ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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神明山鉄人レース?

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しんめいやま北側 ”心臓破りの坂” この先に繋がる八幡山を
のちの世は水道山と呼んだ。         2011年9月


グランドが狭すぎて運動会が自主開催できず、
毎年シーズンにはジプシーのように移動する
「悲しき中小企業」のような市立小学校にいた(現在は移転済み)。

ところが誰が思いついたか、おもいっきり地元で校庭替わりの場所を
「マラソン大会」と称してはいたが、実質クロスカントリーな競技を
恒例行事として行うようになったのは、
生徒(小学生は児童か)としてなんとも迷惑な話だった。

戦国時代までは三浦氏、川尻氏が居住した
出羽国秋田郡程野村窪田の神明山(標高40m)のフモトの
小学校校庭をスタート→いきなり急峻な坂を一気に駆け上がり、
二の丸の砂利敷トラックを何周かしたあと、
胡月池、児童動物園、彌高神社を右に見やりながら進み、
北側入口となるまたしてもの急な坂を登り(以来、通称心臓破りの坂)
本丸に出る。

今はなき人工滝のマイナスイオンを感じながら、
ここも何周かしたあと、階段を避け、再び北側の坂、
松下門の坂を最高速(?)で降り、狭い校庭に戻りゴール。

以降本丸ゴール、二の丸ゴールといろいろ試行錯誤はあったが、
だいたいこんなコースだったように思う。

今でこそ、のんびりカメラを持っての散策を楽しみとしている場所だが
当時はまったくもって迷惑千万な、苦しいだけのイベントだった。

対角線に走ってやっと50m走のタイム計測が可能な狭すぎるグランドはもちろん
プールすらもない不憫すぎる小学校だが、旧いだけのとりえを
「歴史」「伝統」「誇り」という言葉に強制変換してすり込まれ、
足りない部分のモヤモヤを誤魔化され続けていたように思う。

今は移転して何でもあるフツーな小学校だと思う。
そうなると今度は普通じゃダメなんだよ!
もっと創意工夫しなきゃ!
何故なら伝統校なのだから!
と、あまりにも根拠のない教条主義を持ち出したくもなる
こちらややこしいお年頃の、困ったOLD BOYSなのであった。

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1 Comments

モノスヤ says..."コメント頂戴しまして、ありがとうございました!!"
思いがけず、ありがとうございます♪
日記に対する内容ではないのですが、お礼に伺いまして書き込みさせていただきました。

ブログにブックマークさせていただきたく、よろしくお願いいたします。
またお伺いします(*^^)♪
2012.03.05 21:05 | URL | #V5GS5iG6 [edit]

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