ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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転職失敗とパコ・デ・ルシア

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「憤懣やるかたなし」…そんな感情はその時が初めてではない。

中学のサッカー部で、決してイジメではなく、
初めて味わう縦社会の不条理に戸惑い揉まれながら、
それでもサッカーが好きだったから、続けることに迷いはなかった。

その後の人生でも、挫折の類いは1度や2度ではなかった筈だ。
それなのに、既に私は45歳くらいになっていて、
30人くらいの零細企業なりにも「副社長」というポストに居つつも、
憤懣やるかたなし…我慢の限界を越えたと感じ、辞表を叩き付け、
引き継ぎもなく、自分としても不思議なほど感情的になって全てを放り出し、
逃げるように会社を去った。

ほんの少しだけ、自分らしくないなとも思った。
キチン引き継ぎをして円満にヤメることが許されるのなら、そうしたかった。

なにしろ自分で短期間ながらも立ち上げた会社のシステムだし、
それらは慎重な取り扱いをしなければ、簡単に崩壊する危険もあった。
システムが熟成するには、あと3年は必要だったと思う。
しかし勢いを付けて辞めなければ、そのまま容赦なく自分の精神は痛めつけられ、
やがて崩壊する…真剣にそう思った。

約十年さかのぼる。

私は小規模ながら、ある特化部門では業界1位という貿易商社で、
商品企画と営業を担う部署の本部長という立場にいた。
セクション毎の数人の直属の部下(課長とか係長)と、
さらにその下にスタッフが数人ずついた。
そのスタッフの中に「K」が存在してした。

だから当時の私は「K」という男とは顔見知りだが、
性格までは把握しておらず、頭のキレる、
ソツのない営業仕事ができる男…そういう認識しかなかった。

数年して「彼にはごっそり遺産が舞い込み、それを元手に独立開業した」
と聞き及んでいたが、それも殆ど印象にないほど「K」に対する印象は薄かった。

さらに数年して、会社上層部が金融機関(銀行だ!)の口車に乗って
出資したビジネスで大失敗した。
会社は一気に大きな負債を抱えることになった頃、
「K」はジワジワと私のところに「副社長待遇」をチラツカせながら接近して来た。

「実務部門の全てを任せたい。今まで通り、やりたいように仕事をしてくれれば良い」。

充分に魅力ある誘いではあったが、
結局なんだかんだジタバタとさまざまいろいろあった上で、
1年半…「K」に返事を保留した上で、やっと誘いを承けることにした。

事前に様々な条件を私は提示した。そのほとんどは仕事の環境整備、
信頼出来る部下達を再結集し、グローバルなネットワークも即時復活させたい。
などなど全て「お任せ」だと思って就任してみると、
それらの条件は一切適えられないどころか、横の連絡さえも禁止された。

全てが「K」の外世界とは隔絶した「北○鮮」のような
極秘既定路線内での環境構築となった。
そのほとんどはブラックで卑劣で姑息な、信頼性など1%もない「暗黒会社」。
そのソトヅラとしてのワタシの存在意義…。
(非合法組織ではないが、全てはスレスレか超えてるか?..という感じ)

自分でも実感するくらい、日々精神が壊れてゆくのが分った。
それでも3年半我慢した。何度も辞表を出したが、受理されなかった。

何がなんでも辞めるべし!と決断した日、家人は理解してくれた。
そして何かあってはイケナイからと、
その日から数日は一緒に外泊までしなければならなかった。

しかし何はともあれ翌日から、私の45歳の就活が始まった。
そして3日目に紛れ込んだ新宿の会社は...

さらにブラックで卑劣な会社だった…。

厄年は過ぎていたのにツクヅク…である。  
またつづく…かも。




パコ・デ・ルシアが亡くなったそうだ。

元々はジミーペイジ大好きのロック小僧だったが、
突然パコに熱狂し、やがて数百万円のスパニッシュギターを買い、
30歳を既に過ぎていたけれど、築いたキャリアを全て棒に振って
スペインにフラメンコギター留学をした友人がいた。
人生色々だが、今どうしているのか、とっても気になる…。

その彼も私も、初めて彼の演奏に触れたのがこの曲。
1980年ものが初演と思われるけれど、今日は比較的最近のものを…。


Friday Night in San Francisco - LiveFriday Night in San Francisco - Live
(1997/09/25)
Al Di Meola、John Mclaughlin 他

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あらかじめ決められた人生?

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高校1年の夏、クラスメート3人で、八幡平縦走に出掛けた。
(秋田県と岩手県の県境に広がる高原。いくつもの山頂と湿原がある)

最終的には田沢湖あたりに到達すればまあ良いかな的な、大雑把すぎる計画。
足の向くまま気の向くままのロードムービー風に、
途中ロマンチックなこともちょっとあれば最高かな!?という、
まったく山をナメきった3~4日の予定が、結局10日間にもなって、
下界の親達は大変だったらしいが、当人達は呑気に

「ああ、また道まちがえちゃったよ…遭難だなあ、また…。
 今日はこの辺にテント張ってキャンプしようぜ」

という調子で、遭難もまた楽し…というオバカ3人組であったのだ。

しかし流石にもういい加減疲れたから、田沢湖はまだまだ全然遠いけど、
この辺で下山するにしても、最後くらいは温泉に入りたい!というわけで、
ガイドブックで近場でいい処を発見した。

素泊まり1名500円!混浴付(!)、ふけの湯温泉ホテル木賃部…。

マジかよ!?ヤベエよ!…。キチンってなんだ? 
「伊豆の踊り子」に出てくるじゃんかよお、飯は自炊の素泊まり…
ああ全然問題ないぜ!米もあるしボンカレーもまだある。
木賃だぜ、混浴だぜ、GO!GO!GO!。

朝6時頃から勇んで山道を行進し、夕方到着してみると、
予想に反してキンキラ豪華な「ふけの湯温泉ホテル!」がそびえる。
ホントにここが500円なのか? 

少し心配になりながらも、恐る恐るピカピカのホテルカウンターへ。
我々  「あのう3人…泊まれますか?」
フロント「ハイハイ、お部屋は3名様用でよろしいですか?」
我々  「いや、あのキチン?って言うんですかね…500円って…」
フロントマンは突然顔色を変え、声を荒げて
「何だよ、こっちじゃねーよ。裏、裏に回ってくれよ、ほら、あっち!…」

つまみ出され、裏へ行ってみると、なんとこの状態....。fuke-old2.jpg

田舎県秋田とはいえ、街育ちの高校1年生にはあまりにも現実離れした光景に、
ただただ驚き、取り敢えず「混浴」と行ってはみたが、
いきなり「おばあちゃん」が、「キャッ!」と隠れてしまって、
それを見た我々もすっかり気後れをして、結局風呂には入れず、
オズオズと、夏なのに、高校生には無駄に暑苦しい「オンドル」。
なかなか眠れず、札を差したり、ポーカーに興じたりしながら
なんとか一夜を過ごした。


数年して、私は東京の、日当りのすこぶる悪い四畳半アパートで
イラつきながら過ごしていた。
ある日、古本屋で買って来た「辰巳ヨシヒロ」の

「コップの中の太陽」という漫画を読んだ。

表題作は、まさに都会の一角の、日当りの悪いアパートで、
悶々と過ごす主人公。突然窓から差して来た一筋だけのか弱い太陽光線が、
洗面所のコップの水に反射し、部屋がいつになく異様に明るくなって、
その異様さに、主人公は涙を流して喜ぶ…。

ただそれだけの描写だが、都市生活の暗くて深い孤独というものが、
そこはかとなく感じられる作風。
まさに当時の私そのものという感じで、
この作者はどこかで私を見張ってるのだろうか?とさえ思った。

漫画を読み進むと「場違いの3人」という作品にぶつかった…。
突然、八幡平ふけの湯温泉木賃部に現れた場違いな3人組の若者…

ええっ?!。

長期逗留している作者の眼に写った無礼千万な若者3人組の、
傍若無人な行状が克明に描かれ、それはまるで我々そのもの…
(そんなに酷いことはしてない…つもり)。

何だこの辰巳ヨシヒロという人は!と、恐ろしくなってしまうのだった。

ふけの湯を描いた作品には「つげ義春」版もある。
こちらは辰巳版よりも酷い差別的シーンや、エロチックな場面もある。
「ふけの湯温泉木賃部」が、題材にしやすい情況だったのだろうが、
その後の「コップの中~」も含めて、もしや自分の人生は、

あらかじめプログラムされたストーリー上にあるのだろうか…

とさえ思ったものだが…
果たしてどうなんだろうか…。



「かんさす」とか「ぼすとん」とかアメリカンプログレにも
いろいろあるけれど、私はこれしか認めないPavlov's Dog!!
ファーストアルバムの冒頭がこの曲でした。
当時本当に驚いたこの声! ♫ Julia


2ndアルバムは突然豪華!ビルブラッフォード(King Crimson)や
アンディマッケイ(Roxy Music)、エリオットランドール、ゲーリーライトから
マイケルブレッカーまで、重鎮方がこぞって参加のアルバムから、
ポップな逸品「She Came Shining」



Pampered MenialPampered Menial
(2003/12/02)
Pavlov's Dog

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At the Sound of the BellAt the Sound of the Bell
(1988/12/05)
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コップの中の太陽 (小学館文庫)コップの中の太陽 (小学館文庫)
(1976/06/20)
辰巳 ヨシヒロ

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ナミダの理由

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今週は名古屋方面のとんでもない落差の
世界一の「ツンデレ娘」のおかげで、
涙・泪の週末です。

涙は今もまだ収まらず、ニュースやスポーツ番組でもまた涙、
ネットの活字を読んでまたナミダ…もうどうするよ!?ってほどボロボロ、
いやいやポロポロなここ数日であります。

こんな号泣型のナミダは、一体いつ以来だろうか?と思い、考えてみると、
「あまちゃん」最終週の「鈴鹿ひろ美」が北三陸の海女カフェで
『潮騒のメモリー』を達者に唄ったあの場面!….
あの時以来に違いない(紅白でも、少しだけ…)。
どうしたんだオレ?

むろん若い頃など、泣くとか涙するなんて殆ど、いやまったくあり得ない。
40歳を過ぎて父親が亡くなった時も、故郷に向かう新幹線の中で、
いろいろ思い出して目頭がやや熱くなった程度。

それから少しして勤務先が潰れて、まあ昼間こそ平静を装ってはいたが、
夜遅くに帰宅して、夕食を食べている最中に、突然、
家人の前でオイオイと声を上げて泣いてしまって、これには自分自身まったく驚いた。

いずれにしても「泣く」とは、非日常の特別な情況での制御不能な感情の発露…
に違いないのだろうが、ここのところの自分の情けないまでの安直な「涙」は、
一体どうしたことだろうか?

トシのせいなら、今後益々齢を重ねるわけだから、
箸が転げても笑うどころか、
入れ歯がハズレるたびに泣けてしまったらどうしよう!?と、
今から心配で心配でタマラナイのだ。




いつの時代も私はXTCが好き。
特に機材を色々買いそろえて、一人暗く部屋に籠って
自宅録音に興じている時代の
まごうことなきその「目標」が、
まさにこの曲だったりする。

ちょっとマニアックで恐縮だが、シングルB面曲に何らかの真価が現れるのが
まさにXTCのXTCたるところである。
というわけで、その典型がこの XTC - Extrovert


で、B面遊びに飽き足らず、結局「変名バンド」で
趣味音楽に徹したアルバムをリリースし、
これまた高評価を得てしまうのがXTCのスゴいところ。
XTC…いや変名The Dukes Of Stratosphere - Vanishing Girl


Rag & Bone BuffetRag & Bone Buffet
(1996/03/19)
Xtc

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Chips From the Chocolate FireballChips From the Chocolate Fireball
(2001/06/19)
THE DUKES OF STRATOSPHEAR

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病院で会ったヒト

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15年ほど前、私はサッカー中に膝を割って、
地元(東京杉並)の病院に入院していたのだが、
まあ今にしてみれば不謹慎にも、病院特設の「喫煙所」に
松葉杖で頻繁に出入りする不良患者であった。

ある時、幾分唐突に喫煙所にやって来た老人=あきらかに見覚えがある…
というより、強烈な印象なのだが、どうしても思い出せない。
しかし無視するわけにはいかないし、どうせ地元の行きつけのラーメン屋のオヤジとか、
もしかしたら仕事場のビルの管理人さんとか、そんな感じだろうと思いつつ、

「ああ、どうもご無沙汰しております。奇遇ですね」というと、
老人は怪訝な表情で私の顔を覗き込み、少し間を置いて
「ども…」と言った。

明らかに彼も私を思い出せてないのだな….というのは明白だった。
老人にしてみれば、自分はその男(私)を知らないのに、その男は自分を知っている…。
これはとてつもなく不安定な心理状態なのだろうな…確かにそう思えるほど、
彼はいかにも狼狽していて、私から眼をそらし、幾分距離を置いたところで、
落ち着きなく煙草を吸い始めた。

「だいぶ入院されてるんですか?」と話しかけてみる。
いきなり何の病気?では失礼だろうから…と思ったら、
老人は軽い関西弁混じりでぶっきらぼうに

「ガンやからね…もうじき死ぬさ…」。

私としては、一番気まずい返答をされてしまって、
「はあ…まあ…ねえ…」などと意味のない返答しか出来ないでいると、老人は...

「アンタも知っとるようにね、私は嫌われ者だからね、
 早く死んでもうた方が世の中は喜ぶやろと思うけど…」と云うと、
まだ充分に長い煙草を手早く消して、老人は逃げるように去っていった。

さあて、誰だったんだろうか?。
老人とはその後、再び会うことはなかった。

数年して、偶然見たTVの「あの人は今」的な番組で、
ああ、あの人だったかあ!と思い出したが、
話は今から20年ほど前に、さらに遡る。

ある朝、ヘリコプターやらヒトのざわめきやらの、
あまりの騒々しさで目が覚めた。
まだ小さかった娘が歯ブラシをくわえながらテラスにいて、
ヘリコプターに手を振りながらも、下に人がいっぱいいる…といってるが、
よく意味が分からない。

家人が居間でテレビを点けると「わあ、大変!」と言った。
テレビはワイドショーの時間だが、どう見ても我が家の…
マンションの玄関前でリポーターが、必死の形相で何やら捲し立てている。

「こちらオ○ム真△教の….」

「エッ、このマンション関係あるの!?サティアン?やだよーそんなの…」
と私が言うと、家人が
「違うよ、あの人だよ。あのオジサン…あのヤ・メ・テ…の弁護士さん…
 ヨコベンが住んでるんだよこの下階に…」

マンション内ではその後、主に深夜帯に、
エレべーターなどで数回会ったことはあるが、
会釈程度で言葉は交わしたことがない。

その程度の面識と、やけにテレビに出ていた頃の
こちらの一方的な記憶だけで、病院での私のあの接触の仕方は、
やはり失礼千万であったと大いに反省した。
申し訳ございません。
そして、ご冥福をお祈りします…横山弁護士殿。




5年ほど前だったろうか、知り合いの再婚式(!)というので
青山の月見ル君想フという、なんとも素敵な名前の結婚式場に出掛けると、
(文化娯楽施設&ライブハウス..というらしい)
同所の近日開催コンサートポスターに、昔懐かしい
Dave Stewart & Barbara Gaskin 日本公演が「月見ル君想フ」で開催!!

正直、ココロが激しく動いた。入場料もまあまあ高額。
さてどうしようかと少し悩んだ末に、
結局また「月見ル君想フ」を訪れることになったわけだ。

30年以上も前、何の前振りもなく西新宿の英盤専門店 UK.Edisonで
「ああ、あのデイブスチュワート?ハットフィールズとかナショナルヘルスの…」
という情報だけで購入したこのシングル盤は、あまりにもショッキングすぎて、
何百回聴いたことか!というほど好きだった。
まさにその驚異のシングル盤It's My Partyを今宵は!。
(PVには同業者(?)のトーマスドルビー氏が友情出演??)


It's My Party - p/sIt's My Party - p/s
(1981/01/01)
Dave Stewart & Barbara Gaskin

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Broken Records - The Singles [Special Edition] (ザ・シングルズ・スペシャル・エディション)Broken Records - The Singles [Special Edition] (ザ・シングルズ・スペシャル・エディション)
(2010/12/15)
Dave Stewart & Barbara Gaskin(デイヴ・スチュワート &バーバラ・ガスキン)

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飽食の罠

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少し前に、友人に送信した写真群の中にこれが混じっていて、友人いわく、
「これ欲しい!」...「えっ、こんな写真?」「写真じゃないよ、この水!欲しい...」
と、言うわけで近所のスーパーあたりを探したけれど見つけられず、
やむなく、買った駅の売店まで出掛けて1カートン買い...。やれやれ。



バブル真っ盛りの時代だったろうか...、
すでに独立開業していた元上司から突然の連絡…。

「ちょっと、相談事があるんだが、今夜会えないかな…」
「そりゃまた、突然、何事っすか?」
「それは会った時に。田町駅の…」

酒好きの男だったので、相談..なんてのはどうせ方便。
「たまには三田とか芝あたりで呑むのもいいかな…」
私はそんな程度の気持ちしかなかった。

男は待ち合わせの場でも何も言わず、ただ「ついて来い…来れば分る…」。
元々は宴会大好きオチャラケ小僧を自認するほど陽気で軽い男だったけれど、
久しぶりにあったその男は、何だか寡黙で、
心なしか以前より堂々として逞しくなっていた。
独立するとこうなるのか?…ふとそう思った。

10分ほど歩かされると、古びた雑居ビルに辿り着き「ここだ…」と指差しながら、
昭和30年代的なスケルトン・エレベーターで上階へ。
最上階はいわゆるダンスフロアー的なフローリングの広い部屋で、
すでに100人ほどの人々でごった返していた。

何かのパーティか?
一瞬そう思った。

男は既にどこかに消えていた。
すぐに、どこか見覚えのある顔の女性が近づいて来て、
「おはようございます(夜だが)。Nちゃんご紹介のPIPCO君だよね
(チャン?クン?)、どうぞこちらへ…」
と、座席に誘導される。
見覚えあるその女性は、数年前に一世風靡した八重歯が可愛い、
某トップアイドルに似てるな?と思った
(本人だったとは後で知る。なお、近頃も彼女の顔をTVなどで頻繁に見かける)。

何となく場違いな雰囲気になれないまま、座っていると突然、
人の善さそうな男が壇上に現れて、講釈を始めた。

盛んに「発想の転換、性格改造で金が儲かる、親友が出来る、幸福な人生が送れる…」
と力説している。これが世に聞く「自己啓発セミナー」というものかあ、
なるほど、アイツ、ハメやがったなあ…そうと知ってれば絶対来るもんか!だよなあ…
ヤラレタなあ。などと思っているうちに体験コーナーは既に始まっていた。

既に部屋は暗くなっていて、あちこちに光る白色のスポットライトが
どうも暗示的で不気味であるなと感じていた。

我々が座らされた列が、そもそもゲスト席だったらしく、
皆これからなにが始まるのかとドギマギしているのが見て取れる。
前列が一斉に席を回転させ、こちらと対座した。
周りを見ると、きちんと男女がペアに向き合うように設定されているようだ。

壇上の人の善さそうな男が指示をする。
お互いを1分間見つめあってください。
必要があれば触れてみても構いません(!)。
そしてその相手の年齢、職業、境遇、家族構成、性格まで、
見たままの印象を、お互い伝えあいましょう。
遠慮や気遣いは無用、思ったままの言葉を相手にぶつけましょう。
(ここで言われたことが、実はあなたの正しく客観的な印象。
 周囲の人みんながあなたに対して抱いている真の印象です)

ではお互いを褒めあいましょう。
罵りあいましょう。
求愛してみましょうか。
殺したいほど憎みあってみましょう。

あなたはあなたの本性と今、少しですが向き合いました…..。

我々はこういう、日常ではほぼ体験出来ないプログラムを多数用意し、
4日間の合宿セミナーを通して皆さんに体験してもらいます。
さらに第2ステップは沖縄合宿、第3ステップはハワイ合宿…。

実は内心ぐらついていた。
自己啓発といえば、富士の裾野に野営して
自衛隊式の体力勝負なモノというのが、
中小企業の社員教育の一環としてもてはやされていると聞いたが、
そんなのはまっぴら御免だけど、こんなんなら…いいんじゃないか…
...契約しようかな…。

ところが次の瞬間、その気持ちは突然ヘナヘナと、萎えるのだった。

後ろの方で女性が、いかにも芝居がかった声で
「はい、ワタシ、第2ステップ希望なんですが、
 どうしても会費の40万円の用意が出来ません!」

すると矢継ぎ早に男性の声で「オレが出そう」「いや、私だ、私に出させてくれ!」
「ありがとう、みんないい人、ホントにいい人ばかり…」

この臭すぎる三文芝居で私はハタと我に帰ったのだった。
後はなにを言われても「NO」。
先輩からも、その奥方からまで、毎晩の電話勧誘にも断固NO。

最後はアイドルの○野○子からまで徹底勧誘
(私のオフィスにまで現れたらしい)されたが、
数日して突然、別の会ながら、
同様のセミナーの悪質さが社会問題化され、
連日ワイドショーなどで騒がれた為に、
こちらへの勧誘もパタッと沈静化したのだった。

テレビでは「窓を潰した暗い部屋で数人の男女が泣き叫び、
或いは気がフレタように高笑いしてる」などの異様な光景が映し出される。

いやはや…1日だけなら体験しても良かったかな…
などと思う愚かな私であったりする。
同時並行的に「某カルト教団」なんていうのも、
もしかすると似通った性質のモノだったかもしれない。
ステージは第2、第3…第18…第32…とキリがない分けで、
出家などせず、そのまま社会にいて稼ぎ、
全てを注ぎ込ませるのだから、こちらの方が合理的で悪どい。
こういうのもバブル社会の徒花だったのだろうかと、今は思う。



80年代初頭あたりの自分は、ポストパンクとかニューウェーブと名がつけば、
貪るように聴いてた時期で、理性とか価値とか殆ど考えることもなく、
暴力的かつ刹那的なビートに身を任せつつ、
ただただ殴られ蹴られ倒されるMな快感に撃ち奮える日々でありました…。

そうしたわけで今日は
PIG BAG - PAPA'S GOT A BRAND NEW PIGBAG....


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夜更かしの果てに

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北国には珍しい、こざっぱりした冬の夕景。



雪国生まれだが、ウインタースポーツには一向に興味を持てないから、
冬季五輪を素直に楽しむことが出来ず、
相変わらず斜めに見ている自分がいる。

冬季夏季を問わず、言っては失礼だが、マイナー競技の組織の危うさと
競技運営のちぐはぐさから、ジャッジの基準さえ未完成な競技が多過ぎて、
おおよそ五輪競技に相応しくない、未成熟な競技が多いことに気付く。

可哀想なのはあくまでも競技に生涯を捧げて来た選手達である。

「どうしたらメダルに手が届くのか分らなくなった」。

以前、そうコメントした選手がいた。
世界中の誰も真似出来ない大ジャンプを、辛い修練の末、体得したら、
大会直前にジャッジの規定が、飛形重視からタイム重視に変更された…。

ルール変更は英語とフランス語で併記され、日本の運営組織に配信されたそうだが、
組織の誰もその書類に目を通した者はなく、
五輪本番で他国のマスコミから改訂ルールを知らされたのだそうだ。
一部とはいえ、こんな町工場みたいな零細運営組織がその実態だったりする。
もちろん国際組織の有り様も推して知るべしであるとのこと。

団体競技だが、五輪代表があっさり中学生チームに負けたことで、
不安がられた競技もちらほら…。

本来は楽しいファミリーゲームが発達して、五輪競技にまでなったのだが、
ならば、結果など求めず、姑息な策謀も労せず、
精一杯ゲームを楽しみ、表現してこそ、
その競技本来の面白さ、楽しさが伝わるというものではないだろうか?
その結果運良く勝ったり、不幸にも負けたりするのも、どちらにしても面白い。

要は「がんばった大賞」
誰が一番、頑張って楽しかったか!?

...と思えば「五輪って何だ?」ということになってしまう。
ああ早くワールドカップ始まらないかなあ…。


さてMelonに続き、またしてもスネークマンショー絡みのホルガーチューカイ。
この人、70年代のプログレ・ファンにはおなじみの西ドイツ(!)の
CAN(カン)というバンドの主宰。
CANといえば日本人ヴォーカリスト「ダモ鈴木」加入で
わりと近しいイメージがあったものの、
その音はそんな日本のヤワな中高生を、簡単に引き寄せるような
平易な代物ではなかったような気がする。

取り敢えず、まだフュージョンだのAORだの、オサレなサウンドだの
ディミニッシュスケールだのと、音楽の本来から外れ(?)、
思考停止していたような時期に、
ガツンと「オマエにはこれだろ!」と突然提示され、
衝撃を受けたのがこの曲。
ではHolger Czukayのペルシアン・ラブ


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(2007/08/03)
ホルガー・シューカイ

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不思議の森の奇怪な夜

DSC01651.jpg
東京の六本木というところは、夜の歓楽街(?)的な
単純化された記号で標される街という印象があるが、
昼間や夕暮れ時に歩いてみると、非情に心地良い起伏に富んでいて、
不思議の森や崖、神社、米軍絡みの怪しげな施設などに囲まれた、
実に魅力的な土地である。

今でこそ「ミッドタウン」などというショッピング広場やホテル、
マンションなどに身をヤツしているエリアも、
ほんの15年ほど前までは防衛庁の広大な施設であり、
内部は当然進入禁止としても、その周辺は広範囲な自然が残された
深い森という風情の場所で、一瞬、時間とか方向感覚、時代までも惑わせるような、
摩訶不思議で、そして大好きな空間があった。

今はその不思議の森の、鬱蒼とした木々はことごとく切り倒され、
人工的な芝と池の、整然としてはいるが無表情な庭園式公園に
生まれ変わっているこの場所だが、森だった時代、その一角に、
かつて小さな茅葺きの「骨董店」があった
(このお店自体はかなりの有名店)。

我が家の家人がその店と、店のその現実離れしたロケーションを気に入って、
頻繁に出掛けては、ランプシェードだの皿だの、何やかやの小物を買い漁っていた。

ある時、私も一緒に訪問した折、茅葺きの店舗の隣に、
いつの間にか呑処(和風バー?)が出来ていることが判明した。

「へー、何だか狸に化かされそうな呑み屋さんだね」と我々は笑っていた…。

それからしばらくしたある日、いつもの仕事仲間らと六本木で呑んでいた。
何軒かハシゴした後、ひとりが「折角六本木に来たのだから、
何か変ったところに行ってみたいね」というので、
とっさにあの「狸に化かされそうな茅葺きの和風バー?」を思い出し
、行ってみることにした。

深夜12時台だと思うが、六本木だというのに音もなく、
ボンヤリした光が灯る怪しい佇まいのその呑み屋に、
我々(4人)は入っていった。

店内には、先客の若い女性が一人と、
マスターと呼ばれる初老の黒ブチ眼鏡をかけた男が居た。

呑み始めると、いつの間にかマスターによる奇妙な宇宙人との遭遇と、
啓示を受けた…という話題になって
(内容は今でも詳しく覚えているが、最も危険な部分と思われ、割愛する)、
途中女性は何度も話を制止させようとするのだが、
マスターは「彼等は信頼出来る!」といいながら、不思議な話は続く。

突然、パキパキ..というイヤな音がしたと思ったら、
マスターの分厚そうな眼鏡のレンズに、みるみるヒビが入リ、
粉々に割れてゆくのを、我々は目撃した。

女性は突然ヒステリックな声で「だから言ったじゃない!喋り過ぎだよ…」
「…そうみたいだな」とマスターも言い、
二人は何故か手を取り合って奥へ消え、
そのまま裏口から出て行ったようだ。

「今のなに?」
「ちょっと、ヤバくないっすか?」
「酔いが一発で醒めましたよ」
「時にあの二人は何なの、で、何処行ったの?」
「おアイソしてもう帰りましょうよ」
「でもお店の人、あの人達何処行ったのさ!?」

結局適当な金額をカウンターにおいて帰ることにした。
誰かが「あれ、時計壊れちゃったかな、朝7時をさしてるよ…」
「オレの時計も7時だ…どう考えてもまだ3時前でしょ…」
「さっきの眼鏡攻撃で時計もやられちゃったんじゃないのか?」
「やっぱり狸に化かされたのかなあ、いや宇宙人か?」
「兎に角、気味悪いから帰ろう」
とドアを開けるなり、とてつもなく眩い光が部屋に飛び込んで来た。

宇宙船か!

いや、外は…森は何故だか普通に、午前7時の眩しい陽光に満ちていたのだ。

次の日曜日、家人が注文していた階段簞笥が入荷したというので、
例の骨董店まで取りに出掛けた。
隣の和風バーは、つい先週よりも何だか酷く荒んだ感じに見えた。
骨董屋のご主人に、「隣のお店…」と言いかけると、

「まさかアンタも最近この店に来た….とか言うんじゃないだろうね」

と云いますので、先週来たことや、中での経緯を話すと、

「この店の主人はねえ、もう半年以上前に失踪しちゃってるんだよ。
 ご家族も居て、警察に捜索願出してるんだけど、忽然と消えちゃったらしい」。

さて…もう一度、深夜にコッソリと…、当然私はそう思うのだけれど、
家人に「夜はここいらに絶対近づかないこと!」と厳命され、
約束させられてしまい、それっきりとなった。

そうこうしてるうちに、そこいら一帯が、
ミッドタウンとして、そっくり掘り返されてしまった。

その日一緒に過ごした仲間とも、その後
「あれは何だったのだろうか?」
という話になるのだけれど、もちろん家族にも
会社の同僚にも一切信じてもらえないが、取り敢えず
妙な「祟り」もないようなので、良かったね...
ということで、いつもこの話は帰着するのみだ。

たまにこんな変な話する奴いるんだが、
おいら一切信じないよ!。
私もまさにそういう奴で、
そう言ってた頃の自分が今は懐かしい…
なんてね。そんな感じですよ。



チェリーレッドとかファクトリー、そしてラフトレード….
そんな英インディーズレーベルが群雄割拠していた時代、
我々も先を争うように「新しい音」「新しいバンド」を捜し、
そして求めていたような時代が、確かにあった。

草創期の俊英かつ鋭敏なインディペンデント・レーベル「Rough Trade」を、
一時確実に牽引したヒットシングルが、なんとこの通りの「のほほん」とした音。
「SCRITTI POLITTI / THE SWEETEST GIRL」
取り敢えず私は夢中になりましたよ。


Songs to RememberSongs to Remember
(2001/09/19)
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The Sweetest GirlThe Sweetest Girl
(1981/01/01)
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This Is Mr.Ghost Writer

DSC03476.jpg
被写体不足の時節に付き、我が家のおとぼけCAT写御免。



ゴーストライターに関わるゴシップが世間を賑わしているようだけれど、
そんな話は、あの業界では特段珍しいものではなくて、
内部では普通に語られていたりする。

早い話が作曲家などの個人名を「ブランド化=商標登録」して
権利元を明確にしさえすれば、誰が作ろうとも権利はその商標下にあり、
何ら法律に触れるものではない。

だから、とある有名作曲家さんの事務所(スタジオなど)で仕事などしていると、
耳に入ってくるのは

「ああ、あの大ヒット曲ね、それならあそこにいる総務のジイさんが、
 昔ピアニストだった頃に作った曲だよ」とか

「あれはオレと女房とで作った曲…50万くらいボーナス上乗せでもらったけど、
 事務所的には数千万単位でしょ…」

なんて話は普通にそこらあたりに転がっているのだ。

さらにいえば、つい10年ほど前だが、さる現役業界の友人と話していると、

業界人「シンガーソングライターの△.Y氏がさあ、かれこれ15年くらい前から
    ”鬱”らしくて、曲が書けなくなってるんだよな」

ワタシ「そういえば、近頃はライブ盤、ベスト盤…あとカバー曲盤が
    あって、それからセルフカバーも…そうとう暫く新曲出してないね?」

業界人「さすがにそろそろヤバいってんで、今、秘密裏に集めてるんだよ...新曲。」

ワタシ「ふうん…世の中そんなもんかあ…」

業界人「で、どうよ…」

ワタシ「どうって、なにが?」

業界人「乗らない…?、昔、色々書いてたじゃない…」

もちろん乗りはしませんが、そうしてしばらくして発売された新作…
なんだか複雑な思いで聴きましたよ…
NHK-SONGSで。

人間、出来ることなら、ボンクラといわれようが、ビンボーだろうが、
正々堂々、自分自身を精一杯を貫いて生きることこそが、
最高の幸福なのだという気がしますよ、ホント。


大瀧詠一氏絡みの足跡辿りはまだまだ続きます。…
というわけで、今宵は、トニー谷「さいざんすマンボ(ザンス・ミックス)」を!

小林信彦の名著「日本の喜劇人」で紹介され、
そこでトニー谷の魅力を知った大瀧詠一氏は、すぐに彼の作品集
「This Is Mr.トニー谷」をプロデュース。
深夜テレビでは連日、彼の主演映画がOAされるなどして、
突然のトニー谷ブームに沸き上がる幸せな日々がありました。

底抜けに明るいが、いい加減で怪しい「日系人」というキャラクター設定は
愛されますが、他方でこれが悲劇の呼び水にもなり、嫌われキャラともなり得、
生粋の江戸っ子なのに、ハワイで晩年を過ごさねばならなかった不幸など
詳しくはWikiで。
事件の詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/トニー谷長男誘拐事件


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大人(ジジイ)の通話

DSC01107.jpg
ヒトが言うほど、雪はない、今年の秋田市であった。



東京にいる家族や、僅かばかりの旧友から、
ここのところやけに電話が来る。

彼等には「用向きは全てEメールでよろしく」と云ってあるのだが
(電話の、一体何事?という慌てふためく佇まいがどうにも苦手だ)、
立て続けに何だろう?と思うとこれが大体

友「テレビで見てビックリしちゃってさあ…そっちは吹雪に大雪で、
 タイソウ悲惨なことになってるらしいじゃんかあ?…で、どう…元気なの?」

私「…アンタなあ、見舞いなのかヒヤカシなのか、どっちなんだよ…」

友「ヒヤカシだよ、そんなもんアタリマエじゃ…。で、
  そんな巨大冷凍庫みたいな北の最果てから、いつ復帰するんだオマエはよう…」

私「こんなポンコツ野郎にも、やって欲しい仕事があるってんなら、
  すぐでにもそっち戻るんだけどな…」

友「オマエサンなんか、それこそちょこっと動いてササッと口利けば、
  右から左に何十億も動くんじゃね?」

私「そりゃあ昔の話だ...アンタはどうなの?TV屋は相変わらず景気いいんだろ?」

友「良いわけねえだろう…50歳過ぎたらいきなり問答無用で給料半分よ!」

私「半分たって、オマエさん3千とか貰ってただろ!?半額でも充分過ぎるだろ」

友「だからあ、55歳になっちゃったろ俺たち…そしたらまたその半額で、
  そんでもってまた来年もまた下がるって、
  最後はタダ働きで定年になりそうだよオレ…」

私「オマエさん、若い時は、毎年のようにヘッドハンティングされて、
  その度に給料倍増させた男にしては、随分シミッタレタことを言うじゃない…」

友「だからさあ、そうしたわけで、意外と勤続年数少なくて、退職金少ないんだよ…」

私「その分充分他の社員よりアンタ相当稼いだろうが…」

友「過去は過去だよ…」

私「そうか、そうだな」

友「そうなんだよ」

私「で、あんた...なんかあったのか?」

友「いや、いよいよ会社辞めようかなあ…なんてな…」

私「何か始めるのか?」

友「その時はまた相談するよ…オマエの声聞けて良かったよ…」

私「ならよかった」

友「オマエもそこで凍え死ぬなよ」

私「アンタも下手なビジネスに大事なカネぶち込むなよ」

友「相変わらず、なんでもお見通しだな」

私「やめとけよ、焦ってもロクなことないぞ」

友「そうだな」

私「んだんだ……」

これだから電話は、面倒臭いのだ。



ビートルズ解散情報が、徐々に信憑性を増してゆく中、
次の覇権の座はブルースロック、もといハードロックグループが
握るのは確実な状況となっていた。
GFRなのか、ヴァニラファッジなのか、それとも若手のFREE? UFO?…。

しかし1971年9月の来日公演によって、オセロが一斉にひっくり返るがごとく
日本のロック界はLed Zeppelin一辺倒になっていった。

そんな中、中学生の私は、既に解散していたなどとはつゆ知らず、
ひたすらFREEを愛し続けるのだった。



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人生は重荷を負いて遠き道を行くが如し...

IMG_2480.jpgBass & Drumsは「バンドの要」なんて、そんな易々と言うべきじゃない!
Bass & Drumsこそが、バンドそのものである! なんちゃって....。



もはや珍しくもないが、ここのところ体調が悪い。
外の寒暖の差や気圧の差みたいなものが、
そのまま体調に直結してるかのような、
そんな冗談みたいな自らのコンディションに、
もはや笑ってしまうしかないような有様なのだが、
正直言うと意外とシンドイ…寝ていても目が回る…
(かと思えば、突然汐が引いたように元気になったりもするのだが)。


もはや30数年も前のバンドマン時代の与太話を
ここのところブログに書いていたら、またサマザマなことを思い出した。

しかし、記憶のほとんどが、その初期の時代のことばかりで、
いよいよ何が何だか分らぬほど忙しくなった時代の記憶は、
やはり何が何だか分らぬに変わりなく、
当時の手帳を眺めながら、記憶を追い掛けてみても、
神経衰弱のように混乱するばかり。
果たして本当に自分の行動だったのだろうか?
と疑わしいような場面すらある。

いずれにせよ、そのほとんどの記憶に付属しているのは、
移動時のその荷物の多さ…である。
なにしろクルマがないから、全て電車移動。

バンド単位の移動なら、会社輸送部の楽器車やメンバー車輛などで
移動出来るのだが、私の場合、一人帯同が多く(バンドは現地調達...)
タレントさん、マネージャー、私...という3人で移動というのが多かった。

1.ソフトケースでギターを担ぎ
2.右手にアンプを持つ
3.左手にはスーツや靴などが入った「ユニットケース(通称ユニケ)」。
4.左手にはさらにエフェクターなどが入ったボストンバッグ、
 またはボードのケースも持つ。
5.稀に、譜面が入った紙袋(A3版なのでカバンに入らない!)。
 これが異常に重い。

ちょっとイヤかもしれぬが想像してみて欲しい。
姿は、伸ばし放題の髪の毛と髭…ヨレたTシャツにジーンズ…
それに1〜5までの荷物....。

ちょっとしたホームレスの姿である。

新幹線移動が多かったが、なにしろ荷物が多いから、
他のお客さんには大迷惑!。

気が付けば座席に荷物を置いて、
自分は通路に置いたアンプに腰掛けてたりする。

そんなだから、持ち物のリストラを敢行した。

まずはエフェクター。
手持ちで最も重いのがSho-Budのボリュームペダルと、
Rolandのコーラスアンサンブル(CEー1?)。
そして先輩から譲ってもらったド中古のFenderアンプ。
重いしデカイ上、真空管式なので動作不安定。…
これを一気にR社のコーラス付きに変更したい!。

音の品格も大事だが、それ以上に求められるのは
軽くて堅牢...という難しい課題をクリアした製品なのだ。

しかし自慢じゃないが、予算はない!。
ふと思い出したのが、渋谷の楽器店Kの店長の言葉、
「あなたならモニターって方法もありますから、いつでもご相談ください」

早速相談してみた。

ショップステッカーをぺたぺた張った上で、
ライブ中などの写真を撮らせてもらえれば、商品は差し上げます!という
夢のようなお話…。
早速、「実はR社のアンプが欲しいんですが…」と率直に言ってみると、

店長 「ああ、R社は無理ですね…」
   「あくまでも、当店親会社の自社ブランドじゃないとお…」
ワタシ「自社ブランドって?」
店長 「これ、テ○コです!コーラスは付いてないですが、
    基本仕様はFenderと変りませんよ!真空管じゃないですけど...」
ワタシ「…...」

店長には申し訳なかったですが、その場で私は
R社のアンプをローンを組んで買いましたよ!
社員価格にしてもらいましたけど…。

ちゃんと買ったんですから堂々としてれば良かったんですが、
何となくバツが悪い「お買い物」となり、
2度とこのお店には行けませんでしたよ。

何だかそんなたわいないことばかり思い出す今日この頃...
やっぱ、体調のせい??



スネークマンショーにどっぷりハマったかと問われれば、
実はそれほどでもないのだが、MELONにはハマった。

友人とKING CRIMSON初来日の東京全公演のチケットを確保していたのだが、
その最終公演日とMELONのパーティーが重なることになって、
我々は迷わず、大好きなパーシージョーンズ(b)が参加した
MELONのパーティ(!)会場に向かった。



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