ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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ポンコツくんの遅い春

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冬と春の間をウロウロしている北国秋田の年度末



長く勤めた会社が、一人の「クレージーバンカー」の
悪行のせいで経営破綻したあと、
ブラック企業だグレイ企業だと、40歳を過ぎて、
突然右往左往するようになるのだが、
実際最も困ったのは、そんなブラックだグレイだではなく、
自分自身の健康問題にあった。

期せずしてブラックサイドを転々としたあと、
結局昔のヨシミで支援してくれる人がいて、
事業の真似事をすることになった。
そして自営の苦しみと云うかストレスのようなモノを知る。

もちろんこの山を越せば一息つける…などという理屈は充分知りつつも、
何となく不安で落ち着かない重苦しい日々というのがあった。

そんなある朝、いつものように目が覚め、
今日一日の予定を反芻しながら、起き上がろうとするが、
どうしたことか、まったく足が動かないのだ。

痛みも痺れもまったくない。
とにかく壁づたいに何とか立ち上がったが、今度は歩けない…。
そんな状態でも「自営」であるからには「休む」というわけには行かない。
1時間後には大事なカスタマーとの約束が有る。
とにかく出掛けた。

東京というところは、交差点以外殆ど建物の隙間がないのが幸いして、
そうした壁づたいに意外にスムーズに前進が出来た。
歩道もいわゆるバリアフリーという奴で段差がなく、とても歩きやすい。
駅もわりと手摺とかしっかり設備が行き届いている。

問題は交差点だ。
捕まるところがない以上、一気にスピードを出して、
その惰力で歩かないと、とても目の前の国道は渡れそうにない。
無意識だが歩く格好は、まるで「ゾンビ」であったに違いない。

半分あたりで既に惰力を失い、ウシロに転けそうになる。
無意識に腕の重さを使って、もう一度前方に重心を寄せ、
前進する惰力を再び得て、あとは半分ヨロケ、転がりそうになる力で前進して、
一気に信号機の電柱に飛びかかり掴む。
周りから見たら、ふざけてるようにしか見えないかもしれない。

そんな状態で何件かの用事を済ませ、帰途に着くのは夜の8時を回っていた。
途中「病院に行く」ことも考えたが、
まだまだしばらく休むわけにはいかない状況だったから
自然と後回しになった。

自分の街の駅に着いた。家まで徒歩5分ほどだが、
どうしても「飲食街」を通らねばならない。
案の定、酔客の団体などが跋扈していて、
それを避けたつもりだったが上手く行かず、
私はその人波にまんまと揉まれることになり、道端に倒れ、
起き上がれなくなった。

すぐに女性の団体が「大丈夫ですか!」と、駆け寄ってくれて、
何人かで私を起こしてくれた。

「救急車を呼びますか、それともオウチまで送りましょうか? 
 遠慮なさらずに言いつけてください、私たち看護婦ですから…。」

コレは幸運だ!家まで連れてってもらえれば本当に有り難い。

ところがその意志に反し、口を突いて出てきた言葉は
「もう大丈夫だ、ありがとう…!?」

このバカバカしい虚勢を、早くも2分後に大後悔する。

主に呑み屋さん街の小さな路地を過ぎ、エレベーターに転がり込めば、
もう我が家である。

突然、何かにつまずいた。膝をついて、あとは背中から身体が崩れ落ちてしまった。
もう閉店した貴金属屋のシャッターの前で私は座り込んでしまったのだ。
もはやシャッターでは捕まり立ちも出来なくなっていた。
その格好はもう「悪酔いして腰を抜かした馬鹿なサラリーマンそのもの」。
前を過ぎ行く人は多いのだが、ちらっと横目で私の醜態を見やり、
「ふんっ、酔っぱらいめが!…」という蔑んだ表情で通り過ぎ、
もはや誰も「どうしましたか?」と声をかけてくれる者など居なかった。

誰かを呼び止めて助けを乞えば良いのだが、何故だかそれが出来ない。
家人は残業中なのか、一向に電話には出てくれない。

結局1時間そのまま待って、家人が来た。
ところが家人の力では起き上がれず、家人は恥じも外聞もなく、
通行人を捕まえて、力を借りて起き上がり帰宅した。

次の日は無理矢理タクシーに乗せられ病院へ。
MRI画像によると、脊椎内部にヘルニアらしきデキモノが出来て、
それが巨大化した為に、神経の太い束(マルチケーブル)が圧迫され、
下半身への命令系統が95%遮断されたとのこと
(5%は辛うじて排泄神経に回っていたらしい。Luckey!)。

結局入院3ヶ月、リハビリ3ヶ月…。
そしていよいよ社会復帰。自営の真似事は家人に禁止され、
人生初のハローワークで職捜し。

幸運にも1日でケリがつき、晴れてまったく経験のない業種に就職。
ところが、これがなんとも天職!と思えるほど自分に合っていて、
ヤリガイも有り、楽しい…。

収入は以前の3分の1ほどになってしまったが、充分な幸福感。
幸福って金額じゃあないなあ!なんて思っていた。

ところがある時、使い慣れないパワーポイントで作り上げた
スライドシートでプレゼンしている最中に、
スライドの一部が妙にかすむ…
あれ?…今度は…眼…。



近頃、ブログ仲間のところで久々に観たJoe Jackson(Steppin' Outだっけな?)…
実は一昨年、彼の20何年ぶりかの「新譜」を購入して聴いたものの、
何だか風情が違う。
やっぱり昔ダベ!と、いうわけで、
彼の80年代の旧譜をまとめて購入!。
ところが昔から好きな曲って、結構今も変らずで、
そういうのばかりを飛ばして聴くから、
普段は快く思ってないはずの「ベスト盤モノ」で充分だったりする。

そんな中でもアルバムとしても傑作だと思うのがこの最終作「Big World」。
曲は「Right And Wrong」 ”♫Stop Everything!"



Big WorldBig World
(1996/01/07)
Joe Jackson ジョージャクソン

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東京脱出計画...失敗の巻

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我が家のプチ花壇にも水仙の芽(葉?)が....春だぜ。



本日誕生日の我が家人が、朝からやたらと電子メールでの
バースデーメッセージを要求してくる。

ハイハイヤレヤレオメデトサン…と手早く済ますと、
ネコの写メも送れだの、メッセージに気持ちがこもってないだの、
短すぎるだのと、いつになくやたら粘着質にクレームをつけるので、
いったいどうしたのだ?と訊ねると、
どうやら職場で荒くれのオツボネ・オバサマ方に苛められてるのだそうだ!。

毅然と「云いたいことが有るならコソコソせず、堂々と云ったらどうだ!」と言ってやれ!

と助言するのだが、そんな喧嘩を売るようなこと云えないという。
私にはいつも無遠慮な言葉を容赦なくブツけてくるのだから、
「相手を私だと思えば云えるだろ!」というと、

じゃあオモイのタケの一番濃ゆいところを、
夜また電話して、私にぶつけるのでよろしくとのこと…
な~んだそれ!?

そんな家人がある時代、インセンティブがやたらと高額な職場で働きだすと、
月給+インセンティブで「大台」を超えるような金額をもらってたらしく、
そうなると常々言っていた「横浜に住みたい構想!?」が突然現実的になって、
毎週末には横浜の山下町あたりをフラフラ歩いては、中古物件の当たりをつける日々…

その辺りの良好な中古物件あたりで、決めておけばよかったのだが、
事態は「新築高層マンション」へと飛躍してゆく。

そして建設中の中華街隣接のマンション9Fに決まり、いわゆる手付金を打つ。
あとは完成を待つばかり….。

ところが、建設中の隣にもう一つマンションが建った….?
みるみる、我々のよりも遥か高層&巨大マンションが…!

結局我々の部屋の自慢となる筈だった、港が軽く見えるテラスもサンルームも、
隣接マンションに遮られて、日の光の一切あたらない部屋となることが判明して、
急ぎキャンセル!。
納得いかないが、キャンセルはコチラ都合(?)ということになって、
手付金は全額没収。

肩を落とす馬鹿夫婦…。

帰り道の馬鹿夫婦、キャンセルした立地よりさらに港に近く、
巨大(22階建)な建設中物件を発見!。
半分やけくそで問い合わせてみると、中層階(10階~15階くらい)にまだ空きがある。

・地下2階から、ゆくゆく開業する地下鉄「みなとみらい21線」の
 終着駅コンコースに直接乗り入れ出来る(元町中華街駅)…。

・最上階はスカイレストラン。

・1階にはコンビニや郵便局が入居予定。

・地下1階には住民専用ハイエンド・オーディオルーム
 (B&Wの巨大スピーカー他。実は私はコレが決め手!)。

マンションの販売価格もキャンセルしたものとほぼ同じ!
「コレは神様がコッチを買え!」っていう思し召しだよ!と、
即決ではないが、住宅金融公庫と打ち合わせながら、
早急に契約した….。

ところが…。

建設現場の出来上がり状況を見に行った家人から、悲鳴のような電話が掛かってきた…。
またしても図面にはなかった巨大煙突のような
「横浜市」のパーキングビル(?)なる物体が、突然我々のテラスの真ん前に出現…
一部だが、大桟橋が見える自慢となる筈の景観も日差しも全てアウト。

「オマエらに山下町はまだ早い…」と、
これもどこかの神様の思し召しだ、諦めよう。
そしてまた、我々にはなかなかに高額な「手付金」が、
無駄に散るのだった。

結局、我々は相変わらずの、階は高いが海も山も、川すら見えない大東京の、
ビルばかりの平坦な景色の寒々しい部屋に、しょんぼりと戻るのだった。



まだ現役で東京にいる時分に、故郷の(新屋の)友人Y氏から、

Y 「ブルーノート東京でOMAR SOSAのステージの為に上京する。
 つきあわないか…」
私「Omar Sosa?全然知らないが…」
Y 「それならCDを何枚か送るから聴いてみて、あんたなら絶対気に入るから…」

アフロキューバンジャズ…自分としてはまさかのラテンとの出会いであった。
アメリカとはまた違った、キューバ黒人(奴隷)の進化過程、
そしてルーツである西アフリカ諸国との強い繋がり。
ほのかに漂うイスラミックな薫り。

私は一瞬で虜になり、最高の気分でブルーノートTOKYO最前列
(普通は敬遠するらしい)でOMAR SOSAの夜を楽しむのでした。

高校生の頃、ライバルのギターキッズで、
お互いを強く意識しながら切磋琢磨した以来の
仲のY君ありがとう!
彼によって、数十年間も興味を失ったままだったJAZZを
再び聴くようになったし....。

曲は、いつものルンバ系アフロキュービズムものではなく、
ヒリヒリするようなデュエット演奏を…。
Omar Sosa & Paolo Fresu: NPR Music Tiny Desk Concert

CDの方には2人に加え、チェロ、パーカッションが入ってます。

AlmaAlma
(2012/01/10)
Omar Sosa & Paolo Fresu

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オゴソカにランク外を愉しんでみる

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春の初めの黄昏時….



どうしたことかランキングデータが全て陥っこちてしまって、
問い合わせたら...

「4~5日程度でポイントは回復すると思いますので
お忙しいところ申し訳ございませんが、
しばらくお待ち頂ければ幸いでございます。」…。

不自然な言葉尻から判断させていただくと....
意図的...というわけですね。

まあ元々無料のサービスなんで文句もいえませんが、なんだかね…。

〜と、いうわけで、いつになく静粛で厳かな雰囲気も(?)、
それなりに楽しみつつ、今日もいつも通りにまいりましょう。



20~21歳頃、学生とミュージシャンの時代の間に「PA屋バイト」
というのが挟まってた時代があった。

PAというのはPublic Address=ステージなどの音響屋さんである。

JBLの巨大スピーカーを何台も並べた大掛かりなコンサートやツアー帯同もあるけれど、
普段の仕事はもっぱらデパートの屋上や公園特設ステージでの
新人タレントさんのキャンペーンやら、結婚式やゴルフ場の宴会もあるし、
まあ何しろ、マイクロフォン拡声が必要なタレントさんの営業先には
必ずいるあの「音響さん」である。

学生→PA屋(兼スタジオ屋)→楽隊屋(兼アレンジャー、インペグ屋、
ブタカン、ジャーマネなどなど)という私の時系列は、
実際には都合良く分かれていたわけではなくて、
グチャグチャに重なりあっていた時期もある。

例えば、中野サンプラザで大掛かりなステージがあり、
早朝にPA機材の搬入&セッティングの後、
中座して通信伝送工学と微分積分学Ⅱの追試(結局どちらも単位落としたような…?)→
夕方、中野に戻り…バンドマンとしてリハーサル・サウンドチェック→
本番→楽器のバラし→PAのバラし→搬出(夜中)→
そのまま地方公演・早朝搬入のためトラック助手席でうたた寝…
そんな生活…。

ではPAオペレーター(ミキシングエンジニア)として、
充分な修行を積んだのかというと、これがサにあらず…。
大した技術も教わらないまま、いきなり「今日は任せた。大丈夫だろ!?」
そんな感じで、幸か不幸か分らないが、バイト2回目から
ミキシングのオペレーションをさせられてしまう。唯一教えられたのは、
「歌の時はエコーを掛け、MCの時はエコーを切る」それだけ…。

ちなみにバイト初回は、以前も書いたが、越後湯沢のアイドル3組・歌謡ショー!で、
バンドのベーシストが、急遽「ある植物の不法所持」で逮捕され、
会場に到着出来ない! 仕方なく「おまえ確かベース弾けたよなあ!」
「えっ…?」で、ステージに立たされベースを弾いた。

まだマトモに譜面など読めなかったが、コードネームを頼りに、
まあ何とかなるものだ。

なあんだバンド屋さんも出来るじゃないか自分!?と、
その時、大いなる勘違いしたのが、諸々困難の始まり….だったのかもしれない。

いずれにしろ、今思うと何だかどうも、随分と大雑把な時代だったものだ。



で、初めてのPAバイトなのに、
急遽のトラでベースを弾いたのがこういう方々…
今となってはチョットだけ恥ずかしい。



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懺悔とピアノとシネイド・オコナー

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小2の時に、当時一族の誇りで、
大阪フィルのオーボエ奏者だった伯父から、
電動オルガンをプレゼントされたのをキッカケに、
近所のピアノ教室に通うことになった。

教室と云っても、個人のお宅にお邪魔して教えを乞う感覚だったから、
特にライバルがいるわけでもなく、ただ漫然と、愛想もなく鍵盤に向かうのみ。

本人的には友達と三角ベースをしたり、缶蹴りなど、大いに遊びたいところだが、
週2回、友達の興じる野球を横目に見ながら、シブシブ教室に通ったものだ。 

そんな調子だから、ちっとも上達せず、始めて1年以上立つのに、
まだ黄色いバイエルと格闘してるような状態で、
そうなるとそろそろ親達も、己の息子の現実(蛙の子は蛙…)を
いやが応にも認識せざるを得なくなり、
実はチョロチョロとサボってたのもバレていたが、
もはやさほど叱咤されなくなって、もしかして将来はピアニスト…
という親の淡い夢も露と消えるのである。

考えてみると今に至っても尚、親の希望を見事に裏切り続けた、
罪深い人生であるように思う。

近頃なんかは、私などより、東京に居る家人の方がよほど可愛い!とか云って、
ガールズトーク(!?)よろしく長電話しつつ、
お互いに私をコキオロしてキャアキャア喜んでたりする…。

ピアノはダメだったけれど、やがて中学生になると
今度は自発的にギターを弾くようになった。
自分でも驚くほどのめり込むのだが、
親にはちっとも歓迎されてない事だけは理解出来た。

高校生なるとギターはいつの間にかエレキに変っていたから、
ますます訝しく思っていたに違いない。

その後も上京などしつつ、さらに親不孝を重ねた。
やがてチョロっとだが、テレビに出たり、
雑誌で紹介されたりもしたけれど、
決して喜んではもらえなかったと思う。

その頃、普段寡黙な父親から、人生でたった一度だけ電話がかかってきた。
父「なんだかそっちのギョウカイ、大麻だとかなんだとか、
  随分逮捕者が出てるって云うじゃないか…オマエは….」
私「大丈夫だよ、そんなのやってないから…」
父「信頼していいんだな」
私「ほんとにダイジョブだから…」
父「そうか、分った。何をしても構わないが、
  母さんを哀しませるような事だけはするなよ」

数年してコチラも家族を築くようになるが、何故か….私が悪いのだが、
家族揃って帰省する事がなかった。何故だか分らないがそれが事実。
そして父が入院し、コレが最後という時になって初めて、
一家全員が父の病室に揃った。病床の父は弱々しい声で

「やっと、みんな揃ったな…」
と言ったのが胸に刺さった。
家人も娘も泣いて父に詫びた。

それから手分けして、毎週末には新幹線に乗り、
父の病床に付き添うようにした。
家人に「よろしく頼む」とだけ云ったあと、
容態は急変し、父らしく静かに亡くなった。

もう一度、東京に呼びたかった。
そして父の心の故郷でもある「鶴見」に連れて行きたかった
(ここで空襲に遭い、焼け出されたっきりとなった)。

そんな簡単な事が何故出来なかったのか…いや、考えつかなかったのか。
悔やんでも悔やみきれなかった。

今はもう故郷にいるので、年に何度も墓参りが出来る。
そうして年に何度も「鶴見に連れてけなくてゴメン」と謝るのだが、
近頃はどうも、「おいオマエまた来たのか、東京に戻らんでいいのか!?」
そう云われてるような気がしてならない。



全音楽ファンには避けて通る事は出来ない「大事件」だったと思う。

1992年10月、生放送の人気番組Saturday Night Liveで、
アイルランド出身の歌手シネイド・オコナーは、
突然、アカペラで(予定外の)Bob Marley作「War」を唄い始め、
最後は当時の法王ヨハネパウロ2世の写真を破り捨て、こう言い放つ。

「FIGHT THE REAL ENEMY (真の敵と戦え)」

ローマンカトリック教会内の幼児虐待を告発し、非難する声明…。
当然シネイド・オコナーは、教徒の憎悪の対象となり、
大バッシングを受け、コンサートでもブーイングの嵐に遭う中、
今に至るも、決死の形相で唄い続ける。

彼女は一体何に向かって叫び続けるのだろう。
少し胸が苦しくなるけれど、一音楽ファンとして、
彼女の歌をキチンと聴き続けなければならないんじゃないか…
そんな気がする。
↓   ↓   ↓   ↓
WAR @SNL ことの始まり

ボブディランの30周年トリビュートコンサートに出演し、
大ブーイングを浴びるシネイド・オコナー。
そして再び、怒りの「WAR」を唄う!


こちらは彼女の代表曲。PRINCEの作ですね。
‪Nothing Compares 2 u live‬


So Far the Best of Sinead O'ConnorSo Far the Best of Sinead O'Connor
(1997/11/25)
Sinead O'Connor

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小さな一日

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決して「売れっ子」…とは云わないが、
一部のとても狭い業界範囲とはいえ、この私にしても、
それなりに多忙なミュージシャン生活時代というのがあった。

携帯電話など、遠い未来のツールとしか思えなかった時代に、
イキツケの三軒茶屋のバーにいるところを突然呼び出され、
急遽参加したレコーディング。

或いは高名なミュージシャン様には恐れ多くてお願い出来ない
細かい修正パッチワークや、ソロやオブリの差し替えなどの
「セコい仕事」の数々が、意外に業界内に広まり、

「今流行ってるアレのアレってアンタなんだってね!?噂は聴いてるよ。
 ウチでもチョロっとお願いしたいんだけどさあ…」

という具合で、内容はほぼ覚えていないのだが、
「何だか売れっ子みたいだなあオレ…」という忙中のサナカ、
忘れもしない最晩期の「ピ○クレ△ィ」のライブに呼ばれた
そのリハーサル中に(とっぱらいでFならび万もらった=余談)、
その会場の警備員室の方から
「ギターのPIPCOさ~ん、???ってヒトから電話ですよ~」
と呼ばれる。

滅多にない事なので、よほどの急用かと、
あれこれイヤなニュースを想像しながら電話に出ると、
割とくぐもった声の男が
向こう「ピアニストの○△さんにご紹介いただいている◇□ですが、お返事は?」
ワタシ「え?何の話…ですか?ピアノの○△さんなら、
    今日は同じステージでリハ中ですが…」
向こう「それなら話は早いですね、そちらで打ち合わせて連絡願います。では...」

てっきり新規仕事の打ち合わせかなにかと思って、ピアノの○△氏に訊ねると

ピアノ「ああ忘れてたよゴメンゴメン。◇□っていう何年か前にアルバムデビューした
    シンガーソングライターの男が、セカンドアルバムの準備と、
    ライブ活動に向けてのバンドを捜してて、テクはそこそこで構わないから、
    センスの良いギタリストを紹介してくれって云われてて、
    不意に思い出したのがYouだったから、Youの連絡先教えといたんだよ…」
ワタシ「思い出していただいてありがとね。だけど”テクそこそこ”…って、
    やっぱり失礼じゃないかあ、傷つくなあ…」

後日、連絡を取り直し、指定場所のまだ「田園コロシアム」があった頃の
東横線・多摩川園前のスタジオに向かった。
ライブ・アンダー・ザ・スカイでのV.S.O.P.やR.T.F、何故かロニーモントローズ入りの
トニー・ウィリアムス・ライフタイムなどが懐かしい街....。

既に他のメンバーはスタンバイしていて、挨拶もソコソコに譜面を渡された。
譜面と云っても、譜割とコードが書かれただけのザックリしたもの。
ボーカルの男が云った。

「TOTOとかオフコースみたいな感じで弾いてもらえると嬉しいです」

セッションが一通り終わると、
シンガーソングライターと思しき男が、

SSW 「PIPCOさんってプロの方だったんですね、演奏も流石ですが…(が?)
    何かの行き違いみたいで、このバンドは当面ギャラなど出せない状態なので、
    その辺どうなんでしょうか?」
ワタシ「…時間が空いてる限りは協力したいんだけれど、
    現実に明日は札幌だし…難しいかもね」
SSW 「ですよね。ただ今日の感じのノリは最高でしたから、
    またチョクチョク教えてください!」
ワタシ「っていうか、それはつまり…今日のオーディションはクビなわけね!?
    …アハ、ハハハ…ハハ...ハア...」

音楽性はともかく、実はこういう、リハやってリハやってリハやり倒して…
サウンドを固めてゆくバンド本来の姿が、妙に懐かしくもあり、
バンドという「@居場所」みたいな、かけがえのないものが、
その時、手からすり抜けたような、そんな寂しい気がした。

そのシンガーソングライターの彼は、翌年無事再デビューを果した。
アレンジは恐らくリハに次ぐリハの中から、大幅に変更されていたが、
ソロの部分とかは何故か私の手癖を反映したフレーズがいくつもあって驚いた。
彼は恐らく今も何らかの形で活動してるのだろうが、
この事は、私にとっては何だかとてもほろ苦い「小さな一日」となって、
また鬼や龍やオバケが跋扈するような、
そんな伏魔殿なギョーカイの渦の中に戻るのであった。



そのTOTOだけれど、私にとっては彼等のデビューアルバムの
Takin' It Back…これが全てかな。

ポーカロ兄弟の、既にスティーリーダンに肉薄した
恐るべきセンスの良さと高い音楽性に脱帽!
ギターも弾き過ぎず、ヤリ散らかさずの寸止め状態が素晴らしい。
その後、要のポーカロ兄弟が脱退すると、
何だか散らかし放題な感じになってしまったのが残念。
現メンバー(続いてるのか?)には、この曲の価値を、今一度見直して欲しいなあ…。


TotoToto
(2014/04/01)
Toto

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儚い自尊心

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冬の夕空ではもはやない....。



決して威張れたような人生を過ごしたわけではないが、
それでも多少の自尊心や誇りを持って生きてきたつもりだ。

しかしそんなチッポケな自尊心も、一瞬にして全て儚くも散る場所がある。

それは『病院』。
とりわけ手術を伴う『入院』がソレである。

盲腸などで手術すると、「.剃られるぞ…」と聞いていたから、
コレがかなり恐怖だった。しかも最悪なのは、剃られてる間にも

「ああ、ま、まずい…」と、恥じ入るばかりの変容。

いやあ、笑い事ではなく、大いにありがち。
やっぱそれは相当まずい…。

ところが実際に初めて「入院」したのは39歳。
高校生相手のフットサル中に、膝の皿を割った。
まあ膝だし…微妙な距離感?…ああ、でもやっぱり剃るのね…。

若くて、ちょっと可愛いなあなんて思っていた看護師さんに
「さあ、キレイにしましょうね♡」
美人看護師は表情一つ変えないまま、一気に電気カミソリみたいなのでブイーンと…。
さらにはその後何度も着脱され、もう今では慣れっこになった

「尿(道)管(カテーテル)」敷設…。

これほど男子の自尊心をズタズタにするものはない。
息が止り、なぜか目が寄る。
さらに情けなくも「己の分身」は、日本エレキテル連合よろしく

「イヤよ、イヤイヤ」

...と、信じられない動きで縮み込むのだ。

実際にはこの時の美人看護師さんは、相当熟練の「使い手」で、
さほど酷い痛みを感じる事はなかったが、
後に故郷の病院で長く入院したときなどは酷かった。

病棟では、すっかり「気のいいオジサン」という評判が浸透したらしく、
頻繁な採血時とかは、新人看護師の実験台のごとく、
何しろカワルガワル見慣れない新人がやって来てはプスプスと
1回の採血の為に5カ所くらい腕に穴をあけられたり、
まずは射してから強引に血管を縫うように捜して射し込んでくる猛者もいたりして、
そのたびに悲鳴を上げるが、あくまでこちとら「気のいいオジサン」であるから、
ニコニコと「痛え...でも、いいからいいから気にするなよ」なんて云っていた。

既に手術後だったが、術後の患部の経過があまり良くなくて、再手術になった。
手術といえば「あれ」である。

イヤな予感がしたが、見事的中した。
担当看護師が珍しく子分をぞろぞろ連れてやってきて、
「はずしたばかりのところお気の毒ですが、またオシッコのクダを付けるんですが、
 今日初めての新人に任せてもよろしいですか? 私が立ち合いますから….
 それと新人4名見学させていただきます…
 大丈夫ですよ私がキッチリ指導しますから。
 あっ、ダメだよ、そんな根本をつまんじゃ、
 もっとしっかり先っぽをツママナイと、上手く管が入りません。
 入ったらそのまま一気に…それえ!….」

「ぎゃあああああああ」……。

苦しくても辛くても、必死に守り通した、男の自尊心もプライドも…
ここではあえなくチンボツ。
まったく看護師さんは偉大なり!であります。



「ヘンリーカウ」が、英国音楽界(?)に於いていかなる位置付けにあるのか、
プログレ?アヴァンギャルド?エクスペリメンタル?…
実は何者かよくわからないままに、自分の頭の中のレコード棚では整理がつかない、
自由自在で奔放な音楽集団として、その系譜と云われるものまで
随分追い掛けて聴いていた時期がある。

そんな中にはメンバーの単なる友達とか、
別のセッションで共演したことがある程度の
「ヘンリーカウ」とは全く無関係のミュージシャンまで追い掛けていたら、
また新たに「DNA 」とか「Peru Ube」とかに出会ってしまい、
またそちらにのめり込んだりするから、
もはや出口のない暗い迷路でもある。

映像は1976年、ダグマー・クラウゼ(vo)、リンゼイ・クーパー(oboe etc)在籍時の、
このバンドにしては割と華がある晩期のもの。
「好き者」には「よくぞこんなモノが存在してたなあ」という垂涎のシロモノ!

個人的には一時期、相棒のベーシストと、
「ダグマーみたいなヴォーカリストどっかにいないかなあ!」
なんてグダグダ云ってたのが懐かしい。


ConcertsConcerts
(2008/08/19)
Henry Cow

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悲しき絶対服従

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リアルに40年下(+1〜2年)の後輩達...。
円陣も含め、全て伝統は守られている。
なでしこ選手が混じっているのには、かなり驚いたが、
良い時代だなと思う。



中学のサッカー部で、入部初日から徹底的にスリコマレるのは、
「絶対服従」の、「縦社会のルール」にほかならない。

小学校では全く教わらなかった「先輩・後輩の絶対的主従関係」は、
大日本帝国陸軍が採用したフランス陸軍式主従関係を手本としたもので、
上級生が下級生に服従を促し、また制圧するには「暴力」も時として有用….
という状況があった。
今敢えてここで「体罰・暴力」の是非論を論じる気は一切ないが、
「かつてあった」状況は今更変更出来ない事実である。

小学校で”のほほん&ぼんやりと”過ごして来た身にとっては、
このいきなりの浮世システムの到来は、
まだ学生服が身体に馴染まない中一生には、
驚きと衝撃の連続であったように思う。
システムにうまく馴染めず、先輩に対して、何らかの粗相をしたとなると、
突然飛んでくるのは”鉄拳”であるし、
口汚い罵りであり、理不尽な”制裁”であった。

私も入部早々に、「挨拶が雑だ」「敬意が感じられない」「ナメトンのか!」
というロジックで、上級生に鉄拳制裁を受けた。
胸ぐらを掴まれ、髪を引っ張られ、グーで頬を何発も殴られ、鼻血が流れる。
グーで殴られるのは恐らく生まれて初めてのことで、
実際の痛みよりも、精神的な衝撃の方が大きかったように思う。

理不尽な暴力への反発、怒りの感情、その震える高ぶりは
自分でも驚くほどのものだったが、
サッカーを続けたいという思いからは、服従という選択肢しかないのだ。

日常的な「暴力」は、誰かに限定したものではなく、
一年坊は皆均等にやられ続けるから、それがまた奇妙な連帯感を生んだりして、
「チームワーク」なんて美辞麗句は、案外こうしたみっともないところが
その源泉だったりするのだろう。

皆が願うのは、早く進級して、新入生を迎え入れ、
この鬱屈した感情を、彼等に向け復讐するしかないのだ。
然るに悪しき伝統は永遠に続く構図である。

もちろん私はそんな暴力行為は「残念ながら」行使出来る性格ではないが、
2年になった早々に同輩の何人かが、後輩部員にリンチを仕掛けたら、
逆にボコられる!っていう不祥事が起きた。

以来、我々全体が、完全に下級生に舐められ続ける
不名誉な世代のサッカー部員という事になった。

現実に一級下の世代は、凡庸な最終成績の我々と違い、
あれから40年以上も経過した現在に至るまで、
創部以来最高位の全国大会ベスト8…。

我々世代は「輝ける黄金世代のその1級上」と、
永遠に云われ続けるのだった。


そんな中1~中2にかけて、右ウィング(候補)だった私は、
一心不乱に右サイドをエグり、駆け抜ける毎日の中で、
頭の中で鳴り続けるのはどうしたわけかこの「悲しき鉄道員」。
今にしてみれば、AUGUST MOONさんにリクエストしたい曲でもあるなあ。
Shocking Blue ~ Never Marry A Railroad Man

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音盤蒐集奇譚

3.jpg
            ⓒDisk UnionさんのHPからお借りしました。
今でこそ、捜してる本やレコード、CDがあれば、
チョチョイとAmazonあたりを突けば、
新品、中古に限らず、だいたい目的物に行き当たるし、購入も簡単だ。

しかし我々オジイの時代は、探し物の為には足を棒にして、
神保町や西新宿界隈を一日中歩き回るのがアタリマエ。
それでも見つからなければ、高円寺や蒲田、高田馬場などに捜索域を広げ、
挙げ句には土地勘のない駅に別用で出掛けたときなども、
ついつい中古盤屋、古本屋を見つけては必ず店内をチェックする…
それは海外の大都市でも、行動は同様。
そんな哀しい習性が未だに抜けないのだ。

長年捜しあぐねた「ボリス・ヴィアン-”墓に唾をかけろ”ハヤカワ文庫版」も、
捜索何年目かに、横浜の古本屋で偶然巡り会えて、
まさにワールドカップで自分が得点したかのような、
そうかこういうのが有頂天っていうのか!….なんて気分を味わったものだ。

これが今ならチョチョイでOK、幸福な時代だが、
反面、ツマラナイ時代でもあるなあとも思う。

本店は蒲田だったが、中古レコード店老舗の「えとせとら」の
西新宿店があった頃、年に何度か、貴重盤一斉放出セールというのがあって、
主にシングル盤なのだが、セール数日前から店内の壁には、
そのマニア垂涎のレコードジャケットが張り出される(売価はまだ表示してない)。

「ああ、捜していたコレがある…あれもこれも…、もうクラクラする」。

そして運命の日曜日、早朝5時半(開店は10時)…
新宿えとせとら店頭に並ぶべく店に到着。まさに満を持しての必勝態勢!
ところが、店頭は既に20人ほどの列が出来ている。

これは….もう絶望か?私の目標物は10枚ほどあったが、
特に欲しかったのが「Roxy Music-恋はドラッグ」の日本盤シングル(むろん廃盤)。
B面がまったくアルバムにも含まれない謎の曲。
最低コレだけで大収穫と思って臨むことにした。

もはや目をつぶっても、そのレコードが張られてる場所が分かるほど、
イメージトレーニングは完璧!さて開店時間がやって来た。
最初に15人を店内に入れ、5分したら次の15人と入れ替える…
つまり制限時間5分1本勝負….さてさて。

Roxy Musicは恐らく誰もノーマークだろう!?
もっと価値ありそうなオールディーズがたくさんあったから、
わりと新しいロキシーなど…..店内のLIVEな情況が見えないだけに
心配は不安に、不安は心配にDoki・Doki...。

さあ私らの入店順が来た。いざ!入り口から左側7m…突撃!。
ああ…な・.ない!。

しかし絶対間違いないその場所には、別のレコード=
忘れもしないピストルズのプリティヴェイカントが….。
あれ、ということは、場所を変えられたか?
すぐに一度落ちたメンタルを建て直し、
モチベーションを奮い立たせて、15人とはいえ群衆を掻き分け、
目を皿にして壁面を捜す…すると、

あった….あったー。やったやったあ。トーチャンカーチャン、遂にやったよー!! 

一目散に壁からシングルを剥ぎ取り、この世の幸福感を一身に受け、
その歓びにむせんでいると、ふと、「値段」に目がいった。

「30,000円也」

「えええええええええ!」

3千円くらいは覚悟していた。
所詮定価400円のシングル盤じゃないかあ!
だからナンダカンだで、だから、10枚買って3万円…
それくらいは用意していたさ。
しかし本命とはいえ、シングル盤1枚で3万円は自分でも前代未聞。
「っど、どうしよう?」と悩みながら、
無意識にレコードを壁に貼り戻そうとしたのだろうと思う(よく覚えてない)。
そんな一瞬の気の緩みに、ブツはサクッと隣の客に、
まさにトンビにアブラゲをサラワレルがごとくに奪われてしまった。

以後、改心して3万だろうが5万だろうが、
今度見つけたら絶対あれこれ考えずに買ってしまおう!。
レコードも本も一期一会、買わなかったら後悔する、
ずーっと、ずーっと、次見つかるまで後悔が続くのだ!
だったら見つけたら無理しても買う!…それをか硬く誓うのだが、
幸か不幸か、以後数十年、手を尽くすが、
一向に出会っていない。

それはそれで、幸せなことだと、オジイは思うのだ。

120614-00.jpg
というわけで、今宵はその「恋はドラッグ」
wooom….Eddie Jobsonカッコ良いぜ!。)

SirenSiren
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Roxy Music

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個人的なこの3年

DSC09614.jpg
写真をやっと好きになったのに、意外に人とか、女性、ましてや「美人」など
なかなか撮る機会はない。だからこうした撮影会は貴重で外せないイベントとなる。



さまざま理由があって「2011年3月11日」は秋田で迎えました。
不謹慎ではあリますが、大停電の夜、満天に輝く星空の哀しげな美しさを、
私は一生忘れることはないでしょう。

東京に居る家族の安否は、
当時(今も?)最も不人気な携帯キャリアと契約していたせいか(?)、
地震直後でも普通に通話が可能でしたから、
すぐに安否確認出来た事は、何よりラッキーだったと感謝してます。

震災の翌週になっても新幹線は不通でしたが、
新宿行き高速バスが稼働し始めたというので、
それに飛び乗り、帰京することにしました。

築30年近いマンション12階の都内の我がアバラヤでは、
一番奥の私の部屋の、オーディオ系統やCD、書籍をまとめた
ラック2台がバタバタと倒壊したらしく、
その片付けという用事もさることながら、
私にとってはホンの一瞬と思われた病気による休職期間も、
既に5ヶ月目となり、未だ在職中の会社に対して、何らかの説明なり、
ある種の決意表明なりをなさねばならぬ情況もありました。
災害直後とはいえ、年度末でもあるわけで、
色々決着をつけねばならぬ時節でもあったわけです。

久しぶりの東京は、震災後といっても相変わらずヨソヨソしく、
特に夜は「節電」の風潮から、繁華街も暗く沈んでいて、
歌舞伎町も銀座も、以前とは別世界のヤケにくすんだ街に見えました。

4月になっても相変わらず物資は安定供給されず、
ペットボトルの水(故郷秋田は水道水で充分ですが、都市生活では必需品!)も、
まだ怪しげなノンブランド(ノーラベル)のボトルで、
しかも買うには本数制限がかかっていました。

明らかに「ソフトな戒厳令下」という特殊な状況下、
久しぶりに会う人との会話も「あの日」の恐怖と情況報告が主。
「どこに居た?帰宅難民として何キロor何時間歩いたか?」…
そんな「被災自慢」が日々の話題でした。
またそんな話をしてる最中にも、
震度3だと4だのクラスの揺れが頻繁に襲うので、
実は相当に可笑しげで異常な時期だったかもしれません。 

5ヶ月前に較べ明らかに足腰の反発力も含め、体幹が弱くなった私にとっては、
生きてゆくのがとてもハードな街に思えました。

このまま拙速に職場復帰する選択もまだ許されていました。
しかしそれは早晩再発するリスクが高まるだけ。
いっそ2~3年きっちり休んで療養すべきではないか!?
しっかり完治させて、満を持して社会復帰…という家族の意見におされ、
本格的に故郷秋田の実家に単身赴任(??)となりますが、
あれからすでに3年、いまだ情況は芳しくなく、
体調は悪くなる一方で、外出もあまり出来ず、
困り果てる今日このごろであるわけで、
かなりの部分で悔いの残る、
あっという間の3年間なわけです、個人的に。



普段ほとんど使わないノートPCの、
散乱してる映像ファイルをチェックをしていると、
TALKING HEADS の映像作品「STOP MAKING SENSE」が出て来て、
思わず全部観てしまいましたよ。
あらためて傑作ビデオだなあと感心。
THE BANDのLAST WALTZと双璧かなあ?
などと一人思う暇人な半病人でありました。
『ONCE IN A LIFETIME』


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四日間戦争 四日目(最終話)

DSC00846.jpg
見てるつもりが見られてる....。



就業3日目にして、何となくこの仕事の楽しさの部分に
少しだけ触れられたからか、ゲンキンにも、
昨日よりは少し足の具合は良いかな…
という感じで迎えた4日目の朝であった。

もう慣れた感じの足取りで、いつもの時間の地下鉄に乗り、
いつも通りに出社した金曜日の朝であった。

新宿ではある意味象徴的な風俗系雑居ビル、
その最上階のオフィスは早朝からいつになく物々しい雰囲気で、
見慣れぬ無遠慮な方々で溢れている。
系列会社や別部署スタッフ、店舗関連の代表者が一斉に押し掛けて来ているらしい。

何が起こったのか? 

誰も何も説明してはくれない中、
断片的かつ衝撃的な「言葉」が飛び交う……

「逃走中?」
「大阪府警?」
「風営法?」
「社長指名手配!?」…。

どうやら大阪の文教地区近接地にオープンさせたテレクラ店(?)が
風営法に抵触したとのことで、大阪の警察から出頭命令が出ていたが、
それを赤目社長は一定期間無視し続けた結果、
「指名手配」という最悪な事態に至ったらしい。

警察やマスコミに事情聴取された店舗担当者や、
事態を聞きつけた関係者がパニックに陥り、会社側に対応を求めるが、
こういう時にキチンとした対応責任者がいない為に、
必要以上に混乱しているようだ。

このままこの会社にいれば、いずれ同様のトラブルに自分も巻き込まれるだろう。
しかしどうやらこの会社では、自分の身を守ってくれる人もシステムも
何にもないようだ。長居は禁物だなあ…
などとまだその時点ではノンビリ考えていた。

しかし、そんなことより問題は、
本日午前10時に控えたテナントビルオーナーとのアポイント対策である。

あまり相談したくはないが、やむなく教育係に相談する。
当然、現場に同行してもらい、業態説明などを補足してもらえると思っていたが、
反応は意外にもあっけらかんと...

教「ああ、あの話か...もう無理だから諦めろ…当分それどころじゃない。
  朝刊にもう出ちゃったしな...。しかしオマエもついてないよなあ、
  30万円フイだもんなあ…」

私「30万って?」

教「えっ、聞いてなかったの? 
  この会社では、物件を一つ成約させると報奨金30万、
  パチンコ店規模だと100万出るんだよ…
  さらに新店の看板には担当者の写真が使われるんだよなあ、
  これが結構恥ずかしいんだ(笑)。
  ついでにもう一つ、この会社は入社2週間以内で辞めた場合、
  給料も経費も交通費すら一銭も出ないからそのつもりで!。
  初日に署名させられたろ誓約書。あの中にその文言も含まれてて、
  労基だろうが裁判所だろうが、無駄だからね。」

その驚愕の内容に驚くが、
こんな混乱の最中にヘラヘラ薄笑いで得意げに話す
この教育係の態度というのも、何だかとても腹が立った。

あの、人にやたら厳しい赤目社長は、何故こんなダラシナイ男に
中枢部署を任せているのだろうか…所詮あの鋭い赤い目も「ただの濁り目」なのか…
と思うと、今まで云われた私への罵詈雑言に対し、
猛烈に腹が立つのだった。

しかし取り敢えずアポはアポ、一人でビルオーナーと会うことにして、
表層的にしか説明出来ないが、誠心誠意の主旨説明をした。

商談が終わった途端、何だかここ数日の色々なことが脳裏をよぎり、
すべてが虚しくなった。
そしてその途端、身体の力が抜け、足が強烈な痛みとともに固まって、
遂には歩けなくなった。

タクシーを使い、近場のカフェに入り、靴を脱いでみると
足の裏がパンパンに腫れて、その他の膝や足首など関節も激痛で動かない。
身体は正直だなあと思った。ああもう無理だ。もう会社に戻りたくない。
でもそのまま電話で「辞めます」じゃあ、あの新入社員達と同じだな、
口惜しいなあ、無念だなあ…。

仕事自体はイヤではないし、ヤリガイもある。
しかし経営者も上司も、サッパリ信頼出来ないし、
風俗店経営に関わるのも心情的にイヤだ。
他人がどう思うかなんてはさほど気にはしないが、
自分で誇りを持てないと思う仕事に就くのはやはり御免だ。

仕事中の家人に迷惑を承知で電話した。
簡潔に「もう無理だ」というと
「いいよ、また捜せばいい。身体が一番大切だから」と云ってくれた。
身体は超重たいが、気分は少し軽くなった。

そして会社に電話を入れた。
教育係は澱みなく、そして慣れた口調で云った。

「あ、そう、またいつかどこかで、それじゃあね…」。

しばらくして、中央線某駅前のテナントビル最上階に
「ビデオボックス(リクライゼーションルーム?)」が開店した。
巨大看板には、リクライニング椅子に寝そべって、
ニヤリとテレビ画面を見つめるポーズの「教育係」が、
しっかりと写っていた。    






恐らくウッカリしていたか、或いは時代的にブラックな企業に
散々振り回されていたからかどうかは不明だが、
こんな素晴らしいバンドをしばらく見逃していた。

出会ったのは私的には今世紀ナンバーワン映画と思い込んでいる、
ソフィア・コッポラ監督作品『ロスト・イン・トランスレーション』
(西新宿のパークハイアットホテルが主な舞台)。
そのサントラに全面的に採用された「My Bloody Valentine」。
(はっぴいえんどの「 風をあつめて」も採用されている)

ギターによるノイジーなサウンドなのに、メロディはひたすら優しく美しい。
何だこの世界は!、と、相当に衝撃を受けた。
そのバンドは既に25年も活動してオリジナルアルバムたった3枚(3枚目は2013年!)。
コンサートはほとんどやらず、活動告示もほとんど守られたことがないから
オフィシャルとは常にトラブル状態。
しかし彼等は相変わらずのマイペースさを改めようともしない。
その清々しさ、そして羨ましさ....。

そんなmbvの貴重なライブVがなんと日本公演(フジロック)という幸運…。
まあ、それなりに齢をくわえたマイブラの、滅多にないライブを今宵は...。


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四日間戦争 三日目

IMG_3044.jpg当処、依然厳冬にて….。



あともう少しなのでご辛抱いただきたい。

さて3日目(木曜日)である。
思えばまだ当時のネット求人サイトでは、
情報更新が遅すぎて、とても使いものにならなかったから、
我々世代の学生時代のやり方通りに戻らざるを得ない。
朝一番にKioskで日刊求人誌を買い、大した熟慮もせずに、
近場で効率さえ良ければ、手早く面接の申し込みをする。
「比較的楽に稼げるバイト」にありつくには、雑誌が出た午前中が勝負なのだ。

そういうわけで、月曜の朝、求人誌を数冊、Kioskで買い求め、
そのままマクドナルドに入り、ソーセージ・エッグ・マフィンセットを頬張りながら
急ぎ求人内容をチェックし、『中高年歓迎』という文言と、
わりと高い基本給にまんまと釣り上げられ、今の会社に電話したら、
『すぐに来い…』という話になって、慌てて履歴書の空欄部分(備考欄とか?)を、
先方業務に即した仕様に推敲し直して書き込み、
地下鉄に乗って新宿3丁目駅に向かって以来の、この怒濤の日々は、
一体なんであったのか?。

このまま自分は、ロクに家人と顔も合わさず、会話も出来ない生活の中で、
一生過ごすのだろうか? 

会社を見るには社員を見ろというが、
上司も見る限り大して幸福そうではなく、それどころか、
いつもビクビクしていて気の毒な感じさえ漂ってるではないか!。

朝5時に目覚めると、ふとそんなことを思った。
足を中心に、カラダのあちこちが悲鳴を上げているのが分った。
仕事に慣れれば少しは楽になるのだろうな…それまでの辛抱か…
そう思うことで、勢いをつけて身体を起こすしかない状態だった。


出社すると、また新しい顔ぶれが数名迷い込んでいた。
皆が皆、判で押したように同年代。

不惑なんて嘘だな…そう自嘲するしかない。

それぞれに事情があるようだが、
残念ながら彼等と2日目に再会することは遂になかった。
しかし、それがむしろ賢明かつ聡明な判断であったことは後に知る。

朝礼3日目のスケープゴートは課長、係長あたりの中堅がダラシナイというところで、
一斉に降格されていたが、既に昨夜降格した私としては、
もう3日目にして、そのワンマン社長の序列を愚弄するやり方に慣れた
というより呆れてしまっていて、それによって上がろうが下がろうが、
単なる会議の席順に過ぎず、すっかり無関心になっていた。

自分としてはいつになく低めのテンションで、営業というか外回りに出ると、
意外にもその日は大進展があった。

あくまでも偶然なのだが、中央線の某駅前の150坪規模のテナントが、
もうじき空くという情報を、喫煙所雑談中のビル管から得て、
仲介業者と連絡を取り、当方の業種などを説明すると、
目の前でビルオーナーに電話連絡してくれた。
先方は「(我々の業種を)想定してなかったが、話を聞きたい」とのことで、
明日(金曜)のアポイントが呆気なく取れた。

しかしまずはその立地が、当社意図に適うのか、或いはダメダメなのか、
全ては社長判断。社長が「あんなとこダメ!」と云われれば全て終わりなのだ。

少し興奮して会社判断を仰ぐべく「報連相」で電話したら、
出たのがあの教育係。

教「そんなの全て帰ってからの報告で良い」とされてしまう。

しかし明日アポなのでと、さらに食い下がると、

教「今忙しい…ウルサイ…」

...何だこの会社は!?と途方に暮れていると、
数時間して見覚えのない番号から着信あった。 
赤目社長だった。

社「おい、○○駅西口のあのビルか? ビデオだ個室ビデオ...」

私「….ネットカフェということで申し込んじゃってますが…」

社「関係ない。何とでもなる。明日だろ、俺も一緒に行く。でかしたぞ!」

ところが、意気揚々と帰社してみると。本日の会議は中止…
すみやかに全員帰宅すべし…?。

オフィス内は、何となく騒然とした雰囲気に包まれていたのだが、
普段をまだ良く知らない私には、それがさほど奇異なこととは感じられず、
まあとっとと帰ることにした。

会社は大変なことになっていたのを、まだ私は知らない。

まだ20時前…当時大手町で働いていた家人に電話すると、
ちょうど帰宅途中でもうすぐ新宿を通るというので、
新宿で飯でも食おうという事になった。
結局、家人のススメで、駅ビルでスーツ2着と靴2足、
例の件で白ワイシャツ数着を新調した。
そして再びその店を訪問し、スーツなどを受け取るのは、
もう新宿には用事がない翌週のことだった。

次回いよいよ最終回



…と、そんな激しい日々にあっても、
ほっと息をつける曲というものは有り難いもので、
長く音楽ファンでいると、そんな癒しの曲を数多く保有してたりする。

その中でもとびきりの蔵出しがコレ。
もう古すぎてご当人も忘れてしまったのか、
ライブでもほとんど聴いた事がないけれど、
「〜もう煩わしいことはいいから、優しくしておくれよ...」
甘さを抑えたビターな名曲だと思う。
Todd Rundgren - Be Nice To Me


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四日間戦争 二日目

DSC04533.jpg
入社2日目。
4時間そこそこの睡眠時間で、朝6時には出社した。
夕べ遅くに、係長に昇進した筈だが、相変わらず自分のデスクはないし
何の係の長なのかもサッパリ分らない。

すると2名、昨日の私と同じような「迷い子」を発見した。
盛んに、先輩先輩と色々聞いてくるのだが、
私とて聞かれても大したことは答えられないから、
どうせ聞くならもっとベテランに聞けよ!と思うが、
誰が新人で誰がベテランなのかすらまだよくわからない。
後に分ることだが、最ベテランで、社長の番頭のような
振る舞いをしてる男でも、入社半年に充たない…そんなものだった。

50代の教育係が私を呼んだ。

教「オマエはもう係長なのだから、研修プログラムは中止して、今日から即戦配備だ。」

私「即戦と云われましても、正直、まだ会社も仕事も理解してませんが...」

教「オマエの仕事は、首都圏の駅前をくまなく歩いて、
 当社店舗の好適地に狙いをつけたら、その物件の情報を徹底的に集めて、
 いかなる手段を使っても 当社が出店する道筋を付ける…それが仕事だ」

私「いかなる手段も…?」

教「逐一、報・連・相しながら、情況が揃ったら社長許可の後、好適店舗を選定する」

私「えっ、カフェじゃないんですか?」

教「ウチはカフェだけじゃない、パチンコ屋、ゲーセン、美容室もあるし
 あと、…まあそのうち分る...。それと当社のルールだが、特別なアポや商談が
 ある以外は、一日に最低3カ所、出来れば5カ所の街を回ること!これは厳守!
 あと、当面毎日1店舗以上の当社店舗をお忍びで入店し、情況報告。
 まあスパイだな。個人的なアドバイスだが、
 早速◇◇坂の直営店を見て感想を聞かせてくれ。
 それと社長の意向だが、早くオマエに実績を積ませて、俺の後、
 つまり新人教育とか本部側コントロールを引き継がせろってことらしいから、
 ちょっと急ぐぞ、いろいろとな」

私「………」

さて、またしても怒濤の朝礼が始まった。
例によって赤目社長は、部屋に入るなり、その強すぎる眼光で
のっそりと舐めるように一人一人を注視する。
突然、私の名が呼ばれた。

社「pipco、オマエ係長だからって、何チャラけてるんだよ…」

私「チャラケてなんていません!」というと、

社「じゃあ、何だそのチャラケたストライプシャツ!?何様だコラ!」

白地に薄いグレーのストライプで、さほど派手なものではないのだが、
それがお気に召さないらしい。
注意深く眺めれば、確かにカラーシャツは次長以上?で、
課長以下はみんな白シャツ…。

私「申し訳ありませんでした。明日から留意させていただきます」

と答えるが、社長の本日のターゲットはどうも私らしく、
事態は簡単に収まりそうも無い。

社「で、そのネクタイのセンス!?それどっかのブランド品だろ?」

私「頂き物なのでよくわかりませんが、Coach…って…」

社「いいか、pipcoさんよ、中小企業の元副社長様なんてクソな肩書きは
ココじゃ通用しねんだよ…。そういうクソな風をココじゃ吹かせないで
欲しいわけよ、なあ副社長さんよ」

私「そんなつもりは一切ございません…」

社「そのシャツが、ネクタイが、物語ってるって言うんだよ。
 シャツは白でネクタイは無地。スーツもダークのみ、
 それが外回りのイロハじゃないのかねえ。
 だから潰れるんだよ、破綻するんだよ会社、なあ副社長さんよ!」

相当執拗だなと思ったが、当面従うしかないわけで、仕方なく

私「勉強になります」というと、

社「どっかオマエ俺を馬鹿にしてるだろ!」と、まだ絡むので、

私「諸々教えていただくようお願いします」と頭を下げると、

社「おい、こいつ副社長の器だと思うか?なあ課長」

突然振られた課長も返事に窮すだろうなあ気の毒に…と思ったら、即答で

課「はい、器ではないと思います」と澱みなく云った。

次長(女性)はどう思うよ?オマエも以前は役員だったよなあ。

次「前の会社でどうだったかなんて、この会社じゃまったく
 関係ないってことを早く理解して欲しいものですね…」

やれやれ言われ放題。もはやイジメである。


そのうちに、やっと本来の会議に戻り、当日の予定と教育係リクエストの
直営◇◇坂店に寄って見るというと、社長は、

「◇○坂店に行くかあ...、まあ楽しみにしてる、副社長殿のお見立てを…」

これが仕組まれた地雷であることを知るのは、当日夜のこと。

取り敢えず出掛けた。
一日3カ所以上の駅前徘徊は予想以上に大変で、
少し大きな街だと、駅の東西南北全てに商店街が広がっているから、
丸一日いたにしても全てを見聞出来ないところを、2時間程度で効率よく
回らねばならない。食事休憩なんて時間はほぼない。

なんだかんだで1日10kmどころではない距離を歩き、
同時にテナントビルの中もくまなく歩いて、良さげなテナントを見つけると
店が営業してようがしてまいが、当該の不動産屋に行って情報を収集し、
ヘトヘトになって夕方最後に直営◇◇坂店に入った。

正直に言うと、店内は汚いし、カウンターもダラシナい雰囲気で感心しない。
まあそれも正直に報告しようと思いつつ帰社すると、
新人さん達=1日だけだが後輩達の姿がないのに気が付いた。
一人は午前中に、もう一人は午後にそれぞれ「やっぱ辞めます」と
電話で通告して来たとのこと。そんなものなのかなあ…と、彼等の品格を疑った。
しかし、やがて彼等と同じ心境に自分も至るのだ。

その日のメモを纏めていると、50代教育係が来て、
◇◇坂店はどうだった?と聞かれる。
正直にあるがままを話すと、教育係の表情はみるみる変わった。

教「あの店の担当は俺なんだよ!。最近業績はあまり良くないが、
 堂々たる一級店だ。だからさ…」

私「問題なかった…という事にすれば良いのですか?」

教「そうだ…余計な波風を立てないでくれよな!」

夜の会議では、心ならずもそんな大人の事情で、
虚偽の報告すると、社長が云った。

社「残念だな…あの店はもう最低なんだよ!弛みきってる!
 店長を明日クビにする。 それをオマエは…もう分った。下がれ!」

さらに付け加えてこう云った。
 
社「主任に降格…オマエには失望した...」

教育係が、一瞬笑ったように見えた。


12時帰宅。
帰宅時間は以前の会社に較べれば、まだ相当早いのだが、
疲れがどっと押し寄せ、翌朝起床するのが、相当辛くなっていた。 

怒濤の3日目、そして運命の最終4日目へ…続く(長文御免)。




MTV Unplugged という番組は、
出演アーティストほぼ全員の、意外なほど真摯な熱演に
多くの衝撃と感銘を受けた画期的な音楽番組だったと思う。

その中でも、個人的に最も衝撃を受けたという意味では、
「Pearl Jam」と「Nirvana」、
そしてこの「Cranberries」が、特に素晴らしかったと記憶している。
なかでも印象深かった曲「 Ode to my Family」


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四日間戦争 初日

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(前号から続き)〜というわけで、45歳の就活が始まった。
もはや以前の業界には何の未練もない。
いやむしろ、別の業界に挑戦してみたくなっていたのだ。

その頃まだハローワークというところに出入りしていなかったから、
求人誌が情報の主たるソースであった。

しかしいかに膨大な件数を掲示する求人誌であろうと、
中高年をスキ好んで募集しようという企業などほぼ存在しないようだ。

「馬鹿だなこいつら…、オレ様を雇えば、どんな職種だろうと、
半年のうちに数億の売上げを、毎月恒常的に上げられるようにしてやるのに…
それなのに’私たちは平均年齢27歳の若い職場でーす’……
絶対、それ以上のトシの奴なんか面接にも来るなよなってサインだよなあ!…
死ぬまで仲良くやってろ…」….と、まあそんな風に
まだまだ世の中ってものを甘く見ていたそんな状態のまま、

「中高年(45歳くらいまで)大歓迎!」という奇特な募集を見つけた。

「むむ…わかってる企業だな、我々中高年のプライムを!」
で、これが大変なことになるのだ。

新宿の古びた雑居ビル。
へなちょこ面接者など軽く一蹴し、難なく面接を済ませて、
何の会社かよくわからないまま、入社手続きに入ると、
何だかやけに「誓約書署名」が多いのだ。

社外秘を厳守する誓約書(当然当然)。
退職しても一切の秘密を外部に漏らしませんよ誓約書(そんなもんだ)。
特に同業他社には絶対漏らしませんよ誓約書(そうだなあ)。
社内従業員の個人情報も一切漏らしませんよ誓約書(そろそろしつこいな)。
社是に即さない請求を一切行なわないですよ誓約書(ん?)。
一切の賠償請求・告訴はいたしませんよ誓約書(何?)
ネット上で会社批判を書き込んだりもしませんよ誓約書(おいおい)……。

今も存続している会社なのと、辞めたとはいえ守秘義務があるらしいので、
内容に関わる情報をここで出すつもりはないが、
いずれにせよ私は「某喫茶系チェーンの店舗開発課」
というところに配属されたらしい。

数分して突然オフィスに緊張が走った。社長が現れたらしい。
面接官の、ちょいと頼りないあんちゃんの表情も緊迫した。
私がいるパーテーションの外側の、異常に張りつめた空気感が痛いほど伝わってくる。

不意に面接室に社長という男が入ってくる。
鋭い目つき、目の血管が充血し今にも破裂しそうな、
昔の大映あたりの悪役映画俳優風の、いかにもタダモノではない雰囲気の中、
社長は私の履歴書やジョブカードを眺めながら、
私の半生を評論し始めた。

「大学はまあまあのところなのに何故辞めた…?ふーん、もったいねえな…。
 30で課長、33で部長…40で…典型的な零細企業のお山の大将かい。
 ふん…オレに言わせりゃ典型的な負け犬人生だなオマエは…」

「…負け犬ですか…」と重ねると、頼りない面接官のあんちゃんは

「ダメダメ…応対しちゃ」と目で合図した。

「オマエみたいな性根の腐った負け犬野郎はなあ、店舗開発課…
 案外向いてるかもな…まあ頑張りなよ」 

やれやれ、散々な言われようだけれど、
口の悪い奴は案外腹は白いものだ…そう考えると、
あの社長はズバズバ言うけどいい人かも…
勝手にそう思い込むようにしたが、これがまたとんでもなかった。

店舗開発課は面接時とは別のビルで、そこはまあ、
新宿でもとても有名な風俗ビルの最上階にあり、
ビルの前の客引き、ぽん引きを掻き分けて、
やけにピンク色のキンキラした装飾のエレベーターに乗り、最上階に上がる。

初日は始業時間(8時)より早めに来い、と云われたので、
朝6時半に到着すると、既に20名ほどの同課スタッフ(ほぼ全員)は到着していて、
挨拶をしても誰もが忙しそうで、ほとんど無視な状態。

7時半になると朝礼が始まるとのことで、会議室に移ると、
椅子が壁に沿ってコの字型の並べられていて、どうやらその末席に私が着席すると、
社長が例の血走った目で現れ、やはり突然怒鳴りだし、
成績不良な社員の徹底糾弾が始まる。

周りの社員達まで巻き込んで、その成績の上がらない社員を一斉に責め、攻撃する。
責められた社員は立ち上がり、顔面を蒼白にして私のところに来て、
席を替われと云う。
席はどうやらそのまま社内序列となってるらしい。

次々と数人が糾弾され、私のウシロに移動してくる。
ふと気が付くと、私のウシロには5人ほどの先輩社員がいた。
社長が言う

「PIPCOよ、オマエはまだ何もしてないのに、今日からもう主任だよ!
 基本給が2万上がった、はい拍手!」
「パチパチパチ…」
こんな虚しい拍手は初めてだった。

時間は9時を回っていた。2時間にも渡る怒号の大朝礼も終わり、
急ぎ外回りなどにそれぞれが散ってゆく中、私に与えられた初日の研修は、
指定の「同業他店」を3店、自社直営店3店を回り、
各店の席数、客数、店の特徴などをレポートして、夜の会議で発表する、
という任務。計6店とはいえ、全て別の地区で渋谷、新宿は良いが、
その他、柏だの大宮だのの店舗も回らなくてはならない。

「さあ、時間ないよ…夜の会議は20時からだから、
 まあ19時くらいには戻れるように時間配分して…」
50年配の新人教育係にそう促され、慌てて外へ出た。

実は一人歩きでの初日研修…案外楽しいじゃないかあ…と思っていた。
お茶飲んで、席数、客数を数え、年齢層や平均の滞在時間、
設備やメニュー、価格などを確認し、さらに、どうせならと、
立地条件、収益性、接客対応など、気がついたことを次々メモしていった。

19時ぴったりに、帰社した…。
ビル周辺は、朝とは段違いの狂騒を見せている。
結局会議はまたしても社長同席の上、夜9時に始まった。
いきなり私の調査報告から始まり、恐らく予定調和の『質問』が次々に飛び、
報告を終えると、社長は

「PIPCO、明日から4席昇進、係長! 明日もその調子で頑張れ!」

案外良い会社かもしれない….そう自惚れ、思いつつ、
会議が終わったのは23時を過ぎていた…
明日はもうちょい早く出社して、完璧なマッピングをしておけば、
もっと効率的に回れるはずだよ…と、先輩の「課長」が初めてアドバイスしてくれた。
まだスマホはなかったから・・・・。

さて社長の激しいツンデレぶりが発揮される怒濤の2日目は、次回。



ボブ・ディランが来日する。
初来日は何が何だか分らなかった。
あまりに過去とは異なる別の顔の神様がそこにいたような気がした…
と思ったが、今聴くと、思ったほど違ってはいなかった。
我々の側が、神・神と勝手に盛り上がって奉ってしまった結果、
あまりにも現実なイデタチの彼に失望し、戸惑ったのかもしれない。

数年後、奈良・東大寺でやっぱり神様を見た。
最悪にも出演順が日本の某X-ナンチャラとかいう
チャラいバンドの出演直後で、会場もステージも、
ぐちゃぐちゃに散らかされ、キャツらの出番が終わると
潮が引くように一斉に観客も引いてしまったから、
その荒廃しきった惨憺たる場の空気の中、神様は登場した。
我々は神様にとても申し訳ない気持ちになって、
気持よく歌の世界に入り込むことが出来なくなってしまった。
なんともボブディランには借りがある。いつか返さなばと思いつつ
今回も実現しそうにない。

と、いうわけで大好きなRolling Thunder Revueからの
「ブルーにこんがらがって」 カッコ良すぎだぜ!


血の轍血の轍
(2005/09/21)
ボブ・ディラン

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