ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
MENU

久々の大群衆パワー!

IMG_0151.jpg
少し前に、桜新町駅前だったかな(?)
磯野波平像の1本しかない髪の毛がイタズラされる事件があり、
その破廉恥な行動を呆れておりましたら、
我が街でも…。
情けない、本当に情けなくて恥ずかしい事態です。

プレスによれば、防犯カメラで犯人像(過去3回分?)
をテキカクに捉えているとの事なので、
この際、その映像を「公開」すると発表しさえすれば、
犯人は慌てて自首するんじゃないだろうか? 
ヘタに公表されると、軽犯罪とは言え、一生
「あいつは!!」
とウシロユビ差されつつ、
親戚一同にも多大な迷惑をかけることになるわけで、
イタズラの代償としては恐ろしく甚大!。

犯人よ!早めに名乗り出て謝った方がいいぞ!。と言いたい。



千秋公園の桜はまだマバラで貧相な感じ。
しかし秋田には珍しい(?)大群衆を見物したければ、
一見の価値はありかも。

二の丸はまるで日曜か縁日(4の日)の
巣鴨地蔵通り商店街か渋谷駅スクランブル交差点。
松下門の坂ですら竹下通り。
イヤタカ神社付近も「オッ!初詣の明治神宮?」と見まごう賑やかさ。

大群衆のマッタダナカはストレスばかり!
と、ずーっと思い続けてきたけれど、
久しぶりに大群衆を感じてみると、
意外にも様々なパワーがタップリと貰えたような気がします。

イザとなれば秋田のヒト、相当パワーあるみたい(!?)。
0146.jpgにほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

スポンサーサイト

悪い夢

IMG_4292.jpg

新宿区の、昔住んでたアパートの近く
夕暮れ時の神田川のほとり。
私はなぜか1本だけの満開の桜を眺めていた。

その木の下では風車屋が店を開いていた。
テレビでよく見る、博学なお笑いタレントそっくりな
大きな体躯の売り子が、
愛想の良い笑顔で私に風車を勧める。

「旦那さん、ひとつお嬢さんにどうですか…」
「いやいや、ウチのお嬢はもう、そんな風車を悦ぶような歳でもないし…」

と断るのだが、売り子は強引に、私に風車を1本手渡した。
ほんの少しだがイラッとした。
大男は笑ったまま顔を近づけ、
上目遣いで多少こちらを威嚇しながら

「150円…」と言った…

と同時に私は土手を一目散に駆け上がり、
そのまま逃げ去るのだ。
風車が激しく廻った。

一心不乱に走って、土手の切れ間の橋を渡るところで
初めて後ろを振り返ると、
なんと大男は鬼の形相で走って追い掛けて来ているではないか!

私はさらに走って逃げる。
橋を渡るとそこはなぜか

秋田の実家の近所だった。

まだ大男との距離は変らない。
家の近所の路地を、追っ手をまくように迂回しながら逃げ、
角を曲がって実家にスクッと逃げ込んだ。

実家は今と異なり、私が生まれ育った2階建てモルタル造の古い家。
2階の窓から外をこっそり見ると、
男は実家の前をウロツキながら、
やがて視線を上へ移し、思わず視線が合いそうになる。

とにかくこれで諦めて帰る事だろう。
しかし自分は何だって「風車なんか盗んだんだろう。」
「しかもあの売り子も何だってココまで追ってくるのだろう?」
しかし疑問は疑問として、とりあえずこの件はもう終わりだ。
と思っていた。

既に亡くなってる父が、なぜか会社から帰って来た。
父は私に「おい、何か大きな男が家の前にいるけど、
あれ、お前の友達じゃないのか?」

私はもう一度2階に上がり、外を見ると
「奴はまだそこにいた」
そして翌日も、その翌日も…。
私はもう怖くて怖くて外へ出られない。

やがて夏になると、
奴は実家の前で風車の屋台を始めた。

ある日、屋台の軒先に見覚えのある女の子が風車を選んでる。
女の子は
「おじちゃん、何故こんなところでお店開いてるの?」と聞いた。

「それは、おじちゃんのね、
 大事な大事な娘を連れて逃げちゃった男を追い掛けてたら、
 この辺りで見失っちゃたの。だからさ」

「ふーん、じゃあ、私がおじちゃんの子になってあげるよ」

「そうかい、いい子だね。じゃあ一緒に行こうか…」

後ろを振り返ったその子は、私の一人娘(の子供の頃)だった。
私は勇気を振り絞って階下に下り、
数ヶ月ぶりに外に出た。

「やっと出て来たね」

そう言ったのは大男ではなく、
娘の方だった。




朝5時にウナされて目が覚めた。
外はシトシト雨模様。
「桜は今日も駄目だなあ。また今日も千秋公園は
 ○○屋サン達の殺気に満ちた黒い雰囲気に満ちあふれてるんだろうか?」

何かツライから30日過ぎてからお花見いこうかな…
と一時は考えたものの、
あまりにも夢見が悪すぎたので、

「いや、しっかり公園行って、金魚の一匹でもスクって来よう、
 そうだそうしよう」

と、思うのだった。

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

さりげなさが痛い我が故郷

4669.jpg
開花宣言の翌日!なのに、まだ花の方はまばらな本日でありました。




父の病気見舞いの時だから2000年頃(AD)の話だ。

珍しく一家3人で秋田空港に到着した。
すでに携帯電話はかなり普及していた時代だが、
なぜだか私はこの文明の利器に対し
当時「不快」を表明していたから持っておらず、
空港内の公衆電話で実家に
「直接病院に向かうから病室番号…」
を尋ねようとした。

公衆電話に10円玉を数枚入れて、
「おっとここは…雄和か…」
などと考えながら、市外局番+実家の番号を回すが、
全く通じる気配がない。

売店のヒトに大声で、「ココってどこ?なに市?」
とバカな聞き方ながら、
店のオバちゃんはキチンと「秋田市だす」と答えます。

「ココ、いつから秋田市になったんだよ…ッタク…」
と多少苛つきながら独り言をいい、
今度は市外局番を抜いた番号を押すのだが

やはり一向に繋がらない。

本来私は短気な方ではないが、
クソっ!電話壊れてやがる!
これも、あーこれも…いったいどうなってやがんだ秋田空港!と
イライラもMAXに達していた。

するとさっきのお店のオバちゃんが、
私のタダならぬ佇まいを察してか、
私の側にやって来て
ノンビリとした口調で話しかけて来てくれた。

O「旦那さん、どこさ電話かけてるの?」
私「秋田市内の実家…」
O「それなら市外局番は要らないよ」
私「それはさっき聞いたから…」
O「番号は間違いない?」
私「○○-○○○○」
O「旦那さん…局番3桁だよ秋田市は…」
私「えっ?何それ?」
O「あたまに8付けねば駄目だすよ」
私「…8?」
O「んだ8だ…。」
私「だって普段は0188…」
O「市外局番は018だすよ…」

何だその適当な安直さは?

0188-(○○)-○○○○だったのが
018-(8○○)-○○○○にいつからか改訂。

県外に住んでる我々には、まったく知らぬ処の話だが、
運用的にはまったく問題なし…
実に秋田らしい『さりげなさ』。
もはや『愛情』すら感じる措置ではあるけれど、
やはり違和感がある。

これに乗じて「秋田」をもっとアピールし、
「県外在住秋田出身者」などに対してナニガシカを呼びかけ、
何らかの産業に繋げる良い機会だったと思うが、
いやはやサリゲナイなあ秋田は相変わらず…。

と、病院へ向かうタクシーの中でニヤニヤする
「オトーサン久々故郷に到着す」の図であった。


にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

輝く季節になったけれど....。

102.jpg
秋田も、やっと春らしい陽気となりました。
自転車で街を流していると、
アチコチの軒先にも次々と「色彩」が現れ始め、
桜が終る頃になると、いよいよ街中が爆発するように新緑が芽吹き、
一年で最も生命感に満ち溢れた素晴らしい季節となるわけです。

……なんてね、理屈では充分わかっているんだけれど、
実際に自然の凄まじいまでの息吹きを肌で感じられるようになったのは、
ここ1、2年の、秋田に戻ってカメラを日常的に持ち歩くようになってからの事。
威張れた話では決してないのだった。

家人が温泉好きなせいで、箱根や伊豆方向には頻繁に足を運んでいたから、
2月後半の伊豆あたりの「梅」は随分と観た。しかし...

「う〜む、綺麗だねえ…枝振りが…実に…
でも寒いから早くどこかで茶でも飲みませんか?」

そんな調子で足早に、広大で見どころの多い「梅園」を、
さっさと後にしていたように思う。
サシズメ今なら、カメラを抱えて半日は充分居れるなあ…そう思う。

随分と時や経験を無駄に(無意識に)浪費してきたなあと思う。
せっかくの休日は、ゆっくり家でノンビリさせてくれ!…
と随分と家庭サービスから逃げて来たのだが、
今は本当に後悔している。

もっと家族と濃密な時間を
1分でも多く過ごすべきだった…。

別に家族崩壊したわけではないけれど、
思ったより早くカラダがポンコツになってしまった。
もっと身体が動くうちに、家族であちこち観て歩くべきだった。
心からそう思う。

またやり直せると信じてはいるけれど…
せめてバリバリ働けるような身体を作らないとね...

そんな感じの、今年の春である。

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

時代の徒労、または2001年宇宙の旅

SB62x.jpg

70年代後半、学生として上京した。
新生活が始まった私だったが、
基本的にヒマ人に相違なく、
その有り余る時間を潰すためかどうかはもう忘れたが
友人に誘われまま
「映画研究会」なる団体に顔を出すようになった。

気が付けば都内の名画座をゾロゾロと渡り歩き、
フェリーニの「8 2/1」から
日活ロマンポルノ「感じるんです/泉じゅん」まで、
サマザマ興味のあるなしに関わらず観まくる生活となった。

そんな中で突然
「スタンリー・キューブリックの”2001年宇宙の旅”の再上映を願う会」
というのに、やはり知らぬ間に加担させられることになった。

当時、同作品は配給元のMGM社か日本の契約会社の
そのどちらかが経営破綻状態にあって、権利が宙に浮き
「配給不能」であったらしい。
名作と謳われながらも1968年の初演以来、
全く観れなくなっていたから
この映画は「幻の名作」とされていたのだ。

今はビデオで苦もなく観れるが、
そんな時代も確かにあったのだ。

ある日、...ある関西系の喜劇俳優さんが、個人のコレクションで、
同映画のコピーフィルムを所有しているらしい...
という情報が入った。

それを首尾よく借りられれば、上映会を開いて、
一気に会の主旨は達成される....。
で、そのネゴに何故だか私にも同行しろ…という事になった。

既にアポは取ってあるらしく、
まあついてゆくだけなら…
と確か調布市の、まだ広大な畑に囲まれた
閑静な住宅地まで出掛ける事になった。

先方俳優さんは終始無言。
明らかに迷惑そうにクビを微かに傾げながら、
我々(4~5人?)の主旨説明をジッと聞いていたのだが、
いぶかしそうな表情のまま、やっとその重い口を開いた。

「お金…取らはるんでしょう? 
 それならキチンと代理店やらエージェント、
 通すべきやないですか?」 と言った。

「入場料はあくまでも上映会場を借りるためのカンパに過ぎない」
 というと

「でも、もし満員で立ち見も出たとなれば利益も多少出ますやろ。
 で、どうしますの?誰に利益をを支払いますの?私じゃないよ、
 私に権利なんかおまへんがな....。
 それと、フィルムを紛失したり、破損したらどうされますのや?
 ちゃんと事前に保険掛けてくれますの?」

こちらは学生ばかりだから、
そういう「業界通念」など知る由もなく、
ただただ安易に「若い熱意」でお願いすれば何とかなる!
という根拠のない自信が、単なる甘えに過ぎなかったことを、
一気に実感するのだった。

やるせない敗北感と無力感に苛まれながら
トボトボと畑の道を引き返した情景を良く覚えている。


結局、我々の運動とは一切無関係に、
翌年、唐突に権利関係がクリアーになったらしく、
『2001年宇宙の旅』
10年ぶりに日本中でリバイバル上映された。

時代は「スターウォーズ」や「未知との遭遇」、
「スタートレック映画版」などの宇宙SFものがトレンドとなっていて、
『2001年~』もいわば時代のニーズによって
必然として復活したわけだ。

結果的に我々の小さな小さな運動など、
なんの役にも立たなかったわけだが、
一生懸命に「署名運動」を興し、会の規模を広げようとする者や、
配給会社や上映館と根気よく交渉する者、
動画は無理だが、スチルを集めて、
展示会+イベントで盛り上げようとする者など、
沢山の一生懸命な人々を目撃した。

『2001年宇宙の旅』は今や、いつでもどこでも普通に観れる。
気がつけば私のiPhoneにも映画がまるまる入っている…
そんな便利な2013年の今の時代...
目一杯、幸福な時代の筈なんだけどなあ….。

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

ブラック企業はまっぴら御免。

_2931.jpg

仕事って言うのは、若い頃はキツくて苦しくても、
歳をとれば段々楽になる(のだろう?)と信じていた。

ところが実際は歳をとるたびに
仕事上の責任は重くなって行くばかりで、
40代になって様々あって転職した会社では、
ほぼ毎日帰りは終電ギリギリ、
下手をすればそれをも逃して、朝まで仕事。
タイムカードを打ち直して次の日の業務を行い、
また終電で帰るか、或いは帰れなくて、
今度は近くのサウナやビジネスホテルに宿泊するのもタビタビ。
それが普通。

幾度か終電に乗り込んでそのまま目が醒めたら終点「八王子」…。
タクシーで戻れば2万円。
ビジネスホテル7千円=3畳ほどの部屋ビチビチに置かれたシングルベッド。
テレビは置くスペースがなくて、天井から釣ってある…
冷蔵庫はなし。
かろうじて洗面設備はあるけれど、
蛇口を捻ると水がはねて布団が濡れる…そんな感じ。

トイレもシャワーもなし。
勿論宿泊するのは私のような
「終電乗り越し組」か「前後不覚の酔っぱらい」だから、
値段もアシモト見過ぎのボッタクリ、そんな感じだ。

いくら寝るだけとはいえ、気分が悪いので、
始発近くに起床して、一旦自宅に戻り、
入浴してまた7時30分に家を出て出社する。

朝、同僚と顔を合わせても
「おはよう…ってか、何時間ぶり?」とお互いに苦笑して、
午前の会議。

いつものように経営者に
「この給料泥棒ども!もっと働け!」と嘲られる。
業績絶好調でも
「オマエら少しばかり好調だからって、いい気になるなよ。
 この機会にもう一段引き締めろ。役に立たないバイトをただちに解雇して、
 また人材募集をしろ!。
 大阪店の労働基準監督署からの勧告問題は今月中にケリをつけろ。
 出張?前回は文書で解決させたじゃないか!?
 今回も同じで得意の屁理屈文書で処理!。
 物流費X%を今週末までに縮小。
 目標値を達成するまで帰宅しようと思うなよ!」

そんな感じが数年続いたら
さすがにカラダのアチコチが一斉に悲鳴を上げた。
「あれ?なんか目の下が腫れてますよ?」
と言われてる間にみるみるプクーッと、
顔が2倍の大きさに腫れあがった!。
突然歯ぐきからの膿が顔面全面を腫したらしい
(深夜に救急ERに駆け込んだ)。
病名はわからず終いだったが、
それ以降カラダのアチコチに膿がたまるようになった(今は完治してるようだ)。

胃潰瘍はもう慢性。
神経痛も治療する暇がなく、
無理をすると足腰腕の間接に激痛が走る
(今は無理することがないので?症状はない)。

そうこうしてるうちに精神状態も、
もはや自覚出来るくらい不安定になって、
3年半勤めたブラック企業の副社長という名の
「ブラック系諸々雑用処理係」を逃げるように辞めた。

辞めた後、1ヶ月のうちに他の幹部の同僚たちも順繰りに辞め、
その後3ヶ月以内に、その経営者の奥方(専務)まで辞め離婚したらしい。

孤立無縁の経営者だが、
元々は夫婦ともに私の従順で可愛い部下!。
それが突然、祖父からの遺言によって、莫大な遺産を相続して、
独立起業したのだが、それがやがて「金の亡者!」という、
まさに精神的な病のように、彼はそう成り果てた。

いつしか自身の女房すら信用できず、
「東京のアニキ」と慕ってくれた私を始め、
昔っから気心の知れた友までもが
「自分から金を奪い盗ろうとする妖怪」に見えていたらしく、
どんな忠告も提案も、すべて自分を騙そうとする「悪魔の囁き」にしか聞こえず、
まるで信用してもらえなかった。

それだけでなく、従業員たる我々を早く帰宅させたり、
休暇など与えるとロクな事にならない!
どこかの誰かと結託して必ず自分を潰す相談をするに決まってる!
そう信じ込んでいたらしい。

まるでシェークスピアの「マクベス」だな....。

王を暗殺して自分が王位を得たが、周りの親族や親友までもが
自分を殺そうと虎視眈々狙っていると信じ込み、やがて神経を病み
自滅する....。そんな話だったかな....。

実際の彼は、やがて本当の悪の「言葉巧みな経済やくざ」にまんまと騙され、
挙げ句に数億円を奪われたらしい。

一生に一度くらいは手に余るほどの金を手に入れてみたいものだが、
「亡者」になるほどは…いらないなあ。
そう思う。


にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

蔵の中から飛び出たMorris

09414.jpg

私がギターを弾き始めたのは、
やがて中3になる春休みだったと記憶している。

動機はご多分に漏れず、
ギターが弾ければモテそうだったから。

実際、教室や文化祭などで同級生たちが、
当時流行っていたらしいフォークソングの、
吉田拓郎やら六文銭、加川良、古井戸やRCサクセション
(まだアコースティックな時代)なんかを、
ジャカジャカ弾いて唄う姿は、カッコ良いし、
素直に羨ましいなあと思っていた。

本当は電化した大音量ロックバンドをヤリたかったのだが、
当時の中学生ではエレキ=不良少年!だから、
問答無用の極悪人として職員会議に掛けられ罰せられるような時代。
中学の間は世を忍ぶ仮の姿で、
駅前全音で買った「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」
のコピーでお馴染みのアコースティックギター(蔵から発掘)で、
「Guts」やら「ヤングギター」「新譜ジャーナル」なんてギター雑誌で
コードを覚えながら、
やがて高校生になったら「目一杯ハジけてやるぜ、待ってろよ!」
と思い続けながら、ジッと時を待つ事にしたのだった。

高校に入学が決まってすぐに、
東京の親戚宅に半ば強引に用事を作り、エレキギターを買いに行った。

普通に国産のGRECOギターが欲しかったが、
お小遣いが2万ほどしかなくて、
もう少し貯めてからキチンとGRECOを…とも考えたが、
高校生になったからには、もう一刻も待てなかったのだ。

そうして仕方なく、どうしたわけか素頓狂にも
「電気製品…安く買うならやっぱ秋葉原でしょ!?」と、
そこでメーカー不明のベージュのストラトモデルを購入。
さあ、いよいよ大音量ロックバンドを!
輝かしい青春のハジマリだべ!と思っていた。

ところが、もう中学で燃え尽きて灰になったはずのサッカーと
また関わる事になってしまうのと、
その秋葉原なんちゃってストラトキャスターのトレモロアームが、
ビヨンビヨンのゴム動力みたいな不安定さに閉口!
何とも中途半端な情況に陥る。

私のエレキ初ステージも、高1の冬、予餞会(卒業生を送る会?)…
サッカー同好会代表の余興の「ガロ」っていう、
なんとも情けない事になってしまった。

マトモにバンドとしてステージに立てたのは高校2年の秋….
しかし何故かその時の私はエレキはエレキでも
「エレキベース」を弾いていた…。

その後、どうやら私は「モテキ」にサシカカッタようで、
手形の大学方面とか、様々なロックバンドに呼ばれるようになっていて、
ギターにしろベースにしろ構わずにアチコチ顔を出していたように思うが、
実はあまり詳しい記憶がない。
まわりは年上ばかり。
飲み馴れない酒を煽り、
わけのわからないままJazzやらBluesのJam Sessionに明け暮れていたように思う。

そんなわけで、秋田では不完全燃焼なまま、
舞台を東京に移すことになるのだった。

東京では学校でも街でも、もはや大袈裟ではなく、
石を投げればギタリストに当たるってほど数多いし、
バンドの数も膨大。
しかしその殆どがヘタクソでセンスも悪い!と最初は侮り、
秋田のレベルの高さを実感するのだったが、
イザ潜ってみると、東京バンド界の底なし沼は恐ろしく深くて暗い、
出口の一向に見えない蟻地獄。

バンドの価値は「技量」だけではない、組織力みたいなもの。
気の利いたバンドは、きちんと自前のプロダクションチームを持っている。
裏方志向の学生スタッフ達が、
産業手段としてバンドを有名ライブハウスに出演させ、
サクラの客を動員し、
その現場に本物のプロダクションやレコード関係者を招待&接待で、
まんまとメジャーデビューする実例も沢山目撃したし、
事実そんな「経済力+組織力」が、
バンドの方向性と将来を決定づける場合も多い事を知った。

秋田のバンドの、ある意味「純真さ」「真っ当さ」は、
ここでは何の役にも立たぬという事だ。

何だか妙な方向になって来たな…、
何だかヤだなあこの世界…。
しかしズブズブズブと深みに引きずり込まれてゆく自分。
気が付けば21歳になろうとしていた。

(続く…またそのうち)
 
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

屋根裏のスーパースター

peter_hammill.jpg

昔から「外タレ」の来日公演といえば、
さほど「超ビッグアーティスト」というわけではなくても、
日本武道館とか、新宿厚生年金会館(今は閉館)、
中野サンプラザ(まもなく閉館)、日本青年館等々の
大規模ホールというのが定番で、
秋田市でいえば秋田県民会館、
ちょいB級なら産業会館(今は知らない!)という事になるのだろう。

しかしある時代(恐らく80年代)あたりになると、
中野サンプラザ(2200席)でさえ満員にならないどころか、
最初から2階席を閉鎖し、
1階席も前の方だけ(4〜500人?)という情況もチラホラ。

特に80年代、個人的にイギリスインディーズ系とかオルタナ系なんていう、
殆どヒトが集まりそうもないアーティストに心酔していたから、
彼らはサンプラザではなく、近所だが「中野公会堂」とか
「杉並公会堂」なんていう小ホールな場所に落ち着くようになるのだが、
覚えてる限りでは、中野公会堂での「サイキックTV」なる過激なバンドは
ライブ中に血のしたたる生肉を客席にバラまいて(というか客にぶつけて)
場内血みどろにしたり、
ドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einstürzende Neubauten)
なんてのは、ステージで大工用具のグラインダーで夥しい火花を発して
そこら中を焦がしたりしたものだから、
公共施設は軒並み出入り禁止となったらしく、
中小ロックバンドは行き場を失った。
(未だに公会堂はロック不可、エレキ不可、ドラムス不可…
 アコースティックバンドでもベースがエレキなら不可!!これが大半)

90年代頃になると、ニューヨーク・パラディアムに習った
大規模なディスコ→クラブ(チッタとかゼップ、オンエアなど)というのが出現し、
そういった中級バンド(?)の活躍の場になるのだが、
ご存知のとおり、座席はなくオールスタンディング。
既に30代を過ぎていた私などには、
なかなかにハードな場所になっていた。

ところがこの辺までならまだ良かった…。

私には存在自体が特別、別格の、いわば神様のようなアーティストが数人いる。
Zappa、Gabriel、Costello、Fripp、Ray Davies、Andy Partridge…

そしてPeter Hammill、その人である。

ピーターガブリエルやロバートフリップなど
堂々のカリスマからも崇められる孤高の人=ピーターハミル氏。
なんと彼は今世紀に入って、チョコチョコと頻繁に来日しているのだ。
公演場所はなんとキャパ100人にも満たないライブハウス
(新宿ロフトや屋根裏など)。

いったいどうした事だ!と告知を見て我が目を疑ったのだが、
本当に彼は新宿の小さな、多少汗臭い小屋に独りでフラッと来て、
ギターとアップライトピアノ(!)で朗々と弾き語る。
いつもの素晴らしい声で、あの名曲の数々を唄い上げるのだった。
しかも、マイクPAよりナマ声がそのまま聴こえるような距離で。

私は唖然としながら、これは夢ではないだろうか?と思う反面、
何故こんなもったいない事態になったのだろう?
彼の実力と人気、プログレッシブロックバンドの雄
=ヴァンダーグラーフジェネレーター以来の輝かしい実績なら、
もっと大きなキャパでも充分演れたはずではないか?

そう思い始めると、何だか神様ともいえる氏に対し、
全く無礼で失礼な情況にあるのではないか?と思い始めると
本当に辛くなって、コンサート中、ずーっと

「ゴメンナサイ、申し訳ない」
と心の中で唱えるほかないのだ。

翌年もまたその翌年も「ライブハウス」に氏はやって来たが、
私は辛すぎて、勿体なさ過ぎて行けなかった。

ピーターハミル氏は今も精力的に活動中。
CDリリースも、再結成したヴァンダーグラーフ名義やソロ名義、
コラボレーションやリマスター、再録音ものなど、リリースも頻繁。
ワーカホリック度ではフランクザッパに引けを取らないほど多作のヒトである。
(家にあるだけでCD40作くらい…ZAPPAだと100に近い)。
最近ヨーロッパ(ベルギーかな?)のライブ映像を見たが、
秋田でいうと、昔の産館くらいの雰囲気のホールで
満員の客の大喝采の前で氏は唄っていた。
そういう環境で日本でもいつか観てみたいのだが
果たして…。

特に好きな2曲をチョイスしてみました!
♫ Been Along So Long/ Peter Hammill

♫ Just Good Friends /Peter Hammill

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

普通と旅人の間

5775.jpg

音楽界…と言ってしまえば何となく格好良いのだが、
事実上は歌謡曲全盛期(?)の「芸能界」って言う、
今思えばちょっと気恥ずかしい業界に、
エレキを抱えつつ数年間いたものの、
いろいろあってキッパリと足を洗うことになった。

「ホントにやりたい音楽は、アマチュアに戻らないと出来っこない!」

なんて公言していた自分。
何の事はない、自分を偽る方便だったな...。

その後、これまたいろいろあって、
あんまり積極的ではないままに
「一般企業」に就職する事になって、
慌てて髪を切り、髭を剃り落とし、
学生時代に就活用で親の金で英國屋で仕立てたダークスーツは、
いつの間にかエイギョーステージ用(どさ回りね)の衣装に成り果てていたが、
それも本来の用途に戻り、少し遅い「新社会人?」としての生活が始まった。

少し経つと、「芸能界」に居た時とは大違いな
「生活の安定」というものをヒシヒシ感じるようになる。

決して満足いく額ではないが、
なにしろ毎月必ず同じ金額を振り込まれる。
当り前なことだが、
これがいかに生活に落ち着きをもたらすかを
初めて知った。

しかも盆暮になると「賞与」という形で、
インセンティブ的なものも含む給料の何倍もの金額を得るに至ると、
それまでボンヤリとしていた「将来」とか「生活設計」「生活基盤」なるものが、
明確なヴィジョンとして現れ初めると、
「ホントにやりたい音楽〜」などどこかに吹き飛び、
もはや楽器に触る事すら無くなっていた。

気が付けば、他人(ヒト)と違う人生を過ごしたい….
音楽家である人生も悪くはない…
などと考えていた20代前半の尖った自分の姿はもはやなく、
極めて普通のサラリーマンで、
当り前な家庭を築き、夜な夜な盛り場をハシゴする。
有り体にスケベで怠惰な30代になろうとしていた。

ちょうど世はバブル景気真っ盛り、
ヒトとの話題は全て財テク=つまりは金の話ばかりで、
間違いなく森羅万象を測る物差しは「円」…
毎日の生活がえらく息苦しかった。

その鬱憤が一気に弾け、
全て同時進行で、
サッカーチームを作り、
ギターを再開し、
パソコン(最初はMacで打ち込み音楽)を始める原動力となったように思う。

サッカーと音楽とPCによって自分は相当救われた….と思っている。

『普通の事』に憧れてるくせに、時には反抗する。
もしかすると「旅人」…??
なんちゃってね。


にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

九州風キリタンポ鍋の怪しい旨さ

DSC09393.jpg
特に階段フェチではないけれど、
なにやら続いてしまった裏千秋公園シリーズ(?)。
とっくの昔に使用不能なのに
撤去されず、遺跡状態の階段。
是非昇ってみたいが、
バカだよね…やっぱ。




昔、諸事あってお世話になった在京の方への返礼に、
秋田から何か贈りたい…というので、
先方はなかなかの「食通」でもあるから、秋田の名産品でも…
内容はお任せで.,..という事にした。

数日して到着の報告とお礼の連絡が入るのだが、
ところでモノは相談だが…で爆笑した。

いただいた「あれ」はいったい何なのか?
食べ物なのか?
だとすればどうやって食べるのか?
もしかすると酒かと思って液体を舐めてみたが酒ではない…
意表をついて実は観用植物だったりして?
はてさて?と、ホトホト困り果てていたらしい。

正体は「ジュンサイ」。

高級食材として食した事はあるそうだが、
いきなりの瓶詰め状態でラベルもなければ
「何事」?となるらしい。


「オフクロの味」ってのは、世の男子にはまさに鉄板の、
絶対的な味覚概念らしい。
ところが、実家を離れて30数年にもなると
「オフクロの味」など既に忘却の彼方で、
腐れ縁の家人の味がむしろスタンダードとなる。

すなわち「嫁の味」が「家の味」となる。
我が家の家人は九州の出だから、味付けは極薄。

五十歳をとうに過ぎ、半ば『ポンコツ』となって長期帰省を余儀なくされた身に、
30数年ぶりのオフクロの味は、
見事に攻撃的すぎる秋田の塩っ辛さのワンツーパンチ…。

最初、これでは『療養』にならぬではないか!
と思ったほどのパンチの利いた醤油味には正直まいった
(そもそも売ってる醤油自体の味が異常なほど濃い)。

東京(むこう)に居る間も秋田からは
「あきたこまち」はじめ、「キリタンポセット」とか「いぶりがっこ」、
「ハラコ系(タラコとかスジコなど)」とかイロイロ送ってもらっていたのだが、
特にキリタンポの時、九州生まれの家人は、
添付のツユを3分の1ほどしか使わず、
それでも辛いショッパイとさらに薄め、
その分、何やらのダシを加えるから、もはや殆ど別物になっている。

ところがこれはこれで、やたら旨味とコクの強いキリタンポとして、
慣れて来ると「旨い!やっぱりキリタンポは美味い!」なんて思うから、
「故郷の味」、「オフクロの味」もいい加減なものである。

んで秋田に帰ってきて、
正調?キリタンポ=オフクロの味版を数十年ぶりに食してみると、
これまた別次元の旨さに、相当感動するが、
やはり塩っ辛くて、舌がヒリヒリして
血流が向かう方向に迷ってザワザワと落ち着きが無くなるような感じ。

旨い!旨いけど塩辛い…塩っぱいけどやっぱり旨い…
身体に悪そうだがやっぱ旨い。そんな感じ。

ちなみに九州の義父母とキリタンポを食した事があるが、
例によって3分の1味ながら、それでも父母は

「ショっかろうてよう食わんたい」
と酷評され、

挙げ句にスジコは水で洗いホグされ、
塩気を抜かれた小粒イクラ状態で食され、
それで初めて「さすが秋田のイクラは旨い!」…と、
婿は我慢なのであった(婿ではないが)。

九州側名産の「辛子明太子」やら「からし蓮根」…
あれは辛いのであって、ショッパクはないというロジックなのだそうだ。

ちなみに正月の餅と言えば、私は疑いようもなく「角餅」だが、
西日本は「丸餅」。
従ってわが家の正月の雑煮はそうしたわけで

「丸角混合入り椀」となる。


にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

なぜ自分は腹痛を我慢するのか?

DSC02233.jpg
越後屋、そちもワルよのう… いえいえ、お代官様ほどでは…




ここ数日、腹が痛む。
正確に言えば膨満感とジクジクジクと焼ける感じ。
何年かに一度
「よっ!久しぶり!ヒマかい?」
と唐突に現れる迷惑なあいつだ。

こんな時にテキメンに効く薬を知っているが、
それは医師の処方箋要の某G-D20。
普段これを得るには、
高円寺の呑み仲間の医院に駆け込んで、

ワタシ「よう、また腹痛てぇんだよ、アレまた処方してくれよ…」
ドクタ「まず診察だ診察!」
ワタシ「チェッ、薬わかってんだからさあ、カタい事言うなよ、ナッ、ナッ!」
ドクタ「アホタレ!早く終わらせたいならトットと座って腹出しやがれ!」

などの無駄過ぎるやり取りの後、
ややアキレ顔の看護師さんに処方箋を貰って、薬局へ。
まあその時点で6割方治ってたような気がするが...。

秋田に戻って2年経つが、残念ながら
そういう(どういう?)お医者さんと
まだ巡りあってない。
( 早く見つけねば....。)

だから今の腹痛も「そのうち治るべ!?」
と、何日も我慢し続けるオバカな自分。
病院に行ってしまった方が遥かに楽なのにね。

厳密に言えば、
怪我は別にして、47歳まで病気入院というのには無縁だったし、
実は会社の定期検診以外で病院を訪れることなど殆どなく、
それでも毎月5万円弱の社会保険料が天引きされていたから
年60万…10年で600万…なんだかなあ….なんて正直考えたりもした。

その後、まさに47歳の時、
青天の霹靂で
突然、下半身付随な状態になって、
結局入院3ヶ月
3度の手術...という事になった。
敢えて金額を言えば、
前述の10年分にほぼ等しい額。
保険での3割負担でも相当な金額だ。
正直相当焦る。

その頃は健保に戻った時代だが、
家人が区役所に行って相談すると、
なんだか役所+健保でほぼ全額負担してくれるとの事で、
個人負担は驚くほど軽くなった。
家人が加入していた「都民共済」なる保険も併用すれば、
負担と言う負担もない情況。
メデタシメデタシ….というか、
結局、保険も年金もいつか帰ってくる仕組みなわけね!
仕方ないんだなあこれは…。
だから健保と年金と介護保険は3つセットで
「貯金」...
そう思う事にした。

イタダク前に死んじまったところで、銀行預金と何ら変わらないし、
人間年とると物欲なんて殆ど無くなるから、
今は収入ないけど、一生懸命お支払いするのも丁度いいかもね!
と思う今日この頃であった。
ただ民間保険だけは、どうもね。
オヤジのときも随分揉めたから、信用してないけどね。

さあ、明日どこか適当な病院行くかなあ…
腹痛薬の処方箋貰いに。

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 秋田(市)情報へ

該当の記事は見つかりませんでした。