ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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まちなかスキーな時代

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冬囲いも完了されちゃうとね、さていよいよ...ですか...
と、観念するしかないですね。

秋田県の北の方ではもうスキー場開きなんだそうな。

なにしろ今に較べればクルマも少ない時代、秋田駅前周辺と言えど、
斜面さえあればそこらは子供らにとって全てスキー場!
クルマはスキーの飛び出しを警戒して交差点では必ず一時停止!

そこで物足りなくなれば本格的に…千秋公園!!
県民会館の小坂、小学校前(図書館前か…)の大坂、二の丸の階段、
鯉茶屋前の階段(鯉茶屋に向かって直滑降。ギリギリで左展開のスリル!)、
本丸の大小の土手など、ゲレンデはありとあらゆるところにあるわけです! 

しかしこれらは小学校低学年での話。
やがて舞台は「手形山シャンテ??」となります。
その頃の私は高額なスキー板は買ってもらえず、
近所のお兄さんからイタダイタ、随分と時代遅れな長くてやたらに重い、
しかもエッジがトコロドコロ抜け落ちてるようなボロボロなスキー板。
これを家からヨッコラショと担いで歩く。

まずは秋田大グランドで仲間と待ち合わせ、
そこから大学球場の裏→秋田高グランドあたりから徐々に山道に入り、
眼下に秋田市内の雪景色を見下ろしながら、一歩一歩登山。
そして遂に手形山ゲレンデ・スキーロッジ(単なる山小屋…)に到着する。

行きだした最初の年にはなかったが、やがてロープ塔が完成し、
ゲレンデ登りは楽になった。

しかし私はそこで足首捻挫を1回。
それでやはり古いシステムのスキー板では危険だ!という事で
新たに買ってもらった憧れの白い最新式の板を履いたその初日、

まんまと転倒しボキッと….
足ではなくスキー板を折った。

どう転んだか記憶はないが、まっ二つに折れた板の前半分が、
無情に…淡々と…ゲレンデ下に見事な直線のシュプールを描いて旅立った。
この音声のない無機質な光景は、以後しばらくは悪夢となって、
随分とウナされたものだ。

小六の時に秋田博(アキタヒロシではなく秋田博覧会)とかがあって、
向浜というガルフエリアが急に注目され、開発されるようになって、
同じ年の冬、県立スケート場が落成。
我々はスキーブームから突如スケートブームに移行する。

中学になると、スキーの方のロケーションは一気に
「仁別スキー場」になるが、中2あたりを最後にスキーは一切やらなくなった。
何となくメンドクサクなったんだと思う。
楽しい事は世の中ほかにも色々あるって事を、徐々に知り始めた年代だ。

その後バブル時代に一大スキーブームとかあったし
実はミュージシャン時代も、越後湯沢とか志賀高原などでの
スキーロッジライブとか、雪上ステージライブ(ウルトラ寒いし、手がカジカむ!)
とか意外と頻繁にあったのだが、
空き時間には皆、貸スキーで楽しんだりするのだが、私は一切滑らなかった。
秋田出身なのに何故?とよく聞かれたが、
やはり怪我や、トラブルのリスクがトラウマになっていたのだと思う。

というか、都会や南国出身の人は雪にやたらハシャグのだが
雪国出身者はそんなときは、宿舎でのんびり温泉に浸かり、
熱燗などでまったりと過ごす...。
スキーなんぞ、何がかなしゅーて雪まみれにならにゃならんとですか?..という次第。

その代わりにカノジョが出来て、その初デートが代々木のスケートリンクだった。
その時はつくづく、向浜にスケート場が出来たことで、
その「たしなみ」として滑れていたことに、随分感謝したように思う。

まあ何にしても、昔は子供の数も多かったし、街ナカのそこら中で
子供達は自由過ぎるほど勝手気ままに遊び呆けていた...
そんな時代でしたね。

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