ワタシがチームか大会関係者なら、断固たる態度で役人側とクビ絞め合っても(?)
子供たちには常時天然芝で競技させたい。
それがオトナのツトメだし義務だと思う。

コーチたちが熱心なのは分かるけど、今の時代、子供に公式戦を土の上でやらせる
センスこそナンセンス。川淵三郎氏が敷いたJの理念はこの地では全く生きてない
と恥じるべきで、まずそこを改革しないと「秋田サッカーの夜明け」は
相当遠いと思うのだ。

失われたルート探索

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ふじの見頃というのがいかなる状態なのかよくわからないのですが、
取りあえず千秋公園二の丸のふじ棚はこんないい感じ(!?)でした。



ちなみにどうでもいい情報ながら、幼稚園では「ふじ組」。
スクールバスで少し離れた茨島までの通園でした。

幼稚園で何してすごしていたか?
何しろ約半世紀前につき全然思い出せませんが、
昼食後の「お昼寝」が一番イヤだったことだけはよく覚えています。
ただどうしても気になるのはスクールバスの道順。
わずかな記憶では、窓外の景色というより、
停車地のアナウンス(当然車掌さんがいたのでしょう)をよく覚えています。
人間最後に頼りになるのは目よりも耳ですかね。

バクロウマチ、ノボリマチ、ツキジシモチョウ、ユウラクチョウ、ドテナガマチ…
始発かどうか分からないですが私が乗り込むのがマルトヨ前=今の金萬ボウル。
市民市場はまだ現在地にはなく、
そこは秋田高校(当時は南高だったかもしれません)のグランド。
NTTの土手は同校野球場でした。道幅は今より狭かったと思います。

マルトヨ前で乗り降りするということは左車線ですから
バスは中央通り方向を向いていたことになります。
当然中央通りも広小路もまだ一歩通行ではありませんから、
おそらくは中央通りを土手長町方向に進み
左折して有楽町→登町で右側の橋を渡り旭南→56号から
茨島交差点を右に少しいくと到着でした。

実に単純な道順なんですが、長いことこのルートが自分にとって大きな謎だったんです。
Google地図を見てもよくわからず、
今回実際に自転車走行してみて初めてきちんと理解できたわけです。

実はそのまた少し前くらいに祖母の家というのが「泉」というところにあって、
秋田工業高の裏門に当たるのかどうなのか?踏切を渡り、
線路沿いに秋田駅側に少し戻ったところ…という所までは記憶にあり
周囲に家もまだ点々という感じの頃、家の横には農業用水か、
はてまた下水か?堰が通っていて夏はホタルがきれいだったなどの想い出はあります。

ところがもはやこの辺りは宅地が密集しており、
曖昧だった道も全て宅地に塞がれ、もはや見当さえつかない状況。
母親に聞くも当人も50年前の記憶は曖昧で、
あれは自由人のオバアちゃんが自分個人住まい用に50万円で買ったオウチ、
そんな金額で一戸建てが買えてた時代だったんだねえ.....。

っと、今日はトリトメナイ話で失礼しました。いつもか……

充実と後悔のママチャリひとり旅

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あまりにもいいお天気なんで、調子こいて
「藤倉までいくぞ!もちろん得意のママチャリで!」

しかし道中何度後悔したことか! 
疲れるというより自転車を漕ぐという行為そのものに飽きるのね!

実は生前の父と何度か自転車で藤倉ダム辺りまで行き、
そこから山に入って山菜採り帯同なんて記憶があるので、子供の自分はさておき、
父もチャリであの辺りまで楽々行けてたのだから…という対抗心ではないけれど、
別に不自然じゃない距離?という自負で実行したアサハカな私。

道中不意に思い返す.....
あれ、自分が小学生の頃だから父もまだ若くて30代かよ!?
なんだよ親父若いじゃないか!ズルいよ俺もう50過ぎだよ!!
と何度も後悔の念をブツブツとつぶやきながら、
ヨモギデンもとっくに越えたし、この辺でもう十分だろ、引き返そうか?
いやチャリを放棄してバスに乗り込むって手もあるぞ!
帰りが大変だから早めに決めないと。
ああ取りあえずどっかでヒトヤスミしたい

珈琲飲みたい…って、この辺にあるわけないよなあやっぱ。

などと逃げることばかり考えます。
そして遂に最大危惧のいよいよ山間部、
長くて深い上り坂が眼前に広がりますと、
情けなくもあっさりと「ハイこれまで!」とリタイヤ!

遥か後方に見えていた中央交通バスに乗車すると、なんと呆気なくもすぐ到着。
まあよくやった自分、えらいよ自分!と虚しくつぶやきながら
超晴天の40数年ぶりの藤倉ダムの爽快なお姿でありました。
いやはやなんだか.....ま、ジカヨーシャな人には分かるまいぞ!

メシ写デビュー!

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デジイチ写真キャリア半年の私と、さてこれから入門するぞ!という友人の
煮ても焼いても食えない「トーシロ中高年コンビ」が 居酒屋で
「さあ、目の前の海鮮サラダをいかに旨そうに、かつエロチックに撮るか!?
それを今夜はじっくり話し合おう!」
と恐らくナミイル写真家ブロガーの諸先輩方には殴られそうな
笑止千万な閑人トークでありましょうが、
トーシロで怖いもの知らずな我らは多いに盛り上がるの図であります。

嘘も隠しもないこの「海鮮サラダ」が、私の「メシ写」デビューの
まさにその記念すべきファーストショットなのであります。

思えばカネテから「メシ写」をなんとか撮りたい!と願っていたにも関わらず、
まず「メシ」を前にすると、カメラも何もかも忘れ去り、
まずは「食い気」に走ってしまう愚かさで、
大概食ってしまってから「あっ…いけね…まっいいか…」な情けない自分。

またいざ豪華(そうな)料理を前にして珍しく写真を撮ることを意識しても、
何とはなしに店主さんに了解を得られるような空気でもなく、
仮に自分が隣席にいて横でカシャカシャやられたらさぞや気分を害するだろうなあ、
などと考え始めると、もはや鞄からカメラを出すことすら憚られてしまう
やっぱり情けない自分に相違ないわけです。

実は10数年前か、家人の先祖に明治の元勲な傑物がいて、
その青山霊園墓参のおりに、墓所・墓石の裏に「和歌」のような
刻印を発見し、写書するのもなかなかに長文…というので写真に撮っていたら、
突然、墓所の横を歩いていた人の怒声に驚きます
「お前ら何やってるんだ、死ぬぞ!、お前らじゃなくても縁者がすぐ死ぬぞ!」
と言われます。

そのときは何のことか分からず、怒声の人もいつの間にかいなくなっていて、
きっと(洗うためとはいえ)土足で墓石に上がっていたから?
勝手に墓石の周りの草を刈ったり、倒れた灯籠などを直してしまったから?
などと思っていたのですが、その夜、家人が突然高熱を出しうなされている中で
これも突然に「お願いだがら、あのカメラ処分して!、誰だか知らないけれど
写真撮ったこと怒ってる!」と言いますので、
カメラ(安物)ごと塩を降って捨てますと、家人の熱も無事に下がります。

で、実は後日談もありますが、それはまたの機会に。
いずれにせよそれ以来私は神社仏閣全般、特に墓地・墓所の類いは絶対に撮らない!
と心に決めておりますが、
もちろん皆様にそれを進言しお奨めするものでは一切ありませんので、あしからず。

いつの間にか秋田に馴染んできた?

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中学生時代を思い起こせば、なんと忙しかったのだろうかと思う。
日曜も夏休みも生活の中心に部活があり、
さらに週に何日かは塾にも通っていた。

洋楽好きで毎晩深夜までラジオ三昧の日々にギターまで始めて、
これはこれで相当入れこんで練習した。
高校に無事入学できたらエレキを持って、髪を伸ばしてバンドやるぞ!
ハードロックだぜ、ツェッペリンだぜ、グランドファンクだぜ!

なんていいながら、何故だかクラスにある花瓶やら、
窓ガラスなどをやたらに破壊しまくる…
通信簿には「サッカーやって発散してる割にはまだ充分ではなくエネルギー
が有り余ってるようで、悪意がないまま、ただ動くだけで周りのものを
破壊する状態にあるようです…」と評され、
家で苦笑していたら食卓のテーブルクロスを何かの拍子で引っぱったようで……
ガッシャーンって。
まあそんな元気な(?)中学時代だった。

皆さんそうだと思うが、その頃覚えた唄の歌詞は忘れず未だそらんじれる。
ビートルズはほぼ全部、サイモンとガーファンクル、エルトンジョン、シカゴ….
この凄まじい記憶力を勉学方向に発揮できれば良かったのが、
そううまくはいかないのも人生というものだ。

ところで島状記憶喪失症というのがあるらしいが、
故郷秋田にいると実際に35年暮らした東京での生活がさっぱり思い出せず、
島どころか人生の大半を失いそうになる危うさを、時折感じることがある。
電話で東京にいる家人と話している時なども、
ふと東京での自分は別人格の自分??と思うことがあるし、
実際、東京ではしかめっ面でほとんど怒りながら街を歩いていた記憶しかないのだ。

柔和に?穏やかな気分で東京を歩けば、気持ちは変わるだろうか?
今秋田にいるみたいに。

エゴイスト イン ヤバセ!

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本日は向浜方面の円形スタジアムでは
何やら酒臭いオヤジ1万8千人ほどを集めて
「国内最高水準」の競技が行われ、寒い中、
巨大ビアガーデン状態に文字通り酔いしれたらしいですが、
こちら八橋運動公園メインスタジアムでは、
まさに「世界最高水準(に近い)」競技が行われ、
観客はホンの少しだけ足りない「3千人」ながら(…)
明日の財産である子供達中心でヤンヤと盛り上がった次第…。

昨年ドイツW杯でも個人的ながら、当初から大注目は、
今日も日テレベレーザ「13番」を付け2得点の活躍を見せた
「岩渕真奈選手」であり、老骨に鞭打って応援しておりました!

少し前までの「天才ドリブラー」「エゴイスト」の片鱗は今はあまりないものの、
裏をつく速さ、サッカーセンスはやはり群を抜いており、
ドイツでも天才少女としてメディアに取り上げられ注目されただけはあります。
ただ評価が高すぎたために研究され尽くされ、
結果ドイツ戦では、ガタイのでかいドイツ選手にカラダを当てられ、
そのまま体重をかけられてはもはやどうしようなく、
その後、やっと日本の人々が注目し始めた準決勝、決勝では
彼女に変わって出場するようになった「川澄選手」にヒロインの座を奪われ、
以後怪我もあったらしいですが、代表にすら呼ばれず、
このままでは大天才の五輪選出も微妙、嘆かわしいことです。

今や押しも押されぬスーパースター香川真司選手は、
仙台のみやぎバルセロナユース時代、
監督の意思で「お行儀の良いパサータイプ」ではなく、
徹底的に独りの力で情況を打開できるエゴイスト!
という趣旨のもと育成されたそうです。

長いこと「ドリブラー」はチームの和を乱す「エゴイスト」として
大人たちに忌み嫌われ、個性を潰され、
その結果「得点力不足」「絶対的ストライカー不在」な日本代表に
我々はどれだけ長いこと付き合わされたことか!
香川選手はストライカーではないものの、このエゴイスト魂は今や
ドイツ・ブンデスリーガにも、
これから移籍するであろうプレミアのトップチームにも、
そして我らが代表にも、今や大事な「宝」であるわけです。

以前「岩渕選手」を特集した番組がありました。
チームで彼女はなぜだかサイドバックとかボランチなどの
パスの供給側をやらされて苦悩していました。
指導者いわく、天才ドリブラーとしてのスキルは誰もが認めるが、
自分一人でサッカーは成立しない、
もっと周りを見てパスを出すことを覚えないと・・

なんだかずーっと大昔から聞きあきた、至極真っ当な教育論ですが??
まあチームにはチームの事情があるとして・・・ああ、でもやっぱり納得出来ない!!
とにかく岩渕頑張れ!!って気持のうちに、なでしこジャパンはみるみるうちに優勝し、
選手はスターダムにのし上がるものの、
岩渕選手は周囲の思惑に翻弄され中途半端なまま
その波に取り残されてるみたいで気の毒でもあるわけです。

さあ五輪代表、どうなるんでしょうね。




ミソッカスの魂…

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自分自身を邂逅するに、
子供の頃から仲間とワイワイやってるのが好きな子だったのだろう。
だから団体競技にばかり憧れ、また目指していたように思う。

記憶を辿れば音楽もしかりで、
親の趣味でピアノを習わされていたけれど、イヤでイヤで仕方ない。
それなのになぜだか器楽部や合唱部に志願!
オーディション(?)に率先して参加、どちらも見事に落とされている。

今にして思えば「部」といってもどちらも音楽教師による選抜チームであり、
あらかじめ教師のお眼鏡に叶うエリートな子たちだけによるコンクール目的の集まり。
ハナから門戸を広げるつもりはないが「部」と称する以上
表面的に「募集」も致し方ない…という大人の事情など知らないから、
受けては落ち…の連続。自らの才能の欠如を大いに嘆くに至る。

野球部、サッカー部も然り。
誰でも入れるサッカークラブ、野球クラブというのもあるが、
何故か「部」はまたしても大会目的の選抜制。
「やりたいのならクラブへ!」というのが学校側のスタンス。

やがてそんな閉塞状況も中学に入ると一気に解放され、
私は迷わずというか、あまり深く考えずにサッカー部に入部する。
チームはその時点で前年度全県優勝の強豪。

それもそのはずで、当時、周辺4つの小学校卒業生で構成される中学校だが、
その4校が実は覇権?を狙って切磋琢磨するライバル校であり、
4校対抗サッカーリーグというのもある!
つまり中学サッカー部には、その小学4校リーグでシノギを削ってきた
選抜エリート達のほぼ全員が集結する「サッカー部」であるわけで、
そこに小学時代から選抜「落ちまくり」の私が混じることは、
これはどうみても補欠というかミソッカス決定!という図式を
入部したその日に自覚するというお馬鹿な情況。

ところが「ナニクソ魂?」も相当強いらしく、来る日も来る日も日暮れまで
近所の公園での個人練習と、当時飼っていた秋田犬の朝晩の散歩という名の
ジョギングが功を奏したか、2年の新人戦までには間に合い
「レギュラー選手」になるわけだから世の中わからない。

さらに小学5年にして音楽的才能の欠如を
音楽教師(実は尊敬していた先生)に突きつけられるのだが、
なぜだか20歳の時には半分学生のバイト的とはいえ、
音楽家と呼ばれる職業に就き、短い期間ながら今でも時々聴こえてくる
歌のいくつかのレコーディングに関わり、21歳頃の稚拙なギターフレーズが
未だに気恥ずかしい、まあ人生なんて何がどう転ぶかわからないわけだ。

考えてみれば音楽もサッカーも団体競技だけれど、
個人のスキルを上げるためには孤独で地道な積み上げが必要なわけで、
その自身の根深いところの暗さを子供の頃から自覚していたからこそ団体を欲した!?
なんて深層心理を分析したところで、
さて一体今後の人生の何に役立つのか分からないまま
結局終ってゆくのかなあなどと思ったりするわけで、
総括的自己分析なんて実は永遠に謎で厄介、
臨終直前にしかと理解できないのだろうなあと
改めて思う今日この頃であったりするわけです。

曖昧な記憶

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おいおい、どこに焦点合ってるんだ?単なるピンぼけ???



むかしむかしの大昔、我が実家(現在と同地)にも猫のヒタイほどの庭があった頃、
春にはツツジ、秋はコスモスが咲き乱れ、
傍らで母はタライでザブザブとお洗濯!
父は縁側で釣り道具の手入れ、
なんていう光景は、もはや遠い遠い昭和30年代の記憶の一断片でしかないのだけれど、
実にその遠く古い記憶以来の「ツツジ見物」かもしれないなあと、
少なくともマジマジとツツジを見るのはそんな頃以来か?と思ってたら、
どうも小学生くらいにツツジの甘い蜜をチュウチュウと吸った記憶が思い出され、
いきなり混乱におちいる情けなくも曖昧な中高年を露呈するわけです。

取り敢えず今回その「チュウチュウ」はちょっと憚られて出来ませんでしたけどね!。

40数年ぶりの千秋公園行脚も何となく一周りというのか
1年経とうとしているわけだけれど、
何となくね、自分の記憶が盛り込み過ぎなのか実際にどうなのかわからないのだけれど、
桜もツツジも秋のモミジも何となく本数少なくなってる気がして

「こんなもんだったっけ?」ってね…

昔のまたあてにならない中高年のたわいない記憶で恐縮ながら、
もはや量的に圧倒されるということがなくなっていて、
足りないのはそれはそれで儚げで悪くはないのだけれど、
なんだか印象が異なるのは気のせいだろうか? 

ソメイヨシノの寿命は60年くらい、って聞いたことがあるけれど、
確かに千秋公園には我々が子供の頃でさえ古木が多くて、
いやそんなの既に植え替えてる!ったってあれから40数年…
公園維持って難しいんだろうね。

国際救助隊秋田空き地秘密基地

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少し周囲と隔絶された場所や、使われてないと思しき作業小屋、倉庫などは
我々昭和の子らにはカッコウの秘密基地となるのだが、
当然最後は持ち主に大目玉を食らい、
ションボリ+スゴスゴと、集結させた「武器」を片付け退去するのだった。




以前も書いたが、正確に言えば私はウルトラ世代ではない。
では正確に言えばどうなるかというと、
秋田県特有=ウルトラQもウルトラマンも漫画雑誌などの紙メディア、
またはレコード(ソノシート)による音メディアのみによるウルトラ世代であり、
TV動画に関して言えば、
ABS秋田放送で再放送的な初回放送を観た時点で実は相当冷めていたし、
敢えてその時の感想を言えば

「失望した」
に違いない世代である。

これはABSの遅すぎる対応のせいばかりではない。
既に「サンダーバード」の驚愕のディテールを経験していたから、
円谷プロのは、もはや子どももだまされない子供だましでしかなかったから、
同世代がみんなウルトラに熱狂したという社会風刺は正確ではないのだ。

円谷製ウルトラがシリーズとして引き継がれ、
予想だにしないファミリー構成というかサーガに発展したのは、
それから10年も経った70年代後半のことであり、
そこは我々世代は全く預かり知らぬところの世界観であるのだ。

で、決定的な影響を我々世代に与えたサンダーバードは、
確かNHKで日曜の夕方6時の放送だったと思う
(6時5分だったかもしれないがそのあたりはご勘弁)。
少なくとも我々の小学校のクラス内では誰もがサンダーバードに驚き熱狂した!

ところが世間的には(特に漫画雑誌など)当初さほど盛り上がらず、
あろうことか所詮「人形劇」と馬鹿にされる風潮まであったのだ。

で、もうお気づきの諸兄もおられると思う。
秋田以外では日曜6時といえば、ウルトラQ、ウルトラマンの放送、
つまりサンダーバードとウルトラマンは裏表のカブリであったのだ。

その後、我々が時差でウルトラマンを観たのと同様に
「全国のお友達!」も再放送でサンダーバードを初めて見るに至るわけで、
しかるにサンダーバード指数は秋田だけ異常に高い!
……のではないか??と推察されるわけだ。エヘン!?

棄てられないものもあるのだ。

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Apple PowerBook2400c_180→(+G3/400Mhz/USB改)
通称コメットです。
1997年発売ながらApple社の公式カタログ/社史にすら載ってない「珍品」です。

私は未だに所有しており、まだまだMacOS8.6ながら快調に動作しています!
もちろん今では滅多に開くこともないのですが、
たまに電源を投入すると前職時代にイラストレータやフォトショップを駆使して
相当頑張って作った無数の広告原稿だの企画書(プレゼンシート)だのを
眺めることができて感傷的になったりもします。

しかもイラストレータなどは古いバージョンながら、
今のインテルベースのマックでの同ソフトよりキビキビと軽快に動く姿は
驚きでもあるわけです(Adobe系の画像処理ソフトはアップグレードのたびに
”無駄に”ドスンと重くなるのはどういうわけだろうか?)。

ところで「珍品」たるこのApple初のB5サブノートは
日本向けに公式にジョナサン・アイヴによって設計されたものの
まだサブノート製造の実績のなかったApple社はIBM日本法人に製造委託し
IBM藤沢工場で100%製造された純国産モデル。
販売も日本のみ!(後に米国発売するも失敗=小さすぎる!?)。
そういうわけでどことなくThink Padの香りが漂うモデル。

結局私はこの「作品!」の改造など諸々で
後に100万はゆうに費すハメになるわけです。

その原因は、追放されていたはずのS.ジョブスがApple社CEOに突如返り咲いたことで
彼はこの「珍奇な最後の旧世代モデル」をあっさりと切り捨て、
次世代モデル「iMac」などへ完全シフトしてしまい、
2400のサポートなどはサードパーティが負うことになり、
結果私は無駄に大金を投じることになるわけです。

いずれにせよ、結果的にとは言え、
後にも先にもこれほど愛情を注いだコンピュータは他にないわけです。

以下その概要:
1.三度に渡るG3プロセッサーの換装。240-330-400MHz…
 (その後プロセッサ業者2社とも倒産で新たな伸張の夢は閉ざされます)

2.ハードディスク換装=といっても今と違って内部は超密集状態の3階建!
 内部基盤を全部外し、ほとんど分解状態でやっとHDDにアクセスという難工事。

3.メモリ拡張=Apple公式には最大64MBのはずが、実はちょっとした内部改造で
 最大128MBまで拡張可能との裏情報を信じきって拡張工事。

4.USBの使用(カードバス化改造)なんと時限爆弾の解除のような赤いリード線を
 ニッパでちょきんとカットするだけでUSBカードが使用可になる!
 =3と同様IBMによる隠し拡張機能(APPLEに要求されてない隠し機能が実は
 多数満載されていた)。

5.その他、当時流行の透明キーボード換装、LANカード換装、
 暗くなりかけた液晶画面の裏側蛍光管の換装、
 さまざまな冷却台などなど多数。

 さすがに塗装までしなかったけれど、カッティングシートを張っては剥がし
 時にはメタリックシルバー、ワインレッド、純白等々着せ替えですな。
 また純正の牛革バッグ(確か6万くらい)なんてのも
 惜しげもなく購入していた。

どうです、棄てられないでしょ!?

宴のあととローカルテレビ

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春の積雪??宴の後の寂しさ...まっこれも桜まつりのほろ苦い一部なんだろね。

夕方のテレビニュースを観ていて気になるのが、
秋田ローカルからキー局に切り替わる時に、

『次は東京から~』という部分。

トーキョーって言い方に、なんとなく卑屈なサウンドが聴こえてしまうのは私だけ??
どうせなら『次はお台場から』『六本木(または六本木ヒルズから)』
『汐留から』の方がポップでラジカル、
隷属的な大人の事情を感じなくて済むというものだ。

ついでにこちらも「ハ~イ八橋からだよウフッ❤」とか「山王大通りからだすよ」
「臨海バイパススタジオから、いつものようにまずは向浜の夕日をお楽しみください!」
の方が(口調は別にして)キー局とも目線と肩の線が同じで心地よいと思うんだが、
今のままではなんかキー局にオモネッてる感じがちょこッと不快かな。
「こちら八橋は田五郎スタジオだす!」なんて最高だすだす!

ローカル番組って基本大好きなんだが、散歩家(?)として云わせてもらえば、
クルマでピンポイント移動して、目的地ではタイアップでごっつぁんするような
バブル期の「東京キー局的」で雑な制作態度が目に付くが、それでは全然ダメダメ!
ローカル局はローカルならでは!きちんと歩いて、風景をじっくり写しだすべし。

「あーそこそこ、あそこの隣がオラのウチ!・・・って
カットされていきなり目的地到着かよ!」ってのはNG。
きちんと歩いて道程をきめ細かく示すべし!時間なんていくらでもあるじゃない!。

しかしどうもみんな東京の前時代的なヤラシイ部分を模倣してるようで情けないのだ。
東京だってローカル番組として良質な「ちい散歩」「ぶらり途中下車の旅」もあれば
「アド街ック天国」もある。

秋田を題材に秋田の人向けにゴージャスな
「いい旅・夢気分」的な「露天風呂が気持ちいい!」は要らないし、
豪華な料理の描写ももはや必要ないと思うが、なんだかね!

普通に「ジックリのんびり牛島!果たして牛島のどこに牛は居るのか!」
「早起きして手形山にマッタリと登ってみる!」
「イノベーション!男鹿から漁船に乗って巨大マグロを捜す!」

成果はともかくも…その汗と涙が感動を呼ぶわけで、
オラがたどうせローカル局だからそこまでやらなくても!っていう
甘えたお役人体質がどうも透けて見えるんだね。
もうそんな楽できるご時世ではないよ、秋田のテレビマン君達!

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