ボチボチと生きてくよ!秋田篇

35年振りに故郷に戻り生活することになった、気がつけば中高年の泣き笑いなど。
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人生観が変わる瞬間

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

JR秋田駅の「駅そば」が、8年ぶりに復活とのこと。

裏を返せば、よく8年もの間、
駅に「立ちそば屋」が無いまま、過ごせたものだなあ!?
と、感心しつつ、まあ、やっとこさ、
普通の駅に戻ったのだなあ…そう思う。

ちなみに私はいつもJR吉祥寺駅の

「肉そばコロッケ乗せ…」

今じゃあカロリーオーバーかな??



前項で、自らの「危篤」の一件を話題にしたのだが、
自分はあくまでも気を失っただけの能天気さで、
これから死ぬのだなあという意識も感慨も全然ないし、
あとで「危篤だったのだ」と聴かされたところで、
生き残った立場としては、笑い話でしかない。

しかし、その「危篤」をナースに通告された
家族の側の視点を、今あらためて思いやると、
その背筋が凍るほどの心情に
何だか無性に申し訳ない気持ちになった。

あらかじめ心の準備があれば、また随分と違ったと思うが、
自分の場合は、順調に回復し、退院も間近…
職場復帰も可能...という中での突如の容態急変...

「危篤通告」…。

(酷い目眩に悩まされてるのを、専門外の医師達は
 敢えて黙殺していたような気がする)

家人から電話で連絡を受けた母によると、
家人は泣きじゃくり、相当に狼狽していたという。

そういう事を私が知ったのは、実はずうっと後の事で、
自分的には、「ひと騒動あったな、ヤレヤレ…」という程度なのだが、
壮絶な舞台裏…いやはや今更ながら申し訳なさすぎて
昨夜は珍しく東京にいる家人に自分から電話してしまった…。

「ああ、あの日ね…凍って真っ白、殆ど何も覚えてない…
 気がついたら、病棟の奥の、お線香臭い部屋(安置室?)で、
 あなたは何か塗ってるみたいに白過ぎる顔で眠ってた…それだけ…」

まったく今更だけど、あのときは驚かせて?...違うな...
悲しませて?....それも少し違う…お騒がせして…全然違う…
いずれにしろ諸々ホントに申し訳なかった…

…と、云うと奴はボソッと云った…。

「ほんと…人生観、変わったわ…」

果たして自分は戻れるのだろうか…??



たぶん高校時代だと思うけれど、そのアルバムを
丸ごとコピーしたカセットテープを所持していて、
しょっちゅう聴いていた、とっても心地良いサウンド…。

しかし誰のなんというアルバムなのかさっぱり分からない。

アタリは何となく付いていた…
サウンドはソウルフルでファンキーなのだが、独特の湿り気があり、
その心地良い湿度感覚は間違いなく英国薫陶のサウンド…。

英国製ソウルと云えば、アヴェレージ・ホワイト・バンドか
ジョーコッカーのバックバンドで名を馳せたグリースバンド、
その発展系のKOKOMO…?

しかし確証を得る事は無いまま、
なぜだかそのテープを肌身離さず持って上京し、
西日のキツい四畳半でも気に入って頻繁に聴いていたら、
ある日遊びに来てた音楽仲間が...

「おっ!これKOKOMOじゃん!さすがシブいねえキミは!」

翌日、アルバイトの帰りに、銀座HUNTER(!)に寄り道して、
KOKOMOの中古盤を見つけて即ゲット!

音楽の中身は聴き慣れてるどころか、殆どギターでコピーできて
しまってるくらい聴き込んでいたけれど、
さすがに曲名や歌詞などの情報が明白になった上で聴くのは、
また格別のヨロコビ…。

特に、後にRoxy Musicでも活躍するニール・ハバードとアラン・スペナーの
名コンビに、メル・コリンズ等々、英国流ソウルでファンクでオマケに
プログレなメンツ大集合のKOKOMOのデビューアルバム...
邦題はちょっとオチャラケて...

『ファンキー・マシーン★ココモ1号』…!

ギターの弾き方とか、リズムアレンジとか、
実は、自分はここから相当影響を受けてたなあって思うが、
不思議にCDを持ってなかった…
大至急ポチだぜ!

Kokomo - Anytime


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妙薬は口に旨し

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

櫓の類いって、どうして強烈な登りたい衝動に
駆られるのだろう?

そういう衝動を、努めて抑えて生きる事を
大人になる…って言うんだと思う。

そして今の自分は、さらにもう一段、
安全に留意せねばならない年代に
入ってきたのだと思う。
残念だけどね。



体調は相変わらずいまいちだけど、
何となく、苦しくなるパターンというのが分かってきたから、
なるべく慌てたり、無理したりしないように、
努めて慎重に、おっとりゆっくり生活するよう
心掛けている。

元々ね、セッカチというか、慌て者なところが
自分にはあるから、どうやら、その意識的緩慢さが
なんだかとってもいい感じ。

丁寧に生きてる…

そんな気がして、なかなか按配良かったりするのだ。

東北の大震災の、ほんの少し前、酷いめまいに悩まされて、
何のドーピングでも良いから注入して、この忌々しい目眩だけ
止めてくれ!それだけの思いで病院に行くと、なにやら
「心臓に深刻な疾患が見られる…」と宣告され、
循環器外科を得意とする総合病院へ移送される。
そこで翌日には手術になだれ込むのだ。

気持ちのどこかで、心臓と目眩は関係ないよなあ…と
思いつつ、手術が終ってリハビリに突入するものの、
相変わらずに目眩は一向に改善されない…。

総合病院なのだが、循環器系は有名らしいが、
目眩を専門とする?脳外科と耳鼻科は医師不足で
現状閉鎖されてる状態だったから、内科の医師から、
なにがしかの薬を、リハビリ中に実験的に服用していたが、
一向に成果が現れない。

ある時、液体の呑み薬を試す事になった…。
まるで石油を呑むような…それほど不味くて呑みにくい薬だった。

翌朝、トイレに起きたところで、私の身体は崩れ落ちる感じで、
病棟の廊下に倒れ込んだ、すぐにナースが走ってきて、
何をするかと思ったら、倒れたままのその場所で血圧を測られた。

ナースは叫んだ「50の35…大変だ!」

その言葉を聴いたまでは覚えている...。

目が覚めると、家人が私の手を握っていて
涙を流しながら笑っていた…。

ベッドの周りには、それまで自分が世話になった先生方、
循環器外科、循環器内科、内科、眼科、リハビリの先生まで居並ぶ…
何だ何だ…責任のなすりあいか?そんな風に自分には見えた。

容態急変、危篤…

家人は既に職場復帰していたけれど、
そう言われて呼びだされたらしい。

朝早くに気を失って、目が覚めたのは夕方頃。
カラダ中が大量の脂汗でビショビショ、それが
あまりに冷たくて、寒くて、目が覚めたのだった。

目が覚めると強烈な嘔吐と便意で、腹の中が空っぽになると、
呆気ないほどに正気と云うか、通常に戻った。
結局、ウルトラ不味い薬が、カラダに合わず、
消化器系の機能が一時的にショック状態で停止したらしい。

妙薬は口に苦しと言うが、苦すぎる、不味すぎると云うのは、
カラダが拒絶しているってことで、然るに

「妙薬は口に旨し!」

それが正解らしい。

危篤かあ、そりゃあ驚くよなあ…
随分大袈裟だな…

元の病室に戻り、三分粥をすすりながら、
家族と和やかに笑いあったが、肝心の目眩は収まらず、
いよいよ故郷の「脳血管研究センター」に、舞台を移す事になり
今に至るのだが、「脳研」に通ったのは3~4回だけで終了…
その件はまた別の機会に…。



Mott The Hoopleのレコードは、なにしろカバーデザインが
いつも秀逸で、中坊の頃から、レコード屋さんの棚を漁りながら、
カッコいいなあ、聴いてみたいなあ…

でも買うべき優先順位の高いレコードは、まだまだたくさんあって、
とてもモット・ザ・フープルにまで廻らない。

不思議とモット・ザ・フープルのレコードを持ってる仲間も居なくて、
大ヒットしたデヴィッドボウイ作の「すべての若き野郎ども」以外を
なかなか聴くに至らなかったバンドであったのだが、
高校生になった頃、とても良く出来たアルバム「ロックンロール黄金時代」
そして、名作の誉れ高い秀逸なライヴアルバムが
立て続けにリリースされると、皆が皆これを購入したようで、
続々と、モットの旧作までもが、手元に廻ってくるようになった。

モット・ザ・フープルといえば、やっぱり「~野郎ども!」ってことに
なるんだろうが、自分的にはこの曲「土曜日の誘惑」。

なんともチャラいタイトルだが、まあそういうバンドというか、
B級感が漂う、そういう世間の評価だったのだろうね.…。

それでもだ、イントロがなにしろカッコいい!。
英国らしいグラマラスなサウンドだけど、イアンハンターの
ヴォーカルが、意外とか弱くて、可愛い感じなのが
スーパーでビッグなグループになれなかったところだろうが、
それはそれで何だかキッチュで、ヤッパリどうあっても
英国っぽくて、素敵だったりする。

Mott the Hoople - Roll Away the Stone(土曜日の誘惑)



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一夜漬け

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Leitz - Summar 5cm/2 (1937)

体調がすこぶる悪い。

ただ悪いのは、ある行動(運動)を起こした結果の
発作というか、極度の息苦しさと動悸とめまい…
10分くらいじっとうずくまりつつ、自然回復を待つか
或いは、普段から静かにしてれば、極めて普通。

そういうわけで、すぐにでも病院に行って…
という感じになかなかならない….。
また入院で、手術…イヤだなあ…。

そんな状況で、昔からの悪癖の「一夜漬け病」が暴発!
つまり、差し迫り、追い込まれないと動かない悪癖から、
やっとやっと「確定申告」に取りかかる事にした。

とはいえ、自分的にはほんの僅かばかりの家賃収入しか無いから
極めて単純なのだが、それすらも、ああああヤラネバヤラネバと
悩みながら、全然手が付かず、本当にダメオトコだ、最低オトコだ
と自分を責める事約1ヶ月…体調も悪くないし、さあ取りかかるか!
と決心したら、なんと10分で記入終了…。

なんだかね、キチキチッと初日に終らせれば、
悪夢に悩まされる事も無かったのに…って思うんだが…
出来ないんだよねええ…昔からそう…。

ちなみに目下の問題は、母に預けたマイナンバーの通知書…
近頃少々惚け気味の母…どこかに仕舞い忘れてるって…。
今年から必要なのよねえ…マイナンバー….ああやれやれ。
だからキチンと計画的に….無理だな今更…。



自分はまだ半ズボンにランドセルの時代ではあったけれど、
世の中なにしろ騒々しかった。

身近にも、私と一番歳が近かった当時大学生の叔父が、
ヘルメットを被ってゲバに参加していて、
よく彼の姉たる私の母に叱られていたけれど、
それでも、母は我が家にそのゲバ仲間達を招き入れ、
鍋や酒を振る舞いつつ、法律だけは犯すな!
石は投げるな、角材は振り回すな!と説教していたのを
妙に覚えている。

まあそのゲバ学生達が、後年、役所やメディア等々に
就職し、やがてこの街を動かす側になり、あまつさえ
言論を弾圧する側にまわってたりするのだが…。

ニールヤングが唄う「オハイオ」…
確かオハイオ州のケント大学だと思ったが、
ベトナム反戦デモに州兵が何故か発砲し、
4人の学生が死んだという事件を、
ニールが怒りをあらわに唄った作品…。

私はちょっと恥ずかしいが、小学6年から英語塾に通ってたから、
子供にも分かりやすい歌詞…

Tin soldiers and Nixon coming
We're finally on our own
This summer I hear the drumming
Four dead in Ohio

ブリキの兵隊とニクソンがやってくる
ボクらは遂にボクらだけになってしまった...

ニールヤングは時代に応じてレーガンカーミン…とか
言い換えて唄ってる。さしずめ今は…

ティンソルジャーズ&シンゾーカーミン…。

ヤバいヤバい。

同曲には色々なテイクがあるけれど、スティルス作の「自由の値」と
メドレー形式(たぶん編集!?)になっている、ニールヤングの
初期ドキュメンタリー映画「過去への旅路」に入ってるライヴテイクが
圧倒的に好きだし、何となくあの頃、ウチに来て鍋を突いてた
ゲバ学生達の、長髪に髭の鬱陶しい風体や、独特の汗臭さみたいなものが、
妙に懐かしく思い出される曲なのだ。

CSN&Y - Find The Cost of Freedom - Ohio


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アメリカンクラブハウスサンド

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

春はいったいどこに行ったの?ってほど、
まだまだ寒くて冷たくて、このまんま凍てついて
死んでしまいそうな気分にもなる…
ちょっとヤバい北国の3月。



今もたぶん同じだと思うけれど、
私がバンドマンだった時代も、東京・麻布台の
ロシア連邦大使館(当時はソヴィエト連邦大使館)と
なぜだか、背中をぺったり合わせるように
くっ付いて建っていた「東京アメリカンクラブ」…

そのバーラウンジで、定期的にライブ出演していた
某ジャズ歌手さん(日本人)に、どうやら私は
気に入られていたらしく、彼女のライヴ出演時には、
結構、密に呼ばれることが多かった。

もちろん私のジャズなど、とんだニワカの下手っぴいに
違いないし、実際に当時はまだ、先輩のサックス奏者に
楽典から(!)レッスンを受けてた真っ最中だったと思うが、
妙にウマが合うと云うか、彼女曰く、

「なんかアンタの音…安心なんだよね…」

と、褒められてるのか、けなされてるのか、
未だに良く分からないが、それも一つの評価だろう…と、
ポジティヴに受け止める事にしていた。

アメリカンクラブは当時の事務所の近所だったし、
また世田谷の砧(砧本村)から東京八重洲行き…っていう
随分と長距離な都バス路線も当時あって、
まだ古びた革の巨大ガマグチをぶら下げた車掌さんが同乗してる
おそらく最後の時代だと思うが、三軒茶屋から乗りこんで
渋谷、南青山、六本木を抜け、飯倉交差点を過ぎ、
麻布台で降りる。

スタジオもその近くのサウンドシティとかツヅキを使う事が多かったし、
また麻布十番〜仙台坂界隈の徒歩距離に、様々なプロダクションや
スタジオが集中してたから、この異様に長距離な都バスの存在は
ホントに有り難かった。

さて、アメリカンクラブと云えば、もちろん有名な

「アメリカンクラブハウスサンド」…

その本家であるからして、なにしろバンド控え室には毎回、
山のようにクラブハウスサンドのランチボックスが積んである。

傍らには巨大ピッチャーのコカコーラとオレンジュース。
 
クラブハウスサンドを無尽蔵に頬張り、
それをコーラとオレンジジュースで次々流し込む…
そんな他愛ない事が、妙に嬉しかったりした。

演奏曲目はスタンダードジャズだけではなく、
マイケルフランクスだのボズスキャッグスだの、
クルセダーズだのマンハッタントランスファー…
なんて言う当時の流行りもの(?)も多く取り上げていたけれど、
この曲が始まると、いつも決まってミラーボールが廻りだして、
お客様の9割は正装の外国人のカップルだが、
一斉にダンスタイムとなっていた。

♫「ララは愛の言葉」...

自分はただ演奏してるだけの立場なのに、
何だかとっても夢見心地の、幸福な気分がしたのが忘れられない…。

きっと、数日ぶりに満腹だったから…なのだろうかね??



ヴァレリー・カーター・ロス(?)が相変わらず続いてしまっている…。

その流れで、ローラ・ニーロ辺りも、あれこれとCDを捜しながら、
ずうっとずうっと、何だかぼんやりと聴き続ける
ダメオヤジなのである。

72年の初来日は、さすがに自分は田舎の中坊だったし、
行ける筈もなかったが、それが何だかとっても悔しくて、
それだけに94年春の再来日は、まるで昔欲しかったけれど
買えなかったオモチャを、今、大人買いで手に入れるような...
そんな感じで、辛うじて間に合った….と云うべきだろうか。

渋谷のOn Air Eastだったと思うが、いわゆる座席の無い
オールスタンディング(ワンドリンク付き…)というのが
これが初めてというわけではなかったけれど、
やはり会社帰りの、スーツ姿に革のカバンを提げてという
オヤジスタイルは、オールスタンディングにはどうも
馴染まないなあと思っていた。

ブルーノート東京あたりなら、しっかりクロークがあって、
カバンはもちろん、コートまでキチンと預かってくれるのだが、
OAEは、今はどうだか知らないが、なにしろ片手が塞がって
拍手も出来ないから、カバンを床において、それを足で挟む!
っていう、なんとも情けない姿を維持するのだが、
いかんせん混み合っているから、どんどん身体が流されて行き、
あれよあれよと、カバンを漂流させてしまう。

それでも彼女の渾身のライヴは凄まじかった…。

その後、同ツアーの「ライヴアルバム」も出ているけれど、
殆ど大阪公演かららしい。昔っからそうだな…。
LZもパープルも大阪公演の方が遥かに良かったと云う。
きっと50/60KHzと電圧が違うから、大阪の方が東京よりアンプが
いい感じで鳴る!...なんて言われてたけれど、
後年、大阪の師匠にその件を尋ねたら...

「大阪の客は、金払ろた分はきっちり楽しまな損!...
 ただそれだけのことやで」

ってことらしい。

確かに、東京のライヴって、意外と東北人が多いのか?
人見知り気味と云うか、最初はスマシテておとなしいくせに、
後半になって馴れてくると、異様に盛り上がったりする。

その大阪でのライブを聴く限り、やはり最初から盛り上がっていて、
ちょっとうるさいくらい...!

そうしたわけで、ライヴインジャパン’94から1曲かなあとも思ったけれど、
最晩年に出た「Angel In The Dark」というアルバムが、たぶん
この日本公演を含むツアーのリハーサルを兼ねたと云うか、
ほぼ同時期の録音と思われ、選曲もダブり気味だし、
且つキチンとバンドも入れて録音されているので、
クオリティも高い。(来日公演は弾き語り)

このアルバムはホントに名曲&名演も多いので、超お勧めだ。
そのアルバムから…ヤッパリこれ…

「ララは愛の言葉」

オリジナルは68年、デルフォニックスでヒット…
まあどうでも良い情報だがね。

Laura Nyro - La La Means I Love You


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のらりくらりとやってくる

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Carl Zeiss Jena SONNAR (改L) 5cm/1.5 (1941)

キャットフードのストックが無くなっていた。

まとまった量は「南米の大河、または女だけの戦闘集団」へ
注文するにしても、(送料値上げするらしいね…)
ここ北の最果ての地に「即日配達」なんて
気の効いたサービスなどあり得ないから、
取りあえず、今日明日の分だけでも、近くのコンビニで調達。

しかし、お天気もまあまあだし、体調も悪くはない…
少々遠目だが、かなりお買い得価格なスーパーマ−ケットまで
足を延ばしてみようか…と、出掛けてみたまでは良いが、
途中、北国の天気はみるみる変わり….

猛吹雪…。

あっという間に、体中が真っ白の雪だるま状態

「天は我を見放した…」

なにしろこんな風に、のらりくらり&とろりとろり...
3歩進んで2歩下がりつつ、北国の春はやってくるのである。



まったくなんてことだろう…今度は、かつての愛しのキミ
「ヴァレリーカーター」が逝ってしまった。

64歳…ってことは、花のニッパチ生まれ(!?)…か…辰年だね。

上司だったり、部下だったり、不思議と辰年生まれに縁がある。
折に触れて、ああ、やっぱりあなたも辰年さんなのですね…!
そんな感じで、なにげに辰年の気質まで分かるような感じなのだ。

ヴァレリーを知ったのは77年。
世は、呆れるほどホテルカリフォルニアが流行ってて、
もううんざりだぜ!って感じの時代。

その頃自分は既にパンクロック!...って、言いたいところだけど、
実はまだそこまでには至っておらず、マイケルフランクスとか
ボニーレイットなんかに熱を上げつつ、このヴァレリーカーターも
随分入れ込んで聴いていたように思う。

抜群の透明感は、ソロシンガーというよりも、むしろ
バックコーラスとかデュエット相手(?)というニーズが
先にきていたらしく、ジャクソンブラウンや、クリストファークロス、
リンダロンスタッド、リトルフィート、ジェームステイラー等々、
まさに売れっ子サイドシンガー…というのが彼女の位置だったらしい。

そんなキャリアを、当時の自分は知らなかったから、
ソロデビューアルバムにして、いきなり錚々たるお歴々のミュージシャン達が
大挙して参加してたのを、なんとも奇々怪々に感じていたのだが、
彼女のキャリアを知れば、まあ納得のメンバーによる充実のサウンドの
名盤であったと思う。

リトルフィートの全員、EW&Fのほぼ全員、オ−リアンズの面々、
リンダにジャクソンブラウンにジョンセバスチャン。
さらにチャックレイニーにジェフポーカロ(セカンドアルバムはTOTO全員)
そんな感じの強力サポート陣だが、やっぱり大好きなこの曲の
ツボを心得た抑えた演奏と、彼女の透明感が、とにかく素晴らしい。

別の曲をと思っていたけれど、この曲のまばゆい光に敵う曲が
一向に見当たらない…R.I.P.合掌

Valerie Carter - Ooh Child


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