ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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創世記?

DSC07125.jpgLeitz ELMAR 5cm/F3.5 (1939)

毎度同じような写真で申し訳ない….。

当然ながら、現代レンズの超精彩な表現力には
遠くおよばないけれど、85年ほど前に開発され、
その時代、世界中の、貴族も、成金も、軍属も、
市井のあらゆるカメラ好きが憧れた、その独特の陰影を象る
世界観というか、やや癖のある表現力を、
厳密にいえばフィルムではないから、そのものズバリでは
決してないのだけれど、ギリギリ近づけている実感が、
なんだかとっても嬉しいのだ。



我が県の男子中高生の野球部員率と、女子のバスケ部員率は
全国第一位らしいのだが、サッカー部員率は、何と47位…。

個人的には、そんなちょっと情けない県下でも、
一応は強豪といわれる中学サッカー部に、私は身の程知らずにも
入部してしまうのだ。

サッカー部は、その時期まさに全県優勝校の
ディフェンディング・チャンピオン。

その翌年から全国大会が始まって、私の一コ下の学年は、
全国ベスト8(優勝校にPK戦敗退)。

基本的に入部した一年生の一学期中は、ただただ先輩たちの
コンビネーション練習を横目で観ながら、我々はひたすら
グランドの周りを延々と走り続けるのみ。

格好だって、普通に体操着に、部で指定された、そこの薄い
運動靴。やはり自分たちとは違う集団を形成しグランド周回
し続けている、野球部新入生は、まだ野球の格好をしているだけに
体操着の自分たちには、プライドの欠片も無く、ただただ
惨めな気持ちで走っているのだ。

さらに精神的に追い討ちをかけるのは、何人かは、
小学生時代のサッカーエリートで、同じ1年生なのに、
我々とは別メニューで、先輩たちと練習の輪に加わることが
赦されてるから、粛々と走りながらも、
それが羨ましくて仕方がない。

俗に下級生や補欠は「球拾い」などといわれるけれど、
我々レベルは、球を拾っても、それを蹴り返したら、
別の蹴りが飛んで来る。丁寧に手で拾って
手で返さなければならぬのだ。

我々がボールに触れられるのは、練習終了後、
一年坊が各自、部のボールを持ち帰り、入念に磨く為に
持ち帰る時のみ。

だから帰宅後、または帰宅前に、既に日も落ちかけて
薄暗いグランドに居残って、そのボールを各自が自由に蹴って
練習することが、可能になるのだ。

さてボール磨きである。今と違ってサッカーボールは、
数日で表面の白い塗装が剥げてしまって、牛革の地の
ベージュが露出し、さらにそれが茶褐色に変わり、
黒色の五角形と本来白色の六角形の区別がつかなくなるくらいの
色目になる。

我々の伝統(?)は、ワックスなどは一切使わず、唾を掛けて
乾拭きし、焦げ茶のテカリと風格(?)が出るまで
強く磨き続けるのだ。

しかし、そうそう唾など出ないから、ついついお茶を飲むなどして
無理くり唾をかけるのだが、水分が多いと、光沢が出てこないから
不様な感じに仕上がってしまうと、翌日、ボール検査委員?の
2年生部員に「たるんでる!」だの「お前の一生懸命さが見えない!」
などとキレられては、パーで殴られる…。

ちなみにパーは勿論「微罪折檻」。
重罪というか、先輩の怒りを買ってしまえば、容赦なくグーで殴られる。

大概は、挨拶が悪いとか、態度が横柄だったとか、
先輩の言いつけを守らなかったとか…。

基本的にグーで殴られると、一瞬口の中が切れて、
血が出るけれど、すぐに止まるし、痛みも続かない。

ところが、夕飯中に急にしみて痛みだしたり、翌朝
腫れてたりもするが、それを問題化させることは無いまま、
それでショックを受けた者は、静かに部を辞めてゆくだけ。

それでも辞めずにいる者は、そんな先輩たちに対して
たぶん生まれて初の感情「殺意」さえ抱くこともあるけれど、
こんなに苦しい練習を、これまでしてきたのが無駄に終わるのが
悔しい(走っただけだが)…たったそれだけの理由で、
またひたすら走り続けるのだ。

そうしたわけで、4月の段階で50人はいた新入生も、
市内のリーグ戦が始まる6月頃には、20人くらいに落ち着くのだった。

そして、その20人のうち、大体自分が、スキル的にどのくらいの
位置にいるのか?が、なんとなくわかってくる…。

うわあ、ヤバいぞ…たぶん自分よりヘタクソは、
下には3人くらいしかいないぞ!っていう、
絶望的な位置から始まって、後は個人練習も含めて、
強烈な向上心を持って、自分を鍛えつつ、一人越し、二人越し..
そういうことを実感しながら、ただひたすら、イヤラシいけれど、
ライバルを蹴落として行くしか無い。

生まれて初めて先輩たちに対しての「憎しみ」「殺意」を
経験した後、今度は仲間同士の「熾烈な競争」を、
ここで経験するのだ。

20年後、私は大人のサッカー部を作るのだが、
その時の心情は、みんな仲良く、心からサッカーを楽しめるチーム!
だったが、その心情は、中学時代の熾烈な競争論理=
チームメイト愛?イヤ、みんな白々しい笑顔で接しているが、
本質は、転けてしまえば嬉しい「ライバル関係」。

そんな経験と、トラウマが下地になって、そう言うことから
出来るだけ離れたかった心情からのものだったと思う。

やがて、リーグ戦が始まると、さすがに一年坊たちのモチベーションは
突然最高潮を迎える。やはり試合になると、普段は殺意を抱く
ような粗暴な先輩達も、やはり同じチームの選手という一体感が
奇しくも生まれてしまうのだ。

自分は、今はまだオフサイドも良く分からないぐらい
何も出来ないけれど、早ければ来年にも、同じピッチで
チームの為に働くのだ!活躍するのだ!と一年坊のモチベーションは
マックスになるのだった。

そんな感じで、中学一年坊の、長い長い一学期は終り、
さらに怒濤の夏休みを迎えるのだった…。



そんなサッカー三昧の日々も、だんだんと時間のマネジメントが
器用に出来るようになると、結構レコードを聴く時間も、
ギターを弾く時間も、その他諸々、英語塾にだって通ってたし
様々なことが、随分とどん欲にできるようになるから、
今にして考えても、その多忙さたるや、どうやりくりしてたのか
謎でもある…。勿論深夜も、ラジオにかじり付いて聴いてたし…。

そんな中、何故だかこの頃に初めてマイルスのレコードを買っている。

On The Corner…

実際には、小学生の頃に、既に家には、マイルスの「Kind Of Blue」や
「Nefertiti」が何故だか置いてあったから、なんとなく
聴いてはいたけれど、それはあくまでもコンテンポラリーな
ジャズトランぺッター=マイルス・デイヴィスのサウンド…。

勿論「モード・メソッド」なんて当時は全く分からない。
今でも、分かったような分からないような、情けない感じだけれど...。

70年代になると、ロックビジネスが突出した産業に成長。
それにうまく乗じてマイルスも売り出そう!って分けで、
ロックフェスなんかに出演が多くなり、どうしたわけか
ひたすら8ビートのエレクトリックサウンドに傾倒するマイルスと、
産業界の思惑その通りに、うまいこと誘導される
日本の最果てのサッカー少年の中坊…。

そういうわけで、ある日、ゲバ学生だった叔父も、
無事大学を卒業して、給料取りになると、

「おい、レコード買ってやるぞ!何が欲しい?」

っていわれると、ちょっと叔父に対して背伸びしたくなって、
このレコード(最新盤)を所望したというわけ。

まあジャズレコードは、その少し前に「リターントゥーフォーエバー」
を入手してたけど、今考えてみると、RTFもマイルスも正当な
ジャズじゃなかったかもね….?。でも自分たちの時代は確実に
こうした電化サウンドが、まぎれも無く最新最先端のジャズだったことは
もはやいうまでもなく、何故だか誇らしい気持ちと、ホントはとても
厄介なサウンドと格闘していた中坊なのである。

Miles Davis - Black Satin


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6 Comments

バニーマン says...""
こんばんは

『ビッチェズ・ブリュー』と『リターン・トゥ・フォーエヴァー』とキースの
ケルン、サンタナの「フェスティバル」、ジェフの『ワイアード』なんかが
ごっちゃになって、新しいジャズ?と言われた時代がちょうど中学生の時で、
洋楽に目覚めたロック少年には、ある意味分かりやすいジャズ?でした。

ナベサダがCMで一般的な人気者になったのもこのころかな・・・。
あの化粧品は買いませんでしたが、レコードは友人の誰かが買ったはずで、
まったく爽やかで気持ちが良かったです(笑)

フージョンとかクロスオーバーとかいう言葉が一斉に出てきた時代でした。
2017.11.09 22:33 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."バニーマンさん まいどです"
BRAVAS...ですね。私も買ったことありません。

僕は、クロスオーバーとかフュージョンっていう音楽は、
存在しないもので、あくまでも言葉の誤用だと思ってます。

モダンジャズですら、あんなのはジャズじゃなくて、無国籍音楽だ!
っていわれた時代もあったと聴きます。ジャズもロックも、様々な要素を
取捨選択しながら進化して行く音楽で、おっしゃるように、マイルスもチックコリアも
キースジャレットもサンタナもジェフベックも....そうした音楽の
言わばパイオニア的存在であるというのが実態で、あくまでもマイルスミュージックで
ジェフベックミュージックが正解であると思います。

マスター(貞男さん)も、元々はアフリカンビートに熱中して、自らタンザニアに旅行して
音楽的収穫も多かったように思いますが、それがいつの間にか、産業的な機構に組み込まれて
ちょっと浮かれきったフュージョン時代に結びついてしまい、ご当人も随分反省されたようで、
すぐに本分の演奏活動に戻られてましたね。あの頃のアルバムを何枚か持ってますが、
ちょっと今は軽すぎて聴けないですし、ご当人も聴いて欲しくないだろうなあって思います。
2017.11.09 23:53 | URL | #- [edit]
ギターマジシャン says..."エレクトリック・マイルス"
ビッチェズ・ブリューのサウンドは、ネフェルティティからとするのか、イン・ザ・スカイからとするのかといった話もありますが、1969マイルスの段階でも、まだモードジャズ、モダンジャズの片鱗があったようにも感じます。

オンザコーナーは当然、ビッチェズブリュー以降なので、アドリブよりもリズムの絡み合いががメインで、アガルタ、パンゲアにつながる作品だと思っていましたが、この曲は、復帰後のマイルス、特に「デコイ」あたりまで先取りしていた気がします。
2017.11.10 19:19 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."ギターマジシャンさん まいどです"
全くおっしゃる通りで、ビッチェスブリューは、まだね、 モードっぽさが残ってますよね。
我が仲間等にいわせれば、ジャックディジョネットの存在が、マイルスをビート志向に
向わせた!ってことになるようで、思えば、自分にとっても、ワイト島のロックフェスあたりの
キースジャレットがノリノリでエレピ弾いてるヤツ....あの辺りが、電化マイルスの
始まりだったように思います。

80年代のマイルスは、実はあんまり得意ではないので復帰して2〜3作は聴いてましてが、
後はちょっと不案内な自分です。勿論ヒップホップも全くの門外漢....
今後のテーマかもしれませんが....。
2017.11.10 20:50 | URL | #- [edit]
つかりこ says..."ちはーす"
昔の部活って、そういうのが当たり前でしたよねぇ。
ブラック企業、みたいなもんです。
僕は、部活って、実力主義ということと、
そういう縦序列の封建制や、バカな年上の言うことを
とりあえずは聞いて折り合いをつけることを学ぶ
ための組織活動だと思っています。
世の中、そういうもんですよね?
そういう環境が当たり前で、その中で、さあどうする?
というのが生きていくということなのでは?

いまなら、下級生のモンスター親が出てきて、
「ウチの子にもボールを蹴らせなさい」なんて
クレームをつけるんでしょうね。
だから、社会に出てから仕事がきつくて
自殺するもんが出てきたりするんじゃないでしょうか?(汗)


マイルス、
'50年代前半あたりはハードバップでしたねー。
往年のジャズファンは、この時期のマイルスが
好きなんじゃないでしょうか。
というか、ジャズ全般において、
この時期以前のジャズまたはこの時期のジャズの
継承が好きなんでしょうね。

そう、この頃の演奏方法いわゆる「コード奏法」
というやつですね。
でも、完全に違和感を感じないクラシック音楽の
コード転回(ダイアトニック)よりは複雑で、
置き換え可能な「代理コード」の範囲も含めて転回して、
メロディは “コードの構成音を弾く” という奏法ですね。
世の人が不快な気持ちにならずに聴けるポップスや
ジャズのほとんどはこの考え方ですよね。

マイルスの'50年後半は、いわゆるモードジャズですよね。
『カインド・オブ・ブルー』のことですよね。
モードジャズは、雑な言い方をすれば、
意図的に “コードの構成音以外の音を弾く”
ということでしょうか。

個人的な感覚で言えば、マイルスの
スタンダードジャズ時代のコード奏法と
その後のモード奏法は、織り交ぜられながら
死ぬまで続いたと思っています。
和音や旋律の後付け理論だけで言えば、
その先を開発できなかった。
ただ、カテゴリー的な音楽の “スタイル” が変わって
行ったのだと。

そのスタイルの変わり目は、
『マイルス・イン・ザ・スカイ 』のような気がします。
それまでは全パートがモードモードしていたのに、
ドラムに少しビートがきいて来たように感じるからです。

で、『イン・ア・サイレント・ウェイ』あたりから “電化”。
このアルバムがいわゆるクロスオーバーっぽいのは、
キーボードやギターがそれまであまり上記の奏法で
出っ張っていなかったところへ、チック・コリアと
ジョン・マクラフリンがぶちかましたところに
起因していると思います。
そのおかげで、理論的な奏法としてのジャズとしては
変わっていないのですが、全体のエモーションが
ジャンプというか変化して、その後のジャズ音楽に
ものすごく大きな影響を与えたと思っています。

そして、『ビッチェズ・ブリュー』。
これは、電化した世のジャズメンに、いわゆる
「クロスオーバーやフュージョン」と「電化したジャズ」
の2つ分かれ道を示したアルバムではないかと?
マイルスは後者を選んだわけです。

でも、同志のジョン・マクラフリンやチック・コリアや
キース・ジャレット、ハービー・ハンコックらは、
儲かるもう一方の道へ行っちゃったってことでしょう。(笑)
それで、『オン・ザ・コーナー』あたりをピークにして、
'75年にはファンクっぽいのをやったりして、
あっちの道への誘惑にグラグラしながら活動休止した
というところでしょうか。

それで、復活アルバムが『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』。
これで、マイルスフリークはどんなことをやるんだろうと
期待していたはずですが、'75年時代とあまり変わらない。
それよりももっとフュージョンぽいんじゃないの?
ということで、ジャズ好きのおっさん達をがっかりさせて
いたのを思い出します。

ヒップホップ?
以後の活動内容については、僕も全然知らないんです。

マイルスの生き方をみて、ジャズって何なんだろう?って思います。
理屈で言えば、いまんとこポピュラーコード奏法とモード奏法を
取り交ぜた楽曲ということになるのでしょうけど、どれも後付け
理論ですもんね。その時代時代で、新しいことをやろうとして
そうなっただけですよね?
おっしゃる通り、クロスオーバーとかフュージョンという言い方は
現象を捉えた言い方で、音楽のカテゴリーの名称としては
少し狭すぎる意味ですよね。

新しいジャズを聴いて「これは、ジャズじゃない」
という言い方をする人がいますが、
型にハマらない音楽をめざすジャズを
型にハメた言い方ですよねぇ?
じゃ、型にハマらない音楽をジャズというのか?
と言えばそうでもない気もするし・・・

ものすごく長いたわごとになってしまいました。
すんません
2017.11.14 14:48 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."つかりこさん まいどです"
部活...おっしゃり通りなんですけどね、逆効果として、
一般社会では、どんなブラックな企業でも、体罰はまずあり得ないし、
理不尽極まりない上級生(上司)の要求というのもないわけで、
「あの時よりはマシ」ってな、変な妥協から、ついついブラックの深みにはまる....。
自殺はしないけど、精神病んじゃったあ...みたいなことにもなり得るわけで、
精神修養というか、縦社会訓練というか.そうしたこともどんなもんかなあって
思うこともあります。

最近同窓会で会ったサッカー部時代の同僚によると、当時一番凶暴だった上級生が、
高校にも居て、やがて大人になって、地元スポーツ少年団のサッカーの
コーチに彼はなるんですが、そこにもそいつが居て、遂にはそいつが協会の会長に
までなる...でも間もなく還暦な彼は意外なことを言ったんです。

「中学の時のあの屈辱と殺意は、一生消えないよ!」って...。

コード(スケール)は別にして、モードもそれなりに学んで、使えてるフリを
確かに自分もしていた時期がありますけど、実は全然身に付いてないから、
常に、計算とか、公式みたいなのものを頭に浮かべながらの苦しい音楽作業....。
そんな感じで、あんまり思い出したくない記憶です。マイルスはそんなことないでしょうけど、
ああ、もうイヤだ!めんどくせえ!って全部放り投げて、リズムの海に逃げ込んだ!!
そんな気も実はしない分けでもなかったりします。
2017.11.14 16:00 | URL | #- [edit]

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