ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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年の瀬のクソ痛いブルース

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写真と本文の乖離が激しいのは、なかなか気に入った被写体が最近見当たらなくって
過去アーカイブからで申し訳ないです。取り敢えず、秋田にいて良かったなあと、
心から思った日のショットでござんす。




3年前の年の暮れ、もう半年以上も体調不良が続いていたのだけれど、
実はその5年前にも大病していて、やっと仕事、生活基盤ともに
立て直しつつあった時節に、またぞろ入院だの手術だのと言ってる場合ではないと、
不調をおして無理を重ねる毎日であった。

ところが事態は当然ながら一向に改善せず、日に日に不良状態は進行してゆく。
そして年の暮れのある寒い朝、酷いめまいの千鳥足状態で出社し
(幸か不幸か出勤時間=徒歩5分)、
ふらつく体勢を辛うじて維持しながら朝礼を終えると、
そのまま近所の総合病院へ、酷いめまいを抑えるだけの為に、向かうことにした。

その病院は、言っては何だが非情に評判が悪くて、
マトモな先生など居ないことでも有名。
しかし手早く処方箋を出してもらえるので、それなりに重宝もしていたのである。

その日も、殆ど待ち時間なく、すぐに点滴を打たれる。
点滴は処置室やICUの類いではなく、看護師さん達の休憩所(?)で行なわれた。
私はウトウトとしていたが、診察してくれた男の先生が途中現れて、
「めまいの具合は?変わりない…?じゃ、もう一本打っときましょ….」
大丈夫かなこのセンセ?と一瞬疑うが、また薬のせいかウトウトし始めるが、
今度はすぐにガヤガヤとカシマしい音で目が覚める。

薄いパーテーションの向こうには数人の看護師さん達。
どうやら昼休みに入ったようで、お弁当のサマザマなお惣菜の匂いが立ち込めるのだ。
カジュアルすぎる会話、お湯を注ぐ音…。
やがてカマビスしい会話は、思わぬ方向に向かう。

「今朝のさあ、あのめまいの患者さん、もう帰ったの?」
「まだ点滴打ってるんじゃないの?」
「でも担当の○○先生、もう帰っちゃったんでしょ…」
「あいつ、またゴルフ??」
「まったく、責任感も使命感もカケラもないよね、ウチのセンセ方」
「さっき研修医のパー子が、あと引き継ぎますって云ってたよ」
「パー子で大丈夫なのかね?」
「手に負えなきゃまた他の病院に振りわけるだけでしょ!」

そしてそのパー子...いやいや、引き継がれた先生登場。
長い上下のつけまつげが、マバタキの度にパサパサと風音を立てる、
まさにそんな感じのギャル系医師の登場。
ただし、明らかに「引き継ぎ」を耳にしてから、
サマザマな検査を受けさせられていたから、
おっ!やる気見せてるな!とは思っていた。
そんなギャル系センセーが検査結果を見ながら、難しいそうな表情を浮かべて云った。

パー子「循環器系の数値ですよこれは…私が考えうるのは、恐らく狭心症系の類い…」
ワタシ「えっ?そんなことよりめまい…は?」
パー子「この病院には循環器内科も心臓外科もありませんから、
    近くの大病院へ転送します。すぐに救急車呼びますから…」
ワタシ「いやっ、あのっ、めまいの治療は? 夕方予定が、まいったな...」

救急車を待つ間、またパーテーションで遮断された。
パー子先生は同室のデスクで私のデータを整理しているようだったが、
そこにサマザマな先輩センセーやら、看護師がドカドカとやって来て
「パー子!、単なるめまいから狭心症見つけたって?やったじゃないか!
 オマエはやれば出来る子だと信じてたよ!おめでとう!」
「センセーお祝いしましょ!例のあの店押さえときますね…」
その声は明らかにさっき「あのパー子で大丈夫なの?」といった看護師だ。

救急車がきて、私には、実はもっとも馴染み深い「地元の大病院」に搬送された。
5年前も、さらにサッカーで膝を割った時も同病院。
結局、凱旋ではないが、戻ったことには違いなく、
即日、カテーテルを入れられ、翌日手術(冠動脈なんちゃら…)。

全てが終わり、リハビリを済ませたら、なるべく早急に職場復帰しようと考えていた。
ところが、すっかり忘れていたが、あの酷いめまい…は、一向に回復しておらず、
益々悪化するばかりだった。

というところで事態は年越しとなり、眼が回って相変わらず直進すら出来ないまま
最悪の新年を迎えるのであった。                 つづく(?) 

それでは皆さん、本年も支えていただきありがとうございました。
新年も何卒よろしくお導きいただきますよう、心よりお願い申し上げます。




本年最後のご登場は以前からこの方に決めていました!
Ray Davies の Dedicated Followers of Fashion(邦題「きざな奴」)!


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銘器探索の巻(オチ付き)

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またしても大昔の話になる。

あるクイズ系のTV番組収録に参加していたとき(無論バンドマンとしてだが)、
待ち時間と云うか、退屈な時間も多いので、
その時はキーボード奏者であるバンマスを囲んでの音楽談義や、
業界情報にいそしんでいた。
(あいつとあいつが捕まったとか、あいつは2度目だから当分戻って来れないぞ…
 意外と代用でジャスミン茶を巻くと美味いぞ?… など余計な情報多い!)。

その日はたまたまバンマスが
「ハモンドオルガン(オリジナルB3 TYPE:Aだったか?)」を本気で捜している。
日本には3台くらいしか入って来てないはず...という話題に際して、唐突に、
番組司会者でベテラン俳優のT氏が割り込んで来て
「それならウチにあるよ!欲しいの…まあウチにおいでよ!」というので、
数日後、バンマスと(何故か)私は、世田谷のT氏のお宅にお邪魔した。

私にはよくわからないが、居間の端っこに鎮座しているオルガンこそが、
日本に3台しかないハモンドB-3Aであるらしい。

ところが、近づいて木目部分をよく見ると、
もはや絶望的にビッシリと覆い尽くす彫刻刀による落書き(というか落掘り?)。
その家の二人のドラ息子(両人とも現在中堅俳優!)がその犯人らしい。
さらに鍵盤にまで落書き&シール、ホィールレバーも大半が破損….。

バンマスの顔面は蒼白で、少し涙目になりながら、
「ううう、3台しかねえんだぞお〜い…」と、
嗚咽のように低く呟いたのを、私は聞き逃さなかった。

それでも音は完璧で、いかにもハモンドらしい、
フクヨカなサウンドを醸し出していたが、バンマス氏はベテラン俳優T氏に
「今日は貴重な体験をさせていただきどうもありがとうございました」とだけ言い、
売買交渉など一切することはなかった。

どろ〜んと、澱んだ空気が流れたので、私がベテラン俳優T氏に、
いまさらどうでも良いようなことを聞いた。
「どういう経緯でB3を手に入れられたんですか?」

T氏「ああこれね、NHKの紅白やってる偉い人がね、
 Tさん今度イギリスからこういうのを備品として調達するんだが、
 あんたも1台どうだ…ということで20年くらい前(1960年頃?)に購入した….」という。

それまでぐったりしていたバンマスは、突然頭を上げ
「NHK?…そうだNHKだよ」とまた低く呟いた。

数日後、バンマスは強引にNHKでの仕事を設え、
首尾よく「備品置場」侵入に成功したらしい(私はその時は同行してない)。
そこで彼は、とてつもなく衝撃的な光景に遭遇する。

そこには埃まみれのB3TypeAが、ざっと十数台…
無造作に置かれていたのだそうだ。

恐るべし日本放送協会!




同世代(±1〜2歳)のアーティスト、スーパースターなんて、
たくさん存在するけれど、私はなんでか昔っから、
マイケルでもマドンナでも孫正義でも安倍晋三でもなくて、
Paul Wellerがオピニオンであり、同世代のアイコンのように感じていた。

JAM〜STYLE COUNCILと好きな曲が多くて困るのだが、
取り敢えず、有名なLIVE AID での映像を。

今では考えられないが、(あの)フジテレビが、
他の高視聴率人気番組全部を取っ払って、
土曜の夜9時から日曜正午まで生放送し続けた
画期的な「事件」が確かにあった。

蛇足だが、
このとき自分は結婚したばかりなのに、
夜を徹してTVにカブリツイテ呆れられた…なんて思い出もある。

1曲目の"Internationalist"…最近益々、やりたい放題な安倍晋三に捧げたい。


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浮かれた夜のお寒いボヤキ

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世はイブだとか年の瀬だとか浮かれているが、
私は世知辛くも、そぼ降る雪の中、
税金と保健料を払い込みに銀行まで出掛けるわけです。

リアルな話で恐縮ながら、
『病気療養で収入が全くないのに、何故、税が発生するのだろうか?』
この疑問を市役所に行って質してみると、役人さんはいかにも面倒くさそうに、
一切私に視線を合わせない、その不穏な態勢のまま、こう云った。

「収入ゼロと申告してらっしゃるが、あなたは、食費も、住居費も、
 キチンと消費してるでしょ。生きてゆくには、自覚がなくても
 月3〜5万円は消費してるわけだから、それを世間では収入って云うんです!
 だから所得税は免除されるが、住民税はキッチリと支払っていただく。
 健保も然り。」

何となく呆れた屁理屈に聞こえるが、
この街にお世話になるにあたって、それが規則なら、
敢えて甘んじねばなるまい…。
道も歩かせていただくし、図書館も利用させていただく。
これからしばらくは、家の前の除雪もしていただかなくてはならない....。
寒さが身に染みるツマラン話でスマンです。




TVバラエティの食レポでは「うまい、おいしい!」って云ってしまうと、
もう後に続く言葉がなくなってしまうから、絶対に禁句なんだって。
文章なんかでも、ベタに「冬です」「寒いです」「雪降ってま…」
というダイレクトな表現を使うと、膨らみが一切なくなった平板な表現になってしまう。
だから世間は12月24日だからと
「メリークリスマス」だの「イブ」だのという安易な言葉を使ってしまうと、
イイトシこいてますけど、人生の機微などまるで持ち合わせておらず申し訳ないっす….
てなことになってしまうわけで、
じゃあじゃあ、どう表現すれば良いのか??
「イエスの誕生日おめでとう…」
.....ボキャブラリーは限りなく難しい。

ちなみに、小島慶子によれば、試食の結果、まずいもの、
もしくはどちらかハッキリしない味に出くわした時、
TV的には「やさしい味」と表現するのが正解だそうだ。



伊集院(頭が良くて太った方?)によれば、
どこかの誰かが、国家秘密を暴露したとして、その張本人は逮捕され、
裁判にかけられ、10年の刑を被った…。と、いう事は、
その暴かれた秘密は、まさに政府や行政のお墨付きをいただいた
正しい機密情報…ってことにならないだろうか?

世の中ってミョウチクリンでイビツだけれど、
益々そのイビツさに拍車がかかるわけだね。
やだやだ。



さて今日は前回繋がりで、NICK LOWEの最大ヒット「恋する二人」を。
自分も、もっともっともっと歳をとって、
何かのパーティで「先輩、1曲お願い!」と云われたら、
「おお、じゃあやるか」と応えながら、
おもむろにギターを抱えて、こんな風に枯れた感じの「恋する二人」が唄えれば、
最高に幸福だろうなあ…
などと、寒い中、ふと考えたりしたわけですよ。


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都市生活者の真髄!

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最盛期の吉野家CMソングが、
♪牛丼一筋、八十年〜...
あれから幾星霜でありますよ。



今でこそ故郷秋田に居るが、首都生活35年間の、
その慢性的な空腹の20%くらいを満たしてくれたのは、
他ならぬ「吉野家の牛丼(通称ヨシギュウ)」に相違ない!?。

上京したての頃、街を歩いていると「牛丼」なるものの
摩訶不思議な看板をあちこちで見掛けるものの、
なにしろ故郷にはそんなモノなかったから、
それが一体全体どういうものか分らない。

ある時、学校の近所にも遂に「牛丼の吉野屋」が開店。
開店記念で半額の150円というので、初めて入店。
…大概はここで「衝撃のうまさ!」「未体験の驚き!」
という言葉が並ぶのだろうが、
私の第一印象は....

「何だこの薄っぺらい紙みたいな肉は?」
「とても食えた代物じゃないなあ」…であった。

また「並(盛り)」という店内言語も、当時は馴染みがない言い方で、
並=上中下の下、松竹梅の梅….そんな印象が強くて抵抗があったから、
あえて「普通盛りで…」とか言い換えてしばらく注文していたと思う。

いずれにしても、その不味くてイケスカナイはずの牛丼というものを、
初めて食したその日から、なぜだか昼夜昼夜昼夜昼夜と毎日食った。
食いながら思った。
「不味いなあ、不味いけどクセになるなあ…」

そんな調子で、外食の中心は以後何十年も「ヨシギュウ」。
まだ24時間営業というのも少なかった時代だから、
折に触れた深夜のそのシーンには、いつも吉野屋が登場する。

失恋して涙に咽びながら食べたヨシギュウ。
仕事で失策し、信頼してたヒトに裏切られ、東京なんて大嫌いさ、
もう故郷に帰りたい…と、泣きながら食べたヨシギュウ…。
(さすがに吉野家で求婚はしなかったけれど…)

50歳を過ぎて、会社の健康診断で引っ掛かった。
栄養指導の先生という、うら若い女性から、日頃食してるもの?を聞かれ、
昼食は?で真っ先に答えたのが
「ヨシギュウ」。

先生「並ですか?」
私 「ハイ、生卵付きで。あれ美味いんです」
先生「そうですねえ、私も大好きですよ。でも、お気の毒ですが、
   次から生卵はNGです。」
私 「え?」
先生「並盛りだけならギリギリ許可します。紅ショウガも七味唐辛子も控えめ。
   あっ、ツユダクもNGですからね!」

そんなこんなで結局緊急手術などとなり、
故郷秋田に戻って気長に治療することになって、
吉野家…取り敢えず1軒だけ東の方で見つけ、久々食してみると、
これがなんとも妙に安心・納得の「東京の母(?)」の味。

まさしく都会生活者の「真髄 (Soul Food)」!!。

そう確信するに至るのであった。
(実は松屋もすき家も大好き…なんだけどね)



エルビス・コステロ…実は個人的に最も来日コンサートに出掛けた回数の多いヒト。
10回は簡単に越えるはずだ。早い話がもう「大好き」!。
で、なぜ敢えてこの曲なのか? ご当人の「ビートルズ愛」に溢れた歌唱が
何とも微笑ましく、愛らしい….そんな感じかな!


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幻の音楽集団

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まだ学籍がしっかりある頃に、
以前、当ブログにも登場した同級生で銀座生まれのベーシスト
=通称「ザギンのボンボン」(略してザボン、ザボちゃん)...
彼の趣味バンドに呼ばれた。

当時の彼は、既に一流プロ・ミュージシャンで、
今でも現役で活躍中の戸越銀座出身の超有名男前ギタリスト「C」との
早熟高校生コンビで、様々トリの仕事(録音)をしていたり、
当時人気絶頂のアイドルのバックバンドのメンバーにもなっていた男で、
学内でも有名な人物であった。

私とはお互いにKing CrimsonとかFrank Zappa、70年代電化マイルス、
Weather Reportなどの尖った音楽が大好物!ということで意気投合。
普通に友人として親しくしていたのだが、
彼の噂の「ウルトラ凄い外人混プログレフュージョンバンド!?」には、
なかなか呼んでもらえなかった。

しかし遂にその時は来る。
学校近所の楽器屋で、一緒に試し弾きなどしている時に、
突然「あくまでもインディーズだけどさ、君にソロを入れて欲しい曲があるんだよ…」
と、待ちに待った招集が掛かったのだ。

もう半年以上も借り物のESP製ストラトモデルを担いで、
築地にあった有名な録音スタジオに初めて入る。
かなり緊張していたらしく、その後、何をどうしたか何にも記憶してない。
「ホールズワース風に8小節弾いてよ」というリクエストがあったと
後に確認したが、数ヶ月後に聴いたそれは、加工され過ぎて
自分だか誰だかよくわからないような状態?で、ちょい失望した覚えがある。
ただし全体的には、恐ろしく見事な完成度の、プログレジャズ!
....で、あった。

その後数回、同様なことがあったような気がするが、
内容は不覚にもあまり覚えてない。
逆に自分の楽器の貧相さが、妙にコンプレクスで、
かなりキオクレしていたようにも思う。

実は同じ頃、別ルートでのバンド仕事(歌伴だけど)が、
突然バタバタと忙しくなってしまったことで、
その「米白人ヴォーカルと黒人ドラム、英国人兄妹のブラスセクション」
を含む画期的な「ブラス&プログレバンド」のスケジュールよりも、
私自身が「日当の出る小仕事」を敢えて優先した結果、
凄腕白黒金髪バンドは、私にとって幻となってしまった。

ザボちゃんも、卒業と同時に家業(銀座の、とあるプロ用ギアの専門店)を継ぎ、
音楽仕事も極力セーブしてしまったから、その強力凄腕バンドは、
その後アメリカに活動拠点を移し、「何とかパビリオン…?」とかいう名前で、
メジャーから数枚のアルバムを発売したという噂は聞いたが、
詳しいことはわからない。

一方「日当稼ぎ」に安易に転んでしまった自分は、
クリムゾンもザッパもマイルスも全く無関係の
「THE 芸能界」のマッタダナカで、
香港から来た娘やら、夕張出身の双子やらのバンドで仕事をコソコソしながら、
こんなはずではなかったのに…と、腐る毎日を過ごすのだ。

ちなみにザボン氏は今も銀座の店にいくと、相変わらず居て、
巨大なアレムビックのエレクトリック・ウッドベースと
チャップマン・スティックで、たまにPunkishなJazzライブなど開いているらしいが、
相変わらず、彼の先鋭的すぎる特異な美意識による音楽を、
理解するヒトは、東京と云えど極めて少ないようだ….。



さて...
小泉今日子は、私などとは全く接点はないが、
常々、作家の創作意欲を激しく刺激するタイプの歌手(アイドル)だなあ…と、
感心していたものの、それほど満足ゆく作品には出会ってないように感じてた。
しかし人気も一段落して、すでに歌謡曲とかアイドルというカテゴリーが
死滅したような時代に、突如として、私が知る限りでは歌謡POPS最高傑作の、
この楽曲が生まれ出たのだった。
某ハイパークリエイターによる公式PVも存在するが、あまり良い出来ではないので、
今回はライブverで。これはこれでKYON²の存在感が、申し分なく素晴らしい。


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ユメウツツの時代

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なんだかサラリーマンの縮図のような光景に見えてくる....



サマザマな理由があって、自由ではないが、
ある意味気侭な音楽家生活から引退することになった。
主な理由は、しっかりと定収を得る生活設計に切り替えねばならぬ
必然に見舞われたからだが、心機一転、
就職をして「サラリーマン」として身を立てることにした。

それまで所属していた芸能事務所で
「マネージャーで契約社員(正社員は東大、早慶卒必須!?)」
ということも示唆されたのだが、事情をよく知る相方の大反対に遭い、
「出来るだけ堅気の一般企業」を求めた結果、
小さな貿易商社というのに潜り込んだ。

学生時代も結局はドロップアウトで終わっていたのだが、
幸か不幸か(?)英検2級というのを取得していたのと、
以前にアルバイトながら、広告代理店で輸入薬品の説明書の翻訳を
やっていたことがあって、まあ、そんなお気楽な仕事をイメージしての入社だった。

しかし実際には営業回り中心の、ドブさらい+草むしりの延長戦みたいな、
そんなダーティワークで、私のサラリーマン生活は始まった。
花も恥じらう(?)25歳の再スタートだった。

最初はただただヘツラうだけの、主に「在庫品」を、
企業向けに売リ捌くだけの仕事。
兎に角、毎日毎日、意味なくニコニコ顔で、嫌われぬようカスタマーに相対し、
高邁にもケチを付けようとするお客には、心のうちで「このクソ野郎!」
と思いながらも、あくまでも表情はスマイルスマイル…。
今流行の土下座に近いバカげたパフオーマンスなども時には披露しながら、
成績さえ上がればそれで良い…という態勢で仕事に向かうから、面白いはずがない。

救いは、ミュージシャン時代と違い、ミスっても自分自身の責任ではなく、
今度は会社組織の責任で、全て対応出来ること!。
これは精神的に比較しようがないほどラクチンだった!。
(自由業の方々には理解してもらえると思う。)

先に自由業から始めた、ちょっと変った経歴のお陰で、
このメリットに気付かなければ、恐らく腐って早々に辞めていただろうなあ思う。

徐々に仕事を覚え始めると、カスタマー達(先方バイヤーら)が、
何を真に求めているかが手に取るように分るようになると、
今度は積極的に商材の企画側に回り、
それがやがて海外買い付けの為に出張するようになり、
さらには海外に製造拠点を作り上げ、
気が付けばアマゾンのジャングルに分け入って、
天然資源の採掘権を買取り、
世界各地の貿易港に巨大倉庫を確保….というようなビジネスに至り、
会社も念願の8階建て自社ビル完成…
荻窪だけど...。

しかしそれもこれも結局は、私や上司や会社の実力などではなく、
全ては日本のバブル景気のおかげ。

ふと気が付けば、私は30歳台で会社役員になっていた。
そしてお決まりの派閥抗争、権力闘争にイヤガオウにも巻き込まれる。

やがてバブル崩壊…。
筆頭役員として執行することになったのは、
愚かな老人達による、バカげた派閥抗争の末に
疲弊した組織の、大幅なリストラ…そして幕引き…。

会社の法的処理を全て終えた後、
元部下らが立ち上げた新会社の副社長待遇で就任し、
少しずつだが儲かりだすと、今度は元部下の社長が突然「亡者化(発狂)」した。

「カネも資産も全部オレのもの。女房も親も信用出来ない。
 社員ドモなんて、虎視眈々オレの財産を狙ってる卑しい輩。
 ほら、今日も社の資産がみるみるバイト連中にホラホラ盗まれてるよ…」

そんな感じになって、会社は誰彼かまわぬ粛清の嵐。
私もリアルに身の危険を感じて退散…

45歳になろうとしていた。
トホホなサラリーマン人生。

(気が向いたら)続く。



これは明らかに自分のテーマソングだ!と信じて疑わぬ時代が確かにあった。
「加藤和彦/パパ・へミングウェイ」…大好き過ぎる偉大なアルバム…


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表と裏

DSC00302.jpg 【August Moon】

30数年前の故郷秋田のロックシーン、
それは、メディアも地元産業界も公認した
「地元芸能界」のようなものだったと思う。

現在のPORTO / AUGUST MOONのギタリスト、三ツ井氏等をその頂点とした、
「シーン」に、当時高校生でギター少年だった自分も参画したいなあ、
と強く想う中、ギターに励み、バンドを結成したり、壊したり、
或いはミニコミを発行したり、外圧に負けてヤメたりと、
さまざま活動したのだが、いかんせんそこは高3生だったり、
浪人生だったりしたために、どこかで自己制御というか、
何の愁いもなく「飛び込む」ことは出来なかったように思う。

その、長く時間をとられたくないなあ…という中途半端なスタンスが、
ちょっとしたイベントやディスコパーティーの余興バンドなどの、
単発仕事を請け負う、やさぐれた方向での音楽活動の渦に、
まんまと呑み込まれて行くのだった。

もがけばもがくほど、純粋で清廉な、目指す理想の音楽活動からも、
三ツ井さん達の「先鋭的な音楽シーン」からも離れてゆく焦り。
結局、『シーン』に強い思いを残しながら、私は半ば逃れるように、
気が付けば、首都の片隅の住人となっていた。

当然の如く、新しい音楽仲間を捜した。
しかしなかなか「同士」には巡り会えない。
それでも「好きなふり」をしてバンド結成にいくつも加担した。
バンドの音楽性を、内部から徐々に変えていく試みは、
既に何度か挑戦している。自分がやりたいのは、
大音量で16分音符をダウンのみでガガガガと弾くタイプの音楽ではないし、
革ジャン着て演る音楽でもない。

結局「イヤならヤメりゃいいじゃん…」それで終わり。
所詮ギタリストなんて、そこら中に、吐いて捨てるほどいる…と、いうわけだ。

そうして「これでは上京した意味がまったくないじゃないかあ…」と、
また焦るのだった。

完全に行き詰まったまま1年が過ぎると、
こんどは急激に状況が変わる。

池袋西口方面の大学祭でのステージが、わりと評判になって、
バンドの出演依頼はもちろんのこと、
個人的なお誘いも幾つかいただくようになって、
ちょいちょい「現場」に出掛けるようになって
「ギャラ」というのもいただけるようになる。

そして気が付けば、当時、最大手の音楽事務所に
所属するようになったまでは良いが、
ふと思えば、またしても好きでもない音楽と対峙することになっていた。
秋田での最後の頃と何も変わらない毎日。
タレントさんのグレードが少々異なるだけだ。

あれから30数年経って、故郷秋田の三ツ井さんはじめ、
同級生達が「オヤジバンド」というのは完全に謙遜の、
大真面目な本格バンドの、その見事なステージを、
なんと東京・恵比寿のコンテスト決勝大会会場で見物した。

ビックリした。
そして感動した。

「好きなこと」「好きな音楽」「気の置けない仲間達」
「何にも縛られない自由な活動(それなりにご苦労されてるとは思うが)」

私が遂に得ることが出来なかった「理想」そのものだ。
だから今は精一杯、彼らを応援したいと、そう思うのだ。



さてご両人とも残念ながら故人。
高校の同級生同士=牛心船長と不乱苦雑派の狂宴?、
というかデモテープだと思うが、初めて聴いた時、
「なんてかっこいいんだろう!」と大感激して
20回くらい、繰り返し聴いたのを覚えてる。
ココラのサウンドを薫陶のサウンドと感じるか、
或いはゴミと感じるかの感性が、
ある階層における音楽ファンの分水嶺なのだと思う。
分る人に分かればええ…あまちゃんより。


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脛にキズ持つママチャリライダー

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朝、南側のカーテンを開けたら「白い鳥海山」が出現。
しかし不思議なことに、外は雨降りで、重たい雲がたれ込めている...。
いったい何故??



私は、サドル位置ヤケに低めのママチャリ・オヤジ・ライダーである。
改正道交法によって大幅に書き換えられた自転車走行に関するルールには、
たったの1%も対応せず、言わば違法状態な秋田市のパブリック・ロードを、
まさに我が物顔で跋扈するモータリゼーション軍団の、
目に余るリスキーな運転に対し、ブツブツと文句をタレながらヒタ走る、
困ったオヤジ・チャリストとはワタシのことである。

これでもかつては、2度も自動車学校に入学し(!)、
その2度目も多忙でなかなか通えず、
6ヶ月目(ツゴウ1年!)ギリギリで、
敷地が狭過ぎて日本一の難関コースといわれた東京の「M市自動車学校」を、
幾多の教官の罵声と怒号の中、修了し
やっとのことでライセンスを取得した。

すぐに「P」なる、おふらんすの車を購入し、
夏の週末には開通したばかりの関越→上信越自動車道に乗って、
軽井沢の別荘(会社の所有だが)を往復する、なんとも浮かれた時期もあった。

Pというクルマに、それほどの拘りがあったわけではないが、
単純にディーラーに友人がいて、まんまと買わされたという、ありふれた理由。
ただしこのクルマ、どうでもいい故障がきわめて多くて(造作がとにかく雑!)
泣かされるのだが、そのせいなのか(?)
その道のプロからすれば、簡単にPWが開くらしく、
何しろ車上荒らしに頻繁に遭う(2年間で3度くらい!)。

幸い、車内に貴重品を置く習性がなかったから、
被害は知れているのだが、
遂に車体まるごと忽然と消えてしまった。

すぐに警察署に盗難届を提出していたのだが、
1ヶ月後、その所轄から電話。
「あのね、練馬ー○×●○、これオタクさんのクルマだよねえ…
 いつまで警察署の駐車場に放置しておく気?迷惑してるんだが…」

しばらく意味が分からないまま現場に着くと、
あちこち破損し、汚れきってはいるが、
確かにそれは覚えがある紺色のフォルムであった。

運転席のアシモトには銅線がビロビロはみ出している。
明らかにキーボックスをバイパスする、いわゆる直結という奴。
何を丁寧にか分からぬが、改築中の警察署の臨時駐車場に乗り棄てられていたが、
届けが出ているにも拘らず、誰も「盗難車」とは気付かず、
通知も1ヶ月後…。

その上、駐禁(投棄?)だの、整備不良だのと諸々の罰金を言い渡される...。
普段は温厚な私だが(?)これには遂にキレて、
気分的には敏腕弁護士・古美門研介ばりに、警察側の不備を、
その場で滔々と申し立てるのだが、受付のオバさんにはあっさりと、

『異議申し立てなら2階でどうぞ!』。

2階では、異議は文書でのみしか受付ない…
したがって今ここであんたの演説など聴くつもりも義務もない…。
速やかに罰金も支払え、さもなくば「労役で支払え」…。

コチラももはや引っ込み付かず、おお、労役…上等じゃないかあ!と、
無為にイキガッタ上に、その場で免許証を「こんなもの返却してやるぜ!」
……と、マルマル1年も、無理に無理を重ねてやっと取得した大事な免許を
…なのであった。

まったく若気の至り、生意気盛りの30代前半、
バブル真っ盛りの、痛恨の出来事であった。
(結局、意地で罰金も一切支払わず、労役の案内が来たら来たで
従おう...と思っていたが、以後一切の音信が警察から届かなかった)

まあ、当時の心境的には、何度も車上荒らしに遭うは、
納得いかない違反キップ、度重なる故障(と修理)にホトホト疲れ果て、
盗まれた後の1ヶ月間が、ノーストレスで、気分壮快だったこともあって、
クルマなんてもう要らねーや…という境地に至っていたのも、
また事実であったように思う。

警察側の対応には、往々にして私の誤解も多々あったろうと、今は思うが、
自分と警察的な発想、対応は、永遠に噛み合うことはないだろう、
ならばクルマを放棄することも必然だったかな…と、今は思うようにしている。

それにしてもこの街(秋田)…自動車は必須だとは全く思わないが、
(昔はみんなバスを使ったり、徒歩だったりで特に不便を感じなかった)
どっぷり依存しているなら、せめてもう少し安全運転にご配慮願いたい。
東京しか知らないけれど、比較しても、とにかく雑で乱暴でヒトリヨガリな
黄色いナンバーのドライバーの方が多過ぎます、この街。



洋楽好きの私にとって、GARO体験は遅く、高校生になってから。
「キミ!、ギター弾けるなら、一緒のこの曲をやらないか!?」と
別のクラスの奴に誘われたのがこの曲。ところがやってみたら一声分足りず、
シマラナイ感じになった。
だからGAROといえば、このシングルデビュー作...となる。
CS&Nそのものだけど.....。


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クサいものにはフタ...

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国会周辺が騒々しい。
端的に云えば、アメリカもイギリスもね、
今は他国の紛争介入には厭戦感が満ちていて、
まあ同盟などの浮世の義理でイヤイヤながら介入するにしても、
我々は空から行くから(空爆)、同盟国のキミタチやオマエラは、
しっかり地上で制圧作戦を実行してくださいね。
よろしく頼んますわ(集団的自衛権+日本版NSC)。

それでもって、くれぐれも作戦の詳細は、
事前に国民に(兵士達にも)知れて騒ぎにならぬよう、
しっかり守秘管理してくださいよ。
作戦遂行に影響を来さぬように頼んますわ(特定秘密保持法)。

…そういうことでしょ。
いわれなくても軍事機密に誰も触れようだなんて思いません。

近隣国情勢が不穏!?などと不安感を煽っておいて、
実際にはシリアあたりで、突如、我らが日の丸自衛隊が、
地上作戦で平和憲法などナンノソノ、
バンバン撃ちまくって戦闘してたりする…
そんなオゾマシイ光景が何となく目に浮かぶのは、私だけでありましょうか…。

世界舞台での真剣勝負は、ワールドカップとオリンピックで充分です。


そのワールドカップ2014ブラジル!、我らが日本の組み合わせは、
グループC、コロンビア、コートジボワール、ギリシャの組。

最低、地元ブラジルとのマッチアップは避けたかったわけだし、
欧州勢も与し易いギリシャ。
実は個人的にバルデラマの時代から大ファンのコロンビアとの対戦は、
大いに楽しみで、今から胸躍るものであります
(因みにサッカーゲームの時、私がマイチームとして選ぶのは、
 いつも、コロンビア!)。

ちなみに前回の南アW杯直前のコートジボワールとのテストマッチで
相手のエース「ドログバ」をぶっ壊して、本大会出場不能にしたのが

「闘莉王」!。

もうザックは、劇薬と呼ばれたあの男を、
代表に呼ぶしかないな!!



ネルソンマンデラ氏、死去とのこと。
そうなると、もうこの曲しか浮かばないなあ。


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年の瀬のほろ苦いブルース

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仕事を始めた頃(無論サラリーマンとして…)の年の瀬は、
なにしろ先生どころか校長先生も用務員のオジサンまで、
お飛びいただくぐらい忙しい。

ではいったい何がそんなに忙しいかというと

夜のお付き合い。

毎晩、あっちのお得意様、こっちの協力会社様等々、
朝までドンチャン騒ぎの毎日。
うまい酒? とんでもない、呑んでは吐き、吐いては呑み…
そのまま近くのサウナなどで眠れる限り寝て、また定時出社。

年末の仕事中はみんな気が立っているから、
こっちで怒鳴られ、あっちで怒鳴り…。
下手を打てば取っ組み合い喧嘩寸前までいっても、
夜の忘年会では仲良く肩を組んで歌う…
そんな無礼講という、日本のおめでたいシステムに救われつつ、
またしても夜はとっぷりと暮れ、夜が明ければまた戦場の繰り返し。

大晦日を過ぎて、それらもやっと終わり、
やれやれ、本年中は色々お世話になりました。来年もよろしく…
などと挨拶する頃になると、俄に身体が脱力し始め、
久々、マトモな時間に帰宅した頃には、額が熱くなっていて、
正月は毎年、熱で寝込む「熱正月」。

それでも家族揃って、きちんと「おせち」を前に正座して、
お正月の挨拶をして、お屠蘇を呑み、食ってまた寝る…
午後は布団の中から薄目を開けて、天皇杯のサッカー観戦。

終わったらごそごそ起き出して,近所の氏神様か、
元気があれば飯田橋の東京大神宮まで参宮。
神社フリークの家人によれば、ここは東京における伊勢神宮の遥拝殿とのことで、
宗旨宗派に関わらず御利益がある(?)とのこと。

お伊勢さま同様に「赤福」を頬張りながら、
帰宅がてらツラツラと市ヶ谷方向に赴くと、
古風な羽織袴姿の団体さんや、
物騒な迷彩服+サングラスの一団とすれ違い始める。

明らかにあの神社が近づいて来たようだ。

あの神社に関して、色々物議はあるようだが、
とにかく一度参詣してみることをおススメする。

天下国家の為?とんでもない

いかに戦争と云うのが愚劣で醜悪で、
しかもチョッピリ滑稽...、平和がいかに尊いかが、
空気として直に感じ取れる場所だから。

あそこを賛美するのではなく、反面教師的な意味での象徴として、
「あそこへ参詣するという行為」の良否を、日本人として真剣に考え、
それぞれに意志を持つべきではないだろうか…と思う。

少なくとも私は二度とあんなオゾマしい、
澱みきった空気の場所へは行きたくないから、
そういう方向へ向かおうとしているこの国家に、
激しく危惧を抱くのである。

そういうわけで、いつの間にか、年末年始を考える、
なんだか例によって少し気が重い時期になってしまっているこの地球...であった。



さてBARKSで、ニールヤングの来月発売予定の発掘音源が公開されています。
貴重というか、ハズレなしの1970年音源。御一聴、おススメいたします。

『Live at the Cellar Door』

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時代の味覚

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昼間、久々にカレーパンを食していて、ふと思った。

昔のカレーパンには、今のようなカレールウは入ってなくて、
揚げパンには変わりないが、内側はただのカレー粉を
パン生地に練り込んで焼いただけの、ひたすら黄色くて、
カレー風味がキツいだけのモサモサしたパン。

だから正確に言えば、カレーパンではなくて、
カレー風味揚げパン…。

さすがにこれだけでは変化に乏しく、またパサパサ感も否めないので、
やがて、みんな大好き魚肉ソーセージ入り!に進化した。
ソーセージカレーパン堂々登場!と、思ったら、
名称はシンプルかつ奥ゆかしい「ソーセージパン」。

一方の旧来カレー(〜粉練り込み)パンは、技術革新に伴い(?)
本物のジャガイモ、人参、タマネギ、肉入りカレーがドロロッと内包され、
パン生地には、もはや黄色いカレー粉が打ち込まれることもなくなった。

一方のソーセージパンにもカレー粉が打ち込まれることはなくなり、
本来のソーセージパン(揚げ)としての姿となるが、
意外にもこのソーセージパンは、トマトケチャップやチーズ、
バジル等と組み合わせた、イタリアタイプの菓子パンに成長。
今ではそちらのイタリア風味の方をソーセージパンと呼び、
旧来のは単に「あげパン(ソーセージ入り)」として成立することになった。
おっと、本題はカレーパンではなかった....。

我が故郷には「たけやのアベックトースト」ってのがあって、
まあ単純にマーガリンといちごジャムがトーストに
重ねて塗ってあるだけなのだが、
今回故郷に戻って来て、これを発見したときは、
狂喜乱舞してこれを求め、食したものだ。

味の方は、名物に美味いモノなし、しかも名物ですらない...
シンプルかつキッカイな秋田のソウルフード(!?)。
昭和40年代の、私にとっては、金座街に銀座街、末広通りに平和通り、
お菓子の丸丹にマンプク食堂におもちゃのミウラにポパイ、
なかよしは薬屋ではなくて中規模百貨店、酒まんに金萬、
広小路にはトー屋にマルサンにセントラルに木内、恊働社。
ついでに、ナカジマのテッチャ(ローカル御免)に捕まって頰ズリされた、
あの雑然として騒々しい時代の匂いに満ちあふれた、そんな感覚に、
一瞬引き戻されるのは必然の味なのである。

そういう食物が、「菓子パン」という形でいまだ残っていることに感謝したい。
ありがとう「たけや製パン」…
こんな○ズいものを、よくぞ40年以上も残してくれて…。,




さて、私の中では本命中の本命。しかも80年代中頃、
これの本物ビデオ欲しさに(コピーではなく)、
東京で唯一のザッパ喫茶「西荻ぎゃばん」から
ZAPPA家に国際電話までして入手したのがコレ!
何と電話口にはZAPPA夫人のGailさんが出たっていうオマケ付き!。
詳細はまたいつか。
なにしろこのビデオは、しばらくは門外不出の「家宝」でありましたよ。
今はDVDとかね...YouTubeにも平気であるわけで.....。

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