ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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哀しい現実

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お気に入りBest5には入るだろう土手の散歩道。
東京調布〜三鷹あたりに「野川」っていう、ココとよく似た
河原の土手の、やはりお気に入りポイントがあるのだが、
はるかに(秋田の)こちらの方が風雅で素晴らしい。


秋田の、とあるショッピングセンターで、
どうしても見つけれない商品の在り処を、
インフォメーション・カウンターのオネエさんに尋ねたら、

「少々お待ちを…」と言って、
オネエさんはフットワークも軽快に席を離れ、
アタリをつけたと思しき方向に、ササッと走り去ってしまいます。
そ、そんな慌てなくても…と多少面食らいつつ、
私はカウンター前でしばし待つことにします。

すぐにオネーサンは戻って来ると、
「お客様、大変お待たせ致しました!こちらでございま~す」と、
私ではなく、たまたまカウンター前に居合わせた
「ご老人」を連れて行こうとするので、
オイオイオイ!と…。

確かにその「じっちゃん」も、
私と同じような麦わら帽を目深に被ってはいたけれど、
それにしても、それはないだろう!と…。

ただし時々全身が映る鏡など見ると、
我ながら「どこのジジイ?」と思ってしまうのも事実だから、
間違えられても仕方ないのかもしれないなあ、
印象としては違いないものなあ...
と、認めざるを得ない部分もないではないが、
やはり哀しいに違いはない。

だいたい自分を振り返って、20歳くらいの時には、
50歳の小ジジも60歳の中ジジも、下手すりゃ70歳の大ジジも、
殆ど区別などつかず、全員ジジイに代わりはないし、

そもそもハタチの身の上からすれば、
30歳とか40歳なんて、限りなく「中年オジサン」で
「老いぼれ」に違いなく、
そしていつも「敵」だった。

奴らは、我々のやることなすこと全てを忌み嫌い、
文句ばかりつけながら、その実、興味津々なくせに
「阿呆」呼ばわりして安心のエリアに逃げ込む。
そしていつも上から被せるように
「自分らが若い頃はなあ…」と語り始め、
それをあたかも正しい行動規範のように盛り込みつつ、
我々年代に刷り込もうとする。

ハイハイ分りましたよ、凄いですね…とその場では調子を合わせながら、
その実は、昔話ばかりの、そんなみっともないオヤジになどなるものか!
と腹の中では思っていたものだが、
なんとしたことか、ふと気付けば、
見事に同じような、口うるさいわりには行動が伴わず、
脇がアマイ(脇がクサイ?)ダメダメオヤジに成り果ててしまった。

そして、さらにいつの間にか.
50だか60だか、70だか判別つかない、
渇いて、表情に乏しい老人に成りかける。

ハーフパンツに、クロックスを履き、
オレンジのPOLO、STUSSYの麦わら帽...
それに斜め掛けのメッセンジャーバッグ…
それでも(だからこそか?)麦わらだけが共通のジッちゃんと
普通に間違えられるわけで…
それが哀しい現実。
ヤレヤレなのであった。

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