ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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栄光と挫折の10年間

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『くすだまくさぎ』という花だそうだ。実は初めて見た。
しかも実家の鼻先で!



ノッピキナラナイ事情があって、
25歳目前にキッチリ「バンドマン」生活に見切りをつけ、
即座に「一般企業」に就職した。

ノッピキナラナイ事情の方は、
「キチンと生計を立てねばならなくなった」というありふれた事情だ。

「一般企業」とはいえ、そこは限りなく零細に近い中小企業、
しかも創業したばかりの貿易会社。面接で貿易書類(L/C)の英文の特約事項
を訳せ!と云われた、これが中学2年程度の捻りのない素直な英文で楽勝。

先輩社員達(既に主任、係長、課長、次長、部長、常務、専務等々全て揃っていた)は、
創業社長前職の元々の同僚、部下、取引先担当者などの集まりらしく、
私はいわば最末端の使いっ走りで、主に力仕事と雑用担当…という
ダウンアンダーなポストだった。

だからそれから28歳辺りまでの仕事の記憶が一切ない。
ただガムシャラに目の前の与えられた仕事をこなしていただけだから…。

ある日、取引はないが、業界の「うるさ方」として知られ恐れられていた
大手商社S商事の専務に呼び付けられる。
上司達は戦々恐々としつつも怖じ気づき、
結局「使いっ走り&ドブさらい3年目」の私が出向くことになった。

専務は我々の力を試すように、様々細々な宿題を言いつけ
私はその解答を少しずつ探りながら、商社Sに日参しヒントを探っていた。
先輩上司諸氏からは「無駄だよ、どうせアチコチに無理難題を言って
我々が苦しむのを喜んでるんだよ。ヤメちゃえそんなもん!」と言われたが、
コチラも半ば意地になって攻略法を探っていた。

しばらくして、どうやら私はその解答を手に入れたらしい(内容の記憶なし)
年間十数億円の契約をS商事と締結することになった。
この契約がやがて会社運営の大きな柱=屋台骨となるのだが、
私は入社3年目、営業部主任、部下2人の立場が、
一気に十数人抜きの新設第二営業部部長。
部下…良く分からんが何十人か….という事になった。

やがて30歳を越えると統括本部長になるのだが、
その時点で私は自動的に先輩方(既に上司ではない)の多くを敵に回したようで、
気付かぬうちに「会社を2分する派閥の片方のオサ」になってしまい
改革派の若手の頭目、悪しき流れの元凶...として憎悪の対象となっていた。
コチラに対抗しようと、先輩方の無茶すぎる暴走を毅然として止める事がうまく出来ず
(不幸にも社長も向こう側だったから)、次第に会社はすこしづつ傾いてゆくのだった。

そんな25歳から35歳あたりの10年間。
もうチョイお利口に、腹黒い寝業師として老練に
「ソチも悪よのう...所詮奴らはワシの手のうちで転がされてるとも知らんで
 オーホホホ..」
と立ち回っていれば、今も細々会社は続いていたかなあ、
あんまりいい気になるんじゃなかったかなあ....未熟だったなあ、などと
まあ後悔が多い10年でもあったわけだ。
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