ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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がんばれ老舗!

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ここの屋上の、向かって左側に巨大な観覧車があって、
右側塔階のピークには巨大なネオン看板が乗っかる
ある意味、美しいシンメトリック構造を成していた。

さらに奥にはメリーゴーランドがあり、
詳しくは覚えてないが思いのほか広々としていて、
サマザマな遊園施設があった。
あえて云えばジェットコースターがなかったのが子供なりに不満ではあったが、
お猿の電車はあったように記憶している。
もしかしたら千秋公園内の動物園のモノと混同してるのかもしれないが...

見た通りの、たった3階建の屋上ながら、
ここから秋田市全体が見渡せるほど町全体が低かったんだろうが、
活気のある、なにより誇れる街だった。

私らの幼少時代こそ、親達は「買い物は何が何でもココでなければならぬ!」
という風潮が、いわば正しい秋田人の作法でもあったが、
だんだん他に県外資本のスーパーや安売り屋が近所にたくさん出来て、
親達はバツワルそうに「あそこには盆暮れの進物品を選びに必ず行くのだから…」
と云って普段あまり連れて行ってもらえなくなったように思う。

小2の時、私はココの前の路上でクルマにはねられた!
正確に云えば急ブレーキで停車したクルマの前で転んだ!が正解。
世は自家用車の急増にインフラ整備、法整備が追いつかず
「交通戦争時代」などと連日叫ばれていて、
私はなんだかこりゃ時代の先端?とちょっと嬉しかったりした。
学校でも包帯姿は一日だけだがスター扱いだから、
元来お調子者の私は「ミイラオトコ〜」なんてやってたんだろうと思う。

そうそう隣の高層マンションのあたりには恊働社だっけ、基本靴屋さんだけど、
いわゆる今では当たり前のファッション系テナント集合型の総合ショッピングセンター。
ここの階段の踊り場っていうか、その天井側にガラス張りの小部屋を作り
ABSラジオのサテライトスタジオという、今で云えばDJブースみたいのがあって、
日曜午後に公開生放送をやってた。
実際にはあまりにも密閉度の高いブース式にしちゃったせいで、
折角のお客さんとの交流が計れず、放送も一方通行でサテライトの意味なく、
結果失敗だったように….実際はどうだか知らないが、
少なくても当時のヒネタ地元小学生は感じていた。

スカイツリーが華々しくデビューしてもなお、オールドファンには東京タワーを
愛でる風潮があるようで、私も東京タワーの方が好き。
近所になにやら派手な施設が出来るようだけど、なんとか今一度、
このかけがえのない老舗には、奮起を願いたい!。

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謎の言葉=げらえもん

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お江戸方面の内輪から「駄文はいいからガクアジサイをもっと見せろ!」
との乱暴なリクエストあり、ならばまとめてどうだ!
と言うわけで使い回し失礼。
確かVivid Colorというカメラ設定。トリップしそうな色合い…いや独り言まんもす。



使い回しついでに「秋田弁云々」の補足。
のんびり、おっとり、まったりの梨園のようにお上品な小学生時代から
中学に上がると、そこは聞いたことがないような濁音が飛び交うワイルドな世界だった!

まず驚いたのが、秋田市最北から通勤しているという、
そのエリアに際立って多い「H」という姓の担任。
騒がしい教室にのっそり登場した当時40歳前後、
時代劇に出てくる悪代官のような風体、
全身から強烈に発する煙草臭、多少充血気味のギョロッとした鋭い目で生徒を睨み、
酒臭い息で吐いた彼の第一声をワタシは終生忘れないだろう。

「わめぐな、げらえもん!」

おそらくまだ「ドラえもん」すら存在してない世の中ながら、
この意味不明な単語以上の衝撃と破壊力を持った言葉をワタシは知らない!
生徒が瞬時に凍りついたのは言うまでもない。

実際にこのWORDを「H先生」以外から聞いた事がないから、
当人オリジナルかもしれないし、秋田市北部の局所的な言葉かもしれない。
案外「ドラえもん」の語源かもしれない。

そういえば全く同じ頃「白毛鳥」というキーワードが手形界隈で
特に意味なく何かの「しるし」のようにもてはやされた時期がある。
当初「ハクモウチョウ?」などと読んでいたから意味が分からなかったのだが、
「シラケドリ」と読み、秋田大学あたりではお馴染みの「歌」も既に唄われていた。
それが源泉となって後の時代の全国的な「ギャグ」としてヒットするのは
有名な話でありますね。

秋田経済発展のキーワードは
食料→中国、ロシア、半島であると固く信じているけれど
(代価としてレアメタルなどの鉱物資源を独占輸入し県内で精製して国内で売れば良い)
それ以外に「インパクトのある言葉」も候補に入れたくなった。

初ヤートセですが....

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今回はわざわざ「ガクアジサイ」めがけて千秋公園へ!
実はかつての勤務先が30年前からオーストリアのスワロフスキー社と取引していて、
ワタシはグラスビーズに関しては見かけに寄らず詳しいんです!
しかも職人さんに対しての駄目出しも相当うるさがられてました。
そうしたわけで作り物ではないのになぜだか懐かしい気持ちにさせられました。




二日続きで「ヤートセ秋田祭」魅せていただきました。
実はかつて偶然出張先などでの「よさこい系祭」をいくつか目撃してますし、
都内でもあちこちの町で規模の大小はあれど「非宗教系、新時代の地域祭」として
年々盛り上がりを見せているようです。

私にとっても本来必然となるはずの「ヤートセ」ですが、
なんと今回が初見でありました。
もちろん在京時代から、秋田の皆さんのブログなどを通して
数年前から盛況な様子は承知していたので楽しみにしておりましたし、
期待以上に出演者の方々のレベルの高さに驚かされました。

が….気になったことがいくつか….。

あくまでも感覚として、
大町の、いわば「廃墟跡」をメイン会場とするのはいかがなものか?
なぜ「通町」をメインとせず会場を分散させているのか?
しかも廃墟跡(再三失礼)には照明設備もなく沈鬱な節電ムード。

あくまでも「イベント」ではなく「フェスティバル」とするなら、
きちんとした管理の上での焚火や松明があってしかるべきなのに、
ここでも消防的に許可がおりないとか責任者不在(許認可側の役人の資質)とか、
つまらない事情があるのでしょうか?

廃墟跡でやる意味とはそうゆう火の取扱とか、
ストリートとは違う広場の特性を生かし、
舞台や客席の外周を露店が囲い、相乗的な盛上がリ狙いしかないでしょう。
露店はかわいそうに出し物とはまるで別会場のような位置関係に追いやられ、
寒々としていましたね。

さて通町も街の取り組みはイマイチ地味のように私には写りました。

東京に巣鴨地蔵通商店街というのがあり、
そこでは毎4の日、つまり4日、14日、24日が巣鴨地蔵(高岩寺)の縁日にあたり、
商店街の既存店の軒先に夥しい数の露天商が並びます。
しかし地元では商店も露天も揉める事なくきちんと折り合いを付け
マイナス面も少なからずありますが、
まずは縁日を盛り上げることを第一にとメイメイ努力しています。
そう言う諸々とか覚悟が、印象として通町には希薄だなあと感じました。

商店街でやるならその為の環境づくり(進行が過密過ぎますね)
廃墟跡なら広さを生かした環境作りから再構築しないと
出演者さん達のがんばりと熱意だけに頼ったイビツなイベントで終わってしまいます。

秋田には竿燈という成熟したフェスティバルがあるのですから、
ぜひヤートセ秋田祭も環境を再構築して、より良いものへ成長を願います。

いつの間にか汚れてしまった男子必見のプラ模型&ジオラマ展

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プラモデル制作歴50年以上という秋田市在住の越前谷潔さんが開く
戦闘機や戦車の模型やジオラマなど、資料を調査して制作したプラモデル作品の展示会。
@「むつみ造園展示ホール」(秋田市山王5)6月24日まで。

※上の写真は展示されている中で恐らく最も地味な場面の一枚
(越前谷さんごめんなさい)。
小さなフィギャアながら、この哀愁に満ちた背中に目を奪われ、深く感動しました。

ジオラマは、小さなスぺースに様々なドラマが散りばめられていて、
非常に良く出来た脚本の映画(舞台か?)を観ているようで
時間を忘れ、感動で目ガシラが熱くさえなります(ホントです)。
かなりおススメです(入場無料/写真撮影も(一言あれば)OKだそうです)

昔は(広い範囲の)駅前エリアだけでも、相当な数の模型店があって、
それぞれ店の威信を掛けて素晴らしい完成度のプラモデルやジオラマを
店頭ショーケースにディスプレーしていて、
我々子供は、汚い手で硝子をベタベタ触りながら、
時には青っパナを擦り付けるようにそれらを凝視し、
「いつか、こんなスッゲージオラマ作りたいものだ。早く大人になりたいなあ」
なんて誰でも思った事だろう。

それが大人になるにつれ、他の短絡的で退廃的な楽しいものに興じ、
プラモもジオラマも忘れてしまい、
ふと気がつけば歌舞伎町か川反あたりで

「フッ…なんてキタネエオトナになっちまったんだ俺は...」

なんて自嘲する瞬間も、誰にも経験あると思います。
それだけに子供の頃からずっと「作り続けてきた!」なんて
尊敬を通り越して憧れてしまいます。
いやはや素晴らしい。

ああ人生もう一度初期化して再起動出来ないものでしょうか!!

Bonus Shot...これも気になる作品です。素晴らしい!
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気の早い紫陽花と秋田弁

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一般的に「紫陽花」といえば入梅時期の6月上旬〜中旬というところ
だろうと思うのだけれど、秋田では7月中旬頃が見頃なんだそうな。
しかし気の早い私が、やはりセッカチな千秋公園の紫陽花を見つけてしまったの図。
「おいおいまだ早いぜ!こらこら急くなよ、
 雨上がりだからって、おい写真撮るなってば!」
という感じが微妙にウシロメタかったりする。
ちなみに…あ〜良さげなマクロレンズ欲し…。




私は両親が秋田弁使いではなかったからか、
秋田生まれの秋田育ちだが情けないほど秋田弁が不心得である。
小学校時代も地域的なものだろうが県外から赴任してきている子弟が多く、
ほとんど秋田弁を使った記憶がない。
それが中学に入った瞬間、意味不明言語の嵐になった。

まず入部したサッカー部からして
敬語は全て語尾(文末)に[ッス]または[ダス]をつける。
つまり...

Hello=オィッス! 
Yes=ウィッスまたはンダス!
No=ンデネスorスタゴドネス!

ほとんどこれだけで部活のコミュニケーションは成り立つわけだから、
効率的と言えばその通りでもあるのだが、
自分的にはわりと最後まで抵抗があったと思う。

高校に入るとますますエキスパート言語としての深度を増すが、
上級生にカラマレてもそもそも言ってる意味が分からないから、
あわよくばカツアゲしようと意図してるのだろうが、
会話すら成立せず先方があきらめる!という展開も幾度かあったように思う。

なにかされて咄嗟に
「やめろよバカやろう」とか言うと
「バカヤロだあ?じゃあオメエはソンタ二さかしのげ!」
「坂?、凌げ?、なに??」という感じ。

まあそんなだから上京後は一切苦労せず、
ほぼ共通語ネイティブスピーカー!?と自負していたが、
ただ一度私が発した「お国言葉」で大笑いされたことがある。
実はその時までこれが「方言」とは自覚していなかったのだ。

「おい、そこのゴミ投げろよ!」

一瞬その場の空気が凍り付き、
次にゴミを拾ったやつが私に向かってそれを投げつけようとし、
爆笑が起きたのだ。
「もしかして棄てろ!ってこと??」
「投げる!なんてさあ乱暴だね君は」
「なんだよ案外お茶目じゃんかあ」
私は顔から火が出るほど恥ずかしかったのだが、
周りとの距離感が一気に縮まった瞬間でもあったわけです。

マイ・ヒーロー列伝・その1

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サッカーを始めた頃には 
それが世界ではウルトラメジャーな競技であるなんて知らないし、
現実に自分らを含む秋田市中学サッカーリーグには、
たった5校(東・西・北・山・土)しかエントリーしてないから
随分とこじんまりした競技なんだなあ…と正直思っていた。
(全県大会でも結局最大のライバルは河辺中だったりする)

しかし同じ年の6月、奇しくも最後のペレ率いるブラジルが優勝した
ワ−ルドカップメキシコ大会が開催されたことで、事態はいきなり進展する。
もちろんメキシコから生中継というのはさすがに無くて、
かなりの時差の後、録画でチョロチョロとNHKで放送された程度。

中学1年で、ただひたすら毎日走って…球拾いして…
それだけのボンヤリしたサッカー少年の私を襲った
凄まじい衝撃と感動をいったいどう説明すれば良いのだろうか!

さらに土曜夕方にイングランドサッカー専門番組「富士商会アワー」
=全国的には「三菱ダイヤモンドサッカー」が秋田放送で始まる。
残念ながら30分番組で、前後半を2週に分けたパーシャル放送。
ほとんど毎週放送されるチームこそ、我らがカガワシンジが行くはずの
マンチェスターユナイテッド。
しかもスーパースター、エル・ビートル=5人目のビートルズ
「ジョージベスト」が在籍していた時期。
というわけでもう東京12チャンネル+ABS秋田放送+三菱商事+富士商会(?)
の思惑通りに、ジョージベストが私の最大のヒーローとなってゆくわけです。

彼のヒストリーを語りだせば止まらなくなるので、ご興味あればWikiでどうぞ。

ただスーパースターではあるけれどイングランド人ではない事
(北アイルランド出身)で若干の差別ありとも聞いたし、
見た通りの風貌もあり、パパラッチによるスキャンダルも続いたこと。
またプレイスタイルも根っからのドリブラーであるがために
「ヒトリヨガリ」「エゴイスト」と評されていた面もある。

またチームも黄金時代がしばらく続いた為に世代交代に失敗。
成績不振が続くがジョージベストがその戦犯のようにされてしまう
=夜遊びばかりして浮き名なんか流してるから勝てない云々。

等々書ききれないほどのネガティブ要素で 
その後心機一転してサッカー不毛の地アメリカへ!
そして人知れずひっそり引退….。

そんなジョージベストを私は遂に目撃する日が来ます。
80年代後半、東京ドームが完成し「人工芝でサッカーもやれますよ」的
お披露目イベントとして開かれた「往年のスーパースター世界選抜チーム」に
なんと引退してしばらく経っていた彼も来日。

ただもはや体形も風貌も往時の面影すら無く、なにやら悲しい思いをしたものです。
さらにその10年後、トヨタカップでマンUが出場した時にも
チームのOBとして再来日。さんまさんがインタビュー時にジョークを飛ばすものの
例によって煩がられ怒られるといういつもの展開(去年のメッシも同様でした)。
この時も私は現地にいて、柄にも無く「出待ち!」するも、
彼はあっという間に車上のヒト…..。
いやはや完全にミーハーです。

考えてみればたいした実績も記録もなく、また北アイルランド代表という運命から、
ワールドカップ出場機会にも恵まれず、不運という影が常に付きまとうものの、
とてつもなくスマートでカッコ良く、そしていつも寂しげだった。

2005年没。
Maradona good, Pele better, George BEST

Once Upon A Time...

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ママチャリで先の見えないダラダラした上り坂トンネルをヒィヒィ云いながら
進み、例によってさてどこでギブアップして引き返そうかと考えていると、
ジョキングの方にあっさりパスされ、その屈辱で引き返すタイミングを
逸してしまった図。→分かりづらい!失礼。



オウム最後の逃亡犯をいつどのタイミングで逮捕するのだろう?
と思っていたら、現地デモなど混乱必至の大飯原発再稼働決定の前日であり、
また民自公が共同謀議に調印するまさにその当日というタイミングでしたか!。
さて女優△尻E嬢逮捕ははたしてどういうタイミングで……???。

杉並に長く住んでいるから、当然90年代のオウム騒動は
なんとも身近で生々しい事件だったんです。
最後の方はちょっとした名物弁護士まで登場しましたが、
これが階こそ違え同じマンション!
朝から何となく騒々しいなあとテレビをつけると
まさに階下の玄関のところで、見た顔のキャスターがマイク片手に
朝から大声でセワシク話し、その生声とテレビの声が同時に聞こえる..
そんな情況。

もう少し遡れば、駅前ではオウムガールズの歌と踊りのパフォーマンスが
毎日繰り広げられ、そのうち選挙運動まで始まり騒々しいなんてもんじゃない。
時代はバブル後期でまだ世の中余裕があるから
「妙な奴ら」ではあったけれど、まだ「ヒトそれぞれ....」
と容認すらしていたおおらかな時期でもあった。

それが徐々に、身近なところでも
知り合いの奥方が子供を連れて出家してしまったとか、
私がいたオフィスにもコンピュータ販売営業に現れたり。

傑作?なのはある休日に家人と散歩していたら
当時からラーメン激戦区なのに大胆にも新ラーメン屋が出来ていて、
どれだけ自信があるのか!と入ってみたら「あり得ないほどマズい!」
昼間だが休日なのでビールを求めるがアルコールは置いてないという。
ならば何か冷たいドリンクを!というと、特性ジュースならあるという。
何でも良いからとそれを頼んだら、ポカリスェットを3倍に水で薄めて、
そこにバヤリーズオレンジを少々混ぜたようなしかも生温い代物。
あきれすぎて怒りも込み上がらない。

ふと厨房あたりを覗くと、店の規模の割に異常に多い従業員数と年齢層の低さ。
そして店長らしき男が、ほとんど手を付けてないラーメンと
ぬるいドリンクの「感想アンケート」を求めてきた。
住所氏名を書かねばならない事から、筆記を拒否すると、
男は突然目つきを変え大声で「どういう理由で感想を書けないのか」
とツッカカッテきた。
厨房の多すぎる従業員も一斉にコチラに対し明らかな敵意を向ける。
急いでるから!といって逃げるようにラーメン屋を出た。
もしかすると….とは思ったが確証無く、数日過ぎた後、
テレビでそここそオウムの出店で話題の「アストラルジュース」を
飲まされてしまった不幸でマヌケな一般客も存在する!っておい、あれかよ〜。

もちろんまだまだ多くの笑えないエピソードがあるのだが、またの機会に。


鳥海山は偉大なり、でも...

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先日の「フキ刈り写真」。女性を撮るのは非常に難しくかつ恥ずかしいもので、
そういうわけでモデルさんに失礼にならない程度に
POPに加工したものを取りあえず…。
ま、モデルさんがキレイだから何とか成立してるだけですけどね。



秋田に舞い戻って、とうに1年過ぎたけれど、
家の窓から鳥海山が見えたのは初めてのことで、
私はすっかり感動してしまいました。

もちろん鳥海山には子供の頃に何度か登ったこともあるし、
見慣れた景色でもあるわけだけれど、雪の残る鳥海山の凛々しさ清々しさには
多少興奮しつつ緊張したりもするものです。

同じように富士山の姿にも勿論緊張します。
そういえば昔から東京タワーが間近に見えると軽く興奮します。
山手線からチラッと見えただけでも少し震えます。
未だ昇った事はありませんが(下のビルではよく仕事してましたけど)。
杉並の自宅マンションから東側に例のスカイツリーがよく見えるわけですが
(完成した姿は見てないですけど)それには全く緊張しませんね…

あと初期型の新幹線の先頭車両にも軽く興奮しますが、「こまち」には一向に??
他にも国会議事堂、武道館、なぜかモノレール…とならベると、
これはどうやら何らかの「トラウマ」に起因するものとしか考えられません。

という事は秋田にはトラウマを引き起こしそうなものは山とか自然のみで、
建造物などはもはや残ってない!?という事になりますね。

キノウチデパートが往時の姿や繁栄を保っていてくれればかなり興奮したでしょう。
県庁、市役所、県民会館は昔のままですが、そもそも「品位の高い建造物」ではない。
県立美術館は何せ小学時代の通学路で建造中のものを日々眺めてましたが、
正直好きなフォルムではありません。

千秋公園はあちこち萌えポイントはありますが、興奮するほどではないです。
昔のように生々しい防空壕の跡やお堀のボート、児童動物園などがあれば
また違った印象かもしれません。

「なかいち」などは肝心の施設よりも駐車ビルの方がデカイっていう
大幅に安っぽい感じでテンションは下がります。
あそこは観光&ショッピング施設+バスターミナルセンターで
県外客や秋田の他の都市とのターミナル基地とすべきでしょう。
と実は6年前からの持論だったんですが、
周囲から同意された事は一度もないので、
まあ無理なんでしょうね。

ウレシハズカシ初体験?

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カメラ趣味を始めて9ヶ月目
遂に噂には聞いていた「モモモ、モデルさん撮影会」
記念すべき初参加であります! 

「蕗刈り撮影会」

仁井田の現地まで約7km、
例によってマイチャリ号で朝6時に出発(途中マックで時間調整)。

現場につくとまだ開始時間の7時前にもかかわらず、
予想を遥かに超えるカメラマンたちの数の多さに面食らい(150人)
また高価なフルサイズ一眼レフ機の放列にも圧倒されつつ

放列のハシの方でチョコンとしゃがんでシャッターをきり始めますと
横から前後からの圧力でシリモチをつきそうになります。

もう皆さん真剣にファインダーを覗きつつ
それぞれの構図取りに夢中のご様子で
不意に立ち上がるわ、身体を思い思いに倒すなど
周囲一切おかまいなしな自由すぎる世界...
いやはやまいりました!

初参加のワタシは、結論から言うと「モデルさんたち」との距離とか
様々な制約から思ったような構図を確保できないまま、
「ありきたりで凡庸」な後悔ばかりのホロニガ・セッションデビュー
となってしまいました。
今日は絞って絞って絞りまくるぜい!覚悟しとけよ(誰に言ってる?)
なんて意気込んで臨んだにも関わらず、現場では舞い上がって開放しっぱなし。
いやあ写真の世界は深い、キビシい!
そして、ほんと人間.殊に女性を撮るのはとてつもなく難しい。
と、改めて実感する次第でありました。

もちろんズームレンズを使って美しいモデルさんたちをポートレイト風に
気付けば賞味30分くらいで200枚以上も撮りながら、満足できるショットは皆無!
ですから武士の情け!そちらの写真はご容赦を!!。

選挙エンターテインメント

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光の密度も量も春とは段違い。いよいよ夏ですかね。



世にも珍妙なる「選挙」を見るとはなしに見ていた。
ヒトが、しかもイタイケなムスメたちが
ヒトタラシな悪人アキモト某によってモガキ苦しめられ、
ノタウチ悶絶する姿、そして歓びのクライマックス…
エンターテインメントとは常にこのパターン。

しかしこうした選挙騒ぎの裏で、
報道されないが確実に存在するであろうリストラの嵐…
こちらの方が現代の世相を如実に反映している。

日本古来の年功序列と言う美徳と安定感が崩れ、
アメリカ式の野蛮な「能力主義」が当たり前となった現代、
仕事のいろはを親切丁寧に教えた先輩がその後輩に簡単に追い抜かれ、
しかも同一人物にリストラされるという超現実的なドラマなど誰も見たくはないが、
そこにハッピィエンドが用意されてるとしたらエンターテインメントとして成立する。
しかしそんなものはあるはずもなく、ただ消え去るのみ。

会社が儲かる→経済躍進!という図式のグローバル化なのだろうが、
こういったシステムが日本にやってきてから
「経済躍進」などツイゾ聴いたことがない。
むしろ悪くなる一方なのはまぎれもない事実。
なら今すぐやめればいいのに!だが一向にやめそうにないのは、
実は企業は大幅に儲かっているからだ。

儲かっても「分配」しないのだから経済が豊かになるはずがない。
そこらへんの悪い流れのシステムを政治的になんとかしてくれれば良いのだが、
政治もマスコミも、スポンサー側についた方がサマザマお得であるのだろうから、
一向に改善はされない。

AKBだSKEだもそうした陽の当たる「勝利者」だけを見ていれば良いのであって、
何も好き好んで、脱落していったものを追いかけ救出する必要などないのが現実。

デキウレバ、トップの何十人かには稼ぐだけ稼いでもらって、
その資金で地方版AKBを公認などではなく、直轄で組織し、

地方選挙で町の活性化!

そしてあくまでもランク付けにこだわるなら
totoのような予想くじでさらに資金を集め、
施設拡充、教育資金確保など壮大な構想を持ってほしいものだし
そうすべきだと思う。

前半と後半で矛盾したことを言ってるワタシ。
ワタシが捩じれているのか、世の中が捻くれているのか??
さて?

基本が大事。

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特にライトウィングな性質ではないけれど、
土崎ミナトでの日章旗にミサイル砲の生々しいコラボレーションには
意外にもテンションアゲアゲとなり、
そのテンションのまま夜はさいたまスタジアムの「君が代」に突入するわけですから、
なにかと精神状態はNatural Highな1日でありました。

ちなみに横須賀新港に常設されている戦艦三笠を訪れると(今は記念艦)
「♪海ゆかば」のメロディーがごく自然に頭を過りますから、
軟弱きわまりない人生を過ごしてしまった残念な自分にすら
「日本男児」な血が流れているのを否応なく気付かされるわけです。
もし大事な家族の生活や命を蹂躙されるようなことが起きたら、
老骨に鞭打ち、死を賭しても敵と戦うのは当然だよなあ….
なんて考え込んでしまいます。

さてサッカー。
ワ−ルドカップも最終予選に突入となれば、
一昔前、いやもうそれ以上前になるのか!
ラモス選手あたりの頃は「足が折れても...いや死んでも闘い抜く!」
なんて悲壮感が充満していたけれど、近頃は自信に裏打ちされた力強さで、
余裕すら感じられる頼もしさ。

しかし意外に長いサッカー近代史において
さんざん辛酸を舐めさせられてきた我々オールドファンには
今でもハラハラドキドキなのが最終予選というものです。

ドーハの悲劇の後、三浦カズ選手が「なぜ失敗したか?」と質問されたときに
「日本には経験が足りなかったから」と答えた。

大正解だと思った。

経験の第一歩とは基本技術である。
日本中が真摯にその経験を積んだ。
格好ばかりの派手なだけのプレイは排除し、
劣っていた基本技術を徹底的に克服するような風潮が日本中に起こった。
ボールをきちんと丁寧に止めて、丁寧に蹴る。そしてそれを出来るだけ速く行う。
日本のレベルはみるみる向上した。そして気がつけば4大会連続出場。
そのうち2回ベスト16を経験。FIFAランキングでは33位だが、
実質的にはもはや日本は立派な一流国であるし、
アジアやヨーロッパもそれを認めている(認めてないのはFIFAだけ?)。

今晩のような闘い方ならば、相手がどんな強豪国だろうと
互角に渡り合えるだろう。
そしてその根幹にあるのは「基本の徹底」なのだろうなあ!

と今宵また感じ入った次第でありました。

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