ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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少し語ってみた。

300.jpg
Schneider-Kreuznach Radionar 2.9/80(1952)

radionar(80mm)とflektogon(35mm)の2つのレンズ持ちで、
なんにもない街だけど、なんだか撮るだけで楽しい今日この頃である。

この角度から見た景色は、自分的に最も古い、
半世紀前の記憶と殆ど変わらないかなあ….と思いつつ、
でもやっぱり、柳の木はじめ、他の木々もこんなに背は高くはなかったよなあ
なんて、どうでも良いようなことで一喜一憂する、
要するに暇人なのだなあと、カメラを覗きながら自嘲する
不気味なオヤジなのである。

他のヒトのことはあまり良く分からぬが、自分はなにしろバカみたいに
よく働いた方だと思う。早い話がお人好しの大バカヤロウだから、
「困ったなあ」といわれれば「いいよ、気にするな!」と言って、
休日だろうが、夜中だろうが出掛けていって、徹夜しても、
朝からまた平常に仕事をして、深夜までの残業をこなしつつ、
そのまま休日も費やしつつ、気が付けば、
ちょっと2時間だけ中座させて欲しいといっては、
高円寺の病院に走って、阿波踊り仲間(!)の先生に「またかい!」と怒られつつ、
点滴を打ってもらう…そんな生活が平常な感じ。

家人も働いていて、長い間フレックスタイムで働いていたから、
早朝くらいしか会わないから、時間を繰り合わせ、定期的に
家族旅行に出掛けたりするのだが、それすらもなかなか出揃わず、
2日目になんとか現地合流…何てことも日常的だった。

旅行先では、殆ど寝てたかも。

そんな風に酷使されたものの、会社は40歳を少し過ぎたころに
経営破綻した。

我々が世界の辺境まで出掛けていって、大商社がやらないような
泥臭い仕事を行いながら達成した史上最高益は、
見事にバブルの利殖に消えて弾けた...のだそうだ….。

経営者はじめ役員の老人達は、みんなそれぞれに責任をアチコチに
押し付け合いつつ、逃げ惑って話にならぬので、
結局私が債権者達と直接対峙して、破綻処理にあたることになった。

既に再就職先も決まっていたのだが、新会社にはしばらく待ってもらいながら、
元経営者の法廷処理から、資産の分配配当などの調整に奔走することになった。
もちろん、代理人を名乗る、見るからにイケナイ風体の方々の相手も
せねばならぬのだが、もはや怖いものなどないってほど、短期間に
様々な経験をして、もしかして殺されても仕方がないかもしれぬけれど、
それが何か? なんて思うようにもなる。

新会社では、副社長ってポストが用意されていた。
実は後輩で元部下の新会社社長からは
「とりあえず、のんびりで良いので、少しづつ改革に手をつけてください」
と言われていたから、その「のんびり」を真に受けていたら、
実は新会社の内情もそんな悠長な状況ではなく、
さらに酷い労働状況となった。

そうして47歳くらいで大病を患った。
.3ヶ月入院(3度の手術)+半年間のリハビリ生活の間に、
きっぱりと以前の業界を離れることを決意し、
生まれて初めてハローワーク(新宿)に足を運んで、
翌日中には、再々就職先を決めた。

一日のうちに、時間をおいて、業務課長→専務→社長…と
計3回の面接が、超過密な中で行なわれ、
「君なら即正社員でOKだ…」と、一つ年上の新しい社長に言われて
勤め始めたら、なんとこれが「まさに天職!」と思える仕事だった。

サービス残業は、やっぱり当たり前にあったが、ちっとも苦にならず
仕事は心から楽しかった…。

5年が経った年の暮れ、年が代わって新年度を迎えたら課長だよ!
って内示をうけていた。振り返ってみれば、20代で主任も係長もなく、
いきなり課長だったし、30代で部長、その後執行役員…
会社は替わったけど副社長まで経験したけれど、
この時の50歳をとうに過ぎた「課長就任」が一番嬉しかった。
しかし、結局、課長にはなれないまま、私はまた倒れてしまい、
そして今に至っている。

社長からは「これからどう働くか、自分で考えて報告してくれ」と言われたが、
好きな仕事、好きな会社だけに、迷惑をかけたくなかった。


故郷の6年通った小学校近くの静かな森に佇んで、突然の俄カメラ好きが高じて、
ヘタクソな写真などを撮りながら、一方では家人からの電話が鳴り、
職場のオツボネさまに相変わらず虐められている話などを聞きつつ、
もうしばらく「暇人」を続けたいと思いながらも、
いつまでも甘えていられない状況もある。
相変わらず悩みは尽きないけれど、考える時間だけは、昔と違ってたくさんある。
ジックリと復活のプランを練る今日この頃なのである。



実はさほど意識してはいなかった異性が、突然自分の夢の中に登場して以来、
翌日から、何となくモヤモヤと意識し始める…
あれえ?そんなに好みじゃないんだけどなあ…おかしいなあ…??
そんなことがタマにあるのも、また人生の面白味だ。
音楽も、レコードはキッチリ所有してるのだが、さほど重要ではないと云うか
好きは好きだけど、どちらかと云うと軽視しがちなアーティストっていうのは
確かに存在する。
申し訳ない話だが、トーマスドルビーとか、あとジョージャクソンとか…
恐らくは器用すぎるところが、憎くはないが小賢しいというか、
軽妙すぎて重厚さが足りないと云うか、そんな感じ。
ところがあるとき、この曲にビビビと来て、曲が脳裏から離れないって
事態が起こった。いついかなる時もScare Myselfって言葉が
口を突いて出てくるのだ。
「やばい、俺、これ好き…」
何処の何がヤバいのか全然分からないんだけど…
これも人生の面白味なのか?
Thomas Dolby - I Scare Myself
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4 Comments

あとりえ 瑠璃絵 says...""
こんばんわ
波乱万丈の人生ですね、でもそれをこなす
能力があったって事じゃないかな。
「仕事を頼む時は忙しい人に頼め」って
昔から言われてますからね。
カメラ楽しんで下さい。
2015.08.21 20:43 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."あとりえ 瑠璃絵さん いつもどうもです"
こんばんは。

いえいえ、我が家では、家人のちょいと有り得ない経歴に較べれば、
私なんて地味で平凡な人生でゴザンスよ…ヘンテコな意味じゃあないですが
ちょっとここでは言えないんですけどね….。
2015.08.21 21:13 | URL | #- [edit]
mikitaka08 says...""
こんばんは

 pipco1980さんの音楽体験も含めたこれまでの人生に圧倒され、一度この記事を読んだだけではコメントできませんでした。
 私よりお若いのに、倍以上の経験を積まれていらっしゃる。
 組織は人、とよく言われますが、一部の人に負担がかかるのはどこも同じ、という気がします。ただ、体をこわしてまで組織のために働くことはない。なんといっても自分が大切です。そして、家族も。
 ゆっくり英気を養って次にそなえてください。

 トーマス・ドルビーは私が最近取り上げたジョニ・ミッチェルのプロデューサーとしての活躍が印象的でした。
 
2015.08.25 00:55 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."mikitaka08さん おはようございます"
暖かいコメント感謝です。
要領が悪くてお人好し….それだけなのだと思います。
よく指摘されるのが、アンタはスキを見せ過ぎ….。
構えて生きたって面白くないのにねえ….って、ずっと思ってました。
やっぱり大バカヤロウですね。

トーマスドルビーの才能は羨ましいとは思うんですが、例えば意図的に
マイルスの音色でそれらしいフレーズを使ったり、ピアノもハービー
ハンコックや、ビルエヴァンスのタッチを巧みに使い分けて使用したりと
何だか狡猾過ぎるなあ…もしかすると自分と似てるかなあ…というところで
気になるけど尊敬出来ない...そんな存在でしたね。



2015.08.25 09:22 | URL | #- [edit]

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