ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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一番古い記憶って??

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涙が出そうな写真だ。
木内の存在感はやはり強烈!
車の量は今とそう変わらない。
人の数は、比べては今が哀しすぎる。
駅の向こうは下北手の森まで一面の田んぼ!
それにしてもいつまでも眺めていられる写真ッス。

さて、自分の中で一番古い記憶って何?それはいくつの時?
自答してみると、幼稚園頃ってのは断片的ながらも、
わりと鮮明だったりするけれど
それ以前となるとなかなか難しい。

実は、もはや完全に暗めなモノクロの記憶の中で、
秋田駅前のロータリーで日の丸の旗を降って昭和天皇をお迎えした??
という記憶があって、それはなんだろうか?と調べてみると、
どうやら1961年(昭和36年)の秋田国体!ということになるらしく、
どうも私の年齢からしても、それが最古の記憶となるようだ。

八橋運動公園がほとんど今と変わらない華やかなイデタチでオープンした頃だろうし
(何故市営プールは失くなったのだろうか?)、薄っすらだが、父に連れられ、
手形の秋大グランドで、サッカーかラグビーか不明ながら観戦したように思うし、
試合ではなかったかもしれないが、現秋田予備校とかNTTのブロック辺りにあった
学校(旧秋田高校。一時期南高校でもあったらしい)の体育館で、
初めてバスケットボールなるものを見て、あまりの迫力にショックを受けたりと、
次々と記憶が蘇ってくる。

因みに今の専門学校郡や予備校があるブロック辺りが校舎、
NTTのビルがある一角は、土手と窪地をうまく使った野球場、
向かいの市民市場はグランドだったまではハッキリ記憶がある。

基本的に広小路が行政の施設と商業地、
中央通りには金融業界やその他民間のビジネス街
主要なその2本の通りを結ぶ横丁として金座街があり、
縦横に別の商店街がいくつも並びつつも、それらは混然一体と
コンパクトにまとめられた機能的な街だったように思う。

このバランスを壊した最初が、行政機能の山王方面移転。

それでも辛うじて広小路は商業地として持ちこたえていたが、
どうした配慮か?陰謀か?結果は目に見えていた一方通行化と、
駅前の大店舗集約化!で一気に廃れていった。

哀しすぎるぞ! 














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