ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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芸は身を助くなのだ

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あと20日くらいかな...。

小学1年の時に、南通りにあった「書道教室」に通わされる事になった。
結局、小学3年か4年生あたりまで在籍していたように記憶しているのだが、
その実態は「人生初のドロップアウト体験」でもあった。

何しろ生まれつき(?)セッカチな性格だから、
スズリで墨を擦る手間が大キライ。
だからいつも早計なグレーっぽい毛筆を、先生に注意されていた。

最初のうちは確か10級から始まって、
月1回程度のコンスタントな昇級がウレシクて
真面目に取り組んでいたようにも思うが、
3級あたりで昇級が停滞するようになると、
ズルズルとサボリ癖がついて、
通わなくなったように思う。

エリア的に、隣の小学校の生徒の比率が高く、
仲間が少なかったことに加え、
小学2年の時にはピアノ教室にも通い始めたから
益々足は遠ざかる。

それでもタマに書道教室に顔を出すのだが、
一緒に始めた仲間は既に「有段者」になっていて、
やがて下級生にも追い越されるようになると、
モチベーションを失うだけでなく、
ドロップアウトした事への自己嫌悪で
絶望的な気分になっていたようにも思う。

まあピアノもさほど上達はしなかったから、
才能はなかったにしろ、野球や釣りや虫採りしてる方がはるかに楽しい
欲望オモムクママの怠惰な子供だったわけで、
飽きっぽさも含めて、今がそのナレの果てだから仕方がない。

やがて小6で「洋楽」というか『英語のポップス』に興味を持ち始めると、
同級生と手形の英語教室に通い始め、それは中学卒業まで続いた。
途中サッカーを始めてしまったから、
週2で英語教室通いを続けて行くにはなかなか大変なこともあったのだが、
これには「相方」がいたことで
疲れきって居眠りしながらも、
なんとか続けられて、
今ではアイカタ君には感謝している。

そんな彼は、今では宮城で「学習塾」を経営してるらしく、
何とも不思議な気分だ。

芸は身を助く…というが、
中学レベルとは言え(中学までは完璧だった…その後は??)
英語はその後、様々な場面で人生の役に立っていたと思う。

英語と英会話は異なるモノ…といわれ、
大学の英文科を卒業しても英会話は出来ないとか言われるが、
それは違うと私は思う。

所詮会話は意思疎通、イザって時に役に立つのは「単語力」に尽きる。
仕事で外国に行く事が多かったから、それは実感として感じた。
構文など気にしない、要は単語をどれだけ知っているか!
それが時には大ピンチから自分を救ってくれるのだから侮れない。

そういうわけで、
中学修了程度のチープな英語力を引っさげて
貿易会社に長く勤めることになるのだが、
どこの国の誰とでも、
まるで構文などおかまいなしの
デマカセ&出たとこ勝負Englishで、
特に不自由はしなったように思う。

顔が見えない「電話英語」は苦手だけどね。
Hold on please…ばっかり!
(Just moment…は死語みたいね)。

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