ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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マイ・ヒーロー列伝・その1

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サッカーを始めた頃には 
それが世界ではウルトラメジャーな競技であるなんて知らないし、
現実に自分らを含む秋田市中学サッカーリーグには、
たった5校(東・西・北・山・土)しかエントリーしてないから
随分とこじんまりした競技なんだなあ…と正直思っていた。
(全県大会でも結局最大のライバルは河辺中だったりする)

しかし同じ年の6月、奇しくも最後のペレ率いるブラジルが優勝した
ワ−ルドカップメキシコ大会が開催されたことで、事態はいきなり進展する。
もちろんメキシコから生中継というのはさすがに無くて、
かなりの時差の後、録画でチョロチョロとNHKで放送された程度。

中学1年で、ただひたすら毎日走って…球拾いして…
それだけのボンヤリしたサッカー少年の私を襲った
凄まじい衝撃と感動をいったいどう説明すれば良いのだろうか!

さらに土曜夕方にイングランドサッカー専門番組「富士商会アワー」
=全国的には「三菱ダイヤモンドサッカー」が秋田放送で始まる。
残念ながら30分番組で、前後半を2週に分けたパーシャル放送。
ほとんど毎週放送されるチームこそ、我らがカガワシンジが行くはずの
マンチェスターユナイテッド。
しかもスーパースター、エル・ビートル=5人目のビートルズ
「ジョージベスト」が在籍していた時期。
というわけでもう東京12チャンネル+ABS秋田放送+三菱商事+富士商会(?)
の思惑通りに、ジョージベストが私の最大のヒーローとなってゆくわけです。

彼のヒストリーを語りだせば止まらなくなるので、ご興味あればWikiでどうぞ。

ただスーパースターではあるけれどイングランド人ではない事
(北アイルランド出身)で若干の差別ありとも聞いたし、
見た通りの風貌もあり、パパラッチによるスキャンダルも続いたこと。
またプレイスタイルも根っからのドリブラーであるがために
「ヒトリヨガリ」「エゴイスト」と評されていた面もある。

またチームも黄金時代がしばらく続いた為に世代交代に失敗。
成績不振が続くがジョージベストがその戦犯のようにされてしまう
=夜遊びばかりして浮き名なんか流してるから勝てない云々。

等々書ききれないほどのネガティブ要素で 
その後心機一転してサッカー不毛の地アメリカへ!
そして人知れずひっそり引退….。

そんなジョージベストを私は遂に目撃する日が来ます。
80年代後半、東京ドームが完成し「人工芝でサッカーもやれますよ」的
お披露目イベントとして開かれた「往年のスーパースター世界選抜チーム」に
なんと引退してしばらく経っていた彼も来日。

ただもはや体形も風貌も往時の面影すら無く、なにやら悲しい思いをしたものです。
さらにその10年後、トヨタカップでマンUが出場した時にも
チームのOBとして再来日。さんまさんがインタビュー時にジョークを飛ばすものの
例によって煩がられ怒られるといういつもの展開(去年のメッシも同様でした)。
この時も私は現地にいて、柄にも無く「出待ち!」するも、
彼はあっという間に車上のヒト…..。
いやはや完全にミーハーです。

考えてみればたいした実績も記録もなく、また北アイルランド代表という運命から、
ワールドカップ出場機会にも恵まれず、不運という影が常に付きまとうものの、
とてつもなくスマートでカッコ良く、そしていつも寂しげだった。

2005年没。
Maradona good, Pele better, George BEST

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