ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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ポンコツくんの遅い春

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冬と春の間をウロウロしている北国秋田の年度末



長く勤めた会社が、一人の「クレージーバンカー」の
悪行のせいで経営破綻したあと、
ブラック企業だグレイ企業だと、40歳を過ぎて、
突然右往左往するようになるのだが、
実際最も困ったのは、そんなブラックだグレイだではなく、
自分自身の健康問題にあった。

期せずしてブラックサイドを転々としたあと、
結局昔のヨシミで支援してくれる人がいて、
事業の真似事をすることになった。
そして自営の苦しみと云うかストレスのようなモノを知る。

もちろんこの山を越せば一息つける…などという理屈は充分知りつつも、
何となく不安で落ち着かない重苦しい日々というのがあった。

そんなある朝、いつものように目が覚め、
今日一日の予定を反芻しながら、起き上がろうとするが、
どうしたことか、まったく足が動かないのだ。

痛みも痺れもまったくない。
とにかく壁づたいに何とか立ち上がったが、今度は歩けない…。
そんな状態でも「自営」であるからには「休む」というわけには行かない。
1時間後には大事なカスタマーとの約束が有る。
とにかく出掛けた。

東京というところは、交差点以外殆ど建物の隙間がないのが幸いして、
そうした壁づたいに意外にスムーズに前進が出来た。
歩道もいわゆるバリアフリーという奴で段差がなく、とても歩きやすい。
駅もわりと手摺とかしっかり設備が行き届いている。

問題は交差点だ。
捕まるところがない以上、一気にスピードを出して、
その惰力で歩かないと、とても目の前の国道は渡れそうにない。
無意識だが歩く格好は、まるで「ゾンビ」であったに違いない。

半分あたりで既に惰力を失い、ウシロに転けそうになる。
無意識に腕の重さを使って、もう一度前方に重心を寄せ、
前進する惰力を再び得て、あとは半分ヨロケ、転がりそうになる力で前進して、
一気に信号機の電柱に飛びかかり掴む。
周りから見たら、ふざけてるようにしか見えないかもしれない。

そんな状態で何件かの用事を済ませ、帰途に着くのは夜の8時を回っていた。
途中「病院に行く」ことも考えたが、
まだまだしばらく休むわけにはいかない状況だったから
自然と後回しになった。

自分の街の駅に着いた。家まで徒歩5分ほどだが、
どうしても「飲食街」を通らねばならない。
案の定、酔客の団体などが跋扈していて、
それを避けたつもりだったが上手く行かず、
私はその人波にまんまと揉まれることになり、道端に倒れ、
起き上がれなくなった。

すぐに女性の団体が「大丈夫ですか!」と、駆け寄ってくれて、
何人かで私を起こしてくれた。

「救急車を呼びますか、それともオウチまで送りましょうか? 
 遠慮なさらずに言いつけてください、私たち看護婦ですから…。」

コレは幸運だ!家まで連れてってもらえれば本当に有り難い。

ところがその意志に反し、口を突いて出てきた言葉は
「もう大丈夫だ、ありがとう…!?」

このバカバカしい虚勢を、早くも2分後に大後悔する。

主に呑み屋さん街の小さな路地を過ぎ、エレベーターに転がり込めば、
もう我が家である。

突然、何かにつまずいた。膝をついて、あとは背中から身体が崩れ落ちてしまった。
もう閉店した貴金属屋のシャッターの前で私は座り込んでしまったのだ。
もはやシャッターでは捕まり立ちも出来なくなっていた。
その格好はもう「悪酔いして腰を抜かした馬鹿なサラリーマンそのもの」。
前を過ぎ行く人は多いのだが、ちらっと横目で私の醜態を見やり、
「ふんっ、酔っぱらいめが!…」という蔑んだ表情で通り過ぎ、
もはや誰も「どうしましたか?」と声をかけてくれる者など居なかった。

誰かを呼び止めて助けを乞えば良いのだが、何故だかそれが出来ない。
家人は残業中なのか、一向に電話には出てくれない。

結局1時間そのまま待って、家人が来た。
ところが家人の力では起き上がれず、家人は恥じも外聞もなく、
通行人を捕まえて、力を借りて起き上がり帰宅した。

次の日は無理矢理タクシーに乗せられ病院へ。
MRI画像によると、脊椎内部にヘルニアらしきデキモノが出来て、
それが巨大化した為に、神経の太い束(マルチケーブル)が圧迫され、
下半身への命令系統が95%遮断されたとのこと
(5%は辛うじて排泄神経に回っていたらしい。Luckey!)。

結局入院3ヶ月、リハビリ3ヶ月…。
そしていよいよ社会復帰。自営の真似事は家人に禁止され、
人生初のハローワークで職捜し。

幸運にも1日でケリがつき、晴れてまったく経験のない業種に就職。
ところが、これがなんとも天職!と思えるほど自分に合っていて、
ヤリガイも有り、楽しい…。

収入は以前の3分の1ほどになってしまったが、充分な幸福感。
幸福って金額じゃあないなあ!なんて思っていた。

ところがある時、使い慣れないパワーポイントで作り上げた
スライドシートでプレゼンしている最中に、
スライドの一部が妙にかすむ…
あれ?…今度は…眼…。



近頃、ブログ仲間のところで久々に観たJoe Jackson(Steppin' Outだっけな?)…
実は一昨年、彼の20何年ぶりかの「新譜」を購入して聴いたものの、
何だか風情が違う。
やっぱり昔ダベ!と、いうわけで、
彼の80年代の旧譜をまとめて購入!。
ところが昔から好きな曲って、結構今も変らずで、
そういうのばかりを飛ばして聴くから、
普段は快く思ってないはずの「ベスト盤モノ」で充分だったりする。

そんな中でもアルバムとしても傑作だと思うのがこの最終作「Big World」。
曲は「Right And Wrong」 ”♫Stop Everything!"



Big WorldBig World
(1996/01/07)
Joe Jackson ジョージャクソン

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4 Comments

amamian3 says..."脊椎"
人の体を支える心棒ですよね
それが病むと 本当に堪えます!!
脚はしびれ、触っても感覚がなく 時に激しく痛む
私は分離でしたが バレーで張っていたエースの座も 将来体育の教師の夢も
その時点で黒い墨をぶっかけられた感覚に陥ったもんです
入院末期(一月後) 何とかカンバックをと 夜半のベッドを抜け出し病院の屋上で筋トレ
縄跳びとか腹筋とか背筋とか、狭い屋上を走るとか・・・
雨の日、いつものように痛みと闘い終え、非常階段を下りる時、、、!!
滑って階段を数段落ちた・・・・・
当然看護婦には激しく叱咤されましたが 実は「入ったんです」 
分離していたヘルニアが!!
それまでの半年はなんだったのか、数日のうちに検査してもらい退院しました
高1の夏でした

脊椎は大切に、しかもある程度の強化トレが必要ですね
え、、、、今度は「目」・・・やばそう~~~!!


2014.03.31 21:20 | URL | #wZiQHpeI [edit]
pipco1980 says..."amamian3さん こんばんは"
膝を割って入院した時に、同室に椎間板のヘルニアの患者さんがいて、
ほんとに苦しそうで、寝返りも用足しも全てナースコール...。
こりゃあ、ヘルニアだけにはなっちゃいけないと思ったモノでしたが、
amamian3さんも御苦労されたんですね!

私は幸い痛みはなく、ただし下半身はまったくの別人で、
何の感覚もありません。背骨を割って、中に出来たヘルニアを切開し
チタン板で蓋をする手術ですが、一度止った神経がなかなか回復せず、
思ったより完治に時間がかかりました。
リハビリでは、毎日5〜6キロ歩いてましたが、何の因果か、東京を
毎日10キロくらい歩く仕事の会社の再就職し、
みるみる回復したんですが.....???
2014.03.31 23:22 | URL | #- [edit]
ももPAPA says...""
脊柱管が圧迫されると、痛みと痺れが常につきまとう状態になってキツイ
ですよね。
腰部は常に負荷がかかる箇所でもあり、痛めやすいのでヤッカイです。
自分も今後もコイツと仲良くつきあっていくハメになりそうです。

Joe Jackson 渋くていいですね。
こういうサウンド ツボですよ。
2014.04.03 00:08 | URL | #Wgi4adpQ [edit]
pipco1980 says..."ももPAPAさん まいどです"
そうだ、ももPAPAさんも確かそうでしたね。
私の場合は手術後のリハビリとかが結構大変でしたよ。
杖が全然手放せなくってね....。

Joe Jackson、良かったんですが、Elvis Costelloみたいな
成功は得られず、消えてしまいました。
Jazzっぽさが売りなんですが、それがどうも災いして
存在感をぼやけさせたのかも。
彼の直球POPSが最も光ってるのにね....。
2014.04.03 10:21 | URL | #- [edit]

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