ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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へっぽこジャジーナイト

IMG_2715.jpgギターが好きで好きでしょうがない
小学時代の同級生 ヨッチャン(August Moon/Porto)。
私には彼ほどの情熱はもうないけれど、
心から彼を尊敬しているよ。



まだチョボチョボとギャラのいただけるギタリストとしては、
ユルめのお仕事(=時間に余裕のあるスタジオワークとか、
事前リハーサルを設けたステージ仕事など)のみにしか
対応出来てなかった半人前な私であった頃のこと。

突然、「トラ(エキストラ=代理)」の仕事を請けた
池袋の某サパークラブなるところへ集合!…
タレントは?→阿川泰子なるジャズの新人歌手。
ふ〜ん、聞いたことないや〜….というわけで、どうせ客なんて居ないだろうし、
小さな小屋なんだろうし…!?と、随分とナメた、お気楽な気分で池袋へ。

それまでと違っていたのはダークスーツを着ねばならぬとのことだったが、
丁度タイミング良く、東京在住の伯母が
「オマエもそろそろ就活の時期だろう!?」と、
人生で最初で最後の、英國屋オーダースーツをプレゼントされていて、
まあちょっと心苦しくはあったけれど、就活ではなく衣装として、
サパークラブのステージに立つことになった。

ピアノ弾きのジョー・ザヴィヌルによく似たバンマスに、
リハーサルは?譜面は?と訊ねても
「そんなものないよ!メモリでいくよ、大丈夫だろ?」
そういわれても意味が分からず、
「いや、メモリはちょっと…」と答えますと、
「メモリが利かないバンドマンなんてバンドマンじゃないでしょ!」と返されます。
その件はウヤムヤのまま、さて本番が始まりました。

譜面台は有るものの、そこには進行表らしきメモがちょこんと有るだけ。
阿川さんの唄(3〜4曲)の前後にバンド演奏2曲+2曲とあります。
さてどうなる…?。

ピアノの席からバンマスの声で「ブルークリスマス」という声が掛かり、
バンマスの方を見るとピースサインをしています。
なんで今ピース?? 

さてブルークリスマスらしい曲が始まりました。
…私には聴いたこともない曲です。
さて私は…というと、音を探りながら、
調を入れない最低限の和音+オクターブ奏法などで誤摩化しつつ、
どうやらDmの循環コードかあ?ブルクリはあ...(!)
などと判明しつつあるところで曲は終了。

バンマスは私に対し、不振な目を手向けながらも、
次「サテンドール」と小声で言い、今度はピースサインではなく指を4本カザします…?

もしやこれは…そうか「F」だ?…そういう意味かあ、
それなら初めに言ってくれよお…。

さて新人の阿川さん登場。奇麗なヒトっぽいですが、
私にはお顔など見る余裕はなく、完全にテンパってます。
阿川さんも阿川さんで、平気で、「では最初に…酒と薔薇の日々….聴いてください!」
とMCしながら、後ろ手にピースサインを出します。D...か...。

速やかに曲は始まります。私は辛うじてDのオクターブ音でスタート。
あとは控えめ過ぎるオブリガートを入れつつ、
ヤバそうな局面ではヴォリュームペダルを消しゴムのように使いながら、
なんとか第1ステージ目終了。ただちに私はバンマスに呼ばれます。

バンマス「もしかしてスタンダードのコード進行、記憶してないのか?」
ワタシ 「はい」
バンマス「一曲も?」
ワタシ 「一曲も…ですね」
バンマス「アチャー…」
ワタシ 「すみません、こんなことになるとは...」
バンマス「逆に何なら出来る?」
ワタシ 「?」
バンマス「….ここにウチのバンドの譜面集あるから、出来る曲があったら教えて!?」
ワタシ 「ああ、これなんか好きですからできますよ」
バンマス「こ、これかあ…?」
ワタシ 「あと、これも出来ますね」
バンマス「ウーム…、分った」。

バンマスはバンドメンバー全員を呼び、
バンマス 「次のステージはこれをやる!SPIRAL とFLY BY NIGHT…」
バンドマン「えっ?スタンダードじゃないじゃん…やばくないすか?」
バンマス 「いや、これをやる....」
そう言い切り、私に「頼むぞ!」という目を向け、2回目のステージが始まった。

冒頭からメチャ盛り上がる熱いステージになり、
新人の阿川さんもアップテンポな曲で急遽対応したが、
当然、お店の支配人さんからは「大目玉」で、
バンマスもしきりに頭を下げていた。

ステージ終了後、私はすっかり落ち込みつつ、
詫びを云いにバンマスのところにいくと、バンマスは
「時間あるか?…じゃあ今日はオレの行きつけの店でトコトン、
 プロミュージシャンの心得を教えてやる。
 ああ、Spiral、あれはカッコ良かったよ、ホントに。」

その日からそのバンマスを、私は師匠と呼ぶことにした。


今日はダイレクトにその問題の2曲を。
Crusadersは、頭フサフサのラリーカールトンが初々しいSpiral
まったく同じ日のライブ会場で隠し録りをして、丸々フルコピーした
Lee Ritenour & The Gentle ThoughtsのFly By Night
まさにそのヴァージョンを(遂に発見、嬉しい!)。




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初めての挫折のお話 Sha-la-la-la

IMG_2334.jpg【August Moon】秋田のローラ・ニーロとマイク・ブルームフィールド!!



前回の項で小学生時代、私に当時新曲バリバリの
「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を聴かせてくれた音楽の男性教師。
隣のクラスの担任で、音楽には相当情熱的。
その熱量に私はまんまと感化され、一方的に先生のシンパとなった。

先生が主宰する器楽部にも、市政80年(?)音楽祭の合唱選抜隊にも、
校内作曲コンクールにも、当然のように奮って手を挙げ応募し、
当時はピアノを習っていたので、その辺りも俄然アピールしつつ、
アコーディオン奏者希望!などと、多少謙遜してみせる私だったが、
一向にその努力は報われず、

「またおまえか…身の程を知らない奴だ…」

...そういう表情を手向けられながら、
すべてに落とされ除外される私だったのだ。

何故この熱い情熱を、先生は理解してくれないのだろうか?と、悩みもした。
しかしめげずに私は、欠員募集、増員募集にも応募し、
オーディションを受けるのだが、まったく引っ掛かりもしないのだ。

そのうちに先生は突然の「転勤」で学校を去る。
去るにあたって、何らかの不祥事があり、その内容に関しては、
徹底した箝口令が敷かれていたことを後で知った。
私のシンパシーと裏切り以外のところで、先生には大人の事情と、
何らかの不正と、その苦しみがあったらしい。

いずれにしろ、私の、未だにあるかないかよく分らない音楽的才能を、
11歳の時点で完全否定し、無視した人物に変わりはないのだが、
以後の私は、もう会うこともない先生に、どこかで認められたい気持ちと
ザマア見ろ!と、見返してやりたい気持ちがナイマゼになって、
無意識ながらも、音楽好きの気持ちを持ち続けるのだった。

やがてビートルズを聴きだし、
ビートルズを歌いたくてギターを弾くようになり、バンドを組む。
そして大人になって、不思議な出会いなどありつつ、
音楽で飯を食うような時代もあったわけで、
何だか皮肉なモノだなあと思うのだった。


[Will You Love Me Tomorrow / Laura Nyro]

一時期、営業担当なので、初回の商談などでは、
音楽好き?という切り込み方で一旦、場を和ませるということが多かった。
そこで最も好きな曲(歌)は?と訊かれたとき、
普段から解答を用意していなかったので、そのたび、ダニーボーイだとか、
ウォータールーサンセットだとか、ストロベリーフィールズなどと
バラバラに答えていたのだが、それではいかんなあと、固定化することにした。

その時に定めたのが、キャロルキングのWill you love me tomorrow
ビートルズは、曲ならHELP!、アルバムならREVOLVER…。

あるとき、ローラニーロが亡くなったというニュースをラジオで聴いた時、
掛かっていたのが、一番好きな曲「Will you love me tomorrow」のローラニーロ版。
泣けた。とにかく心の奥底から涙が溢れて来てとまらなくなった...。

そういうわけで、今はどこまでお届け出来るか分りませんが、
彼女最晩年の録音から「Will you (still) love me tomorrow」。
ちなみにこの曲を含むアルバム「Angel In The Dark」は、
有名曲のカバー満載の上、どの曲も鬼気迫る名演の数々。
これが彼女の最後の......
ああヤバい、やっぱり泣けて来た….Sha-la-la-la...。


追伸:我が敬愛する秋田のバンドAugust Moonも、
偶然にもこの曲をレパートリーとしてました(さすがです!)!。
彼等のコンサート情報はこちらで。

▼最後のレコーディング音源です。Vと同じテイク入り。

Angel in the DarkAngel in the Dark
(2002/05/08)
Laura Nyro

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▼Vとはテイクが異なります。

抱擁(紙ジャケット仕様)抱擁(紙ジャケット仕様)
(2008/09/24)
ローラ・ニーロ

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♫ Oh! Please...

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【PORTO 2013】

小学5年の確か3学期、音楽の授業は、
レコード鑑賞などで時間を消化するダラケタ時期に入っていて、
音楽教師が選んだクラシック鑑賞が普通だけれど、
どうしたわけかその時は、教師の私物だろうか?
ビートルズの「Ob-La-di Ob-La-Da」のレコードを聴かされた。

これまでに聴いた事がないような「飛び跳ねる」感覚の陽気な音楽に、
私はなんだか異常に興奮したようで、
帰宅後、興奮したまま同曲のシングル盤を、親にせがんで買ってもらった。

POPSではこれが恐らく私のハジレコ(初レコード)となる。

これに味をしめたか、ビートルズ好きが本格化してしまうのだが、
いかんせん小学生の少な過ぎるお小遣いでは
シングル盤さえ満足には買えないから、
とにかく親戚や近所、友だちの兄弟などまで情報網を広げ、
レコードを借りたり、カセットテレコをワザワザ持ち込んで、
マイクをスピーカーにかざして録音させてもらうなどして、
少しずつコレクション(殆どコピーだが)を増やしていった
(前年に家でカラーテレビを購入したらオマケにカセットレコーダが
 付いて来たのがラッキーだった!)。

中には「ウチの姉ちゃんの友達がビートルズの日本語版持ってるぜ!?」
という謎な情報…ドイツ語版の「抱きしめたい」なんかもあるから、
日本語版もあるのか!と、ドキドキしながら聴かせてもらったら、
これが「東京ビートルズ!」...

♫オープリーズ オマエ-を、抱きしめた〜い〜…。

それがこれ!


コレクターへの道は果てしなく厳しい!と痛感するのだった。



さて、中学に上がるとビートルズと併行して、
この変態チックなオッサンの美しい歌にハマる。
いまや「エルトン・ジョン卿」と呼ばれるこの御仁。
本名ではない。

彼がソロデビュー以前に参画していたジャズバンドの先輩ミュージシャンの、
エルトン・ディーンとジョン・ハイズマン(共に後にソフトマシーン)にあやかって、
その名前を頂いたもの(ロング・ジョン・ボルドリーから、という説もある)。

何となく丹羽長秀と柴田勝家の織田家両上司にオモネって
羽柴秀吉と名乗ったアノ男とダブるなあ。

また、意外と知られてないのが、レコードデビューしたその当日に、
ロバートフリップ以外のメンバー全員に脱退されたキングクリムゾンを、
契約通りにグループを継続させる為に、
クリムゾンの所属プロダクション(EG)が、ソロデビュー作
「Empty Sky」をリリースしたものの、
鳴かず飛ばずだったエルトンジョンをスカウト!。
グレッグレイクの後任ヴォーカルとして、
すでに契約金まで支払ってしまっていたのだが、
フリップは「あんなカエルを踏んづけたような声のヤツなんか認めない!」
の一言で、ご破算に。

しかし彼はその時の契約金(違約金か?)を元手に、出世作となった2作目
「ELTON JOHN(僕の歌は君の歌)」を制作する。
(ジェントルジャイアントのオーディションも受けてたらしい…意外にプログレ好き?)

で、我々世代にとって思い出深いのは、何と云ってもこのシングル!
「イエス イッツ ミー」

聴き方によっては、キングクリムゾンの「エピタフ」とか「〜宮殿」
のように聴こえなくもないから不思議だ!?

日本のオリコンベースでは、
あのダイアナさん追悼に歌詞を替えて発売しバカ売れした
「Candle In The Wind 1997」を除けば、
この「イエス イッツ ミー(It's Me That You Need)」が、
最も売れた彼のシングルなのだそうだ。

やっぱりプログレ畑の、
サードイヤバンドのポールバックマスターによる
ストリングスアレンジがおどろおどろしくて、
固唾をのんで聴いていた中学時代だったな。


そのバックマスター節全開の名曲が「リーヴォンの生涯」。
リーヴォンのモデルは、なんとTHE BANDのレヴォン(リーヴォン)・ヘルムらしい。
The Weight - The Band
ちょっと、イメージが違うなあ…。

エルトンを聴いてたピークがこの時代(中2頃?)なので、
相変わらずシングルが基本ベース。
昼のパン代や、バス代を浮かせながら
レコード代を捻出してたな。
LP(CD)は、ずうっと後年に「オトナ買い!」。


Rare MastersRare Masters
(1993/05/02)
Elton John

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美術館で会った人だろ

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80年代の終わり頃に「原発、是か非か」という討論が、
そこら中で沸騰した。
その結果、世はバブル中でもあり、

「我々は、エアコンのたっぷり効いた部屋で、深夜テレビも観たいし、
 音楽も聴きたい。豊かな生活(?)を謳歌する為に、原発YES…。」

政府や学者は、総じて200%安全だ!と云うし、それならばと
原発容認が世の中の正論となりえた。

しかしご承知の通り、2011年3月にその正論は呆気なく破綻した。

深夜のテレビなんて要らない(どうせ面白くないし…)。
各人のエアコンとの向き合い方=節電対策を徹底的に見直そうという
気運が一時確かに盛り上がった。

それはあたかも電気中心の文化に依存しないライフスタイルの再構築
そんな国民の切実な決意表明だったと思う。

ところが今になって、反原発は罪!。原発推進こそ経済発展の道!?
という論理が大新聞を中心に、または政府見解としてまかり通りつつある。
「原発、是か非か?」は、また再び経済優先、享楽優先の社会構築という論理のもと、
3.11の教訓などとっくに忘れ去った、
まさに「恥」を知らない厚顔無恥な方向に傾きつつある。

安倍晋三という人物は、本来、聡明で理知的なヒトと拝察する。
支持率が高いのも、景気を上向きにした功績からの人気などではなく、
むしろ誠実そうで柔和な人柄とか、庶民的にも見えるルックスのラッキーさだと思う。

だから本来の彼の心情は、消費税を今上げたくないだろうし、
社会保障も減らすのではなく、もっと充実させたい。
靖国だって別にどうしても行きたいわけじゃない。
そして恐らく、本当は「反原発論者」だと思う。

しかし自民党総裁という立場で、景気を向上させるには、
まずは何をおいても大企業優先の政策を実行するから
(と、財務&経産官僚や学者は云う!
 しかし安全神話を流布したのも同じ組織・大学等の方々)、
いま東電を潰してしまうことで波及する金融不安などを考慮すれば
「原発推進論」で行くしかない…と思い込んでいるのだろう。

まあ、所詮はそれだけの小心な政治家でしかない。
ちょっとの勇気があれば、
ドイツなどより遥かに先進的で、安全かつ経済活性も伴う、
新しい日本(世界)の再構築モデルケースが完成する大チャンスなのに…
まったく勿体ない話である。




【美術館で会った人だろ P-MODEL】
佐久間正英氏の訃報が届いた。
四人囃子やプラスティクスでのご活躍はまさに周知の通り。
まだ黎明期のデジタル・テクノロジー分野における、氏の
先進的感覚は、両バンドでも遺憾なく発揮されておりますが、
私個人として、時代的に、YMOよりも、そしてまさにPlasticsよりも
もっともっと、とてつもなく衝撃的だったのが、
彼がプロデュースしたP-MODELのデビューアルバム
「In A Model Room」
正直、人生が変わったと云っても過言でないほど、
重要で、大好きなアルバムでした。

佐久間氏のご冥福を 謹んでお祈りします。



IN A MODEL ROOM (紙ジャケット仕様)IN A MODEL ROOM (紙ジャケット仕様)
(2003/10/20)
P-MODEL

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自分の中のちっちゃい自分に問うてみた!?

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ちょいとナイーブな赤ら顔



コトの詳細を、いつかツマビラカにして、
キチンとしたドキュメントを書き残しておかねば!
と、常々思いつつも、いつも口惜しさなどの直情的な思いが先に立って、
冷静かつ客観的に纏め上げれないような事件が、人生には何個かある(と思う)。

出来れば事件直前までタイムマシンで戻って、
もう一度やり直したいようなコトガラ。

モノゴコロがついて最初の激しい記憶が...
当時近所に住んでいた姉妹と、花摘みかなにかで遊んでいたとき、
姉妹の姉が突然、まだよちよち歩きの妹を、薄笑いを浮かべながら、
池に突き落としたシーン。
 
すぐに大声を出して助けを呼ぶと、幸いにもたくさんのオトナ達が
やって来てコトなきを得た。
それでもパンパンに膨れたオナカから水を吐き出させ、
人工呼吸による救命措置のまさにオオゴト…。

そしてその間、突き落とした姉が、今度は泣きじゃくりながらも、
しきりに叫んでいるのが
「○○ちゃん(つまり私)が、突き落とした!」と連呼している。

私はナススベなくその姉を見つめていた。
何故、彼女がそんなことを言うのかまったく理解できず呆然とした。
何かの鬼が彼女に憑依したのだろうかと、そんな風に思えた。
「突き落としたのはオマエじゃないか!」と、ハッキリ分ってるのに、
それがその場で表明できない自分。

鬼に憑かれて可哀想な彼女を傷つけたくない気持ちと、
向こうは仲の良い姉妹であり家族。真実が知れると、
悪戯では済まされない禍根を家族に残すのでないだろうか…という
幼児ながらの不安感。

結局この事件は以後、家庭の中でも、町内でも禁句になった。
いや、禁句だったのは自分の周りだけだったかもしれない。

何度も自分の中で反芻した「事件映像」は、
いまだに色褪せない鮮明なカラー映像なのだが、
果たしてそれが本当に事実なのか?、それとも、
自分が勝手に作り上げた偽りの映像で、
自分の中に潜む別人格の「悪魔」な部分の自分の仕業ではなかったのか?。
そんな不安も他方で100%ないわけではなかったりするのだ。

それから30年くらい年月が経って、私は、仕事上ながら
「取り込み詐欺」に引っ掛かった。

詐欺グループの手際は、まあ実に周到で鮮やかだった。
私に見せた岐阜本社の造作も、数十人の社内スタッフ達の快活さも、
偶然にしか思えないサマザマなエピソードも、全てが創作。
銀行員(地元信用組合の融資担当者)までも、全て偽りだった(グル!)。

詐欺グループは、たった3ヶ月間で数十億の荒稼ぎをして、
タイあたりに揃って高飛びしたらしい。
騙された私のような間抜け共は、皆「完璧な手口だった」と評する。
ところが、私は、正確には私の中のちっちゃい私は(!)、
何だかそうなるような気がズゥーとしていたのだ。

とても冷静な「ちっちゃい私」は、常に
「おかしい!」「騙されるな!」「のめり込むな!」「やめとけ!」
と、常に警告を発し続けてくれた。

お陰で「宝石屋を紹介して欲しい」とか「海外為替」に介入しようとする部分は、
一切排除した。もしそこまで「利益最優先」で許していたら、
被害額はとんでもないものとなっていたところだ。

結局「ちっちゃい~」の警告のおかげで、
柳ヶ瀬の酒池肉林の夜も経験しないまま、最小限の損害のとどめた…
と、思うのだが、その時の「ちっちゃい自分」と、
幼少時の存在すら分らない「悪魔??」…。さて??


たしか中3くらいの時に、ライブハウスではないが、
会議室みたいな小さなハコの最前列で観たのが
「中山ラビ」さん。

洪栄龍さん率いる「乱魔堂」というのがバックバンドに付いていて、
当時はむしろ、そっちのバンド方面に興奮したのを覚えている。
さらに高3くらいで、やはり同じビル内(秋田市の大町ビルだ!)の
ライブハウスでラビさんを再び観戦することになるのだが、
その時初めてラビさんの「唄の力」を感じるに至るのだった。

当時一番気に入ってた曲がこの曲。
実は今回やっと見つけて、ちょっと感激している。
なにしろタイトルすら忘れていたから…。


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雪国の赤色はエロかった。

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秋田に戻ってきて、生まれて初めて写真というか
カメラにハマることになった。

撮った写真(RAWデータ)は、キチンと「日、月、年」にフォルダ分けして、
外付けハードディスクに保存しているのだが、
今回で3回目の冬となるが、相変わらず1月から3月後半までのフォルダは、
一向に埋まらないのだ。

何しろここは最果ての地「秋田」。
何を撮っても雪雪雪。
ただただ弱い光と白いノイズの塊。
撮って楽しい要素などなにもないし、
ブログで公開したところで、ただ悪戯に悪寒を誘発させるだけで、
迷惑千万に違いない。

ある意味,こんな季節だからこそ、
陽気でカラフルなイベントがほしいなあ!などと思うのだが、
そもそもが寒すぎてヒトが集まらないし、
猛吹雪で目も開けられず、そんな中、イベントの演し物で、
お客様の歩を止めさせ、まさに南極の「皇帝ペンギン」さながらに、
そのまま雪に埋もれてしまうようなことになればまさに一大事である。

そういえば昔、志賀高原だとか越後湯沢だとか、
ゲレンデの雪上ステージ歌謡ショー!?なるもので
ステージに上がったことがあるが(なんどもある!)、
指はかじかむし、チューニングはバラバラ、
そのうち吹雪に見舞われて譜面も譜面台ごと吹っ飛ぶ。

特にハンドマイクの歌手さんは感電の危険があるので、
私はバンマスとして速やかに演奏を中止させ、
主電源を落とすべくPAさんに指示したのだが、
どうしたことか、その時17歳の歌手の娘っ子が、
柄に似合わず、突然プロフェッショナルな使命感に目覚めたらしく、

私は死んでもこのステージをやり遂げねばなるぬのだ!

という悲痛な目で私を睨むのだ。

「オマエも危険だがバンドも危険なのだ,死ぬことだってある!」と諭しても、
「じゃああと1曲だけ…」と、懇願する。
仕方なくバンドメンバーの了承得て、マイクスタンドを用意させ、
絶対マイクにもスタンドにも触れないことを約束させて最後の一曲…。
こちとらは、アンプの上に雪がずんずん積もるのを、怖々見やりながら、
まさにキモを冷やした最後の1曲を私は一生忘れないだろうと、
その時は思ったが、今はもう何の曲だったかもさっぱり覚えてない。




【いつも通り】はシュガーベイブの曲。
基本的にシュガーベイブの曲は全部好き。
上の記事にも登場してる「歌手(当時17歳)」は、なんと今も現役バリバリだが、
彼女もその頃「山下達郎系」が好きで、それでは山下系の曲をピックアップして
ステージ用のレパートリーにしようぜ!と強引に誘導しつつ、
選曲に入ることになった。
私は密かに、シュガーベイブの「大貫妙子曲」を是非演りたかったので、
了承を得ないまま「いつも通り」と「蜃気楼の街」のスコアを手早く仕上げて、
リハーサルの場に持ち込み、合わせてみたのだが、

ちょっと地味じゃね?…と、

残念ながら不調に終わってしまい、
私は新たにBOMBERとか、ライドオンなんやらという、
あんまり意に添わない曲のスコアを翌朝までに仕上げることになってしまった。
そんなケチな思い出があるので、以後数十年、この2曲に関しては
「かなわぬ想い」を残すことになった。

で、本日は、奇遇ながら、当時諸々お世話になったサックス奏者の
土岐英史さんの長女であられる土岐麻子さんと、
大貫ターボーの奇跡のデュエットで、問題の「いつも通り」を!。

土岐麻子さんが素晴らしくイイー!、
バンドも抑制が利いててホントにイイー!。
なんだか悔しい....ちくしょー!。



大瀧さん絡みでもう一発


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ハタハタの成人式

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冬のフルセット



30数年前の自分の成人式の思い出と云えば….

式典には記念品の「アルバム」を貰う為だけに出掛けたような気がする。
夜になると、下宿の大家さんご夫婦に、母屋に招かれ、気を使って頂いて
我が郷土の食べ物「ハタハタ」を振る舞っていただいた。
ただし、ほとんど潤目鰯のようなサイズのものが一匹に、
メインディッシュでもあるブリコと言われるタマゴの部分は、
「気持ち悪いから捨てた」…のだそうだ。
それでも充分、ヒトの暖かさに触れた
思い出深い成人式の夜となった。

成人式式典には、結局連続で4回行くことになった…。
初回は本当に自分のため(大田区体育館)。
21〜23歳までは仕事。いわゆるアトラクションのバンド屋稼業。

21歳の時に某アイドル歌手のバンドで、
前年に自分が成人を祝ってもらった同じ場所のステージにまさか立つとは
「不思議なエニシやのう…」などと思ったが、
これが、場所とタレントは各回異なるが、3年目、4年目となると、
もはや何の感慨もなく、そろそろこれも卒業したいものだなあ…
などと考えるようになるのだ。

何しろ寒いし、歌謡アイドル全盛時代とはいえ、東京の子たちは、
それを素直に有難がる風潮は既になく、ヘタをするとブーイングを浴びる恐怖に晒され、
いい知れぬ不安や群衆の殺気すら感じることがある。

かと言ってロック系のアーティストを擁し赴いたにしても、
趣味趣向が多様化する中で、必ずしも全員に歓迎されるとは限らないし、
私は経験ないが、聞いた話だと、アーティスト側と新成人との間に険悪な空気が流れ、
あわや揉み合い寸前な下町の会場も実際にあったらしい。

成人式GIGも過渡期かな?と、既に30数年前に感じたものだが、
漏れ聞くところによると、いまだに続いているらしい。
30年経って、タレント側も新成人側も、
今や大人の所作を十分心得ていて、
うまく折り合いをつけている…ってことだろうか?。

たしかに今の子たちのほうが自分らの頃より、
ずうっとオトナのように思うことがある。

聞く所によると、秋田の娘は、進学しない代わりに「自動車学校」。
成人式の晴れ着の代わりに軽自動車…なのだそうだ。
これが学力テスト連続全国1位の土地柄の最終到達点...。
なんだかなあー。



【Robert Wyatt - Shipbuilding】
さて、相変わらず個人的にだが,80年代に隆盛を極めたPVの中で
この作品こそ最高傑作!…だと信じて疑わないのがこの作品。
何と云っても楽曲はエルビス・コステロ作(本人もご出演)だし、
唄は高校時代、彼の名作アルバム「Rock Bottom(白日夢)」で、
夢中になったロバート・ワイアット。
云うことなしの名作!
この頃の英国は、フォークランド紛争やら不景気やらで、とても病んでいた…。



Greatest MissesGreatest Misses
(2010/06/03)
Robert Wyatt

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ご先祖に呼び止められるの巻

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いやはやいやはや、ダダダダ大寒波....NYが凍ってなんだかんだって、
そんな映画あったじゃない...それにしても寒すぎる!



九州出身のわが家人…手早く云うと家内なのだが、
彼女のヒイヒイ爺さん(玄祖父)は、幕末の薩摩藩士で、
維新後は岩倉使節団の一員として渡欧後、パリに残り留学。
帰国後、「大西郷」とは倒幕の意見衝突以来、不仲が続いており、
新政府には出仕せず、男爵として天皇の側近となった人物。
先般の大河ドラマにも「薩会同盟」絡みで配役されていた。

十数年前、目的は忘れてしまったが、三浦半島の横須賀とか猿島、観音崎、浦賀…
あの辺りの海岸線を、家人とフラフラと小旅行をしていた時に、
とある寂れた神社を見つけ、何とはなしに見過すことが出来ない
強い衝動によって導かれるように,参拝することにした。

霊感の強い家人は既にガタガタと奮えていたが、
「ここは行くべきだと思う。邪気ではないから...」と、
わけの分からんことをブツブツと唱えていた。

日本武尊(やまとたけるのみこと)と
その妻(愛人という説もあり)弟橘媛命(おとたちばなひめ)を
祭神とする 「走水(はしりみず)神社」というところ。

「どこかで聞き覚えがある神社の名前だけれど,
 そんな有名な社がこんなに寂れているはずがないよなあ…」

などと無駄口をタタキながら参道を登り、祠に辿り着く。
傍らに大きな石碑があり、例によってありがちな
漢詩まじりの難解そうな文章。
古文の授業は殆ど寝ていた自分なのに,不思議なことに
スルスルと読み込めてしまうのだった。

なんと碑文を書いたのは、家人の玄祖父であった。
日本書紀にも描かれる日本武尊と弟橘媛命ゆかりの社が、
今や(明治後期)荒廃を窮めている。なんとかせねば…と思った玄祖父は、
懇意にさせていただいてたであろう明治天皇第六皇女昌子内親王
(なんと後に竹田宮恒久王(!)とご成婚)に、この事を相談すると、
彼女は時のスーパースター、乃木希典、東郷平八郎らにも呼びかけ、
彼等も発起人に加わると,あっという間に資金が集まり、
走水神社を再興させてしまった!という内容。

ところがその後昭和になると、このあたりは帝国海軍の戦略的要衝となり、
一般人は立ち入り禁止地区となったらしく、神社はまたしても廃れてしまった。
(今でも祠の裏の山道を進むと、防衛大学の敷地に通じている。
 ちなみに私は昔受験して、勿論落ちた!...試験問題、無茶苦茶難しかったぞ!)

まさにその廃れきった平成初期の時代に、
我々はこの神社に呼ばれ,迷い込んでしまったのだった。

その後,我々は、年に一度は、横須賀のはずれの同地に赴いて
お参りをするようになるのだが、
流石に今はこんな調子だから、しばらく行けてない状態。
家人には、折をみて行ってみるようにと、頼んでおいたのだが,
どうやらこのお正月に足を運び参拝したそうだ。

すると、なぜだか目新しい豪奢な別宮が完成してるは、
売店まで賑やかにリニュアル(?)していて、
サマザマな走水グッズまで、イロイロ売っていたのだそうだ。

急にどうしたのだろうか?と、不思議に思った家人が
いまや友人でもある宮司に訊いてみると、
走水神社は、あの江原啓之によって人気パワースポットとして
広められ,今や女性に絶大人気の霊所なんだとか!。
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こりゃあ、ひいひい爺さんも、さぞ驚いてることだろうよ!
で、ありました。



今日はNilsson で「ONE」を!
当然?私も名曲”Without You”で彼を知ったのだけれど
あれはあくまでもBad Finger=Pete Hamの曲。
こちらのONEはニルソンのオリジナル曲で、ポップグループ
スリードッグナイトの記念すべきシングルデビュー曲にもなった曲。
個人的にはギターで一番先に弾きたかった曲でもあったのだが、
最初のコード(キー)がE♭だった為に断念した(!?)。
まだカポタストを知らないし、キーを変えるなんて想像だにしない
イタイケな少年だったなあ…。


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いまだ酩酊中にてござ候

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「サンフランシスコ講和条約(平和条約)」に規定された『東京裁判の受諾』によって、
日本の独立、すなわち戦後レジウムが確定するわけだが、
靖国参拝行為は、A級戦犯者を尊崇する明らかに
「サンフランシスコ講和条約」に違反し、
連合国側との(独立と引き換えの)約束を反古にするもので、
戦勝国の見解では「disappointed」で見事に一致し、まとまってしまうお約束の現象。

戦勝国側にしてみれば、「天皇にも日本人にも戦争責任はない」
というレジウムを整える為に「A級戦犯」を確定して、
彼等に責任と憎悪のすべてを追わせ、全ての戦争責任を終結させる…」
という妙案を”あえて”設定してやったのに、まだなにやら文句があるのか? 

そもそもこの「妙案」に納得してないロシアや中国にしてみれば、
「妥協してやってるのに、生意気じゃないのか!」と、言いたいのだろう。

日本的な死者への情緒的思想も、なるほど国内的に理解出来なくもないが、
問題は

「自らの信念や美学」を優先させるのか、
「国際条約、約束」を優先させるのか…。

私は近代国家の為政者なら、どちらを選択すべきか明解すぎるとおもうのだが…。

ちなみにK国とはそもそも戦ってないし、勝っても負けてもいないわけで、
非難される道理はないと思うのだが…。



紅白のあまちゃんスペシャル…私は春子さん推しなのだが、
なぜだか鈴鹿さんの登場で涙がボロボロ溢れて来て、ホントに困った。
大満足だが、欲を言えば、さらにシークレットゲストで幸橋夫…
いやいや橋幸夫さんご登場で、「いつでも夢を」の、
ババ達との大合唱が聴きたかったなあ。これぞ紅白!


本田圭佑がA.Cミランの試合を観戦にきただけで、
なにやらダラダラと燻り続けていた
ミランの(元来)スーパースター達に火がついて、
珍らしく圧勝したりなんかするわけで、
こりゃあ本田効果、当分楽しめそう!。

個人的には、ミランで本田はボランチ的なポジションを体験して欲しいと思っている。
今の1.5列目ではなく2.5列目または3列目あたりに、
彼のような強いフィジカルの選手がいて、攻撃の起点となれば、
前線が確実に活発化して得点も増え,守備も強化される一挙両得。

今回のブラジル大会は無理だろうけれど、2018年カタール大会までには、
そういうシフトを模索し完成せねばならなくなるような気がする。


温泉は、「箱根にはじまり箱根に終わる」と申しますが,
Jazzは私にとって「マイルスにはじまりマイルスに終わる」などと、
本気で思う今日この頃であります。
とくにこのComplete Live At Plugged Nickel 1965 
8枚組CDセットを、かつて酔った勢いで購入。
時代の空気もろとも大好きな世界。


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新年もやっぱりほろ苦いブルース(続編)

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今の時点では、また雪も溶けてしまったようだ。
ちなみに私が高校生くらいの頃は、まだこの景色の92%くらいは田んぼだった。
恐ろしや....。



年の瀬のクソ痛いブルースのつづきです。


思いもよらず、心臓は無事に機能を取り戻したらしいが、
酷いめまいの方は,一向に収まる様子はないどころか
日に日に悪化していたのだが,
昨今の医師不足からか、入院中とはいえ、
当該の病院には脳関係、或いは耳鼻科関連は診察不可能。

内科の先生が「まあ、コレでも飲んどけ…」と云われて服用した
超不味い水薬(匂いのない灯油!?)が、まったく身体に合わず、
私は血圧50(上)を切って仮死状態に…!。

またしても集中治療室に逆戻りも、数日して少し回復すると,
「我々が出来るのはここまで、サラバじゃ!?…」と、
ふらつく状態のまま強制退院。

すぐさま私を含まない「嫁姑巨頭会談」がウヤウヤしく開催され、
私は自動的に(?)東京を離れ,秋田の実家に戻り、治療を続けることになった。

まずは実家から徒歩距離にある「脳血管研究センター」に通うことと、
見えなくなっていた片目を早急に手術しなければならなかったのだが、
入院していた病院の異常に混雑した眼科では、手術は4ヶ月後…と云われており、
それが秋田だと、母の友人で名医と呼ばれる眼科医がいるとかいないとか。
いっそ、そこで手早くやってもらおう…。

その他もろもろ、東京に居れば中途半端に社会復帰して、
またすぐ倒れてさらに大事になるのは目に見えているから,
この際じっくり治療すべきだという結論にあいなったらしい。

年明け早々「荻窪駅」+「東京駅」と車椅子送迎大作戦。
さらに秋田新幹線に常備されている「障害者用シート」を利用しつつ、
35年ぶり、猛吹雪の故郷秋田に戻って来た。

まずはすぐに眼科へ行った。
母の親友?という触れ込みだったが、連絡に失敗したらしく、
まずは、まったくフリーの患者という立場で、眼科に出掛けた。
そこで敢えて母の話はしなかったのだが、
心臓手術やら諸々疾患の件を正直に話すと、
眼科先生の顔色はミルミル変わり、
遂には大声で怒鳴られてしまった。

「そんなハイリスクなオペをさせて、もし何かあったら
 誰が責任とると思っとんのじゃあ!眼科なめんなよ!バカ野郎帰れ!…」

「こちとら正直に状態を話して相談してるのに、馬鹿野郎呼ばわりはないだろう。
 コチラから治療をお断りする!」と、売り言葉に買い言葉の怒鳴りあいの末,
眼科をあとにした。

結局近所の手軽そうな眼科へ行くと、
あっさり手術が出来る近くの総合病院の眼科を紹介され、
そこで「手術は慢性的に混んでいる(もう何度も聞いた…ここもか)」 
「すぐにというわけにはいかないが、来週でどう?」と言われ驚いた。
また数ヶ月先と云われると思ったから…。
血液検査でも充分に「安全な数値」であったらしい。

手術は呆気ないほど短時間で終了。
それまでベージュにススけてボンヤリ見えていた病室の壁紙が、
実は鮮やかな純白である事に初めて気が付いたりしただけで、
もう満足感が込み上げて来た。

さあ希望が持てて来たぞ!と思ったが,
めまいの方は目が治ったとはいえ相変わらずで、
耳鼻科でも異常なしで相変わらず原因不明。
いよいよ大仰な名称がちょいとばかし癪に障る
「県立脳血管研究センター」に行く事にした。

他にも心臓のアフターケアや、諸々成人病のコントロール等を
統括して行なえる病院探しなどで手間取りつつ、
そろそろ「2011年の3月」を迎えようとしていたのだった。(さらにつづく)



この人のベストアルバムは絶対のおススメ。超有名曲ばかりの珠玉のオリジナル作品集。
唄い方もやさしいので,ほっこりした空気で部屋を満たしてくれます。
中学生の頃、どうやったらこの人のように「瑞々しいメロディを次々生み出せるのか?」
を、真剣に研究しようと大真面目に取り組んだ事がありましたが、
結論はもちろん「才能」...凡庸な自分を思い知らされるわけです。
今日は映像的に一番しっくりきた「雨の日と月曜日は」を…


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カッタイこと言わずに踊りゃんせ! 

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マジ、がっつり食えなくなったポンコツな己の胃袋に腹が立つ謹賀新年...。



上京して最初に感じた「都市生活の恩恵」とは、
NHK以外のFM局=FM東京(現TOKYO-FM)が聴けることと、
AMラジオがいつの時間帯でも澱みなく聴けること。

地方住まい、とりわけ東北のウラッカワの人間には、
夜しか聴けない、イヤ、聴こえないはずのFENや在京キー局が、
澱みなく聴こえるその幸福感を、いったいどう表現したら良いのだろうか!

とりわけ私にとっては、キャロルアベショーなど貴重なイギリス系の
コアな音楽情報番組や、BBCのライブ番組などを専門に放送していた
ラジカンことラジオ関東(現ラジオ日本)が明瞭に聴ける歓びの中で、
もうひとつ、幻で憧れだった番組が、

ラジカンの「ゴー・ゴー・ナイアガラ!」
DJはもちろん我らが多羅尾伴内こと大瀧詠一。

番組では、これまで聴いて来なかったビートルズ以前のポップスや
モータウン系のソウルミュージック、さらにはクレージーキャッツやパラダイスキング、
弘田三枝子、淡谷のり子なんていうあたりには、実は相当に影響を受けている。

実際にはナイアガラ時代のご当人の作品は、初期の数枚しか購入しなかった者ながら、
今回の訃報に際し、TVニュースが伝える「さらばシベリア鉄道」や「冬のリビエラ」
「熱き心に」の作曲者~…として紹介され、
小林旭氏や森進一氏のVが流れるという制作方法は、
マトハズレというより、腹立たしくもある。

大瀧氏はマギレもなくJ-POPの礎たる伝説の「はっぴいえんど」の
リードヴォーカリストであり、
山下達郎を輩出し、その上でヒット曲も数々あるNiagaraの創始者…。

とにかく年末〜新年早々、巨星落つ…ながら、彼らしく賑やかに
「NIAGARA音頭」で送り出したいと思う。


さあ、♪ないやがら音頭で踊りゃんせ…硬ったいこといわずに踊りゃんせ..
確かコレを唄った布谷文夫氏も故人でありましたね....。


でもやっぱり「はっぴいえんど」は外せない。


もうイッチョ。一番最初に聴いた大瀧ソングは恐らくコレだと思う。



あ…謹賀新年…気分的に喪中みたいになってしまい、失礼しましたが、
本年もよろしくお願いします。

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