ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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今年もお世話になりました

DSC00422.jpg
Enna-Werk München 'Lithagon' 3.5/35(Early-1960's)

相変わらず体調はよくない。

今の願いは、無事に元気にワールドカップロシア大会の
1ヶ月の激闘を全試合コンプリートすること!ただそれだけ。
自分的には、まだまだ2020東京五輪は見えてこない…。

人生の中には、様々な事が上手く行かず、辛く苦しく
途方に暮れる場面って結構ある。自分の場合は大概が仕事がらみ。

そんな時に、ああでも次のワールドカップだけは、しっかり
観ておきたいなあ…次のメキシコだけは…イタリアだけは…
アメリカは…。そして人生で一番苦しかった時は、
「2002年日韓大会までは、なんとか今のまま頑張って、見届けよう…」

まあ結局、その時は昼も夜も忙しすぎて、殆ど試合を観る事はなかったが…。

それでも辛うじて、これで数ヶ月間は、もうお休みは頂けない
のを覚悟の上で、一日だけ休みを貰って、鹿島スタジアムに観に行った
アルゼンチンの試合…しかしだ…あまりにも疲れていたのか、試合中
ずーっとスタジアムで居眠りこいていたりする…。

脊髄の病で3ヶ月入院。その最初の手術の前夜が、2006年
ドイツワールドカップの初戦オーストラリア戦。
これはもう苦しい闘いだった…って、サッカーではない。

何しろ翌朝、背骨を割り神経にアクセスする大手術が
控えていたから、看護師さんは気を利かせて、
「緊張して眠れないとイケナイから、誘眠剤入れときましょうね」って、
その点滴を入れたものだから…確か夜23時頃のキックオフ…
もはや私は猛烈な睡魔との闘いに挑まねばならぬのだった。

そしてあの時は確か…試合終了間際に3点たて続けに入れられて
逆転負け…。もう絶望的な気分で…後半ロスタイム経過.3分…
私も…落ちて悪夢の中もがいていた。

4年後はあのブブゼラもケタタマシイ南アフリカ大会。
あの時も、1ヶ月くらいずうっと体調が悪くって、それでもちゃんと
仕事はしてたんだけど、たまらず近所のキリスト教系の病院に行くと、
「入院」…ただしこの病院の雑居病棟にはテレビがなく、たしか
決勝トーナメントのエクアドル戦直前に、仕事が忙しいからと
主治医の制止を振り切って強引に退院した。もちろんその病院は
その後、出入り禁止….と、勝手に思い込んでいる。

それがマズかったかどうか解らないが、同じ年の暮れに、
心臓の手術で別の病院だが、入院…そこでは家族に
「危篤」を経験させてしまった。

そして2014年ブラジル大会!皆様のご期待に違うことなく、
私はまたしても入院…!。さらに云えば、去年の夏は、
盲腸(虫垂炎だが)の手術日の翌朝が、ブラジル五輪の日本初戦…。
確か、ノートPC型のテレビを集中治療室に持ってきてもらって、
全く角度のない状態の超伏せ目状態のっ辛い体制で、
サッカー観戦していた…。

急に思い出したけれど、1998年のフランス大会予選の最中に、
私はフットサルで骨折….やはり病院のベッドで、夜中のカザフ戦とか
ウズベキ戦を観てたかな…ハーフタイムになると、病院の外の
「喫煙所」は入院中のサッカー好きで満員すし詰め状態。
皆それぞれが深刻な病人なのに、興奮して前半の我らが代表の活躍を
語り合っていた。あれはあれでちょっと貴重な体験だったかもしれない。

退院後、国立での最終戦には、松葉杖をついて
現場にいたけれど…。ホームでの韓国戦のチケットが
いつも通り取れていたならば、骨折する事もなかった話なのだがね…。

そんなわけでワールドカップイヤーの2018年…無事に私は
大会のTV観戦が出来るのでありましょうか?
乞うご期待でありますな…。

というわけで、旧年中は、様々ご迷惑もお掛けしたりして、
皆様にはいろいろお世話になりました。

特にカラダが辛いとき、入院等々で、ホントはとても
心細い時に、力強いお言葉を頂いたりして、嬉しかったです。
新年もまたよろしくお願い致します。



さて、いよいよ今年最期のオオトリである…。

一年の終わりになってもまだ毒づくわけではないけれど、
今の「こおるどぷれー」だとか「にっくるばっく」とか、
「まるーん5」とか、あとなんだ?いろいろちょこちょこ
聴いたりもするのだが、自分の齢とって退化した耳がイケナイのか、
どうも良さが解らない…というか、全部R.E.M.のこの曲に
聴こえてしまうのだ。

ってことはやっぱり、改めてこれは名曲なんだろうなあと思う。

確か95年の同じような時期に、ジェフバックリーとREMと
パールジャムがたて続けに来日して、まあ全部好きだったから、
全部観に行ったけど、パールジャムは正直ちょっと期待はずれ。
ジェフバックリーはステージに天使が飛び回っていて感動的。

そしてこのR.E.M…実はインディーズの時代から、彼らは主に
英国で評価されていたらしく、英盤シングルが間断なく発売されていたから、
その頃からの、随分長いおつきあいとなっていた。

先に「こおるどぷれー」がどうのと揶揄してしまったけれど、
R.E.M.の音楽から醸し出されるのは、歴代の米国や英国のロックの
歴史を築いたお歴々たちの足跡というか魂みたいなもの。

エルヴィスがいて、ディランだったり、ビートルズやキンクス、
トラフィックだったり、バーズにバッファロー...ジャクソンブラウンも居るし、
アルクーパーやザ・バンド、ああジムモリソン=ドアーズの影も見える。
デッドも居るし、そこに隠れてるのはルーリードさんかい?
そしてキャプテンビーフハートの魂までしっかり入ってるぞ!
そんな豪華絢爛な、豊穣な音楽...そんな気がしていた。
褒めすぎかな...まあ年末なので!

さて来年もよろしくです! 

R.E.M. - Losing My Religion


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凍えて縮こまる哲学

DSC08845あLeitz - Summar 5cm/2 (1937)

当然といえば当然の話なのだが、何しろ寒い!

朝、いつものように起床して、眠い目を擦りつつ、
まずはパソコンにパワーを投入する…。

いつもなら、起動中の時間を利用して、暖房を点け、
用を足して戻れば、いつものように勝手にラジコが起動して
TBSラジオ、伊集院光とラジオと…のオープニングテーマが
流れている筈だ。

ところがその日は窓外も大雪で真っ白だが、パソコン画面も
何故か真っ白…あれ….?

軽く焦りつつ、緊急時起動のショートカットキーを押しながら、
何度か操作を繰り返しているうちに、やっと聞き慣れたメロトロン風の
ジャーンっていう起動音が鳴りつつ、いつも通りアップルマークが
無事現れて、取りあえず一安心…。

何だったんだろう…ウィルス??

メール添付型のウィルスは、確かにたまに混じって
入り込んでは来るけれど、ほぼ間違いなく、マックでは開けない
.exeファイルの類いだから、マックにおいてこれは「不発弾」、
速やかに異物、イヤ、汚物処理をすれば問題は無い。

しかしそれではなさそうだ。寒すぎて、結露でもしてたか?
火の気も無い部屋だから、それも無い…

半導体が、寒すぎて通電しないのか??
全く冗談みたいな話だが、どうも原因はそれらしい….?!。

それほど今年は寒いってことか??
うーむ…まだまだ春は遠いし、実は春までには
成し遂げておかなきゃならない、厄介な命題もある…。
なんだか絶望的な気分の年の瀬だったりするのだ。



当たり前の事だが、ロックもジャズも、たぶんクラシックも、
言ってみれば音楽そのもの以上に、作者や演者の「哲学」が
重要であったりするわけで、それを聴き手の方が感じ取れるか否かが、
音楽を知る大切な鍵となる。

例えば、ビートルズ。

ヒトは、ビートルズを、押しも押されぬ20世紀最高の
ロックグループ…と、実に簡単に、あたかも平伏した体で彼らを
持ち上げる。しかし、何が押しも押されぬ特別さなのかを
質問しても答えはまず出てこない。

「良い曲が多いから」

「知ってる曲=聴いた事ある曲が圧倒的に多いから」

「天才の集団だから(??)」

「みんなが褒めるから…」

昨今、また脚光を浴びた格好の「報・連・相」の習性が
自分にもカラダに染み付いてるから、その習性から、
手早く結論から言うと…たぶん、自分が知ってる多くの
ジョンレノンファンが、憧れのジョンを通した形でビートルズを
覗いてみると、とても哲学的で、言葉一つ一つに重要なメッセージが
込められているのではないかと辞書をひも解き調べる感じ…。

そして、今では単に君は新しもの好きだったんだよなあジョン?
って云えるけど、昔はとにかく先進で先鋭…サイケでコンクリート。
普通の甘いバラッドも、なんだか深淵で捻くれ捩れて聴こえる…。

その奥行きの深さは、もはや比肩しうるグループが存在しないほど
唯我独尊な雰囲気が漂う。

実際にはLoveとPeaceとDreamと、あとはHelpとか
TiredとかLoser…くらいしか云ってないのだが、
私のレノン好きの友人などは…

「ジョンがやるなといったから絶対やらないぞ…ゴルフ何て!」

もちろんそんな事はジョンは一言も云ってないけれど、
様々な詩や言葉から、それぞれが勝手に感じ取り、彼には
ゴルフなんかやるな!...と聴こえたのだろう。
(丘の上の住人になるには、微笑みながら人を殺すことを
覚えなきゃならないだろう…という事は唄ってるけれど)

77年の夏、ジョン一家は、軽井沢に1ヶ月近く滞在して
いたけれど、毎朝、ショーン君を連れて、自転車に乗って
焼きたてのパンを買いにきてたって云うから、確かに
ゴルフはしてないと思う。

一方、ポールマッカートニーを媒介としたビートルズの景色は、
全く違って見えて、それは往々にしてジョンよりもアカデミックな意味で
音楽的。

「良い曲多いねビートルズ」

「なんか落ち着くよね、ビートルズは」

「でももっと凄いグループが他にありそうにも思えるなあ..」

たぶん世に溢れる、「なんとなくビートルズ好き」は、
こんな感じなのだろうな。好きな曲は「ヘイジュード」に「ミッシェル」
に「レットイットビー」に「イエスタデイ」…。
まあ確かにあれらもビートルズに違いはないけれど…。

いずれにしても、哲学を感じない音楽に、なんの魅力も感じる事はない。
元々は溢れるほどあった哲学も、ある日あるとき、突然すべてが消えて
しまったアーティストというのも少なくない。
ジョンもたぶん、そうなってたかもしれないけれど、
まあ良い時に亡くなった…って云うのは言い過ぎだろうか?

「ジョンの魂」ってアルバムは、間違いなく全曲が
凄まじく、赤裸々で、恐ろしく、悲しくて、そして美しい。
特に凄まじいのは「労働階級の英雄」と「ゴッド」の2曲…。

1年の終わりは…ゴッド…で行こうか。

.中1で初めてこれを聴いた時は、まあ簡単な英語って云うのも
あるけれど、ジョンの言ってることがすべて理解できるような気がした。
とにかくこの人、相当に病んでるなあ…って。

昔は、ビートルズもディランも信じない!っていうのがショッキングだけど、
大人になるとね、冒頭の「神とは概念 それぞれの痛みの尺度による...」
が、何とも鮮烈だ。むかし、しつこい新興宗教勧誘の同級生に
これを教えたら、「ジョンレノンってのはトンでもねえ小乗の野郎だ!」
「徳がない!」とか抜かしたから、仏教は関係ないだろう!って喧嘩になった。
まあ意識的に仕掛けたんだけどね。

で…結局、哲学って何さ?..

神に選ばれしカリスマ!何て言ったって嘘くさいしね...

たぶん「病んでるってことを隠さない事」

違うよ…きっと??


God - John Lennon


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ベニーさんは良い人だ

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P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)


雪深いN県にある、こじんまりとしたスキー場…。

まだ関○自動車道が全面開通しておらず、クルマで行くには
いくつもの峠越えで、それなりの忍耐力を要したけれど、
開通してしまうと、俄然利便性が高まり、周辺のスキー場は
軒並み大流行り。

後年、そこいら一帯は、突然地価が暴騰し、
リゾートホテルやマンションが乱立するようになって、
いわゆるバブル景気の象徴となる地域だが、
まだ時代はそこまで深まっておらず、牧歌的で
こじんまりしたゲレンデ脇の小さなスキーロッジが
本日の舞台である。

60年代に自己破産した某大物タレントK(今も現役でサライ?)の
所有物だったそのスキーロッジを、負債の肩代わりか競売か、
よくは知らぬが、会社(芸能プロ)が入手したものらしい。

オフシーズンも含め、通年開業しているのは、
ひとえに、そこに常駐で勤務している支配人やシェフや
従業員の方の生活基盤がそのロッジにあるからに他ならず、
そこに働く、比較的ご高齢の方々は、支配人こそ、
立志伝中の芸能プロ社長のご兄様だが、その他は社長の
バンドマン時代のメンバーや、プロダクション創立期に尽力された方々…。
ハナさんや植木さん、谷さんら世代の、さらにその先輩たる方々だ。

そんな感じだから、オンシーズンの冬は冬で、
週末ライヴとかで当番制のように、タレントやバンドが東京から
駆り出され、私など下手をすると毎週のように通ってたり
したわけだけれど、実はオフシーズンの夏場には、
コンサートツアーが近いタレントとバンド、ダンサーや
コーラスさん方のリハーサル合宿だったり、芸人さんたちの
ネタ作りや、ワークショップなどで、それなりにロッジは忙しく、
大先輩たる、今は黒服のベテランスタッフさん達も大忙しなのだった。

そうしたわけで、ある年の秋、季節外れのスキーロッジに
私は到着した。

新しく結成した「お仕事バンド」の音固めと、バンドの
プロモーション用音源を作るため、そこに二泊する。

到着すると、顔見知りの支配人が...

「あれえ、ゆにっとなんとかって...、Pちゃんのバンドだったんかい?」

「うん、急に決まっちゃって…ヨロシクお願いしますね」

そんな調子で、冬期には、宿泊客以外にも大勢やって来る
レストラン・バーで、ライヴハウスにもディスコにもなる
ラウンジで、我々は音を出し始めると、早速、進駐軍廻りの
思い出話にいつも付き合わされる、往年の老バンドマン達が
燦々度々、集まり始めた。

しかし….その大先輩たちが、意外に「うるさい」のだ。

「今のとこ、ストントトンじゃなくて、間にベードラ咬まして
 ストドトドトンだろ?」

「Em7のとこさあ、短5度…挿した方が、それっぽくなるんじゃね?…」

「た、たんごど…っすか?」

我がお仕事バンドは、私以外は、東京芸大、桐朋出身者と、
ドラマーは長い事、某有名ドラマーのボーヤさンだった人。
各人が、ジャズやフュージョンの大御所のバンドや、大歌手の
伴奏者等々、輝かしい経歴の人たちで、私よりも7〜8歳年上の方々。

そんな中、殆ど独学素人同然で、しかも最年少(21か22歳だった)
で、経験も豊富とはいえない私…。

ただただ、ギター自体の腕よりも、バンドマン以外にも
様々なギョーカイ人の役を演じていた(?)関係で、
奇妙に幅広い人間関係や交渉力(?)から、敢えてアイツを入れておこう!
的に、バンドに誘われた感じのそうした立場に、実は不安と苛立、
そしてある種のコンプレックスを抱えていて、そこに、大先輩たちの
直球過ぎる指摘等に、実はびくびくしてたりするのだった。

さらに不安とコンプレックスの大きな原因と理由は、
バンドのメンバーも大先輩方も皆が皆、根本的に

「ジャズ屋さん」であること。

ロックなんて、ハナから小馬鹿にしてる感じだから、
ギターの音を少し歪ませただけ、ペンタトニックやブルーノートを
ちょろっとなぞっただけで、クスッと笑い声が聞こえたような
そんな恐れを抱いていたり、また、チョーキングヴィブラート
っていうロックギター特有の小技を使っただけで、

「音程はきちっとな...!」等と、指摘され
他にも様々ある、ロック的な音出しのクセみたいなもので
むしろ音程がボヤカすような、グリッサンドというか、
ポルタメント的な技法には、おもむろにイヤな顔をされる。
それがまた、こちらの苛立ちの原因でもある。
(変なしゃくり癖っていわれてた..たぶんクラプトンの真似が
抜けきれてないのだ.....)

でも、やっぱりお仕事の為には、より強固で完璧な
アンサンブルとバンドのノリを構築せねば。そして
何よりもサックスやピアノとのハーモニー優先だから、
わざとベタなカタカナ発音で英語を話すような感じで
1音1音はっきり発音するような弾き方をしたりして
それが結構、自己嫌悪に陥ったりする。

しかし、何せこのバンドは業界内でも相当に期待され、
且つ同業者には異常に警戒され、どういう経路か、
こちらの情報が、だだ漏れ状態なのも知っていたから、
尚更焦る…失敗できないって思いも強かった。!。

あんまり音楽…楽しくないな…そんなことを思いつつも
やがて夕食を済ませると、支配人が「オレの部屋に来い、
みせたいものがある」というので、メンバーと、ごそごそ
支配人の部屋?に入ると、ベータマックスの巨大なビデオデッキがあって、
観せてくれたのが、ベニーグッドマンの武道館公演。

そうだ、そういえば、来日してたんでしたねえ…。

支配人はウットリしながらビデオを見つめ、云うのだ…

「オマエらさあ、まだ若いから、これが分かるかどうか
微妙だけどな、この音量、バランスこそが本当のジャズなんだよ」

クラーの息づかい、ピアノの今一瞬だけこっそり叩いたテンション、
ベースの絶妙な間引き方…完璧だね。

「自分の音より、隣の楽器の音、あるいは周囲のサウンド
全部を、身体に染み込ませて、まずは演奏者自身がそれを
楽しむってのが、ジャズの本懐なんだなあ…」

支配人は、画面から視線を外さなかったが、
暗に自分に云ってくれてるのだな…すぐにそう感じた。

確かに自分は余裕もなく、己のプレイだけで精一杯…
そんな今日の自分だった。いや、もしかすると、
いつもそうだったのかもしれない…。

仲間の発するサウンド、ノリを身体に感じながら、
自分の音を自然にブレンドしてゆく…そうか、明日から
心掛けてみよう…。

すると単純だが、何だか音楽が俄然楽しくて、
明るいものになったような気がした。

今でもたまにだが、ベニーグッドマンを聴く。

信頼する仲間たちが居て、自分が居る…。
仲間たちは私の音を聴き、私も仲間たちの奏でる音を聴く。
当たり前のことだが、そこに音楽が生まれる。

自分の功名心やら、慢心やらで、音量を上げ、
手前勝手なプレーをすれば、仲間も上げて…。

音楽はその途端、破綻する。

そんなことを思い出させてくれるのが自分にとっての
ベニーグッドマンで、かけがえのない「宝石」だったりする。

まったく蛇足なのだが、その時の自分たちのバンドは、
結局は、ちょっとした人間関係の縺れと、イヤな感じの金銭問題が
絡んで、まずは私が閉口して脱退し、その後間もなく瓦解し
プロジェクトは失敗する…。

私はまだ独り者だったけれど、他のメンバーには家庭があって
子供が居て、入進学…そこまでの生活感は、当時の自分には
なかったな…反省すべきは私であったかもしれない…。

Benny Goodman - Memories of You


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勇気があれば

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

Sweet and Cocktail...で、アズキバー(バル?)って....??

ある時期から、突然、「月夜のカエル」とか「象のため息」とか(?)
「白樺」か「ホトトギス」か知らないけれど、いずれ叙情派系の
看板が、街にちらほら出現し始めて、興味を掻き立てられつつ、
果たしてここは何屋さんなのだ??..と、ついつい、暖簾をくぐって
みなければ気が済まないような、そんな物見遊山な性質ゆえ、
まんまとその術中に嵌められていたように思うが、
近頃はもっぱら、夜、出歩く事がなくなっちゃったから、
いつまで経っても、謎は謎のまま…ちょっとまずい状況だなあ…。

この時期いつも感じるんだが、あれだけクリスマスだあ!って
街中クリスマス飾りと唄や光で盛り上がってるのに、
ひとたび26日になったら、見事にクリスマスディスプレーは
跡形も無く取り外され、突然年の瀬のせわしないムード…。

カニだあ荒巻鮭だあ、餅つきだの、しめ飾りの準備だの…
クリスマスの余韻も何もあったもんじゃあ無い!

因みにキリストの生誕地は、エルサレムの中心から10kmの
ベツレヘムという場所という事になっているけれど、
現在当地はパレスチナ自治区内…。この辺りの事情だけでも
いろいろ想像ができて、もう、クリスマスどころじゃあ
ないどろうね!?ご苦労さん…って、他人事ながら思ってしまう。

かつて、自分的にはあまり仕事が上手くいってない時期では
あったと思うが(たぶん、詐欺にあった20代後半か30代の頭頃?)、
家人が突然、私を東京湾岸の某神社に連れ行き、私に言うのだ…

「あなた!これから勉強して、ここの宮司になる気ない?」

確かにそこは日本武尊由来の由緒ある神社であり、それでも
江戸期の神仏習合時代の荒みきった状態の残る明治期...
それを憂いた家人の先祖が、明治天皇の妹君(後年竹田宮に嫁ぐ)、
それに乃木希典&東郷平八郎の3人を誘って、貴族中心に
寄進をあつめ、当神社を再興させたものの、平成のその時期は
再び、宮司のいない寂れた状況となっていて、私にそれを?
まあ、仕事も上手くいってないみたいだし…この際、心機一転…
という彼女の策略だったらしい。

「宮司って、きっちり国学院大学とか卒業しないとなれないんじゃないの?」

そう思い込んでいた私だったが、そうじゃない方策も、多少の時間は
かかるが、様々あるらしい。

「あなたがやるんだったら、私も巫女の勉強するよ!」

どうも冗談ではないらしい…。

しかしね…あまりにも世俗の悪習に染まりまくった
自分じゃ、もう無理だろうよ!無理無理、絶対無理…
ってわけで、この時は軽く一蹴した話だったのだが、
なんとなくその後も気になり続けてはいた。

なお、今現在は、数年前にやり手の宮司さんが着任したらしく、
有名な「ヒーリングポイント」として、主に若い女子に
大人気の霊験新たかな、東京近郊の心霊スポットということに
なってるらしい…。

もうちょっとの勇気があれば、人生もっと楽しいものに
なっていたかもしれない…このブログもね、
「ロック好き神主の独り言!?」になってたかもね。
まあ、あくまでも「もしも」だけれど…。



好むと好まざるに拘らず、もしかしたら、世界最高のクオリティの
クリスマスソングって、竹内まりやさんの「クリスマスが今年もやってくる」
(素敵なホリデー)なんじゃないかなあって、本気で思ってたりする。
あのクオリティというか、たぶん達郎さんのCMで鍛えたキャッチーな
ポップセンスは凄まじ過ぎる。

達郎さん当人も、たぶんこれほどまでのセンシティブなプロダクションは、
今はもう無理だろうね!。

でも自分がそう言い切ってしまっては、これまでの自分の
アイデンティティっていうか、誇り(みたいなもの)って何だ?
ってことにもなるから、まあこの件は聴かなかった事にして欲しいのだけれど…。

このグループもね、あんまりクリスマスとか関係なさそうだけど、
最後のアルバム(あまり出来は良くないが)にきっちり入っているので。

まあ、もはやグループ内の人間関係は既に滅茶滅茶だったんだろうが、
クリスマスソングをやろうっていうって意気込みから、
少しでも和んで唄ってるようには聴こえるから、
それが救いといえば救いだけど、やっぱりちょっと微妙な空気も
漂ってたりして、そこらへんが如実に伝わってくるのも、
音楽の面白いところだったりする。

The Band - "Christmas Must Be Tonight"


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美談はいらない

DSC00873b.jpg
Leitz - Summar 5cm/F2 (1937)

このズマールというレンズ….戦前の、たぶんライカを
平気で買えるくらいの、相当に裕福なユーザー達の評判は…

「ライカにしては、ユルすぎて締まりがなく、使い物にならない!」

と酷評されつつも、戦前〜戦後に渡り、驚異的なロングセラーを
続け、激動のドイツ第三帝国から西ドイツ経済を支え続けたズマール。

今はその独特な柔らかい画風(?)も、立派な個性として…
否…相変わらず、(ライカにしては)安いだけのブタレンズ(?)
とか言われてもいるようだ。

もちろん私は、他のどれより、このズマールのボンヤリ&
フンワリ感がとっても好きだし、焦点部のリアルな存在感と言うか、
表現力にも、独特の趣きがあって、もはや手放せないものとなっている。



小学3年の時に、今でも彼は元気で居るけれど、ごく近所に、
小児麻痺による障害を持つ子がいて、まあ私は近所のよしみで
何かと面倒を見ていたけれど、彼が養護学校ではなく、
我々の小学校に入学したことから、毎朝、私は彼の手を引いて
通学する事になって、また、なんとなく心配で、
新入生の彼の教室の様子をちょこちょこと伺う毎日…
それ自体は極めて普通で、特別な事とは思わなかった。

ところがだ、暫くすると、この事が学校中で「美談」として
取り上げられ、ついには、私を表彰しようと動く勢力が
あることを知った。

いつものように彼の手を引いて学校に近づくと、突然
拍手が聴こえるようになった。校門をくぐると、
両脇に人垣が出来て、拍手の嵐の中、我々は少々俯きながら、
照れくさそうにそこを通り過ぎるしかないのだ…。

これははもうタマラナイ!

そういうわけで、表彰するだのと盛んに言ってた先生の
ところに出向いて、この窮状を訴えると、各学年に通達された
と見えて、翌朝から、気持ちが悪いほど拍手はピタリと止まり、
逆になんだか妙な具合の視線というか、殺気ではないが、
ヘンテコな気の流れを感じる事になる。

そうして、すったもんだの一学期が終ると、彼というか彼の親は、
あっさり我々の小学校通学を断念して、彼を「養護学校」に
転校させた。最初は自分の世話に問題があって、親御さんには
不服だったのだろうか??と、悩んだりもしたが、
親御さんはしっかりと彼の将来を見据え、見極めた末の
決断だったようだ。

二学期になると、もう彼の事を噂する人もいなくなって、
私も普通の小3に戻った。それまで散々、「君は偉い、
当校の誇りだ…」などと歯の浮く台詞を言ってた女教師とは
もう話をする事も無くなった。

過去は過去…いつまでも引き摺ってちゃあ、たぶん
こちらの神経が持たない。まず自分がいち早く忘れてしまおう…!
そんな変な人生訓を得たような、そんな小3の出来事であった。



もう一丁クリスマスソングを…って、唄じゃなかったが、
リックウェイクマンの「ヘンリー八世と六人の妻〜抜粋〜」を
イエスの72年のステージから!

途中にジングルベルが挟んであって、
「ああ、これってクリスマス時期だったのかあ?」
って言うのが、妙に現実感があって、変な気分だったような気がする。
自分の中でイエスとかクリムゾンって、まだ実在して無い架空の存在(?)…
だったかもしれないなあ…。

初めてこの映像版を観たのは、上京してすぐの頃(当然70年代)に 
TVKかテレビ埼玉か忘れてしまったが、トマトがなんやらほい(?)
って番組でこれを観て、偉くたまげた記憶がある。
うおおーメタルメッシュのマント!重そう!!って。

80年代に入ると、普通に輸入版のこのビデオパッケージを手に入れて、
毎日のように眺めてたような気がする。だってYsssongsだぜ!ってな感じ。

そんなわけで(?)自分にとってこれは、押しも押されぬ
「クリスマスソング」であるのだ。
Yessongs:Rick Wakeman: - Excerpts from The Six Wives of Henry VIII


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老いても子に従わない親

DSC08653a.jpgCarl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

遠近両用眼鏡を普段はしてるんだけど、最近どうも
遠も近も、僅かだが改善されてきたみたいで、それ自体は
歓迎すべきなのだろうが、取りあえず眼鏡が合わない。

仕方がないから、以前よりはるかに度の弱い老眼鏡を
購入して、随時使えるようにして持ち歩くのだが、
絶対に必要不可欠な局面は、まさに写真を撮る時…。

ピントの山(ピーク)を見定めるには、まさに正常な視力…
というか、老眼鏡は必須なのだが、この日はうっかり不携帯…。

ピントが一体何処にきてるのやら…殆どアテズッポウ…。

でもそれはそれでなんだか不思議な絵が撮れたりするから
手動ピントリングぐりぐりの古臭いレンズも面白いよ。

....と、言うふうに、単なるピンぼけ写真にも、様々、
能書きをくっつけられるのも、マニュアルフォーカスの利点
でもあるのが、本質かもしれないね!



今年になって遂にというのか、母の記憶障害というか
素行に違和感を感じるようになったのは、以前もここで
お話しした…。

その障害がどうも、金銭面に集中して現れているようなのだ。

なにしろ本年だけで、何度財布を無くし、現金は仕方ないにしても
通帳もキャッシュカードも立て続けに紛失している。

様々、なるべくシンプルで明快、慣性に即した対策を
講じてみるのだが、一向に聞き入れられず、普段の習性からか、
必ず財布にそれらを挟み込んでしまう上で、その財布を...
或いはバッグごと紛失…。その繰り返し。

というわけで、もう銀行さんにも半ば呆れられているが、
もう何度めかの再発行を願い出ているほどだ…。

先日もやっと新しいカードと通帳が届いて、ヤレヤレと思いつつ、
母は諌んで近所のキャッシュディスペイサーに…。

ところが、新しい暗証番号を忘れ、以前の番号を…あれ?
おかしい?というわけで数回これを繰り返すと、
カードは自動的に作動停止にされ、停止解除どころか、
またしても再発行という事になるらしい(そこでまた暗証番号が変わる)。

ここまで夥しくカードが、イヤ、暗証番号が変わってしまうと、
老人の記憶バンクは、もはやパニック状態らしい。

かといって、暗証番号をカード本体に書き込むわけにもいかないから、
さて銀行サン、お願いだから、指紋認証でも顔認証でもいいから
有効な高齢者対策導入…急いでお願いしたいです。

さて、先週、再々発行されたカード…今度は何をどうしたか、
全く機械が反応せず…今度は磁気データのトラブルで、使用不能…
結局またまた再々々発行…。

間が悪いときって、そんなものなのかな??



まっ…クリスマスだしね。ニックロウおじサンも相変わらず
ご機嫌だし…何はともあれ、めでたい事は祝おうではないか!

このニックおじさんもね、若い頃からいくつもロックバンドを
建ち上げて、ブリンズレーシュワルツ結成の時にやっと
好機来たり!、いよいよスターダムにのし上がるぞ!
なんて焦って、上手い話に乗ったら、まんまと詐欺に引っ掛かって
(架空の全米ツアー!)、財産すっかり無くしたり、
バンドマンの裏ビジネスまでセッセと手を広げながら
お金を貯めて、「時代はパンクだぜ!」ってパンク専門レーべルを
建ち上げたら、めでたく小成功? 今度は深追いせずに
すぐに売っぱらって、自分もバンドマンに戻ってロックパイルで
音楽活動再開! 時流に乗り遅れるなあ!....。

念願のスターダムにのし上がり、カントリー界の大御所
ジョニーキャッシュ(!)の娘で歌手のクラレンスカーターと
結婚するも…(!?)。

単なるヘラヘラニコニコジジイに見えるかもしれないが、
このオヤジ、なかなかの苦労人だったりする…。

愛すべき苦労人の、いつもながら王道ポップなクリスマスナンバー!

Nick Lowe - Christmas At The Airport [Uncovered Sessions]


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入ってはみたものの

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

上京して1年も経つと、既に学校の授業には全くついて
行けなくなっていて、取りあえず、1〜2年の内は、
基礎履修科目ばかりだから、一つの単位も落とせないのが
鉄の掟(当然落としたら即留年=8年生まで!)。

そんなわけだから、もう命からがら、成績優秀な仲間の、
周到に書き込まれた神ノートのおかげで、一夜漬けで、
辛くも2年に進級できたものの、電子工学概論、電気回路論
といった、基礎の基礎たるカリキュラムをエスケープしまくった
ものだから、もはや自業自得の地獄巡りとなり果てていたのである。

ガキの頃から算数苦手だった自分がなぜに理系…?

たまたまメーデーにも参加するような、労働者階級の倅だから、
国公立しか進学は許さない!って言われ続け、然るに
苦手な数学も理科も2年掛かりでなんとか克服してきたものの、
肝心の歴史とか古文がすっかりおざなりになってしまって、
然るに普通に文系は、全く受験勉強してないも同然の状態で
当然の結果として落ち続け、結局、冗談みたいな理工学部…

これが人生を大きく左右する大失敗の巻…となるのである。

真剣に転部というのを考えるのだが、理→文っていう
ふざけた制度は、あり得ない模様で、さあどこまで誤摩化して
走りきれるか???そんな不穏な状況に、早くも陥って
しまったのである。

で、そんな憂さを晴らすが如く、音楽活動は益々活発化して行く。

同じ年の初夏に、故郷の高校時代の同級生で、一緒のバンドで
ピアノを弾いてた、早大法一直線のノブオ君(実名!)が
何故だか立教大に入学していて…、彼から、女子大生のバンドの
コンサートの手伝いをしておくれ!と頼まれ、その時期、
池袋に足繁く通うことになった。

バンドは、100%オリジナル曲で、まあユーミン風というか、
当時で言えば八神純子風のピアノ主体のアコースティックなグループ。

そこにヘルプとして加入したのがドラマーと私の男性組。
そのドラムはまた違う大学の学生だったが、結局彼も後に
プロのバンドマンになったくらいだから、なかなか鋭いプレーをする男。

もともとがピアノ主体の弾き語り風な構成の曲を
我々男組(?)が、主にリズムを中心とした電化アンサンブル志向に
アレンジしなおすところから始めるのだが、そうなると
女の子のベースでは、うまくリズムのコンビネーションというか、
強靭な足腰のグルーヴを引き出せなくて、やむなく、
私がベースを担当することにした。

それはともかくも、立教大学…何しろ校舎内の匂いが
麗しく香しい!

自分の学校の、汗臭くて。やたらと居丈高な応援部が闊歩する
バンカラな学風。キャンバスに出れば時代遅れのゲバ学生が
意味不明な殺気を放ちつつ、陰気な空気を醸し出す情景。
そして理解不能な苦しい授業…しかしここはそれとは真反対の、
さながらに、お花畑と、場末のふきだまり…天国と地獄….。

バンドメンバーは文学部系統だったこともあって、
男子学生もいるにはいるが圧倒的に女子比率が高くて、
なにしろ自分はなんだか妙にその甘美な環境に浮かれてしまったらしく、
気がつけば、やけに早く池袋に到着して、仕方が無いから
最初は駅前の「文芸坐」って映画館に入って、大蔵映画なる
B級ポルノ3本立てを見物したり、気持ちのよいキャンバスの
ベンチに座って読書したりして、時間をつぶしていたけれど、
やがて慣れて来ると、バンドメンバーの女学生に混じって、
幽霊学生となって、図々しくも仏文学の講義を受ける身になっていた。

そんな感じで益々(自分の)学校から遠ざかるのである…。

同じ年の秋までに、自分は遂にプロの現場というか、
実は全くの偶然なのだけれど、突然「草」で逮捕された
ギタリストのトラ(代理)で、アイドル歌謡ショー的ステージに
立つことになったり、友人がバイトしてたスタジオに屯していたら、
偶然プロ歌手(正確にはデビュー直前)のプリプロのレコーディングに
急遽参加することになって、そのままその女性シンガーさんの
バックバンドに参加することになったり…。

その後、バックバンドそのものが散開というか、クビになるのだが、
なんとなく、学校もクビになりそうな最終段階だったし、
故郷の親にもそれが知れるところとなり、仕送りも止められた。

戻る場所もないし、金もない…。

やむなく、少しの間、トラ専門の見習いギタリストなんかで
小銭を稼ぎつつ、お茶を濁し、演歌からポップス、ジャズ…
場末のキャバレーからホテルのディナーショー
ヘルスセンターから日本武道館まで…様々な経験を積む日々。

やがてまた、超実力派(?)の新人歌手のバックギタリストを
担当させてもらえることになる…。今度はバンドメンバーではなく
たった一人…。様々な形態の汎用バンドにも自分が加わって、
サウンドカラーを維持、コントロールする立場(サシ…という)。

「サシ」の先輩はいるにはいるが、滅多に現場で会うことも
ないから、「サシの矜持」とか、どこまで踏み込めるかとか、
全く分からず、全てが手さぐり…。もちろん「サシのお仕事」なんて
解説本なんてのもない(笑)。

気がつけば、いつの間にか「社会人なの自分?」
そんな感じになっていたけれど、今思えば、まだまだ
学生気分のあまちゃんだったなあって思う事しきりなのであった。



高校に入学早々、中学時代のサッカー部の上級生に、
「サッカー部創設運動」に、半ば強制的に組み入れられてしまい、
取りあえず、未だ同好会チームの練習に参加してみると、
GK(候補)の男が、なかなかに興味深い人物で、
すぐに意気投合した。

彼はバーズとバッファロー・スプリングフィールドが
三度の飯より好きだ…と、いうわりには、CSN&Yは大嫌い!
という変わり種。さらに近頃はマナサスが最高!ともいう、
まあいずれにしても、相当の頑固者。

例によって、すぐに彼の家へ強引にお邪魔しつつ、
それらのLPを聴かせてもらううちに、なんとなく、彼の云いたい事が
分かったような気がして、とっても面白かった事を覚えている。

The Byrdsの強烈なファンを自称する人には、その後の人生の中でも
何人かと出会うのだけれど、彼らが一様に、神のように崇拝するのは
やはり天才グラムパーソンズ!!。

確かにね、たった1作とはいえ、バーズに、否、ロック界に多大な足跡!
アルバム「ロデオの恋人」は、たぶん「ペットサウンズ」や「リボルバー」と
並び称される名作だとは思うけれど、自分的にはね、ベタに、
彼こそMr.バーズで、リッケンバッカーの12弦ギターがトレードマークの、
ロジャーマッギンが好き。

何故強烈なファンたちは、いつも彼を軽んじるんだろうかと?
不思議でならない。まあそうだな、自分もマッカートニーとか、
相当疎んじてるかなあ…ジェットとかハイハイハイとかマイラヴとか
とにかくリアルタイムにはみんなで馬鹿にしてたものね、ホントに
あの男は存在そのものが軽いよなあ…って。

何てね…ファンにしか解らないアヤッてあるのかもね。

この曲は例によってディラン曲で、64年のAnother Side Of Bob Dylan
に収められた曲だけど、ご承知の通り?、風に吹かれて、とか、Mr.タンブリンマン
とかとメロディ的に区別はつきにくい!。まあバーズヴァージョンの方が
相変わらず断然解りやすくて、名曲がキチンと名曲に聴こえるけれど、
ディランの唄じゃあ…それが.解りにくいよね。

The Byrds - My Back Pages


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前向きの前のめり

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

特に志望したというわけでもなかったけれど、
事の成り行きで、なんとなくバンドマンというか、
好きな音楽を生業にしていた時期があったけれど、
今思い出してみても、楽しい事より、苦しくて、
恥ずかしい事の方が、圧倒的に多い時代だったなあと思う。

しかも自分の全音楽遍歴を考えてみても、果たして本当に
好きな音楽を好きなように演奏できていたかというと、
ほとんどそんな機会など無くて、大体が、友人に手伝って
おくれよ!って頼まれたり、実はさほど好きな音楽ジャンルでは
なかったけれど、どうせヒマだし…というつもりが、
気がつけば、一生懸命没頭してるとか…。

そんな事ばかりの自分の音楽人生だった気がする。
無論それが生業になったらなったで、それはあくまでも
タレントさんのバックバンドで、自分のやりたい音楽ではない。

しかしそれをさほど後ろ向きに考えた事は無くて、
あくまでも前向きに、ここはもっとこうすべきだなあ等々、
少しだけ自分の思想を加味してみたりするのがささやかな
楽しみだったりする。

また、マネジャーやディレクターにも恵まれたようで…

「なにもレコード通り、譜面通りに弾くだけなら、
オマエじゃなくて、もっと上手い奴は他に幾らでもいる…
オマエさんらしいプレイを、今はみんなそれを期待してるんだよ。
オマエさんの思ったように、好きなように弾けばそれでいいんだよ!」

まあ、少し煮詰まって、レコード通りに弾いたりすると
「手を抜くな!」って罵声が飛ぶわけだが、そんな現場は
自分にとってラッキーだったと思う。

プロになって早々に「アレンジャー」という職種に出会う。

必ずしも好きな音楽とは言えなくても、自分の好きなように、
或いはそれまで積み上げてきたノウハウ...までは云いすぎだが、
経験値としての方法論で試してみるには、申し分ない
「作業」である。

そうしたわけで、バンドマンの仕事は続けながら、
たまたま偶然なのだが、今も現役でご活躍なさってる
用賀の(!)作曲家/アレンジャー/ヴォイストレーナーの
大先生と懇意にしてもらってたから、その先生にくっ付いて、
写譜のお手伝いから始めて、やがてアレンジの小さな仕事から
徐々にやらせてもらえるようになった。

最初は「見習い中」ということもあって、ちょっと安め!?の
料金設定と、タレントさんとしっかり時間を取って
ミーティングした上で、曲を仕上げる方式で、徐々にそちら方面の
需要が高まるのだが、なにしろ多忙なタレントさん(アイドルさん)が
相手だから、時間がなかなか取れず、ミーティングの時間帯も、
超深夜のバーとかファミレス(馬事公苑前のロイホ!?)、
早朝の渋谷のカフェ…放送局の控え室...東プリ/赤プリのロビー...
という事が多くなり、週刊文春はまだいないけれど、様々目撃情報などが
プロ内に飛んだりして、そのたびに釈明事情聴取…会社総務側は…

「またオマエか!、早く儲けてさあ、自前の事務所持てよなあ!」

そんな感じ...。

問題も無いではないのだが、なんとなく将来への兆しというか
ヴィジョンというか、そんなものが見えてきたかなあ…
というところで、しばし安閑としているウチに、
そろそろ暗雲がモクモクモクと…。



自分のね、ランドセル時代に一番好きだったのが、
ジェファーソン・エアプレーン。
(「あなただけを」と後少々しか知らなかったはずだが…)

もちろん、ロックなんて、まだ何にも分かってりゃあ
しないんだけど、何と言っても自分的にはバンドの
そのヴィジュアル!の格好良さにスッカリ心奪われたのだ。

特に好きだったのが、一番ぶっ飛んでる感じのヒッピー風で、
金髪に丸黒めがねのゴリゴリのベーシスト「ジャックキャサディ!」。

だから、実は未だにその傾向はあるのだが、ギタリストよりも
ドラマーよりも、何故かべ-シストがいつも気になって仕方がない
自分であって、「ベースが非力なバンドは駄目!お話しにならない!」
とまで思っているフシがあるようなのだ。

裏を返せば、ベースがしっかりしたバンド=良いバンド!
という論理にも帰着する…。どんなバンドに当てはめてみても、
今のところ外れてないと思う。

エアプレーンはその後、なんの理由か知らないが、
ポールカントナーとグレーススリック夫婦のJ・スターシップ組と
ヨーマコウコウネン+ジャックキャディのホットツナ組に分裂する。

スターシップはちょっと恥ずいぐらいの産業ロックなのに対し
ホットツナは、求道者のようなルーツ的ブルース路線一直線…
まあ大体、宗教はもちろん、茶道も、華道も、最近じゃあ、
お相撲まで、堕落しつつある本家と、先鋭的且つ原理主義な分家…
いやいや裏本家に分裂するものだが、このバンドもそういう
パターンにハマってしまったのかな….??

さて本日の映像が何とも凄い!...っていうか、どこかで見た事ある
シチュエーション??あっちがロンドン・サヴィルロウ(背広の街)の
アップル社屋上で、1969年の1月30日くらいだったろうか??

そしてこちらはNYマンハッタン…諸説あるのでハッキリしないが、
1968年の11月~12月初旬なのは確か…。つまり1~2ヶ月前の撮影。
単なる偶然か、パクリか??

終盤に警官が登場して、なにやら現場の監督か責任者がパクられるのも
お約束通り...、

それにしても、ジャックキャサディ、やっぱカッコいいぜ!。
グレーススリックもまだ若くて可愛い!
そして何より、サウンドも当時としては飛び抜けて
素晴らしいグルーヴを醸し出している!
これぞバンドの音だ!

最近、ナチュラルなグルーヴ感を醸し出してくれるバンドが
少なくなったと、お嘆きに貴兄に…どぞっ!?

Jefferson Airplane - House at Pooneil Corners
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12月の雨の日...の午後

DSC00847a.jpg
P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)

のぞみ〜る...彼女以上の郷土の星は、
当分出そうも無いのかな??



ちょうど世の中がミレニアムがどうしただと
賑やかに騒いでいた年の5月に、父が亡くなった。

実は3月頃から、父の状態が思わしくなくて、
あと長くて1~2か月…急いでお別れを済まされた方が…
と、父の主治医から宣告されていたから、
我々東京側の家族も、かわるがわる…私は毎週末に
新幹線やら飛行機で秋田入りするような生活となっていた。

父は、最期は肺の病気だったから、なにしろ咳が酷くて、
夜中も物凄い騒音を発する為、病棟から少し離れた個室に
収容されていたのだが、それでも音は漏れるから、
私たち家族の仕事の半分は、他の病室の入院患者さんたちの
苦情に対するお詫びや、ご挨拶など…。

結局、5月のGWの最終日に、また来週来るからね!
っていって、家族皆でお別れをして、一旦、新幹線最終便で
東京に戻る途中の、仙台通過あたりで、父の死の報に触れる。

翌朝、出社して、葬儀が終わるまで休むこと、
案件の引き継ぎ等を済ませて、秋田へトンボ帰り…。
長男なので喪主として通夜、葬儀を取り仕切るのだが、
何しろそれがトラブル続き!。

とにかく酷かったのが「ナマグサ坊主ども!」。

何やら多忙中?!とのことで、1週間ほど待てというし、
(比叡山かどこかで修行?というが。家族旅行が実態らしい…)
代理(僧侶)で良いから前倒ししてくれ!と頼んでも、
一向に受け付けない。1週間してやっと登場かと思ったら、
今度は斎場と寺との格が違いすぎるとかで、斎場側と
作法や設備を巡って揉める一幕まであったりする。

結局、葬儀は坊主数名帯同による、生前の父の
実直で質素を旨とする思想には見合わないような、
不要に豪奢な式になってしまった。

結局ナンダカンダで10日間ほど会社を休んで、東京に戻り
出社してみると、会社の様相ががらりと変わってしまっていた。

なにか金融的なトラブルに見舞われたらしい…。
経理担当者に説明を求める…銀行にハメられた?騙された?
裏切られた??どういうこと?いずれにせよ、
我々営業サイドの全く与り知らぬ、投資部門において、
なにやら壊滅的被害に見舞われたのは確からしい。

それからちょうど半年間、私は迷惑をかけそうな企業様方に
状況説明に回りつつ、様々な対策を講じる一方で、金策に走る…。
銀行や金融機関には、企画書や報告書、諸々の趣意書の類いを
毎日のように作成して、提出しまくり、延命措置の日々…。

IR部門以外の社員は全員残って。それぞれの持ち場で踏ん張って
くれていたが、社長はもう人相が代わり、明らかに生気を失っていた。
日頃から何もせずに、文句ばかりの役員どもは、
「自分はもう知らない、関係ない!」と、責任回避の弁のみ。
まあ自分の中ではとうの昔におさらばしていたけれどね。

そんな日々が半年続いた。
2〜3日前から、社長は既に行方不明になってたようだが
誰も捜そうともしてなかった。
その日、決済の為の資金も、持って行ってしまってたから…。

もうすっかり疲れてしまった。

ああ、もう…いいんじゃないかな…

部下たちに自分は初めてそう呟いた。

すると部下たちは言ったのだ。

もういいんじゃないですか?
俺たち、随分、頑張りましたよね。
そろそろ楽になりましょうよ。

半年間、じたばたしたせいで、破綻だ解散だといっても、
もはや驚くものは誰もおらず、思った以上に粛々と
破綻処理は進められた。

倒産ではなく、任意解散となったよ…。

あまり役には立ってくれなかった弁護士がそう云ったが、
だからどうしたの!?って心境だった。

それまでに何度も目撃した怒号や罵声や、タチの悪い連中
による傍若無人な恫喝も何も無く、逆に最終的にいくらか
迷惑をおかけした債権者の方々に「オマエらよく頑張ったな」と
激励されてしまう始末。

そして社員たちは、皆それぞれにそうした同一業界に呼ばれ、
転職して行った。

私にはいくつかの選択肢があった。
驚いたのは、銀行が資金的にバックアップするから、
そのまま営業部分のみを残して、独立開業しろという提案…。

だったら潰さずに経営陣だけどこかに追っ払ってくれたら
それで良かったのに…何て恨み言を云いつつ、自分はなんだか
もう疲れきってしまって、なんとなく、別の仕事がしたくて、
2年がかりで誘われていた元部下の会社に副社長待遇で
加わることになるのだが、これがまた大きな間違い…。

2年経った時点で、このままだと命が危ない…
そんな危険な状態に成り果てるのだった。



自分は、何しろ中学時代は洋楽一辺倒で、日本のフォークとか
ロック(?)とかは、むしろ「敵だ!」くらいに思っていたから、
高1で初めて聴いた「ユーミン/ひこうき雲」はもう天と地が
ひっくり返るほどの大衝撃で、それからやっと「はっぴいえんど」に
行き着いた時は、既にはっぴえんどは解散状態だった。

だからたぶん初めてリアルに聴いたはっぴいえんどの「音」は
恥ずかしながら、1973.9.21の解散コンサートの実況盤が
初となって、その中でもやはり当時最も印象深かかったのが、
この曲ではなかったかなあと思う。

うわあすっげえ、モビーグレープみたい!って。


水の匂いが眩しい通りに
雨に憑かれた人が行き交う
雨上がりの街に 風が不意におこる
流れる人波を 僕は見てる

なんだこれ…詩…なのか?
国語力半端ねえ…そんな感じで、なにもかもが新しい!
って、そんな感じだったな。

はっぴいえんど - 12月の雨の日(たぶん1970年中津川フォークジャンボリー)


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ヘンテコのはじまり

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Leitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

寒いし、いろいろ決めて行動を起こさねばならぬ事柄が
実は山積みなのだけれど、一向に進展せず、
足踏み状態…。機動力がすっかり錆び付いて鈍ってしまってる…。
なんとか動かねば!…な師走であるのだ。



フランクザッパという人は、今も昔も自分にとって、
最も重要なミュージシャンであり続けるのだが、
どうも当ブログでは評判がすこぶる悪いらしく、
ローテックにも、電話なんかで直コメして来る無粋なオヤジ連中
によれば、「難しい音楽は要らねえし、ウケねえよ!…」
とのことらしい。

自分もね、中学生の頃は、このギョロ目で鷲っ鼻にヒゲの
怪しげなおじさんは、なにやら奇想天外とも言える音楽を創出する
奇才!とのことだから、とっても気になる存在ではあるのだが、
だからといって彼のレコードを買って、聴いてみる度量というか、
勇気までは自分には全然なかった。

高校に入学すると、同じ高1生なのに、何故か既に長髪で、
まんまるではないが、当時としてはかなり挑戦的な感じの、
小さめ&丸めな銀縁眼鏡をしていて、一見して、
この男は上級生のややこしい連中や、規律にうるさい教師らに
こっぴどくやられそうだな!そう思われるのだが、何故か
上級生たちは彼に突っかかるどころか、避けてるように見えるし、
教師たちにおよんでは、彼に対しては何故か…敬語!?

その理由は徐々に分かるのだが、何しろ自分にとっては
不思議な存在の男に変わりはない。

結局、彼のそうした妙な説得力というのか、
不思議な機動力によって、自分は田舎の普通の高校生として
たぶん滅多に聴くことが出来ないような種類の
膨大なレコードを消費することが出来たし、
彼と地元密着なロックカルチャー(?)を中心とした情報誌=
ミニコミを創刊することによって、地元ラジオ局のDJ達や、
レコード会社の宣伝マン、人気バンド関連の人々、そして
主に他校(大学含む)の強力に猛者な音楽ファン達と、
こちらの好むと好まざるに拘らず、毎日のように引き合わされ、
妙なネットワークが広がるのだ。

しかし、残念ながら、まだ幼い高校生の自分には、そうした
ネットワークの素晴らしさが分からない。

一方で高校のサッカー部創設に向けて、その政治活動もしていたし、
まだまだヘタクソながら、バンド活動もしていたから、
彼の紹介による少々胡散臭いタイプの、アート系の「オタク達」とは、
ちょっと付き合ってられないなあ…そう思っていたのだ。

そんな長髪丸眼鏡で妙に顔が広い、実は2歳年上だったその男こそが、
強烈なザッパマニアだったのだ。

知り合った当初、毎日のように彼から自分にザッパ他のレコードが
供給された。しかしその毎日毎日が、ザッパや全く聴いたこともない
アーティストのレコード。ある時はストゥージス(イギーポップ)の
パンキッシュな(?)レコードだったり、オーネットコールマンあたりの
フリージャズ…さらにはタジマハール楽団の無国籍風ブルース(?)や、
ニコやジョンケイルの作品群に、まだ超初期のゴングやマシーン、
13thフロアエレヴェーターやトロッグス辺りのサイケ...。

いずれにしても一筋縄では理解し得ない、どちらかと言えば
上級者向けの、アヴァンギャルド系音楽…。

正直こちらの、小さな小さな器の許容量をはるかに超える
恐るべき難解な情報量に、私はちょっと軽いノイローゼ!?
聴かずにパスする手もあっただろうが、何しろ必ずヤツは
感想を求めてくるし、滅多なことを言うと、分かりやすく不機嫌。
こちらも必死で聴いて、なんとか引っ掛かる部分を見つけては、
掘り下げる…殆ど苦行に近いのだ。

今にして思えば当時、最も印象的なザッパのレコードが
「Fillmore East - June 1971」って言う、そのままズバリのライヴ盤。
カバーは写真もイラストもなく鉛筆書きで「the Mothers」と
タイトルが乱暴に書かれてるだけの素っ気なさ…。
内容は何と、殆どおしゃべり。おしゃべり、おしゃべり…ちょっと音楽、
そしてまたおしゃべり…。

無論スラングだらけの英語だが、そんな内容だから、当時は
国内盤発売も見送られ、然るに親切な対訳というのも…ない。

ところがだ、自分でも不思議なのだが、ある日突然、なんだか
妙な憑き物が落ちたように、あれ?なにか見えるぞ?ザッパや
オーネットやマイルスやドンチェリーやビーフハートやイギーや
タンジェリンドリームやソフトマシーンやゴングの、奴らの
云いたいことが、なんだか突然、分かるような、そんな気がしたのだ。

何が分かったか何て分からないけど、何しろ聴くことが楽しい!
って思えるようになり、さらに新しい「未知の不思議?」に
触れることが、何より楽しい!と思うようになったのだ…。

まるで「時計仕掛けのオレンジ」の逆パターンだなあ…(?)。

丸眼鏡とは浪人時代も一緒だったが、その後彼は地元大学へ。
私は東京…というわけで、付き合いはそこまで….と思いきや、
私がバンドマンをやってる頃に、何故か奴は私の前に再登場する。

大学を辞め、上京し、高円寺に住み、高田馬場の印刷工場で
働いていた…以前ほど密な付き合いはなかったけれど、
数年後に、ちょっとした事件に巻き込まれた彼は、彼の
大層立派なお父上の怒りを買い、故郷に強制送還されることになった。

故郷では我々の実家がある秋田市中心部から、北へ100km離れた
地方都市に移り住み、そこで市会議員だか市長だか知事候補だか
忘れたけれど、その秘書になったと聞いたが、以降全く音信不通。

俺が死んだら、坊主のお経中は構うことないから、
マザーズを延々と掛けてくれ。
出棺の時には、トッドラングレンの「ラストライド」がいいな…。
そう云ってたけれど、生きてるのか死んでるのか??

たぶん、彼のお葬式には(?)自分はこのレコードを丸ごと掛けるだろうな…。
これはレコード冒頭の良質な音楽部分。

The Mothers - The Little House I Used To Live In


そしてこちらが問題部分。英語としての意味は判然としなくても、
楽しさというのか、なんだかウキウキした感じが伝わってきて、
ほっこりする…やっぱりビョーキかな??

The Mothers - Do You Like My New Car?


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急がば回れ...?

DSC00842a.jpg
Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

田舎なりにも、オシャレで話題のカフェで、
昼食をとるオヤジなのである…。

小一時間ほどいたが、お客様は100%女性….。
それもとても元気な女将たち…。
オヤジは結構恥ずかしいぞ…。



自分がギターを始めたのは、意外と遅くて、
中2の終わり頃。

駅前のレコード店兼楽器店(今はもうない)にて
忘れもしない、裏側に少々傷有りで、いくらか安くなっていた
Morrisのフォークギター(9000円也!)を買ってもらってから。

毎日毎日、ギター習得とはこんなに苦しく辛いものなのか!?

決して大袈裟ではなく、指先には常に血が滲み、
やがてそれが厚くて堅い皮となって、ベロリと剥げたり、
それが何層にも重なると、硬い皮が擦り切れて
火山の噴火口みたいな穴があいて、その奥から真っ赤な
赤ん坊みたいな新しい皮膚が顔を出す。

新しい皮膚は堅い皮膚の、火口の外輪山みたいな部分に守られ、
それもやがて堅くて丈夫な指先の皮膚に成長し、
やっと傷みも薄れ、ギター弾き独特の職人っぽい
イッパシな指先になって来る。

それでもだ…。
我が家のバッタもんMorrisでは、ジェームステイラーみたいな、
柔らかくて繊細で、しなやかな、あの独特のギターサウンドが
一向に出せないのだ!

やはり修行がたりないのか?イヤもしかして
この馬鹿みたいに堅くて、タコの上にタコが乗っかったような
無骨に変形した指先の、その育成に実は失敗してるンじゃあ
ないだろうか?

ギターでは先輩の、同級生たちに言わせると…

「そりゃあJTが使ってるマーチンとモーリスじゃあ、
仕方がないよ。そもそも値段が数十倍違うだろう!?」

ある日、同級生の大学生のお兄さんの所有する
YAMAHA製ながら、オーダーメイドで作らせたギターというのを
触らせてもらえた。

ネックの弦を触った瞬間の、指先に吸い付くような、
しっとりした柔らかい感触!?そして指が、
何の引っ掛かりもなくスムーズに動く、動く、動く…。

自分って….こんな風に流麗に弾けたんだあ??

低音減はずっしりと腹の五臓六腑(?)に心地よく響きわたり、
高音もとっても心地よく一旦背骨を通って、抜けて行く感じ…?。

もしかしたら、自分のこの文字通り、血の滲む苦役のような
指先の鍛錬は、楽器がダメダメだったせい?

おそらく半分はそのせいだろうと今は思う。
ネック自体は少し内側に反っていたのだろう…そのために、
弦がやたらに高くて、圧力も強かったからだろうと思う。

ああ、楽器って、選ばねばならぬのか?
良い音=高価格….当たり前のことだけど、それが社会の
道理というものか…!

さらに上には上が際限なくあり、そんな桃源郷を目指してしまうと、
人生は幸福か!?...いや、たぶん破滅する…。

みんな自分の器量とか度量とかを冷静に察知しつつ、
頃合いの良いところで妥協するのだ…。

それ即ち人生さ!!って、悟ったようで、まだ一向に悟れない
オバカな自分なのであるが、残念ながら己の度量だけは
よく知ってるから、あまり突拍子もない価格の楽器を買うなんて
経験は自分にはなかったな…、ああ折角苦労して買っても、
あっさり盗まれるっていう、オバカな経験もトラウマになってるからね。

だからわりとザックリね、楽器なんて、お店を何軒も廻って、
目的の価格帯や、欲しいモデルを全部並べて、その中で
生音が一番デカくて、音程がしっかりしたものを見つければ、
それでOKってな…そんな事で納得して選んだりするのも
また「真理」でもあったりするからね。

そういうわけで、バッタもん9千円モーリスの中学生が
そもそも目標にする事自体が無謀だった、ジェームステイラーの
大好きだった彼のアルバムMud Slide Slim And The Blue Horizon
から、そのタイトルチューンを!ウーム、アコギ...良い音だ!。

James Taylor - "Mud Slide Slim"


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自惚れという勘違い

DSC00843a.jpgCarl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

私が所有してるクラシックレンズ(当然、マニュアルフォーカスで
単焦点のもの)の中では、一番明るい「F1.5」の性能を持つ
コンタックス用ゾナーのL型ライカマウント改造版…さすがに
開放値での撮影は、派手にボケる!そのボケ方には、
それぞれ機種によって独特のクセがあり、それが何とも
愛らしくて、大好きだ。

実際には、現在の国産オートフォーカス系の高額なレンズ
=F1.2とかを以前お借りして使ったことがあるけれど、
なるほど、合焦部のピリッと鋭い描写と、トロけるように
柔らかい、高品位な背景呆けの、絶妙なコントラストに
すっかり心奪われるのだが、いかんせんお値段も高い…(20万くらい)。

しかしだ...確かに素晴らしい描写に違いないのだが、
言い換えれば、どれもみんな同じような描写で、
同じ顔した優等生…。全く個人的な話だけれど、
面白味を感じないのだ。

この戦前ゾナー、お世辞にもボケは美しくトロけてはいない。
むしろガッサガサのガサツ過ぎる昭和の...いやいやナチス第三帝国的
二線ボケ…(?)というか、仮にコンテストに出品しても、
絶対に評価されるような種類のボケではない。

思えば音楽なんかもその通りで、ただただ

「売れ線音楽=素晴らしい音楽!」

そういうロジックも分からないではないが、
少なくても音楽好きを自称し早50年??な自分は
そういう地平には絶対存在してない。

もちろん売れない音楽こそ素晴らしい...
なんてオバカな事を言うつもりは毛頭ないけれど、
売れる音楽がすべてではないし、流行作家こそが
文豪である!というのも、大きな間違いである也に思う。

近頃は、よく知らないが「インスタ映え」とかナントカ言って、
少しでも高品位な写真を撮る為に、カメラ自体、或いはアプリに
自由自在な「ボケ機能」を持つ機種もあるらしいし、画像ソフトの
「フォトショップ」辺りなんて、今はもう使わなくなったけれど、
背景ボケなんて、昔っから最も基本的な機能の一つでもある。

でも…コダワリなのかどうか良く分からないが、写真を撮るって
行為自体のヨロコビの本質って言うのは、やっぱり撮れた画の
思いがけないクオリティだったり、なんだか良く分からないけれど、
ニヤニヤしながら、自惚れという勘違いに浸るその至福の時間!?
ということになるのではないか…と密かに思うのである。



私の最初のピンクフロイド体験は、「原子心母」…。

レコードの片面1曲の、例の大作の、ほんの触りの部分を
ラジオで聴いて、大興奮&大発狂した私は、生まれて初めて、
発売日を指折り数え、待ちに待って、発売当日の朝、
駅前のレコード屋さんに一目散に走ったことを、
今でも鮮明に覚えている。

たぶん故郷では一番最初に入手したのは自分に相違ない!
と自慢していたら、高校生になると、駅に隣接する日通の
貨物室で待ち構えて、そこでバイト中の従兄弟のレコード店員に
箱を開けてもらって買った!っていう、ウソかマコトか分からんことを
言うヤツが現れて、私は取りあえず、秋田で2番に「原子心母(当然赤盤!)を
入手したヤツ….という事になっていた…?。

その後も、次作の「おせっかい」は大好きだったけれど、
なんとなく「狂気」っていうアルバムが好きになれなくて、
そのまた次の「炎」辺りで完全にピンクフロイドの新作には見切りを
付けちゃった格好だけれど、サカノボリで聴くことになる
デビュー作「サイケデリックの新鋭(夜明けの口笛吹き..ともいう)や
「神秘」、「ウマグマ」は相変わらず大好きで、頻繁に、
実は今でもたまに聴く作品である。

「Astronomy Domine(天の支配)」は、そのデビューアルバムの
トップに入ってる曲だけれど、なんだかこの曲に、グループの未来も
含めて、すべてのエッセンスが内包されていて、すべてを
語り尽くしてしまってるように思えてならない。
もちろん、真剣なピンクフロイドファンは、断固否定するだろうけどね…。

ちなみにこのアルバムは、アビーロードのEMIスタジオで、
録音されたが、その時まさに隣りのスタジオでは、ビートルズが
Sgt.Peppersを制作中…もちろん、ビートルズが広い第1スタジオ、
ピンクフロイドが、狭い第2スタジオ…が基本なのだが、
時にはピンフロ側に出向したノーマン"ハリケーン”スミスの陰謀で
その逆という日もあって、ビートルズの面々はそういう日は
ダビングや編集作業のみ、不貞腐れつつ終了...。
なんて、そんな記録も残っているようだ。

Pink Floyd - " Astronomy Domine "


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とっても苦手な○○○

DSC09564a.jpg
Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

のっぴきならぬ所用あって、全く気分もスグレナイどころか、
ほぼ前後不覚なほどの、酷い目眩いと息切れに見舞われる中、
納税の相談で市役所へ。そして諸々問題解決のため今度は
県庁の合同庁舎…。

草臥れたというか、なんとか気を張ってあちこち廻ったけれど、
お役人さん方の、あいかわらずの融通の利かなさというか、
木で鼻を括ったようなあの無機質さは、一体どういうメンタル
なんだろう...何てね。 

まあ事務的かつ機械的な仕事を要求されてるのも理解できるが、
ならばAIでOKじゃないか?人間として何とかならんのかい!?
と、突然個人的には大いに鼻つまみな「昭和的な人情裁定」を
望んでしまうような、そんな愚かしい自分を突如発見したり
なんかしちゃったりして…。

何にせよ、へとへとに疲れて帰宅し、緊張が解けたら、
みるみる意識が遠のいて、以後4時間、夕食もとらずに
ガッツリ気を失ってました…。

情けない体力、そして衝撃的に弱くなったものだな、
自分のメンタルと交渉力…。

どうもね、故郷の役所と自分は、短い期間ながら
いろいろやり合っているけれど、悲しいかな
波長が全然合わず、はっきり…苦手である…。



中3のときだったと思うけれど、突如輸入盤店の存在しない
故郷の、デパートの店頭!でひっそりと「輸入盤フェア」と
云うのが始まった。

輸入盤といっても、今にして思えば、いわゆる米盤の
廉価カット盤。言ってしまえばバッタもんしかないのだが、
田舎の中学生には、何しろ見たことがないレコードがたくさんあるし、
しかも、大体1000円から1500円くらいと、何しろ安い!。

ここは貯金をはたいてでも、一気買い!?

何て思いつつ、結局買ってしまうのが、よく素性の分からない
珍盤の類い。Blues Image、Golden Earring…
なんだそれ?であるのだが、収穫もあった。

Captain Beefheartの「Mirror Man」、そして何故か
「TRAFFIC」のベスト盤。

いずれにせよ、トラフィックを大いに気に入った自分であるのだが、
大体こういうときの自分はいつもついてない…。

トラフィックが所属する英Islandとリリース契約していたのが、
日本はキングレコードだったが、いったい何があったか知らないが、
キングは突如、洋楽の扱いをすべて放棄してしまって
トラフィックやフリー、フェアポートコンヴェンション、
そしてロキシーミュージックまでも、日本ではすべて廃盤状態!!

この状態は確か、東芝がバッドカンパニーの販売権を獲得する
74年くらいまで続いたように思う。(Bad Co.は英国はアイランドで
米国はスワンソングだった)

そんなわけで、自分の「トラフィック」本格体験は、遅ればせの
高校生以降の東芝盤からということになる。

デイヴメイソン作のこの名曲も、ビートルズの臭いプンプンなのだが、
実際にはストローベリーフィールズフォーエヴァーの英国発売が
1967年の2月(サージェントペッパーズは同年6月)。
トラフィックのこの曲のシングル発売が1967年8月…。

しかしこの曲、世界観はサージェントペッパーあたりというより、
むしろ次作のマジカルミステリーツアーに近いのではないか??
と考えれば、ここら辺の英国の当時の音楽シーンが立体的に
見ることが出来たりして、とても面白かったりする。

ピンクフロイドもそろそろアビイロードのEMIスタジオで
レコーディングを始めていて(エンジニアはハリケーンスミス)、
ジョンレノンなんかは興味津々だったらしい。

アメリカではザッパやビーチボーイズが…英国ではビートルズや
トラフィックやムーヴやムーディブルース等々、諸々の新進気鋭の
ロックバンドが、「サイケデリック」を合言葉に、新しくて力の漲る
ロックを構築しようとしてたって、考えるだけで自分は
ワクワクしてしまうのであった。

Traffic - Hole In My Shoe


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祝・優勝!...でも

DSC07734.jpg Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

祝・J3リーグ、ブラウブリッツ秋田…優勝!!

いやはや、とてもめでたい!...に違いないのですが、
普通ここは「おめでとうJ2昇格!来年からはカズも来るね!...」
となる筈なのですが、貧乏県の秋田は、高々J2基準の
1万人収容のホームスタジアムすら、用意されてないどころか、
計画すら遅々として進まず、それどころか、県議会で野党議員が
秋田県知事に「この件の進捗状況」を質問しても、知事は
「誰が金だすんじゃ!軽々に言うんじゃない!」
って逆切れされる始末で、早い話が用地確保、資金確保
どころか、まだ全く何にも決まっていない状況らしい。

さすがに中高生のサッカー部員率日本47位の県…。

来年こそは、J2エントリーを目指すとチームは言っているけれど、
今の県議会の低温度ぶりでは、それも全く当てにはならない
ように写る。ラグビーと野球とバスケには、結構熱くなりがちな
県民性だけど、サッカーに関してはね、未だにご当地言葉で、
ボールを蹴れ!ではなくて、ボールを踏め!....だからね。

J2…そのうち選手たちのモチベーション落ちを、
なんだか県庁勢は期待してるんじゃないか??って
勘ぐってしまう。まだまだ遠いかもね…J2。

ちなみに自分は、心臓で倒れる直前まで働いていた会社と
横河電機(東京・武蔵野市)が有力顧客だった関係で、
同社のサッカー部(JFLリーグ)のスポンサーだった。

ただスポンサードしてるわりには、サッカー好きは社内では
自分一人だけ!?。必然的にリーグ開幕の決起集会とか、
天皇杯でJ1チームに勝利したときの祝勝会とか、
諸々パーティ系に出席するのは自分のみ。

当然、スポンサー配布チケットは独り占め!?
そんな感じだったし、監督や顧問、もちろん選手たちも
ほぼ全員顔見知り!。そしてみんな昼間は真面目に18時まで
横河社員として仕事をして、毎晩練習、土日は遠征…
っていう、とてもハードな日程を過ごしていて、
本当に頭が下がるほどのストイックさ。

ある時「わたしは、部員と一緒に仕事で日帰りの
出張をしても、君たちは少しでも早く帰京できる電車に乗って、
毎夜の練習に間に合わせていることを知っている」的なことを
スピーチしたら、彼らも本当に喜んでくれたり、そんな
交流もあったりした…。

そんなことがありながらも自分は倒れて、気がつけば
故郷秋田にいた。そして数か月経つと、いよいよ
その日がやってきたのだ。

「ブラウブリッツ秋田 vs. 横河武蔵野」

気がつけば私は、4人だけ東京から来てくれた
横河サポーターの応援席で、横河のチーム旗を振っていた。
迷いはあった。秋田だって応援したいから、ジッと
メインスタンドで隠れてようかとも思った。

でも4人….武蔵野から来てくれた…
自分でさえ、ブルブルと震えるほど秋田はまだ寒かった。

意を決して、4人の寂しいサポーター席に行くと、
勘違いされつつ感激されて、
「オマエさんも東京からよく来てくれた!」的な感じになって、
自分も入れた5人は肩を組んで応援をした。
正直その時の勝敗結果は全く覚えていない。

試合終了時の選手たちに挨拶をして、4人とはまた
武蔵野スタジアムで会おう!(ホントは武蔵野市営陸上競技場!)
といって、4人とは分かれたけれど、勿論それ以来会ってはいない。

横河や秋田がいたJFLリーグはまもなくJ3リーグとなった。
あくまでもアマチュア企業チームの横河は、プロ志向のJ3リーグには組せず、
あくまでもアマチュア最高峰のJFLに残留したから、秋田と闘うことは、
もうなくなったのだ。

中高では、わけも分からずサッカー部に入ってボールを追った。
東京ではわざわざ電車に乗って、母校のサッカーグランドで練習を
見物してたら、既にU20日本代表で、FKの名手といわれた政経学部の
K選手を観た。まるでヘンテコな生き物みたいにボールが異様な曲線を描いて
ゴールマウスに次々吸い込まれる…。世の中には凄い奴がいる
ものだなあって驚愕して、自分の出番などもはやないって思った。

30過ぎてまたサッカーがやりたくなって、チームを作ったら、
いつの間にかコントロール不能なくらいにチームは肥大化して、
当然相手のレベルも高くなって、ハードタックルにやられて骨折!
もうすぐ40歳…サッカーはもういいな…そして50近くになって
今度は、JFLチームのサポーターと言うかスポンサー筋の担当者。

結局サッカーとは一生切れないのかな…
それはそれでなんだか素晴らしいことじゃないだろうか!
そう思う。



結婚当初というか、恥ずかしい話だが、自分の方がなんとなく
家人のマンションに、いつの間にか居着いてしまったっていうのが
現状なのだけれど、それでも一応は一念発起して、狭いながらも
東京23区のハズレ「練馬区」にマンションを長いローンで購入し、
そこで新生活を始めることになる(ローンが長い割には3年弱しか住まなかったが)。

ちょうどこのライヴエイドの生放送があった日、まだ引っ越しは
もう少し先だったのだけれど、取りあえずテレビとビデオデッキだけ
新居に運び込んで、自分一人雑魚寝状態で、この生放送を見入っていた。

確か土曜ヨル9時頃から翌日正午くらいまで続いてたと記憶してるけれど、
何と言っても最も印象深かったのが、この幕間のたった3分間の
エルヴィスコステロのパフォーマンス!。

まあコステロにしてみたらゴクゴク普通のソロパフォーマンスなのだ
ろうが、自分にはなんだか、「ああ…音楽って…なにも
バンドじゃなくてもいいじゃないか!?」って、当たり前のことだけど、
何か吹っ切れたような.そんな瞬間だったと思う。

この演奏、クオリティが高いのか低いのか全然分からない。
そしてそれこそがコステロのコステロたる由縁で、結局やっぱり
ナンダカンダ言っても、未だに大好きなコステロなのである。

Elvis Costello - All You Need Is Love


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騒動の顛末

DSC07728a.jpg
Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

「イジメ問題」が、いつもながら上手く解決できないポイントは、
いじめた側が複数で、いじめられた側が一人….っていう
お決まりの数的アンバランス。

そこにさらにイジメの首謀者がPTA会長の子弟だとか、
生徒会長とか、学級委員とか、校内コミューンでは力のある者。
そうなるとかなりややこしい。

教師も、校長も、PTAも、教育委員会も、
事情聴取はいじめた側の(口裏合わせの)多数意見が
重用され、被害者の単独意見は、裏付ける物証が乏しくて
黙殺されるのが常…。

結局…

「イジメはなかった」

「単なる喧嘩」

「子供らしい悪ふざけ」

これが学校側、PTA側、教育委員会側の利害に沿った
矮小化された結論。そこに行き着くのみなのである。

あくまでも事件を預かる責任者は、

「被害者側に徹底的に寄り添う形で意見を集約し、
学校として、徹底的な反暴力の見地から処断する…」

それを宣言し、その方針を貫かないことには、
何も解決しないとおもうのだ…。

さて貴ノ岩の一件は、たぶん初場所で彼が横綱白鵬を
寄り切り、その瞬間、稀勢の里が優勝し、
横綱に推挙されたまさにその瞬間に運命付けられた
事件なのだと考える。

このことで貴ノ岩は、モンゴル人力士だけではなく、
モンゴル人社会全体を敵に回してしまった。

何故アイツは…同じモンゴル人なのに…。

そうしたモンゴル人社会の冷たい風当たりを
彼は感じていたし、いろいろ忠告する同国人もいたことだろう。
真実は解らないけれど、このことが9月の錦糸町のトラブルに結びつき、
それが横綱達の不興を益々買ってしまったうえで、鳥取の夜…

「いい機会だから、あいつ…シメておこうぜ!」

そんなところだろうな…。

貴ノ岩は、ただ純粋に、親方の教え通りに、土俵では正々堂々
真っ向勝負を貫いただけ…横綱たちの「なあ...空気読めや!?」に
反感すら持ったにしても、全く不思議ではないのだろうな。

まっ…空想ですけどね…あくまでも。



岐阜の大型詐欺事件には後日談がある。

結局我々にFAXを送ってきた辺りから始まって、
最初の約束手形決済日までの3か月間が、
この架空会社の活動期間に当たるのだけれど、その間に
数十億の金品(換金性の高い商材など)を集めまくり、
予定通り90日後に跡形もなく消えた典型的な…
終ってみれば、まさに絵に描いたような見事(?)な
詐欺事件なのだが、
この事件にはとんだ落ちがついていた。

突如、社長を名乗る男が現れて、弁護士を伴い
「個人破産」の申請を行ったのだ。

つまり、この件は警察が介入する詐欺事件にあらず!
単なる、個人破産と会社の倒産案件…きちんと裁判も受けまっせ、
わずかに残ってる会社の資産を分割して、債権者樣方に
分配しまっせ(各社1500円くらい!?)ということで、
それまで当方が司直に訴えていた提訴も、指名手配も

すべて無効。

フェイクの社屋や、活動実態、金融機関も情報詐称、
社屋裏のカーゴプラットホームで次々に積み込みしていた
社名入り4トントラックやトレーラーもすべて偽物…というか、
ディーラーさんも騙されて、約手で大型車数台を売ったそうだ…等々
何を言っても、刑事案件ではないとして警察は取り合ってはくれなかった。

よく刑事ドラマで観るような、あからさまな殺人事件も、
敢えて自殺…事件性なし…そう云われた心境なのだ。

社長を名乗る男は、大阪で個人破産歴過去4回を数える、
その道のプロ…というか、殆どホームレスの呆け老人。
こういう時、簡単に小金で悪用されるような人物…。

その日以来行方不明の営業部長以下3名+銀行員の4名が仕組んだ
90日間限定詐欺事件だが、最後の最後、こういう結末を用意して、
自分たちは犯罪者にはならずに、数十億円の金品を
(噂では)香港で換金し、犯罪者じゃないから、全く自由に堂々と、
日本のどこかで、悠々自適の生活をしているのだという…。

まあ…つくづく思ったね…騙す方は当然許し難い悪人だけど、
騙される方も、騙される方で、馬鹿で間抜けなだけだぜ!って…。



初めて「遡ることなく」リアルタイムで買ったザッパのアルバムが
この「興奮の一夜」(キチンと国内発売されたから邦題もある!)。

正直に言うと、今はもう、この曲は飛ばし気味なのだが、買った当初は
この曲の、ジョージデューク→ジャンリュックポンティ→ザッパ
と繋がるソロ回しが大好きで、こればかり聴いてた気もするが、
今はちょっとね…暑苦しすぎるかなあ??

ザッパはこのアルバムから突然ポップでソウルフルでしかも
ダンサブルになるのだが、同じ頃のライヴはもう複雑怪奇の
インプロ系変拍子の変態的ジャズロック…というわけで、
この次の作品Apostropheでは、ポップなんだが、
やってることは超絶技巧っていう、彼らしいといえば彼らしい
特異な世界観を構築するのだ。

この曲を唄ってるリッキー某という男は、オーディションと
この曲のレコーディング後にジャンキーと判明して、麻薬嫌いの
ザッパは即日彼を解雇!。♫おいらジャンキーでアル中だぜ….的な
イメージの曲を多数作ってるワリには、ザッパは意外に生真面目な
ワーカホリックと知るのは、随分後年のことだったように思う。

いずれにせよ、自分にとっての初ザッパではないが、
バリバリの新譜で購入したこのアルバムに対する思い入れは、
やっぱり並々ならぬものがあって、入ってる曲は未だに
全部唄えるぜえ!って感じだな。

Frank Zappa/The Mothers - Fifty-Fifty


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