ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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ワダカマリも五十まで...?

60301.jpg copyright by adidas

私はいわゆる「洒落筋」ではないから、
遊び用のカジュアルスーツとか、イタカジの洒落た革靴なんて、
ついぞ縁のない人生だった。

だから仕事用の革の通勤靴以外の履物は
全てスニーカー…。

そんな奴だから、外国に行っても自分へのお土産(?)は、
だいたいスニーカー(とTシャツ)。
外国だからって決して安くはない。
シャーロックホームズによく出て来る
ロンドン・ベーカー街で買ったReebokなんて、
帰国後近所のABCマートでチェックしたら、
ロンドンの半額くらいで売られていて、
軽くショックを受けたりするのも、一度や二度ではない。

まあMade In GBとMade In Koreaの違いはあったけれど…。
結局Reebokもやがて身売りし、今ではあのAdidas傘下の、
堂々たるMade In Chinaだったりする。

とはいえ、私にとって、というより、
1970年代初頭のサッカー少年達には、
Adidas、そしてPumaというのは特別なメーカー。
いや憧れの麗しきブランドに違いない。
おもえばまだ1ドル=360円という超円安固定な時代だった。

アディダスとプーマは共に西ドイツのブランド。
いわば同じ同盟国の敗戦国にも関わらず、
なぜ為替は360円/$なのだろう?
と多少疑問に感じながらも
日本製のスパイクが4〜5千円だった時代に
アディダスで2万円前後、プーマで1万円強というところで、
秋田でも大手のスポーツ店にはウヤウヤしく置いてあって、
サッカー少年は買って貰えるわけもないのに、
何故かお店に通い詰めては眺め、
時には匂いを嗅ぎ(!)、
舐めはしなかったが、
ホホズリくらいはしたかもしれないほど憧れのスパイクだった。

結局、中2の時に、
親の手伝いをします。
勉強にせいだします。
また教室の何かを壊して担任に呼び付けられるようなことは
今後いたしません等々、
ワリに合わないほどの親の要求と引き換えに買ってもらったのは、
残念ながら日本製の「モンブラン」というメーカーの靴(スパイク)だった。
これはこれで嬉しかったけれどね。
結局高校でもサッカーを続けることになっても、
やはりアディダス、プーマは買えなかった。

そうしていつの間にか大人になって、ふと気がつくと、
サッカーマンどころかベースボーラーもバスケ族も、
さらには普通にジーパンを履いた若者達が、
あの憧れの三本線とピューママークのズックを!
いや、そのとき既にスニーカーと呼ばれていたが、
その麗しの高級品を履いて街を闊歩しているではないか!? 

西ドイツ製のアディダスとプーマは、「ライセンス」という取引方法で
日本のスポーツメーカーが製造販売し、
昔より大幅に安く、大量に流通するようになった。

これで心ゆくまで憧れの品のオトナ買い!!
と、思いきや、どうしたことか私はこの2社のスニーカーを
一切購入することはなかった。

やがて草サッカーを始めるに到っても、
やはりアディダスorプーマに手を出すことはなかった。
いや、実際は手に取って買おうとした!
しかし革の風合いも、匂いも、感触も、
その昔広小路にあった竹谷スポーツとか竹半で感じたアディダスの、
独特の恍惚感、高揚感は全く消え去ってしまっていて、
あろう事か哀しくなってしまったのだった。

50歳を過ぎて、ポンコツになって、秋田に舞い戻って、
さてスニーカー買うべ!と靴屋に出掛けた。
そこで何のワダカマリもなく手に取ったのがなんとアディダス。
理由はわからない…なにも迷うことなく
その三本線をすんなりと、
生まれて初めて購入した…。

実に軽くて快適だ、なぜこれまで履かなかったのだろう…って感じ。
ジジイになるとワダカマリって消えるのかね?
この調子で昔絶交した旧友と連絡を取ろうか!
と一瞬思ったが、ヤッパリやめた。
ワダカマリ以上に、傷つくのは
歳をとったとは言え、ヤッパリ怖いからね。


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