ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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ダウンタウン物語@秋田

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ココは本文とは無関係ですので、あしからず。
近いけどね.........。



思えば…秋田市の下町(?)に生まれ、そこで育った。

秋田市は総面積こそ日本有数の広大さを誇る(らしい)が、
街としてのエリア・機能は極めて狭いから、
巨大なダウンタウン圏というのではなくて、
極めて狭小な街角が、秋田における暗黙の下町ではないかと思う。

恐らく我が町内が、そこにズバリ該当する事になるだろう。

今も多少お住まいの方々もいるようだが、
1960~70年代のご近所は、明確なKOREAN TOWNだったから(それも北の方)、
聞き慣れない言葉や奇妙な文化、強烈な匂いなどが、
そこら中に散らかされた猥雑そのものな街角で、
まさにそのアヤカシの側で私は育った。

同じ年かさのたくさんの友達がいたが、
彼らは決まった曜日の午後には一斉にいなくなり、
僅かに残された仲間(日本人…)と寂しい想いをした。
お国の教育(オリエンテーション?) を受けるべく集まっていたらしい。
三角ベースをするにも人数が足りず、あまりに寂しいから、
一度私も彼らに混じってその会に加わったことがあるが
即日にそれがバレて、親にこっぴどく叱られた。

TOWNのまっただ中には、怖くて通れない路地も存在した。
路地には鋭い目つきの、何を言ってるかわからないオヤジが何人も屯していたり、
犬が異常な頭数繋がれていたりで(…eat it ?)
近寄ることすら出来なかった(市道らしいのだが)。

もう少し遡る小1か小2の頃だと思う。
同じ年代のMという奇妙な名前の男の子が近所に引っ越してきた。
私は6歳か7歳?にして、学校の仲間とは違う奇妙な名前を沢山知っていたので、
既に奇妙さには順応しており、あまり違和感を感じることはなかったように思う。

すぐに親しくなるが、不思議な事に彼とは同じ小学校ではない。
2つの学区の境界に位置しているエリアだから、
てっきり隣の小学校生徒かと思い込んでいたが、そうではない事に感づき始める。
学校の話題を振っても彼は薄笑いを浮かべるだけ。

毎朝ワイワイと騒々しく通学する私らを、
飲食店2階の彼の部屋の小窓から
うつろな眼差しで、こちらを伺っている彼を
なんとなく感じていた。

彼の名誉の為にも、これは触ってはいけない事柄なのだろうな...。
何となくそう感じていた。

ほどなくして彼は
『折角友達になったのに、間もなくお別れだ』という意味のことを言った。
「何処へいくの?」
『うんと遠いとこ…父さんが先に行って待ってるんだよ』
「東京とか大阪とか?」
『想像出来ないくらい遠いとこ。だからもう一生逢えないと思う』
「なんでそんなこと言うんだよ!大きくなったら必ず逢いに行くよ」
『いや、無理だと思う….』

ご存知の通り80年代まで段階的に進められた「帰還事業」というやつ。
私が小学生だった60年代をピークに、
こうしてご近所の「かの国の方々」は徐々に帰還し、
街にその名残りは未だ沢山あるが、猥雑さ、薄気味悪さ、
奇妙な活気の消えた
ただの寂れた下町になってしまった。

後年、仕事で数十回も半島を訪れる自分がいた。
一度だけだが、国境近くの「板門店」というところに出掛けた。
山並みの向こうで、親孝行だったM君は元気にしているのだろうか?
そう思うと、胸が苦しくなったものだ。

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