ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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裏道人生?

DSC04155あ
Jupiter-9 8.5cm/2 (L) (1957)

今年は体調悪くて行けなかった
「秋田美人」の撮影会!。
今年も参加しかったなあ…。



若い頃の自分にとって「レコード会社社員」という
立場の方々は、バンドマンやアーティスト以上に
憧れの存在!

実際にライヴ会場やスタジオ等の現場に、
場違いなスーツ姿でぞろぞろと、
大名行列的に現れては、もはや誰が誰とも
分かりゃあしないのに、大量に「名刺」を配られては、
バンドマンとして...

「あっ、ども…よろしく….はあ…」と、

オイラ、とるに足らぬ河原乞食の楽隊屋やけん、
コミュニケーション能力おまへんがな…
そんなペラペラ流暢にしゃべれまへん...
東京に実家ないし、平民やから
縁故も全然おまへんねん…。

そんな風にコンプレックス全開の
卑屈な気持ちになりがちだったなあと思う。

それでも、ある時から突如行動を共にすることになった
同じタレントのレコード会社側の宣伝担当ディレクターの
G氏とは、何となく凸凹コンビ珍道中という感じで、
立場も仕事内容も異なるけれど、共に愉しく
お揃いのレコード会社名入りのウレシハズカシ、
ピンクのスタジャンを着て、地方行脚の日々を過ごしていた。
(私はその姿のままステージに立ってたりする!)

G氏は、確か自分より5つくらい歳上で、当時はまだ
市ヶ谷にある巨大レコード会社のヒラの宣伝マン。

名字からして、貴族と云うか、公家と言うのか、
立派な家柄の出自を推察できるのだが、
それに対して本人は何も語らないが、某有名
作曲家の甥だという話を、誰かから聞いた。

たぶん「縁故入社」と思われるのが心外だったんじゃ
ないだろうか…他に様々な縁故入社の奴らを知っているが
彼からは、奴らと違う気骨というか、
芯の強さみたいなものを感じていた。

彼とは、私が「業界」を離れた後も、何となく、
ウマがあったか、しばらく遊び仲間であり続けたが、
途中から、むしろ私個人より、家族的な付き合いに
シフトしていったのだが、そうなると、ほどなく
彼ら夫婦が離婚してしまうと、何となく気まずい感じのまま
徐々に疎遠になってしまった….。

やがて彼は、ロンドン、ニューヨーク赴任などキャリアを積み上げ、
将来の経営陣…という噂も、漏れ伝わるようになっていた。

一方、私は、たぶん学校を中座した時点、いや、
入る学校を間違えた時点で、世の中の裏街道…
とは言い過ぎだが、何となく、大通りから1本...
いや2本入った薄暗い裏通りの小路の端っこを
背中を丸めて歩くような人生だが、
彼は、陽のあたる大通りを、堂々と胸を張って歩く人生…

まあその頃はもう、羨ましいとか全然思わなくなっていて、
自分の運命を受け入れて生きるしかないって、開き直ってたかな。

彼がロンドン、NYと華々しく渡る間、
私はひっそり東南アジアだの中東だの、南米の密林だの、
陰気な東欧諸国なんかの、まさに大商社が障りもしない
スキマを見つけては、チョコマカと掘り返すような
そんな人生だったなあと思う。

バブル景気が一段落した頃、彼は、系列会社の新潟のリゾートホテル
支配人になっていた。

招待するから遊びに来い!と言われ、スキーもしないのに、
冬場のカキイレ時に会いに行ってみると、彼は相当に荒んでいて

「俺はもう駄目だ、ご覧の通り無惨な左遷だよ…
 今まで会社に精一杯尽くしたのに…家庭までも壊して、なにやってんだ俺...」

いろいろ元気づけようとしたけれど、彼の落胆は相当深いもので、
自分ではどうにもならず、思いあまって、家人経由で
彼の元嫁に連絡して、彼の窮状を話すと、すぐ翌日に
彼女は新潟のスキーリゾートまでやってきてくれた。

その後は分からない…ただ彼からは

「悪かったな。もう落ち着いたから、サンキューな...」

いずれにせよ、彼は会社を辞めた….ということだけ伝わってきた。
そしてそのまま…10数年、音信不通だったと思う。

今度は、自分の方もおかしくなってきて、
40を過ぎて、人生流転を余儀なくされる。

しかし実に意外なところで彼と再会する。

故郷の幼馴染みがオヤジバンドを組んでいることは
知っていた。やがて彼らは、コンテストを勝ち抜き
東北代表として、東京での決勝大会に出場が決まったから、
オマエも応援に来い!ということになっていた。

正直、当時の自分は、普通に仕事をしていたけれど、
体調がすこぶる悪くて、苦しんでいた頃…。

今よりも酷いめまいにも苦しんでいたけれど、
ここはやはり出動せねばならぬ!と、家人に腕を
がっちりブロックしてもらって、恵比寿の会場に辿り着いた。

会場のロビーで、何気なくその大会のポスターなど眺めていたら、
家人が「あっ…!」っと、声を上げた。

コンテストの審査員長が、G氏だったのである。

どうやら元の会社系列の音楽専門ケーブルテレビ局の社長
…っていう肩書らしい。会社は辞めてなかったんだあ!

彼も忙しいだろうし、そして私の具合も良くなかったりして、
その時は挨拶以上の旧交を温めるに至らなかったが、
また新しい人生の展開が…と思ったのだが…

私は容態が急変して、すぐ翌日に入院…緊急手術…
仕事も続行不能…治療に専念する為と、
家族の負担にならぬよう、一人故郷へ…
と、全く思い描いたのとは違う人生展開となってしまった。

それでも、そのオヤジバンドの面々も含め、
故郷の仲間達は暖かかった。

相当に体調も回復して元気な時期もあったけれど、
近頃はまた良くない…。

どうなるんだろ…私の裏道人生…
いやいや、奥の細道は…。



小学校の何年生かの頃に「卒業」って映画が大ヒットして、
観に行きたかったけれど、子供が観るような映画じゃない!
って駄目出しを食らい、その代わりに「猿の惑星」を観に行ったって、
そんな妙な記憶がある。

「卒業」は、その挿入歌の大部分を唄っていた
サイモンとガーファンクルなる2人組の評判が、
我が小学校にも鳴り響いてきて、
その魅力的な音楽に、主に女子小学生中心に流行していた。

ただし私は、どうにもS&Gは暗くていかんと…。

とくにガーファンクルというくせ毛のあんちゃんの
蚊の鳴くような(?)か細い声がお気に召さない!
ということになって、いつの間にかアンチS&Gの代表格となって、
やっぱりロックやで、ビートルズやで、エアプレーンやで、
ヴァニラファッジやで…ジャンピングジャックフラッシュで、
ヘイ柔道や(?)、レヴォリューションやあ….
と盛んに気勢を上げていたように思う。

そんな時に、当時大学でゲバやってた叔父が、私の家に
「ブックエンド」っていうS&Gのアルバムを持ち込んできた。
「ふん、S&Gじゃねーか…」とちょっと馬鹿にしてたんだが、
聴いてみると、ある曲に不意にビビビビビビ….と強烈な
衝撃をうける。それが、「アメリカ」って曲。

まだその時は「アメリカ」もシングルに切られることもなく、
LPの中の1曲に過ぎなかったのだが、俄然この歌が気に入って、
英語もろくすっぽ分からないのに、音だけで何となく口ずさんでた。

♫おーかーむ、つるくふぉーらめーりかあ...

なんとなく、当時流行ってたロードムービー風な
淡々とした雰囲気がとっても気に入って、、じゃあ、S&G、
気持ちを入れ替えていろいろ聴いてみよう!と、なるのだが、
何と、気に入った曲はこの「アメリカ」1曲のみ…。

その後も、明日に橋を掛けたり、コンドルを飛ばしたりと
いろいろあったけど、やっぱり苦手….。

やがてS&Gは解散。しばらく存在を忘れていたら、
突然、ポールサイモンがソロアルバム発表…
ラジオからきこえてきたこの歌の、突き抜けたような
明るさに、私は大興奮。

なんだこれ!?すっげえウキウキする!

ラジオDJは、これがジャマイカのレガエ(?)って
リズムを取り入れたものだよって、解説してた。
レガエって、以前にどこかでに聴いたことあるぞ…
そうだビートルズ、オブラディオブラダ…そう言えば、
跳ねた感じが良く似ている。ところでジャマイカって何処?

そんな感じで、レガエはすぐにレゲエって少々汚い
言葉に改まってしまったが、このアルバム…実は未だに好き。

S&Gは暗くて苦手だったけど、ポールサイモン個人には
俄然注目!そんな阿呆な中坊でありましたとさ…。

というわけで「喝采」じゃなくて…「母と子の絆」

Paul Simon - Mother And Child Reunion


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6 Comments

ギターマジシャン says..."母と子の絆"
何だか、大作映画か感動の名曲のような邦題で、聴いてみたらレゲエという能天気に近いサウンドのギャップに驚いた曲です。

イントロが「喝采」と言われると、もうそれにしか聴こえなくなりました。

ポールサイモンのソロは、ここから「時の流れに」くらいまでしか聴いていないのですが、「僕とフリオと校庭」、「僕のコダクローム」、「アメリカの歌」と名曲ばかりです。

ガッドのドラムが印象的な「恋人と別れる50の方法」や、ボブジェームスのカバーが「世界あの店この店」のテーマだった「夢のマルディグラ」も、すごく好きな曲です。
2017.06.08 23:50 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."ギターマジシャンさん まいどです"
私は、この曲、良く練られてる名曲だと思ってます。
90年代くらいまで、わりとマメに彼のソロ作を聴いてはいますけれど、
おっしゃる通り、「時の流れに」くらいがピークだったように思いますが、
何しろ同時代的に、彼の音楽が突出して最先端で際立っていたって
事実は変えようがないんじゃないかなって思います。

まあ80年代には、覇権主義によって、南米やアフリカ野文化を搾取してる
なんていわれかたもしてましたね。

「〜50の方法」は、Ajaと並んで、ガッドのベストプレーじゃないかなって思ってます。
2017.06.09 00:05 | URL | #- [edit]
つかりこ says..."はじめまして"
会社員の人生というものは、大会の小舟のように
あっちゃこっちゃに迷走されられて、泣いたりわらったり、
しまいには身も心もガタガタさせられるもんですよね。
自分もいま、その当時にしたスピード違反やオイル切れや
オーバーヒートがタタって、体のあっちこっちにガタが
出てきているところですわー。

市谷の巨大レコード会社の、たくさんの感性豊かで
魅力的な人間と出会ってきましたが、
結局、彼ら彼女らも「数字」が評価の尺度になって
ホントの道を見失ってしまうことも多いんでしょうね。
音楽が発信する夢や感動のでかさを数字ではなく別のもので計れて、
なおかつ食べていけるといいのになあ、といつも思います。

貴殿ブログタイトルの「・・・秋田篇」というところが好きです。
過去のこともこれからのことも、小説の一篇のようにおもしろがって、
「次の〇〇篇」はなんにするべかー、というような気概が感じられるからです。
そういうメンタリティが体調を変えて行くような気がするんです。
(勝手なこと言って、アタマにきたらごめんなさい)

『恋人と別れる50の方法』のスティーブ・ガッドは、
『Crazy Army』を代表とするガッドの得意のスタイルが盛り込まれた
名曲ですよねー。
2017.06.09 04:34 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."つかりこさん まいどです"
バンド時代にしても、中小企業のサラリーマン時代も、はからずも
とてもローアングルで世の中を観てきた感がありますし、
根幹がお人好しの馬鹿ですから、少し早くにカラダもガタついてしまったようです。

つかりこさんも「市ヶ谷関係者」でしたね!。私は基本的にプロダクション側に雇用される
立場なので、市ヶ谷内部のことは、噂に聞く程度ですが、なぜか所用あって、
あの異様な真っ黒いビルには何度か伺ったことがあるという程度です。
時代的に、もっと自由闊達な空気を感じたんですがね….今や何処の会社も世知辛いみたい….。

ドラムのスタイルとか技法は良く分かりませんが、一時一緒にやってたドラマー氏が
本物のジャズ屋さんで、普通に譜面上は単純な8も、ひたすら軽やかに手数多く叩くので、
「うおー、ガッドみたい、気持ちいい!」って馬鹿みたいにはしゃぐ自分でありました。
さすがにすぐに貞男さんや洋輔さんのバンドに引き抜かれちゃいましたけど…。

今更ですが、今後ともヨロシクお願いします。

2017.06.09 09:19 | URL | #- [edit]
バニーマン says...""
映画「卒業」は、当然封切り時には全く知らなくて、
たしか中学三年の時に、テレビ放映されるというので、
ちょっと大人の臭い(スケベな意味の)が田舎の中坊に
敏感に届いたようで、同級生の中で盛り上がりました。

ちょっとお金持ちのS君が、ビデオデッキを持っている!という
ことが判明し、彼に録画をまかせて、楽しみにしていました。
というのも、当時はテレビって一軒に一台の時代で、親とあの映画を
観るのは、ちょっとなんだかな~というのが、僕たちの判断だったんです。

で、テレビ放映の翌日、学校でS君に、今度の日曜日はみんなで行くよ!
と、声をかけたら、なんと彼の返事は、昨日の夜は雨が降ったから録画でき
ていないとのこと。
マジ!?
当時のビデオって、湿気が多いと録画出来なかったんですね・・・
「卒業」を観たのは、大学生になってからかな・・・(^_^;)
2017.06.09 19:11 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."バニーマンさん まいどです"
たかが映画…されど映画…なんですけど、時代を超えてそれぞれに
映画にまつわるエピソードがあるって、とっても素敵だなあって思います。

「俺たちに明日はない」とか「明日に向かって撃て」とか「真夜中のカウボーイ」
など、まだ自分は半ズボンにランドセルでしたけど、映画を見たときの状況…
親に反対されて、仕方なくネーチャンが一緒に行くってことで、許可を貰ったら
なんと彼氏連れてきやがって…とかね、良く覚えてたりします。

>湿気が多いと録画出来なかったんですね・・・

これは初耳ですね。でも初期のベータIなら、何となくあり得たような感じです。
私は、その時はアパート住まいでしたから、アンテナは当然室内…。
雨の日は電波の受信状況がもうワヤでしたね。
2017.06.09 20:54 | URL | #- [edit]

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