ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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ザギンのボン

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秋田市に戻って来てまだ1年に満たないのだが、
既に何度も様々な人々に異口同音、言われることがある。

「この街は、クルマが無いと生きてはいけないよ...」

このことを県外の…早い話が東京の友人に伝えると、
生まれも育ちも銀座の彼は、いつものようにシニカルな口調でこう言った。

秋田市ってさ、都市であることを拒絶してるの?
当然、街…死ぬでしょ!?
為政者って…ヒトなの?

なまはげ?

彼とは東京での同級生である。
銀座のボンボン=ザギンのボン、略して「ザボン」「ザボちゃん」
とアダ名されていたが、
実は当時から有名なスタジオミュージシャンでベーシストだった。
私のような地方出身のトーシロな単なるギター好き貧乏学生には、
話すら出来ない距離を感じていたのだが、
意外にも話しかけてきたのは彼の方からであった。

「君さあ、噂聞いたよ。ラリー・カールトンが弾いてた
マイケル・フランクスのDOWN  IN BRAZILのソロを完コピしたんだってね!
あれ大変だったでしょう?完璧だったってみんな驚いてるよ。
今度何か一緒に演ろうよ」

お互いに音楽の好みが非常に詳細にわたって似ていると言うのも意外だった。
基本的に何でも広く聴くが、軸として絶対外せないのがKing Crimsonを
入り口としたプログレッシブロック
(Pink FloydやYesが入り口だとニュアンスが大きく異なるのだ)。
さらにFrank Zappaが片軸であるのも同じ。
これにはお互い相当驚いた。

彼の人脈から、後にTKとか言って大成功?する早稲田のオルガン弾きとか、
秋田時代から憧れだったいわゆるティン・パン・アレー系の
一角の方々とも知り合うようになるのだが、
私自身がそれを生業とするようになるのは、
意外にも全く違うアプローチによるものだったのだが
私にとって、プロとアマの距離感を近づけてくれたのはザボンだった。

結果的にプロとしての悩み苦しみに関して、
ザボンは一切関係してなかったことが、
結局以後30数年も普通に友人として家族ぐるみで付き合えることとなるわけだ。

因みに、彼は相当有能なミュージシャンで、それなりに稼いでいたが、
学校卒業後きっぱり引退し、家業を継いだ。
だから今でも銀座に行くといつでも彼に会える。
7時になったらすぐ店閉めるから、呑みにいこうぜ!

ザンネンながらお互いに大病して、
ポンコツで情けねーな俺達!な現在である。

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