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ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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悲しい空やねん

DSC08933あ
Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

自殺者率日本ワーストの….悲しい空やねん?。

以前もここでお話ししたことだけれど、
もうかなり昔、人生観を変えるくらいの痛い目に
私は遭ったことがある。

ちょうど年号が変わろうかという頃、当社営業部にも
遅ればせながら「ファクシミリ」という文明の利器が
やっと導入されると、いきなりカタカタと見慣れない
会社名とともに、自称「総合商社」さんから
取引願いのアポイントが入ったのだ。

ほほう….ファクシミリを設置するだけで、どんどん仕事が
舞い込んでくるのかあ?世の中、凄いことになったなあ…。

誰かがそんなことを云った。まんざら冗談とも言い切れないなあと
その場にいた誰もが思ったはずだ。

岐阜で見事すぎる取り込み詐欺に遭った詳しい経緯は、
以前もここでしているから、今回、その詳細は
書かないけれど、実は貸しビルなのに自社ビルと偽り、
そこで働く規律正しい若くて清々しい、胸にしっかり社名が
刺繍された作業服を着て、品出しをしている作業員たち。

初対面の私に、一斉に「いらっしゃいませこんにちは」と
挨拶する事務員たち。気さくな専務…ちょっと陰気な老人の社長…
それらすべてがエキストラのアルバイト俳優だったのだ。

メインバンクは何故か遠い「可児」というところの信用組合で
そこの担当者も結局は詐欺グループの一味。
事件発覚後行方不明。

どう見ても怪しげな約束手形を渡されたから、我々も
我々の側のメインバンクも、当然、民間調査会社も、
何度もこの金融機関の担当者に連絡を取り、
当該企業の財務内容を確認していたが、
解答は必ず「無借金経営の超健全企業」…?。

まさか行員もグルとは…であったのだ。

実際のネゴシエーションに置いても、実はおかしいな、変だ、
妙だ、怪しい...何度もそう思って引き返そうとしたのだが、
こちらがそうした疑念を抱くと、まるで先回りしたように、
当方に俄然有利な条件のビジネス話を仕掛けて来る。

「お宅の倉庫のほら、なんだか余ってそうな品物、あれ
当社で売ってしまいましょうか?全部送ってください。
500万までだったら、キャッシュですぐにお支払いしますから….」

やっぱ、上客かも…あの厄介なデッドストックを買ってくれるんだから??

あるとき、通常ビジネスとは別に「東京の宝石商」を紹介してくれ
といわれた。関西業者のダイヤモンドを大量購入しているけれど、
やはり良いものは殆ど東京にあるから、都内業者を紹介して欲しい…

当然、怪しい…これは怪しすぎる!と身構えるのだが、
相手はそれをあざ笑うかのように、

「勿論モノがモノだから、ダイヤとか金塊は現金と同じだから
取引はすべてキャッシュベース!だから迷惑をかけることは
絶対にあり得ない上に、仕入れ代金の5%を貴社にキックバックでどう!?」

その結果は、紹介した宝石商と詐欺グループは、私(弊社)には
内緒で1回遅れ払いの「信用取り引き」をしていた(あいつのところに
中間マージンを5%も搾取されるから困っている?って言ったらしい!)。

これが詐欺と解った瞬間、宝石商は突然私のところに請求書を
廻してきた。

自分の会社の負債額は、自分の貯金から会社に無利息で
貸し付けることにした。不渡り手形を買い戻す為だ
(最終的に50%も回収できなかったが…)。

そしてさらに宝石商から7百万ほど請求されるのだが、元々
キャッシュベースを信用取り引きに変えたのはそちらではないかと
争ったが、それでも4百万ほどは払わねばならぬことになって
これでもう自分はすっからかん…。

幸いだったのは、その為に借金を作ることもなかったし、
家などを処分することもなく、殆どボーナスにも手をつけず、
いずれ独立するか、会社を引き継ぐ為の株価等々の為に
蓄財してたものを、すっかり吐き出しただけ。

会社も己の立場も安泰で、すべて今まで通り…。

金なんてまた稼いで貯めりゃあいい!
元気なら何でも出来る!
そんな感じだった。

いずれにしても、甘い話、自分本意に都合の良い話なんて
この世にあるはずがない。

改めて云うまでもないが、
幸福は地道に積み上げて行くしかない。
言い方を換えれば、積み上げこそが、幸福を裏付ける
唯一の手段である筈だ。



中学生の頃…まさにロキシーミュージックのこの曲を聴いた時の
凄まじい衝撃というか、心の奥の、ヘンテコなときめきを、
今でもよーく覚えている。

今は全く聴いてないから解らないけれど、当時の我が故郷
唯一の民放AMラジオ(今でも唯一?)の音楽番組のDJは
大体アルバイトの大学生。彼らは毎週の公開番組なども
やってたから、我々中坊にもとても身近な存在で、まさに
隣りのにいちゃん&ねえちゃんが、新しいロックを
とても緊密に紹介してくれる…そんな感じだったのだ。、

「それじゃあ次はね、みんな大好きキングクリムゾンの
ピートシンフィールドがプロデュースしたロキシーミュージック
っていう、グループのデビューアルバムを今から紹介するね…
グラムロックっぽいイデタチだけど、機をてらったゲテモノと
いうんじゃなくて、これこそ当節ロンドンの最先端ファッションだよって、
今野雄二さんなんかが絶賛してたんだ。
音楽もね、とってもしっかりしててね、もの凄くゴキゲンがグループ=
ロキシーミュージックで聴いて頂戴...リメイク/リモデル!」。

で、中坊の自分…もう大興奮してひっくり返ってた。

聴いたこともない珍妙なサウンド…。
ギターは唄を邪魔しまくり、どこかでピヨピヨと鳥が鳴いてるし、
ラジオのピーガー音もけたたましく鳴り響く…
中坊にも解るあまり達者ではないサックスが、プップクプップク
不細工になり続け、肝心の唄も声量が凄いとか声が良いとか、
そんなんじゃあ全然なくて、上手いのかヘタクソなのかすら
良く分からない。何しろ全てが混沌としている…
まだ「ヘタウマ」なんて概念はないし、ああこういうのが世紀末なのか?
って思うけれど、まだ1972年くらいで、世紀末まではまだ30年近く....。
さてこの佇まいって、一体何事??

こういうのって有りなのか?
しかも最後は古式ゆかしいジャズの4バースチェイス!...。

何から何まで摩訶不思議なロキシーに、自分はどんどん傾倒
して行くのだった。

全然蛇足だけれど、♫ピクピクプープーとシンセを鳴らしてたブライアンイーノは
後年、MS-Windows95の♫ジャンジャラリーンっていう起動音を制作するのだが、
あれでどのくらい儲かったのか?ウーム...知りたい....すっごいんだろうなあ...。

ついでに言うと、Macintoshの起動音は84年のMacOs初号から今に至るまで
全く変更はないけれど、自分には、クリムゾンの「宮殿」のメロトロンの
オマージュにしか聴こえない。んでもって確かWindowsの2000だか、
その次のナントカ言う奴は(よく知らない)ロバートフリップが制作したものらしい。
なんだか、ロキシーやクリムゾン(実は同じ事務所=EG)....何故だろうね?

Roxy Music - Re-Make / Re-Model


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皮肉なDream Comes True

DSC07873あ
Konica Hexanon 35mm/2.8 (1970)

コニカのへクサノンって云う国産レンズは、どうやらアンジェニューの
レトロフォーカスR1のリアルコピー(!)と、されているけれど、
さてR1を所有してないから、良く分からない上に、すでにこのレンズは
故障中で、普通に昼間使ったことがないから、いまだ謎なのだ。

正確に云えば故障なんかじゃなくて、ヤフオクのショッパー側が
事前にL型ライカマウントに改造済...としてあったので、それは有難い!
と乗ったのだが、到着してみたら何と、ボンドでくっつけただけ。
コンッ!と何かに軽くぶつけたら、呆気なくポロッと....。

まあ一応クレームをつけたら、すぐに修理するから送り返せと
云われたけれど、どうせまたボンドで貼り直すだけだろうから、
それは固辞したものの、まあ...相変わらずそのまんま....
どうしたもんじゃろ?



体調は、特に回復してるとかではなくて、
実家の階段を20段くらい上り下がりしただけで
ヤッパリクラクラしつつ、400mトラックを全力疾走した
直後くらいの激しい息切れと動悸は、相変わらずなのだが、
おとなしくしてさえいれば、全く平穏そのもの…。

しかし動かない(動けない)状態は、何をどうしても
役立たずの禁治産状態に違いなく、何だかとっても
申し訳なくてウシロメタイ感じが、何とも辛くて堪え難い
今日この頃であります。

かつて4年間だけながら、ブラックすぎる会社で、
副社長という名のドブさらい役として、現場統括責任を
背負い込む役を演じながら、それでも従業員やアルバイトたちを
ブラックに引き込むことには忍びないと感じたオバカな私は、
役職のわりには、交通費含め完全固給制の、自らの休日は
ほぼないものとし、朝8時から終電(0時40分発)まで
連日サービス残業の日々が続くと、身体もなんだか不思議に
ハイでフワフワした状態になるけれど(次々に身体のあちこちに
膿球が出来たりする…)、それより、頭がボーッとしつつ、
気がつけば、駅のプラットホームのへりのキワキワで、
なにやらブツブツ独り言をほざくような…
そんなテンパった状態を経験した頃がある。

そんな時は、ただひたすら、ああ、朝寝坊がしてみたい…。
定時に帰れたらどんなに幸福なのだろう!?。
土曜は出勤で良いから、せめて日曜くらいはゆっくり休みたい。
正月も最低三が日くらいは…お彼岸はともかくも、
お盆くらいは墓参りがしたい.。

そんなことばかり、ヨダレを垂らしながら虚ろに考えていた。

そういう意味では、Dream Comes True...
その当時の夢を今はすべて叶えてしまった…皮肉な意味で!?


でもね、ヤッパリ、どんな状況下においても健康第一が大前提。
キチンと元気に仕事ができるなら、サービス残業なんて
ナンボでもしたるわい!。でもやっぱり土日は休みがいい…
年末年始は5日間くらい…夏休みも4日くらい、それさえきちっと
取れさえすれば、もう何にも云うまい。

給料なんて、最低限の生活が出来るならそれで充分。
ああ、元気に仕事がしたい!.....って、切に願う、
今日この頃なのだ。



またしても恥を晒すようだが、私はビーチボーイズ同様、
ザ・フーの魅力をしばらく解せなかったのだ。

勿論、67年モンタレーや69年ウッドストック、その他中学生の頃
大人気だったリーズ大学でのライヴ盤などから垣間見える、荒々しい
ライヴパフォーマンスの衝撃は、人並みに「ああ驚いた!」に
違いないのだが、自分的にはそれ以上にモンタレーでは
オーティスレディングやジミヘンのパフォーマンスが、より衝撃的だったし
ウッドストックではSLYに驚いた!リーズ大学も実はお年玉で買ったのだが、
同時に買ったジミヘンの「イン・ザ・ウェスト」っていうのばかり聴いてた…。

The Whoが、自分にイマイチ強力に響いてこなかった理由は、
たぶんスタジオ作とのギャップかもしれない。

いかにもハードロックバンド然としたライヴでのフーの表情と、
スタジオ作の周到さというか構成の細かさ、よく練れた充実のハーモニーに、
意外に(?)美しい旋律。そのギャップが、なんだか心地よさに
繋がらないなあ??そんな自分勝手で貧弱な感想に、
永いこと支配されてたのかもしれない。

名盤Who's Nextは、長い間、自分のレコード棚にあったし、
それだけじゃない、「〜リーズ」は勿論、「トミー」も「四重人格」
だって持ってたのに、愛着を持って聴き込んでいたかというと、
そうでもないなあ…というほかないのだ。

The Whoを、ん?イイな…カッコいいな….って感じたのは、
ホントに恥ずかしいことだが、1981年のアルバム「Face Dances」
を聴いたとき…。遅いよね…。

しかしそこから例によって怒濤のサカノボリ!...で、
好きになったらどこまでも!な性格から、
すぐにほぼ全てを攻略するに至るのだが、結局のところ
The Whoを完全に自分は理解したのかどうか、自信はない。

この曲だって凄い好きなのだが、未だにうまいこと理解できない
曲調でもある…なんかね、自分がこれまで聴いてきた音楽と
感覚の根本が異なってる気がするのだ。

とはいえ、ほぼリードドラム!って云える凄いキースムーンの
ドラミングに、やっぱりエントウィッスルなくしては語れない
フーの卓抜した演奏力に支えられたサウンド構成は、もう
圧巻というほかない。

しかし、なんかやっぱり…未だに掴めないバンドであるかなあ...。

The Who-Bargain


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かなりヤバいっス

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Jupiter-9 8.5cm/2(L)(1957)

ご当地の「冬の散歩道」は、御老人と犬ばかり…



実は体調がかなり悪い。

こうしてたった一行、タイプするだけで、両腕に
もの凄い疲労というか、瞬間的に尿酸が、腕全体に
染み渡るような、そんな感じになる。

たぶん今年4月に入院した時と、殆ど同じ症状だから、
また肺に水がたまって、心臓と肺の酸素連携がうまく行かず
息苦しさとか、強烈な怠さ、目眩い等々が出てくるんだろうと思う。

またあの強力酸素ボンベか…!?。

いずれにせよ、入院もまた近いなあっていうところで、
そういうことも想定しつつ、やっておかなくてはならないことが、
山ほど…ではないけれど、いくつかある…。

すぐに取りかかれば容易いことなのだが、何せこの体調では、
なかなか思うようには進まぬ感じで、ちょっと辛いのだ。

ですから仮に当ブログが停滞してしまっても、
ああアイツも遂に逝ってしまったか!...ではなくて、
たぶん救急車でまた運ばれやがったな…!が、
十中八九正解であると思われますので、その時は
何卒ご配慮ヨロシクであります。



ボニーのこの曲を取り上げるのは、たぶん当ブログでは
二度目だと思う。それほど想い出深いし、強烈な影響を
受けた曲でもある。この曲のライヴヴァージョンという
モノが世に出てきたら、間違いなく、それがとてつもなく
膨大な箱モノでも、万難を排して買いに走るだろう。

ちょうど上京する時節のまさにその時代に、たまたま
ラジオでエアチェックしたこの曲のギターの華やかさに
完全に魅了されたのは良いけれど、肝心のこの唄は誰の何?
ギターを弾いてるのは誰???というわけで、
一向に解らない。

最初は、グレートフルデッド絡みかなあ..なんて思ったりもしたが
どうも違う。既にオーリアンズは知っていたから、なんとなく
音色はジョンホールっぽいなあ?と疑いつつも、オーリアンズの
アルバムではこんな強烈で、派手なプレーは聴かれず、
どちらかと言えば、センスよくこじんまりまとめあげてる感じ。

いよいよ、進学の為とはいえ上京するにあたっての
最大の目標は、東京の夢その1である「輸入盤店」と
宝の山といわれる「中古盤店」を廻って、この曲の主を解明し、
そのレコードをGetすること!。(夢その2はライヴハウスかな??)

そんなある日、土曜の午後のNHK-FMで、「ボニーレイット大特集」
というのが放送されると知った。過去アルバム5作(当時)を全部
掛けるらしい!。

そりゃあ凄いなあ!と、問題の曲とは関係なく、カセットデンスケで
エアチェックしていたら、突然あの麗しいギターのあの曲が
掛かってるではないか!

そんなわけで、ボニーレイット、そしてカリプソ風のスティールパン
的サウンドで、コンコンと弦のブリッジ付近を叩く独特の
バッキングスタイルや、和音多用のギターソロなど、自分にとっては
もう完璧にやられたあ!って感じで、最大最強の影響を受けたその曲との
再会は、結局NHK...東京でも秋田でも、同じことだったのだ。

この曲の、特にサックスソロ後のギターソロの初まりのところなんか
今でも涙が出そうになるし、スティールパンサウンドも、
バンドマン時代も盛んに真似してたけど、
あまり目立たなかったようで、バンドメンバーにも、
「ナニしてんの??」って云われたりもした。

それでも、自己満足…結構じゃないかって感じだったと思う。

ちなみにこの曲も入ってる彼女の2枚目のアルバムは、
名曲名演揃いの名作だなあって思うのだが…わりと世間的に
黙殺されてるもいるようで、チョイと残念。

ジョンホールはその後、反原発(No Nukes)のロック側の旗手
として下院議員に当選、政治の世界に。

ボニーレイットは、永いこと、スライドギターが上手な器用な
オネエちゃん…って程度な存在だったが、90年代になってやっと
グラミーやら、殿堂入りやら、大スターとして君臨するようになるけれど、
自分的には昔の彼女にしか興味ないなあ…。

Bonnie Raitt - You Told Me Baby


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寒いお説教

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

自分は、さほど寒がりというのではないなあと
ずっと自負していたけれど、何しろここ数日の
北のはずれ…いやいや北の奥の寒さは、
体調が悪いせいもあるのだろうか? 
ただひたすら寒くて寒くて…もうブルブル。

さらには折悪く、自室のオイルヒーターも壊れてしまったようで
一向に暖まらず、結局自室は寒すぎて10分と居られないから、
ブログも更新できない状態…。

まあ、寒いという以外に、もはやなんの話題も
頭に浮かばないのではあるのだが…。

取りあえず、九州の義母が、呆れるほど大量に送ってくれた
「ほっかいろ」を、身体中のあちこちに貼りまくって、
それで対応してみることにする…さあ、ぼちぼち暖まってきたぞ…。



バンドマンをやってるころ、何度かだが、越後湯沢やら
白馬、志賀高原など、スキー場のゲレンデの端に設えた、
雪上ステージ(!?)に乗っかっての歌謡アイドルショー!
何てヤツに、ステージ奥にて出演する機会があったけれど、
お察しの通り、手袋をはめたままギターは弾けないから、
何しろ1曲終るごとに手がかじかんで、動かなくなる。

たぶんまだその当時は「ホッカイロ」の類いは存在しなかったと思う。
だからステージのあちこちに、一斗缶に炭や薪を燃やした
簡易ストーブを仕立てて置いてたり、MCの小休止ごとに、
スタッフやマネージャーが、バケツにお湯を汲んで来るなどして、
そこに手を突っ込んで温めたりと、一定のケアはしてくれる。
(しもやけの痒さに、もがき苦しむこともあった)

当時から運の悪い私は、雪上ステージではどういうわけか
猛吹雪に遭う場合が多くて、猛烈に寒くて冷たい上に、
感電っていう恐怖まで加わって、これはもう途中中断か中止だろう!と、
思うのだが、そういう時に限って、主役たる歌手さんとかタレントさん
っていう方々の気質って….

「今が頑張りどころ!根性の見せ所..」

そう思い込むらしい。

自分のところに歌手のマネージャーがこっそり上がってきて、
私の耳元で「中止だ中止!」って耳打ちする。
すぐに私もMCになった段階で、歌手さんの耳元で「撤収だ」
をつたえる。すると歌手がマイク越しに大声でいうのだ。

「今、中止命令が出てますけど、私はヤメたくない、皆さんは?」

勿論、客席も猛吹雪であるはずだが、向こうは完全武装の上、
スキーを履き、手袋、ゴーグルまで….盛んにヤレヤレ!続行だと
囃し立てるから、歌手さんもその気になって.仕方がないから
また次の曲を始める。

譜面は、譜面台ごと突風で吹き飛ばされる...PAさんはAltecの
2段積みスピーカーが倒れないように、ステージの上下で必死に
押さえている....。どう考えてもステージ場はもうパニック状態...。

そうした吹雪の場合、最もワリを食うのは、キーボード奏者で、
エレキピアノやシンセ類の鍵盤の間から、雪というか水分が染み入り、
とんでもない感電事故に発展する場合も過去にないではないから、
事前に吹雪対策として、ブルーシート的なものなどで
雪をガードするべく対応してもらうようにするのだが、
猛吹雪となると、そんな付け焼き刃では、意味をまったく
為さないのだ。

ステージ終了後に、まだティーンズの歌手さんを叱るのは
そういうわけで、大体私の役目。
マネージャーに云っても、そう言うことはお前が直接云え!
ってな事になって、哀れ、自分が嫌われ役。

残念ながら、素直に「そうか知らなかった、ごめんなさい
迷惑をかけた」と、殊勝に詫びる歌手さんは残念ながら…
とっても稀だ!(いないわけではない)。

「私だってステージに命掛けてるんだから、バンドさんだって
命掛けて当然だろう!」って、そう言い放ったアイドルさんさえいた。

まあ大体そういう方々が、今も第一線で活躍してらっしゃるのが、
あの業界というもので、年の暮れも相変わらずお忙しいようで…。



皆様お馴染みのこの曲で、本日は寒さを凌ぐとしましょう。

高校生くらいの頃は、なにかといっては、友達の家、
果てはその友達の友達、そしてその従兄弟…等々、
ほぼ面識もないようなヤツのお宅に、大した用もないのに、
ワワワアとお邪魔してたように思うけれど、
まあ大体共通してるのは、音楽好きで、おおかたでは、
エレキギターを弾いてるような、そんな友達の輪!というわけで、
意思疎通は極めて簡単!そんな感じのいいかげんなC調野郎
の私である…。

ちなみにC調とは、バンドマン御用達でお馴染みの
逆さ言葉で「ちょうしいい(軽薄な奴)」というのを逆さにして
「シイチョウ」=C調という、変格活用(?)である。

逆さ言葉や、数字(音階)の言い換えは、ギャラなどの生々しい
打ち合わせ内容が、世間にバレないようにするため…とか
云われている。

話を戻そう…。

そういうわけで、何処のお宅を訪れても、必ず行うのは
失礼ながら(?)そこの部屋の主の、レコード棚を覗くこと。

そして、もはや必ずといって良いほど、見掛ける、
一家に1枚(2枚組だが)必ずそこあるのが、このアルバム…
デレク&ドミノス「いとしのレイラ」の2枚組。

冬の寒い日、綿入れちゃんちゃんこを着たその高校生の
友達の友達のさらにその従兄弟はいうのだ。

この「いとスのレイラ」があれば、熱くて暑くて...
暖房もなんもかんも不要だす…(ちょっと訛ってる…)」

「自分はそこまでの思い入れはないけれど、取りあえず
A面トップに入ってるこの曲の、ゴリゴリジャリジャリ歪む
サイドギターというか、コード弾きのボトムの音っていうか
その佇まいが、震えるくらい好きだ!」
(たぶん、ストラトキャスター+ピッグノウズの小型アンプ??)

って私が云うと、大抵は、「なんだがよくわがらねども、
おめえは少々変わってはいるども、いい奴だってのはよぐわがった…」

そんな感じ…。勿論このアルバムでは、この曲が一番好き!。

Derek and the Dominos - I Looked Away


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遺すべきもの

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Leitz- ELMAR 9cm/4(1936)

昭和11年製のライカなのに、何故だか東京・西荻辺りの
もつ焼き屋で、串5本に生中2杯にホッピー2杯…の
ほろ酔いセット…そんな程度で買えた、時代的に
少々暗めなレンズ。

戦前、ズマール付きのライカが当時1万円、
エルマー付きが9000円で売られていたと云います。

貨幣価値としては、昭和11年段階の100円が、
現在の6万4000円くらいとのこと。
とすると当時の1万円なら、約640万円!。
9千円でも550万円とちょっと…。

ホントに世間の風評通り、恵比寿(広尾あたりらしい?)で
50坪程度の家が建った…って、どうなんだろうか?

ちなみに現在のライカは、レンズ付き(単焦点…
ズームなんてあり得ません!)なら…限定品とかじゃない
普及品で160万〜200万円位します。

たまにM型ライカで♫カショ〜ン何ていう、甘美なシャッター音
鳴らしてる人、見掛けますけど、自分の持ち物があまりに
見窄らしいので、ついついその場を離れてしまいます。

ちなみに、写真家さんの作品集とか随筆なんかを
近頃とみに読む機会が多くなっていて、取りあえず、
図書館にいったりすると、まず一番にそうした本をパラパラと
めくってる自分に驚いたりする今日この頃。

で、随筆などでは、大体が、写真家さんの愛機、
ライカとかハッセルブラッドなどとの出会いが書かれていて、
それが判で押したように、「父から譲ってもらった」或いは
「父の遺品」…。

うーむ、ウチの父は何しろ無趣味だったからなあ…
いや、釣り…休みごとにどこかでお魚…釣ってきてたけれど、
大概が近所の川や、沼、精々行っても港の防波堤…。

リールなんて使わないし、竿だって竹竿に毛の生えたようなもの…。

中学生の頃、オヤジさんのギブソンで、エレキの練習をしてるヤツも居て、
凄く羨ましかったな(そいつはちっともうまくならなかったけど…)。

だから自分は何か確かなものをちゃんと残してあげよう!!
そう考えたものの、大したものは残せてないような…??

東京のマンションだって、オリンピックが終れば
東京の地価なんて大暴落するなんていわれてるし、
どこかの北の国にミサイル攻撃なんてくらっちゃえば、
もう目も当てられないから、今のうちに売っちゃおうか!....
なんて話もないではない…。

秋田の実家??地方なんて、とっくに需要と供給のバランスが
崩壊して、笑っちゃうくらい安い上に、さらに現在、国家案件の
イージスアショア何ていうものが、予定通りに
この街に出来てしまったら、もう眼も当てれない....。

ビル1棟売っても、東京の一等地のワンルームマンション1部屋すら
買えないようだ。

でもなあ、やっぱ何か有益なもの…残してやりたいが…??



まだ自分は相当に幼かったけれど、生意気にも
「ロック好き!」を既に自称していて、中でもこの
C.C.R.…いやいや、餓鬼なりにもロックツウならクリーデンス!。
奴らは確かに、サイコーにイカシててカッコイイ、
ゴキゲンな4人組!....だったのだ。

ちょうどタイムリーにもNHK(総合)で、
「ヤングミュージックショー」っていう、当時は超貴重な
ロックの映像番組が不定期ながら放送されることになって、
栄えあるその第1回が、「C.C.R.」のロンドン公演だったかの
ライヴ映像。まだ家庭用ビデオレコーダーなんて、概念すら
ない時代、家具調テレビのスピーカにカセットレコーダーの
マイクをくっつけて、必死に音を録音して曲を覚えたりした。

たぶん、日本中のロックファンが、同じようなことを
してた、よく晴れた土曜の午後じゃなかっただろうか?

ちなみに第2回はクリームの解散コンサートだったか、
ストーンズのハイドパークのどちらかだったと思う。

いずれにせよNHKのそうした援護射撃もあって、
C.C.R.は自分の周辺でも、突如として人気バンドとなって、
ラジオでも様々な曲が頻繁に掛かるようになった。

そのうち、プラウドメアリー初め、数多い旧曲までもが、
ヒットチャートを続々と席巻する。

とってもシンプルな演奏形態であることから、やがて
当時の風潮から、やたら(無駄に)手数の多いロックバンドの
出現などもあって、C.C.R.は、わりと馬鹿にされてもいたように思うけれど、
今にして思えば、サザンロック、スワンプロックの先駆けでもあるし
或いは後年のR.E.Mや、オルタナティブやグランジ勢の元祖的な
バンドでもあったように思う。

一方そんなこととはつゆ知らず、やがて半ズボンにランドセルを
卒業し、詰め襟の学生服など着るようになった私は、
コソコソとお小遣いを貯める…貯金箱をひっくり返し、
400円貯まれば即日、シングル盤を1枚買う日々。
そして次はなにを買おうか?と考えることが、ホントに楽しい時間…。

やがてシングル盤1枚買えば、その数倍のレコードを友達から
借りられるってことを知る。そしてそれは学生の頃からの
音楽好きの仲間と、50歳くらいまで、ずーっと続くのだ…!。

友「俺が死んだら、俺のCD、レコード全部(数千枚)と、
  ギター1本... 好きなものをくれてやる!」

私「じゃあ50年代の(正確な年式不明)テレキャスターが良いな!」

友「えっ…オマエさんなら、てっきりフェリントンっていうかと思った」

私「あれもいいねえ…リチャードトンプソンモデル!」

友「じゃあ特別に2本…許す!。GibsonとかAlembicやなんかは
  甥っ子らが狙ってるからね」

私「サンキュ。でもなあ、たぶん俺の方が先に逝くと思うなあ、
  若い頃の暴飲暴食が祟ってるからね…」

友「大丈夫…俺が先だ…」

結局、膵臓癌で、ヤツはあっという間に逝ってしまった。

葬儀に参列したが、勿論そんなムシの良い約束を
遺族に言えるはずもない…。

話がそれちゃったけれど、そういうわけで、CCRのLPは
残念ながら、1枚も持ってなかったけれど、シングル盤だけは
たくさんあった…そんな気がするけれど、一体あのシングル盤たちは
どこに消えたんだろうか??そんな謎もあって、結局
昭和の終わり頃に、CD全部、大人買いしちゃうんだねえ…。

ベスト盤で充分!とも思うんだが、どうもそれって
アーティストに対してとっても失礼な気が、ずうっと消えないんだよねえ…。

Creedence Clearwater Revival - Up Around the Bend


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安全第一健康第一

DSC07504a.jpgLeitz- ELMAR 9cm/4(1936)

自分は….酒は好きだし、一時は毎晩、夜明けまで
ハシゴして呑み狂ってたような時期もあったけれど、
それでも、家ではほとんど呑まない。

というより、一人で黙々と呑み始めると、
すぐに気分が悪くなる方向で酔っ払うのがわかりきってるから、
晩酌すらしないのだ。

誰かと気分よく語り合いつつ、呑むのが自分にとって
「良い酒」ということになるから、一人の時はビールすら
呑まないわけだ。

宴会は基本的にどんな会でも大好き!。

殆ど知った顔のいない「協力企業懇親会」って感じの
取引先主催の飲み会なんか、

「新しい知り合いが増えて楽しいじゃんか!」

なんていって、誰もがいやがる中、自分は嬉々として参加した…。

事実、これ切っ掛けで、ビッグビジネスに発展したことなど
何度もあるが、そんなことより、自分の全く知らない業界と
交流するのがとっても楽しかったし、本来は人見知りする
自分であるけれど、酒はその辺、自分を少し変えてくれるから、
「飲み会」は好きだ。

そんな自分だから、「お酌」を断るなんて言語道断!
来るものは拒まず、去る者は追わず…。

ところがである、今年の中学の同窓会の席では、
あえてノンアルコールビールを所望する自分がいた...。

勿論ノンアルコールビールなんて飲むのは人生初...
あんな不味いものとは...(個人的意見!)

様々な旧友による、親愛のお酌を、断腸の思いで拒み続ける
自分の姿が、紛れもなく今の自分である。

なんて情けないのだろう!。

たぶんビールなら、さほど馬鹿みたいに酔わない自信はある。
それでも、今の自分は何があるかわからない。

自分のペースでゆっくりと呑むのなら大丈夫と思うが、
自分のペースが維持できないような飲み方だと、まだまだ
不安なのだ。

どうしちゃった俺?
情けないじゃないか俺?

さあみんなで3次会突入!行くだろ?当たり前やんか!
朝までトコトン付き合うでえ!!...

それは昔の話….

今は…ゴメン…ちょっとな、体調がな…ホントゴメン…

だから人生は結局のところ…

安 全 第 一   そして

健 康 第 一

なのである。 



でもって、麦酒の歌といえば、自分にとってはこれに尽きる。

エルヴィスの「冷たくしないで(Don't Be Cruel)」の替え歌の
「つめたく冷やして」(呑(どん)・ビール・クール!).

勿論、細野さんで有名(?)なこの歌だけど、
なんとオリジナル?というか訳詞はあの
「あがた森魚」さん。

細野さん版の方も記憶を辿ってみても、レコード化された
記憶は全然なかったけれど、どういうわけか、よく知ってた…。

たぶんラジオかな?ライヴ、スタジオライヴなどなど、当時は
しょっちゅうライヴ番組がラジオ放送されてたからね。

わりに最近発売された、例の中華街のライブ盤(泰安洋行ツアー1976)
に無事収納され、やっとこさCDでこれを聴けるようになった。

そう云えば、昨夜は、明け方のベルギーでのサッカーの試合を
観る為に、遅くまでというか、ずっと起きていて、たまたま
細野さんのオールナイトニッポン!をやってたから聴いていた。
(祝オーストラリア、ロシアW杯出場決定!日本代表も
一つ間違えば、昨夜まで延々と一喜一憂せねばならぬところでした!))

細野さんの新作(Vu Ja De=デジャヴの反対)も少し聴かせてもらった…
いい感じにユルいブギウギ、そして昔よりはるかに聴きやすい
環境音楽!?

細野さん曰く、1940年代にはブギウギの他、良質な音楽に
溢れた、アメリカの黄金時代なのだが、日本は戦争で敵国音楽だから
殆どその最も良質な部分を知らない。だからちょっとそこらに
スポットを当ててみたい。

相変わらず凄いな細野さんは!

ハリー細野 & Tin Pan Alley - つめたく冷やして


細野晴臣ニューアルバム「Vu Ja' De'」(trailer.)


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黄昏の街とロケットマン

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

学生時代、そりゃあもう人並みに(?)、当然風呂なし、
トイレ共同、流しも共同、ついでに玄関も共同な四畳半アパート
に住んで、食うや食わずの最底辺生活をしていたわけで、
服なんかほぼ買ったことがなくて、夏も冬もおんなじジーパン…。

床屋も、夏休み&冬休みに帰省した時に、
親のお金で豪勢に「美容院」何てところに行って
生まれて初めてパーマなんてのをかけつつ、
仰向けのままのシャンプーにドキドキしながら、
多少身綺麗になって、東京に戻りつつ、
暫くすれば、またドロドロドロ…。

とはいえ、一日おきであるが、キチンと銭湯には行くし、
週に1度は銭湯が併営してるコインランドリーで洗濯もする。

まだコンビニっていうものは、この世に存在してなかったけど、
どんな街にも、1ブロックに1軒は必ず、少し遅くまで営っている
煙草屋主体の雑貨屋さんがあって、銭湯の帰りは大体そういう
お店に寄っては、アイスキャンディを舐めながら(下の歯が知覚過敏で
アイスは噛めない!)コカコーラとハイライトを買い、
タウン情報誌の「ぴあ」とか「シティロード」も買い、さらには
FM雑誌なんかを立ち読みしつつ、手が汚れるけれど、
大好物だった東ハトのキャラメルコーン…なんかを買い込んで、
四畳半のオンボロアパートに帰宅。

まあ、その時の買物状況が、その後もなんとなく生活習慣となって、
それがたぶん今のポンコツ体調の元凶だろうなあと思うけれど、
とはいえだ…そういうことの一つ一つが自由で、気ままな生活
だったのだなあと、今なら思うのだが、当時は、

こんなちっぽけなことが、自分の求めてきたことなのだろうか?

と、随分疑問に思ったものだ…。

やがて楽器を買う為にアルバイトを始めるのだけれど、
お金は一向に溜まらない、それどころが、どうしたことか、
雑誌「ポパイ」で、これが最新流行の兆し「Nikeのスニーカー!」
ウーム、確かにカッコいいなあ…ニケ!?かあ…
と気づいたら1万とちょっと…家賃より高い靴!?
を買ってしまってたり、冬は冬で、家賃のほぼ3ヶ月分の
革のウエスタンブーツを、散々悩んだ挙げ句に、ああ買っちまったあ!
してたりする…。

ウエスタンブーツは買った初日に、それを履いて、いい気になって
散歩に出掛け、帰宅したら、それをうっかりアパートの
共同玄関に脱ぎっぱなし…10分くらい経って、
「あっ、いけない!」って気付いて、慌てて玄関に走ってみるが、
ブーツはもう跡形もなく消えていた…。

本当にあの時の悔しさは忘れない。

悔しいから、その日からしばらくは、他人の足もとが凄く気になって
注視したり、近所のアパートの玄関先を、眼を皿のようにして、
探ってまわったり…もう二度とあんな悔しい思いはしたくない…。

ちなみにだが、靴はその後発見された。

新聞拡張員が、「新聞とってくださいよー」でいつものように
現われる。大体断るのだが、その時は後楽園球場!の巨人戦
ペアチケット!って云う、まさに当時のプラチナチケットを持ってきた!
というから、部屋に入れるとその拡張員は、自分の靴を部屋の
ドアの前に置いた。「あれ….なるほどこいつだったのか...」。

男「へへへ…近頃、こういう共同玄関は物騒だからね…」

私「いいブーツ履いてんじゃねーの、3万くらいするんでしょ?」

男「いやいや、ウチの販売店の学生バイトがね、
田舎の親からこのブーツを送ってもらったんだが、
サイズが合わないからって、先輩、1万で良いから買ってくれって
いうからさあ、まあ見たところ新品だし、7千円なら買ってやっても
いいよ…ってんでね…それが何か??....」

結果から云うと、ブーツは戻らなかった…というか、
今更返してもらっても仕方がないし、犯人のバイト学生に詫びを
入れされるともいってたが、それも固辞した。

別に弁償してもらおうとか、全然思ってなかったし、
今回の件は自分にも、10分とはいえ、玄関に放置したって云う
過失もある。

しかし向こうからすれば、就業時間内の犯行でもあるのだから、
責任の所在をまずは明快にして欲しかった。

然るべき役職の店長とか、所長とか、職長でもよいから
企業として正式に詫びて欲しかったし、それが企業の責任だと思う。

しかし、結局はもう時効だろうから白状すると、
そのおっさんが、自分もそれを買ったことで犯罪に
「加担」してるから、上司には案件を上げきれなかったようで、
そのオッサンの誠意として「新聞を一年分」無料で届ける!」
ということで一応のケリがついた。

自分の性格的にも、そういうイカサマなやり方は言語道断なのだが、
しまいには新聞配達人の悲哀や、生活の苦しさ、ひもじさを
熱弁され、さらにこれがバレたらクビになって、明日から路頭に迷う
…とまで訴えられてしまうと、もはや「ご勝手に」ということで
手を打ったのだが、たぶん自分は、それから3ヶ月もそのアパートには
居なかったように思う。

自分も色々なことで、そろそろ過渡期を迎えつつあった
時期でもあったのだ。

結局東京には、それ以後、35年も居たけれど、
最初に住んだ、あのなんだかやけに夕日の似合う街には、
以後、二度と訪れてない…。

イヤな想い出というほどではないし、実は今の今まで
忘れていたような、かすかな記憶でもある…。

上京した当初は、実際には使えもしない旅行クーポンや
訪問販売の意味の良く分からないサプリメント、存在しない
合唱団(第九、唄ってみないか!=会費2000円)への加入や
妙な保険加入等々、本当に馬鹿みたいに騙されまくった!。
その一つ一つが、たぶん都会で生活することに対する社会勉強
=先行投資で、以後、危うきに近寄らずな、用心深さから、
おかげで、さらに酷い騙され方はしなかった…と思う。

そんな諸々をすべて経験させてもらったのが、あの街なわけで、
まあ、逆に感謝??なのかも知れないなあと思う。
でも、だからといって、また訪れてみたい場所ではないかな...。



今更の、ウレシハズカシ「ロケットマン」である。

エルトンジョンにしては、随分後期!というか
晩年というか、1972年の「ホンキーシャトー」っていう
アルバムに入ってた曲…。

何が晩年で後期かというと、自分はまだ中学生の超青二才
だったけれど、ロックやポップスが、少しだけ解り始めた、
いわば「生意気盛り」…。

いつものような陰鬱さ=深さ…みたいなものが薄れて、
何しろ、やたら明るくてリズミカルで、これまでには
考えられないような軽さの「ホンキーキャット」で始まり
全体的にも明るいトーンのエルトンジョン…!
どうなってしまった?...狂ったの?...いや、これが噂に聞く

大衆迎合というヤツ...なのか?

そんな感じで、我らのエルトンも、なんだか「あっちの世界」の
派手な売れ線芸能界のほうへ、行ってしまったんだね…。

でもこの曲ロケットマンは、以前の彼の雰囲気のままだよなあ..
ああそうか、古いファンと新しいファン…この際どっちも
取り込んでしまおうって…そうか、そう云う魂胆ですかい…!
ってな具合の….、いやはや中学生の感性はいつもこんな風に
ヒリヒリしてる…!?

ソロデビューしたものの、パッとせず、あるとき誘われるまま、
メンバーの大量脱退で困り果てていたキングクリムゾンのヴォーカリスト
として、オーディション参加!クリムゾンの事務所「EG」に気に入られ
早速仮契約するものの、ロバートフリップは大反論!

「あんなカエルを踏みつぶしたような声の歌手なんて無理!」
(ブライアンフェリーも合格したが、クリムゾンにはあわない!と
 フリップ段階で却下…)

というわけで、エルトンジョンは契約手付金を違約金として
600ポンド(一説による)せしめつつ、それを製作中の
「僕の歌は君の歌」の制作費(ヤッパリ、プログレの
サードイヤバンドのポールバックマスターにストリングスアレンジを
依頼している)に注ぎ込んだら、これが大ヒット…。

世の中そんなものなのよねえ…。

というわけで、ああもうエルトンジョンは終った!と、
事情通気取りの中学生に思われる中、(実際には
ここから、超メジャーなスターダムにのし上がるのだが)
唯一の救いだったのがこの曲の美しさ…。

ところが、45年後、こんな取り上げ方をされてしまうとはね…
とほほ…である。

Elton John - Rocket Man


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暮れの元気なグッドジョブ

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

いまや親類縁者も、随分と少なくなったものだが、
取りあえず、東京組と九州組には、キッチリお歳暮を
支度しておく、そんな時節になってきた。

基本は、自分も東京にいる頃、毎年送ってもらってた
「きりたんぽセット」と「塩干物(タラコとか筋子、イクラ等)」
それに、元々は自分がリクエストしたものなのだが、
今では自分が送る側の役割を担うこととなってしまった
「ら・ふらんす」…。

塩干物以外は、実は予約が必要(いわゆるコダワリの銘柄品の場合)。
しかも順番というか、納期には結構な日数が掛かるから、
早めに注文しておかないことには、うかうかしてると、平気で…

「年越してしまいますけど、大丈夫っすか?」

何ていわれて、焦ったりするから、早めの発注が必要なのだ。

まあ近頃は、子供(といっても既に30歳を過ぎたイカズ後家だが)の
リクエストで、地元名物となってるらしい「バター餅」というのを
大量に欲しい!っていう要望があったりする。

職場で人気なのだそうだ…。

まあ、典型的かつ歴史的ブラック企業で、世間の人たちの皆が皆
「ああ、あそこは仕方がない!逆にあそこがホワイトだったら
赦さない!」っていうような、万人が認める折紙付ブラック企業…。

電車のあるうちに帰れたためしがないから、渋谷駅前に数多ある
漫画喫茶に泊まるか、タクシーを捕まえるか? いずれにせよ
平日は4時間以上眠ったことがない…が、いまだに「自慢?」な
オバカな会社員。実に自分も若い頃、希望してたけど、
中退者じゃ権利なし!というわけで、あまり文句もいえない。

まあ「バター餅」くらいで元気になるなら、いくつでも…
何て思うのだが、どうしたわけかあまりたくさん置いてないし、
さほど日保ちもしないから、買いだめというわけにも行かない。

昔から知ってる、近所の菓子問屋のお姉さんに、
その辺りを相談したら、注文できるよ!っていうので、
去年、10箱ほど頼んだのだが…いつもと違って、
あんまり美味しくなかったらしく、
ちょっと今年は考えものだ。

ちなみに、私が知ってるその昔懐かしい菓子問屋のお姉さんは、
当時なんとJK!。今はもう、来年古希(70歳)になるそうだ!
オソロシヤ!?

で、塩干物….特にイクラは今年、バカ高い!
これからシーズンに向けて高くなるのなら今のうち…
なら、なんとなく分かるが、既に今から、
もう手を出せないくらい高い上に、今後、
年末に向け、益々高くなる見込みだそうだ。

イクラや筋子がなくたって別に死にはしないぜ!。
クジラだって、いつの頃か突然食せなくなったけど、
今なんか、たまに食卓に出てきても、匂いがキツくて
とても食べれない!あんなに好きだったのに??...
まあ世の中そんなものだろう。

そのうち鮪だって食えなくなる時が、いつかきっと来るだろうが、
もっと未来には「こんな油だらけの不味い魚、昔の人はよく食ってたな!」
何ていわれるかもしれない。

今年は「タラコONLY」で我慢してもらおう!

あと家人の実家の九州では圧倒的に評判がいいのは、
「新米」。

根本的に向こうで流通してる「米」と、我々が消費してるモノの、
モノが違うみたいで(?)、「別次元に美味しい!」なんて
いわれると、もう毎年送るしかないもんねえ!って感じだ。

「ら・ふらんす」は、まあ賞味期限…ではなく、賞味する頃合い!
っていうのが、とても難しいから、大体1週間後くらいが
食べごろ!っていう頃合いのモノを、指定日に到着するように
手配するから、これも時間がかかる…。

いずれにせよ、それらすべての納期を、ピタリと揃える…
まあ、面倒臭いが、これも年末の仕事と思って取り組みつつ、
グッドジョブ!を目指すのである。



90年代には、「世界最高のライヴバンド!」なんて
いわれてたネヴィルブラザーズだが、いきなりのPVで失礼する。

ただしこのPVが当時とっても衝撃的だったし、
事件の全容というのが、たった3分のPVで、
充分理解できる内容も、当時は衝撃的だった。

この公民権運動の引き金というか、導火線にもなった
ローザパークスの「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」は
ちょうど2000年頃にテレビドラマ化され、日本でも
「NHK」で放送されたが、どうもその時の映像と
55年の事件のニュース映像等ををうまく使ってるようだが、
ドラマとの関連は定かではない。
第一、この曲自体はドラマより10年以上古い!

ネヴィルブラザーズというと、どうしてもアーロンネヴィルの
甘く切ない美声が思い浮かぶし、バンドの呼び物に違いない
のだが、むしろセカンドラインビートというか、ケイジャン音楽
というか、レッドネックというか?、インディアン…方向の
バンドサウンドを表現する上では、アーロンの美声はちょっと邪魔。

むしろ彼じゃない方が、安心して乗れる!って分けで、これは
その代表曲でもあるわけで、勿論同曲のライヴ版も素晴らしいので
機会あれば….ということで…シスターローザ!

The Neville Brothers - Sister Rosa


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創世記?

DSC07125.jpgLeitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

毎度同じような写真で申し訳ない….。

当然ながら、現代レンズの超精彩な表現力には
遠くおよばないけれど、85年ほど前に開発され、
その時代、世界中の、貴族も、成金も、軍属も、
市井のあらゆるカメラ好きが憧れた、その独特の陰影を象る
世界観というか、やや癖のある表現力を、
厳密にいえばフィルムではないから、そのものズバリでは
決してないのだけれど、ギリギリ近づけている実感が、
なんだかとっても嬉しいのだ。



我が県の男子中高生の野球部員率と、女子のバスケ部員率は
全国第一位らしいのだが、サッカー部員率は、何と47位…。

個人的には、そんなちょっと情けない県下でも、
一応は強豪といわれる中学サッカー部に、私は身の程知らずにも
入部してしまうのだ。

サッカー部は、その時期まさに全県優勝校の
ディフェンディング・チャンピオン。

その翌年から全国大会が始まって、私の一コ下の学年は、
全国ベスト8(優勝校にPK戦敗退)。

基本的に入部した一年生の一学期中は、ただただ先輩たちの
コンビネーション練習を横目で観ながら、我々はひたすら
グランドの周りを延々と走り続けるのみ。

格好だって、普通に体操着に、部で指定された、そこの薄い
運動靴。やはり自分たちとは違う集団を形成しグランド周回
し続けている、野球部新入生は、まだ野球の格好をしているだけに
体操着の自分たちには、プライドの欠片も無く、ただただ
惨めな気持ちで走っているのだ。

さらに精神的に追い討ちをかけるのは、何人かは、
小学生時代のサッカーエリートで、同じ1年生なのに、
我々とは別メニューで、先輩たちと練習の輪に加わることが
赦されてるから、粛々と走りながらも、
それが羨ましくて仕方がない。

俗に下級生や補欠は「球拾い」などといわれるけれど、
我々レベルは、球を拾っても、それを蹴り返したら、
別の蹴りが飛んで来る。丁寧に手で拾って
手で返さなければならぬのだ。

我々がボールに触れられるのは、練習終了後、
一年坊が各自、部のボールを持ち帰り、入念に磨く為に
持ち帰る時のみ。

だから帰宅後、または帰宅前に、既に日も落ちかけて
薄暗いグランドに居残って、そのボールを各自が自由に蹴って
練習することが、可能になるのだ。

さてボール磨きである。今と違ってサッカーボールは、
数日で表面の白い塗装が剥げてしまって、牛革の地の
ベージュが露出し、さらにそれが茶褐色に変わり、
黒色の五角形と本来白色の六角形の区別がつかなくなるくらいの
色目になる。

我々の伝統(?)は、ワックスなどは一切使わず、唾を掛けて
乾拭きし、焦げ茶のテカリと風格(?)が出るまで
強く磨き続けるのだ。

しかし、そうそう唾など出ないから、ついついお茶を飲むなどして
無理くり唾をかけるのだが、水分が多いと、光沢が出てこないから
不様な感じに仕上がってしまうと、翌日、ボール検査委員?の
2年生部員に「たるんでる!」だの「お前の一生懸命さが見えない!」
などとキレられては、パーで殴られる…。

ちなみにパーは勿論「微罪折檻」。
重罪というか、先輩の怒りを買ってしまえば、容赦なくグーで殴られる。

大概は、挨拶が悪いとか、態度が横柄だったとか、
先輩の言いつけを守らなかったとか…。

基本的にグーで殴られると、一瞬口の中が切れて、
血が出るけれど、すぐに止まるし、痛みも続かない。

ところが、夕飯中に急にしみて痛みだしたり、翌朝
腫れてたりもするが、それを問題化させることは無いまま、
それでショックを受けた者は、静かに部を辞めてゆくだけ。

それでも辞めずにいる者は、そんな先輩たちに対して
たぶん生まれて初の感情「殺意」さえ抱くこともあるけれど、
こんなに苦しい練習を、これまでしてきたのが無駄に終わるのが
悔しい(走っただけだが)…たったそれだけの理由で、
またひたすら走り続けるのだ。

そうしたわけで、4月の段階で50人はいた新入生も、
市内のリーグ戦が始まる6月頃には、20人くらいに落ち着くのだった。

そして、その20人のうち、大体自分が、スキル的にどのくらいの
位置にいるのか?が、なんとなくわかってくる…。

うわあ、ヤバいぞ…たぶん自分よりヘタクソは、
下には3人くらいしかいないぞ!っていう、
絶望的な位置から始まって、後は個人練習も含めて、
強烈な向上心を持って、自分を鍛えつつ、一人越し、二人越し..
そういうことを実感しながら、ただひたすら、イヤラシいけれど、
ライバルを蹴落として行くしか無い。

生まれて初めて先輩たちに対しての「憎しみ」「殺意」を
経験した後、今度は仲間同士の「熾烈な競争」を、
ここで経験するのだ。

20年後、私は大人のサッカー部を作るのだが、
その時の心情は、みんな仲良く、心からサッカーを楽しめるチーム!
だったが、その心情は、中学時代の熾烈な競争論理=
チームメイト愛?イヤ、みんな白々しい笑顔で接しているが、
本質は、転けてしまえば嬉しい「ライバル関係」。

そんな経験と、トラウマが下地になって、そう言うことから
出来るだけ離れたかった心情からのものだったと思う。

やがて、リーグ戦が始まると、さすがに一年坊たちのモチベーションは
突然最高潮を迎える。やはり試合になると、普段は殺意を抱く
ような粗暴な先輩達も、やはり同じチームの選手という一体感が
奇しくも生まれてしまうのだ。

自分は、今はまだオフサイドも良く分からないぐらい
何も出来ないけれど、早ければ来年にも、同じピッチで
チームの為に働くのだ!活躍するのだ!と一年坊のモチベーションは
マックスになるのだった。

そんな感じで、中学一年坊の、長い長い一学期は終り、
さらに怒濤の夏休みを迎えるのだった…。



そんなサッカー三昧の日々も、だんだんと時間のマネジメントが
器用に出来るようになると、結構レコードを聴く時間も、
ギターを弾く時間も、その他諸々、英語塾にだって通ってたし
様々なことが、随分とどん欲にできるようになるから、
今にして考えても、その多忙さたるや、どうやりくりしてたのか
謎でもある…。勿論深夜も、ラジオにかじり付いて聴いてたし…。

そんな中、何故だかこの頃に初めてマイルスのレコードを買っている。

On The Corner…

実際には、小学生の頃に、既に家には、マイルスの「Kind Of Blue」や
「Nefertiti」が何故だか置いてあったから、なんとなく
聴いてはいたけれど、それはあくまでもコンテンポラリーな
ジャズトランぺッター=マイルス・デイヴィスのサウンド…。

勿論「モード・メソッド」なんて当時は全く分からない。
今でも、分かったような分からないような、情けない感じだけれど...。

70年代になると、ロックビジネスが突出した産業に成長。
それにうまく乗じてマイルスも売り出そう!って分けで、
ロックフェスなんかに出演が多くなり、どうしたわけか
ひたすら8ビートのエレクトリックサウンドに傾倒するマイルスと、
産業界の思惑その通りに、うまいこと誘導される
日本の最果てのサッカー少年の中坊…。

そういうわけで、ある日、ゲバ学生だった叔父も、
無事大学を卒業して、給料取りになると、

「おい、レコード買ってやるぞ!何が欲しい?」

っていわれると、ちょっと叔父に対して背伸びしたくなって、
このレコード(最新盤)を所望したというわけ。

まあジャズレコードは、その少し前に「リターントゥーフォーエバー」
を入手してたけど、今考えてみると、RTFもマイルスも正当な
ジャズじゃなかったかもね….?。でも自分たちの時代は確実に
こうした電化サウンドが、まぎれも無く最新最先端のジャズだったことは
もはやいうまでもなく、何故だか誇らしい気持ちと、ホントはとても
厄介なサウンドと格闘していた中坊なのである。

Miles Davis - Black Satin


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折角の人生経験だから....

DSC07168.jpg
Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

エルマー(F3.5)は、意識的にモノクロで使うことが
多いんだが、カラーもなかなかどうして、
いい具合に…不気味でオドロオドロしい。


迂闊にも風邪をひいてしまった。

困ったことに、オンボロボロな心肺機能の為に、
風邪は、なんだか普段とは別の、とてもややこしい感じで、
自分の心身を圧迫して来る。

困ったことのその半分は、一向に下がらない熱のせい
(高熱ではない)による、いつもとは違うタイプの目眩いと、
レギュラーな目眩いの両方が、同時多発的に発生したりすると、
言うなれば、縦ゆれと横ゆれの地震が同時に起こってる感じ。

しかも、それが寝ている間に起こると、360度宇宙遊泳みたいな、
そんなヤバいクスリ要らずな、得なのか損なのか、全然分からない
天地無用さは、やっぱり気分が良いはずがない。

最後は、実際に経験はないが、ちょうどエレベーターの床に
ペタリと横になって、上がったり下がったり…
っていう感覚が、ちょうど宙に浮いて上昇と下降を繰り返す
そんな感じ。

特に、下がる時の「落ちてゆく感」が、絶妙かな…?

まあ、折角だから、それも人生経験…なんてね…
努めて前向きに考えるようにしてはいるが、
なんだかラリパッパな話みたいだね…

どうぞ誤解なきよう。



具合の悪い時は、尖った音楽ではなくて優しい音楽を…

ビーチボーイズのソングライティングといえば、もっぱら
長兄のブライアンウィルソンのみだと思っていたら、突如
意外な伏兵が、もはや奇蹟に近い名曲をグループにもたらした。

ブルースジョンストン作の「ディズニーガール」。

Bジョンストンといえば、そもそもはブライアンが神経衰弱(?)
がモトで、ツアー参加をいやがり、その代わりにグループが
ツアーに出ている間に、楽曲作成+レコーディング(カラオケ?)を
完了しておく言わば分業制が確立しており、そのため、
ブライアンのトラというか、ツアー用のベーシストとして雇われ、
その人格的な温厚さから、バンド内の様々な恩讐や軋轢にも屈せず、
また誰にも偏って組せず、いつもニコニコ公平な態度が好まれて、
以後何十年もグループに居続け、コーラス面でも重要な役割の
もはや欠くことが出来ぬ正式メンバー!。

そんな遠慮がちな彼が、70年代の、ちょうどバンドの停滞期...
というか、もはやビーチボーイズなんて古いぜ!何ていわれた
時代に、突如、そういう隙間を縫うように、ひっそり
発表されたのがこの曲…。

あっという間に、ビーチスはもとより、様々な歌手たちに
カバーされ、作曲家としてのブルースジョンストンの才能が
認められるのだが、さて、彼は単なる一発屋だったのか?
それともまだ、ややこしいビーチボーイ一族に気を使って
作らないのか…?

本当のところは誰にも分からない。
以後、Bジョンストンに、これ以上の目立った曲はない。

そういうわけで、奇蹟の名曲!...だと思うのだがどうだろうか?

Beach Boys - Disney Girls


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簡単な男

DSC07310あ
P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)

アンジェニューのド古いレンズ(スチル用)は、
ファインダー越しの段階で、既にゆるゆるふわふわ、
ぼんやりしているから、手動焦点合せは、あまり
考えすぎず、「まあ…この辺だろっ!?」っていう
見切り発車が肝要。

だから神経質すぎる人には、絶対シャッターは
押せないレンズで、自分のようなズボラな向きには
いい加減なわりには、時々、ハッとするような
写りに驚かされつつ、ついつい、己の才能に
自惚れたりすることもあれば、全くその逆もある…。

つまりは一筋縄ではいかぬ、じゃじゃ馬レンズ。

だから面白いんだが、ヤッパリね…
ここ一番の記念写真とかは、そりゃあ敬遠するわねえ。


私が大学浪人の予備校生だった時まで住んでた
実家は、当時はまだ普通に木造モルタル二階建て…
だったけど、一階の道路面を、骨董屋の店舗に貸していて、
その裏側の、廊下を挟んだ奥に我が家のリビングがあって、
あとはその廊下を進んで2階の一番奥が私の部屋…。

基本的に店舗の為に、鍵は掛けない家…。

私が高校生のときから母も外で働くようになったから、
二階の奥の部屋は、もう出入り自由の溜まり場状態。

私が在宅だろうが、留守だろうが、全くおかまいなしに
友人やら、友人の友人や、時々、全然知らないヤツまでが
どんよりと溜まってる....。

別に忍び込んでくるわけではないから、
大音量でレコードを掛けてたり、
エレキギターも大音量で弾き放題らしく、
自分の知らないところで、ご近所から大クレームを
いただく日々…。

「音楽に熱心なのは良いことだと思うよ!でもなあ、
ウチ、知っての通り、寝たきり老人が居るからさ、
もうちょっと静かにさ…なあ頼むよ。」

最近、そんな昔の仲間と酒を酌み交わしてたら、
驚きの新事実…。なんと、私の部屋だけでなく、
リビングにまで奴らは侵入し、冷蔵庫とか
いろいろ勝手に食ってたらしい…!。

イチゴとか、スイカ、前夜のカレーの残り、そして
箱買いの明星チャルメラまで、奴らは平らげてた…
ちょっと啞然...。

レコードや本なんかも、どこまでが自分もので、他人のもの
なのか、もはや判然としないほど、たくさん(無断で)借りて行かれ、
また、知らぬうちにどんどん増えてたりする…。

勿論キチンとメモは残しておいてくれよ!っていうのが
最低限のルールだったから、誰が何をいつ持っていったかは
分かるようにはなってはいたが、いかんせん、知らぬうちに
勝手に増えたものに関しては当然与り知らぬところで、
メモに….

「10/5ドンチェリーとマークアモンド借りた・ヨシオ」

そんなメモがあったにしても、「ドンチェリー…なんだそれ?」
「マーク/アモンド…うわあ、聴きたかったのにい!」って具合で、
誰かが勝手に持ってきて置いていったくれたものが、
私の帰宅を待たずに借りられてしまう…そんな事態も発生するのだ。

ある日、一度しか会ったことがない、別の高校の「友達の友達」
というヤツが、帰宅したら部屋にひとりでいた(それはそれで不気味だが)。

ヤツは私に1枚のレコードを手渡した。
Nicoの「The End」っていうアルバム...。

実はNicoはとても気にはなってたアーティストだったのだが、
ヴェルヴェッツ以降は、しっかり聴いたことがなくて、
ああ、ヤツはこれを貸してくれるためにここに来てくれたのか?
有難いなあ...って喜んでたら、事情は少し違った。

ヤツが前回私の部屋に来た(らしい)時に、レコード棚から、
King Crimsonの「Earthbound」を見つけると、ヤツは
もう堪えることが出来ない衝動に駆られ、同行した私の同級生に
借りて行く旨を伝えて、それを借りて帰ったのだそうだ。

ところが、それを私もよく知る「ロック喫茶=てんぐのうちわ(!)」
で掛けてもらって聴いてたら、顔見知りの別のお客が、
どうしてもこれを、自分ちのオープンリールで「録音させてくれ!」
と懇願するのだそうだ…。
(まだ輸入盤店がタダの一つも存在しない田舎ならでは…である)

その顔見知りの家はすぐ近所だから、1時間だけ「頼む!」といわれ、
ヤツは渋々了承したのだが、遂にそのお客は戻っては来なかったそうだ。

ヤツはヤツなりに相当悩んだらしい。
大袈裟なヤツで、死んで詫びることも考えた!?とのことだが、
共通の友人に相談すると、

「ああ、Pちゃん?アイツならさあ、なんか気に入るレコードでも
持ってきゃあ、赦してくれるよ!そうだな、オマエさんが
持ってる中では、Nicoのあの新しいヤツ…The End…だっけ?、
あれなら、絶対に気に入ると思うよ!?」

で、まんまと…単純に小躍りして喜ぶ私なのであった….。

今更どうでも良い話ではあるけれど、一応レコーディングメンバーは
Brian Enoがシンセサイザー、Phil Manzaneraがギター、
そしてJohn Caleがピアノやベースやパーカッション等々…。

プロデュースは、実は今の今まで勘違いしていて、
てっきりEnoだとばっかし思っていたら、
何とジョンケイルだった。

やっぱ、ヴェルヴェットアンダーグランドゆかりの人の方が
馴染みは深いのだろうか…??

Nico- You Forget to Answer


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わしらは改革派!

DSC06888a.jpg
Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

ゲイノー界を追い払われ、やむなく流通の業界に入った私。

その時点では、業界のカーストというか、食物連鎖の
その頂点にあるのが、「百貨店」という巨塔だった。

流通関連業者として、百貨店という舞台を得られることは、
最大のステータスであり、会社の経営面でも安定を意味していた。

百貨店には、たくさんの集客力があるから?

それもあるけれど、隠語としてよく云われるのは、
一流百貨店には「クジラが回遊してる」…ということ。

それも「運転手付きのベンツに乗ってやってくる、
光りモノをジャラジャラさせたごっついクジラ…」。

しかし裏を返せば、百貨店は度を超した
「お客様第一主義」に陥っていた。

万引き犯を追いかけ、捕まえたら、カバンの中からザクザクと
値札がついたままの盗品が….ところが、百貨店管理者側から
叱責されるのはなぜか捕まえた業者側の私…。

お客様に謝罪しろ、土下座して謝れ、菓子折り持って
お宅まで謝罪に行け。何としても「お客様」のお怒りを鎮めろ!....。

事勿れ主義?

私が業界に入って、まださほど日が経たない頃、
百貨店経営陣側の大スキャンダルがあって、店舗は一斉に
「お詫びセール?」ということで、大バーゲンを展開した。

当然、我々業者も、これまで5千円で売ってたモノも1千円程での
大廉売に嫌が応もなく協力させられた。

セールに集まるお客様は、普段の客層とは相当違って、
物見遊山な感じの、なんだかイヤな感じでもあったのだが、
そこで事件は起こった。

今は流通してない、ヨーロッパの銅貨コインに金張りをした
タイピンか何かだと思うが、日本橋店でそれを1千円で購入したオッサン…
いやいやお客様は、何を勘違いしたか、すぐさま御徒町辺りの
貴金属買取りショップに向い、その1千円の金張りコインを
鑑定→アワヨクバ換金しようとしたらしいのだ。

改めてそこで金張り=金メッキと知ったお客様は、
百貨店の経営上層部に直接クレームを入れたらしい。

「騙された!とんだ偽物を掴まされた。インチキデパートめ!」

元々スキャンダルに塗れて苦しむ百貨店は、
我々に通告するより先に即行動を起こし、なんと「本物」の
金製品(5万円相当)をオッサンに、いやいやそのお客様に進呈し、
事をおさめたのだそうだ。

勿論、無条件で、我々から5万円を回収する百貨店。

それでも、泣き寝入って百貨店様のなすがまま…
それが業界の慣例らしいのだが、
私にはそうは思えなくなっていて、
「脱百貨店」的なマーケティングを起草し、
実行に移し始めるのだ。

ターゲットは当時拡大を続けていた「駅ビル」や渋谷辺りに
出来つつあった「ファッションビル」など。

それぞれのテナントは小規模店に違いないが、
今は全国10店舗だが、2年後には30店舗、
5年経てば50店舗…。

百貨店に比べれば、客層も若いし、単価も低いかもしれないが、
流行にはより敏感で、反応も早い。

我々の脱百貨店作戦…実は社内も外も、最初は散々な評価で、
気が狂ってるとまで云われたりした。

あいつは百貨店の「付加価値」「プライオリティ』が分かってない。
絶対失敗する…駅ビルなんかにやってくる若いOLとか、総じて
貧乏人なんか相手にしちゃ駄目だ…。

いつしか社内には「百貨店事業部(守旧派)」と
「チェーン店開発事業部(改革派)」というのが並列し、
何とはなしに競うような形になっていた。

思惑通りに。百貨店文化は、80年代の途中くらいから、
急速に衰退した。

そして国鉄からJRに経営母体が替り、駅ビル等をさらに
整備して利益幅を拡げようという気運にもうまく乗って、
当社の事業規模も、あっという間に数倍に膨れ上がった。

当然、我々の築いた道とはいえ、それを後から追いかけて来る
ライバル業者も多くなったから、競争力を増し、差別化を図る為に、
毎月の商品企画会議が、毎週になり、やがて殆ど毎日になった。

そうやって金が余り始めると、経営者と云うのは、
仕事自体よりも、その有効な運用というものに興味が移るらしい。

時折しもバブル景気....。
気がつけば….既に末期症状!?....。



わりと久しぶり….といっても数ヶ月ぶりだが、
Frank Zappaの新作…というかアーカイヴが発売された。

例によって腹一杯のヴォリュームのボックスセット(やれやれ)。
1977年の、恒例ハロウィーンライヴ@NYパラディアム
4日間全6公演コンプリート…!

Zappaの場合、1公演でもCD2枚組のヴォリュームは
楽にあるから、おいおい、何枚組になるんぞや?...と思ったら、
今回はメディアが「USBスティック(!)」だって…。
(ダイジェスト版としてCD3枚組も用意されてはいる)。

それに、オマケかメインか分からないけれど、ハロウィーン用に、
Zappaのお面と、裸イラストTシャツのザッパ扮装セット付き...
(いらねーな…)

内容はもう映像の方でお馴染み「Baby Snakes」の
音の方の完全版ということになる。

この時期は、テリー・ボジオとパトリック・オハーン以外は、
加入したばかりの新メンバーなのに、既に完璧にサウンドが
練れていて、エドリアン・ブリューなんかも
加入したばかりなのに、ギターにハモニカに唄に踊りに、
相当の熱演である。

何しろ全6公演では、たくさんの曲が演奏されているけれど、
本日はたぶん中でも一番セコいというか、ザッパにしては
相当に塩っぱい曲を、敢えて紹介する。

たぶん…この時代、ザッパの音楽自体は、とても充実していたのだが、
所属レコード会社と例によって契約問題等々でモメて、
結局「Zappa Records」っていう自主レーベルをまたまた
立ち上げることになって、そうなると、資金稼ぎの為に
シングルヒット…欲しいよね!ってわけで、
随分とポップというか、小さくまとなった感のあるDisco Boy…
なんつってね...ヤレヤレ...なんざんすね、これが…。

日本公演はこの前年だったわけだけれど、この時はまだ
その前の新バンドを結成したばかりで(結局失敗バンドだった!)、
正直に云うとサウンドは全然練れてなくて、ちぐはぐさの
目立つ、ザッパらしくないなあって部分も多々あったわけだけれど、
そんな時も、ひとり気を吐いてたのがこのテリーボジオ!。

なにしろ彼の太鼓は音がデカい!。
PA的な音量がどうのというのではなくて、
音に、圧というか力がみなぎっているから、何しろ
音楽に与える活気がもの凄い!。

その上で.彼の天性のノリというか、グルーヴ感に
バンドはかなり助けられていたように思うけれど、
77年のこの時も、冒頭のドラムの異様なノリと
R&Rなビート感には畏れ入る。

そして名手オハーンの、ウネウネと絡み付くベースも
大好きだし、ブリューの意外に堅実なプレイも何故か笑える。

ザッパによる、ちょっと困ったセコい曲も、なんだか
この3人だけで完璧なノリのR&Rに変貌…いやはや凄いな!って、
感じ入るわけです。

それにしてもこのハロウィーンメイクのお客のオネーチャンは
仕込みなんだろうか、ホントに客なんだろうか???

Frank Zappa - Disco Boy


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