ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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シモヤケの決意表明

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朝起きたら、呆れるほどの雪模様。
やっとやっと腹痛も治まってきたというところで、いきなりこの天気かよ…。
でもいつになく体調が良いので、雪の中、出掛けることにしました。
久しぶりの浮き世でがんす。

雪は思ったより濡れていてミゾレ模様。
50%は雨な感じで、景色も、てんで冴えず、
母校の小学校(今は移転済み)の前まで行ったところで、
坂を上がる気になれず、敢え無く引き返すことに。

久々の散策はびしょ濡れの上に、
末梢神経にうまく血が巡らないようで、
指先が異常に冷たくなってシモヤケ状態。

指先もココロも、何だがとっても「痛痒い」、
久々のお出掛けでありました。



いついかなる時代も、私は故郷秋田を愛しているし、これからもそうだと思う。

かつて、何が何でもどうしても…と、いうわけではなかったけれど、
都会生活に憧れ、それを自身の人生の1ページとして体験してみたかった。

自分がこれから何の何になるのかさっぱり分からないけれど、
少なくとも故郷にいるよりは、選択肢や可能性は無限に広がるに違いない。

しかし、いずれは都会での灼熱生活(?)に踏ん切りをつけつつ、
前髪をかき上げながら
「フッ…やっぱり自分にコンクリートジャングルは向かなかったようだぜ」…
などと、わざとらしく自嘲などしながら、故郷に戻り、
そこで静かで落ち着いた人生をマットウする…
なんて惚けたストーリーを、オボロゲに妄想していたようにも思う。

少なくともそれらは人生の序盤、
頑張っても前半戦に過ぎないものであったはずだ。
それが、決して大満足行くものでなかったにしろ、
都会生活は予定に反して、あまりにも長年におよぶことになった。

静かで落ち着いた生活を「故郷」ですごすためには、
年齢的にも体力、体調的にも、諸々準備その他を含めて、
全てが遅すぎたように思う。

病気は治らないまでも、体調を取り戻したのち、
「都会」…とはちっとも思わないが、自分のあるべき場所に戻り、
生活基盤を建てなおすのが、自分に残された使命であると考える。

故郷は、とても寒くて、風邪もなかなか治らないし、シモヤケも痛い。
街もエキサイティングだぜ…とはお世辞にも言いいがたいけれど、
私にとっては、かけがえのない場所だ。
出来ればこちらに家族を呼んで、暮らしてゆきたい気持もあるけれど、
今はそれを考えてはいけないのだ、と思う今日この頃だが、
いったいいつになるのだろうかね?。



最近のマイブームは60年代のハービー・ハンコック。
デビュー作にしてこの完成度、格好良さである!


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憂鬱な空と体調の話

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近頃メッキリ出番の減った変態カメラ



8月ぐらいからずうーっと体調が悪い。
とりわけコノゴロは腹が痛くて、痛み止めの薬は辛うじて効くが、
肝心の調剤薬では一向に改善の兆しなく、もう何週間も痛みを伴う低調な状態だ。

昔は、40度近い熱を出してうなされたところで、
それは概して一夜のことで、朝になれば熱も下がりケロッとしてるし、
ちょっと重篤なインフルエンザなどでも、2日も安静にしていればもう完調。
人間の身体とはそんなものだ!なんて思い込んでもいたが、
今は朝になっても、状態は全く昨日の朝と同様…。
熱がある時は2週間も一向に下がらず、
あの熱明けの「爽やかな朝」を迎えることなど一切ない。

いよいよ、そんな脳天気な免疫力などあてに出来ない、
不憫で面倒臭い年令になったのだなあと、
あらためて実感させられる今日このごろである。

そうしたわけで、天気が良くても、ほとんど外に出掛けられず、
このままじゃいかんなあ…と思いつつも、
逆に、今の時期の秋田そのものでもある、
暗く陰鬱な、救いようがない悪天候も、
自分が外出できない理由を、
この忌々しい天気のせいに出来るからありがたい。
その分、晴天の日は恐ろしく気が滅入るのだけれどね…。

ふと子供の頃を思い出した。
風邪などで学校を休んだ同級生のために、
最寄り、または特に仲の良い同級生が、
諸々連絡用プリント物と一緒に、給食のパンを届ける…
という儀式のようなシステムがあった。

私は結局40代後半までは、もっぱら病気知らずの健康体だったから、
ほとんど届ける側で、正直この儀式の意味が理解できなかったのだ。
パン(コッペパン)なんて今と違って、
午後2時にもなればもはや硬くなり始め、
実際届ける夕方にはもはや食べられたシロモノではない!。
それなのにナゼわざわざ大事そうに届けねばならぬのか?
かえって迷惑ではないのか??と思っていた。

ところが、滅多にないことながら、自分が熱など出したりして、
学校を休んだりして、家でモンモンと過ごしてる時に、
会えないまでも、友達が自分のためにわざわざパンを届けてくれた気配を知ると、
なんだか本当にありがたくて、不思議に勇気付けられたりするもので、
ああこれは良いことなんだなあ、
自分もパンを届けるくらいのことで、友達に勇気を与えられるなら、
これからもバシバシ届けるゾ~!なんて思ったものだ。

だから大人になっても、病気で寝込んだり、入院したりの知人のお見舞いなど、
出来る限り出掛けるようにするのだが、
その一方で「迷惑!」という陰口も耳に届いてはいた。

たしかにタイミングによっては「迷惑」な局面もありえるだろうが、
当人に会えずとも「来たよ!」というメッセージは送るようにしている。
自惚れかも知れないが、「うれしい」に決まってると思うから。

マア、今のズブズブ慢性体調不良な状態の自分のところに来ていただいても、
どうして良いかわからず困ってしまうので、
関係各位様には「無用」ですからね、あしからず。



先日の記事のコメントで、自分が発した「ルイ・シェルトン」
というギタリストについて、突然思い立ってYouTube検索したら、
涙が出るほど素晴らしい、他人事なのにまるで自分自身の集大成みたいな
ギタープレイを発見! 
小指ピロピロ(!)など、全てが影響大だったなあと
あらためて感慨に耽る、素晴らしいプレイでした。GREAT!!



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ラジオな日々 2

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高校生の頃は、まあミニコミを発行していた関連などで、
地元ラジオ局関連や、大学周辺のコミューンの一角にいたなどから、
一般高校生に比べれば潤沢に、さまざまなジャンルや傾向の
「洋楽レコード」を聴けていたと思うのだが、
それでも相変わらず重要な情報ソースは
「ラジオ」にほかならなかった。

しかし、いかんせんここは「最果ての地=秋田」…
実質存在するのは、地元民放ラジオ局ABS秋田放送とNHK-FMの2局のみ
(NHKのAM2局は音楽的に論外)。

しかし深夜になると、電波渋滞状態が解消されることで、
在京キー局の放送が聴こえてくる。
ニッポン放送、文化放送は比較的早い時間帯から聴くことができるが、
TBSはABS秋田放送と帯域が重なっているから、
ABSが放送終了しないことには聴くことが出来ないなど、
なかなか苦労したものだ。

ある深夜、糸居五郎氏の放送(ANN?)を、
例によってエアチェックしながら聴いていたのだが、
不意に、実に感動的な曲がかかったのだ。

女性が唄う、カリプソ的なその演奏こそ、
自分が求め、目指す理想のギターサウンドであったのだ。

しかし、曲紹介の部分で大きく電波が乱れて、
誰の何という曲か全くわからない。

ラジオのコメントで辛うじて認識できたのが
「ジョン・ホール?」という名前…。

すぐに名前から「The Orleans」というバンドが浮上。
ところが秋田のレコード店には「オーリアンズ」の在庫は見当たらないどころか、
日本盤発売も怪しいらしい。
大学コミューンも放送局関係も情報なく、
仕方なく「通信販売」で新宿の輸入盤専門店から、
オーリアンズ3枚のアルバムをまとめて購入(これはこれでハマる!)。
ギタリスト的にはジョンホールで間違いなさそうだが、
ではあの女性Vo.は誰?何のアルバム?…。

難問は結局、秋田時代から東京時代に引き継がれる。
すぐにジョン・ホールのソロアルバムが発売されている
という情報を得るのだが、何とこのアルバムは当時すでに希少プレミア盤!で、
入手困難!見つかっても数万円(今ならamazonで1980円)!?
もはや迷宮入りか?という時に...

「Bonnie Raitt初来日…?」
その特集でFM-NHKで彼女の当時出ていた5枚ほどの
ディスコグラフィ(つまり全曲)がOAされ、やはり録音していたのだが…
その中に…

あっ…あった…遂に見つけた。

あの幻のジョン・ホールの名演は、
雑音混じりのカセット録音から学び尽くし、
既に私の血となり肉となっていたどころか、
そのプレースタイル自体が、自分の原点ともいえるものとなっていたのだが、
何しろノイズのないクリアーな状態で録音されているモノには、格別の感動。

早速、有楽町のニッポン放送1Fにあったプレイガイドに足を運び、
ボニー・レイット来日公演(虎ノ門・久保講堂)のチケットを購入。
コンサートでは、その曲も演らないし、ジョンホールもいなかったが、
未だに人生ベスト3の大満足なコンサートとなったのだった。

未だにボニー・レイットがらみの新譜はドキドキしながら聴くのだが、
残念ながら、あの時以来の興奮はもはや得られるものではない。

ジョン・ホールはその後、NO NUKESなどの活動を経て、
反原発系の下院議員になってしまいました。


ではその、やっと見つけたBonnie Raitt の「You Told Me Baby」!
素晴らしいギターソロの他にも、ストラトのブリッジ付近を叩いて得る、
スチールドラム風なバッキング・サウンドも、当時驚きでした。


オーリアンズはこの曲じゃないなあ...と思うけれど、一応代表曲に敬意を表して。


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感動は早朝にやってくる

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♦メキシコ五輪銅メダル獲得は1968年。
        :
        :
♦Jリーグ開幕が1993年。
♦1968年メキシコ大会以来、28年ぶりの五輪出場。
 そして初戦ブラジルに勝利(マイアミの奇跡)したアトランタ五輪が1996年。
♦ワールドカップ初出場(フランス大会)が1998年(予選リーグ敗退)。
♦ワールドカップ日韓大会開催・2002年(ベスト16)
♦ワールドカップドイツ大会出場・2006年(予選リーグ敗退)
♦ワールドカップ南アフリカ大会出場・2010年(ベスト16)
♦ワールドカップ2014ブラジル大会出場決定…。

♥2013年11月、オランダにドロー、ベルギーに勝利….。

….と、いうわけで、日本サッカー界の輝かしい歴史に、
1970〜80年代は全くの空白…。
暗黒時代ともいわれている。

当時の日本サッカー界の頂点は、アマチュアの「日本リーグ」。
そして五輪にもワールドカップにも、全く出場が叶わない…
というより、まるでそれらは別世界の大会?と思えるほど、
世界…いやアジアにすら勝てない不憫すぎる
「日本代表チーム」が、いるだけだった。

そんな悲しくて寂しい日本の僅かなサッカーファンの為に、
何とヨーロッパ・クラブ・チャンピオンと
南米・クラブ・チャンピオンが年に一度、
世界一を決める大会=インター・コンチネンタル・カップを、
毎年「第三国」=サッカー不毛の地「日本」で開こうじゃないか!
という夢のような大会が「トヨタ・カップ」として
年末に東京・国立競技場で開かれるようになった。

しかし、私はまだ貧乏暇なし自転車操業中のギタリスト稼業。
当然、サッカーにウツツを抜かしてる場合ではなく、
辛うじてTVニュースなどで「ああ、やってるんだなあ」
という程度の認識でしかなかった。

やがて、カタギの会社に就職してまだ間もない頃、
上司が突然...
「おーい!誰かラグビーの試合観にいきたい奴いるかあ?チケットあるぞ~」
「ラグビー??」
「取引先のトヨタカローラ販売さんから毎年貰うんだけど、誰も行かないんだよ」
「ラグビーじゃなくてサッカーでしょ?」
「違いあるの??」
「………」
そんな時代である。

「TOYATA CUP ユベントスvsアルヘンチノス」

すでに私は、サッカーマガジンもイレブンも購読しなくなって久しいのだが、
将軍プラティニの名前くらいは知っていた。
サッカー観戦は高校時代以来、上京して6〜7年経つが、
やがて何十回(何百?)も通うことになる
「国立競技場」に来たのはこの時が初である。

そして「大感動…」。

以来、何となくサッカー好き?
まあ中高とやってたしねえ…というのが
熱狂的なサッカーファンになり、国立を中心としながら、
トヨタカップは毎年の風物詩としてかかさず通い、
また日本リーグはもちろん、
五輪やワールドカップ予選などにもマメに通うようになった。

まあどんなに期待し、応援しても、我らが(同世代の)日本代表は、
決して応えてくれることはなく(笑)、相変わらずニヤけた感じで、
呆気無く負け続けてくれた…。

トヨタカップでの世界最高レベルのサッカーと、
相変わらずアジアも突破できない稚拙な日本サッカー。
このギャップは、もはや年に一度の「トヨタ・カップ」で穴埋めするしかなく、
それだけにトヨタカップに熱狂し、のめり込んでゆくのだった。

やがて選手のプロ化が進み、Jリーグが開幕したが、
正直、日本がワールドカップに出場出来る技術を得るには、
まだまだ15〜20年位掛かり、優勝戦線に食い込むような世界の強豪国になるには
100年位かかるのかなあ….なんて思っていたら、
五輪には3年目、ワールドカップには5年目に出場できた。

そして今朝…。いやはや日本人であることに、
誇りが持てるようなナイスゲーム!…
そんな感慨に、またしてもむせび泣く
ポンコツでセミリタイヤなオヤジであった。

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二流の生き方

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自分は今でこそ故郷秋田市の片隅から、
その半径数キロ程しか身動き出来ないサエない境遇の立場なれど、
かつては儲け話さえあれば、西へ東へ山をまたぎ海を越え
世界のどこにでも出没したものだ。
(オッ、ジジイの昔話が始まるぞ!長くなりそうだな)

なにしろ時代はバブル期という、日本全体が調子に乗りきった時代だから、
一定の勘ドコロさえ掴んでしまえば、
何でもかんでもビジネスになりえたから、世界中どこへ行っても、
強欲で生真面目な日本人がウジャウジャ。

そんな哀しき商社マン達にとっては、あくまでも敵を欺き
他社に先んじて行動し、ビジネスを成功させる満足感、達成感こそが
何より誇りであり栄誉。

実際に社内的には「外地戦士」など、取るに足らない
「玉砕前提の兵隊さん」に過ぎず、出世コースからも遠く外れた存在なんだが、
勤め人の哀しいサガか、所属先(会社や上司)には忠誠を尽くし、
危険をもいとわず、厳しい奥地へと駆り立てるのだった
(仲間が骨を拾ってくれると信じて!)。

もちろんビジネスは情報戦が命。
自身の情報収集能力はもちろんだが、
やはり本社からのフォロー情報の質が勝敗を左右する。
そしてここの部分は哀しいかな、
会社の規模=一流企業には絶対敵わないから、
我々二流商社マンは、重要拠点到着に数日の遅れを来してしまう。

しかし、遅れたら遅れたで、方法はある。
必殺ヒトタラシな現地工作(謀略とも云う…?)で大ドンデンの倍返し…
なんてことも頻繁にあるからこの仕事ヤメられないのだ。

そしてそれが、二流商社マンの、斜めな意気地のやり口…。
当方より3日も早く現地到達し、商談を成立させておきながら、
ちょっとしたトリック(工夫!)で、ビジネスは遅れた当社側に軍配し、
半年後、全ての権利を等価で譲って欲しい…と
平身低頭で一流が二流に頭を下げるのだ。

別に法律違反ではない。

大企業は、現地スタッフやら通訳やら連れ立って、
何やかやと大人数で現地代表とコンタクトをとり、
大雑把な話し合いで「商談成立」とする場合が殆どで、
二流に云わせれば、これはいかにもツメもワキも甘い。

私は殆ど一人で商談に行く。通訳も付けない(英語以外なら不可だけれど)。
拙い英語で先方代表とトコトン話し合い、問題点をあぶり出し、
解決に向け話し合い、場合によっては事前の資金調達もする。

行き詰まったら世界共通言語の「サッカー」の話題や、
土地のポップスの話題などで和ませる!。
とにかく双方納得ゆくまで何日でも通う。

そういうことだ。

バブルが崩壊すると、
長いスパンでしか利益確認が出来ないビジネスから
一斉撤退せざるを得ない状況になった。
今日仕掛けたビジネスは、来月にも「儲かったぜ!」
という解答が出る「ちんまりした仕事」しか許されなくなって、
世界に出て行くこともなくなった。

ライバルだった一流商社の連中も、次々帰国したが、
一流企業には、彼らの居場所は既になく、
やがて殆どの「戦士」とは音信不通になった。

そして、そんないやな時代が今なお続くようで、
何だか辛い。

正直TPP?…農作物、片っ端から世界に売ってやるぜ!
簡単じゃん。
一生懸命、先方とカッコ付けずに、腹を曝け出して
話をすればいいだけだよ!!

なんて思うんだがね

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脱 モクモク&プカプカ同盟

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1969年、まだ何にもなかった向浜で開催「秋田博」のポスター。
ハイライトは80円だった。




あまり枚数はないのだけれど、学生時代や音楽家時代
(地方に行くと、無遠慮に楽隊屋さんって呼ばれたりもした)、
サラリーマン時代の自分が写った写真を見ると、
大体いつも、旨そうに煙草をくわえている。

銘柄はハイライト。
ごく初期の頃はSEVEN STARSな時代もあったけれど、
一斉値上げで1箱100円から120円になるぞという時、
ある日突然、青天の霹靂のようにSEVEN STARSが街からすっかり消えて、
一切買えなくなった。

「値上げ前の買い占め」がその原因とされたが、
タバコ屋のオバちゃんに、新たな入荷日を訊いて確認しても、
一向にタバコ屋にSEVENは並ばない…。

これはきっとタバコ屋が売り渋っているのだな!
もうダメだな….諦めるしかない…。

結局、「濃い、苦い、臭い…」と感じながらも、否応なく、
父親の買い置きのハイライトをこっそりクスネて吸うようになって、
さてメデタく値上げ実施→晴れてSEVEN解禁!となっても、
もはやハイライトから離れられない
不憫なカラダになってしまっていたのだった。

途中、バブルな時代などあって、
「なんだよなんだよ、若者のくせにシケたど◯たタバコなんか
 吸っちゃってさあ…もっとオサレな洋モク吸うべよ!」とか、
座っただけで7万円…俗にいう高級クラブなどでは、
やけに艶やかな女性に

「か..変わったタバコお吸いですわねえ…」
「いけませんか?」
「まだ売ってるんですね、そういう汗臭いタバコ…」
 
なんて嫌味を言われることもしばしば。
なんだかんだと迫害を受けてきたようにも思うが、
何故か一途にハイライト。

体調が経年劣化もあり、しんどくなって病院に行くと、
医者も看護師も家人も「タバコヤメロ」の大合唱。
それでもコソコソ、世に言う「ホタル族」の屈辱に耐えながらもハイライト。
もう何が何でもハイライト!!。なんて悪行が祟って、
見事に本気の病魔到来。
今はすっかり禁煙中の堕落した身の上。

不思議なことに、これまで禁煙しようなんて1%も思うことがなかったから、
もう死ぬまで禁煙なんて無理だろうな…と思っていたけれど、
いざ倒れてしまって、これはもう本気でやめようと決めたら、
一切「吸う気持」になることはないから、人間って不思議!?なんて思う。

他人が吸ってても「煙いな」とは思っても「吸いたい」なんて、
露ほども思わないどころか、考えただけで胸がムカムカする。
人体とは不思議なものだ。

しかし、なんだか理不尽で暴力的な禁煙運動や、
俗にいう「禁煙ファシズム」には、未だに憤激を禁じ得ない。
きちんと分煙すれば良いだけだし、そのための喫煙所を、
「煙い、臭い…」という理由のクレームで次々廃絶・撤去させる嫌煙圧力は
やり過ぎだと思うし、人間としてちょっと怖い。

戦争によって相手を完膚なきまで叩きのめし、淘汰して
初めて得る平和…。
ちがうと思うなあ。 

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小憎らしい71歳

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©1969 Apple Corps

ポール・マッカートニーが来日中らしい。

なにしろ現在、突然激しい吹雪模様な酷寒の辺境秋田にいるものだから、
この手の話題には疎いし、Long DistanceでToo Far Awayでもある。

マッカートニーはもう何度も来日しているし(4度目?アレも含めてか??)、
故リンダ元夫人がメンバーにいない以外は、特に新しい演し物もないと思うが、
何故だか今回の来日は、以前と較べてはるかに賑やかに
テレビ、ラジオで報じているのは、どうしたわけなのだろうか?

自分は断然レノン推しだから、マッカートニーの存在は、
仲間でもありながら、時として好敵手でもあり、
複雑な距離感のあるアーティストとして、
かれこれ40数年、ずーっと続いている。

だからというわけではないが、
「来日?興味ないさ!」
と、口に出してはみるものの、気が付けば(なぜか)毎回
公演チケットを入手していると云う状態で、過去3度、
自分でも不思議な関係性だなあと思う(一度は当人の粗相で公演中止だが)。

映画Let It Beでの当人が特に嫌いだ!。
意地悪で小憎らしいイヤな男。楽曲もオシナベテくだらない。
あの表題曲にしても、いかにも偶々スタジオに現れた
ビリープレストンの影響下での物まね感は否めない。

ところがこの男、時々、神懸かったような奇跡的旋律を生みだすものだから、
否応なく、才能を認めずにはいられないところが、また小憎らしいのだ。
(通称ホワイトアルバムには、彼の珠玉の旋律で溢れている)。

今回はさすがに公演には行けないが、
今はネット経由で最新映像もたっぷりと観ることが出来ている。
さすがに声の衰えは隠しきれないけれど、レノン曲のMr.Kiteとか、
意欲的な曲にも挑戦しているあたり、過去の様々なシガラミを乗り越えて、
「…素晴らしい!」と言わしめるだけのマッカートニーという男は、
やっぱり小憎らしい71歳のおじいちゃんである。



なんだか「オヤジバンドちっく」な、2013年版マッカートニーバンドの
「1週間に8日来い!」


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三年目の故郷の風

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紅葉はもう腹一杯!って声が聞こえるけれど、
今の時期はこれしかないの…我慢して(笑)!



さまざま深刻な病気が重なり、しばらく故郷で静養…ということになって、
35年ぶりの故郷生活も早3年目となった。

病気の方は、最初の1年目こそ、目立って回復方向にあったが、
2年目、そして3年目と不摂生が祟ったか、
徐々にまたしんどくなりつつあるのが正直なところで、
直近の体調はかなりしんどい。

昨日も電話口で東京にいる家人に、ついつい弱音を吐くと、
激しく叱られた。

〈秋田の実家行きは病気を治す為だからね〉
〈リタイヤなんかさせるつもりないからね〉
〈キミは東京に戻って、またバリバリ仕事するんだからね〉
〈分かってんの?そもそも話聞いてる??〉

「ハイハイ…真面目に養生します…だから電話口で矢継ぎ早に
 カンカン怒鳴らないでおくれよ…」



あの震災の少し後、そうしたわけで、シブシブ故郷に戻ってきた当初は、
思うにならない体調や、休職扱いとはいえ、
先行きへの不安、焦り、苛立ちなどが、フツフツと吹き溜まり、
その負のエネルギーが、懐かしいはずの故郷の、
その凄まじく退化し、忌々しいほどの呑気さに対する苛立ちが、
攻撃性となって現れてしまうこともあった。

この街の役所の、おもいもよらぬ冷淡な対応にも、随分と憤った。
「これはもしかしてイジメ?」と思うほど、
役人の激しい言葉と嘲笑にしか見えないフクミ笑い…。
35年間も留守にすれば、故郷といえど暖かく迎えてはくれないのだなあ…
これは仕方がないことなのかなあ…と嘆いていたら、
知人によれば「あの支所にだけは行ってはならない!」ということらしく
一向に解決しない事案が、本庁舎では2分で片付いた。

35年ぶりの故郷生活も早3年目…この街の、
経済をはじめとして、ダメダメな部分はたくさんある。
その原因、元凶も大体分かって来た。
現政府がほんのちょっと英断して、アベノミクス第三の矢である規制緩和を、
内部保守勢力(既得権益側の代弁者=族議員)の妨害に屈することなく実現すれば、
確実にこの街、この県にも大資本が流入し、経済は再生する。
政府にはおおいに頑張って欲しい!。

残念ながら我々は「族=妨害者」しか国会に送ってないけれど…。

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本物と偽物の間

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のっけから毒を吐くようだが、
「私、ジャズが好きです」と云うヒトを、基本的に信用しないことにしている。

そのジャズとやらが、例えばモード時代や電化時代のマイルスだったり、
コルトレーン周辺のビバップだとか、はてまたセロニアスだ、ビルエバンスだ、
ハ-ビーハンコックetc.etc…と仰るならば、
額を床にこすりつけ、土下座してお赦しを請うが、
大概は進駐軍歌謡および舞踊曲、またはイージーリスニング音楽…
せいぜい「酒バラ」だの「星ステ」「サテン」「身心」「月川」だのという
スタンダードと呼ばれる映画音楽…
その辺りを総称して、都合良く「JAZZ」と、言い切ってしまう
デリカシーの欠如=雑な風潮が、信用出来ないのだ。

まあ「ロック好き」を自称するのも、たまに面倒くさいことにもなる。

「あのう、ちょっと小耳に挟んだんですけど…Rock好きなんですって?」

「….はあ、まあ…」

「最高ですよねえ、エーちゃん..」

「….ハイ?」

「ですから、エーちゃんですよエーちゃん…」

「….えっ?…」

「やだなあ、ロックと云えばYAZAWAじゃないですかあ!」

「….はあ?…」


前置きが相変わらず長過ぎた。

ラウンジ・リザーズ(The Lounge Lizards)
ファーストアルバムにして、超問題作。

「Fake Jazz」...そう呼ばれた。

何故「偽ジャズ」なのかは、当時これを聴いた高名な批評家達が、
そう感じて言いふらしたからにほかならないのだろう
(所詮、批評家なんていい加減でヤクザな稼業だ!)。

確かにアルトサックス=ジョン・ルーリーの、ヘタクソだが、
まあまあ端正な、実にありふれたプレイは、
まさに怪しい『フェイク』かもしれないが、
そのウシロに控えた超くせ者軍団=クサリガマ&ヌンチャク使いに、
毒霧噴射妖術男、毒へビ使いに、原爆級の破壊力ギター使い
…。
それらをバックに奏でられる「普通曲」の妖術的破壊力!。

そこはまさにJAZZがJAZZである由縁の
「一瞬の奇跡」に満ちあふれた名演であると確信する。

ギターのアート・リンゼイはNYパンクの名盤
「NO NEW YORK」というオムニバスアルバムで、
その中でもひと際異彩を放っていたDNAのメンバー。
計算なのか偶然なのか皆目分からないメチャメチャなチューニングのギターで
自由自在、縦横無尽にかき鳴らし、
時にはその自由すぎるギターでボサノバ弾き語りもする変態…いや奇才。

ドラムも、オルタナティブ・ファンにはお馴染みの「アントン・フィア」など、
曲者中のクセ者が控える。

時代はJAZZが、AORだメロウ・サウンドだのと、金を稼がんが為、
ただただ甘いだけの退化を辿っていた「暗黒時代」。
突如現れたこのアルバム…偽Jazzと嘲笑もされたけれど、
ではいったい何が本物と云うのか?を、深く深く考えさせられた一枚。

私はこのアルバムをキッカケにして、JAZZとはしばしおサラバし、
もっと暗くて根深い、オルタナティブな方向へ探求心が向かうのだった。

80年代の音楽は、実はシーンとして、かなり面白かったのだが、
何故だか未だに、きちんと整理も、再評価もされず、
散乱し放置されたままというような気がしてならず残念だ。

ちなみにその後のLounges'は、モデルで、
ジム・ジャームッシュ映画の主演俳優にして、アルト奏者の
ジョン・ルーリーによってバンドは継続されるが、
既に曲者は居らず、カッコだけの勘違いアルト奏者好みの、
普通な、何の取り柄もないジャズ・バンドとなるわけです。

取り敢えず、名盤「The Lounge Lizards ファーストアルバム」。
聴きようによってはパンキッシュな中に、
オシャレでオチャメな部分を見いだせれば
あなたも暗くて深い、変態音楽仲間です....ナンチャッテ。





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ピクニック事件の顛末

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山本某参議員の問題は、確かに言語道断ではあるから、
相応の罰則を科すのは当然であるけれど、
殊更に「だから反原発な奴など、総じて知恵の足りない奴らなのだ!」
的な報道姿勢や、政権側のネチネチした対応には、違和感を感じるし、
山本某もワザワザその術中にはまり込むアサハカさで、
もうどうでも良い!って感じだ。

一方のプロレスラー議員…この際、先方のお偉いさんに土下座でもして、
拉致被害者を一人二人連れ帰れれば、もはや大ドンデン!100倍返しだ!
となって面白い展開になるのだが、さていかに。




私の「イベント立ち上げ好き」な性格は、実は子供の頃かららしく、
小学1年の時に、「ピクニック」と云う、当時やけに新鮮だった言葉に憧れて、
早速実行することになった。

最初は近所の友達3〜4人で、日曜日に千秋公園内の児童動物園に行って、
お猿の電車に皆で乗り、本丸あたりでお弁当を広げ、
鬼ごっこして帰るというだけのもので、
まあ途中までは、千秋公園の麓の小学校に通学するコースとダブることもあって、
軽く考えていたのだが、親が、まず担任の先生に報告して許可をとるべし!
と言うので、従ったら、いきなり「断固中止命令」にショックを受ける。

あまりにもショゲル子供ら(自分?)に見かねた親達は、
「初めてのおつかい」的なこのピクニック計画に賛同し、
担任に懇願したらしい。
親達とっては、所詮通学+坂を上って公園(町内)程度のこと。
教師もやむなく許可を出したが、条件をつけられた。

ピクニックは午前中に終わらせて、
昼食までには帰宅せよ!それならOKということになった。

しかし、それが問題を大きくした。

催行人数は結局11〜12人ほどになった。
小学1年生のみだから、迷子になるのを警戒して、
まずはいつもの通学路を使い、小学校を経由して、坂を上り、
二の丸を横切って動物園。帰りも同じコースをとるという念の入った確認を、
親達や担任と行なったのだと思う。

無事ピクニックを終え、帰途についた。
坂を下り、小学校を越えれば、もう毎日の通学路だ。
いつものように小学校と高校の間の細い坂道を通る。
坂の上は三叉路になっていて、小さな三角州には当時「うどん屋」があった。

突然、子供の一人が「うどん食っていこうぜ、奢るからよ!」と言った。
その時、うどん屋に入った組と、私を含む、寄らずに帰った組に分かれ、
そこで現地解散となったのだと思う。

翌日、朝から私は職員室に呼び出され、遂には校長室、
午後には母親まで呼び出される大事件になった。
うどん屋にはちょっとした事情ある隣国系の子供らと、
駅前の商店主の子弟らが残り、なんと1000円札が数枚跋扈する

「大宴会?」となり、即時学校に通報されたらしい。

で、その会自体の首謀者は私という事で、
事情聴取と書類送検…いやいや厳重注意となるわけだ。
もちろん私はうどん屋宴会には参加してないが、そんなこととは無関係に、
子供らだけで軽々にピクニックなるものを行なったことが
けしからんことなのだ!と云うことだと、
少しずつ理解し始める。思えば担任の先生も校長に叱られていた。
悪いことをしたのだと思った。

やけにお金を持っていた隣国系の子らは、
何故だかいつも大して先生に怒られることもなく、
いつも叱られるのは我々ばかりで、なんだか不公平に思ったものだ。

やがて国策である「帰国事業」で、
徐々にそうした子らとは二度と会えない境遇となり、
結局はあの三角州のうどん屋で分かれた通りの、現地解散となる。

それでも町内の子供らの数自体は、やたらと多い、
そんな賑やかしい時代だった。

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憧れの街

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初めて飛行機体験…は、受験のため札幌に行った時。

市営バスで秋田空港=通称「割山飛行場」に向い、
そこから戦後国産初製造となった旅客機「YS-11」に乗って
千歳空港に向かった。

なにしろ初体験だから、当然怖い。
しかもこの機体は、プロペラの騒音が半端なくウルサくて、
スッチーさんが一生懸命に避難具の説明をしたり、
飲み物を薦めてくれたりするのだが、
まったく聞こえない上、機体振動も激しくて、
ドアなんか今にもパカっと開きそうなくらいバタバタしているし、
胴体は、今にもネジが外れ落ちそうなほど、
ガタピシと歪んでキシむ音が絶え間なく続く恐ろしい状態。

とても優雅に珈琲を飲んだり、雑誌を読んだり、
ましてや受験勉強をするなどまったく出来ず、
ガタガタとダラシナくも奮えながら、千歳到着を迎えたように思う。

札幌では実技検定含みで試験日が4日間にもおよぶので、
結局滞在は1週間近くになった。
東京なら父の会社の寮もあれば、親戚も多いので、
さほど費用は掛からないのだが、
なにしろ縁もゆかりもない北の大地。
しかも1校のみ受験に滞在期間1週間は、
費用も含め相当効率悪いなあと思いながらも、
実は忙しい中なのに、色々と思い出が多い貴重な旅となった。

秋田ではとうに廃止してしまった市電と地下鉄併用の衝撃…
当然街の主要施設は市電沿いに構成されていて、
それ以外のニュータウンを、地下鉄がフォロ−する
真っ当な都市構想=インフラ構築がそこにあって、
既に深い感銘を受けていたような気がする。

道路拡張優先で、モータリゼーションに丸投げする
無責任で乱暴な都市構想は、既に我が故郷の街に風潮として蔓延していて、
結果あれから40年近く経って、街の有り様はどうなったかは、
もはや語るに落ちるというわけだ。

結局20倍の難関は突破出来ず、浪人決定となる。
ちなみに帰還時は札幌から夜行列車に乗り、
早朝の青函連絡船乗船という侘しい旅。
中学時代の修学旅行コースをなぞってみた…というか、
それしか知らないからという単純な理由だったが、
それが自分本来のノンビリ旅…意外に楽しかったりした。

実は家人と「東京と秋田以外で住むならどこに住みたいか?」という設問には、
即座に「札幌」と答えるワタシであるが、
家人は「寒いところは膀胱炎が悪化するからイヤだ」と云うことらしく、
「じゃあ、終の住処は別々だなあ…」というと、
どうせ寒いなら「京都辺りで手を打てないか?」が、
いつものこの会話のオチとなるのだが、
実は本気で住みたいなあ、札幌…なのである。

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嫌われ者の身上書

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秋田市・千秋公園の紅葉は、残念ながらまだまだでした。
例年通りなら、ピークは来週末から再来週辺りってことですから、
まだあわてることはないようですなあ。



私の初PCは、なんと銀座の楽器屋で購入の、当時ハマっていた
打ち込み音楽=DTM(デスクトップ・ミュージック)システムの中核としての
Apple Macintosh Classic

友人宅で触らせてもらって大感動した
「ノーテーターロジック」と「パフォーマー」という、
今にして思えば馬鹿馬鹿しいほど高価なシーケンスソフトを購入して、
複数のデジタルシンセやサンプリングマシンなどを駆動させて
悦に入っていたものだが、わりとすぐにパソコン本来?の、
別の可能性が面白くなった。

しばらくは Apple純正のHyper Card。
昔遊んだ電子ブロックみたいな…プログラムしたTextファイルを
カードとして保存し、組み合わせたり、組み替えたりして、
さまざまなアプリやゲームとして動作させる、
プログラミング履修ソフトみたいなものに熱中した。

すぐにモノクロ画面では物足りなくなって、
カラークラシック(カラクラ)に買い替え、
今でも大定番のPhotoshop+Illustratorを弄っていたら、
これは仕事にバリバリ使えるじゃあないかあ!ってことで、
プリンタ、スキャナ、各種リムーバブルメディア類等、
だんだんと家財道具が増えてゆく。

Word&Excelが、DOSV/Windows?系のプラットホームでは一向に定着せず
(一太郎&花子、またはロータス1.2.3がシェアの中心にいた)、
仕方なく?特にExcelはマック用で花が咲き、
インターネット以前の商用サーバーを通じて、
市井のマックユーザー(プログラマ)によって大事に育てられてゆくのだ。

1995年の暮れも押し詰まった頃、
インターネットに特化したと云うフレコミのWindows95が発売され、
世の中は大騒ぎになった。

私はニフティサーブなんかの恐ろしく遅いネット通信な世界しか知らなかったから、
秋葉原の店頭で実機に触れ、28K(bps?)接続なんていう、
信じられないくらい高速なモデム(!)体験を、
Windows95は速い」と勘違い…ショックを受けつつ、
そのまま95ノートPCを購入してしまう。

ところが、初めてのWindows95世界は、全てが未完成で不具合の暗黒世界。
GUIに使われる言葉使いも色もデザインも劣悪。おまけに

『管理者に許可を得てログインしなおしてください(??)』
『アドミンに確認して.....』
管理者って誰だよ?アドミンって何だよ?
おーい、管理者アドミン出てこーい!!と云う調子で、

全てが万事、悪意に満ちた世界に疲れ果て、
三ヶ月ほどは頑張ったものの、遂にたまらず息も絶えて、
マックのポヤポヤ、ヌクヌク…とした暖かい胎内のような、
安らぎの世界に復活したのだ! 

以来、会社などでは、仕方がないなあと「窓世界」で我慢してやるけど、
それ以外では全てマックだよ!。というのを、ライフスタイルと定めるのだ。

あいつは変わり者だ。頑固者だ。バカじゃね?。意味分からん!…と、
まるで少数民族のように扱われ、陰口を叩かれたのも承知しているし、
正直、多少不便な部分も確かにあるなあ…などと思いながらも、
マック一筋23年...くらい?(浮気3ヶ月?)
これだけは何故だか決してブレず、Winな友人達に嫌がられる私ではある。
とはいえ、Sジョブス後任のCEOを、未だに知らない。


やっぱ、昔っからスタイリッシュだわ!


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