ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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あまのじゃくのブルース

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他の大多数とうまく歩調が取れない気の早いモミジの葉。
異彩は放つが、他が一斉に紅葉して大盛り上がりの時には、
このアマノジャク(天の邪鬼)は既に枯れ落ちている。
なんだか哀しいなあ…。



中学生の時には吉田拓郎を筆頭としたフォークソングが大ブーム。
しかし私はひたすら洋楽一筋だった。

中2の時、秋田駅前「全音」でお年玉をかき集めて購入した9000円也の
メーカー不明のフォークギターでは、ひたすら背伸びして(?)
ビートルズやらCCRやらレッドゼッペリンを、
フォーク弦の硬くて、高い弦高で無理に弾いて無駄に指先を腫していた。

皆が激しくコードをストロークして、高らかに「人間なんてラララ〜♪」
なんて唄って、女子にもキャーキャーとモテまくっているその時に、
シンコー出版のビートルズの歌本に書かれているコードが余りにも
実際と異なる事に不機嫌になって沈黙した自分。

秋田のフットボール文化は、昔も今も「手を使う方」が断然主流だが、
私は「足と頭」の方を選択した。

男は「手を使う方!」
「足と頭」は女子供のお遊び....
そう言い放った秋田の大人が、昨日テレビ中継で「手を使う方」の解説をしていた。

社会人になるとビデオデッキというモノが登場し、
私は迷う事なくベータ(BetaMax)を選択し支持した…。

そしてPC…もちろん疑いなくMacintoshである…。

で今、もちろんiOS…これに関しては他を使った事がないから、
良いのかダメダメなのかホントのところはよくわからないが、
何度も語ってきてるように「選択の余地」は道義上あり得ないのだ。

長い間「大衆迎合的なものが嫌い!?」とオボロゲに自己分析していたのだが、
こうして並べてみると、どうやら共通してるのは
「オリジナルが好き」ってことのようで、
「オリジナルこそ本物」という心理が強く働いているのだと思う。

長いこと音楽好きをやっていると、歌唱力がどうとか個性的がどうとかなどよりも、
存在として「本物」か?「偽物」か?ということを嗅ぎ取れるようになる。
本物=オリジネータというヒトはなかなか居ないのだが、
発見した時の感動とか興奮は半端なモノではない。
まあ大体「早逝」してしまうのが困ったモノだけどね。

何事によらず、オリジナルな存在というのは、
こんな生き馬の目を抜くような浮き世では、相当生き辛いんだろうと思う。
すぐに真似されるし、足を引っ張られる。
オリジナルだから当然欠点もある。
後発者はちゃっかりその欠点を修正して模造品を世に出し、
あろう事か「だからこちらの方が優秀!」とまで喧伝し貶める。
それが世の中の世知辛さというものだから、
せめて自分は、常に「本物=オリジナル」から視線を外さないようにしよう!
そう考えるのだ。

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小心者のバラッド @中土橋

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お堀の枯蓮、刈り込み作業の開始です…いよいよ冬支度の始まりっすね。
毎年の事なんでしょうけど、「冬支度」とは何事によらず寂しく、
そしてウラ哀しいものです。



中土橋を歩いていると、
いつもきまってちょっとセンチメンタルな気持ちになり、
軽く落ち込むのだが、その原因はさほど古い話しではない。

20年程前だろうか、いやもっと前かもしれない…
今のエリアなかいちの位置にまだ日赤病院があった頃、
そこに父が入院したということで、
取り敢えず一人で見舞いの為に秋田にやってきた時だった。

時間が空いたので、ふらっと千秋公園を散歩しようと出掛けると、
県民会館のあたりで、某アーティストのツアートラックが目に入った。

え?○△来てんの?と駐車場と言うか裏側搬入口近くに廻ると、
聴き慣れたサウンドのリハーサル音が聴こえてきた。
私がその昔ギターを担当していたア−ティストの秋田公演だった。

勝手知ったる県民会館の裏側、
スタッフのような顔をしてツカツカと中に入っていって、

やあやあ久しぶりだね、元気だったかい、それにしても奇遇だね…

と、それが出来る性格ならどんなに楽だろうか!とつくづく思うのだった。

あの業界を引退して「正業に就く」という事は、
業界内に居る者にとっては確実に『脱落者』を意味する。
もちろん表向きは「やあやあ元気?久しぶり…」に違いないが、
その裏側は「この裏切り者が…」という感情があるのも痛い程分かるだけに、
入っていくのが怖いのだ。

しかも今自分がココに居ることの説明=それも面倒くさい、
というより本当の事「父が〜」を言っても、見え透いた嘘にしか聞こえないだろう。
本当は泣いて喚いて(?)東京から逃げて故郷に帰り、今は何?家業でも継いでる??
嘘でもそう説明した方が、よほど彼らには都合よく耳障りの良い話だろうが、
そういうわけでもない。

依然として私は彼ら同様東京で働いて暮らしているし、
普段は吉祥寺や高円寺、新宿で飲んだくれてはいるが、
年に何度かは、彼らと同じように六本木や、西麻布、南青山あたりでも飲むし、
三宿や三茶のイタ飯屋にも行く。
君らと何ら変わらないのだ!?
それなのにこの「負け犬」みたいな感情はなんだろうか?

と、そんなバカげた事で頭が混乱を極めたところで、
突然顔見知りのPAスタッフがコチラに向かって走って来るではないか
(というかツアートラックの横に居た私が悪い!)。
咄嗟に私は顔を隠し、逃げるようにその場所を立ち去ったのだ。
リハーサルの音は、私がかつてアレンジした通りを演奏し始めていた。

結局、私が小心者なだけの情けない話なのだけれど、
はたして理解してもらえるだろうか?? 
つまらんツヨガリ、プライド….?

駄目だね男の子は。

自己責任的サッカー同好会の物語

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またしても時計は38〜39年引き戻ります…。

さて高校に入学した。
さあ髪の毛伸ばして、思う存分ロックバンドやるぜ! 
でもってバイクなんぞに乗って、チャラケまくって青春とやらを謳歌させてもらうぜ。
へッ!ザマアミロ!…という自分なりに壮大な高校生活プランがあったのだが、
ある上級生と出会ってしまった事で、呆気なく計画はツイエルのだった。

『おい君!君だよ…君はT中サッカー部でハーフやってたんだってね。噂は聞いてるよ』。
(それが何か?もう随分昔の事でござんすよダンナさん)
『実はね、俺この学校にサッカー部作ろうと思って今メンバー集めてんだよ!』
(ほー…なるほど。まっオイラには関係ないっすけど、
 ちなみに何人くらい集まったんすか?)
『今5人。いや君を入れると6人!女子マネも入れれば8人...』
(悪いけど、おいらは駄目っすよ!もう部活決めてるし)
『えっ…何部さ?』
(…デマカセで「ほ、放送部!」)
『わかった。放送部の部長の○△に話し付ける。とにかく今日練習見に来いよ!』
(練習ってどこで?見た事ないっすよ。しかも5人でしょ!)
『神社の境内!』
(ケイダイ?マジっすか?気の毒すぎる状態じゃないっすか…..)
『じゃあ待ってるから。みんな喜ぶぞ、やっと経験者が入る、
 しかも強豪T中サッカー部OB!』
(エッ…ちょい待って…まだ….そんな…)

で、シブシブ境内に練習を見学に行ったら最後、
あまりに素人な不格好さに見ていられず、つい手を出し足を出し….
「凄いなあ、さすがT中OBは違うなあ…」とオダテられるうち、
気がつけば帰宅後、スパイクやらウエア一式をタンスの奥から引っ張り出す自分。

ロックバンドも、帰宅部の夢のようなチャラい生活も、
さらさらと掌から砂のようと落ちてゆくのだった。

かくしてシロート寄せ集めによる「サッカー同好会」は、
大人達をも巻き込んで様々な妨害、迫害、意味不明な偏見(バカじゃねアイツラ!)
に遭いながら波乱のスタートをする。(もちろん有り難い協力もあった)

「俺の目の黒いウチはなあ、サッカー部なんて絶対認めない!必ずぶっ潰してやる!」
と公言し、自分たちの部は遠征中で不在なのに
わざわざ手間をかけて、我々にグランドを使わせないように仕組んだり、
個人にストーカーのように付きまとい、メンバーの切り崩しを諮るなどの
幼稚すぎる行為におよんだのは、なんと他の部の監督、コーチなどの教師達
(臨時教員?)=大人達であった!。


そんな中、よろけながらも1年経ってみると、部員数は既に30数人、
全くサッカー素人ながら顧問の先生=監督=学校側の見張り役?も就いてもらった上で、
リーグ戦も条件付きながら参加(散々苦労した)、公式戦初勝利もあげていた。
もうとっくに『サッカー部』として認められて然るべき条件を満たしている筈なのに…
何故だか「部」という言葉の前には、まるで越えられない一線でもあるかのような
遥か遠くの次元にあり、結局我々の世代では手が届かぬまま終わってしまう。

結論的には大人の事情=サッカー、ラグビー等々の区割りというか、
ある種の縦割行政というか利権構造が絡んでいた事を後に知る。
そんな取るに足らない小さすぎる大人の事情で振り回されていたのか!
と考えるとやるせない気持ちになる。
(行政のしがらみはいつも小さい!結局誰かさんのタイメンのみ)

サッカーが好き!ただそれだけなのに、
学校の施設が一切使えないから、あちこちジプシーのように練習場を捜して徘徊したり、
週一くらいはまともなゴールにシュートしたいと、有料の公営グランドを借り、
その為に会費を徴収。
遠征試合も自費負担。
怪我をしても自己責任。
そんな理不尽ともいえる悲哀を高校時代にイヤと云うほど味わってしまう。

しかし、それから10年後、
私は懲りもせず再び「サッカーチーム」を立ち上げているわけで、
これまた様々国際的紛争を引き起こす….その顛末はまたいつか…。

撮り鉄初挑戦!しかし...。

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撮り鉄初挑戦! 朝は寄りで、夕方は引きで….
もちろんそう簡単に思惑通りの結果にはならないですけどね。



中学に入学すると、秋田駅から奥羽線下りの最初の踏切を毎朝渡らねばならなかった。
まだ電車と蒸気機関車が半々の過渡期の時代、
駅の手前だから「入場待ち」なのだろうか?
勇ましい黒煙ではなく、壊れた鉄瓶のように白い湯気を鉄のパーツのあちこちから
吹き出しながら、遅刻を焦る学生服の我々を尻目に、
微動だにしない蒸気機関車を何度恨めしく思ったろうか…。

既に蒸気機関は時代遅れも甚だしい前時代の遺物で、
早くオール電化にしてスマートな新時代を迎えるべし。
とにかく湯気を吐いて踏切でダラダラ止まってる
老いた巨象のような姿が、鬱陶しかったのも嘘偽りない
時代の真実でもあるのだ。

数年前に、恐らく休日ダイヤで今も運行してる筈のSLに乗った。
たしか秩父からの帰り、埼玉の長瀞から熊谷間だと思ったが
ディテールの記憶がイマイチ定かではない。
最初の20分ほどはほぼ興奮状態で、沿道の撮り鉄の方々や子供達に手を振ったりして
窓を開け忙しくしていたのだが、少し時間が経って落ち着くと、
煙が窓から入り込んで蒸せたり、その他にもススやら液体のしずくなど(トイレ?)
色々飛んで入って来るから窓を閉めると、一気に旅情は醒める。

そして今度はその「遅さ」に苛立ち始める!
埼玉と言えど、あの沿線の景色は秋田とあまり変わらない田園風景=
一向に変らない景色。
速度も安全運転な原チャリ程度。飽き始めるとタマラナイ苦痛になった。
もう二度と乗るもんか!…と、

まったく救いようがないダメダメオジサンだったなあ自分…。

実は旅先でパチパチ、カシャカシャとセワシく写真を撮る人に対して、
私は少なからず偏見を持っていた。
もっと景色を楽しめよ、一期一会を大切にしなさいよ….と正直思っていたから、
撮り鉄なんて全然理解出来なかった。

既にご承知の通り、情緒がなかったのは完全に自分の方だ。
根拠のない偏見といってもいい。

今日も汽車を待つ間(良い響き!)、一期一会な方々に
老練な知識や技術を様々伝授いただいたり、
貴重な体験談等も含め、楽しい時間となって、
結局同じ場所に往復=即ち朝・夕2度訪れることになった。

明日も行こうかなあ!?

トップの覚悟

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上のイベントに関しては敢えてコメントしません。
まだ発展途上なテクノロジーを用いたエンターテインメント。
最低限、覚悟の足りない演し物にはもっとキビシイ評価をすべきで、
それがより高いレベルへの暖かいサポートだと信じてます。
もっと頑張れー!。

35年間も東京にいて、さて秋深まりし候、私はどうして過ごしていたのか?? 
いやはや全く思い出せず、ただただ「なんだあ?今日は肌寒みーなあ…」
とかなんとか言いながら、特に季節を感じる事もなく、
ただただ毎日、仕事に出掛けていただけの自分だったのだろうと思う。
まあ、身動きとれなくなった2年前の11月の朝の寒さだけ、妙に覚えてたりして。

と云うわけでグダグダとプチリタイヤな生活を今もしているわけだが、
このままいつまでもダラダラしている身分では残念ながらない。
いずれ近いうちに「社会復帰」せねばならない。

まあその前に軽く秋田で肩ならし的に働いてみようかな!なんて考えてもいたが、
そんなに甘いものではないらしい。
そもそも私は秋田で働いた経験がないから、何となく興味はあるし、
自惚れかもしれないが、半年も私をうまく泳がしてくれれば、
会社は大いに「儲かりまっせ!」的な根拠のない自信は充分あるのだが、
最後はいつも「アー.,.車の免許ないの」…で、

残念ですが今回はそういう事で(どういう事?)…となる。

そんな時は、
あ〜あ、この会社、車の運転ごときで儲け損ねてやんの!...
と思う事にしている。

ただし失敗例もある。
仕事的には、会社が潰れてしまった以降、色々変化に富む?時期が少しあって、
そんな時に取引先でもあった五反田にある「アジア雑貨屋」に請われて入社した。
女性社長直々に「全て任せるから、会社組織を一から改革し立て直して欲しい」
と命じられるが、
「ならば私に給料は平並みで良いが、最低限の役職肩書か人事権が欲しい。
それが許されないことには失敗もあり得る」と答えたが、
結局、それは実績次第!?とかなんとか明言を避けられた。
この会社で一番先に改革しなくてはならないのはこの人の中途半端な態度かも!?と、
早くも不安になる。

本来はトップダウンで私に全権が与え得られ、
言う事聞かない奴はこうしてくれようぞ!と、上から攻めれば改革なんて
分けないのだが、今回はそれは無理そうだ。

仕方がないから、各店舗を廻り、辻説法の如く旧来のスタッフに対し、
噛んで含めるように入念な打ち合わせをし、
まずそれぞれが何をスべきか?どのような観点で仕事に取り組むべきか?を、
いちいち納得してもらいながら改革・変更してゆくマドロッコシイ方法を取るのだが、
実際には一向に進展しないので、どうしたのか?と尋ねると

「お前はそもそも何様だ!なぜ新人のお前の云う事をきかねばならないのだ!?」
と予想通りの結果になり始める。そこでまたじっくり説明を繰り返せば良いのだろうが、
あいにくと私もさほど気長な性格ではないので、
自分で改革その1を強行してしまうと当然社長に呼び出され

「あなた評判悪いわよ!生意気、ナニ様?とのクレームだらけよ」と云われ、
さらに「人事権なんか与えなくて良かった!」とか小声でヌカした時点で
私は突然の脱力感に苛まれ、まずコイツを先に攻略すべきだった!。
と自らの作戦失敗を悟るのだった

まず代表者が改革の覚悟をしてもらわない事には何も始まらないのだ。

私が秋田に戻って来た約1年ちょい前に、
TVニュースで知事が
「観光振興企画を役所でなく業者にやらせてみよう」という話があって、
その時に知事からはっきりと
「ヤラへてみて駄目だば、やめらへればいいだけだべ。ハハハ。」
という、なんとも不快な軽口が聴こえた。

ここにも覚悟してない人がトップに居座ってるのか!
と情けない気持ちになったものだ。

デビュー1周年です。

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丁度1年前の同じ通町のお祭り(行列?)が私にとっての「一眼デビュー」でした。
まあその時はノーリスクの「オートポジション」でバシバシただただ撮っただけ。
それまでのコンデジに較べれば、確かにまあまあきれいに写ってはいるのですが、
当たり前すぎて面白味も何もない「ただ普通に写ってるだけ」の
徒労感に意外にも苛まれることに驚きます。

そしてあれから1年。今はキットレンズを捨て、
かなりハイリスクなマニュアル撮影に一応なってますから、
当然失敗写真の山また山。
しかし時々『我が意を得たり!』な会心作も何千枚に1枚くらいはあるわけで、
そうなるともう楽しくてヤメられませんね。
この確率を縮めていったその先に何があるのだろうか?
などと考えるとゾクゾクします。

ちなみに通町では沢山の良いお顔を撮らせていただきましたが、
これはやはり公表は無理でしょう!
と云うわけでこの街のシンボル「木彫りのホテイサン」にご登場願ったわけです。
ちなみにこの御仁は当然ながら、ジジイになりつつある私をしても、
子供の頃から同地に鎮座(座ってないか?)なさっておりますね。

さて「ブラジル戦」さっき終わりました…。
ブラジルにはラッキーな2点目が期せずして入った時点で、
日本はもはや前掛かりになるしかなく、
ブラジルには楽に得意なカウンターで攻められる
大量失点パターンにハマってしまいました。

ただ日本のボールポゼッションとか良い面もたくさんありましたから、
卑下する事はないです。
ブラジルはあれが典型的勝ちパターン。
もし日本が先取点を取れば、全く逆の展開もあり得ただけに、
この先楽しみが増えました。

日本はチョイと運が悪かったけれど良い試合をしました!。

日本代表と秋田県代表の実力??

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ああ機会があれば是非観たいものだなあ….
でもそんな時が自分にやって来るのだろうか? 
と思い続けて数十年!? 
なんでか今年だけで既に3度目の西馬音内盆踊り。
しかもウレシハズカシ真っ昼間!。
さあ、来年も果たして観れるのだろうか!?



土曜の朝というのか金曜夜から
親善試合ながら「フランス戦」を前に興奮して眠れなかった。

屈強な体躯の欧州人が、
日本人の、チョイとひ弱だがチョコマカと技術を駆使する選手に対する時、
「フフフ…確かに速いし巧いが…俺達ちゃーんと対策は考えてるもんね…
 おっと悪いね、今はそれ以上言えないぜ!」
なんてモッタイつけておきながら、大体本番になると

「ガツンとブチカマして吹っ飛ばしてしまえ!」
との単純戦術にいつもとどまるらしい。

逆に日本はデカイ相手に対する策として
「常に二人で囲み仕事させない」と言いながら、
かつてはスピードで見事に置き去りにされていたのが、
今はキチンと作戦が機能している。

そういう目線で試合を観ていたから、
私には日本が負けると云う気は全くしなかったし、
1-0で必ず勝つ!ドローなら失敗試合!と思っていた。

しかしだ、勝ったとは言え、
圧倒的にゲームをホームのフランスに支配された事を卑下する論調や
選手の反省の弁があったのも事実だが、
私に言わせりゃフランスなどの強豪国相手に、
日本が圧倒的なゲーム支配などまだ20年早い!と思う。

なにしろ日本人はまだまだフィジカルが弱い。
体幹自慢の長友にしたって背が無いのだから、
ヘディングで競ったり、合法ショルダーチャージで相手を
ぶっ飛ばすなんてのは不可能だから、
下からチョロチョロ突破するメリットを最大に生かしてるではないか!

スキをついて勝利をかすり取る戦略が、今の日本には常道だし論理的と云うものだ。
その辺りを選手やサポーターには勘違いしないで欲しいなあ…と考える。

しかし後半、乾が入ってから、はからずも元セレッソ大阪トリオが
2列目を構成したわけだが、
その躍動感と、そこに突然現れ突進して来る長友!
新時代の日本代表!と涙が出るほど興奮した。

さてそこにどう絡むのだ本田….やっぱりボランチだろ!?
スネルだろうなあ、めんどくさそうだなあ。

エレキが好き!

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LAST COSMOS...あんなに恨めしかった日光がもうトロトロ...。



アコースティックギター(Acoustic Guitar)の
木と風の清々しいサウンドはもちろん好きだ。

しかし較べるものではないのかもしれないが、
私はそれよりエレキギター(Electric Guitar)が断然好き。

まず一番好きなフェンダーのチューブ系アンプのSWを入れる→赤いランプが付く…
これだけで一度グラッと来る(軽く感動する)。
ワイルドにプラグを挿し、ギター側のヴォリュームを一気に上げると、
無音ながら急激に空気が膨張するような緊張が軽いノイズとともに立ち上がり、
ハウリング寸前の危険きわまりない空気を醸し出す。
そしてトニック系のパワーコード一撃!!........
 
そのビリビリヒリヒリとした、
弦のみならずフレットもブリッジも、
あるいはトレモロユニットのバネからペグに至るまでを巻き込んだ
無骨な鉄そのものな音の塊に文字通り痺れるわけだ。

と云うわけでアマチュアな時代の私はストラトキャスター命。
世間では枯山水系の60年代初頭のモノがモテハヤされていたけれど、
私が好きなのはCBS以後のちょっと雑で粗悪とも云われた
60年代後半から70年代初頭までの太い&デカイ頃のストラト。

兎に角フレットがやけに太いから、もろにフレットの豪快な音がする。
そこが大好きだったのだが、
あるとき先輩ミュージシャン(SAX奏者)にイミジクも云われた。

「君ねえ、そのギターでまさか仕事やってくつもりなの?
 楽器はちゃんと選ばないと他のミュージシャンが迷惑する…
 はっきり言ってそのギターのヘロヘロな音程じゃ全然ダメ!
 っていうか、最低Gibson買わなきゃ仕事にならんよ!」
 と言われた。

気に入ってたギターだけにショックだった。
しかし一念発起してもGibsonはまだとても買える状態ではないが、
生まれて初めての「クレジットカード」というのを使いながら、
少し曲折あったが、なんとかGibson335というのに辿り着いた。

世はフュージョンブームで猫も杓子も335って時代だったが、
私にとっては尊敬する秋田のデルタブルースの父「M氏」使用の
憧れのギターでもあったのだ(ちょっとしつこいね)。

そして以前も記したが、不思議な事に、手に入れたその夜から偶然「仕事」が来て、
それがレギュラーに繋がった。

そして1年足らずで突然「盗難」に遭う…他にも商売道具イッサイガッサイ。

そしてまたストラトキャスター生活に戻るのだが、
もはやその楽器の「へろへろ」音程を、誰からも指摘される事なく仕事は出来たし、
レコーディングでも何度も使ってる。
ちゃんと定期的にリペア屋に依頼してオクターブピッチ調整とかしてもらってれば、
捩じれた個体でない限り充分使えるものです。

その後、私は基本、楽器を売ったり出来ないタチなので、
そのストラトキャスターも誰かに貸したまま行方不明。
音楽を生業にしなくなっても、何となくギターは色々買ったし、
収入的に余裕あった時期はかなり高額なモノも手に入れた。
しかし今、手元には1本もなく
(東京の本宅?に1本仕舞ってあるが最愛のモノではない)、
だいたい部下や友人に「欲しいなら持ってけ!」と差し上げたりした。

人生の1本!?を問われれば、
間違いなく盗まれた335か、行方不明の’68ストラトキャスターってことになるが、
もはやカムバックは見果てぬ夢だね。

長い旅の終わりのミラノ食堂?

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MILANO SOUL TO SOUL Vol.2
@秋田市山王 イタリアンレストラン『ミラノ食堂』
お呼ばれしましたので早速行ってきました
戦時下ミラノの地下秘密レジスタンス敵性音楽演奏会…
そんな馬鹿馬鹿しい冗談も全てOKと思える
中年パワー炸裂の音楽&呑み会の夜でありました。



過去、もうゲップが出るほど海外旅行をした。
しかし楽しい思い出なんて殆どない。
当然である…全て出張=仕事旅であったから。
楽しむ以前に過酷すぎるスケジュールとプレッシャーに
押しつぶされるような辛い旅ばかりだった。

旅って、ホントは楽しいものなんだろうね....。

そういえば今日だけは後生だから休ませてくれよ!ってほど
ライブ演奏をやってた時期もある。
もう指先が腫れ上がると言うか、厚く硬くなった皮がズルリと剥けて、
そのくぼんだ内側に、赤くて、まだ成長過程のような新しい皮が見えるのだが、
その幼いイタイケな皮を、また金属弦で容赦なく擦らせる….
そんな辛いライブはいくつもあった。

更に云えば、ライブ現場というのは、常に関係者の厳しい目(耳)によって
空気がピリピリと張りつめていたし(昨日はレコード会社の偉い人?
今日はスポンサー筋のお偉いさん、明日はプロの社長さんかよ!という感じ。)
ミストーンには容赦ない罵声が飛び交い、理屈では説明出来ない筈の
「エモーショナルなノリがイマイチだった」とか云われても分け分からない。

また言葉として憚られるが、女性歌手の場合…
マンスリーな体調を知りながら、本来守らねばならない抑制を忘れ、
無駄にバンドがついハイになってしまったとか…でまた怒られる。

ゲーノー界食物連鎖の最下層、それはミュージシャン....そう思い込んでいた。

バンド自体も、意外にも同じバンドなのに
ヒトが日によって入れ替わり(「トラ」という代理の演奏者)
もはや誰だか分からないような奏者の怪しげな演奏に腹を立てたり…
そんな事ばかりで、ライブ本来の楽しさ、
バンド音楽の、他に例えようがない調和の快感を
長い間忘れていたような気がする。

拙ブログ で紹介させていただいたオヤジバンド「PORTO」のボーカルの
幼馴染のH君がオーナーのイタリアンレストラン『ミラノ食堂』でのライブは、
そんな忘れていた感覚、人生のどこかに置き忘れていた大事なモノを
突然ドドドド….と思い出させてもらったような、そんなライブの夜となった。

登場したミュージシャン達にはもちろん、ナイスなお客樣方にも、
その場にいたみんなに「ありがとう」と言いたい清々しい気分であった。

また当ブログのおかげなのかどうか…?
件のエレキ大王で、秋田のデルタブルースの父
「三ツ井氏」に色々勇気付けてもらったのも、
何だかテレクサくも嬉しい時間だったなあ。

なんだか音楽経験も海外経験もナンモカンも含めた超長〜い旅を、
今やっと終えて故郷の仲間のところにいる。
そんなリラックスした気分だが、
あまり云うと家人や家族に怒られるのでこの辺で。

なかいちあさいちで豪華サラダ。

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ちょいと早起きして、ふらっと@エリアなかいちで開催の「朝市」へ。
これから毎週土曜朝(7時〜9時)に開催する予定とか。

実は毎朝、実際の卸売取引=「セリ市」をやっていた活気ある時代の
秋田市民市場近くで育ったから、
そういう賑やかしさを朧げに期待しつつ「朝市」に出掛けたのだけれど、
勿論そういう光景には遠く、
それはもっと足を伸ばして「外旭川の卸売市場」とやらに行かねば感じられないようだ。

しかしこれはこれ!
今日のエリアなかいち朝市の僅か4軒の販売ブースから、
「今後の発展」に期待したい。

もしかすると数年経ったら、
なかいち前庭を埋め尽くした数百軒出店におよぶ
秋田の一大イベントいやページェントに成長してるかもしれない! 

取り敢えず今日のところは、万里の道も一歩から....
全ての店先で公平均等に購入しても出費400円。
しかもドッサリ!。
パプリカや獅子唐は早速焼いて食った。
そしていつになく豪華すぎるサラダはじめ賑やかな食卓!
それを考えれば充分価値のある400円…いやいやイベントだすな。
ガンバレ「なかいちあさいち」!
って勝手に命名してますけどぉ!?

栄光と挫折の10年間

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『くすだまくさぎ』という花だそうだ。実は初めて見た。
しかも実家の鼻先で!



ノッピキナラナイ事情があって、
25歳目前にキッチリ「バンドマン」生活に見切りをつけ、
即座に「一般企業」に就職した。

ノッピキナラナイ事情の方は、
「キチンと生計を立てねばならなくなった」というありふれた事情だ。

「一般企業」とはいえ、そこは限りなく零細に近い中小企業、
しかも創業したばかりの貿易会社。面接で貿易書類(L/C)の英文の特約事項
を訳せ!と云われた、これが中学2年程度の捻りのない素直な英文で楽勝。

先輩社員達(既に主任、係長、課長、次長、部長、常務、専務等々全て揃っていた)は、
創業社長前職の元々の同僚、部下、取引先担当者などの集まりらしく、
私はいわば最末端の使いっ走りで、主に力仕事と雑用担当…という
ダウンアンダーなポストだった。

だからそれから28歳辺りまでの仕事の記憶が一切ない。
ただガムシャラに目の前の与えられた仕事をこなしていただけだから…。

ある日、取引はないが、業界の「うるさ方」として知られ恐れられていた
大手商社S商事の専務に呼び付けられる。
上司達は戦々恐々としつつも怖じ気づき、
結局「使いっ走り&ドブさらい3年目」の私が出向くことになった。

専務は我々の力を試すように、様々細々な宿題を言いつけ
私はその解答を少しずつ探りながら、商社Sに日参しヒントを探っていた。
先輩上司諸氏からは「無駄だよ、どうせアチコチに無理難題を言って
我々が苦しむのを喜んでるんだよ。ヤメちゃえそんなもん!」と言われたが、
コチラも半ば意地になって攻略法を探っていた。

しばらくして、どうやら私はその解答を手に入れたらしい(内容の記憶なし)
年間十数億円の契約をS商事と締結することになった。
この契約がやがて会社運営の大きな柱=屋台骨となるのだが、
私は入社3年目、営業部主任、部下2人の立場が、
一気に十数人抜きの新設第二営業部部長。
部下…良く分からんが何十人か….という事になった。

やがて30歳を越えると統括本部長になるのだが、
その時点で私は自動的に先輩方(既に上司ではない)の多くを敵に回したようで、
気付かぬうちに「会社を2分する派閥の片方のオサ」になってしまい
改革派の若手の頭目、悪しき流れの元凶...として憎悪の対象となっていた。
コチラに対抗しようと、先輩方の無茶すぎる暴走を毅然として止める事がうまく出来ず
(不幸にも社長も向こう側だったから)、次第に会社はすこしづつ傾いてゆくのだった。

そんな25歳から35歳あたりの10年間。
もうチョイお利口に、腹黒い寝業師として老練に
「ソチも悪よのう...所詮奴らはワシの手のうちで転がされてるとも知らんで
 オーホホホ..」
と立ち回っていれば、今も細々会社は続いていたかなあ、
あんまりいい気になるんじゃなかったかなあ....未熟だったなあ、などと
まあ後悔が多い10年でもあったわけだ。

デビュー50周年。

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ⓒApple Corps

ポスターとはレコード屋さん等で無料でイタダクもの!と思っていたが、
このポスターは、当時開店したばかりの「秋田プラザ(現キャッスルホテル)」の
イベント(確かビートルズデビュー10周年フェア!)で600円?で購入した。
シングル盤400円の時代、2時間ぐらい周辺をウロウロしながら
散々迷った挙げ句の大英断!
画鋲の痕なんか勿体なくて付けられなくて、遂には壁に貼らないまま無くしてしまった。



2012年10月5日で「ビートルズ・デビュー50周年」なんだそうな。
1962年10月といえば、私は過保護な茨島のスクールバス送迎付き幼稚園の
年小「チューリップ組」…。だからビートルズ活動中は

「お昼寝&お遊戯の日々」から「半ズボン&ランドセルの日々」。

その間、覚えているのは社会現象となった『66年の来日公演』。
学校の掃除当番で新しいダスキンモップを頭に乗せ、
ほうきを「エレキ」に見立ててテケテケとふざけていたらセンセーに叱られた
(まだビートルズとベンチャーズの区別がついてなかった)。

そのランドセルデイズの最後の年に買ってもらった初ビートルズ45RPMが
「HEY JUDE」
アクビが出るほど長くてシツコイ曲。
しかもB面は音が割れててギャーギャーワーワーとウルサイだけ…!

やがて学生服を着始め、サッカー部で黙々と走るだけの日々を迎えた頃、
秋田の街のあちこち=金座街も金萬も、ブルーチップのなかよしもお菓子の丸丹も
山甚もリボン会館(?)も、広小路ト一屋も加賀谷書店も文具のイトウでも、
関西安売王マルサンでも、セントラルデパートでも、木内も恊働社も本金も、辻兵まで、
ポール・マッカートニーが唄う「LET IT BE」が
「れりぴぃー…さあ解散だべ!皆さん、最後のビートルズだすよ!」
という悲しげな響きを発しながらかかっていた時代の情景をよーく覚えている
(勿論、歌の中で「解散」とは言ってないが、紛れもなくそう聴こえた)。

だからこの曲は絶望的に悲しい曲としてインプットされ、未だに大キライ。
ジャケットもお葬式写真みたいな黒枠のイヤな雰囲気だった。
とは言え、本格的にビートルズを聴き始めるのがこの直後から。
「遅れてきたビートルズ世代第1号」である。

なんか我々の世代はすべてこんな調子。
「ブランク・ジェネレーション」と云うらしいが、
激動の60年代は子供だったし、
さていよいよデジタル時代!にはオジサンになりかけていた。
唯一誇れるのは「輝ける70年代の生き証人!」な筈だが、
70年代を「輝ける!」とするのはどうやら「我々世代」のみの様相である。

ともあれサッカーとビートルズ三昧な中学生活で、
折角の「記憶力最活性年代」を無駄な知識蓄積に費やしてしまう『残念な自分』である。

取り敢えず、ビートルズデビュー50周年…は、
とりもなおさず、ビートルズ解散42年、
すなわち私の本格的ビートルズ歴42周年!!となるわけで、
何とも皮肉であるわけだ。

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