ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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「ゴミ減量!」に噛み付いてみる暑い夜

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モデルさんも麗しく美しいのだけれど、
この時レンタルで借りたレンズも素晴らしかった。
久々の性欲 物欲! 



市役所周辺でよく目にする
「ゴミ減量」
という一大スローガン!?。
これには私は大きな違和感がある。

直近でいた会社で私は、
「環境基準」に関するコンプライアンスだとか、
資源循環などを徹底的に学ばされることになり、
さらに各種処理プラントにも数多く足を運び、
工場長にインタビューし、学びながら、
それをまた様々な企業に知ったかブリで紹介し啓蒙するのが仕事だった。

まあとにかく、覚えねばならぬ法令項目たるや凄まじく、
また、1カ月単位で「新たな法令」が続々と追加されるような、
早い話が、フレッシュな「未来社会」を形成する一環の、
わりとヤリガイのある仕事でもあった。
超地味だけど…。

お馴染みのメガポリスTOKIOでは
「ゴミ減量」なんてスローガンはあり得ない。

ゴミ処理は立派な「経済活動」として確立しているからだ。

廃棄物は究極まで徹底的に再生活用する。
金属はもちろん、ペットボトルや紙などはそのまま再生されるが、
他の廃プラスチック(コンビニ袋から建築・工業材料まで)や
木屑などは基本「燃やす」ではなくて、
高価な石油に替わる安価な「燃料!」として製品化(工業用途)。

飲食業などから排出される生ゴミは
家畜飼料として再生するか、
無農薬肥料化して農地に戻される(究極の円型リサイクル)。

こうして、あらゆる知恵を絞り、工夫を施し、プラントを作り上げ、
廃棄物を徹底的に再利用した果てに、
それでもどうにもならない厄介なものを、
初めて「ゴミ」を称し
『燃やす(溶融=7000°の火力で瞬時に溶かす)』
または巨大シュレッターで細かく破砕し、
さらに圧力を加えて小さくしたものを
(指定埋設所に)『埋める』のが廃棄物処理のスタンダード。

「ゴミを減らす」とは、廃棄物再生業者が、徹底リサイクルを尽くし、
その努力の果てに仕方なく残った「ゴミ」が本来の意味。
…どこかの市役所がお念仏のようにブツブツ〜と唱える
「軽い意味」とは次元が違うのだ。

では、私たち市民にとっての循環型社会達成への前提はというと、
まず「分別」という事になる。
なぜ「分別」か?というのは、

それぞれの行き先(処理工場)が別々だから。

例えば、紙ゴミは、指定日に街角で順繰りに積み込んで集めたモノを、
そのまま「紙再生工場」に運ぶ。
その時、紙と一緒の袋に傘だの衣服だの野菜クズだのが混ざっていたら、
紙工場にそれらを処理する手段はないから、
当然、現場段階で「回収不能」となるのは当然の事と理解して欲しい。

「分別」が大変そう、面倒くさそう、よくわからないから適当…
と思うのも当然であるけれど、
それはどこの自治体も長い年月苦労しながらも、
一生懸命に啓蒙した甲斐あって、
近年ではほぼ市民(区民)の理解を得ている。

学校教育の中でも「ごみ分別」を、社会貢献の一環と位置づけ、
「市民の義務」として受け入れられているのだ
(実際は処理業者の都合という側面もないではないけれど…)。

で、秋田はどうか?
「ごみ減量」とは「モノを買うな!」と言ってるのとまったく同義語。
この果てしなくナサケナイ「禁句」を、
堂々と市役所にスローガンとして掲げられている異常性&厚顔無恥さを、
もうご理解いただけただろうか!?。

ゴミ処理=経済活動であり、
様々な可能性を持つ「イノベーション」!

それでも秋田市は、今日も明日も何でもかんでも
ひたすら燃やし続け、
その焼却灰を埋めるところがないから
『減らせ、金払え』
明らかに行政の欺瞞、怠慢。

かつて環境省の官僚君たちや、熱心な行政関係者といつも話題になるのは、
「中国が循環型社会に目覚めたら相当手強い国になる…
 あのイキオイで大量消費したものを、一斉に再生循環するようになれば、
 強大なイノベーションが起きる….
 いまはあまり興味ないから良いようなものだけど、そのうちヤバイね…」

秋田の「そのうち」は、「そのうち」やってくるのだろうか。

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