ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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1964年10月10日の空気感

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去年は実がさっぱり成長せず、がっかりさせた県民会館脇のナナカマド。
まだ色づいてないけど、今年はイケそうだ!
青空にとっても似合う深紅の実、乞うご期待。



「東京オリンピック」という名詞は、それ以前の数年間も含め、
1964年開催のモノを長らく示して来たものだから、
2020年開催のソレとは、
ハッキリ区別した別の名詞が欲しいものだなと思う。

なにしろ前の大会自体が49年前だから、
1964年大会を知ってるものと、知らぬものでは、
「老人とそれ以下」という荒っぽい分け方が成り立つのだが、

かく言う私も、かろうじてながら
「知っている老人世代」となるのが、何とも侘しい。

1964年10月10日、私は6歳。土曜日の午後2時頃。
秋田も、青山の国立競技場同様、カラッとしたいいお天気だった。

今なら残念ながらアタリマエの光景だが、
当時は、それでも何やかやと街は賑やかだったから、
その日の異常な程のヒトケのなさに、
6歳の私は、何だか人恋しくなって、
当時一番の仲良しだった手形(新栄町)の「けんちゃん」の家に遊びに行った。

「あーそーぼっ!」

「今、オリンピック観てるから遊べないよ。
 君も早く帰って観た方がいいよ、
 まだ日本が出てくるまでだいぶ時間があるけど…」

「...わかった…じゃね…」

やけに日光が眩しい日だったが、
けんちゃんの家の側の、まだ完成してない手形陸橋の、
白くて巨大な橋脚が、
眩しい光に照らされて、とても神秘的に見えた。
鉄腕アトムか鉄人28号か忘れたけれど、
どちらかのコミックで見た「ギリシャのパルテノン宮殿」
の、ようにも見えて、
面白がってしばらく見物していたと思う。

各家庭から漏れ聴こえる、賑やかで晴れがましいオリンピック行進の音。
しかし6歳の私には、日本中が酔ってたその日の
晴れがましさなんて関係なくて、
ひたすらヒトケのない住宅地で孤独に苛まれながら、
途方に暮れていた…。
それが1964年10月10日午後の、妙に生々しい記憶。

その日、リアルタイムで「日本選手団の大行進」が観れたかなんてわからない。
そのあと何十回もテレビで見てるから。

同じ意味で、どのシーンをリアルタイムに観ていたかなんてのも、
あまりにもいろんなシーンを、
ニュース映像や、市川崑監督の記録映画で観過ぎてるから…。
ホントに分からない。

印象深いのは、体操のエンドウ選手、オノ選手など
ジモト出身の大先輩方の御活躍。
そして重量挙げの三宅兄弟。何故だか分からないが、
誰よりかっこいい兄弟...と感じた。
ぜんぜん裸足じゃなくて、プーマのシューズを履いていたアベベと、
苦悶の表情で走ってた円谷選手…それくらい。

競技自体より、「シンカンセン」、「夢の超特急」
「ひかり号」という言葉の方が、より印象深い。
何しろ、人生初の「将来なりたい職業」が

「新幹線の運転手」だったから。

関係ないけど「丸美屋ののりたま」に付いてくる
万国国旗シール(エイトマンシール)も
そういや思い出深いな。

世界って、トメドナクでかくって、
いろんな顔や、様々な考えの人がいるのだなあ、
ってのことを、たった数日で
随分学習した季節だったな。

同時に、秋田に居て、
「デカセギロウムシャ」
って、何だか妙に哀しい響きの言葉も、
頻繁に聞こえていたなあ....。

ますます 東京とわが故郷の格差が
開くばかりかな。。

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