ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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電圧制御音楽 事始め

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Schneider-Kreuznach Radionar 2.9/80(1952)

日本の高度成長期も、ニクソン&キッシンジャーだの
いかにもな悪者顔の経済マフィアみたいな奴らのハカリゴトですっかり失速し、
経済はすっかり右下がり…就職前線も極めて厳しい時代…

これがやがては、新潟あたりの何の変哲も無い山岳地帯の土地を
買い占める、随分と酔狂な奴らがいるものだなあ?と思ったら、
そこに、みるみるスキー場が出来て、高速道路が走り、
さらには新幹線まで通る…なんていうイカサマで、
ボロ儲けした輩が出現すると、アチコチでその手法を真似た
地上げ屋が跋扈し、そうした仕組まれた好景気を背景とした、
俗にいうバブル経済!によって、日本全体が起死回生時代に至るには、
まだもう10年近く要するっていう、いわばその間の何にもない、
俗にいうブランクな時代真っ只中の、1970年代の終わり頃…

東京のハシッコの最寄駅徒歩30分、家賃9000円也の、
そこの大家さんに云わせると

「アンタが出ていったら、ここは即取り壊して、孫の勉強部屋を作る!」

と言われた、東京大空襲で焼け残りの板っ端を集めて作ったような、
ハナレのオンボロ4畳半部屋に、私が間借りしていた時代である。

私は、何を思ったか、唐突に、当時で概ね40万するギターを買うぞ、
稼ぐぞ、貯めるぞ!って決意するのだが、そのこと自体が、
まず、いかにダイソレていて、無謀な挑戦であるかをまずご理解願いたい。

そもそも実家からの仕送りが月5万円(それはそれで感謝しております)。
つまり基本年収が60万…。その7割の金額を費やして、
それがピアノやバイオリンならまだしも誰もが思う、
青春の一過性の熱病的な玩具そのものの象徴であろう
「エレキギター」を…であるのだ…。

…という話題は2題前にお話ししたことだけど、勘違いして欲しくないのは
私はそれほどまでの刹那的なギター愛好家であるのかと言えば、
実はそうでもなかったりする。

ズバリ言って私は、ギター以上に「シンセサイザー好き」であるし、
さらに言えば、相当に早くからコンピュータとの同期プログラムなんかに
興味津々で、ビジネスツールとしてギターはなんとか苦労して
手に入れたけれど、その時点で既にアナログシンセや、
原初的自動演奏システムの「シーケンサ(無論まだアナログ)」などを、
とっくに入手していたりするのだった。

そろそろYMOなんて言うのが、脚光を浴び始めた時代である。

例えば、今はもう古くさい感じの「携帯着メロ」。
今でこそ電子技術が発達して、トルニタラナイモノでしかないけれど、
当時は、結構なヴォリュームのシステムを構築せねばならない状態だった。
それでも、「金はないけど、アイデアはあるぞ!」って感じで、
Day By Day /Day After Day/Every Single Day/来る日も来る日も…
秋葉原や渋谷の東急ハンズに通っては、安い部品を買い集め、
プラスチックのタッパウェアに基盤をぶち込んだ原始的シンセ(ノイズ発振器)の
ユニットを複合的に組みあわせては、ぴーぴーぷーぷーと奇怪な音を発振させ、
当時唯一YAMAHAから出ていたBasicコンピュータの電圧制御式の
シーケンスシステムで、メロディやリズムを構築する…。

襖と漆喰の湿気の強い、キノコが生えそうな戦後チックな四畳半ラボに籠もり、
卓袱台の上に電子回路を並べては、一喜一憂する私であったのだ。

そういうわけで、バンドマンをやってた後半頃には、
かなり「ゲーム音楽」って分野が市場を拡大し、脚光を浴び始めて、
そちらの方に移行しようかなあ…自分なんか、まさに即戦力じゃないのかあ!?
と真剣に考えもしたのだが、何故だかそういう方面の人脈が全然構築できなくて、
もうメンドクサイから普通にサラリーマンになっちゃおう!
それがまあ自分の運命、いや、たわいの無い、そこそこな才能なんかじゃ、
この辺りがギリギリで命運が尽きたのだ…そういうことだろうと、
今は思うことにしている。

サラリーマンになったらなったで、はてさてどうすれば、
爆発的に収益を上げられるんだろうか?何て構造的なことを
熟考していたら、わりと業界内って、大商社の奴らってボンヤリしてるのか?、
隙間だらけじゃないかあ!?ってことに気付いて動き始めると、
結構大企業さんに一斉に叩かれる!って酷い目にあったりしたけれど、
まあそれはそれで面白かったりするわけで、未だに古い友人なんかに
勿体ない、あのまま音楽やってれば、もうちょっとだったのに…
なんていわれもするけれど、全然後悔してないし、逆に…

サラリーマン最高!

なんて思ったりもする、今日この頃だったりもするわけです。



最初に衝撃を受けたシンセサイザーサウンドって??
ウォルターカルロス?タンジェリンドリーム?リックウェイクマン?
冨田勲?喜多郎?…いやいやとんでもない…
Hot Butter Popcorn!(爆。…なんだこのダンス?…

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4 Comments

あとりえ 瑠璃絵 says...""
こんにちは
東京と仙台では地域差もあるし、年代も
少し違うかもしれませんが、私は仕送り
3万円でした。アパートは流し付き、トイレ
浴室は共同で、家賃は7000円
部活中心の生活で、部活後、誰かのアパートで
麻雀・・・が、時には学生の三大苦、学問苦、金銭苦、恋愛苦を
語り明かす事もありました。
月末になると皆金銭苦、だけど実家が農家って奴も結構
いたので、米だけはなんとかなり、ミカンの皮を油炒めしたり
塩のみで食べたり。急な出費で文無しになっても1ヶ月ぐらいは
友人巡りで生きていけましたね。
カウンターバーでバイトしてる奴も結構いたので
人様がキープしたボトルを数本、目立たない程度失敬し
500円ぐらいで泥酔した事も・・・良き時代でした。

2015.08.30 15:31 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."あとりえ 瑠璃絵さん 毎度です"
まあ、青春時代の貧乏話を始めたら、お互いに
もうきりがないほど、果てしなくなってしまいますかね。
一つ確実に共通しているのは、今の自分があるのはひとえに
「お友だちのおかげ」って気がしますね。友達がいなかったら
とっくに餓死してたかも??なんて思います。
2015.08.30 16:42 | URL | #- [edit]
花渡川 淳 says..."こんちは"
私たちの時代は、東京ですが、家賃は1畳1500円と言われてました。4畳半だったら7000円くらいかな。共同便所で、風呂は付いてませんでした。中には共同自炊場というのもありました。仕送りは35000から40000円でしょう。
ただし、秋田の造り酒屋のお坊ちゃんは、田園調布の東京別邸にお手伝いさん付きでお住まいでした。同じ秋田でなんでこうも違うの!(笑)

田沢湖の近くの町の出身者は新聞奨学生であって、販売店に住み込みで大学に通ってました。高校時代にボクシングに打ち込んだせいで、自分も相当のパンチを打ち込まれたせいで、22歳で死にました。その妹は秋田おばことは程遠い顔立ちでしたが、気だてはよくて、図書館の司書になりたいと勉強してました。

兄貴も秋田を出てン十年、過去を振り返る歳になったちゅうことですな。
なにがどうあれ、自己肯定的に拙者には読み取れ、誇りすら感じられるのであるから、兄貴の半生には悔い無しちゅうことやね。


2015.08.31 13:59 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."うさぎ屋さん こんにちは"
我々の頃は、4畳半一間1.2万〜1.5万くらい、アルバイトの時給は
400円/hって感じでしたかね。それが夜のドカタ仕事になると
日当7〜8千円もらえるんで、何か事情含みで資金が必要な人は
こぞって地下鉄工事に向かい、仕事終わりで学校…ってな無茶な
生活となるわけですね。同級生でも悠々マンション生活で、
そこで異性と同棲…なんてボンボンもいましたけどね、
特に羨ましいとか思わずに、貧乏だけど自由な自分というのを
満喫してましたね。

大阪の首長さん方とその一派は、いよいよ安倍さんの悲願の
憲法改正に向けての協力体制を固め始めましたね。
党を割ってもリベラル派を一掃したかったんでしょうねえ...。
2015.08.31 15:43 | URL | #- [edit]

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