ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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家訓=あのどん底時代に比べれば,,,

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音楽で生計を立てようとしていた時代の最初期というのは、
兎にも角にも切実に欠如しているものの履修=
即ち「技術」を磨く=日々是研鑽は当然のことながら、
もっと切実に

日々「無事食べること」

それが何より優先される目標となるのだが、そうもいかない場合もある。

ひたすら毎日空腹な中で、当然どんな仕事にもダボハゼのように食いつくから、
結局足許を見られて騙されることも少なからずあった。
仕事の現場(八王子サマーランド=忘れもしない!)に辿り着く電車賃がなく、
駅前の交番で「財布を落とした=仕事にいけない、困った」
と演じて優しいおまわりさんから1000円借りた事もある(きちんと返したよ!)。

仕事はそういう業界だから夜も昼もなく、
「もう30時間寝てねえな!」
「いや俺なんかもう48時間寝てねえぜ!」
と睡眠時間の短さ(無さ加減)を自慢する悲しい状態に至る。

それに加えて栄養状態もすこぶる悪いから、
すぐに風邪をひき高熱を出すのもしばしば。
そうなるともはや悲惨の極みで、惨憺たる末期的な状況。
金もなく食うものもなく医者にも行けず、
サラリーマンなら「あと○○日耐えれば給料日♡」という明るい希望すらない絶望の淵。
「はっぴぃえんど」の「春よ来い」を無意識に口ずさみ、
いつの間にか涙か鼻水か分からない液体に顔はグシャグシャになり、
そのまま気絶し、2日くらい経って、
既に知り合ってはいた今の家人に「音がしない、おかしい..」と発見され、
やっと温かいお粥にアリツケルのだった(そもそも電話がない!)。

それだけに、「あの時の苦しさに比べれば…」が我が家の家訓?となっている。



『春よ来い』 作詞 松本隆  作曲 大瀧詠一

     お正月と言えば 炬燵を囲んで
 お雑煮を食べながら 歌留多をしていたものです

  今年はひとりぼっちで 年を迎えたんです
   除夜の鐘が寂しすぎ 耳を押えてました

   家さえ飛び出なければ 今頃皆揃って
 御芽出度うが云えたのに どこで間違えたのか

  だけど全てを賭けた 今はただやってみよう
    春が訪れるまで 今は遠くないはず
     春よ来い 春よ来い 春よ来い



そんな生活が僅かながら改善されるようになったのは、
勝手に書生のような状態で教えを乞うていたあるアレンジャー兼
ヴォイストレーナーの先生から、アレンジ仕事を少しずつだが分けてもらったこと。
さらに、出来た鉛筆書きのスコアを「写譜屋」という清書屋さんに依頼するのが
通例だが、それもセコく自分で清書して小銭を稼ぐようになった。
まあそれはそれで締め切りが超タイトだったりしてそれなりに大変だが、
アレンジの打ち合わせ+キー合わせ、納入などで様々なスタジオや現場に行くうちに
人脈が出来るようになり、

「ちょっと小耳に挟んだけど、君、○○のバンドのギターだって?評判聞いてるよ!
 今度ウチの△△も頼むよお!」と依頼されるようになり

いつの間にか「食う目標」は達成されていた。

30年以上前の話だ。
当時、根無し草のフーテン然とした何の見返りも期待出来ない私に
仕事を依頼してくれた人々の顔も名前も、今でもそれぞれよく覚えている。
一番苦しい時代に助けてくれた大恩人であるから
一生忘れまいと思う。

後年、私は別の業界ながら「若者にチャンスを与えるべし!」として
同じような事を相当数多く行ったつもりだが、
私を恩人!として奉ったのは、ほんの数人に過ぎなかったように思う。
誰もいないより良いさね!

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七色の黄昏降りて来た時代の虚実。

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高校生の頃から、今に至るまで私の最大のアイドルは
「フランク・ザッパ<FRANK ZAPPA>」
すでに故人である。

レコードを中心にあらゆる出版物類を蒐集してきた。
コチラが20代〜30代初めの頃は、彼のレコードの殆ど全てが世界中で廃盤で入手不能。
頼りは中古盤しかないのだが、世界中にヘビーなコレクターが生息しているから、
それも恐ろしい程の高値!それでもジグソーパズルの欠けたピースを
補なわねば気が済まない悲しいコンプリート習性から、高価すぎるブツを
「今買い逃したら今度いつ出会えるか分かったもんじゃない、
もしかすると一生出会わずに過ぎるかもしれない!」
とワザワザ悲観的なベクトルで考えだすと、
もはや矢も楯もたまらず大枚をはたき「買い」に走るのだ。
今のようにインターネットで検索→発見!というわけにはいかない時代だった。

勿論今では彼のカタログの全ては普通に手に入るから、必死に集めた数々も、
まあオリジナルとか初版とかいうプレミアムは若干あるものの、
概ね価値を持つものではなくなった。

今になって悔いが残るのは、アメリカでもヨーロッパでもどこでも馳せ参じて
生前のZappaのステージを体験したかった。
もっというと1967年とか68年頃のカリフォルニアに居て、
今週はトルバドール、来週はUCLAの学園祭ステージ、次の週は…
という同じ空気を吸うような生活体験をしてみたかった!
タイムマシンがあったら…と、切に願うのである。

で、リアルの自分はどうだったかと言うと、
上京してすぐに通い始めたのがライブハウス時代の山下達郎氏のステージ。
ちなみにワンドリンク付きで800円とか…そのぐらいだったと思う。
今日は下北沢ロフト、週末は高円寺次郎吉、日曜の日比谷野音無料ライブを挟んで
来週は新宿ロフト…そんな感じのオッカケの日々。

本当は高校時代に彼のバンド「シュガーベイブ」に強烈な電気ショックを受けたが
彼らは私の上京を待つ事なく解散! やむなくソロになったばかりの達郎氏を、
徹底的に追い掛けたのであった…。

ただご本人には失礼ながら、
結局シュガーベイブ以上の衝撃を受けるような事はニ度となく、
80年代を待つ事なく聴かなくなったように思う。
ユーミンなんかも松任谷さんに名前が変わって以後、衝撃を受ける事はなくなった。

実際にいろいろなアーティストに傾倒しハマったが、
ヒトの才能のピークというのは極めて短い。
長くて3年(あのビートルズだって、いいとこ3〜4年)、下手をすれば奇跡の1ヶ月!
それで一生分の才能を使い果たしたアーティストも多いように思う。
あとは様々な若い才能とコラボして、新鮮なエキス?を吸って
アーティストとしての寿命を長らえたり、
ライブ盤とかベスト盤とかカバー集なんかで10年繋いだり、
タブーだがゴーストライターに依頼する方々も実際に知っている。

また畑が違い過ぎて興味すらないのだが、数年後のある日、
さるロックスターさんのセッションなるものに紹介され呼ばれた。
さまざまなミュージシャン達がスタジオに集められていて、
例えば、「キーBで適当にバラード風に演ってみよう!」と即興で演奏させ、
それにあわせてロックスターさんも即興で♪〜ムームーオーPacific〜
とか適当に唸り、その録音を後で聴きながら詩をはめ込んだり、
メロディを整理して一曲仕立て上げ、
これが自作として登録され莫大な利益を生む….。

そうやってゲーノー界を巧みに生き抜くアーティストの正体を散々見てきているから、
衝撃を受けても、あまりイレアゲナイようにしている。

フランクザッパというヒトは52歳で亡くなるまで、
デビュー以来27年間にオリジナルアルバムで60数枚、
コンピ、ライブなんかを入れると100枚近いアルバムを残している。
もちろん才能枯渇のヤバい時期もなかったわけではないが、
あれこれ悩み考えるイトマもなく作品を作り続けたヒト。

名作は多いが、大ヒットはない。

おっとザッパの話か山下達郎氏の話か分からなくなってしまった。
ただ久しぶりに山下達郎を聴いてみたが、
なんと忽然とあの当時のシモキタやキチジョージ、
新宿西口や道玄坂などの、さまざまな風景が私の前に現れた。
またさすがに同時代体験をした数少ないヒトだけに、妙に感動し、
アマツサエ泣けてきたりするのはやはり齢のせいだろうか??

諸行は無常であるらしい

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春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、命日….と、
実家にいるとやたらと墓参りの機会が多く、少々面食らっているのだが、
考えてみればこれが正しい日本人の有り様であって、
これまでの自分のいい加減な生き方こそが問題なのだ!
と今敢えて思うこの頃である。

ただ墓所に出掛けはしても、神社仏閣墓所などの写真は絶対撮らないと心に決めている。
もう祟りはコリゴリだから…。

秋田にいなかった35年間、不埒にも殆ど墓参りなどをしなかった。
帰省しても親類や友人の冠婚葬祭が主なイベントだから、
用が済むとサッサと帰京した。
今思えば、何がそんなに忙しかったのだろうか?
実家なんて色々めんどくさい=墓参りも然りだが、訪問客がやたら多いから、
挨拶したり、何度も近況などを繰り返し説明するのが面倒くさいから、
忙しいフリをしていただけかもしれない。

もう少しドッシリと故郷(実家)と向き合うベキだったと今は思う。
いつしか「葬式には呼ばれるが結婚式には呼ばれない」
東京のどこかよく知らないが、こっそり潜んでる末席親類(?)になってしまった。
まあこれは自分のいたらなさだから仕方がない。

家人も遠方出身者(北九州)だから勿論東京に墓はない。
ところが彼女はあるとき突然「自らのルーツ捜し」にハマり、
鹿児島まで何度も出向いて取材を重ねた結果、
ひい(x3)爺さんが薩摩藩士→維新の元勲で爵位を得て
「青山霊園」に墓所がある事が判明。早速お詣りする事になった。

青山霊園は東京のド真ん中にあるわりには随分と広大な丘陵型墓地だから、
事前に霊園事務所で墓所の所在地を確認してから出向いたのだが、
手書きの地図がアバウトすぎて、どうしても発見出来ない。
丁度小さな森のようにコンモリとした一帯を目印しに、
何度も辺りを周回しながら墓標を捜すのだが一向に見つからない。
仕方がないからまた事務所に確認すると、
なんとその鬱蒼とした小さな森自体が、まさにひいx3爺さんの墓所そのものであった!。

その巨大な墓所=歩測ながら約100坪強は2~3m高の植物
(蘆?や刺のあるツル草)などに覆われ、その密林を掻き分け踏み入り、
中心にヒトキワ大きな墓石を発見した。
すぐに事務所に戻り、墓の権利者即ち現代の直系代表者連絡先を調べ連絡し、
墓所の清掃(草刈り)を申し出るが、その唐突さからか拒絶された。
その後何度も自分らは今や遠縁ではあるが(母方の先祖にあたるため)、
縁者として墓所をなんとかきれいにして一族に存在を広め、お詣りしたいだけ!
と訴えるものの聞き入れてはもらえなかった。
すると九州の義母が直系に電話し、一族として墓のあの惨状は見逃せない!
「あんたあ恥を知りなしゃーい!」と一喝すると、
シブシブ『草刈り』を了承した。

両手鋏を2丁買い、二人だけで草刈りを始めると、
今度は様々な通行人に我々は責め立てられるのだ。

これだけの広大な敷地を何故いままで雑木林のまま放っておいたのだ!
放置した非常識のそのバカづらをこっちに見せろ!とまで汚い言葉を浴びせかけられた。
それでも連休を全部使い、鋭い刺であちこちキズを負い、
更には腰を壊して作業した結果、敷地内に7つの墓標を確認。
頭首当人とその前妻と後妻さんが居並び、
更には日露戦争時に旅順港で戦死した長男と夫君、
そして奉公人とおぼしき夫婦の墓もあった。

それらの明細を墓碑から写し読み取る作業をしていた折にカメラを使った事で、
突如その場に現れた数名に「祟るぞ!自分と、大事な親族に祟りが来るぞ!」と言われ、
家人はその夜、猛烈な熱に浮かされ、カメラごと塩を降って処分すると
家人の熱も嘘のように下がった。
それで済んだと思っていた....。

数日後の休日に再び墓所に行ってみると、
すっかり見通しが良くなった墓には花が手向けられていた。
あれ?と思っていると直系を名乗る初老の男が現れ、まずは礼を言われた後、
次は激しく叱責された。

曰く「君らの素性は確認した。確かに縁者である事は間違いはないようだから
清掃を許可したが、君らが今回墓所を目覚めさせてしまった事で、
今、様々な問題が持ち上がってしまった。それがどういう事か君らに分かるか!
税の問題、所有権問題、果ては東京都の霊園縮小計画による追い立ての再開…
いままで寝かせていた問題が君らのせいで一気に目覚めたのだよ!」と捲し立てられた。

先送りにしていた問題がココに来て再浮上しただけだろう?とも思ったが、
困惑させた事に違いはないようなので、
以後、墓には手を出さない事としたが、納まらないのは祟りの方のようで...

同年に私はサッカーで膝を骨折し、引退。
翌年父が他界。
翌々年には会社が潰れ、個人で投資していた数千万を失い、
さらに連帯保証で数百万の返済を背負わされるコトになり、
以後数年間は苦労しまくった。
それもやっと終わったと思ったら今度は身体がダメになった…。

良い事したつもりだったんだけどね。
諸行はイニシエビトが申す通り、無常なのであるらしい。
オソマツの一席。

おわりとはじまり

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私が知りうる限り、この街では唯一のApple専門ショップがヒッソリ廃業した。

これが12〜3年前なら、「やっぱりな」「しかたねえな」「だってアップルだもの??」
で済んだかもしれないが、いかんせん、アップル社は今や世界最大企業へと成長し、
我が世の春状態な、まさにこの時期に何故?と思わざるを得ない。
残念ながらココではあまり買うべきものはなかったけれど(それが問題!)、
Appleユーザーとして、街唯一の専門ショップは心の拠り所でもあったわけだし、
やはり相当に、実はかなり寂しい。

しかしね、故Steve Jobs自ら、コンセプト作りから深く関わったと言われる
公式ショップ「APPLE STORE」が次々オープンした時点で
実はこの手の専門ショップは、とうにその役割を終えていたのだろうと思う。
でも秋田にApple Storeはまだない…。



実は随分昔から、いろんな人にApple=Macintoshを勧めたりしたから、
さながらAppleのエヴァンジェリストみたいなイササカ恥ずかしい立場にあって、
従って今回のiPhone5のような大きな新製品の発表などあると、
様々なヒトがメールでいろいろ訊いて来る…というか意見を求められる。
こちらの現在の情況、立場などおかまいなしにだ!。
(私が1年以上も東京を離れている事すら知らない輩ばかりだ!)

というか、よく考えるまでもなく私はヒトにiPhoneを薦めた事など一度もない。
いやむしろ各人の適正を考えれば「ヤメた方が良い」「きっと後悔する」
と諦めるよう諭した記憶の方が大きい。

我が家の家人が「欲しい!」と言った時も「アンタは性格的に無理!」とやめさせた。
銀座のAPPLE STOREで、iPhoneがストラップを装着出来ない事に対して
ショップスタッフを問いつめ、事もあろうに
「そういう細かいところをキチンとJOBSさんにフィードバックしないと、
これ売れませんよ!」と諭した困ったオバさんだ!
隣にいた私は顔から火の出るがごとく恥ずかしかったが、
当人は大真面目なのだから救いがない。
何となくだが、iPhoneもといスマホには「適正」ってのがある気がする。

マッキントッシュに適性があるかどうかは分からないが、
これを気に入るヒトは昔から「仲間だ」「ブラザーだ」「アミーゴだぜぃ」!
と何故か勝手に思い込み、スタバでMacBookを開いてるオネーサンに
話しかけ、誤解され迷惑がられた事もある!。

私の場合は、ちょうど昭和から平成に変りつつあった時代に、
そもそも音楽用(MIDIシーケンス=打ち込み音楽)にマックと出会い購入したが、
何故か音楽よりもマックOSにバンドルされていた
データベースソフト「ハイパーカード」に夢中になった。
子供の頃遊んだ『電子ブロック』な感覚で
コンピュータに対する欲求と相身互いでどんどんプログラム言語を覚えていった。

そのうちに決定的に「マック命」と思えるようになったのは
一連のAdobe社製品=IllustoratorとPhotoshopとの出会いであろう。

マックがあれば森羅万象を司る神にもなれる
本気でそう思ったものだ!。

マッキントッシュは未だにというか、今現在もなくてはならない存在だ。
正直別の窓なコンピュータなどでは代理にすらならない!
ボロでも多少旧Ver.でもマックでなければならぬのだ! 
iPhoneやiPadはそれに比べると、ツールとしてそこまでの価値を
実は見いだせない状態にある。

かつてのようにひっきりなしに電話やメールが入ってきて、
GPSでGoogle地図参照、スケジュールをきちんと管理して…
「生き馬の目を抜く」とか「TIME IS MONEY」などもう遠い昔の話だ。
現在も最新のVersionではないマックだが
私には壊れさえしなければ、一生これで充分なのである。

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そろそろ再起動準備に入りたいと思う暑い秋

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相変わらず暑っ苦しい秋田市。
やっぱ地震で地軸がまた少し傾いて、秋田もいよいよ亜熱帯入りか!?



かつて20年間を過ごした会社が経営破綻して、
それ以後数年は本当に人生の艱難辛苦をこれでもかってほどに集中して味わいぬき 
遂には第一回目の大病を患った。

東京で一ヶ月、秋田で三ヶ月入院し3度の手術…
帰京して3ヶ月間リハビリの日々を過ごした後、
万全ではないが、新宿西口駅前のハローワーク入り初日に就職を決めた。

全く経験のない新しい職種の企業。
以前の業種は既に斜陽産業であることを実感していたし、
様々な重圧によるストレスも病気の一因であることに疑いはなかったから、
未体験の職種に挑戦することに迷いはなかった。

いやむしろ、平社員からまた新たに人生を始めることに喜びさえ感じていた。
子供の頃、友人の家でよくやった「人生ゲーム」での「ふりだしにもどる」の
不思議な爽快感をご理解いただけるだろうか!?そんな気分だったように思う。

人事担当者と、極めて事務的な面接が終わった後、突然、
「今日は社長が社内にいるのでこれから逢って欲しい、
二次面接と思ってもらって良い…。」

数十分後、一つ年上の社長と意気投合。
3ヶ月使用期間をぶっ飛ばし、いきなり正社員という待遇で採用された。
そんな分けで、実に気分よくスムーズに仕事に入れることになったが、
社長さんの器量というのか人心掌握術には随分と感心した。
取り敢えずこれまで見た事ないタイプの社長もとい経営者だったことと、
翌日の初出社の日が48歳の誕生日だったのも、何かの因縁だったと思う。

職種に関しては実は少し特殊な仕事でもあったから、内容は控えさせていただきたい。
営業社員だったが『モノ』を売るわけではなく、
国家機関(省庁)認証による法務的サービスの提供とでも言っておく。
モノを売るわけではないから(もちろん利益は発生する)
全くの飛び込み営業(アポなし)でも、ムゲに追い出されることは滅多にない。
大抵は「あいにく担当者が出払っているので本日のところは…」
と柔く追い出しにかかられることが殆どだが、
私がかつて指揮していた営業軍団はそんな事では決してメゲナイ。

では担当者様はどういう役職のなんという名前の人で、いつ帰るのか
(大体直帰か、いつ帰るか分からないか、深夜帰社…になる)をきっちり確認し、
では○○の件で、○○様宛に、明朝○○時に必ず電話する!と予告し、
翌朝首尾よくアポイントを取る。
押しの強さというより、これはリズムだ!

月曜日に飛び込んで水曜日頃第1回商談→経営上の諸問題まで
踏み込んだインタビュー中心(コチラが示すのは守秘義務の徹底のみ)、
早ければ金曜日に第2回目→先方内情に適合したサービスを構築・提案し、
内容と見積、メリットなどプレゼン…、翌週中には契約書締結!が理想なのだが、
実際はもう2度3度足を運び、重役会で改めてプレゼンして欲しいとか、
経営者に直接提案して認可を取って欲しいとか、何度かあるが、
既存契約業者を追い出す為にちょっとした謀略を仕掛けたり(!)と色々あって、
未処理、未決案件を数多く抱え込んでしまってなかなかに忙しく、
オバカな頭が混乱しパニくる局面もあったが、
これが意外に自分に合っていたらしく、実に楽しく、
やりがいを感じる充実した仕事となった。

ああ道を間違えてたなあ!
本来やるべき仕事はこっちだった!
ああ人生やり直しててえ!
などと感じたものだった。

しかし体調はやはり芳しくなく、
それまで経験ないような痛みや苦しみを抱えながらも5年間を過ごしたが、
遂に2度目のダウンをしてしまった。
今度ばかりはチョイと長くなりそうな…で、今の実家暮らし療養に至るわけだ。

人生ポンコツになる前にサマザマな職を経験し
そして自分に最適な職種と巡り会う幸せもある。
しかし世間的にはキツくてもダラケテテも、ヤリガイ全くなくても、
仕事を長く続け、退職金をたんまりもらった方が遥かに幸せなわけだ!

まさしくその通り!
それは間違いない。
間違いないのだ…
に違いないはずだ............?

歩み寄ろうよ!お互いに。

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秋田公立美術工芸短大 ももさだ祭
以前からね、この学校と校舎には興味があったのだけれど、なかなか行けなかった。
今回学園祭ということもあり、この機会に…というわけで出かけてみました。
もう35歳若ければ、絶対入学し勉強したい雰囲気でした。
ああ戻りたい…ってその頃はこのガッコなかったけどね!。

さて私は当ブログをあくまでも匿名にて発信している。
匿名な奴がエラそうに政治を語るのは卑怯だしルール違反だと考えている。
だから以下は確信的な政治思想発信というのではなく、
平和と安定が好きな、ありふれたボケオヤジのアサハカな考えとして
笑止していただければ幸いである。

領土問題に関して、双方ともに歴史的考察やら過去の経緯などで
手前勝手な論法でお互いにぶつけ合っても何も進展しない。
論調として気になるのは「古来から我が方の領土であり、疑いようない」
という視座が国民の総認識であると決めつけ、他の意見、例えば
「竹島なんか韓国にくれてやれ!」などという意見をタブーとして封殺し、
更には売国奴扱い、異端扱いをする危険な風潮。

もちろん私は「くれてやれ!」には賛同できないが
早急に双方決着させる!のなら当然お互い歩み寄りをせねばまとまるはずがない。
とは誰も当たり前に考えるところだと思う。
つまり「今はどちらのものでない!」という落としどころを
「曖昧・うやむや・玉虫裁定」ではなく、

堂々と共同声明にて宣言すれば良い!!と考える。

向こう50年間(100年でも良い)、竹島/独島は国連の付託管理域とし、
日韓は国連軍の一員として交代で島に駐留して管理し、漁船停泊や観光も自由。
領有は完全にペンディングする。
ということを正々堂々と世界に向け「共同宣言」すればよろし。

とはいえやっぱ歴史的にココは…という意見こそ封殺すべきだと考えるし、
それが可能なのが成熟した日韓関係だとおもう。

ただし「尖閣」に関してはアメリカを巻き込む戦略的な意味合いを含む問題で、
いわゆる共同コミュニケでの解決は不可能。
いずれ暴力装置を背景とした衝突しか明快な解決法はない。
裏を返せば、悲惨な結末が見えてるだけに、双方とも自制して踏み込まない
言わば「休戦状態」を出来る限り長く続けるしか方法がない。

デモだの不買運動などは別の論理が働いているから、我々の側は一切無視するべきだろう。

それにしても未だに毎週繰り広げられている「反原発デモ」を一切報道せず
無視し続けるマスコミが、どうでも良い中国のデモを、さも悲惨で深刻なように煽り、
報道するのはどういうわけなんだろうかね??



コスモスと林檎を考える日

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コスモスの開花時期ってバラツキがあるんですかね?
取り敢えず草生津川のコスモスはまだもー少し早いようです。
見頃はあと10日くらい先….とのこと。
地元の方によると、今年は雨が少なくて開花以前に枯れてしまう状態が心配されたものの
先日来の雨がまさに恵みのオシメリとなったとのこと。
いやはやイガッタイガッタ..。

コスモスが終わると花の開花はもうあんまりなくて、お楽しみは果実系になるのね。
栗とか柿とか...秋田だとそうナナカマドとか、あと何つったか?紫色のやつ…
紫式部??それぐらい。
そして大トリがいよいよの紅葉、そのあとはご存知「氷河期」!。
残りわずかな陽気を、今は精一杯楽しむベし!なんだろうな。

さて、本日iPhone5がやっと発表されたようです。
まあ古くからのAPPLEユーザーとしての義務感というか使命感から、
サルマネ三星電子に義憤を感じながら、
ついでにiPhoneに匹敵するハードウェアを作れず、
足下にも及ばない国内家電メーカー群と
ガラパガスに固執するしかない最大手キャリア会社のダメ社長の
愚かすぎる言動に、大いに義憤を感じたりするわけです。

実はいまだに国内では初代となるiPhone3Gユーザーの私としては、
あれこれと不足を感じながらも、既にかつての熱狂的な情熱は失しており、
結構な金額のiTunesカードの残高を残しながらも、
もはや3Gではマトモに動作するアプリもほとんど見当たらず、何だかなあ??
まあこれが完全に壊れたら、その時点で最新のiPhoneを買えば良いかなあ….
という消極派に成り下がっているものの

選択肢は電話もPCもApple製品以外有り得ない!!
という人生選択を既に20年以上前に誓いをたてたわけで、
Appleコケタラ俺もコケル!なんて自虐的に言ってたら、
今や時価総額でオシモオサレヌ世界一企業…。

ちょっとだけね、まだあっちこっちと道を模索しながら
ジタバタ&ウロウロしながらMicrosoftには次々真似され、
訴えても訴えても判決が追いつかず、
そのうち裁判費用でAppleは潰れるんじゃないか?とまでいわれ、
盗人ビルゲーツにハシタ金で次々和解に応じるしかない情けない頃の
純真な、ちょっとイタズラ坊主のようなマッキントッシュが本当に好きで
頑張れ!と応援していたし、実際、株も買った(日本法人のだけど)。

今は非の打ち所がないなんでも良く出来る大秀才で、しかも大金持ち!
おまけにスタイリッシュでファッションリーダーとして流行発信!
なんかね今イッチョ可愛げがないのが気に入らない。
でもAppleと心中するしかないんだな....
だってそれが私の生きる道だから!

真ん中に戻りなさいよ!...と。

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『バック トゥ ザ センター』
昔懐かしい食、遊び、音楽などがエリアなかいちに集結
【日時】 平成24年9月8日(土)10:00~17:00

【場所】 エリアなかいち「にぎわい広場」・秋田市にぎわい交流館



ネーミングのセンスが何とも凄まじい!。
おそらくは秋田駅前周辺旧市街の隆盛時代のことを
"CENTER"と一言で言い切る度量の大きさ、
切れ味の鋭さには大いに感服するが

何故だろうか?

薄っすら消えない香具師的で胡散臭いウシロメタさ…
これはなんだろうか?
エッ? 48? センターポジション?
そっちじゃないだろ!

いずれにせよ途方もなく壮大なタイトルのイベントのわりには
「1日だけ開催?」とのことなので、このもやもや感の真意を探るべく
会場「エリアなかいち」に行ってみました。

で、結論的にはやpぱり意味が分からなかったです。

中央通りの老舗「岩田写真館」様ご提供の昭和20〜40年代の
駅前、広小路、中央通り、大町界隈の写真はやはり涙が出るほど感動的なんですが、
私のフトドキ千万な感想を敢えて言わせてもらえば
「たったこれだけ?」…。

近頃大量のマテリアルを秋田県に寄贈したとして知られる
油谷これくしょん様の展示物は、ご本人様を案内人に立てる周到さのわりには
ブースがエレベーター前の小さな一角という不当過ぎる小規模さ!
野外の駄菓子屋模擬店も同団体のプロジェクトながら、
これも1日だけの開催のせいか?以前、駅前FONTEで観た規模とは
比べ物にならない薄さ。申し訳ないですが、今回だけはちょい失望。

他にも意味の良く分からない演し物が「ごった煮」のように
あちこちに散らかされた印象。
早い話が今後「CENTER回帰」のテーマの下、
順次行う予定のイベントサンプルのオムニバス式お披露目会!?
と了解するしかないようで、そういったイベントの総称というか、
ちょっとイカガワしくも大きなテーマが

「バック トゥ ザ センター」ということで乞うご期待...と...。

ホントにこれで良いんですかね!
ワタシ的にはもっと前宣伝をして動員を促した上で、
広小路を通行止めにして歩行者天国を復活させ、
そこをゆったりと模擬電車なり、馬車なり、人力車なり走らせるとか、
もう少し市民をドラスティックに巻き込む形の大きな仕掛けをしないと
意味ないように思うんですがね。
どうなんでしょうかね???

オマケ;もうお馴染みとなったこの風景ですが、
なんか小賢しく我々の大切な風景を荒らされたという勝手な被害妄想から
ワタシにはどうも違和感があり、好きになれません。
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エレキ大王のご降臨!

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先日の続きで大事な事を云い忘れていたので加筆。

”PORTO”という幼馴染み2人によるオヤジバンドの、
東京恵比寿でのオヤジバンド全国大会の日、
そのバンドの中になんと35年以上前、
当時高校生の私が憧れていた言わば神様のようなブルースギタリスト
「M氏」が参加して…否、参加されていたのには、
秋田弁で言うまさに「ドデンした!」であったわけです。

当時、彼のギターが聴きたくて高校生ながらに
M様(!)のホームグランドであらせられる大町ビル内「田中屋」に通い詰め、
迂闊にも補導されたなんて事もありながら、こっそり隠し録音し、
神々しいばかりのプレイを、有り難や〜とコピーさせていただいたり….

そんな御仁が…いや神様がこんなワルガキ仲間…
いやいや幼馴染みのところにご降臨なされていたとは!!?

私が秋田の音楽シーンの片隅に存在したのは、
実際ホンの数ヶ月であったわけだけれど、
その間もいつも「M氏」を意識しつつ、
いつの日かM氏のバンドに呼んでもらえる日を夢見てたわけだけれど
それは叶わぬまま、私は人生の舞台を長い長い東京時代に移すわけで、
なんだか輪廻とか縁(えにし)とか人生の轍とか、サマザマ感じるに至るわけです。

それにしてもM氏のエレキはヤッパリ良いです。
35年前から憎ったらしいほどの「間(マ)」とか「タメ」の利いた渋さでしたが、
今はもう仙人、いやエレキ大王の境地かも!?
(神様と仙人、大王のステージの違いが良く分からないですけど)

いやはや…まったく.....
結局進歩してないのは私だけってことですかね??。

音楽祭と幼馴染みとオヤジバンドと青い空

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アキタはいいな、ホントにいいな!
と心から思えるのは竿燈とPMA!もといAKITA MUSIC FESTIVAL…
それに間違いない。

実は7〜8年前の晩夏、たまたま秋田に戻ってきていて、このPMAに出くわした。
秋田にもそうしたモノがあるのか?と感心していたらそれが第一回目だった。

私とは、一人は小学3年から、もう一人はなんと幼稚園から小学、中学、高校、
おまけに予備校まで一緒の幼馴染み二人が
アコースティックギターデュオを組み、
昔の駅前界隈小僧にはちょっとアウェーながら
大町のステージに立つというのでしっかり応援に行った!。

その時の印象を忌憚なくいうと、
生ギターデュオにありがちな、ちょっと弱々しいというか、
若干自信なげなところが初々しく、
オヤジ頑張れ!もっと頑張れ…という種類の喝采を浴びていたように思う。

それから数年経った2年前のある日、私のところに彼らから不意に電話があった。

『オヤジバンドのコンテストってのがあってな、
 その東北代表ってのに俺達なっちまってよ...
 東京の本大会に行くことになってなあ…..』

「ちょちょ、ちょっと待て、代表って何さ?」

『だから秋田代表で仙台さ行って、東北ブロックの大会でまた優勝して….
 んでもって恵比寿のガーデンホールってとこで…』

「わかった行く行く絶対応援に行く!」。

しかし正直まだ半信半疑。
あのちょっと弱々しげなデュオでどうやって勝てるの?

それからまた数ヶ月後、いよいよ恵比寿での全国大会の日。
私はその数日前から体調を著しく壊し、
もはや一人ではまともに歩く事さえ出来ない状態になっていた。

「死ぬかもしれんな!…」と一人考えたりもした。

はてそうなると、俺の葬式はどっちでやるんだろ...
東京か?秋田か?秋田だとしたら交友関係薄いし、
そうなるとオヤジバンドに葬儀委員長をやってもらわんといかんなあ…
となると、無理してでも恵比寿に行っとかないとなあ!

というわけで家人に手を引かれヨタヨタと出掛けていったわけです。
行ってみたら、驚く事ばかり。
審査委員長が昔、我ら夫婦共々世話になったレコード会社のディレクターだったり
(その時は出世していて、系列CS放送局の社長)、
東京代表がやはり知り合いだったり、
もっと驚いたのが、秋田の彼らはもう、あの弱々しい生ギターデュオなんかではなく、

6人編成の壮大なブルーズバンドになっていて重厚で
完成度の高い薫香なサウンド!

全国で勝ち抜いた並みいる凄腕バンド達にも立派に肩を並べ、
実に堂々とした唄と演奏に私はすっかり圧倒されてしまいました。

そして体調不良の私は圧倒されたまま
翌日入院→緊急手術…。
病状は意外に深刻で今も引きずっているわけだ。

今日また久々彼らの演奏に触れ、ますます成長しているのにまた驚かされた。
いい歳こいてても成長ってするんだなあ!?と、少しばかり勇気をもらった。

フェスティバルは他にも
高校生による秋田民謡と舞踊の保存サークルの発表会(存在だけで感動!)
インドのラーガ(実は最も楽しみにしていた!)
ブルース、ポップス、C&W、ジャズ、AOR…
次々に聴いて回った。

秋田はやっぱり素晴らしい!
素晴らしい音楽がある。
そうした素晴らしい人たちが居る。
そして温かいマナザシを送る人たちも居て、
歴史を将来につなぐべく努力している人達もいる。
自分も頑張らないとね!って勇気をもらったそんな一日だった。

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