ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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敗者の弁

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可愛いですよね。でもこれ何ですか??知ってる方、よろしくです。



親がまだ存命中なもんで、あまり知られたくない過去になる。

時代は携帯電話どころか留守番電話すら存在せず、
電話機といえば電電公社(現NTT)から貸与されてる形の、
あの黒くて重くてダイヤルをジーコジーコと回す意外とイラつく
通称黒電話しかない時代に、それさえ持てない自由業
(=私の場合はミュージシャンだった頃)の連絡手段確保というのは
想像以上に過酷であった。

実家住まいなら家族がメモっておいて後ほど…という手段もあろうが、
地方出身アパート1人住まいの駆け出しミュージシャンは、
1日中陽の当たらない4畳半か6畳に引き篭もり仕事依頼の電話をひたすら待つ…
なんて悲惨すぎる話だし(実際にたくさんいた)、
第一私の立場はまだ学生であったし、貧乏すぎて電話すら持ってなかったから
(電話設置に軽く10万はかかった時代!)
申し訳ないことに徒歩2分くらいのアパートの大家さん宅を
緊急連絡先にさせていただいたものだから、
仕事依頼が、その番号に呼び出しか取り次ぎ願いますという形で連絡してくる。
当初こそ60年輩の大家さんも意外に有名なプロダクションやレコード会社を
名乗る電話に興奮して「〇〇プロって三人娘(古ッ!)とかいる会社でしょ、
今度いつでもいいからサインなんて貰えたら・・・」
という調子でついつい甘えていたら、
サインは一向に持ってこないし、あの業界だから時間帯なんてお構いなしだから、
ある日遂に逆切れされて取次拒否に至ってしまう。

でどうしたかというと、たまにバイトしてたPA屋
(イベントなどで見かける音響屋さん)兼プロ用貸スタジオ屋の
社長さんには会うたび誘われていたし、共同経営でどうだ!とまで云われていたから、
共同はともかくも「時間ある限り仕事手伝う代わりに連絡先確保と、
さらに電話番のオネーサンに取次をお願いしたい」で商談成立。
以後、そのスタジオに連絡が入ると女子バイトが出て
「ハイ、はただいま外出中ですが、
〇〇時には連絡が入ることになっておりますので…」
という個人マネジメント会社のようになる。

まあ蛇足だけれどその電話番バイトのオネーサンも
後に少し有名なタレントになったり、
そんなのは極めて日常的で珍しくもない環境だった。

そんなわけで、それほど「連絡(取次)環境の構築」は大変だった訳で、
この環境を上手く利用すれば、学校にだって行けるはずだったが、
PA屋の仕事が思いのほか忙しくなり、さらに会社は私を介して
「意外に有名なプロダクションやレコード会社」との関係を深めていって、
イベント企画やらスタジオへのタレント/バンド誘致などがうまく行きすぎてしまい、
やがて私は教授直々に秋田の実家にまで手紙を出され意見された挙句、
学校を追い出され、他にもさまざま悲鳴を上げることになる。

たった数年の出来事ながら何十年分に匹敵する経験を、
否が応にもさせられるわけで、電話の代償たるや計り知れないものになる。

この時代の辛さ悔しさなどを思えば、
後にブラジルの片田舎やタイのラオス国境近くの村に放り出されたり、
トルコでの逮捕監禁(そのうちね!?)など、
全然どうってことない軽い出来事にすぎない。

若い時の苦労は買ってでもせよ!なんて無責任なことをいう人がいるが、
苦労なんてできる限り回避すべく自己マネジメント出来た人間のほうが
明らかにエライと思うし(早い話が断り上手)、
苦労を苦労とも思わないクダラナイ精神力が一番不幸!?とも思う。

辛かったら耐えるより、文句言って自分ではなく先方を変えさせたほうが
よほど幸福に違いない。
それが出来る人こそがストレスを貯めこまず、
病気もせず長生きした「人生の勝者」なんじゃないかって、
最近思うわけです。

そういうわけで堂々「敗者の弁」でした。
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