ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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裏側の素顔?

DSC04723b.jpg
P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9 (L) (1949)

バンドマンを辞め(追い出されて?)、
すぐに私は中堅規模の広告代理店(業界12位くらいと訊いたが、
それがどれほどのものなのかは全然分からない!?)に
アルバイト扱いで働かせてもらえることになった。

輸入薬品(サプリ)の英文仕様書や、広告文の翻訳、
企画書を作成する為の下資料なんかを、
国会図書館なんかに通いつつ、まとめるような
そんな仕事だったと記憶している。

3ヶ月経って、いかにも事務方ひと筋30年!って感じの
人事課長に、「君を正社員に!って押す声も多いのだが、
それは不可能ってこと…君は知ってるよね…」。

「君….大学…卒業できてないものね…」

契約社員とか、非正規雇用的な話を、事務方は私に
長々説明したかと思うのだが、私には全く届かず、
すぐに転職した。

今度は、もっと小さな貿易商社。

伯父の友人が経営してるという…まあ私が最も忌み嫌ってた
「縁故入社」….ということになるようだ。

今にして思えば、入社早々、単なるビギナーズラックで、
先方担当者に気に入られ、当時の当社の規模からすれば、
全売上の5割近くに及ぶ利益が見込める、
あり得ないほど大きな契約が取れてしまう。

そのおかげで、役職や給与体系はヒラのままだが、
20人ほどの社内プロジェクトが編成され、
私は入社早々、名目上は「室長」ということになった。

もちろん配下となったスタっフは、全員先輩方…。
仕事自体はわりと順調だったと思うが、
やはり私に対する「陰口」が次々に聴こえてくる…。

「生意気」「いい気になってる」「そのうち馬脚を現す」
「縁故入社らしい」「特別ボーナスが数百万入ったらしい(嘘)」...

どうやら連夜のノミニケーションにも、
私だけ誘われてないらしいし、
昼食を共にする仲間も居なかった。

元々孤独とか、ボッチっていうのは馴れているから
あまり気にしないようにしていた。

そのうち、新入社員が多数入社してくるようになってきて、
もはや当社の主力となっていた我がプロジェクトにも
多数の新人が流れ込んでくると、私に懐いてくれる有り難い
後輩達も徐々に増え始めると、何となく、あっちとこっちの

派閥争い…が表面化し始める。

あっち側には、私も尊敬していた、元々財閥系大商社出身の
業界の生き字引みたいな人がいて、私は派閥等に臆することなく
彼に教えを乞うたり、海外の事情にも詳しいから、情報を仕入れていたのだが、
ある時からバタッと、私を避け、無視するようになった。
どうしたんだろう?と思ってるうちに事件は起こった。

彼を中心としたあっち側の派閥10数人が、一斉に退職した。
どうやら、独立して会社を興すらしい。

社長は慌てふためき、私に、取引先にもキチンと手を打って
防御しておくようにと釘を刺すが、何となく、あの人なら
そんなことはしないだろう…と思っていた。

彼らは、やはり我々の取引先を脅かすことはなかったが、
新たな顧客(アパレルメーカー)とビジネスを始めたらしい。
と、いうよりも、その新しい顧客が、彼らの独立開業を支援した
張本人で裏の仕掛人ということらしい。

彼らがこちらを脅かしたのは、むしろ商材。
兎に角、徹底的にこちらの人気商品を模倣してくる…。

新人が多い「こちら側スタッフ」は、怒りに震えながら、
商標登録するとか、不正競争防止法で訴えるとか、
真似を辞めさせる方策はないものか!といきり立つのだが、
私は…

「真似されるなんて光栄なことじゃないか。
どんどん真似すればいい。我々はさらにその上を行く高水準の
ヒット作を、今以上に高サイクルで提案、提示してゆくのみ。
自分たちの感覚を信じて、更なる研鑽を怠りなく、努力すべし」

そう宣言したら、元々尊敬していた今や向こう側の
社長となった人物から、すぐに電話が来て、

「聞いたよ(スパイ…やっぱいたのね!)、これまですまなかった…
 そういう顧客のリクエストだったから仕方なかったんだ。
 でも、もうそれはしない...(それよりスパイ、引き取っておくれよ!)」

それ以降、あまりビジネス的にぶつかることはなくなったものの、
残念ながら、向こうも何らかの内紛が勃発し、
離合集散を繰り返した末に……。

そのうちに、私の評価も、「ニッコリ笑って人を斬る」だとか
「あのニコニコ顔の裏はヒトタラシで、とてつもなく冷酷で恐ろしい」
だのと、勝手な憶測が一人歩きするようになった。

なんのことはない…争い事がとっても嫌い…
勝っても負けても闘いはイヤ。

それだけのことなんだけどね。



高校生の頃、友人達と、ガリ版刷りの音楽+カルチャー(?)の
ミニコミ(同人誌?)の発行人をしていた頃、
ちょうど今の私のブログみたいに、適当でいい加減な駄文なのだが、
何故だか地元のラジオ局のDJとか、大学あたりで評判になっていて、
勢いそうした大人達や、バンド関係者なんかに執筆を依頼するようになると、
各レコード会社の仙台支店辺りの目にも留まったらしく、
盛んに洋楽新譜の「サンプル盤」が送られてくるようになっていた。

そんな中で、このパヴロフスドッグの2作目「条件反射」もその一つ
だけど、とても衝撃を受けた1枚として印象深い。
ただ邦題の「条件反射」は、あまりにも「そのまんま」すぎて
センスがヨロシクない。とやると、結構担当ディレクター氏に
そこに触れられては困る….関係者一同皆同じように思っているが、
本社のお偉いさんの御威光だから仕方がない!

いつの時代も忖度はあるようだ。

忖度自体はとるに足らないことだが、その結果が、
酷く醜悪で歪んだ、下手をすれば何人もの自殺者を生むような
そんな事態になり得るから、実に罪深い。
上は、バーベキューでも食いながら、乾杯でもしてれば良いだけ
かもしれないけれど…。

このアルバムには、ビルブラッフォードや、アンディマッケイ、
何故かマイケルブレッカーまで参加して。まあ何だか妙なアルバムだけど、
今では、アメリカンプログレの代表作という評価もあるらしい。
この2ndアルバム、全体的にポップで洗練された仕上がりになってるけれど、
デビューアルバムの方は、もっとハードでドラマチックで刺々しい感じかな?

Pavlov's Dog - She Came Shining


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40年ぶりの職質

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

言い訳ではないが、
めまいで足もとがふらつく状況での撮影…
ピントが何処に来てるのが全然分からない…?



今朝、歯医者に行った帰りにコンビニでコーヒーを買い、
近くの公園のベンチに腰掛けて、それを飲んでいると、
目の前でパトカーが音もなく止まり、
中から胡散臭そうなポリスが2人降りてきた。

何となくネットリしたイヤーな感じの視線と、
険悪な空気が流れる中、だからといって、その場を
そそくさ逃げるような素振りは却って不自然だから、
普通に平静を装い、コーヒーをススっていると…

それは完全に高校生以来の...

「職質」….。

警「旦那さん、ここでなにしてるの?」

私「見ての通り休憩中…」

警「この辺の人?」

私「自宅は2ブロック向こう…充分に近所だろ」

警「免許証…ある?」

私「クルマに乗ってないのに、何故免許証?」

警「旦那さんさあ、考えてもみてよ。わざわざ同行してもらうより、
  ここで素直に、全部終らせた方が得策ってもんじゃないの?」

私「なんだか脅しだな...病院帰りだから保健証なら….」

警「ご協力...感謝します….」

その後は、なにしろ根掘り葉掘り…。

電話番号や家族構成などの情報はもとより、
職業から普段の生活サイクルまで…。
歯医者の帰りだと云うと、
その歯医者まで教えろという…。

世の中、既にこういう仕組みになっているのだろうか?
公園のベンチに座って、のんびりコーヒーも飲めない物騒な監視社会?

これは云ってはならないことかもしれないけれど、
事故で死ぬかも?っていうリスクと引き換えに、
我々は自動車に乗り、飛行機に乗って、快適な生活を
享受しているわけで、ほとんどあるのかないのか分からない
テロリズムを過剰に警戒して、プライバシー全開で、
それが原因の詐欺などのリスクも抱えつつ、
やがて言論の自由も制限され、政府や行政に対する怒りも封殺される…。

街中で煙草を吸う人も居なくなり、駅前の自転車置き場も
撤去され、キチンと地下施設に有料で収納=だから自転車文化は廃れ、
買い物は巨大駐車場のある郊外型大店舗…。

結果、何処の駅前商店街もシャッター街。
わが町なんかは、シャッターすらなくなって、
一等地はすべからく、空き地となって「有料駐車場」…。

世の中の設計図は、確実にボタンを掛け違ってる…いや…
完全に間違ってるように思うのだが…。



ギタリストの松木恒秀さんが亡くなった。

実のところ、自分は達郎さんの音楽が好きだったのか、
松木さんのギターが好きだったのか判然としないのだけれど、
いずれにせよ、ある時期の、彼らの紡ぎだすサウンドは、
常に憧れだったから、音楽仲間と、「なんだこの変なコード?」
「ヘンテコなヴォイシングはいったいどう押えているのだ?」
なんて、わいのわいの言いながらこれを解明し、教え合いながら、
みるみる彼らのサウンドを裸にしていってた学生時代。

やがて、何となくプロっぽい環境が自分に降り掛かり始める頃、
彼らのサウンドは、もはやトレンドの中心となっていて、
「そんな雰囲気を醸し出せつつ、且つ単価の安い若いバンドマン!」
そんなパチもんでバッタもんなミュージシャンが、
ほかの誰あろう、自分たちだったということになる。

もちろん今日のこの曲も、すっかり研究し尽くしつつ、
もう忘れちまったよ…なんていうタイミングで、
例の路チュー少女(当時…今は54らしい!)の仕事で、
突然この曲のざっくりしたスコアが出てくると、
さてさて、自慢じゃあないが譜面に書かれてる以上の、
ほぼ研究し尽くした完成品サウンドをその場で披露するよ!

ちょっとインチキだが、これで信頼を勝ち得た…
なんてこともあるし、ほかの現場でも似たような状況で、
達郎さん系のサウンドは、何処の現場でも大歓迎の様相だったのだ。

そんなわけで、松木さんの最高のサウンドが楽しめる
It's A Poppin Time(ライヴ)版のPaper Dollか、Candyを…と思ったけれど
YouTubeに該当曲なし。いっそ、アップロードしようかとも思ったが、
それもまた何だかなあ…で、この曲…も、普通のテイクがないけれど、
当時は研究用にこれが欲しかった!...っていう、唄なしヴァージョン。

唄はないのに、モノ凄いサウンド…うーん、悪いがこの時代の方が
遥かに凄かったなあ…達郎さんは。

山下達郎 - Love Space (Instrumental)


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歯は大切に

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Carl Zeiss Jena 'Pancolor' 1.8/50 (Early-1970's)

恥を晒すようだが、かつてはウルトラヘビィスモーカーだったし、
歯はもう若いときからダメダメで、40代くらいで、もう、
どれが自分の歯で、どれが差し歯なのか、ほとんど判然と
しないような、そんな悲惨な状態だった。 

それが、ある時、緊急事態で心臓手術を施してもらう
ことになった時に、不安定な差し歯は危険なので一旦抜く!?
そんな段階で、結局前歯の殆どを抜かれてしまった。

入院中に歯を修復してもらえるのかと思ったら、
総合病院なのに歯科はないらしく、退院後...となるのだが、
大きな手術後ということと、麻酔問題等々、
様々なリスクがあるらしく、ナカナカ歯科医が治療を
引き受けてくれないのだ。

そんなわけで、何となく成り行きで、部分入れ歯!
というのが最もリスクが低いというので、
やむなくそれに応じるのだった。

ところが、やはり違和感が酷くて、食事など全く美味くないし、
たまにだけど、熱いお茶やコーヒーが、どこかのスキマから染み込んで、
「あっち、あっちい!!」と、ちょっとしたパニックになったりして
使いにくいったらありはしない。

「そのうち慣れるから!」

と、云われるが、すぐに不快になるから、人に会う以外は
外してしまうから、いつまで経っても慣れることがないまま。

安価な保険の歯じゃなくて、もっといいヤツ作ればいいじゃない?
または、いっそインプラントで埋め込んでロボット化しちゃえば??
なんて言われたりもするが、今や療養中心で仕事もできなくなった
いわば役立たずの身の上で、「高級入れ歯」も「高額インプラント」も
何だか逆にかっこわるいと思ってしまう。

最近はあまり観ないけど、子供のころは、まだ金歯・銀歯の
ご老人がたくさんいて、その美的感覚が全く理解できなかった
のだが、ふとそういう...いっちゃ悪いが、無躾さと云うか、
往生際の悪さみたいな感覚が、自分の中に残ってるような感じ。

まあそんなこんなで、少し以前から、入れ歯がまたフィット
しなくなってしまったので、新しいのを作ろうか?
と、また歯医者に行き始めたのだが、前に作ったときから
数年、さらに抜けたり、折れたりした歯もあって、
その抜け跡の破片なんかを、キチンと処理せねばならない…

ところが、それにはまたリスキーな麻酔を使い、
また常用してる「血液サラサラ剤」等々、
大出血のリスクで、既に何度か通って処置してもらってるのに、

「リスクが高いのでこれ以上、先に進めない…!」

ってなことに、なりつつあるようで、ウーム困ったぞ…
そんな状態なのだ…。

まあ何しろ…歯は大切に…ホントに大事だからね。



例の、本来は華々しい一件以来、何だかボブディランの評判が悪いみたい。

「なんだかコピペしちゃってさ…」みたいな…。

ディランには一番似つかわしくない、あまりにも通俗的すぎる、
嫌な感触は何なのだろうか??

ディランの何を聴いたにしても、これぞディラン!なんてね、
そんな都合の良い曲は存在しない。

いつもカメレオンのように姿カタチを変えながら、

「お前に俺が分かってたまるかよ!」

そんな風に、ホントは笑いを噛み殺しながら
ここは敢えて不機嫌そうにしてるのが、ボブディランというユダヤの男。
そんな気がする。

個人的には、75〜76年頃の、ローリングサンダーレビュー
もしくはハリケーンツアー(同じか?)の頃の、アレンジと云うか
表現方法がとても好きだ。

特にHARD RAINっていうライヴアルバムのトップに入ってたこの曲の
ひしゃげたロックアレンジが好き。

このテイクはHard Rain収録のモノとは、少しだけ異なるけれど、
たぶん、とっても近い日のアレンジ。65年に発表された超名盤の
Bringing It All Back Homeに入ってる、言わばディラン・クラシックだが
ミックロンソンが加わってることもあって、とても素直な、
本当はロックスターになりたかったディランの姿が垣間みれる。

Bob Dylan - Maggie's Farm (1976)


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チキンなオヤジの心配事

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

夜と晴天は、とっても苦手な1937年もののズマール。

「それじゃあ、いったいいつなら使えるんだい?」

「曇りか、順光…あとはもう…グチャグチャかな…」

「じゃあ全然ダメダメじゃん?」

「そのグチャグチャでダメダメが、たまらない魅力じゃんか!!」

「……?」



以前に比べれば、相当改善されてきてはいるけれど、
相変わらず「めまい」は続いている。
それと少し動けば、動悸、息切れ、全身倦怠感も同様に、
多少上向いてるかな? いや、気のせいかな?って程度に、
深刻な状況からは、やや開放され始めているって感じだ。

病院でそうした状況をキチンと説明してるつもりだが、
相変わらず、特段「薬」というのも出てないし、
採血の結果は、「明らかに良好に転じている」というので、
どうも私自身の症状の訴え方が、「大袈裟」だと判定されて
しまってるような、そんなやるせない感じに思われてる
のではないだろうか??

確かにね、不思議に「外来予約」の日に限って、体調は
すこぶる良好だったりしてね、しかも普段、カラダが辛いから、
あまり動かずにいるから、食欲も薄れるから、様々な生活習慣系の
数値も極めて良好…。

こんな調子で、来月始めには、中学の同窓会があるらしい。
まあ、学年全体の同期会になるのかな??

何しろ確か、学年全体で10クラス構成=500人ほどの
生徒がいたから、たぶん半分以上、名前も知らない、全くの他人様
ということになるし、第一、自分を知ってる人、覚えている人なんて、
もはやほとんど存在しなかったりするのではないだろうか??

私は、かつて一度もこのような会に参加したことがない。
コレでも一応、モーレツ社員だったし、故郷を省みてなかった
っていうのも、残念ながら事実でもある。

でもやっぱり、参加してみたい…。
しかし無理をしてヨロヨロと登場しても、

「あの辛気くさいオジサン、だあれ??」

「そんなヤツいたっけな?」

それが何だかとっても怖い。
体調も心配…。

あああ、何だかとても不安になってきたぜ…。
困ったなどうしよう…???



久々にオーリアンズが聴きたいなあ、出来ればぐっと初期のヤツ…
なんて思ったのだが、何と不覚にも初期のCDを私は所有してなかった
ことに気がついた。アナログ時代のLPではもちろん持ってたけれど、
それすらも既に入手困難な時期で、随分捜して確か中古盤を、
それなりのプレミア価格で購入したように記憶している。

で、早速Amazonで検索したら、1stアルバムが4000円代で残2枚…
2作目は、公認・非公認問わず(2種類ある)取り扱いなし(たぶん未CD化?)…。

ちなみに上京したての頃、東京中の輸入盤屋+中古盤屋を
くまなく歩いて捜しても見つからなかったジョンホールの
幻の1stソロアルバム(Action)が、現代のAmazonでは
普通に1286円…!こりゃあ大変だ!

昔、どの店で尋ねてみても…

「ジョンホール?あんたそれ…ダリルホールとジョンオーツの
 間違いだろ、ハハハ(店員一同嘲笑)」

そんな感じ。東京の輸入盤屋さんの知識も、案外-----??
なんて思ったものだ。

うーむ…どうしたものか…絶対買っておいて損はないけれど…。

そう言うわけで、取りあえず、もはや何処でも絶対に手に入る
そこそこヒットしたオーリアンズのこのアルバムから、
やっぱり中ヒットしたこの曲を派手にかましてみますかね。

この曲で、ジョンホールとラリーホッペンが弾いてる
華やかなツインリードギターを聴いて衝撃を受けたドンフェルダーは、
ヒマそうな先輩ジョーウォルシュを正式にバンドに引き入れ、
あの有名なツインリードギター曲….が生まれたのだそうだ。
好きじゃないけどね。ジェスロタルの盗作だし(We used to know)….。

全く蛇足だけれど、私が大昔に、専任ギター弾きとして
担当してたタレントの持ち唄に、ツインリードの曲があって、
頼りになる相棒ギタリストがバンドにいる場合は良いのだが、
ギターが自分一人だったり、もう一人が非力だったりすると、
自分一人でツインリードってことになって、
ナカナカのハーモナイズ技術を要するのだが、結果はいつも
「無理がある…」って、酷評だった気がする。

ちなみにその時、17歳だったタレント当人は、近頃、
超有名バイオリ二ストと、54歳…路チュー不倫、謎の天才歌手などとして、
世間をチョイと騒がせたりして、ちょっとびっくり…。

取りあえず、「全然成長してないでやんの」
...って云っておく。

Orleans - Still The One


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清貧のすゝめ

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

鮪...解体ショー…買いたいショー…食いたいショー??



今の学生さんの事情は良く分からないが、
我々の時代の地方出身者(イナカモノ)の
都会での住環境…

その選択肢は大学毎のオンボロ学生寮か、
オンボロ四畳半アパート(勿論、流し・トイレ共同、風呂なし)
或いは友人の中には、窓のない、本来は布団部屋みたいな
三畳一間住まいも居たし、部屋だか縁側だか良く分からないが
一応2食付きの下宿生活?なヤツもいた。

さらには20畳くらいの大部屋を、パーテーションもなく
10数人でシェアする、ほとんど刑務所状態(?)なアパートもあった。
万年床と、枕元に置いた3段くらいのカラーボックスと、
大きなボストンバッグ一個が、いわば占有スペース…。

しかし、その住人に言わせれば…
「たまに布団を畳むだろ、するとそこに広がる無限のスペース…」

個人的に、幸福の概念が大きく広がった瞬間かも?

女子学生の場合のみ、親類の家…って言うのもあるし
奇麗な学生寮!?というのもあるようだが、
勿論そんな秘密の花園に、私は侵入したことなどない。

ちなみに私は、結局「すべりどめ校!」に、
まさに最期の最後に滑り込んだから、入寮手続きなど
とっくに〆切られてしまった後…。

結果、老朽化で解体するぞ!っていう、もはや
キノコが生えそうなオンボロ中のオンボロ木造アパートに、
わざわざ解体を1年間延期してもらって、
無理矢理入居させてもらった、西日のきつい
家賃9千円也の四畳半一間。

いずれにせよ、当時は、実家がお金持だろうが、貧乏だろうが、
(我が家は完全に後者だが…)皆一様に、学生時代は
オンボロ住処…って言うのが、どういうわけか
心情というか世の規範として、共通していたと思う。

まだワンルームマンションなど少なかったし、
そんなブルジョワジーな生活形態を、

学生の本懐にあらず!

そんな「清貧思想」が、風潮として、
日本人全体の道徳としてあり続けたと思う。

学生時代の同級生に、今も現役最長老な
代議士の息子がいた。勿論、正式な嫡子ではない。

毎月、父の事務所から15万円、母親から5万円の
仕送りがあると云う。

当時の月20万円という額は、
学生として普通に仕送りを得つつ、
さらにアルバイトに精出したにしても、とてもじゃあないが
稼ぎだすことなど到底出来ない、
そんな途方もない金額である。

しかしそんなブルジョワな彼でも、マンションに住むには至らず、
風呂なし6畳一間=15000円/月に住んでいたのだが
やがて、彼はそこで恋人と同棲を始めた。

アパートの大家さんは、そんな状態を知ると、
「二人で住むなら家賃も二人分で3万円支払え!」
と宣告したらしい。

家賃3万円なら、当時でも、もうちょいマシな
部屋が借りられただろうと思うのだが、
「清貧生活」は当時、最大の美徳だし、
本人は勿論、たぶん親達も、そんな清貧環境(?)に耐え抜く
我が子の姿こそ、学生の本懐である!というのが、
或る意味、裏返しの「世間体」であり、「誇り」で
あったような、そんな時代。

お金持ちだし、父親はコンサバティヴの象徴/権化
みたいな政治家なのだから、高級マンションに住んで、
学生ながらスポーツカーでも乗り回す生活でも、
「何が悪い!?」っていう開き直りも通用したと思うのだが
「清貧思想が学生の本懐」が、そんなに大事…?

何か喉元で引っかかって、すとんと腑に落ちない、
妙な論理であるけれど、きっと世の中そんなものなのだろう。

東京っていう大都会は、不合理も非合理も、
鬼も蛇も呉越同舟の魔界なのだろう…

いずれにせよ、貧乏人の凡人には
とうてい理解できない世界…。

なんて思ってた自分だったけれど、そんな自分は
何とか「極貧生活」から逃れたい!と必死だったが、
もがけばもがくほど、極貧蟻地獄から抜け出すことが出来ないでいた。

力を抜いて、ちょっとしたコダワリの一つ二つを捨て去れば、
意外に簡単に抜け出せてしまえるんだけどね…。

コレがナカナカ…捨てられないんだよね。



Steely Danというロックバンド(!)の存在は知っていたし、
何曲かは既に聴いてもいたと思うけれど、本格的に
聴きだしたのは高校生の時、ロックのうるさ方連中の間で
相当流行った「リキの電話番号」が入ったアルバム
「さわやか革命(Pretzel Logic)」から。

途中、ドラムの音はもちろん、コードワークや、
ミュージシャンのあり方まで変えてしまった、
偉大すぎる作品を残したバンドであった時期も含めて、
最近もちょろちょろ活動を続けているけれど、オバカな私は
未だにちょろちょろ&へろへろ(!)

「おっ…オッサン方、今度またなにをやらかそうってんだい?」
と、興味を持って聴いてしまう、そんな存在がスティーリーダン。

思えば、AJAっていうのとGAUCHOなんて、もうどれだけ
研究して、学び、流用したかなんて、個人的にその影響は
計り知れないほど大きいけれど、彼らも(自分も)歳をとって、
徐々にポンコツオヤジになって、さすがに演奏もよれよれに
なっちゃってるけど、それでもやっぱり…かつての師…みたいな
特別な存在はやっぱり一生消えないみたいで、
どんなによれててもいいから、最期はどこか小さな…
商店街のがらがらぽん福引き大会の脇の特設ステージみたいな
そんなところで構わないから(?)、
また観て(聴いて)みたいグループだな…。

しかしね、その前人未到な黄金時代が仮にこなくても、
もしかしたらドゥービーブラザーズにメンバーをことごとく
引き抜かれて、実質、吸収合併されてバンドは滅びても
(半分本当!)、

デビューアルバムに、こんな素敵な曲を残していたグループ…
とはいえね…結局「リキ〜」がなければ、
自分だって気付かなかったくせにね…?

そう言うわけで、ヴォーカリストは初期メンバーのデヴィッドパーマー。
うーん…名曲!。

Steely Dan = Dirty Work
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スクーター時代…終了?

DSC09981あ
Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

なんか光が足らんなあ…?と思ってたら、
もう夕方の6時半を回っていた。
知らぬ間にずいぶんと日が長くなったものだぜ…。



とっても恥ずかしい話かもしれないけれど、
私が原付バイクっていうのにハマったのは、
もうそろそろ30歳にもなるぞお…って…
いい加減オッサンになってから。

だから、スピード違反なんかで
白バイに追いかけられるときなんかも…

「旦那さーん、もう、いい歳なんだからさあ、
 もうちょい安全運転でいきましょうやあ…」

とはいえ、今のカメラ同様に古いもの好きなもので、
MAXでも50km/hくらいしか出ないバイクだから、
同じ排気量な原チャリにもバンバン抜かれる…。

今、抜いてった奴らを捕まえればいいのに…
って思うけれど、白バイにも色々事情があるらしい..?。
どうも、私のちゃらけたバイクに原因があるみたいだ。

たぶん世間じゃあ16歳くらいで免許証を取得して、
ポマードべったりでリーゼント頭を撫付けながら、
「ロックンロールだぜっベイベ!」なんてほざくんだろうが、
自分は一切興味なし。

高校には真冬の雪道以外は、ひーひー言いながら、
5段変速のチャリンコ通学…。

それが、30歳を前にして急にハマるのだから、
世の中分からない。

結構、程度のいい中古四輪車が楽に買える値段の
ヴィンテージVespaスクーター…。

Vespaとくれば、いきなり憧れのモッズ・ファッション。

三つボタンのスーツ(当然サイドベンツ!)に
カーキ色のM-51コート(またはダッフルコート)。
夏場はフレッドペリーのポロシャツ。
ヘルメットはPOLO仕様の、耐久性よりもオサレ優先。

いやはや愉しかったな。
白バイ君には睨まれたみたいだけど…。
アイツラきっとロッカーズだな(後に記載)。

しかし…結局、まあまあ大きな衝突事故を
立て続けに2回も起こしてしまうと、
こりゃあ自分にバイクは向いてないかも…
命あるうちに辞めた方がいいのかなあ…って
思うにいたり、やがて子供の保育園の送り迎え等々から
おとなしく四輪に乗り換えかなあ….ってことで、
バイクは断念することにした。

未だにそれがちょっと心残りで、
四輪車には今もって全く興味は持てないけれど、
原チャリ…いや…Vespaスクーターがあったら、
ちょっと便利かなあ…なんて思ったりする。

ところが、今や50cc原付バイクは、とてつもなく不人気
だそうで、メーカーも生産中止寸前という時代らしい。

単なるエンジン付き自転車の扱いで、かつては何処にでも
止められたのだが、近年、交通法規が変わり、
真っ当な「駐車違反切符」を切られるようになって、
東京では100万台の登録数のところ、年間原チャリ駐禁検挙数が
100万件(!)っていう異常さが、原チャリライダーの不興を買い、
バイクそのものに対して厭世的になった…
というのが、実情らしい。

実際に駐禁もさることながら、東京の道路なんかは、
本来自転車や、原チャリが走るべきレーンが路上駐車の
四輪車に邪魔されて、自転車なら一旦歩道に待避も出来るが
原チャリは、やむおえず、危険で、四輪車にはとても邪魔臭い、
真ん中の車線を走らねばならなかったりで、不憫なこと
極まりなかったりする…。

何となく、俺たち原チャリ族は阻害されてるなあ、
邪魔にされてるな..警察も原チャリ軍団には
とっても冷たくて、捕まえやすいところで、頻繁に捕っては、
罰金額も半端じゃない。

やっぱり、遅かれ早かれ、バイク辞めるのは、
必然だったかなあと思うが、今、何となく故郷の
スッカスカの道を、自転車で流しているとね…
ああ、スクーターだったら、気持ちいいだろうなあ…
なんて思うのだ。
思うだけだが…。



モッズといえば、映画「さらば青春の光(Quadrophenia)」を
今更取り上げるまでもなくThe Whoの存在はとても大きいけれど、
それらしい曲と云うと、実はナカナカ思いつかない。

実際には英国におけるR&B愛好者の集まり…というのも、
少し本質と離れてしまうようだ…。

映画の方は、結局は対立するもう一極「ロッカーズ」との抗争も
描かれるが、それも何だか本質とは違う。

ちなみにモッズはVespaスクーターに、細身のダークスーツに
細ネクタイ、或いはミリタリーパーカー。
それに米軍横流し(?)のアーミーコート(M-51)が基本スタイル。
イメージだけかもしれないが、マッシュルームカットと云うか、
早い話がオカッパアタマ!?

対してロッカーズは日本製KAWASAKIバイクにリーゼント、
黒ずくめの革ジャンスーツに白マフラーっていう出で立ちで、
かなり好戦的。

まあ、我々の周辺でも、似たような集団と対立はあったのかな?
自分はその中には組しなかったけど…。

それはともかく、名作「Who's Next」に入ってた大好きな曲。
オリジナルかどうか分からないけど、マーヴィン・ゲイがその昔
ヒットさせているが、Small FacesとかMODS周辺連中の
愛唱歌でもあったらしい。

The Who - Baby Don't You Do It


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裏道人生?

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Jupiter-9 8.5cm/2 (L) (1957)

今年は体調悪くて行けなかった
「秋田美人」の撮影会!。
今年も参加しかったなあ…。



若い頃の自分にとって「レコード会社社員」という
立場の方々は、バンドマンやアーティスト以上に
憧れの存在!

実際にライヴ会場やスタジオ等の現場に、
場違いなスーツ姿でぞろぞろと、
大名行列的に現れては、もはや誰が誰とも
分かりゃあしないのに、大量に「名刺」を配られては、
バンドマンとして...

「あっ、ども…よろしく….はあ…」と、

オイラ、とるに足らぬ河原乞食の楽隊屋やけん、
コミュニケーション能力おまへんがな…
そんなペラペラ流暢にしゃべれまへん...
東京に実家ないし、平民やから
縁故も全然おまへんねん…。

そんな風にコンプレックス全開の
卑屈な気持ちになりがちだったなあと思う。

それでも、ある時から突如行動を共にすることになった
同じタレントのレコード会社側の宣伝担当ディレクターの
G氏とは、何となく凸凹コンビ珍道中という感じで、
立場も仕事内容も異なるけれど、共に愉しく
お揃いのレコード会社名入りのウレシハズカシ、
ピンクのスタジャンを着て、地方行脚の日々を過ごしていた。
(私はその姿のままステージに立ってたりする!)

G氏は、確か自分より5つくらい歳上で、当時はまだ
市ヶ谷にある巨大レコード会社のヒラの宣伝マン。

名字からして、貴族と云うか、公家と言うのか、
立派な家柄の出自を推察できるのだが、
それに対して本人は何も語らないが、某有名
作曲家の甥だという話を、誰かから聞いた。

たぶん「縁故入社」と思われるのが心外だったんじゃ
ないだろうか…他に様々な縁故入社の奴らを知っているが
彼からは、奴らと違う気骨というか、
芯の強さみたいなものを感じていた。

彼とは、私が「業界」を離れた後も、何となく、
ウマがあったか、しばらく遊び仲間であり続けたが、
途中から、むしろ私個人より、家族的な付き合いに
シフトしていったのだが、そうなると、ほどなく
彼ら夫婦が離婚してしまうと、何となく気まずい感じのまま
徐々に疎遠になってしまった….。

やがて彼は、ロンドン、ニューヨーク赴任などキャリアを積み上げ、
将来の経営陣…という噂も、漏れ伝わるようになっていた。

一方、私は、たぶん学校を中座した時点、いや、
入る学校を間違えた時点で、世の中の裏街道…
とは言い過ぎだが、何となく、大通りから1本...
いや2本入った薄暗い裏通りの小路の端っこを
背中を丸めて歩くような人生だが、
彼は、陽のあたる大通りを、堂々と胸を張って歩く人生…

まあその頃はもう、羨ましいとか全然思わなくなっていて、
自分の運命を受け入れて生きるしかないって、開き直ってたかな。

彼がロンドン、NYと華々しく渡る間、
私はひっそり東南アジアだの中東だの、南米の密林だの、
陰気な東欧諸国なんかの、まさに大商社が障りもしない
スキマを見つけては、チョコマカと掘り返すような
そんな人生だったなあと思う。

バブル景気が一段落した頃、彼は、系列会社の新潟のリゾートホテル
支配人になっていた。

招待するから遊びに来い!と言われ、スキーもしないのに、
冬場のカキイレ時に会いに行ってみると、彼は相当に荒んでいて

「俺はもう駄目だ、ご覧の通り無惨な左遷だよ…
 今まで会社に精一杯尽くしたのに…家庭までも壊して、なにやってんだ俺...」

いろいろ元気づけようとしたけれど、彼の落胆は相当深いもので、
自分ではどうにもならず、思いあまって、家人経由で
彼の元嫁に連絡して、彼の窮状を話すと、すぐ翌日に
彼女は新潟のスキーリゾートまでやってきてくれた。

その後は分からない…ただ彼からは

「悪かったな。もう落ち着いたから、サンキューな...」

いずれにせよ、彼は会社を辞めた….ということだけ伝わってきた。
そしてそのまま…10数年、音信不通だったと思う。

今度は、自分の方もおかしくなってきて、
40を過ぎて、人生流転を余儀なくされる。

しかし実に意外なところで彼と再会する。

故郷の幼馴染みがオヤジバンドを組んでいることは
知っていた。やがて彼らは、コンテストを勝ち抜き
東北代表として、東京での決勝大会に出場が決まったから、
オマエも応援に来い!ということになっていた。

正直、当時の自分は、普通に仕事をしていたけれど、
体調がすこぶる悪くて、苦しんでいた頃…。

今よりも酷いめまいにも苦しんでいたけれど、
ここはやはり出動せねばならぬ!と、家人に腕を
がっちりブロックしてもらって、恵比寿の会場に辿り着いた。

会場のロビーで、何気なくその大会のポスターなど眺めていたら、
家人が「あっ…!」っと、声を上げた。

コンテストの審査員長が、G氏だったのである。

どうやら元の会社系列の音楽専門ケーブルテレビ局の社長
…っていう肩書らしい。会社は辞めてなかったんだあ!

彼も忙しいだろうし、そして私の具合も良くなかったりして、
その時は挨拶以上の旧交を温めるに至らなかったが、
また新しい人生の展開が…と思ったのだが…

私は容態が急変して、すぐ翌日に入院…緊急手術…
仕事も続行不能…治療に専念する為と、
家族の負担にならぬよう、一人故郷へ…
と、全く思い描いたのとは違う人生展開となってしまった。

それでも、そのオヤジバンドの面々も含め、
故郷の仲間達は暖かかった。

相当に体調も回復して元気な時期もあったけれど、
近頃はまた良くない…。

どうなるんだろ…私の裏道人生…
いやいや、奥の細道は…。



小学校の何年生かの頃に「卒業」って映画が大ヒットして、
観に行きたかったけれど、子供が観るような映画じゃない!
って駄目出しを食らい、その代わりに「猿の惑星」を観に行ったって、
そんな妙な記憶がある。

「卒業」は、その挿入歌の大部分を唄っていた
サイモンとガーファンクルなる2人組の評判が、
我が小学校にも鳴り響いてきて、
その魅力的な音楽に、主に女子小学生中心に流行していた。

ただし私は、どうにもS&Gは暗くていかんと…。

とくにガーファンクルというくせ毛のあんちゃんの
蚊の鳴くような(?)か細い声がお気に召さない!
ということになって、いつの間にかアンチS&Gの代表格となって、
やっぱりロックやで、ビートルズやで、エアプレーンやで、
ヴァニラファッジやで…ジャンピングジャックフラッシュで、
ヘイ柔道や(?)、レヴォリューションやあ….
と盛んに気勢を上げていたように思う。

そんな時に、当時大学でゲバやってた叔父が、私の家に
「ブックエンド」っていうS&Gのアルバムを持ち込んできた。
「ふん、S&Gじゃねーか…」とちょっと馬鹿にしてたんだが、
聴いてみると、ある曲に不意にビビビビビビ….と強烈な
衝撃をうける。それが、「アメリカ」って曲。

まだその時は「アメリカ」もシングルに切られることもなく、
LPの中の1曲に過ぎなかったのだが、俄然この歌が気に入って、
英語もろくすっぽ分からないのに、音だけで何となく口ずさんでた。

♫おーかーむ、つるくふぉーらめーりかあ...

なんとなく、当時流行ってたロードムービー風な
淡々とした雰囲気がとっても気に入って、、じゃあ、S&G、
気持ちを入れ替えていろいろ聴いてみよう!と、なるのだが、
何と、気に入った曲はこの「アメリカ」1曲のみ…。

その後も、明日に橋を掛けたり、コンドルを飛ばしたりと
いろいろあったけど、やっぱり苦手….。

やがてS&Gは解散。しばらく存在を忘れていたら、
突然、ポールサイモンがソロアルバム発表…
ラジオからきこえてきたこの歌の、突き抜けたような
明るさに、私は大興奮。

なんだこれ!?すっげえウキウキする!

ラジオDJは、これがジャマイカのレガエ(?)って
リズムを取り入れたものだよって、解説してた。
レガエって、以前にどこかでに聴いたことあるぞ…
そうだビートルズ、オブラディオブラダ…そう言えば、
跳ねた感じが良く似ている。ところでジャマイカって何処?

そんな感じで、レガエはすぐにレゲエって少々汚い
言葉に改まってしまったが、このアルバム…実は未だに好き。

S&Gは暗くて苦手だったけど、ポールサイモン個人には
俄然注目!そんな阿呆な中坊でありましたとさ…。

というわけで「喝采」じゃなくて…「母と子の絆」

Paul Simon - Mother And Child Reunion


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念じれば治る薬...

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

駅前にほど近い場所だが、昔っから、
とてもぼんやりと樟んだ感じの、サエないストリート。
しかしやっと、個人的に知ってる限りでは半世紀以上ぶりに、
この通りも、大幅に再開発されるらしい。

駐留米軍司令部→防衛庁本庁舎→ホテル、美術館、
130に及ぶショップ&レストラン、住居、オフィス、
病院、緑地公園などからなる複合施設=東京ミッドタウン。

まあ、そこまでは、望むべくもないけれど…
放送局新社屋を主軸としつつも、いい感じの「賑わいある街」を
是非作って欲しいなあと思う。

ちなみに、この土地を、持ち主のJRが立ち退き(高層ビルに機能集約)、
跡地を地元活性化の為に謙譲したいと発表した際に、
私は、地元の知り合いに、個人的に「何を作れば一番有益か?」と、
意見を求めたところ、行政に関わる数人が、口を揃えてこう云った…。

「そうさなあ…あそこなら、良い駐車場が出来るべな...」

当分発展しないな、この街は…と哀しくなった。



目眩いが全然止まらない…

既に持病と云えば持病だが、これほど酷いのは
久しぶり…(最悪の状態ではない…)。

この状態で病院に行っても、何となく医師の対応は
「はあ~…目眩いですかあ…」と、何となく鈍い…
というか、「めんどくせーなあ….」的な反応が見て取れるのだ。

勿論、思い過ごしだろうとは思う...。

先生は先生で、必死に「ウーム、何が原因なんだろうか?」
と、当方の病歴や、処方中の薬なんかを精査しながら
原因を必死に捜ってくれているのだろう…きっとそうだと思う。

しかしやっぱり、対応はどうも皆が皆、共通していて、
PC上の電子カルテから目を離さないまま...

医「めまい、めまいねえ…うーん、どういうめまいですか?」

私「どういうって言われても、めまいは、いわゆるその
 目がまわるっていうか…」

医「グルグルですか?それともクラクラ?」

私「いつもそう言われますが、その概念が良く分からないです…」

医「うーん??」

私「強いて言えば、バットに額くっつけて10回まわれ!って
 子供のときやるじゃあないすか…それで、まあ10回はまわらないまでも
 たぶん3回まわったくらいの、緩やかな感じのグルグル感でもって
 足もとがふらつくんです…分かりにくいですか?」

医「いや、良く分かりました…そりゃあ大変ですね…
 ところで...耳鼻科はもう行かれましたか?」

私「以前もそういわれて受診しましたが、検査は異常なしって..」

医「なるほど…」

私「はあ…」

医「……….」

私「良いお薬とかがあるのなら…お願いしたいかなあ…っと…」

医「ああ、出しますよ、そりゃあね、出しますからご安心ください」

私「安心しました。ただね、Mっていうお薬をね、
  何処の病院でも、だいたいいただくんですけどね、
  何か月服用しても、効いた試しがなくってね…」

医「えっ…全然?」

私「はい、全然」

医「そ、そう…ですか…」

私「神経はそう簡単に復活するものではないのだ!
  って、先生に怒られたこともあります」

医「まあ、その通りなんですけどね、そこで医師が
  キレても、全然意味ないですよね」

私「きっと、強い薬もあるんでしょうが、あなたの場合は
  臓器へのリスクがあり得るので処方できないんですよ…
  って、はっきり言ってもらったりすれば、
  素直に了解なんですけどね」

医「何だ、ご存知なんじゃないですか!」

私「でも、どなたもそう言ってはくれません...」

医「医師にもプライドありますから...」

私「要らないですよね。そんなもの…」

医「私もそう思います」

私「……で、どうなんですか、お薬…?」

医「Mを…もう1回試してみませんか….?

私「M...っすかあ…」

医「結局は、今回、再発するわけですから、完治は望めないですけど
  この何年かは、大丈夫だったんですよね….その間、
  しっかり薬が効いてたってことでもあるわけですよねえ...
  そうお考えいただけませんでしょうかね?」

私「理解はできますよ」

医「じゃあ、そういうことで…全然効かないようなら
  またお越し下さい」

私「……」

既にもう2か月ほど飲み続けているけれど、一向に…である。

いつも「頼むから効いてくれ!」って強く念じつつ、
気合いを入れて服用してるんだけどね…

うーむ、どうしたもんじゃろうのう…。



グレッグ・オールマンが亡くなったらしい。

度重なる不衛生環境下での刺青彫りによる感染症から
C型肝炎発症。さらには肝臓がんが発見され、肝臓移植。
しかし、以後も臓器の度重なる移植の果ての死…。

病気の程度こそ、大きく違うけれど、同じように
病人としては、一番避けたいオンボロ&ポンコツ死
それに相違ない。

生体肝移植に掛かるコストやモラルも、正直
見習いたくはない。

そういうわけで、中学の修学旅行(北海道)で、観光バスの中も
札幌から函館に向かう夜行列車、まだ鋭意活動中だった
青函連絡船の中でも、邪魔臭い巨大ヘッドホンでもって
一人盛り上がってた、大好きな「Mountain Jam」でも…
と思ったけれど、何だかね、死に様がかなりゲンナリで中止。
まあ、とっても長いしねえ…。

あっ、グレッグに一応…合掌。

高校生の頃は、学校は違うのに、なぜか同じ歳のギター弾きとして、
たぶんお互い意識しあっていたY君が、オールマンズ系の
ギターが無茶苦茶上手で、こりゃあちょっと太刀打ちできないなあと、
それが原因のすべてとは言わないけれど、自分は、
何となく王道から外した感のある音楽と云うか、
アブノーマル?な方向性が染み付いてしまった。

オールマンズよりデッドやザッパ…ってな感じの
ひねくれ野郎の一丁上がり!となってしまうのだった。

そんなわけで、石川は小松の、グレートフルデッドくりソツバンド
いやいやリスペクトのバンド=「めんたんぴん」に、
結構入れ込んでみた自分でもあったりするのだが、そのせいで
高2の後半位から、ゼッペだパーポーだっていう高校生標準な
ロックバンドの枠じゃあ完全に物足りなくなってしまって、
気がつけば、同世代の音楽仲間は皆無…。

必然として大学生のコミューンに、徐々に没入して行くのだった。

めんたんぴん メキシコの山


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塩分は一日6gまで...

DSC02370b.jpg
Yashica/Tomioka Auto Yashinon DS-M 1.7/50(1974)

焦げたきりたんぽは、鍋ではなくて、
味噌かなにかを付けて食すのかな??

郷土の名物だけど、実は良く知らないんだね…
年に一度くらいしか食べないし、
まして味噌付けたんぽ(?)なんて
この世に生をうけて以来、1〜2度くらいしか
食したことがないのだから…。

まあ、自分の故郷をね、
ここで大いに自慢したいところなれど…

ガン死亡率ワースト1
自殺率ワースト1
婚姻率ワースト1
出生率ワースト1
人口減少率ワースト1

これがわが愛する故郷の
偽らざる実態…。

他にもワーストは数多あるけれど、
気が滅入るだけなので、この辺で止めておく….。

とはいえだ、旨いものは旨いに違いなく、
東京にいる間も、毎年、寒い時期になると
実家から送られてくるきりたんぽ鍋セット…は
年に一度のお楽しみ行事!

しかし、九州生まれの家人は、その魚醤ベースのタレの
あまりの塩辛さに閉口し、「これはからだに悪い!」と、
どうやら3倍に薄めたものを使っていたらしい。

さらに、この鍋料理の味の最大の決め手は
普通は切って捨てる「芹」の根の部分を
大量に投入しての「ニガミ&エグミ」なのだが、
私自体がそのことを忘れていた為に
家人は知らずに、根の部分は当然、廃棄処分….。

何だか物足りないなあ、こんなもんだっけ、きりたんぽって?

ところが、それはそれで何十年も続いてしまうと、
それがスタンダードになって、旨いと思うようになるから
我ながらそのおかしな順応力が情けない。

35年ぶりに帰郷した折、久しぶりの本場きりたんぽ…
ところが、あまりにも塩辛くて、にがくて、
芹の根っこの、エグい、土そのものの味が強烈すぎて、
懐かしさがありながらも
ほとんど食べれなかったりした。

ちなみに家人は、タラコは必ず焼きめを入れて塩分を飛ばす。
筋子は、必ず水で洗い、ホグして酒を加え、
柚子を添えてイクラ状態にする…。

そのくせ、自分の故郷の名物「辛子明太子」は
辛っらいヤツを旨い旨と云って、ニコニコ顔で食す。

秋田名物「いぶりがっこ…」も、
やはり水で揉んで塩分を薄める…。

辛いはOKだが、塩っぱいはNG…
それが西日本の哲学らしく、医学的にもこれは大正解。

しかし東北人にはナカナカそれが容認できない。
容認できないのだが、これもいつの間にか慣らされる。

色も味も極めて淡白だが、濃厚な出汁の風味が
最高に旨いと思うようになる…。

すっかり薄味で、健康になったか!とおもったら、
いろいろあって、故郷へ…

当初こそ塩辛くて口に全然合わないのだが、
これまた悲しいかな、この悪しき文化に
まんまと慣らされる自分…。

病状は確実に…
ああ、ヤバいヤバい。



大昔、色々経緯あって、スクールバンドのジョン山崎さんと、
スタジオで仕事をしたことがある…。
どなたのセッションだったかは勿論覚えてない。

私は少々緊張気味で「あの…私、スクールバンドの大ファンでした!」

なんて、JKみたいにコチコチになって話しかけると、

「あれ...もう解散しちゃったよ〜。何なら一緒に再結成するかい?」

なんてジョークを言うのだが、私はさらに上気して、

「そんなあ、滅相もないですよ…」なんて...言ってしまった。

ああ、なぜ、冗談でもおふざけでも「是非一緒にやりましょう!」
って言えなかったんだろう!ってね…
あとで、すごく後悔したのを覚えてる。

ちなみにこの曲が収録されている、
ティン・パン・アレイ/キャラメルママの
最初のオムニバスアルバム…。

自分は高校生の頃だったかなあと思うけれど、
なにしろとにかく驚いた…。何がって…もう全部!。

いわゆるキャラメルのお歴々以外にも、世の中には
凄いミュージシャンがゴロゴロといるんだなあ…
敵わんなあ…と、北の果ての、鉛色の空でお馴染みの
故郷秋田で、「でもオラア、東京さ行くダ!」なんて
密かに闘志を燃やしていたかもしれない…。

もちろん、希望通りになれるとも思ってなかったけれど、
この時もある意味、とても「近づいた瞬間」だったのかもしれない。

ジョン山崎&スクールバンド - She's Gone


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