ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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懺悔とピアノとシネイド・オコナー

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小2の時に、当時一族の誇りで、
大阪フィルのオーボエ奏者だった伯父から、
電動オルガンをプレゼントされたのをキッカケに、
近所のピアノ教室に通うことになった。

教室と云っても、個人のお宅にお邪魔して教えを乞う感覚だったから、
特にライバルがいるわけでもなく、ただ漫然と、愛想もなく鍵盤に向かうのみ。

本人的には友達と三角ベースをしたり、缶蹴りなど、大いに遊びたいところだが、
週2回、友達の興じる野球を横目に見ながら、シブシブ教室に通ったものだ。 

そんな調子だから、ちっとも上達せず、始めて1年以上立つのに、
まだ黄色いバイエルと格闘してるような状態で、
そうなるとそろそろ親達も、己の息子の現実(蛙の子は蛙…)を
いやが応にも認識せざるを得なくなり、
実はチョロチョロとサボってたのもバレていたが、
もはやさほど叱咤されなくなって、もしかして将来はピアニスト…
という親の淡い夢も露と消えるのである。

考えてみると今に至っても尚、親の希望を見事に裏切り続けた、
罪深い人生であるように思う。

近頃なんかは、私などより、東京に居る家人の方がよほど可愛い!とか云って、
ガールズトーク(!?)よろしく長電話しつつ、
お互いに私をコキオロしてキャアキャア喜んでたりする…。

ピアノはダメだったけれど、やがて中学生になると
今度は自発的にギターを弾くようになった。
自分でも驚くほどのめり込むのだが、
親にはちっとも歓迎されてない事だけは理解出来た。

高校生なるとギターはいつの間にかエレキに変っていたから、
ますます訝しく思っていたに違いない。

その後も上京などしつつ、さらに親不孝を重ねた。
やがてチョロっとだが、テレビに出たり、
雑誌で紹介されたりもしたけれど、
決して喜んではもらえなかったと思う。

その頃、普段寡黙な父親から、人生でたった一度だけ電話がかかってきた。
父「なんだかそっちのギョウカイ、大麻だとかなんだとか、
  随分逮捕者が出てるって云うじゃないか…オマエは….」
私「大丈夫だよ、そんなのやってないから…」
父「信頼していいんだな」
私「ほんとにダイジョブだから…」
父「そうか、分った。何をしても構わないが、
  母さんを哀しませるような事だけはするなよ」

数年してコチラも家族を築くようになるが、何故か….私が悪いのだが、
家族揃って帰省する事がなかった。何故だか分らないがそれが事実。
そして父が入院し、コレが最後という時になって初めて、
一家全員が父の病室に揃った。病床の父は弱々しい声で

「やっと、みんな揃ったな…」
と言ったのが胸に刺さった。
家人も娘も泣いて父に詫びた。

それから手分けして、毎週末には新幹線に乗り、
父の病床に付き添うようにした。
家人に「よろしく頼む」とだけ云ったあと、
容態は急変し、父らしく静かに亡くなった。

もう一度、東京に呼びたかった。
そして父の心の故郷でもある「鶴見」に連れて行きたかった
(ここで空襲に遭い、焼け出されたっきりとなった)。

そんな簡単な事が何故出来なかったのか…いや、考えつかなかったのか。
悔やんでも悔やみきれなかった。

今はもう故郷にいるので、年に何度も墓参りが出来る。
そうして年に何度も「鶴見に連れてけなくてゴメン」と謝るのだが、
近頃はどうも、「おいオマエまた来たのか、東京に戻らんでいいのか!?」
そう云われてるような気がしてならない。



全音楽ファンには避けて通る事は出来ない「大事件」だったと思う。

1992年10月、生放送の人気番組Saturday Night Liveで、
アイルランド出身の歌手シネイド・オコナーは、
突然、アカペラで(予定外の)Bob Marley作「War」を唄い始め、
最後は当時の法王ヨハネパウロ2世の写真を破り捨て、こう言い放つ。

「FIGHT THE REAL ENEMY (真の敵と戦え)」

ローマンカトリック教会内の幼児虐待を告発し、非難する声明…。
当然シネイド・オコナーは、教徒の憎悪の対象となり、
大バッシングを受け、コンサートでもブーイングの嵐に遭う中、
今に至るも、決死の形相で唄い続ける。

彼女は一体何に向かって叫び続けるのだろう。
少し胸が苦しくなるけれど、一音楽ファンとして、
彼女の歌をキチンと聴き続けなければならないんじゃないか…
そんな気がする。
↓   ↓   ↓   ↓
WAR @SNL ことの始まり

ボブディランの30周年トリビュートコンサートに出演し、
大ブーイングを浴びるシネイド・オコナー。
そして再び、怒りの「WAR」を唄う!


こちらは彼女の代表曲。PRINCEの作ですね。
‪Nothing Compares 2 u live‬


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6 Comments

Keith says...""
お久し振りで今日わんこ        pipさん

そんなもんですよ。親が元気な内は顔も出さないって、何処でも同じでありんす。
今ウチは、義母さんが病院に入っていて、私もチョコチョコ入ってますけど。
殆ど大奥に任せっきり。

今神奈川にいる娘なんか、病院に1度も行ってないですよ。娘は母親っ子だから
早く行くように言ってるんですけど、私が言ってもダメだなぁ。
2014.03.22 16:28 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."Keithさん 毎度っす!"
いやはやなるほど....。
Keithさんにそういってもらえると、気が軽くなりなす。
ありがとうございます。

言い訳ですけど、若い頃は、ツンノメるくらい前ばっかり見てて
故郷とか実家を振り返るなんて、煩わしいだけだったり、
めんどくさかったり.....。
たまには歩を止めて、羽を休めることも大事だったなあ...って、
今になると分るんですけど、分らなかったですねえ...昔は...。
2014.03.22 19:30 | URL | #- [edit]
oyajisann says...""
今晩は私なんか独身で孫、嫁さんすら見せられませんでした
からご家族揃ってお会いになったんだから親孝行されたと思
いますし、亡くなってからこうすれば、こうしてあげればなんて
思うのは皆同じと思います。
ボブディランの30周年トリビュートコンサートのDVDオーダー
しましたがエルトンの記念盤遅延で延期。
友人からダビングのは観ましたがシドニー姉さんの後にたしか
ニールが出たのかな?
故中村とうようさんがニール批判してたの思いだしました?
そのニールのアーカイブライブを偶然聞いてました(笑)
2014.03.24 18:43 | URL | #eTRrWisM [edit]
pipco1980 says..."oyajisannさん どうもです"
こんばんは

大して忙しくもないのに、忙しいフリをして、
実家を遠ざけていたような、そんな反省が後悔となって
憂鬱になったりします。
生前の父親とは、あまりウマが合わなかったこともありましたしね。

まさにボブディランが、ニューポートでエレキを抱えて登場したら
「大ブーイング」を浴び「ユダ!」とまでアジられ、
その後のツアーも同様の騒ぎが続き、確かそれにビビったリボンヘルムは、
ツアーから逃げ出したんでしたよね!。
反骨のボブディラン!のファン達なのに、この度量の小ささは何だ?
と嘆いたものでしたが、ここでもまた…。

ニールヤングは、会場の雰囲気が相当ヤバい状態なのを察して、
いつになくハイテンションで大熱演したら、
逆にKYだと非難されたっていう「延焼状態」…お気の毒様でした。

After The Gold Rush前後のアーカイブは聴いてて安心ですね。
まだクレージーホース…あんまり出てこないし…。
2014.03.24 20:06 | URL | #- [edit]
ももPAPA says...""
こんばんわ

自分もです。pipさん

親父や母にはそれこそ、言葉にできないくらい・・
でも 母や父の死に目には遭えなかったです。

生きてるうちにじゃなきゃ っていつも心の中では
思ってましたが 
もっともっと親父や母から聞きたいことがあったの
に 今、墓前で亡き母 父の言葉を心の耳で聞い
ていますよ。 
2014.03.24 23:12 | URL | #Wgi4adpQ [edit]
pipco1980 says..."ももPAPAさん こんばんは"
今になって、母親に生まれて初めて色々話を聞いてます。
まあ、だいたい取るに足らない話なんですけどね....。

のちのち、こうした時間に感謝できるのだとすれば、
今という時間が必ずしも無為ではないと....
そう思うことにしますよ!。

ももPAPAさん、どうもありがとうございます。
2014.03.25 01:39 | URL | #- [edit]

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