ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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自己責任的サッカー同好会の物語

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またしても時計は38〜39年引き戻ります…。

さて高校に入学した。
さあ髪の毛伸ばして、思う存分ロックバンドやるぜ! 
でもってバイクなんぞに乗って、チャラケまくって青春とやらを謳歌させてもらうぜ。
へッ!ザマアミロ!…という自分なりに壮大な高校生活プランがあったのだが、
ある上級生と出会ってしまった事で、呆気なく計画はツイエルのだった。

『おい君!君だよ…君はT中サッカー部でハーフやってたんだってね。噂は聞いてるよ』。
(それが何か?もう随分昔の事でござんすよダンナさん)
『実はね、俺この学校にサッカー部作ろうと思って今メンバー集めてんだよ!』
(ほー…なるほど。まっオイラには関係ないっすけど、
 ちなみに何人くらい集まったんすか?)
『今5人。いや君を入れると6人!女子マネも入れれば8人...』
(悪いけど、おいらは駄目っすよ!もう部活決めてるし)
『えっ…何部さ?』
(…デマカセで「ほ、放送部!」)
『わかった。放送部の部長の○△に話し付ける。とにかく今日練習見に来いよ!』
(練習ってどこで?見た事ないっすよ。しかも5人でしょ!)
『神社の境内!』
(ケイダイ?マジっすか?気の毒すぎる状態じゃないっすか…..)
『じゃあ待ってるから。みんな喜ぶぞ、やっと経験者が入る、
 しかも強豪T中サッカー部OB!』
(エッ…ちょい待って…まだ….そんな…)

で、シブシブ境内に練習を見学に行ったら最後、
あまりに素人な不格好さに見ていられず、つい手を出し足を出し….
「凄いなあ、さすがT中OBは違うなあ…」とオダテられるうち、
気がつけば帰宅後、スパイクやらウエア一式をタンスの奥から引っ張り出す自分。

ロックバンドも、帰宅部の夢のようなチャラい生活も、
さらさらと掌から砂のようと落ちてゆくのだった。

かくしてシロート寄せ集めによる「サッカー同好会」は、
大人達をも巻き込んで様々な妨害、迫害、意味不明な偏見(バカじゃねアイツラ!)
に遭いながら波乱のスタートをする。(もちろん有り難い協力もあった)

「俺の目の黒いウチはなあ、サッカー部なんて絶対認めない!必ずぶっ潰してやる!」
と公言し、自分たちの部は遠征中で不在なのに
わざわざ手間をかけて、我々にグランドを使わせないように仕組んだり、
個人にストーカーのように付きまとい、メンバーの切り崩しを諮るなどの
幼稚すぎる行為におよんだのは、なんと他の部の監督、コーチなどの教師達
(臨時教員?)=大人達であった!。


そんな中、よろけながらも1年経ってみると、部員数は既に30数人、
全くサッカー素人ながら顧問の先生=監督=学校側の見張り役?も就いてもらった上で、
リーグ戦も条件付きながら参加(散々苦労した)、公式戦初勝利もあげていた。
もうとっくに『サッカー部』として認められて然るべき条件を満たしている筈なのに…
何故だか「部」という言葉の前には、まるで越えられない一線でもあるかのような
遥か遠くの次元にあり、結局我々の世代では手が届かぬまま終わってしまう。

結論的には大人の事情=サッカー、ラグビー等々の区割りというか、
ある種の縦割行政というか利権構造が絡んでいた事を後に知る。
そんな取るに足らない小さすぎる大人の事情で振り回されていたのか!
と考えるとやるせない気持ちになる。
(行政のしがらみはいつも小さい!結局誰かさんのタイメンのみ)

サッカーが好き!ただそれだけなのに、
学校の施設が一切使えないから、あちこちジプシーのように練習場を捜して徘徊したり、
週一くらいはまともなゴールにシュートしたいと、有料の公営グランドを借り、
その為に会費を徴収。
遠征試合も自費負担。
怪我をしても自己責任。
そんな理不尽ともいえる悲哀を高校時代にイヤと云うほど味わってしまう。

しかし、それから10年後、
私は懲りもせず再び「サッカーチーム」を立ち上げているわけで、
これまた様々国際的紛争を引き起こす….その顛末はまたいつか…。

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