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ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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家と言葉

DSC05522あ
Carl Zeiss Jena 'Pancolor' 1.8/50 (Early-1970's)

たぶん今年最後の…コスモスかな...

今はもう変更しているけれど、元々自分の本籍地は、
祖父や父の生家がある兵庫県加古川市…。

祖父は神戸の商船学校で英語教師をしていたらしいが、
昭和もまだ一桁の時代に、生まれて間もない父を連れ、
一家で上京し、東京蒲田の松竹撮影所近くに
アパートを一棟購入し、祖父はそこから横浜の商社勤務。
祖母はそこで撮影所の大部屋役者専門の
下宿屋を始めたらしい。

店子の一人に、まだ若き「笠智衆」がいて、
幼い父は彼に随分と遊んでもらったというのが、
父の終生の自慢話だったりする。

そんなわけで、私が育った環境は…
祖母は大阪弁と神戸弁の区別など自分には全くつかないけれど、
いずれにしろ、コテコテの関西弁が生涯抜けず、
父は秋田弁は肌に合わず、ずっと東京弁っていうか標準語…。
そして純正秋田人の母は、精一杯、標準語に近い秋田弁を、
とっても窮屈そうに話す感じ…。

そんな環境で私は育つ…。

そんな家だから、我が家に母方の実家筋の方々とか、
地元コテコテの秋田訛の人がやってきても、
皆一様に、借りてきた猫みたいに澄ましつつ、
精一杯標準語に近い言葉を喋ろうとするようで、
本来、気の荒い性質の人も、キチンと正座して
行儀よく茶をすする、実に朴訥な好い人に変身する。

そんなだから、自分にとっては実は大迷惑で、
他所でツバが飛び交うようなスーパーネイティヴな
秋田弁を耳にしても、残念ながら未だに、
何かの滑稽なノイズか、わけ分からんエスペラント語...
くらいにしか、聴こえてこないのだ。

余談だが、語学習得マニアの家人が一時、本気で
マルチリンガル(多言語使い)を目指し、
勉強を始めたのことがあって、なんでも、
多言語化の基本となるのが、スペイン語と、
それをベースにした人工言語(世界共通語?)=エスペラント語
あたりらしく、そこから手をつけることになったのだが、
現代ではほぼ使用実態がないエスペラントを学習する
モチベーションが、彼女には全く沸き上がらず、
途中で投げ出してしまった。

ちなみにアラビア語を熱心にやっていた頃、どうも
尾行されてるような気がして、BS放送でアルジャジーラ
ニュースの同時通訳をやってるアラビア語教師に相談すると

「私なんか、24時間交代で公安に見張られてますよ…」

それを聞いた彼女は、ビビってあっさり辞めてしまった。
(ヒエログラフ….それだけは続けてたみたいだが…)

話を戻す…。
小学校の時はまだ、同級生たちは、どちらかというと、
おっとりした、県外から赴任中の公務員の子弟とかが
多い学校だったから、言葉で不自由を感じることはなかったけれど、
中学、高校と上がるにつれ、不明な単語の数々は勿論、
未知のイントネーションとの遭遇など、結構大変な目に遭うのだ。

一度、入学早々、高校の上級生にからまれたことがあった。
確か拳闘部の部室に連れ込まれ、リング上で数人の
上級生に囲まれた。

ところが、彼らの訛と方言がキツすぎて、何を言わんと
しているのか、自分の何がそんなに気にいらないのか、
サッパリ分からない。よくよく集中すると、
どうも自分の着ていた上着の「サイドベンツ」が
チャラケテいるらしく、ソレが先輩方のお気に召さない
ってことらしい。

明日までに縫い合わせてきたら、赦してやる…。

そんな実にくだらないことで、自分は因縁をつけられてるらしい。
あまりにもクダラナイから、以後、絶対縫い合わせたりするものか!、
って調子で、そのままにしていたら、向こうも呆れたらしく、
それ以上からまれるようなことはなかった。

先輩方は、相当凄みを利かせて脅したつもりなんだろうが、
いかんせん、自分には殆ど理解不能言語で、全く脅しは
利いてなかったってのは、案外ラッキーだったのかもしれない。

やがて、いよいよ高校も出た。さあ上京だ…。

たしか千駄ヶ谷の東京体育館だったかの入学式を終え、
最初のガイダンスで、たまたま席を隣合わせ、
早速友達になった男が、なんと熊本の天草の出身者。
ほぼ、50%くらいしかコミュニケーション不能…。

まあ、それはそれで、もう慣れっこの人生…
それが自分の天命ならば、甘んじて受けようぞ…
そう思うのだった。



私は、高校生のときから、一人で音楽を作り上げる
多重録音マニアでもあった。

最初は4トラックのオープンリールデッキを母艦として、
父のオープンデンスケやラジカセなんかをフル動員しての
音質は酷いけれど、単純に音を重ねて行く原始的なやり方。

やがて、雑誌を重ねて叩いたドラムもどきも、鍋のふたを使った
ハイハットもどきも、それを何度も執拗に重ねることで、
何重ものエコーというか単なるズレなんだが、
それらしいサウンドになることが分かると、ギターも唄も
全部それ式の何ともスペイシーなサウンドの一丁上がりとなる。

やがて、オープンデッキに少々の改造を加えつつ、
4つある録音ヘッドに任意にセロテープを張り分け、
その手前にある消去ヘッドもテープでマスクすると、
普通のデッキが簡易的に4トラックマルチレコーダーに
早変わりすることを発見。

さらには録音ヘッドと再生ヘッドの、ほんの2cmくらいの
ギャップから、シングルエコーが取り出せることを知ると、
ひたすらそれの有効利用法を考え、実験するのを楽しむ生活...。

上京後も、友人に貰ったLL英語教育用のカセットの一風変わった
特性を利用して、MTR+簡易逆回転サウンド生成装置!

そんな感じで主にアヴァンギャルドとポップの中間みたいなことを
していたら、別の友人が「TEACのオープンリールのMTRを買ったから」
っていうことで、カセット版MTRを譲ってもらうと、
今度はピンポン録音っていう技を覚えて、音質の維持さえ気にしなければ.
無限のマルチトラック環境が手に入ることになる。

やがて、自前でも4チャンネル〜8チャンネンルへと、様々な
MTRを買い替えたり、シンセサイザーやサンプリングマシン、
シーケンサから、最後はAppleのマッキントッシュで
パフォーマとかノーテーターロジックなどのシーケンスソフトや
作曲補助ソフトまで…録音環境はみるみる向上するのだが、
ふと考えてみると一番クリエイティヴで、内容が充実してたのは
案外、いい加減な機材で、セロテープを切り張りしたり、
逆回転させたり、逆転エコー等々試行錯誤してた
実にアナログな時代だったかなあ…なんて思うのだ。

そんな時代に、目標にしてたのが、何と言ってもローリーアンダーソン。

このオースーパーマンみたいなサウンドの断片をアイデアの赴くまま
たくさん作って、それを編集して、くっつけたり切り離したり、
ループを作ったりする作業…楽しかったなあ…。

いずれにせよ、バンドとはまた相当趣きが違う、誠に自分勝手で
自由気ままな創作活動の、そのヒントがふんだんに詰まった
ローリーアンダーソンの曲は、ホントによく聴いたなあ。

Laurie Anderson - O Superman


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4 Comments

ギターマジシャン says..."ローリー・アンダーソン"
あいにく、この人のことは知らなくて、ネット検索しても、ルー・リード関連でヒットするものが多いので、この曲以外もYouTubeで聴いたところ、打ち込み系の楽曲で、パフォーマンスもメインのようですね。

ヨーコほど奇抜なパフォーマンスではないですが、MTV全盛時に一世を風靡したようなスタイルで、曲とあいまって面白いです。

多重録音のこと、リンガフォンのカセットを使ったり、単純に1台で再生しながら、もう1台で録音するとか、昔は、音質も気にせず、よくやりました。
2017.10.08 02:12 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."ギターマジシャンさん まいどです"
ローリーアンダーソンは、80年代初頭、ピーターガブリエルに比肩しうる
ハイクオリティなサウンドクリエイターとして、雑誌サウンド&レコーディング(!?)
周辺のファンには、最重要なアーティストでありましたが、結局ガブリエルと
共演してしまうなどで、なにかわけがわからなくなってしまいました...。

ケイトブッシュがね、それに近づこうとしてましたが、ローリーの貫禄には
遠く及ばなかったように思います。

最初は、まさしくドラムサウンド等のベーストラックを派手にならしながら、 
唄い、ギターを弾くってだけだったんですけどね....どんどんいろんな欲が出てきて
止めどない感じになっちゃいましたが、本文にもあるように、案外、初期の
何にもなかったときの方が、創意工夫に富んだおもしろい作品ができてたりします。

機材がそろうと、音質クオリティにばかりに神経がいってしまって、音楽的野心からは
ずいぶん離れたものになってしまいがちで、結局つまらない作品になりがちでした...。


2017.10.08 13:15 | URL | #- [edit]
つかりこ says..."おばんですー"
秋田弁は、名詞がなんだかわからないものが多くて
(動詞や形容詞もなんだかわからないけど・汗)、
相手に気を遣ってもらわないと、ホントに何を言っているのか
わからないですよね。(現代っこはそうでもないのでしょうけど)

アラブ系、語学を習うだけで公安が出てくるんですね?
へー、公安って、ちゃんと働いているんですね。
(そこじゃない?)

駆け出しの頃、3部屋あるアパートを友達と折半で借りて
住んでいました。(いまでいうシェアハウス?)
その同居人が天草出身でした。
ラッキーにも、なまってませんでした。

中学~高校の頃、バンドの仲間とオリジナルを作る時に、
カセットテープレコーダーを2台用意して、
「録音したものの再生に実演を合せてそれを録音する」
を繰り返して多重録音をしたことがありました。(笑)
3万円のギターを買うのがやっとで、
マルチトラックのテープデッキやミキサーなどは
買うのが不可能でした。
ライブ用のマイクスタンドなども木で作ったりしてましたねー。

デッキのヘッドの技やハイハットのディレイ技(?)
おもしろいですねー!
工夫のレベルが違います。
その辺が、プロになる人とお遊びの資質の差なんでしょうね。

音楽録音専門のスタジオには入ったことがないのですが、
CMやPVのMAスタジオなら幾度も入っています。
駆け出しの頃は当然アナログで、4トラくらいのオープンリールに
録音したものを映像に合わせてD2やスタジオ用のベータに
ミックスしていました。
テープは後から編集しにくいでしょ?
いまのデジタルよりはるかにタイミングに神経を使って
キュー出しをしていましたね。
それでも、コンマ数秒とかどうしても変な間を修整したい時は、
テープにヘッドをつけたまま手でリールをうにょうにょ回して
やばい場所を確かめて、テープをハサミで切って、
テープの長さを見てタイミングを合わせたりしてましたねー。(笑)
デジタルのいまは、波形を見て秒数を打ち込みでビッタリ
合わせられるなんて夢のようなハナシです。
先日も編集してきましたが、同じ内容の仕事が昔の1/5くらいの
手間と時間で終わっていますね。
その分、安くもなってしまっていますが
(はるかにクォリティが上がっているのに)。
音楽にとっても、映像にとっても、グラフィックスにとっても、
デジタル革命は、仕事が楽にはなっていますが、
価格破壊の原因なんですねー。
現代ッコは、そこそこのクォリティのものを、パパパッと、安く
作っちゃうんですけどね。
まだまだ、負けねーぞー!

ローリー・アンダーソンさん全然知らなかったです。
自身で曲を作っていたんですよね?
これは、前衛アートですねー。
いまでこそ、テクノやエレクトロなサウンドはたくさん
ありますが、こういううるさくないのもおもしろいですねー。
アメリカ人だというのが驚きです。
2017.10.11 18:06 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."つかりこさん 毎度です"
生まれてから、つごう4半世紀ほど住んだことになりますが。
やっと最近ヒヤリング(近頃はリスニングというらしいっすね)なら、
なんとか克服できたようですが、スピーキングは全然無理です。

MTR事始めは、私も同じようなものでした。マイクスタンドはモップの柄
でしたし、ミキサー(3ch)は自作で、タッパウェアがそのボディでした。

ちなみにですが、子供が渋谷の某放送局でMAやってるみたいですけど、
話を聞くと、おっしゃる通り、隔世の感が否めません。
プロツールズとファイナルカットあたりで、ぱぱっと仕上げちゃうみたいですけど、
業界の悪体質で、それでも夜遅くまで居残らないと、仕事してるようには
評価されないみたいです。どうもね、そこらの元凶は、我々世代の悪癖にあるみたいで....。

ローリーアンダーソンは、むしろアート関連とか業界関連の方々....早い話が
ホイチョイ関係の方々に異常に人気があったみたいで、日本のCMにも登場してたように
思いますけど、なんだかは忘れました。音数は基本的に少ないんですけど、
(侘び寂びに当時当人がハマってたらしい)とても感度の高い音楽を提供していましたね。



2017.10.11 19:22 | URL | #- [edit]

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