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ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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12月の雨の日...の午後

DSC00847a.jpg
P.Angenieux Paris Anastigmat 45/f2.9(L)(1949)

のぞみ〜る...彼女以上の郷土の星は、
当分出そうも無いのかな??



ちょうど世の中がミレニアムがどうしただと
賑やかに騒いでいた年の5月に、父が亡くなった。

実は3月頃から、父の状態が思わしくなくて、
あと長くて1~2か月…急いでお別れを済まされた方が…
と、父の主治医から宣告されていたから、
我々東京側の家族も、かわるがわる…私は毎週末に
新幹線やら飛行機で秋田入りするような生活となっていた。

父は、最期は肺の病気だったから、なにしろ咳が酷くて、
夜中も物凄い騒音を発する為、病棟から少し離れた個室に
収容されていたのだが、それでも音は漏れるから、
私たち家族の仕事の半分は、他の病室の入院患者さんたちの
苦情に対するお詫びや、ご挨拶など…。

結局、5月のGWの最終日に、また来週来るからね!
っていって、家族皆でお別れをして、一旦、新幹線最終便で
東京に戻る途中の、仙台通過あたりで、父の死の報に触れる。

翌朝、出社して、葬儀が終わるまで休むこと、
案件の引き継ぎ等を済ませて、秋田へトンボ帰り…。
長男なので喪主として通夜、葬儀を取り仕切るのだが、
何しろそれがトラブル続き!。

とにかく酷かったのが「ナマグサ坊主ども!」。

何やら多忙中?!とのことで、1週間ほど待てというし、
(比叡山かどこかで修行?というが。家族旅行が実態らしい…)
代理(僧侶)で良いから前倒ししてくれ!と頼んでも、
一向に受け付けない。1週間してやっと登場かと思ったら、
今度は斎場と寺との格が違いすぎるとかで、斎場側と
作法や設備を巡って揉める一幕まであったりする。

結局、葬儀は坊主数名帯同による、生前の父の
実直で質素を旨とする思想には見合わないような、
不要に豪奢な式になってしまった。

結局ナンダカンダで10日間ほど会社を休んで、東京に戻り
出社してみると、会社の様相ががらりと変わってしまっていた。

なにか金融的なトラブルに見舞われたらしい…。
経理担当者に説明を求める…銀行にハメられた?騙された?
裏切られた??どういうこと?いずれにせよ、
我々営業サイドの全く与り知らぬ、投資部門において、
なにやら壊滅的被害に見舞われたのは確からしい。

それからちょうど半年間、私は迷惑をかけそうな企業様方に
状況説明に回りつつ、様々な対策を講じる一方で、金策に走る…。
銀行や金融機関には、企画書や報告書、諸々の趣意書の類いを
毎日のように作成して、提出しまくり、延命措置の日々…。

IR部門以外の社員は全員残って。それぞれの持ち場で踏ん張って
くれていたが、社長はもう人相が代わり、明らかに生気を失っていた。
日頃から何もせずに、文句ばかりの役員どもは、
「自分はもう知らない、関係ない!」と、責任回避の弁のみ。
まあ自分の中ではとうの昔におさらばしていたけれどね。

そんな日々が半年続いた。
2〜3日前から、社長は既に行方不明になってたようだが
誰も捜そうともしてなかった。
その日、決済の為の資金も、持って行ってしまってたから…。

もうすっかり疲れてしまった。

ああ、もう…いいんじゃないかな…

部下たちに自分は初めてそう呟いた。

すると部下たちは言ったのだ。

もういいんじゃないですか?
俺たち、随分、頑張りましたよね。
そろそろ楽になりましょうよ。

半年間、じたばたしたせいで、破綻だ解散だといっても、
もはや驚くものは誰もおらず、思った以上に粛々と
破綻処理は進められた。

倒産ではなく、任意解散となったよ…。

あまり役には立ってくれなかった弁護士がそう云ったが、
だからどうしたの!?って心境だった。

それまでに何度も目撃した怒号や罵声や、タチの悪い連中
による傍若無人な恫喝も何も無く、逆に最終的にいくらか
迷惑をおかけした債権者の方々に「オマエらよく頑張ったな」と
激励されてしまう始末。

そして社員たちは、皆それぞれにそうした同一業界に呼ばれ、
転職して行った。

私にはいくつかの選択肢があった。
驚いたのは、銀行が資金的にバックアップするから、
そのまま営業部分のみを残して、独立開業しろという提案…。

だったら潰さずに経営陣だけどこかに追っ払ってくれたら
それで良かったのに…何て恨み言を云いつつ、自分はなんだか
もう疲れきってしまって、なんとなく、別の仕事がしたくて、
2年がかりで誘われていた元部下の会社に副社長待遇で
加わることになるのだが、これがまた大きな間違い…。

2年経った時点で、このままだと命が危ない…
そんな危険な状態に成り果てるのだった。



自分は、何しろ中学時代は洋楽一辺倒で、日本のフォークとか
ロック(?)とかは、むしろ「敵だ!」くらいに思っていたから、
高1で初めて聴いた「ユーミン/ひこうき雲」はもう天と地が
ひっくり返るほどの大衝撃で、それからやっと「はっぴいえんど」に
行き着いた時は、既にはっぴえんどは解散状態だった。

だからたぶん初めてリアルに聴いたはっぴいえんどの「音」は
恥ずかしながら、1973.9.21の解散コンサートの実況盤が
初となって、その中でもやはり当時最も印象深かかったのが、
この曲ではなかったかなあと思う。

うわあすっげえ、モビーグレープみたい!って。


水の匂いが眩しい通りに
雨に憑かれた人が行き交う
雨上がりの街に 風が不意におこる
流れる人波を 僕は見てる

なんだこれ…詩…なのか?
国語力半端ねえ…そんな感じで、なにもかもが新しい!
って、そんな感じだったな。

はっぴいえんど - 12月の雨の日(たぶん1970年中津川フォークジャンボリー)


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10 Comments

oyajisann says..."プチご無沙汰"
プチご無沙汰です。
私は中学の頃は購入は洋楽一辺倒というよりビートルズ一辺倒
親からもらうこづかいと昼飯のパン代でやっとレコード買える状態。
それでも悪い取り巻きがフォークやってたので拓郎や加川良とか
は良く聞いてました。洋楽聞くのは当時少数。
はっぴえんどは岡林のバックで知って「ゆでめん」FMラジオで聞い
て本格的聞いたのはセカンドから風を集めての詩が好きでした。
2017.12.15 18:42 | URL | #eTRrWisM [edit]
バニーマン says...""
はっぴいえんどというと、僕の場合どうしても細野さんに
偏りがちで、風をあつめてと夏なんですばかり聴いてします。

そもそも彼等の曲を聴いたきっかけは、名古屋のセンチがはっぴいえんどの
カバーをやっていて、それが初めてだったような記憶があります。
それも風をあつめてを聴いたと記憶しているんですよね。
で、オリジナルのほうも聴いてみようかな~というかんじです。
2017.12.15 19:18 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."oyajisannさん まいどです"
自分の基本的に同じような感じの中学時代でしたね。
ただ、わりと図々しくて、誰それが何のレコードを買ったらしいぞ!
って情報が入ると、クラスも違うし、話をしたことも無いのに、
やあやあ、友達だろ!貸してくれよ....だめ? それなら君んちに行くから
聴かせてくれよ!....そんな感じでしたかね。

確かにフォークブームでみんながたくろうだの加川良だの、古井戸だの
RCだのと大騒ぎでしたけど、自分はなにくそってかン時で洋楽一辺倒...。
そもそも同じ2000円でなぜ、四畳半でローコストなLPを買わねばならぬのだ!
って思い込んでましたから、もはや損得勘定でもあったわけです(笑。

風をあつめて...は、当時は誰も知らなくて、むしろ、抱きしめたいとか、
春よ来いとか、ゆでめん系の楽曲こそ、はっぴえんど?ってうっすら覚えはありますね。
2017.12.15 19:54 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."バニーマンさん 毎度です"
自分もそうですよ...実ははっぴえんど時代の大瀧さんの、12月〜もそうですし、
はいからはくちとか抱きしめたい、春よ来いなんかの、どすの利いた声は大好きですが、
後のナイアガラ的な甘い声の大瀧さんは、本当のところ、ちょっと苦手だったりします。

センチって、センチメンタルシティロマンスっすか??浅草でZappa & Mothersの
前座で出てきた彼らの演奏を初めて聴いて、一時チョイトおきにのバンドだったように思います。

自分はどうでもいい話ですけど、「風〜」より「夏〜」の方が2,7倍くらい好きです。


2017.12.15 20:06 | URL | #- [edit]
面白半分 says...""
あー、今月雨が降ればそれが12月の雨の日なんだなあと本記事で気づかされました。

こちらは中途半端な田舎なのでこの詩のような情景にならなそうなのが残念です。

2017.12.15 21:55 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."面白半分さん まいどです"
こちらはど田舎なんで...「.風をあつめて」の世界観より、「夏なんです」が近いんです(笑。

まあ、不安な気持ちを残したまま、街はDing Dong遠ざかって行くのは全く無理ですけど、
雨上がりの街に風が不意におこるだけの環境くらいは、この田舎町にもあるかなあ....なんてね。



2017.12.15 22:56 | URL | #- [edit]
つかりこ says..."こんちはー"
初めて聴いた時は、「なんだこりゃ?」と思いましたねぇ。
世間では、ベタなラブソングか、思想めいたというか説教じみた
メッセージソングが流行りの時代でしたので、ロック界の
「ホトトギス派」みたいな歌詞が理解できなかったんですね。
(本人たちは、歌詞に興味があったのかなかったのかわかりませんが)
その後'80年代に入って、大瀧詠一さんの『A LONG VACATION』が
ヒットしてから、再結成するなどはっぴいえんどのリバイバルブームが
ありましたよね。
その頃に、中古レコードでまた聴くようになって、
やっと、そのすごさがわかったつもりでいました。
(あくまで、つもり)
音的には、やっぱ細野さんの才能がキラリですよね。

いい感じの写真ですねー!
冷たい雨の日の空気ががっつり伝わってきます。
希ちゃん、大好きです。
生駒ちゃんも人気ですがね。(汗)
2017.12.16 12:54 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."つかりこさん まいどです"
中学生くらいの時に、日本のロックの歌詞の「英語か、日本語か?」っていう
論争があって、英語派の代表が内田裕也氏で、日本語派がはっぴいえんど...つうか
大瀧サンだったかな....。で、私って、今じゃあ完全敗者な英語派だったんです!

裕也さんの今のお姿も含め、ハチャメチャな論理展開と、頑固一途さで
英語詞を押してるんだろう的にみられがちですけど、意外と論は筋が通っていて、
「これから日本のアーティストも世界市場を目指さねばならぬ時代に、いつまでも日本語詞に
固執するのもナンセンスではないか??」って言う、ある意味の正論!。

ところが、実際には、そんな正論は無視され続け、以来40数年、相変わらず
日本の音楽は超ドメスティックな国内仕様に縛られ続けるわけです....。

「ホトトギス派」か「アララギ派」か良く分かりませんが、確かに初めて聴いたときは
とっても古臭い、特異な感触で受け取りつつ、なんだかこれが新しいんかなあ...何てね、
まあ、自分が聴いたときは既にはっぴえんどは、超オシャレなキャラメルママだったり
三ツ矢サイダー=ナイアガラだったりと「第2形態」に変化してたわけですけどね....。


2017.12.16 15:20 | URL | #- [edit]
ギターマジシャン says..."はっぴいえんど"
はっぴいえんどは名前だけ知っている伝説のバンドのような存在で、ティンパンやキャラメルママの方を先に聴き、その前身だからと想像していた音とも違っていたという自分です。

大瀧詠一は「ロングバケーション」、細野晴臣はYMO、鈴木茂はニューミュージックの編曲や演奏、多少遡って「バンドワゴン」、松本隆は松田聖子をはじめとするヒット曲の作詞家という感じで出会っていて、イベント的な再結成の時に、ようやFMで聴いたというくらい、それも流れてきたのは、「風をあつめて」だったような。
2017.12.17 07:34 | URL | #- [edit]
pipco1980 says..."ギターマジシャンさん まいどです"
自分は未だに「ロングバケーション」な世界はは苦手で、はっぴいえんどの多羅尾伴内と
大瀧詠一は別人?って感じたほどでした。
細野さんも大尊敬するアーティストですけど、YMOだけはちょっと黒歴史ですかね。
茂サンは、セッションマンとして彼ほど優秀な人はいないんじゃないかって思います。
松本隆サンはもはや言うにおよばずですけど、はっぴいえんど時代のドラマーとしては
さほど上手じゃなかった割には、説得力ある独特の叩き方だったなあって思います。
2017.12.17 11:14 | URL | #- [edit]

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