ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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失われたルート探索

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ふじの見頃というのがいかなる状態なのかよくわからないのですが、
取りあえず千秋公園二の丸のふじ棚はこんないい感じ(!?)でした。



ちなみにどうでもいい情報ながら、幼稚園では「ふじ組」。
スクールバスで少し離れた茨島までの通園でした。

幼稚園で何してすごしていたか?
何しろ約半世紀前につき全然思い出せませんが、
昼食後の「お昼寝」が一番イヤだったことだけはよく覚えています。
ただどうしても気になるのはスクールバスの道順。
わずかな記憶では、窓外の景色というより、
停車地のアナウンス(当然車掌さんがいたのでしょう)をよく覚えています。
人間最後に頼りになるのは目よりも耳ですかね。

バクロウマチ、ノボリマチ、ツキジシモチョウ、ユウラクチョウ、ドテナガマチ…
始発かどうか分からないですが私が乗り込むのがマルトヨ前=今の金萬ボウル。
市民市場はまだ現在地にはなく、
そこは秋田高校(当時は南高だったかもしれません)のグランド。
NTTの土手は同校野球場でした。道幅は今より狭かったと思います。

マルトヨ前で乗り降りするということは左車線ですから
バスは中央通り方向を向いていたことになります。
当然中央通りも広小路もまだ一歩通行ではありませんから、
おそらくは中央通りを土手長町方向に進み
左折して有楽町→登町で右側の橋を渡り旭南→56号から
茨島交差点を右に少しいくと到着でした。

実に単純な道順なんですが、長いことこのルートが自分にとって大きな謎だったんです。
Google地図を見てもよくわからず、
今回実際に自転車走行してみて初めてきちんと理解できたわけです。

実はそのまた少し前くらいに祖母の家というのが「泉」というところにあって、
秋田工業高の裏門に当たるのかどうなのか?踏切を渡り、
線路沿いに秋田駅側に少し戻ったところ…という所までは記憶にあり
周囲に家もまだ点々という感じの頃、家の横には農業用水か、
はてまた下水か?堰が通っていて夏はホタルがきれいだったなどの想い出はあります。

ところがもはやこの辺りは宅地が密集しており、
曖昧だった道も全て宅地に塞がれ、もはや見当さえつかない状況。
母親に聞くも当人も50年前の記憶は曖昧で、
あれは自由人のオバアちゃんが自分個人住まい用に50万円で買ったオウチ、
そんな金額で一戸建てが買えてた時代だったんだねえ.....。

っと、今日はトリトメナイ話で失礼しました。いつもか……
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