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ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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コスモスとヒマワリ

DSC06572a2.jpg
P. Angenieux Paris 45mm F2.9 (1949)

たぶん今年最後…黄昏のコスモス。
何となく現在の自分の状況に重ねあわせたりして…。

こういうシチュエーションでは迷わずアンジェニュー…。
ぼんやり+ふんわり、まどろみの世界。
フランス・レンズだけに実に…あんにゅい。
ぬうべるばあぐやで、しるばぷれっ!?。



20代の、特に就職した中盤から後半にかけての
私は、典型的なモーレツサラリーマン!
そう云うわけだから、確かその間、結婚とか
いろいろあったように思うけれど、自分的には
ほぼほぼ…記憶がない。

なにしろ頭の中は仕事ばっかり…。

30才を少し過ぎた頃に、今度は仕事上の挫折を
諸々体験するようになると、ちょっと達観し始めて、

仕事人間はつまらない!
いや、仕事人間とはつまり駄目人間だ!

そういう風に思うようになって、
定年後の老人が、慌てて趣味を捜すように、
「遊び」を探求するようになり、当然のように
夜の街に繰り出してみたりするのだが、
そこで得た人脈がまた仕事に結びついたりして、
図らずも大儲けしてしまったり!?と、
なにしろ上手く行かない…。

スキーにスノボにウインドサーフィンにスキューバダイビング…
果ては海釣りに渓流釣りに、山登りに、バーベキュー&キャンプ…
競馬に競輪、パチンコ、麻雀、猪鹿蝶に、ちょっとヤバいポーカーゲーム…。

(ゴルフは…仕事の延長だと思ってたから、一向に興味がわかなかったな。)

どれもイマイチしっくりこなくて、結局は昔取った杵柄の
サッカー/フットサルチームの結成と運営…。

しかし、何年かして自分が試合中に大怪我して、チームも活動休止となると、
しゅるしゅるしゅる...と潮が引くように情熱は萎えてゆき、
いつの間にか、自分の湯治も兼ねて、月に一度は

家族で温泉一泊旅行…

それがやがて恒例化して、小さいけれど
家族の充実した時間が、とても幸福に思えるようになった。

随分時間がかかったけれど、解答は結局「家の中」にあった
というわけで、思い返せば、その頃が...

ヒマワリ時代の終盤だったかな!?

と、コスモス終盤に思うのだ。



前回に引き続きスライドギターものの中でも特にお気に入りの
ボニーレイットを本日は…!。

YouTubeには、同曲の公式ヴィデオでリリースもされている
77年モントルーライヴの方が画質が遥かに良いし、同じ年、
個人的にも、虎ノ門・久保講堂で彼女の素晴らしかったライヴを
目撃しているから、問答無用でそちらを紹介したかったのだが
たぶん77年よりもう少し前のこちらのライヴ音源の方が出来が
数段良いので、画質は劣るけれど、こちらを取り上げることにした。

ボニーとは、まだオーリアンズも知らないときにギタリストの
ジョンホールのプレーにすっかり心酔して、そのツテで彼女を
知ったらば、そこに居たのがビルペインやらポールバリアらの
リトルフィート軍団や、アメリカンミュージックの良心=
エリック(ジャスティン)カズといったキラ星のミュージシャン達。

私はそんなにブルーズ自体得意ではなかったけれど、ズンズンと
ミシシッピデルタ擬き(!)や、マルディグラな中西部、
または南部風サウンドの蟻地獄に、はまり込んでしまうのだ。

この曲自体は、彼女の72年のセカンドアルバムの表題曲であり、
A.面先頭、さらには久保講堂でもオープニング曲だったもの。
密かに私は、この曲こそ、Little Feat "Dixie Chicken"の
元ネタ…ひな形…だと確信している…。

日本公演ではベースのフリーボが最初からチューバを担いで登場して、
満場大喝采の楽しい夜だったと、今でも深く心に刻まれている。

80年代になるとレーベルが変わったりして、ボニーは最前線から
やや遠のいてしまうのだが、その間、元フェイセス=
イアン・マグレガン・バンドをバックバンドとして活動していて、
そのバンドのベーシストこそ、我らが小原礼氏であったから、
結局、彼女の動向は80年代もずうっと注目していたことになる。

そしていよいよ90年代は、グラミー受賞などで彼女は
再ブレーク&大ブレーク!と、なるのだが、
へそ曲がりとしては、そうなるともう、
なんだかこそばゆくって、大スターでも殿堂入り歌手でも
お好きにどうぞ…って感じになってしまった。

Bonnie Raitt - Give It Up Or, Let Me Go


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6 Comments

oyajisann says..."今晩は"
今晩は体調その後如何ですか?
ジョンホールっていつの間にか議員さんになっててびっくりでした。
小原礼さん、山内テツさんが英国なら米国で活躍した我らがベースマン
加藤さんや屋敷さん土屋さんとのバンド「BITAMIN-Q」次作に期待って
感じでしたので残念です。
2016.10.23 23:31 | URL | #eTRrWisM [edit]
pipco1980 says..."oyajisannさん まいどです "
そうですね、彼は民主党下院議員…。
元々70年代末のNO NUKES..原発反対運動の首謀者の一人でしたから、
当然の成り行きだったかもですね。彼が凄いのは凄いのは、
今もORLEANSの再々結成で、バンド活動を継続してるってとこでしょうか?
ちなみにNO NUKESではしっかりボニーレイットのバンドの番頭格….
勤め上げていましたね!。

ちなみに70年代のボニーのレコードは、まさにオーリアンズとリトルフィートの連合体!
個人的には夢のようなバックアップメンバーでした!。

Vitamin-Q はちょっと懐かしいですね!
トノバンは微妙ですけど、他は全員海外でも活躍したメンバーのみの集合体!
いわゆる海外組による日本代表!みたいでしたけど、サウンドは申し分ないですが
なんかあんまり音楽的には広がりませんでしたね!。


2016.10.24 00:07 | URL | #- [edit]
バニーマン says...""
こんばんは。

いやー、やっぱり彼女のスライド、すごいですね。

グラミー賞あたりから、ギタリストというより歌手になっちゃいましたね。
それはそれで、彼女の歌も大変素晴らしいのですが、こうやって聴くと
やっぱりギター!です。
2016.10.24 20:52 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."バニーマンさん まいどです"
実はこの映像(たぶん74〜75年)と、77年モントルー(もしくは来日)の間に、
彼女はロウエルジョージからMXRダイナコンプ+スライドっていう
まさしくロウエルの代名詞的なサウンドを当人から教わるのですが、
その時点からスライドがちょっと雑...というか大雑把になってしまうんです。

90年代になると、もはやスライドは彼女の「余技」または「隠し芸」的に
なってしまって、昔を知る向きには「なんだかなー」ってな感じな訳ですね。

まあ彼女のアルバムを聴いてもらえば分かるんですが、何が何でもスライド
ってわけじゃあなくて、そこはジョンホールやポールバリアやフレッドタケット
なんかが味のあるギターを披露していたり、70年代はほぼ全曲に渡って
ビルペインがしっかりサポートしてますから、極上のロックアルバムのクオリティを
愉しむことも出来るわけです。
2016.10.24 21:21 | URL | #- [edit]
ギターマジシャン says..."ボニーレイット"
ボニーレイットというと、スライドギターの名手ですが、いつもながら、
自分の記憶では、アコギやフルアコを抱えるガタイのいい人であり、
この映像の、ヒラヒラの服で、ストラトを弾いているとは驚きでした。

スージークアトロやハートの、お姉さん的な女性ロッカーに比べて、
南部の荒くれ相手のスライド伯母さんと、勝手にイメージしてました。
2016.10.25 20:39 | URL | #- [edit]
pipco1980 says...""
当時はオーリアンズやリトルフィート、さらにはThe Band周辺や
ウッドストック=ベアーズビル系のピュアなアメリカンロックが好みだったので、
自然とボニーレイットは好きになりましたね。

スライドの名手と云われても、そういやスライドも弾いてたなあ….くらいで
彼女の繰り出す多彩な音楽そのものに魅力がありましたね。


2016.10.25 23:20 | URL | #- [edit]

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