ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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一番寂しい日

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今では、上京したての学生さんの生活環境は、相当向上しているらしいが、
我々の時代は、おんぼろアパートの四畳半一間、風呂なし、洗面所兼台所、
トイレ共同というのが普通だったと思うし、不足など感じていなかった。
むしろ、自由な生活を心底楽しんでいた毎日であったが、この日だけは本当に
野暮な男子には苦痛で、屈辱的な日。

独りで生活することの喜びを満喫するのと同時に、突然襲い来る孤独の恐怖。

それがクリスマス。

「幸福」という感覚は、他人の不幸とのコントラストの上に成り立っている。
そして「不幸」は、他人の幸福によってもたらされる。
豊かさとは裏腹の格差=不幸感。

しかし幸福感も不幸感も、物理的なものではなく、そうした感情によって既定
されるのであれば、システム的に全人類が幸福感に浸れる方法がありそうなものだ。

恐らくそうした演出として、クリスマスを盛大に、ことさら派手に祝う習慣が作られた
のだろうと推察するが、少なくとも若いころの自分には随分と残酷な、言い知れない+
堪えられない孤独を味わうその日こそが、クリスマスであり、随分と呪ったものだ。

やがて家庭を持つようになって、そうした感情も薄れてゆくのだが、クリスマスの
妙に浮かれた街を歩くのは、わけもなく嫌で、小走りで逃げるようにその場を離れ、
急ぎ帰宅したものだ。

さて時折吹雪きの、それはそれは厳しい天候の、秋田のクリスマスのその日..
あれ?.そんなに嫌味がないぞ...
やはり急ぎ足で街をゆく人々から、そこはかとなく感じられるのは、
浮かれてられないぞ!これから厳しい冬に向かうのだ!という決意みたいなものが
感じられて、いやはや、これが、なんとも「覚悟のクリスマス」とでも言うのだろうか??
しかし、もしかして県民総不幸感....こりゃ最悪にまずい!?

でもね、殆ど吹雪なんだけれど、合間にちょこっとだけ、上の写真のような青空が覗くと
なんだか妙に嬉しかったりする。案外これが秋田のベースなのかもしれないし、
世界で絶賛された規律正しい日本人の源泉も、こうした厳しい自然環境のなかで、
潰されても、流されても、そこで生き抜かなければならない日本人の逞しさなのだろう。

不幸が人生のベースにあって、その上にチラチラと、たま〜に幸福もある。それが人生。
まっ、それも上等かな。


















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