ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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重い道...

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

高校生の時に、同じクラスなのだが、
何故か2歳年上の仲間との音楽談義の勢いから、
「ロック&ジャズ」のミニコミ誌(今で言う同人誌?)
を作ってみることになった。

最初は二人だけで、いろいろ意見を出し合い、
生徒会の備品である「ガリ版」を、こっそり拝借しつつ、
何しろ取り急ぎ「創刊号兼パイロット版」を作ろうと
いうことになるのだが、創刊号のテーマは、
なんにも話し合うこともなく、阿吽の呼吸で決まっていた。

初号は「FRANK ZAPPA特集でいこう…当然じゃないか!」

ところがだ…そんな強い思い入れのわりには。
当時まだ何処にも、ZAPPAを特集した雑誌記事など
見掛けたことがなかったし、第一、きちんとした
ディスコグラフィさえ、我々はまだ知らないでいた頃である…。

相棒がその辺はさすがに早かった。

「いたち野郎」っていうマザースのアルバムの日本盤の
ライナーノートを書いていたのが、当時ニッポン放送のDJ
亀淵昭信氏(後年ニッポン放送代表取締役)....。

亀淵氏に相棒は手紙を書くと、すぐに丁寧なお返事をいただいた。
内容は、ZAPPAに関する詳細なディスコグラフィ・データ
(デビューー作Freak Out~当時の最新作だった「アポストロフィ」まで)、
それに、願ってもなかった、彼の生の書き下ろしの、
感動的なZAPPA評論文を、添えてくれたのだ。

果たしてそれを掲載してよかったのか、ダメなのか、未だに
良く分からないが、とにかくそれを我々のミニコミ創刊号の
目玉記事として掲載したのである…。

ミニコミの名前は、今になるとちょっと恥ずかしいのだが、
ザッパにあやかった「Pipco Magazine」とするはずだったのだが、
そうなるとあまりにZAPPAに偏ってしまうではないか?という
意見もあったりして、相棒が考えてきたのがFREEの名バラッドの
「HEAVY LOAD」。

うーむ、創刊号からいきなり「重荷」っていうのも、
前途危うい感じだけれど、まあ時間もないし、それで行こう!
ということになって、早速、高校の「美術部」の、
一番才能を認めてたヤツ(!)に、ロゴデザインを頼むと、
3日間も待たせた割には、どうしたことか

「HEAVY LORD(重い神?)」

私はそれはそれで面白いんではないか?と主張したが、
相棒の猛反対に遭い(彼の家は敬虔なカトリック!)やり直し。

さらに3日後、「じゃあこれでいいか!」って、少々キレ気味に
美術部が再提出してきたのが、なんと…

「HEAVY ROAD」

重い道…。

ちょっと英国ブルースっぽいけど、もうこれで行こうや…!
いずれにせよ前途多難…ヤレヤレなのであった…。

さて、A4用紙3枚(計6ページ)で始まった我々のミニコミは
フリーペーパーとして、市内のアチコチのお店に置いていただくべく、
手分けして営業交渉が始まった。

無料とはいっても、ナニモノか素性が分からない、もしかしたら
お店の品位を著しく欠くような、エログロナンセンスな
ペーパーってこともあり得るわけで、最初はナカナカうまく
交渉が成立しない。

自分としては、人生初の「飛び込み営業活動」でもあったわけだが、
相棒は、意外にも次々と、行きつけのロック喫茶、ジャズクラブ
その他、学生が集まる喫茶店なんかを中心に順調に成績を
伸ばすのだが、自分は当初、もう絶望的なくらいに
サッパリなのだ。

そのうちにレコード屋さんや本屋さんは「絶対ダメ」っていうのが
何となく分かり始めると、楽器屋さんとか、ライヴハウスとか、
ちょっと不良仲間(?)に頼んだ「ディスコ」なんかに
ボチボチ置いて貰えることになった。

そんな感じで、不定期ながら4号を配布した頃に、
近所の国立大学の「生協組合(古本屋なんかも営んでいた)」
的なところのスタッフから、「この際100円くらいで販売すれば!?」
という要望と云うか、意見を戴いた段階で、
実は崩壊が始まるのだ。

既にラジオ局のDJさんや選曲やディレクター的な人、
人気ロックバンドのメンバー等、いわゆる地元著名人から、
執筆して戴けるような状態になっていて、A4-3枚から、
既に詳細は忘れたが、ナカナカのヴォリュームの雑誌に
なっていたから、経費的にも、カンパウェアなんかも戴いてはいたものの、
相変わらず持ち出しは多いし、執筆料なんかの謝礼も含めて、
有料化はもはや必然となっていたのだが、なにしろ我々はまだ
高校生である…。

配布先から次々と、そうなった場合の利益配分の問題とか、
何より「税務処理問題」を突かれてしまうと、もう我々には
お手上げになって、やむなく「運営実権」を大学側スタッフに
委任するしか無くなった。

しばらくは、執筆のみ、細々参加していたけれど、やがてそれも
縁遠くなって、気がつけば、関係性が全くなくなってしまった。

私はほどなく上京してしまうから、後のことはあまり知らないけれど
結局は、タイトルもテーマも変えられ、いわゆる佐野元春だの
大瀧さんだのと云う方向に大きくシフトしたらしい。

それから約10年後、業界の組合(?)から頼まれて、記事を
執筆するようになって、それがやがて編集全般に関わるように
なるのだが、業界的には、ほとんど脱線サブカル的な話題ばかりの
私のオバカ文章は、多くの真面目な執筆陣(社長さん方)の顰蹙を
買っていた様子で、やっぱり自然と、遠くへ遠くへと、
追い出されて行ったような感じ…。

実は根本的に、向いてないのかもしれないね。

そう言うわけで、FREEのHeavy RoadでもHeavy Lord
でもない、Heavy Loadを!

FREE - Heavy Load


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ウラハラ平和論

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

これを云ったら、たぶんアチコチから
怒られちゃうんだろうが…

日本は、仮に「憲法九条」の有り様を変え、
防衛費を今の100倍にしたところで、
いわゆる仮想敵国の方々にとっては、
「屁?」....とも思わないはずである。

巨大な空母も、高性能なイージス艦も…
なんだか、高価な大人のオモチャ…
そんな風に見えたのは、私だけではないと思う。

我が国における抑止力の全ては

米国の核の傘…

そんな状態だから、我が国は、万が一にも米国のゴキゲンを
損ねることなど考えもしない、
従順なポチであり続けなければならないのだ。

考えようによっては、世界一コスパの悪い「核の傘」
ということになる。

そうしたわけで、究極的な我が国の「国防」は
米国というヤクザな国とは、この際、手を切って、
自前の「核」を保有することに尽きるではないか!

そう言う観点でみれば、憲法九条なんて、
敢えて変えることもなくて、崇高過ぎる「美しい理想」の
今のままで、もはや充分なのである?

災害時の自衛隊!は、ただでさえ自然災害の多い日本には
もはや必須の、なくてはならない存在に違いないけれど、
もはや、九条で論じる「軍隊」としての「装置」では
実質的になくなってしまっていて、もっと広い意味の
国民の為の「国際救助隊(?)」「平和実行部隊」として、
新たにその崇高な存在意義を規定するのが、
未来志向の自衛隊のあり方なのではないだろうか。

何しろ、もはや「軍隊」という概念自体が前時代的。
この際日本が率先して、新しい実力組織のあり方を
世界に提示する時代なのかもしれない。

世界中の国々が、核保有、または大枠での核の傘=
防衛同盟化、もしくは集団的自衛権を世界の全域に
張り巡らすことで、たぶん、早晩「国家間の戦争」は無くなる。

北の青年が、どれだけ偏執狂的にミサイル発射実験をしたところで、
それはただの地味な花火大会…気にすること等全くない…。
所詮、実用できるものではないのだから。

「猿の惑星」って映画は、続だの新だの最終戦争だのと、
続編が作られるたびに、内容は薄くバカバカしくなるのだが、
ホントの最後ってのは、猿たちが崇拝する絶対教祖の
御神体を巡る話だったように記憶してるけど、
その御神体というのが、ネタバレだけど、
スタンバイ状態の「核ミサイル」…だったんだね。

実際には使えもしない核爆弾が、
世界に平和と調和をもたらすわけで
そういう発想で云えば、「核」はまさに「神」であり
「救世主」で「モンスター」に違いない。

我々は仮面ライダー世代でもないし、
ウルトラマンは既に世界観が少々、子供っぽく映っていた。
もちろん、マジンガーZでもガンダムでもないし、
宇宙戦艦ヤマトでもない。

「鉄腕アトム」とか「鉄人28号」が、幼児体験の最初!。

アトムはその名の通り、小型原子炉を持つAIロボットが、
どうしたことか、人間的な心を持ってしまう、
ある意味では「恐怖アニメ!」...。

ついでに云えば、妹は「ウラン」で、兄は「コバルト」…
まあ、なにしろ危険極まりない…。

鉄人28号は、「♫敵に渡すな、大事なリモコン…」
と、テーマソングのリフレイン部分で何度も唄われる通り、
操縦者の意志によって、善にも悪にもなる、
モロハノヤイバ…。

つまり完全なる「善」なんてのは、あり得ないことで、
「善」と「悪」は常に隣合わせのウラハラ…。

そんな風に「世界の成り立ち」を教わった
困った世代である。

日本の防衛…そして世界平和...
究極の選択は、もうすでに完成形の絵として
もはや誰でも知ってる状況なんじゃないだろうか。
口に出しては、いろいろ憚られて
なかなか云えないけどね…。



たぶん…自分にとっての最終兵器…いやいや...
最終的に「ソウル三羽がらす」の一角を成すアルグリーンの、
こちらは確実な最終兵器であるビートルズナンバーを、
本日はぶちかましてみたい!。

では、ソウル三羽烏の、別の2名は?...というのには
言わぬが花というところで…。
取りあえず、モータウン系の方々は入らないと思います。

この御仁、独特のグルーヴ感と云うか、タイム感? 浮遊感?
何だか良く分からないけれど、そのヘンテコさが何しろ大好き!

Al Green - I Wanna Hold Your Hand

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超低空飛行時代

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

20年には届かなかったが、それもそろそろ近いなあ…
という勤務期間を経た時期に、勤め先が経営破綻した。

理由は様々あるが、たぶん自分が知る中の
85%くらいは、金融投資の失敗にある。

バブルもとっくに終ってしまった頃、会社は最高益を挙げ
遅ればせのピークを迎えていた。

私のあだ名はあくまで「ブチョウ」だったが、実際には
「常務取締役」という立場になっていた。

そんなある時…その辺が中小零細企業の名残りだが、
役員会議等の承認を経ることなく、突然代表取締役の独断で、
メインバンクから出向者を迎え、当社の「経理部長」に就任した。

私より2つ年上のその男は、業界2位の都市銀行でも有能な
「IR部門の専門家」という触れ込みだったが、
当社のような社員数50人にも満たない、零細に近い
中小企業に出向してきたなんて、相当悲惨な「ポカ」を
やらかしたんだろうなあ?という噂が、当然立つのだが、
結局誰にもその辺の事情はは分かずじまいだった。

彼がすぐに手を出したは「デリバティブ」。
しかも「外国為替証拠金取引」、いわゆる「FX」と云う、
最もリスキーなヤツ。

安全運転第一の私は、当然「猛反対」している。

そしてその時に初めてその男と言い争うと云うか、
まともに会話するような感じだったのだが、
彼が私に言い放ったのは…

「アンタのような、リスクをとれないようなヤツに
 会社経営を任せるわけにはいかんのだ。
 会社は現在最高益を出してるのに、社員達の給料もボーナスも
 アップしてやれないのは、アンタらがリスクを一切とろうとしない
 無能者達だからだ!」

その時に、その男とトコトン話し合えば良かったのかも知れない…

しかしそれは後の祭り…自分の中に「その通りかもしれない...」
自分も個人的に、会社に対し相当の投資をさせられているものの、
まだ元金どころか配当すらまともに回収されてない。
そんな諸々の思い当たるところもあって、結局すこし
「静観しよう」…そう思ったのが、そもそもの大間違い…。

あっという間に、会社は大損益を出し、一挙に傾いてしまった。

代表は、それでもその男の古巣の銀行が、最後は助けてくれる...
そう信じていたようだが、結局、その銀行に当社は裏切られ、
「貸し渋り」&「貸しはがし」の二重苦で、
散々いたぶられた挙げ句、呆気なく経営破綻してしまう。

無論、経理部長様は、銀行に急遽呼び戻され、以降行方不明。

組織は社会的には消滅したが、営業成績や取引先等は、
何の毀損もなかったから、そのまま私の指揮で業務続行を…
何なら出資もするぞ…。と債権者達に云われるのだが、
自分もこの破綻劇で、数千万の貯蓄と不動産等の
財産らしきものを失っているし、債権者様(?)の
「人身御供」も、まっぴら御免!

そういうわけで、幾分、お気楽と思われた副社長待遇で、
新しく若い会社の基盤作りを手伝って欲しいという誘いに、
まんまと乗せられてしまうのだった。

新しい会社と云っても、建ち上げて既に数年経っていて、
部長も課長も、各支店(店舗)のエリアマネージャーも店長も
何人もいる組織….。

そんな中で、私は入社初日に会議招集した。

都内各店舗の営業終了後、本社オフィスに各店リーダー達が
集合したのが午後10時…彼らと自分は、傍系会社の若い子達
(ほとんど女性)ということで旧知でもあったし、
自分が(組織に)来るということで、皆喜んでる!
と社長から聴いていた上で、私の所信表明的な改革案を
ぶち上げるのだが、反応は意外にも冷ややか…。

「あれっ?」と拍子抜けしていると、エリアマネージャーの
まだ20代の女子が私にいみじくも云うのだ…。

「ごもっともな御意見ですが…それを突然ブチョーさん…
いや、副社長に云われても、店の子達には、

そうした改革の結果、会社を潰したのはどこの誰?...

そう感じると思うんですよ。私たちは副社長の実力や
お人柄等、充分に存じ上げ、尊敬してますが、
若い子達の不安とか、そう言うものを覆すだけのご覚悟…
そこをどう、お考えなんでしょうか…?」

周りのチーフやマネージャー達を観ると、僅かだが
首を縦に振り、同意をしているようだ…

どうやらそう考えてるのは、店舗の若い子達ではなく、
彼ら古株達のようだな…。

そうか…自分はまずはそこから始めねばならないのか…

破綻した理由なんて、彼ら彼女らにはどうでもいい話で、
自分という人間は、経営陣の一角として、
彼らの親会社を潰した、その張本人の一人であるのが、
彼らにはたぶん、唯一無二の真実であるのだろう。

そしてその日から、想像を絶する苦悩の日々が始まるのだ…

その内容は、とても暗くて、残虐性(?)も含まれるので、
またそうのうちに…覚悟の上で…。



そうしたわけで、90年代から00年代は、自分としては、
音楽とはとても縁遠い時期だったかもしれない。

ふと思い返しても、90年代半ばのほんの一瞬、
きらっと現れて、すぐに居なくなってしまったジェフバックリー…。
彼の才能には随分嫉妬…いやいや感動させられたものだ。

奇跡のような、たった一人でのカフェでの
凄まじい光を発していたライヴ盤と、この世のものとは
思えないほど美しい、名唱「ハレルヤ」を含むデビューアルバム。
そして来日公演…「また来年来るよ、絶対来るからね!」
そう云ってたのに、二度と帰らぬ人になってしまった彼…。

我が家の家人曰く、

「あんな美しい歌声の彼だから、天使に好かれてしまった…」

ちょっとわざとらしい台詞だが、リアルに納得してまう私であった。

和声を学ぶ為だけにバークリー音楽院に入学し、
コードの成り立ちを完璧にマスターしたら即退学して、
カフェで唄いだしたら、様々なレコード会社の担当者に発見されたが、
彼と契約できたのは、なんとColumbiaを買収して巨大化していた
日本のSonyレコードの、日本人A&Rマンだったそうだ。

しかも本社へのデモンストレーション用にカフェで録音した
2トラックのテープ音源が、こうして世界発売されることになって、
我々の耳にやっと届くわけで…

「なんだこいつ!?スッゲエなあ!えっ、放浪の吟遊詩人
ティムバックリー…彼の息子!?初めて買ったレコードが
フィジカルグラフィティと太陽と戦慄!?」

そんなだから、当然レパートリーもマニアック…
レナードコーエン、ボブディラン、ザ・バンド、ヴァンモリソン、
レッドゼッペリン、スライ&ザファミリーストーン、ヌスラット、
ニーナシモン、エディットピアフ、ビリーホリデー、ジョンレノン、
そして父上ティムバックリー…etc.etc…。

この曲はヴァンモリソンのソロ1stアルバムで、かつ大名盤でもある
「Astral Weeks」に入ってた曲。

彼の壮絶な歌唱もさることながら、唄とコードの関係性を知り抜いた
ギターテクニックがとにかく凄い!

Jeff Buckley - The Way Young Lovers Do (Live At Sin-é)

 
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集団の孤独

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

中学の同窓会があった。

出席者総勢175名…元々は500人ほどいたはずだが、
40数年目の同窓会のこの人数が、
果たして多いのか少ないのか?
冷静に分析等できないけれど、
半病人と云うか、たぶん20%に満たないくらいの
不穏な体調の自分には、あまりにも大人数過ぎて、
何をどう対応してよいのか、
ただただ面食らうばかり...。

一挙に数多くの再会や旧交を楽しむには、
あまりにタフな気力と体力が求められるようで、
ノンアルコールの、決して美味しくはない
ビール風味炭酸飲料を呑みながら、ほとんど
自ら席を立つこともない情けない状況の自分は
何だかちょっと、暗めの自閉症児みたいで、
自己嫌悪になりかける夜でもあった。

ちなみに自分がいたらしい中3時点でのクラスが
実に最も出席率が高く、度重なる写真撮影等、
仲が良い…盛り上がってる…等々と云われていたが、
このクラス…実のところ、「学級崩壊」していた。

担任教師との関係性が上手くいかなかった。

ことあるごとに担任とはぶつかって、遂には、
「オマエらなんか、早く卒業してしまえば清々するのに!」
そんな捨て台詞まで云われた記憶がある。

そんなこともあってか、たぶん我々のクラスだけ
一度もクラス会を開いてなかったし、良い想い出として
特筆するようなこともなかったように思う。

まあそれだけに、たぶん、これが最初で最後…
高出席率に繋がったのだろうと思う。

まあ…そんなことばかり考えながら、会場にいたわけで、
あれれ…自分ってこんな性格じゃなかったよな…?
体力の欠如は、性格まで捩じ曲げてしまうのか??

やっぱり…自己嫌悪だな。



同窓会中、あまりにも変わり果てた(お互いサマだが)
同窓生たちと、次々と談笑しながら思い出すのは、

「あっ、こいつからキングクリムゾンを教わったんだったな..」とか

「半ば強引に又貸しと知りながら、自分では買えなかった
ビートルズのホワイトアルバムを借りたら、そもそもの持ち主たる柔道部の彼に、
思いっきり首を絞められたんだった…」

そんなくだらないことばかり思い出す。

そして決定的なのが…

友達と三人でお小遣いを出し合って。待ちに待った
そのレコードの発売日、開店前から駅前のレコード店で
待ち構えて購入したピンクフロイドの「原子心母」の初回赤盤…

それを友人宅から半ば暴力的に「貸せ!」と云って持ち出し
そのまま、遂に返して貰えなかったと云う「その男」に
昨夜再会し、先方は「やあやあ久しぶり…」なんて握手を求めてくるのだが、
私は笑顔で握手に応じるものの、小声で「返せよな...原子心母!」なんてね、
聴こえないように云ってやった…。やっぱ暗いなあ、今の自分…。

ちなみに当時、高校生のお姉さんと一緒に「箱根アフロディーテ」の
ピンクフロイドを観に行ったぞ…「原子心母」がメチャメチャ
かっこ良かったけど、お天気が悪くて
夏なのに、とっても寒くて、ブルブル震えていた…

そんな、羨ましかった同級生に会いたかったが、
彼は残念ながら欠席…。

Pink Floyd - Atom Heart Mother(Hakone)



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結構な虐められっ子...だったかも?

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

近頃は、隠花植物のような生活をしているので、
いつの間にかの夏の日差しが、異常なほど眩しい。

さらに厳しいのは、また公園のベンチで
マッタリなんぞしていると、再び職質なんてね…。
だから早々に退散…もうヤレヤレだぜ!



前回の、広告代理店バイトに至るほんの少し前に
時計を戻してみる…。

いよいよバンドマンを辞めねばならなくなった場面。

厳密にいうと、断じて犯罪行為等ではないけれど、
諸々イキサツあって、とあるトラブルの張本人に
自分がなってしまった。

本社3Fの総務部に呼び出され、総務部長以下数人の
早大学閥の社員達に、カゴメカゴメ状態で囲まれながら、
私はたぶん彼らの憎悪を一身に浴びせられている状態だ。

「何やってんだオマエは!」
「ふざけるんじゃねーぞ」
「どうオトシマエつけるつもりなんだ!?」

ここでその理由は明かせないけれど、
バンドマンが絶対にハマってはならないタブーに、
私は見事ハマってしまった…ってところなのだが、
もちろん私に罪悪感などはない。
世間一般では普通のことだし、
責任もキチンと取るつもりだ…。

しかし、総務部長の容赦ない、決定的な言葉を
私は最期に浴びせ掛けられる…

「俺の目の黒いうちは、オマエなど絶対に認めない!
 誰かが赦し、認めても、この俺が絶対潰してやる…」

同じような言葉を、以前にも聞いたことがあった。

サッカー部創設に動き回って、それが徐々にカタチになり始め、
自分自身、結構浮かれてた高校1年の終わり頃、
凶眼のラグビー部監督に、ラグビー部が占有していた校庭の一部を、
我々にも使わせて欲しい旨のお願いをしに、
ラグビー部室に出掛ると、私は凶眼のコーチに首元をグイと掴まれ、
壁に押し付けられて、まさに同じような言葉を、
浴びせかけられるのだ。

「俺の目の黒いうちはなあ、サッカーなんぞ絶対に認めんからな!
 だからな、グランドは絶対にオマエらなんかに使わせてやるものか。
 俺たちが遠征で不在の日も、練習休みの日も、見張りを置いてな!
 そしていつか、サッカーなんて、オレがこの手で潰してやるさ!」

大学を出たてとはいえ、一応彼も教師なのだが、
見事に喉元から上目遣いでチンピラ口調で脅かされる私であった。

さて、西日のキツい本社総務部で、ああ、あの時と同じだなあ…なんて、
私は意外なほど冷静に、何故か言い訳もせず、粛々とお叱りを
享けていたように記憶している…。

別に音楽は、その大手プロだけじゃあないし、
すぐにでもアチコチ営業すれば、仕事なんて永遠にあるはず…

そしてその通りに、半年くらいは、ボチボチと
仕事はつながっていたけれど、大きなツアーとか、
ロックオペラ的な舞台プロジェクトなんかが、
一斉に終るタイミングになると、ある日ある時をもって、
パッタリと仕事が断ち消えるのだ。

すると、何だか一気に集中力と云うか、
モチベーションがキレたのだろうか?
ギター弾きなんて、バンドマンなんて…もう充分だ。
そろそろ生活を安定させたい、そうだ...

次は...普通のサラリーマンがいい。

キチンと毎月決まった額の給料をいただいて、
計画的な人生設計を構築しよう。
音楽は、趣味で愉しく…それが一番かも。

そして、渋谷の広告代理店で雇ってもらえることになった。

この代理店との出逢いにも、ナカナカ、ドラマチックな
エピソードがあるのだが、それはまた別の機会に…。

やがて仕事にも慣れ、面白くなったところで、
いよいよ本採用か?...君なら大丈夫…と、いうところから急転直下

あっさり拒否される。

「だって君、大学、卒業できてないでしょ…」

自分的には、大学卒業以上の経験を積んだぞ!
著書まで買って読んで尊敬してた、大レコード会社の社長さんに
飯をご馳走になったこともあるし、タレントさんだって、
アーティストだって、そのマネジメントに関わる人たちだって、
数多く知ってるぞ…(総務は苦手だけど)。

なんてね…妙な自負はあったのだけど、そんなことが
世間に通用するはずもなく、翌日中には、
辞意を人事部に伝えることになる。

そして、前項の弱小貿易商社に繋がるのである…。

どの仕事も、とっても愉しかったし、充実してた。

自分で自由に考えて、己の前に立ちはだかる障害を
バッタバッタとなぎ倒して、道を切り開き、
突き進んで行くしかないような仕事だったから、
やりがいあるとか、ないとか云う以前に
自分で何とかしなきゃあ、しょうがないじゃないか!
そんな切羽詰まった仕事ばっかりだった。

だから、概ね、ラッキーで愉しい人生だったかなって思う…。
まだ死ぬわけじゃないのに、なに邂逅してんだろね。



性懲りもなくグレートフルデッドの「'71 DEAD」なる
箱ものCDを入手した…なんとCD21枚組…。

そう言うわけで、「いけない葉っぱ」の力など借りずとも、
天然のめまいでクラクラしている昨今、ちょうど良い感じの
浮遊感を、存分に味える、今日この頃なのである…。

それにしても、デッドだけではないだろうが、
当時のロックバンドのツアーというものは、大体の演し物というか、
曲は決まっているものの、入り方のテンションとか、
尺とかはもう気分次第…。

昨夜は軽く5分で流した曲も、今夜は60分近い大熱演をしてみたりと、
規律というものが全然ない!。

足の向くまま、気の向くまま。

,今はCDでも、DVDでもBDでも、何時間でもメディア的には
長尺演奏には対応できるけど、そもそもそんな無尽蔵に
長い演奏をするバンド自体が存在しない…。

コンサートホール側との約束の撤去時間を逆算して、キチンと
時間通りに終らねばならぬし、第一、音響や、照明の動作なんかも、
あらかじめコンピュータープログラムされているから、
ハプニング等起きようがなく、キチンと時間通り粛々と執り行われる
のが、モダンなライヴというものだ。

また、80年代の中頃に、ケイトブッシュのエンジニア陣が、
彼女の為に128チャンネルだかのミキサー卓と、複数の
マルチトラックレコーダーの同期システムを開発したものの、
あまり普及しなかったっていうか、使いこなせなかったって
いうし、またそのレコード(先行シングル)を、
「いったいどんな凄いサウンドなんだろうか?」と
大期待をして購入した自分…。

しかし、ちょっと邪魔なSEばかりが、ジョリジョリブリブリと
未整理な感じで鳴ってるだけの、変な感じのサウンドで
相当に失望したような想い出がある。
(確か、The Dreamingの7inch Single Version…)

そう言うわけで、70年代初頭の何年間かのデッドのライブは
やっぱり、特別な輝きがあるわけで、何だかいい齢こいて
子供みたいな心境で、「デッドはいいなあ」って、
そのゆったりした、贅沢な時間を楽しんでいるのだ...。

Grateful Dead - Playing in the Band


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