ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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仏の顔もIt's Alright

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Carl Zeiss Jena 'Flektogon' 2.8/35 (2nd Edition-1964)

さて明日は、朝一番からフルセットの外来診療…。
採血→検尿→外科→栄養指導→内科→眼科…
採血が8:30〜、眼科時点で11:00…
絶対間に合うはずがないが、何にせよ、
気忙しいのは、なんだかやだな…。

のんびり行こうよ!?

これまでは、他人様に迷惑をかけたくないばっかりに、
時間も、仕事内容も、遊びまで息が詰まるくらい
キッチリキッチリでやってきたけれど、もうやめよう!
のんびりと、だらしなく生きてみるのも良いじゃない…。

トラブルになったら

「ごめんなさいよ」

で、いいじゃない!、

ちょっとくらい「ハンドルの遊び」が
あった方が、人生潤うってもんだよ…ってね。

なにがあっても….
怒らない怒らない。
のんびり行こうよ...


30代の初め頃だったか、同業他社の「ある事業部署」が
リストラで、部署毎閉鎖されたんだそうで、
そこの部長と課長という、当時の私からみれば充分な
「ご老人達」...たぶん、今の自分ぐらいの歳かさのお二人が、
弊社社長のところに何度も相談にきていたらしい。

イヤな予感がした。
きっとウチの社長は、彼らを丸ごと招聘して
新事業部門をでっち上げて、一儲けしようなどと考えるに違いない。

しかしてまさにそうなった。

数ヶ月は、黙って様子を見ていたのだが、
ちっとも利益がでないどころか、働いてる様子すらなくて、
定時に来て、帰るだけ。

課長という人は経理畑の人で、既に定年間近か、
もしかするととっくに超えてるかも?...という感じだが、
終日、謎の帳簿の、同じページを、何度も何度も
ソロバンをパチパチ忙しそうに弾くだけ…。

一緒にやってきた数人の若手達(とはいえ当時の自分よりすこし上の方々)は、
済まなそうに、何でもするから、遠慮せずに仕事を割り振ってくれ!と、
云うのだが、その上司たるご老人達は、一向に動かない...。
赤字はどんどん累積して、立派な会社のお荷物になった。

それを私は、どうしたわけか許せなくて、
自分で志願して、3ヶ月限定(それ以上は本業に負荷が掛かる)で、
彼らの部署の責任者にしてもらった。

なんとか利益を上げさせ、若い奴らに仕事の楽しさを
味わってもらいたい!この会社に来て良かった、幸福だ…。
そう思って欲しかったのだ。

まず何よりも、その部署の古くからの得意先すべてを訪問して
老人達のメリットである、先方のお偉いさん方と会い、
ある種の免罪符を貰ったら、今度は当社に何が提案できるかを、
こちらの若手と、先方の実務担当者間で、徹底的に討議を
重ねてゆくと、すこしずつだが、様々な打開策が見えてきた。

私が足を洗う3ヶ月目には、ぼちぼちと利益が出始め、
半年後には完全に黒字転換した。

それでもまだ老人達は働かなかった。
それどころか、陰でこう公言して憚らないのだ…

我々がわざわざ汗なんかかかなくとも、
仕事なんて、下請け業者にうまいこと割り振って、
更にそこからリベートくらい貰って、左団扇で
昼間から酒かっ食らうくらいが本物のやり手商社マンというもの、
P本部長みたいに、生意気で、ただ生真面目なだけの奴は、

「唐変木の大馬鹿野郎!」

あれじゃあ、下は息苦しくてついていけないから、
上司としても失格…。

…なのだそうだ。

私は激昂した。
唐変木…といわれたからではなくて、
それまで色々我慢していたことが、一気に堰を切ったように
溢れ出したというところだと思う。

辞職または解雇を、当人達に諭旨すると、すぐに彼らは
社長に直訴陳情した。まさに想定内、手間が省けた…
そう思った自分が甘かった。

社長もそういえば、この老人達と同じ世代の人だった…。

社長「お前さん、そうカッカするなよ。年寄りっていうのは
   あんなもので、お前さんには遊んでるように見えても、
   あれはあれで、彼らなりにきちんとやるべきことはやっているのだ」

そして更にこう付け加えたのだ。

社長「あんまり年寄りを苛めなさんな…そのうち自分も
   そうなるんだから…。ちゃんと信頼して相談などすれば、
   結構頼りになるかもよ…」

デスクに戻ると、コトの成り行きを既に彼らは知っていたらしい。
そして云うのだ…。

「P本部長殿、今夜、下請け業者Aが吉原方面(!)で一席設けてるそうで、
 本部長殿にも是非…って申してるんですが、どうなさいますか?…」

私「私のことなど気にせず、皆さんで愉しんで来てください…」

負けたな…年寄り達に…結構手強いな、あの老人達…

そう思った。

さて、やっぱりのんびり生きよう…決めた!



夜空見上げてごらん
銀河の果てにゃ
幾億万のキララ星
きっとお前見つめてる

ちっちゃいこと
ちっちゃいこと気にしない
駄目で元々It's Alright

ちっちゃいこと
ちっちゃいこと気にしない
仏の顔もIt's Alright

結構辛いとき、無意識にこの唄、口ずさんでたなあ…。

上々颱風…随分元気というか、勇気貰ったな…
ライヴはいつも最高だった!

現在は、リーダーの紅龍さんの病気療養の為、無期限活動停止中…。
解散ではないと、ことさらに強調しているらしい。

仏の顔もIt's Alright - 上々颱風feat.桜川唯丸


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4 Comments

瑠璃絵 says...""
こんばんは
楽しく拝読いたしました
歳をとればとるだけ人生が固まって
変えるのは大変ですね
私も、会社の風が変わるかと、高学歴の
年長者を採用した経験がありますが
みごとに裏切られました(笑)
写真、良いですね
我が家の花々も、こんなふうに写したい(苦笑)
2016.08.30 21:28 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."瑠璃絵さん まいどです"
こんばんは
颱風...台風は、なんだかあっという間に去ってしまいましたね。

実は長いこと、忘れていたエピソードだったんですが、
自分が50才を過ぎたときに、若い人達から、何となく阻害されてるなあ
って感じたことがあって、己の存在というのを考えるわけです。

なるべく気さくにして、若い集団に交わろうとしても、「うざい」って
思われるのが関の山なので、あえて一歩引いた立ち位置を見つけるのか肝要..
と、悟るんですけど、それはそれで疲れるんですね。
やっぱり年寄りって「要らない存在」何ですかね??

2016.08.30 22:47 | URL | #- [edit]
ギターマジシャン says..."上々颱風"
米々クラブ浪漫飛行は、歌の内容とは別で沖縄っぽいジャケ写真でしたが、
上々颱風は、音も沖縄やアジアの民族音楽みたいで、エキゾチックでした。

当時、通っていた河合楽器で、発表会でバンドを組んだベース教室の奴が、
「昔、一緒にバンドをやっていたボーカルが、上々颱風にいる。」と言い、
ドラムの奴は、「バイト仲間が、ジュンスカのギターになっていた。」と、
すれすれのところで、プロの境界にいたんだなあと、妙に感心しました。
(自分は、プロを目指しつつ、結局発表会どまりで、ド素人のままでした)
2016.08.31 18:49 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."ギターマジシャンさん まいどです"
90年前後って云うのは、自分はちょうどエスニックというか、
ワールドミュージックにドハマリしていた頃で、上々颱風は
生粋の伝統芸能ではないにせよ、チャンプルも立派なワールドミュージック?
ってな雰囲気で、相当に盛り上がってました。

また、嫁とアジアンテイストの音楽をたくさん作って、
新宿の路上で二胡を弾いてた兄ちゃんに手伝ってもらいつつ、
録音に興じたりしてましたよ(なつかし!)。

自分は、音楽学校とかボーヤさんの経験が全くないまま、
学生バンドの延長で偶然プロになってしまい、
なってしまってから慌てて、会社が経営していた芸能学校で
楽典や和声を教室に通いつつ勉強し直すって云う逆アプローチでしたから
なんだか2年間とかビッチリ「合歓」とか「アン」なんかに通って(大勢いた!)
勉強できる環境がうらやましかったですよ。
プロになって初めて、バンドマンには「音程(ピッチ)」が一番大事!
ってのを、理解したくらいですから(遅い!!)。
2016.08.31 19:36 | URL | #- [edit]

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