ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
MENU

孤独な旅路の記憶

IMG_2780.jpg

実は子供の頃とか学生時代、更には30歳台中盤から以降の記憶は、
自分的にやけに鮮明なのだが、20歳台中盤から30歳台にいたる
約10年間の記憶が、曖昧というのではなく非情に不鮮明なのだ。

この時代といえば当然だが公私ともに充実した、
あぶらギッシュな時期だったと思う。
普通は人生の黄金時代として記憶鮮明でしかるべきと思うのに、
私の場合は何故か荒涼とした、鉛色な記憶でしかないのはナゼなのだろうかと思う。

そういうわけで、いつの時代かすらもはや定かではないが、
最もぼんやりしてる記憶の中で、ふと「あれは何だったんだろうか?」
と今でも首を傾げるエピソードがある。

ある年の45日間を私はブラジルのベレンという港町で過ごしている。
アマゾン川流域の大西洋岸に近い都市で、南米におけるヨーロッパの表玄関…
だったのは恐らく100年前の話で、今では欧州への貨物航路が多少残るだけの
退廃的ムードが漂う港町である。

ナゼ私がたった一人でこの街に長期間滞在したのかの理由すら
今となっては詳しく覚えてない。
恐らくはイタリア行きの貨物船をひたすら待っていたか
アマゾンからの大理石か何かの積荷を待っていたか、またはその両方だと思うが
いずれにせよ私はこの日本人も殆ど(日系人は多い)いない街で、
朝から晩まで大方ヒマなのである。

あの頃にデジカメでもあれば、それはもう毎日が楽しいものだったろうが、
来る日も来る日もひたすら安くて美味いレストランや、
夜を楽しく過すためのグッドバーを捜すくらいしかすることがなかったように思う。

そのうちに街の人達ともあいさつを交わすようになり、
様々世話を焼きたがる下町おばちゃんもいたし、
恥ずかしいが、ちょっとした恋もしたような気がする。
そのまんまこの国、この街に隠れてしまおうか?と
考えたことも一度や二度ではない。

しかし成田に戻ってきた瞬間、現実という怒涛に一瞬で巻き込まれ、
東京に帰り着く2時間ほどの間に
ベレンでの45日間のすべてが「遠い夢」に変わってしまった。

それ以降、南米すら出掛けることはなくなった。
もっと効率的で時短な業務にシフトしたんだろうなと思うが、
それすらもう忘れてしまった。

その後、ある時を境に、突然、記憶景色に色がついた理由は分かっている。
家人に押されてサッカーチームを組織して自らプレーを始めた。
(やりたい事はウジウジ考えてないですぐやるべき!とハッパをかけられた)
結果として仕事のONとOFFを明快に分けた以降の記憶から俄然鮮やかになったのだ。

他にも、呑んだ席では仕事の話題は私の前では一切なし!を公言した。
愚痴を言いたければ、堂々とレポート提出せよ!などとも実践した。
そうやって意識して自らのストレス軽減を図ったことで、
急にダイエットも上手くいったし?
仕事の面白味も変化していったように思う。

会社も急成長を遂げ、やがてピークを迎えたように思うが、
ピークはいずれ・・・それはまたの機会に。

スポンサーサイト

1 Comments

kanappe says..."いつも拝見してます。"
べレンという町が気になってWikiで調べてみました。いつか行ってみたくなりました。でも遠い~。
2012.04.02 12:12 | URL | #- [edit]

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://pipco1980.blog.fc2.com/tb.php/59-c8d33319
該当の記事は見つかりませんでした。