ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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トラウマ払拭の長い旅路

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小学5年の冬休みに、学校内だが、
町内子供会対抗サッカー大会!というのが提案された。

特にサッカーに強い思い入れがあったわけではないが、
正直、ワタシの住むエリアの町内子供会(駅前2区)は、
今はなき金座街+銀座街+末広通り+平和通り(今のFONTE秋田+アゴラ広場辺り)
の夥しい数の商店の2階に住む子弟達に加え、
駅前界隈の飲食街、市民市場界隈の魚屋・八百屋系子弟たち、
さらに一部外国人居住地の子弟も含め、
なにしろヤヤコシくて、ヤバくて、特殊な町内。

手形や矢留町あたりのような、官舎&社宅的一体感もなく、
皆バラバラで、一様に温度が低い。

それでも自分が低学年の頃は、
ラジオ体操を高等裁判所前庭(今の西武+ビューホテルかな)や、
東北電力前庭(今の公営駐車場)等で行い、
さらには、みんなで下浜辺りに海水浴に行ったりして、
行事も盛んで楽しかったのだが、
裁判所も東北電力も順次取り壊されると(秋田はとにかくなんでも壊す!)、
夏休みのラジオ体操すら行えない状況下、
町内会の意義とか結びつきは急速に薄れていった。

そんな折、俺たちはここで何かを為さなくてはならないのだ!と、
なぜだか突然、使命感がフツフツと沸き立ち、
ワタシは独断ながら、サッカー大会にエントリーした...してしまった。

一人一人の家(店)を巡り、一緒にサッカーやらないかあ!
俺たちの町内だって、サッカーくらい出来る纏まりはあるんだぜって、
他の町内にも見せつけてやろうじゃないか!
なあ、だからお願いだから一緒にやろうぜ…と誘うのだが、
普段から極めて温度の低い、金座・銀座街の幻の跡取り達…。
そんなもの何の得があるのさ!バッカみたい、興味ねえし…
という予想通りの反応。
一向にメンバーは増えない。

仕方がないから、隣の小学校に通う幼なじみにも声をかけた。
後にオリンピック銀メダリストのO君なんかも、
「喜んで参加しよう!」
と、見事な男気をみせてくれたが、
度量の小さな我が校の顧問教師に、遂に許可されなかった。

結局、学区外の子達や、児童数の少ないエリアの子達を結集した
「合同混成チーム」を急遽編成し、やっとのことで出場を果した!
残念ながら1回戦で最強豪と目された「千秋北の丸チーム」に0-1でアッサリ負けた。
あれだけ苦労したのに、ホンの40分ですべてが終わった。

清々しさなど一切ない。
無常感、敗北感に苛まれた。

やがて中学に入り、恐らくこれがトラウマとなって、
ワタシは迷わずサッカー部に入部した。

入ってみたら、これが超強豪チームで(未だに...らしい)、
毎日...「死んでしまうかもしれない...」
と、本気で思う毎日。

高校では、どうしたことかサッカー部を作る為に奔走した。
学校に「部」として認めてもらう政治的作業と、
高校サッカー連盟にリーグ入りを認可してもらう政治工作。
同時に、部としてのスキルを磨きながら、
安定した組織作りと、運営を行うこと....。
殆どサッカーと関係ないところで
動いていたような気がする。

30歳でミタビ、サッカーチームを立ち上げ、
世田谷リーグにエントリー。
ここでもまた、外国人5名(英・米2・加・ナイジェリア)を含む
リーグでも異色の合同混成チームとなった。

そして最後は高校生選手と試合中激突し、
見事に突き飛ばされ、半月板骨折…。
その瞬間,頭をヨギッタのは、

「もういい...サッカーはもう腹一杯やったよ...」

長いトラウマ払拭の旅路は、40歳のこの時、
すべてが完結したのだった。

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